突然現れたゲマは愉快そうに話し始めた。
「リュカ夫人。あなたはこの世界が作られたものであるということをご存じですか?」
「ええ……」
ビアンカはそう答える。
これは、リュカが消えたあの日に彼に聞いていたことであったから。
この世界は『ゲーム』であって、ビアンカたちはそのゲームのシナリオのために用意された『キャラクター』だと。
そして、リュカを想い慕うようになることも含めて全て作られた思いなのだと、そう伝えられていた。
それを聞いたとき、彼女は奈落に落ちるような感覚を味わった。
自分の存在も思いも全てが偽物であるとしたら、これ以上の絶望はなかったから。
しかし、それと同時に彼女は決意もしていた。
たとえ始まりがその様な仮初めの仕組まれたものであったのだとしても、自分がリュカを想い愛するこの『今』の気持ちは、間違いなく本物なのだと。
そのことを告げ、涙を流したリュカの想いも本物なのだと。
だから、彼女は彼が消えてしまっても耐えられたのだから。
ビアンカはゲマが次に何を言うのか、奥歯を噛んで待ち構えていた。
たとえどんなことを言われても、決して動揺してやるものかと、そう心に決めていたから。
でも……次のゲマの言葉は彼女のその決意すら揺るがしてしまうものだった。
「ほっほっほ。ならばこれも知っていましたかな? 実は、あなたも……リュカらの世界へ行くことができたのだということを。その方法が存在しているということを」
「え?」
「おや? ご存じなかった? これはこれは異なこと。リュカはそのような大事なことも告げずに帰ってしまったということですか? まったくもってこれは悲しい事実ではありませんか」
両手を大きく広げて、ゲマはビアンカを気遣うように柔らかい声を出す。
ビアンカは明らかに動揺してしまっていた。
自分がリュカの世界へ行くことが出来た?
そのことをリュカは教えてくれなかった?
やっぱりリュカは、私のことをなんとも思ってなんか……
そう疑惑に飲まれ始めていることに気づいた彼女は、目を細めてゲマを睨んだ。
「そ、そんな手には乗らないわ。私を動揺させようったってそうはいかないわよ! りゅ、リュカがそのことを私に言わなかったとしても、それには必ず理由があるはず! そもそも、向こうの世界へ行ける方法があるなんて、それこそあなたがそう言っているだけじゃない! そんなもの、信じられるわけないわ!」
強気にそう吠えたビアンカ。
そんな彼女に向かって、大きく笑みを浮かべたゲマはゆっくりと語る。
「ほっほっほ。信じたくないのも仕方ありませんねぇ。しかし、これは事実ですよ。現に我々はすでにリュカの世界へと何体ものモンスターを送り出しています。そして、その一人に、この『リュカの身体』を操らせているというわけですよ。そうですよね、『ジャミ』?」
「はい、ゲマ様。くっくっく」
ゲマに答えるように、脇に控えているリュカが微笑んだ。
それを見て、ビアンカは震え上がった。
「じゃ、ジャミですって!?」
「ああ、そうだぜ、お嬢ちゃん」
にやけた顔のリュカがそう答えるのを見て、彼女の全身は粟だった。
彼女はジャミのことを知っていたから。
それは巨大な白い馬の化け物。
ゲマの忠実な部下にして、ありとあらゆる災厄の元凶たる存在。
リュカの父、パパスを手にかけた一人であり、最愛のリュカにゲマと共に襲い掛かり、彼を石に変える一助も為した。
彼女にとって、まさにトラウマたる存在そのもの。
しかし、そんなジャミもあの最終決戦の最中、リュカによって葬られたはずだった。
それが復活した挙句、向こうの世界へと移動し、あまつさえ、リュカの身体を奪い去ったのだとしたら、それ以上の屈辱はなかった。
ゲマは震えるビアンカへと近づいた。
「この世界は、『ユアストーリー』と云うのだそうですよ。意味は、『あなただけの物語』。なんとも皮肉な名前ではありませんか? なにしろ、ここは、そのユアストーリーなるゲームを楽しむ、ただ一人のためだけに作られた世界なのですからね。そして、その一人とは、今回リュカ君でした……今回はね」
ビアンカの顔からはすでに血の気が失せていた。
ゲマの言葉の一つ一つが胸へと刺さり続ける。
それは紛れもなく、あのリュカが教えてくれた内容を補完するものであり、そして、彼がビアンカへと語らなかったことに違いないと思えたから。
ゲマは続けた。
「そうです。ここはゲームの世界なのです。たった、一人のプレイヤーが、物語の初めに父親と冒険を始め、青い髪の良家の子女や、金髪の幼馴染の少女と出会い、旅をし、恋に落ちて、その二人の間に産まれた子供が運命の勇者であった……というお話なのですよ。ほっほっほ。なんとも素敵な物語ですが……、そこに登場する我々……私やあなたにとっては何とも辛辣な事実ではありませんか。なにしろ、私やあなたは、このゲームをプレイする全ての人間に対して、いつも真っ新に『リセット』された状態で出会わされるわけです。以前のことは全部無かったことにされて、全てを最初からね。そう、貴女が『恋』をした今まで全ての人のことを無かったことにされて」
ゲマの微笑みはいよいよ深い物になる。
ビアンカは、ゲマの言葉に耳を傾けざるを得なくなっていた。
覚悟は出来ていたはずだった。分かっていたはずだった。しかし、ゲマの語る内容は彼女を奈落に突き落とすのに充分な威力を持っていた。
ゲマの言葉の全てが真実であるとすれば、リュカの存在はたまたま今回出会っただけの存在で、過去にはもっと別の人に恋をして、結婚をしていた……のかもしれない。
それが何度も何度もリセットされて、自分はその繰り返しの物語をなぞり続けてきただけ。
ならば、自分の存在とは――――
繰り返される自問自答の連続に、ビアンカは猛烈な嫌悪感に晒されてしまった。
自分という存在が物語をなぞるだけのキャストであって、リュカに抱いているこの今の感情は作られたもので……いや、それどころか、この想いを、かつての自分は何度も何度も別の人に対しても抱き続けてきていて、それを忘れさせられているだけ……それが事実だとしたなら……
「う……うぷ……」
猛烈な吐き気が込みあがってきて、彼女は思わず両手で口をおさえた。
覚悟はしていたはずなのに、彼女の自我は、心は、既に壊れる寸前まで追い詰められてしまっていた。
「ほっほっほ。あなたが信じようと信じまいとそれは構いませんよ。ただ、そこにいるリュカ君の身体には、実際にジャミが入っています。VRCGDと云うのだそうですよ、向こうの世界にあるゲーム機の名前は。それを使って、ジャミが今ゲームをしているというわけです。さあ、お分かりですかな? この世界の残酷さが。私たちは、ただそのゲームを遊ぶ人間の楽しみのためだけに存在しているのですよ。そのプレイヤーを楽しませるためだけに、何度も殺して殺されて、何度も出会いと別れを繰り返して、何度も恋愛をさせられて。我々の都合はお構いなしに、私たちはまるで玩具の様に弄ばれ続けてきたというわけです。そんなこと……私は許せないのですがね?」