「この世界を作った外の世界の連中からすれば、私達は家畜のような物。いえ、それ以下ということでしょうね、ただ娯楽の為だけに我々を弄んでいるのですから」
笑みを浮かべるゲマを前に、ビアンカは何も喋れなかった。
リュカは言った。
自分の世界へ帰ると。
ゲマの言う通りなのだとしたら、なぜリュカは自分を連れていってくれなかったのだろう?
世界を渡る手段はあるのだと、そこにいるリュカの中身がジャミであるのだと、ゲマたちは嘘を吐いてはいないと、ビアンカはそんな疑問すら思い浮かべられなくなっていた。
彼女の心中に渦巻くのは、自分が操り人形かもしれないという茫漠とした不安感と、全てを語らなかったリュカへの不信。
その二つに知らず知らずのうちに心を蝕まれる。
そんな彼女を見下ろしながら、ゲマは言う。
「所詮あなたも、私と同じ被害者ということですよ、お可哀そうに。さて、これは相談なのですがね、どうでしょう……あなたも、『あちらの世界』へ行ってみませんか?」
「え?」
言葉を失い、ゲマを見上げるビアンカ。
その瞳には明らかな動揺が漂っている。
それをまったく意識しない様子のまま、ゲマは続けた。
「驚かれることはありません。私たちはすでに向こうの世界への移動の手段を得ている。それを貴女にも利用させてあげようと言っているのです。当然……ただで……とは参りませんがね。ほっほっほ」
胸を押さえ苦しそうに顔をしかめるビアンカ。
彼女は確かに苦悩していた。
リュカの世界へと行ける手段があると、明確に理解できてしまった今、その誘いを受けて拒絶することなどできようはずがなかった。
そればかりか、彼女はすでに思っていた。
とにかくリュカに逢いたいと。
ゲマが何を宣おうとも、彼女にとってもっとも大事なことはリュカの言葉。
彼が実際に彼女を謀っていたとしても、彼女を欺いていたのだとしても、それでもリュカの言葉を聞かなければ納得も出来ないし、何も始めることが出来ない。
そもそも、彼女はリュカに逢いたいという想いに苦しみ続けていたのだから。
今ゲマに頼めば、それも叶う……のかもしれない……
漠然とした不安があっても、先に進むためには何かを犠牲にする必要があるのではないか……
そんな思いの中で、ビアンカは口を開いた。
「何を……すればいいの……」
「ほほっ」
ゲマは短く笑い声を発した。
そしてすぐに口を押え、苦悶の表情になっているビアンカを見つめる。
「おっと失礼。これはこれは良いご判断ですね 、リュカ夫人。そうですとも。貴女はリュカに出会う必要があるのです。会って事の真偽を問いたださなければね。それが夫婦というもの……」
「御託はいい! 私は何をすればいいのかってきいてるのっ」
足を一歩踏み出して杖を掲げて睨みつけるビアンカに、ゲマは涼しい顔で応じた。
「なに、大したことを要望したりはしません。やって欲しいことはひとつだけ」
ゲマはその笑みをいよいよ大きなものにした。
そしてもう一歩ビアンカへと近づいた。
「『天空の剣』を破壊しなさい」
「え?」
それはビアンカにとって意表を突かれる要求だった。
天空の剣の所有者は、彼女の息子のアルスであって、彼は先ほどの戦いの中で悲惨な最期を遂げている。その遺体にすらまだ対面できていないこの状況で、その息子が持っている剣を要求されるとは思いもしなかった。
そもそも、彼女は天空の剣を持つことは出来ないのだ。
あの剣は、勇者のみが持つことを許される代物であるのだから。
「ほっほっほ」
呆気にとられているビアンカを見つつ、ゲマが言う。
「何を疑問に思うのです? 確かにあなたの息子アルスは今、『システム上』、死亡していますが、生き返らせる方法はいくらでもある。つまりまだ彼は生きているのと変わりはしない。彼が生きている以上、その所有物である天空の剣を我々が奪うことはできない。ええ、我々ではね」
そのゲマの言葉に呼応するかのように、アルスを握りこんだ巨大な一つ目の巨人ラマダが、その手を開いてビアンカへと近づけた。
そこに横たわり全く動かなくなった自分の子供の姿を目撃して、彼女は唇を噛んだ。
そして、憎しみの籠った瞳をゲマへと向けた。
「だから私に……」
「ええ! ええ! その通りですとも、リュカ夫人。あなたが賢いお人で本当に良かった。システム上死亡状態の今の彼から、その装備しているアイテムを受け取れるのは、同じパーティメンバーだけ。あなたが天空の剣にこのアイテムを使用すれば、触れさせただけで完全に破壊できるのです」
ゲマの長い指がゆっくりと開かれる。
そこにあるのは、得体の知れないらせん状に蠢く黒いアイテム。良く見れば、その動いている帯状の螺旋は、様々な文字の集合であるように見えた。
「それは、なに?」
「これは、いわゆる『バグ』というものですよ。我が主、偉大なるミルドラース様の今のお力の一つ。これであれば、いかに伝説の剣であろうとも、その存在そのものを消し去ることが可能」
ゲマはそれをビアンカへと近づけてきた。
彼女はそれを見ながら、息を呑んだ。
「も、もうひとつ教えて。な、なぜ今更天空の剣を怖がるの? 貴方たちはそのミルドラースの力とやらで、世界を滅ぼし尽くしたじゃない! だったら、もう天空の剣の一つくらいどうってことはないでしょう?」
それにゲマは答えなかった。
ただ、ニヤリと大きく嗤うだけ。
となりに立つリュカの身体も、ただ厭らしく嗤うだけだった。
「答えて……くれないのね……。今更、私が詮索しても意味がない……というわけね」
彼女はしばらく立ったまま、ただの
彼女たちを遙かに凌ぐ暴力によって打ちのめされてしまった最愛の息子。
その彼が今尚握りしめ、手放さない剣こそが、天空の剣。
暫くの時間が過ぎる。
彼女にとっては永遠にも等しい時間であったかもしれない、その時の果てに、ついにゲマの手の上のアイテムへと手を伸ばしていた。
「ほっほっほ」
震える手で、禍々しい螺旋状に動き続けるアイテムを包み込んだビアンカ。
それを見て笑うゲマとジャミ。
ビアンカは大きく息を吸った。
それから胸へと手をおいて、自分の震えを押さえ込もうとした。
しかし、それが不可能だと理解すると、手を降ろしてゲマへと聞いた。
「本当に向こうの世界でリュカに会えるのね」
「もちろんですとも」
即答するゲマに背を向けて、彼女はアルスのもとに向かう。それから膝を曲げて彼の額へと手を伸ばした。
無言のままで何度も息子の額を撫でるビアンカ。
彼女はしばらくそうしてから、彼の手に握られている天空の剣へと手を伸ばす。
その様子に、ゲマたちはより一層笑みを深くした。
「私は……」
ポツリとそうこぼしたビアンカ。
彼女は俯いたままで、手にしていた禍々しいアイテムを持ち上げた。
それを天空の剣へと近づけつつ……
「私は……リュカに逢いたい」
「ほっほっほ」
「でも……」
その途端に、彼女は立ち上がる。
そして、両方の瞳からとめどなく涙を溢れさせながら叫んだ。
「お前たちの言うことなんか、聞くもんか!!」
そう叫ぶと同時に手にしたアイテムを地面へと叩きつけた。
激しい火花が走り、眩い光と共にアイテムが弾け飛ぶ。
彼女は肩で息をしながらも、キッと鋭い目つきでゲマを睨んだ。
「アルスを殺して、みんなを殺して、その上私のリュカへの想いまで利用する……許せない……絶対に許せない!! 私は死んでもお前らに協力しない!!」
涙の雫がポタポタと足元に垂れ続けていた。
悔しさに噛み締めた口元からは、血も滴っている。
そんな彼女を見て、ゲマたちは……
尚も笑い続けていた。
「ほっほっほっほほほ」
「あっはっはははははは」
その様はひたすらに嘲るもの。
ビアンカの苦悩も痛みも何も理解する気のない、ひたすらの嘲笑。
ゲマの顔にはただ、愉悦だけが浮かんでいた。
「なにがおかしい!! メラゾーマ!!」
杖を掲げて巨大な火炎球を発射したビアンカ。
その眼前に立つゲマは、薄ら笑いを浮かべたままで羽織っているローブで身を包む。
巨大な火炎魔法によってその前身が燃え上がるも、二度三度それをはためかせただけで火炎は忽ちのうちに掻き消えてしまった。
「くっ」
「ほっほっほ、まったく人間とは、おもしろい。打算で行動するのかと思えば、正義感ぶって意固地になったりもする。本当に……」
ゲマは愉悦の笑みを一層深めた。
「鑑賞用には最適な生き物よ」
愕然となって身を縮めるビアンカは、杖を掲げたままでただ笑うゲマを見ることしかできなかった。
力量差は歴然。
ここにはゲマだけではなく、たくさんの巨人ラマダと、リュカの身体を使うジャミまで居る。
アルスやヘンリーはすでに死に、もう仲間のいないこの状況。
もはや、自分が助かる望みは何一つない。
そんな絶望の中にあっても、彼女は最後の最後まで足掻こうとだけ思い決めていた。
それが、人間としての最後の意地だったから。
「そんなに怖い顔をする必要はありませんよ。私は約束どおりあなたを向こうの世界へとお連れするつもりでしたからね。まあ、もっとも……」
ゲマはそう言いつつ近寄り、ビアンカの振り上げた杖を掴んだ。
その先に魔法の粒子が集まっては消えているのを見つめながら、そこに息をふうっと吹きかけ魔法を霧散させる。
そして彼女を見た。
「連れて行くのは『あなたの死体』……なのですけどね、ほっほっほ」
そう言って、ただ笑った。
ゲマはビアンカから杖を奪いとり、それを手の内で燃やし尽くした。
「ずたずたに引き裂かれた貴女のご遺体を目の当たりにしたら、あちらの世界のリュカ君はさぞ素晴らしい表情をしてくれることでしょう。私はねリュカ夫人、ただ、それを楽しみたいだけなのですよ。人の苦しむさま、人の嘆くさま、人の恐怖するさまを、ゆっくり、たっぷりと味わいたい、鑑賞したいのですよ。それはきっと、さぞ素晴らしい絵となるでしょう。あちらの世界には本当にたくさんの人間がいるのですから」
ゲマの嘲笑は終わらない。
彼はそのまま、ジャミを手招きして、ビアンカの前に立たせた。
それから、そのリュカの姿のジャミの掌の上に、先ほどバグと称したあのらせん状のアイテムを手渡した。
「そうそう……天空の剣のことですが、あの剣はやはり少し邪魔なのですよ。ですので、消させて頂きます。ほっほっほ、なに、心配には及びませんよ、死んだアルス君の装備品は、『パーティメンバー』であれば手に入れることが出来るのですから。パーティメンバーならね」
そう言いつつ、にやけた顔のジャミがアルスへと近づいて、その剣をとりあげた。
今のジャミはリュカの身体……つまり、パーティメンバーということ。
最初からゲマは天空の剣を手に入れる手段を有していたということになる。
わざわざビアンカへ、現世への転送を条件にアルスから剣を取り上げさせる必要はもともと無かったということだった。
剣を手にしたジャミは、その剣を掲げつつ、もう片方の手に持ったアイテムを近づけさせていく。
それを見て笑うゲマ。
ビアンカはただ、唇をかみしめて、瞳を濡らし続けて見上げることしか出来ないでいた。
いや、もうひとつだけ……
彼女は確かに行動していた。
彼女の胸の内に大事にしまわれていた大切なお守りに手を当て続けていたのだ。
そこにあるのは、あの日、リュカが彼女へと渡したラーミアを象った紙の鳥。
その紙には、彼が書いたたどたどしい文章の数々が秘められていて、彼女はそれを何度も何度も繰り返し読んだのだ。
彼が彼女へと伝えたのは、切ないまでの愛の想い。
一緒に居ることができない慚愧の念と、彼女を救いたいという切ない思い。
それを彼女は自分の心に刻み込んでいた。
彼女にとって最も大切な、真の宝物。
それに触れながら、彼女はただ、祈っていた。
「ほっほっほ。あなたの悩み、嘆き、苦しみは、本当に甘美でしたよ。その御褒美に、あなたも一息に殺して差し上げましょう。そして、その亡骸も有効に使わせて頂きますからね。より多くの絶望を眺めるために」
そして、ゲマはジャミへと促した。
ジャミの持つ黒いアイテムが、天空の剣へと近づいていく。
……て……
助けて……
お願い……
……リュカっ!!
「ビアンカァアッ!!!!」
彼女を呼ぶ声と同時に、空の上の方で何かが開く音がした。