「お疲れ様でした。ゆっくり目を開けてくださいね」
男の人の声がどこからか聞こえてきた。
どこかで聞いたことのあるような……
知っているようなそんな既視感の中で、そういえば、だいぶ以前に僕をここに誘ってくれた係の人が、こんな声であったなと思い出す。
僕はゆっくりと目を開けた。
頭部に装着した大きなヘルメット越しに、正面の入り口から手を差し伸べてくれている衛士装束の若い男性のが見えた。
僕は全身の感覚が次第と戻ってくるのを感じながら寝そべっていた椅子から起き上がる。
そして被っていたヘルメットを外してから顔を何度も手で拭った。
僕の手だった。
紛れもなくこれは僕の手。
あの時の僕の様に、重い剣を振り回して、強力な魔法を発射して、大好きな彼女を抱きかかえることもできない、ただの僕の手だった。
大きく頭を振ってから、そのスタッフの手を掴んでこのマシンから歩み出る。
そこはあの大きなイベント会場がそのままに広がっていて何人かの人たちが興味深そうにこのマシンを覗き込む。
その光景は僕がこのマシンに入る前とまったく同じだった。
『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』
そう名付けられたソフトを稼働させている、この大きな箱の様なマシンは、次世代の
主な従来との違いはその圧倒的な臨場感。
利用者の五感をAIの補助によってゲーム内で完全再現し、かつ、利用者の意識領域までも制御することで、アバターの人生全てを僅か数時間で体感させることも可能という画期的なデバイスとして完成した。
でも、それだけのことを為すには高性能のスーパーコンピューターとさまざまなセンサーが必要であり、どう小さく設計しても、これだけの大きさが必要になってしまったという話だった。
当然だけど、こんな巨大で高価な機械を量販できるわけもないから、たくさん製造されることはなくなったけど、データ収集などには非常に役立つということで、いくつかのゲームメーカーなどが新作のテスト用に導入を始めた。
その先駆けとして、この体感デバイスとともにこのドラクエのゲームが公開され、僕は幸運にもそのモニターに選ばれて、このゲームショー最終日にこの数機あるうちの一機を使用することが出来たというわけだ。
ま、本当にいろいろな体験ができたわけだけど。
「お疲れさまでした。いかがでしたか? ドラクエワールドは」
「え、あ……はい。もう最高でしたよ。まさに子供のころからの理想のままで、あはは」
チラリと彼女の顔が頭を掠めるも、僕は笑顔で彼に応じた。
スタッフの彼はにこやかに微笑んで僕へと告げた。
「それは良かったです。ただ、あなたのプレイ時間がかなり長かったので、なにかあったのではないかと心配していたのです」
「あ、す、すみません。ちょっといろいろとやってしまっていて……?」
そう言いながら、あれ? と首を傾げる。
あの時スラリンは、時間を延長させると確かに言った。
もしそうなら、このスタッフさんも知っていて当然だと思うのだけど……
ま、ただの連絡不足なのかな……
それに、僕のプレイ内容を知らない?
モニターしていたのではなかったのか?
そう疑問に思っていると彼がポリポリと頭を掻いてお辞儀をしたのだ。
「いや、これは失礼しました。プレイ中のあなたには分かりませんよね。実は、今回システムが少し不具合を起こしまして、あなたの冒険の内容をモニターすることが出来なかったのですよ」
「は、はあ」
彼は更に申し訳なさそうに苦笑いで続ける。
「ですので、プレイ後にお渡しするはずでしたリプレイデータの『ぼうけんのしょ』も消えてしまっている有様でして、僅かに残っているこのプリント画像くらいしかお渡しできないのです。本当に申し訳ありません」
そう言いつつ、彼は僕に数枚のカラー写真のような物を差し出してきた。
それを見て、胸がグッと熱くなる。
そこには、僕とスラリンとゲレゲレと……そしてアルスとビアンカの姿があったから。
ビアンカ……
僕はその写真を黙って見つめたままでいた。
万感が込み上がってきていたから。
でも、そんな僕を見て、スタッフさんは慌てたように話始めた。
「お、お怒りになられるのはごもっともですが、なにぶん機械もソフトも改良の余地が多々ありますし、これからより良いゲームを完成させてまいりますので、なにとぞ、今回の結果をSNSなどで酷評などしないでいただけると本当にありがたいのですが……」
と、チラチラと上目遣いで僕を見ながら手を揉んでくる彼。
ああ、そういうことか。
今回のモニターで失敗を出したくはないということなんだろう。
ウイルスが感染してプレイヤーが危険に晒されたなんて、それこそネットで拡散でもされたら制作側には大打撃間違いなしだもの。
あのウイルスだって、
別に僕はそんなことで文句を言うつもりなんてさらさらないし。
「大丈夫ですよ。僕は何も言いませんから」
「あはは……、ま、本当にすみませんでした。あ、これは心ばかりの粗品です。あ、これも、これもこれもこれも、どうぞお持ち帰りくださいませ」
と、僕の手に、巨大なメタルキングのぬいぐるみ、ゲレゲレマグカップ、天空の剣(模造刀)、宣伝ポスター、楽曲CDなどなど、山積みに持たされて、彼はにこやかに微笑んだ。
「それでは、ご利用どうもありがとうございました」
そう、手を揉む彼を見て、やれやれと思いつつ、僕は思いついたことを一つだけ聞いた。
「そういえば、このゲームで僕以外に不具合の起きた人はいたのですか?」
彼は高速で首を横に振り、即答した。
「滅相もありません。お客様が初めてでした。本当に、いったいなんでこんなことが起きたのか、未だ検証中でして、はい。ただ、本当に大丈夫ですので、すぐに問題は全て解決いたしますから!!」
語気も荒くそうまくしたてる彼を見てなにか無性に申し訳なくなり、僕は立ち去ることにした。
「本当に楽しかったです。これからも頑張ってください。あ、それと……スラ……、じゃない、管理者の方によろしくお伝えください。助かりましたと」
そう告げて帰ろうとしていると、スタッフの人がキョトンとした顔で言った。
「え? 管理者? 誰のことでしょうねえ、基本ゲームシステムはAIの完全制御で進めていますので、外部からログインすることなどありませんし、そもそも今は管理者は設定していないはずなのですが……」
「え……」
彼の言葉に心がただざわついた。
どういうことなのか、まったく理解できなかったから。
「おおい、そっち持ってくれ。メモリーデータを主幹ごと引っこ抜くから。絶対落とすなよ」
「はーい」
立ち尽くしていた僕とは反対側、僕の使用していたマシンの向こう側で、二人の作業員が白い煙を上げつつ引き抜かれていく大きな黒い基盤の塊を、重たそうに抱きかかえていた。