「白野君! いい加減にしてくれないか? こんな簡単な仕事も間違えて!! いったいいつになったら仕事を覚えるんだ!」
「は、はぁ……す、すみません」
これ見よがしに全員の注目が集まる中、怒鳴り声をあげているのは僕の上司、課長だ。
僕が作った資料に再三文句をつけて、それをまるでゴミの様に放り投げた。
それを謝りながら拾うのは当然僕だ。
別にこのような扱いは今に始まったことではない。
前から僕は事あるごとにやり玉に挙げられて、わざわざ怒鳴りつけられてきた。
そうやって惨めになっている姿を、わざと他の社員に見せているのだろう。
お前もこうなるぞ?
きちんと仕事しないと惨めだぞ?
ってね。
要は人身御供さ。
僕という生贄によって、みんなのやる気を喚起させようとでもしているのだろう。
ま、僕のやる気はダダ下がりなんだけどね。
とはいえ、今日怒鳴られたのは、完全に僕の所為だった。
頼まれた書類と全く違うものを作成してしまったのだから。
しかもここ最近そんな感じのミスが続いてしまっていたから、何一つ弁解も出来はしない。
弛んでる。
気が抜けている。
そう言われても、まったくその通りですとしか言いようがなかった。
まさにその通りの状態だったから。
あの、ドラクエをプレイしたあの日から。
「大丈夫でした? 課長本当にひどいですよね! 気にしちゃだめですよ」
「え? あ、ああ。ありがとう」
席に戻ると、隣の席の後輩の女の子がそう優しい言葉をかけてくれた。
この子は優しい。
いつも笑顔だし、やる気もあって、気も使える子でどこに行っても人気者だ。
僕が教えてあげた仕事もあっというまにできるようになってしまった。
間違いなく僕より優秀だ。
彼女を見ていると、本当に仕事が楽しいんだな、僕も頑張らないとなと、そんな気分にさせられるのだ。
仕事がうまく行けば喜んでくれるし、うまく行かなくても僕を励ましてくれる、そんな子だ。
だからではないけど、そんな彼女に、僕は自分の趣味でもあるゲームの話をよくしていた。
特にドラゴンクエストの話を。
車などでの移動中など、いつも彼女は微笑みながら楽しそうに僕の話を聞いてくれていた。
だけど、それが単なる相槌の一つでしかなかったのだということを、ある日僕は、知った。
『ねえ、孝美ぃ。あなた白野さんと随分仲良いじゃない? なになに? 付き合ってるの?』
『もうやめてよ気持ち悪い。そんなんじゃないよ。ただ話を合わせているだけ。白野さんって、ゲームの話しかしないの。いい歳して本当に気持ち悪い。だから彼女できないんだよ。話聞くの本当につらいんだから』
『なにゲーオタなの? 家に萌えキャラポスターとか貼ってそう』
『まじそれあるー。あはははは』
夕方時の給湯室は鬼門だ。
集まる女性陣は疲労からなのか、悪口に歯止めが利かなくなるもの。
そんな彼女たちから僕はこそこそと逃げ続けていた。
別に、だれに何を言われたって僕にとってはどうでも良かった。
自分が好きなもの、得意なものに情熱をかけることの何がいけないというのか。
世間一般でいうところのオタクであるという自覚は重々持っているし、それが余人に受け入れられ難いということだって理解した上で好きなことに邁進しているのだから。
それでも……
やっぱり否定されるのは嫌なものだ。
自分自身のことをまるでゴミくずでも見る様に見下されているみたいで。
僕は自分のスマホの画面を開いた。
そこには、画像として取り込んだ彼女の写真が映し出される。
何も知らない人がこれをみれば、ただ僕のことをドラクエ好きのオタクだと思うだけだろう。
けれど、この写真は僕にとってはまちがいなく本物だ。
永遠の愛を誓った相手。
もっとも愛しい存在で……僕が失ってしまった存在でもあった。
「ビアンカ……君に逢いたいよ」
いつかきっと逢えると僕に叫んだ彼女の言葉が耳に焼き付いていた。
でも、それは不可能だし、このことを望んでいる僕という存在こそがまさに異常。
やっぱり僕はどこかおかしいのだ。
僕は、にこやかに微笑む写真の彼女を見つめ続けた。
× × ×
「ただいまぁ」
とりあえず声を掛けつつ家に入っても、そこには当然誰もいない。
アパートの二階である一人暮らしの自宅に戻った僕は、上着を脱いで着替えてから、夕飯用に買ってきたコンビニ弁当を持って奥のモニタールームに入る。
すぐに3台あるパソコンを全て起動。
手早く弁当を食べつつ、様々な方面からのメールメッセージを読みつつ返信を送る。
オンラインのゲームも各種様々手を出している関係で、みんな僕のログインを心待ちにしてでもいたのか、すぐにプレイ条件などのリストが送られてくる。
こうやって頼られるのは嫌いじゃないけど、今は副業として行っているプログラミング作業も進めないと。
とある会社のOSがたったの一年で不具合でまくりになったとかで、それの改修作業の依頼を受けていた。
これはまあ、仕方ないことで、デバイス……パソコンは特に進化が早く、メーカーや大手システム会社に改修を頼むととんでもない費用が掛かってしまうこともざら。
ということで、その10分の1以下の価格で僕が受けることになるわけだ。
人に言わせると、僕はお人よしらしい。
技術なんだからもっと高く売ればいいと。
だけど、僕はそういうのが苦手だ。
安いと言ったって、僕にとっては十分高額だし、安くしている分文句を言われる心配も少ないと思っているから。
「ええと、こっちのデュエルは5分後開始で、こっちのレイド戦は15分後だからそれまではオートでダンジョンアタックで、こっちはデバックだから、ここをトレースしてと」
ゲーム4つを同時進行しながら、プログラミング作業を黙々と進める。
もはや作業だな。
慣れたとはいっても、やっぱり面倒くさい。
ゲームは確かに頼られて、助けたときに感謝されたりするのは嬉しいのだけど、それはただの無機質な言葉の羅列でしかないことを、僕は知っていた。
「本当の感謝って……」
ありがとう! リュカっ!
心が温まるようなあの感覚。
感謝されることを嬉しいと感じたのは、いったいどれくらいぶりだったのか。
僕は、再びあの世界でのことに思いを馳せていた。
ピロリン!
「ん?」
聞きなれない効果音が室内に響いた。
いったい今の音はなんだ?
と、自分のスマホやらパソコンやらを眺めていると、3台あるパソコンの一番右側のノートパソコンの画面にに、ポップアップメッセージのアイコンが表示されていた。
これは仕事用の端末で、かなり強めの防壁を作っておいたから安全なはずだったのだけど、まさかウイルスに侵入されてしまったのか?
そう思ってそのメッセージを消してしまおうと思ったその時だった。
ピンポーン。
今度は玄関のチャイムが鳴り響いた。
いったいこんな時間に誰だ? 宅配便なんか何も頼んでいないはずだけど?
そう思いつつ画面の閉じたままのメッセージはそのままに玄関に向かう。
「はいはい、どなたですか?」
かちゃりと扉を開けた瞬間……
「むぅん!!」
「は?」
僕は大男に抱きかかえられていた。
と、同時に、その大男が玄関先の2階廊下部分の手すりに足をかけ、そのまま一気にジャンプした。
僕を抱えたままで!!
「えええええええええっ!?」
胃液が逆流しそうな落下感と、地面に着地した瞬間の衝撃。
こんな感覚は、あのVRでのドラクエの時以来。
というか気持ち悪い。
その時だった。
大男は僕を地面に伏せさせつつ僕の背後をかばうように覆いかぶさる。
いったい何が起きているのか――
『メラゾーマ……』
「え?」
どこかからかそんな声が確かに聞こえた。
そう、確かに、そう……
次の瞬間。
ごぉおおと甲高い音が響き始めたかと思うと、それが起きた。
僕の背後、僕のアパートからとんでもない爆発音とともに、上空に向かって真っ赤で巨大な火の玉が飛びだした!!
「うわぁあああああっつ!」
ガス漏れ爆発?
爆弾テロ?
もう何が何やら全然分からなかったけど、とにかくそれは起こったのだ。
爆音は一回。
でも、飛び散った破片が落下してきてでもいるのか、金属音の様なものが周囲で響き続けていた。
しばらくすると次第とそれも収まる。
異様なほどの静けさだけが辺りに漂っていた。
「おい、立て」
「え? ええ?」
突然襟首を掴まれて僕は持ち上げられる。
そこには、筋骨たくましい大男。
前髪が長く、目は殆ど表に出ていないけど、その目は異様なほどに鋭かった。
『ほっほっほっほ、ほほほほほほほ。すばらしい。これは本当に素晴らしい力だ』
またどこからかそんな声が聞こえてくる。
この声はさっきの呪文の詠唱と同じ声。
しかも、この声を、僕はどこかで……
そう思いながら見上げたそこには、跡形もなく消し飛んだ僕の部屋が。
いや、僕の部屋だけじゃない、両隣の部屋も、下の階も、もうめちゃくちゃになっていた。
これ、ひょっとして誰か死んでしまっているのじゃないか……?
そんなことを思いつつも、声が聞こえてくる元を探して目を動かすと、そこには地面に転がって傷だらけになっている一台のノートパソコンが。
僕のパソコンだ。
これは先ほど正体不明のメッセージが届いていたノートパソコンに間違いなかった。
僕はその画面を見て、身体が凍り付いた。
そこには、ここに存在してはいけないはずの人物の姿が映しだされていたから。
『これはどうもお久しぶりですね、おぼっちゃん。いかがでしたかな? 私必殺の『メラゾーマ』のお味は。こちらの世界では初めて使用しましたが、なかなかどうして素晴らしい威力ではありませんか』
可笑しそうに、愉快そうに笑う奴の顔が、パソコンの画面いっぱいに引き伸ばされていた。
「お前は……ゲマ、なのか?」
『くふふ……覚えておいて頂いて嬉しい限りですよ、リュカ君……私は貴方に感謝しているのです。このような新たな世界に私を連れてきてくれたことを』
ゲマはパソコンの画面いっぱいに手を拡げ身を捩り、そして僕に向けて両手を突き出してきた。
まるでそのままこちらへ出てきてしまいそうな、勢いで。
モニター内のゲマの顔の口が、引き裂かれるように拡がり恍惚の表情へと変わった。
『ですから、私自ら、直接……あなたの命を奪って差し上げることにしたのですよ。この、もう二度とリプレイの効かない世界でね』
ピロリンと、先程も聞いた着信音の様な音が流れた後、カタカタとパソコンが震えだした。
モニターのゲマはさらに手をこちらへと伸ばす。
その時その怪異が起きた。
手を伸ばすゲマの先……パソコンのモニターのすぐ先の空間が揺らぎ始めた。
微かに光って、微かに帯電しているかに見えるその空間からは、『指』が現れた。
異様に長いその指は、間違いなくゲマの物。
まるでパソコンのモニターから出て来ようとしているかのように指を出し、掌を出し、そして腕を出している途中で……
『ふはははは、さあ、死ぬのです、リュカ! 『メラゾーマ』!』
空間に浮かんだままのゲマの指先に炎が灯る。それが一気に巨大化を始めてーー
「ふんっ!!」
先程の、大男がゲマの映っている僕のパソコンを勢いよく踏み潰した。
その瞬間、周囲一体に激しい放電現象が発生……同時にあの巨大化してきていた火球も霧散した。
けれど……
ことりとそれが、僕の足元に転がった。
そう『ゲマの手』が。
「う、うわああああああっ!」
まだピクピクと痙攣しているその手を見て、もはや僕はパニック寸前だった。
事態をまるで飲み込めない。
でも分かるのは、僕が今明らかに殺されそうになって、そして助かったということ、この大男に助けられたということ。
それと……
目の前に転がる、『ゲマの手』。
それを見つめることしか出来なかった。
「が、が、画面から出てきた」
そうとしか思えなかった。
画面の中のゲマが手を伸ばし、そしてこの手が現れた。そしてさらにメラゾーマの呪文までを使おうとして……
思考している僕の前で、突然大男がぐしゃりとゲマの手も踏み潰す。
一気に地面に拡がったのは……
真っ赤な血溜まり。
「ひいっ!」
「おい、行くぞ」
男に引っ張られた。
引き摺れて行く僕。
周囲には集まりだした野次馬たちの好奇の視線。遠くから聞こえてくる消防車のサイレンの音。それから、完全に消し飛んだ僕の部屋。
腕を掴んでいる大男を見上げれば、さも悠然と正面を見て歩いていた。
「あ、あの……僕、いま、まったく理解が追いついていないのですけど、これは、どういうことなんですか?」
そう尋ねてみれば、大男はさも面倒くさそうに口をへの字にして僕を睨んだ。
あれ? めっちゃ怒ってる?
「あ、あ、いや答えられないなら別にいいんです。ちょっと本当に気になっちゃっただけですので」
彼はまた正面を向いた。
そして、僕を掴んだままで言った。
「我は地獄の帝王、『エスターク』。人間にされた上、貴様を迎えに行けと命令されてここに来た」
「は、はあ……は、はい?」
今なんて言った?
エスターク?
って、あの4なら中ボス、5なら裏ボスのあのエスターク?
おいおいおい、そんなわけないでしょ。
だって、エスタークって言ったら、ミルドラースよりよほど質の悪い、完全二回攻撃の打撃最強いてつくはどう持ちのチートボスだよ? 打撃無効のはぐれメタルにすらダメージを通すほどなんだよ?
だいたい、何で人間?
いくら身体がでかいったって、この人がエスタークなんてあるわけない。
そんな風に思っていた時間が僕にも確かにありました。
彼に抱えられたままで、夜中の郊外の山中に入った僕は、長いこと歩いた末に薄気味悪い古びた洋館の前に辿り着いていた。
その大きな扉をエスタークさんが無造作に押し開くと洋館内の暗がりの奥から、小さな灯がゆらゆらと揺れながらこっちへと近づいてくる。
え? ひ、人魂? ……じゃないな、蝋燭を持っているだけか。びっくりした。
その蝋燭を持った人が近づくと、僕の手前でぴたりと止まる。
僕はその蝋燭の明かりの向こうにある顔を見た。
女性だった。
長い髪は、脱色でもしているのか、青みがかったようにも見える。
すっきりとした顔立ち、大きな瞳って、この顔……
「ふ、フローラ?」
「あ、あぁ……」
彼女は僕の胸元に飛び込んできた。
って、ろ、蝋燭あぶないからっ!!
「お会いしとうございました。『旦那』様」
そう言いながら僕の胸に顔を埋めてくるフローラ。
「って、だ、旦那様? い、いや、だって……えええっ!?」
「我はもう寝るぞ」
「旦那様! 旦那様! 旦那様ぁああ!!」
泣きながら抱き着くフローラの横を、エスタークさんが頭を掻きながら素通りしていく。
ああ、やっぱり寝るんだな……
って、違う!!!
えええええええええええええっつ!?