ようやくフローラを引きはがした僕はひとまず彼女のことを見る。
泣き笑う彼女は着ている服が違うだけで、あのゲーム内で出会った時のままに見える。
見えるけど……旦那様?
なんで僕のことを旦那様なんて呼ぶんだ?
一度だってそんな風に呼ばれたことは無かったはずだけど……
と、考えてから、そもそもこの子は本当にフローラなのか? とまずそこに行きついた。
ここは現実のはずで、仕事を終えて帰った僕はパソコンをしていて、そこにあのエスタークさんがやってきて、僕の部屋がふっとんで、ゲマの手が生えてきて、潰されて、連れ去られてここにきて、このフローラが抱き着いてきた。
「あ、そうか! これは夢なんだ」
「違いますわ、『べホイミ』」
「は?」
彼女は速攻で僕の言を否定。それから僕の傷だらけの手を持ち上げて、そこに手を翳して呪文を唱えた。
先ほどのゲマの襲撃の際に受けた傷なのかな、切り傷が無性にあったはずなのに、それがみるみる消えていく。
「じゅ、じゅもんも使えるの? なら、尚更夢じゃないか!」
「夢ではございません。これは現実なんです。私とエスターク様はこの世界に『てれぽーと』してきたのです」
「は? て、テレポート? ルーラじゃなくて?」
「はい」
しっかりと頷いてみせるフローラだけど、話がますます分からなくなった。
夢じゃなくて現実というなら、このフローラはそっくりさんのコスプレイヤーかなんかで、僕を驚かせてから、『どっきり大成功!』とかいう、あの素人だまして喜ぶ番組のスタッフとか言われた方がよほどしっくりくる。
でも、フローラはべホイミを使った。
それで僕の傷も消えたし、痛みもなくなった。
つまり……
「これはやっぱり夢だよ」
「ですから違いますわ? しっかりしてくださいまし、旦那様」
「ぐ……あの、フローラさん? 一応聞いておくけど、その旦那様ってのはやめてくれないか? なんだかめちゃくちゃ恥ずかしい」
そう頼んでみたのだが、彼女はとぼけた顔で答えた。
「止めるもなにも、あなたは私の旦那様ではありませんか。私達結婚いたしましたでしょう?」
と、言いつつ、左手を持ち上げるフローラさん。
その薬指には、シルバーに光り輝く指輪が一つ。
「って、えええええ!?」
「ぐごおおおおお、ぐがああああああ」
驚きすぎて腰を抜かしそうになっている僕など一切おかまいなしに、このエントランス脇のベンチに座ったエスタークさんが腕を組んだままで大いびきをかいていた。
× × ×
この洋館には人の気配が一切ない。
埃っぽいしかび臭いし、人が住まなくなってから、もう相当に年月が経っている感じがした。
「レヌール城みたいだな。なんだかオバケとかゾンビとか出てきそうだ」
そうポソリと言ってみれば、蝋燭を持って先を歩くフローラが言う。
「ここにはそういったモンスターはおりませんでしたわ。レヌール城……確か旦那様……いえ、リュカ様がビアンカさんと冒険を為されたお城でしたね。すごく……すごく羨ましい思い出です」
フローラはそう言いつつ左手の指輪を握りしめていた。
表情も暗く沈んでしまっている。
しかたないか。
僕は彼女に全てを話したから。
僕が結婚したのはビアンカで、君ではなかったと。
それと、あの世界がゲームの世界で、君が僕を夫だと思うのは、そうプログラムされたからだと。
全てを理解したわけではなさそうだったけど、彼女は真実であると感じたのだろう、全部聞いた後に、静かに涙を流していた。
それからは口数も減って、ただ粛々と僕を先導して歩いた。
長い廊下の先までくると、不自然な位置で壁がなくなってその先に金属質の床の廊下が続いていた。
どうやらもともとは隠し扉か何かだったようで、フローラは一切気にもせずに先を進んだ。
少し行くと地下へと続く金属製の螺旋階段が。
階下を覗き込むと、下の方に微かに明かりが見える。
どうやら、この下では電力が生きているようだけど、いったいどこから電力を引っ張ってきているのだろう。
不思議に思いつつもその階段をくだりきってみれば、そこにはたくさんのパソコンのモニターが付きっぱなしのままで様々な文字や画面を映し出していた。
ずいぶんと古いモニターだ。
奥の方でちかちかと瞬いている物は、ブラウン管モニターだよね?
あんなの初めて見た。
そのモニター群の奥には、見たことも無い大きなサーバーがいくつも並んでいて、それを見てから気が付いたけど、この空間は異様なほどに寒かった。
これだけの機器を動かし続けているから冷やしていて当たり前だろうけど、こんなに冷やすには相当の電気が必要だろう、いったいいくらかかるのだろうと、そんな要らない心配をしていたら、正面から声を掛けられた。
『来てくれたのだね、リュカ。待っていたよ』
声が聞こえ、顔を上げてみれば、この部屋の一番大きなディスプレイに大写しになったのは、スライムのドット絵。
いや、こんな100インチくらいありそうなモニターに大写しで、なにもファミコン版スライムのドット絵で来なくても……
大きすぎてカクカクしすぎていて逆に見にくいよ。
「やっぱり君なんだね、スラリン。でも、来たも何も、まったく訳も分からず連れて来られただけだよ。いったい、どういうことなんだい? なんでここにフローラが? あと、あのエスタークさんは本物なの? それとどうして、こんな大画面でドット絵!? せめてポリゴンとかにできなかった?」
『ドット絵……そんなところをツッコまれるとは思いもしなかったよ。まあ、今は許してくれたまえ。私も今は余力が全くないのだ。『フローラ』と『エスターク』を『量子テレポート』することで全てのエネルギーを使い切ってしまったのでね』
「量子? テレポート?」
聞きなれないその言葉に思わず首を傾げるも、スラリンは、それを見越していたのかすぐに話し始めた。
『すぐに理解することは難しいだろうから、まず君にやってもらいたいことを伝えよう』
「僕がやる……いったいなにを?」
スラリンは画面越しに僕へと言った。
『君が途中リタイアした、『ドラゴンクエストユア・ストーリー』を、今度こそ完全にクリアーしてもらいたい。魔界がこの世界に完全に現れてしまう前に』
ドット絵のスラリンは、ぴくりとも動かずにそう言い切った。
× × ×
「ちょっと待ってよ。クリアーしろってどういうこと? 確かにあの時クリアーはしなかったけど、ミルドラースは倒したじゃないか。あのおばけみたいなウィルスと一緒に。それに、魔界が現れるって、そんなのわけがわからないよ。量子なんとかだって意味不明だし、そもそもフローラがここにいるのがおかしいし、べホイミもつかったし、なんで!?」
そう、まくしたてるように言ってみれば、スラリンはさも当然だといった感じで分かったと言った。
『理解できないのは当然だ。君は今、未知を目の当たりにしているのだからね。では、順を追って話そう』
そしてスラリンが話し始めた。
自分が今の姿に至るまでのことも含めて。