ゲストキャラは、封神演義の太公望。
作中で、封神演義のダイジェストも記載しているので、漫画を未読の人でもこういう流れなのか…と分かる流れにしています。
…あの日は、やけに晴天に恵まれていた。
『――――、それが貴方の名前…』
【彼女】に初めて自らの名前を明かした。
今はほとんど口にしていない“あの世界”における俺の真名を…。
『なかなかカッコいい名前ですねぇ~』
俺の真名が分かるや【彼女】は少しからかいを含んだ笑みを浮かべる。
当時の自分の名前は嫌いではなかった。
…だからといって、特別好きでもなかった。
どうも、本名と自分自身が一致していない
…真名で言われてもピンとこない感覚があった。
『好きに呼んで構わない』
同族からは愛称で呼ばれる事が多かった。
真名よりも、そちらで言われた方が構わないと思った。
『なら…【ハルさん】って呼んでいい?』
花が咲くような満面の笑顔で、彼女が口にした愛称。
のちに…それが俺の『名前』となった。
*** ***** ***
「…ふぁ…ねむっ…」
覆われたカーテンの隙間から差し込む光で、自ずと目が覚めた。
時計の針は、4時55分を指している。
午前5時に目覚ましアラームが鳴るように設定しているため、今の内にとめておく。
「やべぇ…だりぃ…」
くっつきそうになる瞼のまま、後頭部を掻くハル。
昨日、入浴した後で書類を片付けて、途中からネットサーフィンに夢中になってしまった。
午前0時になる境目まで起きていたのが、まずかったようだ。
(…随分と、古い夢だったな…)
このところ、そういう類の夢を見ていなかったため、過去の思い出に浸ってしまう。
「…あ~…ダメだ。調子がでない…」
いつもなら数分程度で完全に目が冴えるのに、今日は眠気が振り落とせない。
朝食を済ませたら、もう一眠りしよう。
生欠伸をしながら、ハルはとりあえず朝食をとるため部屋を出ようとした。
その時、仕事用のデスクに立てかけてある写真立てに目が止まった。
「おはよう…“嫁さん”」
純白のウェディングドレス姿の女性が映っている写真立て。
それを左手で持つと、ハルはその写真の女性に微笑してそう囁いた。
貸本屋【双月文庫】の開店時間は、午前10時~午後9時まで。
1日の来客数は大体、1,2人程度。多い時でも、5人が最高である。
お世辞にも客数があるとは言えない理由はその『立地条件』である。
店は、人が賑わう商店街からかなり離れており、二世帯、三世帯が暮らす住宅地からも距離を
置いた場所に建てられている。
周辺には、古びたお寺があったり、学生や単身赴任者用のアパート、高齢者などが暮らす
古びた家が並んでいるが、交流はあまりない。
数年前に、コンビニやスーパーなどができたおかげで利便性の面は改善したものの、よほどの事がない限り、そんな場所へ行きたがる人はいない。
さらに、大抵の人は読みたかったり、気になる本があれば購入する。
これは、戦後の欧米風の生活が主体となり、印刷技術の向上が影響して、庶民の間で安価で
本を手に入れられるようになったためだ。
‟『借りる』よりも『買う』方が早い”というのが一般人の感覚なのである。
近年では経済情勢の波が起因し、【節約】思考が芽生えて、図書館やレンタルショップで
『借りる』という人も増えてきているが…やはり『買う』意識の方が根強い。
わざわざ不便な場所へ赴き、本を借りに行くなんて…面倒くさい事この上ない。
そんな条件が重なっているゆえに、貸本屋【双月文庫】は知名度は低い。
店長のハルが、インターネットでブログを立ち上げているが、大抵は珍しい書籍やマイナーな
雑誌目当ての固有の顧客しか来ない。
ただ…これはあくまで【表玄関】から訪れる客層の場合である。
この貸本屋【双月文庫】にはもう一つの‟裏”の扉がある。
ココとは『違う場所』から店へと訪れる…異世界の住民専用の特別な扉。
カランカラーン
さて、本日訪れた人物は――――
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
「いらっしゃいませ」
扉を開けるや、馴染みの店長の挨拶が真っ先に聞こえてきた。
「疲れとるのか…? 顔が腑抜けとるぞ」
太公望がハルの顔を見るや、呆れたように目を細めてその第一声を放った。
「あー…まだ眠気が残ってる」
「珍しいのう。
お主の体調が『アレ』以外で狂うのはこれが初めてだな」
「ここのところ、書籍の配置替えや新しく入荷する本の情報をまとめてるのに
時間をかけて…」
「それが原因だろ。
頑張るのはいいが、気張りすぎて倒れんようにせい」
太公望はそう忠告すると、階段を上がっていく。
「そうするよ」
ハルは苦笑して、彼の背中を横目で見ながら返答した。
(…ふぁー…かくいうワシもすごぶる眠い…)
店長にああはいったものの、自分も人の事は言えない。
太公望がこの店に訪れる時間帯は開店時間ちょうど。
しかし、問題があるとすれば、ココと故郷の世界とでは大幅な時差がある事。
太公望が住む世界の時刻は、おおよそ深夜2時。
まだ、鶏が朝の合図を知らせる鳴き声すら出さない時間帯なのだ。
放浪生活をしている太公望にとって、この貸本屋は一種の宿屋である。
自分の素性を知る数少ない人物…ハルの計らいで、開店から閉店ギリギリまでの時間を店で
寛ぐのが日課になっている。
二階にやってきた太公望は、すぐ近くにある長椅子へ腰を下ろす。
(さーて…まだ誰も来とらんようだな)
太公望は周りを確認すると、大きな欠伸をしておかれているクッションを枕代わりに眠りだした。
彼は来店すると、真っ先に二階の長椅子をベッド代わりにして眠るのは最早習慣となっている。
体内時計は、故郷の世界が基準であるために睡眠欲にはあらがえないのだ。
一番お気に入りの寝場所は、二階のすぐ近くにある肘掛のある長椅子。
そこは、斜め上にエアコンが設置されており、夏場は冷房のひんやりした、冬場は暖房の温かい
空気がほどよく流れる。二階の利用者からは【ベストスポット】と呼ばれる位置だ。
だが、開店早々に訪れる太公望が専らそこを寝床代わりにするため、その【ベストスポット】に
座れる人はなかなかいない。他の常連の間では、その座席は太公望が独占する事から、『望さん椅子』とさえ言われるほどだ。
随分前に、ハルが三階の特別室のベッドを使用すればいいのにと打診したが、太公望はそれを断った。…この場所ならすぐ起きても本を読めるうえに、空腹なら下のカフェへすぐに行けるから、というのが理由だ。
開店当初から店を愛用してくれる古参である彼の頑固な頼みに、ハルは仕方ない…と半ば諦める形で黙認している。
「望さん…ってもう寝てるな」
言い忘れていた事があって、二階に上がってきたハルは、既に夢路に向かっている太公望を目にして肩を竦める。
(…ま、いいか)
特段、急ぐ用件ではないので…太公望が目覚めてからでも遅くない。
ハルは生欠伸をすると、一旦持ち場へ戻る事にした。
太公望は夢を見た。
それは…まだ自分が‟人間”であり、家族と暮らしていた童子の頃の記憶から始まった。
太公望は、羌族と呼ばれる遊牧民の統領の子息として生まれた。
長の息子と言う事で、特別扱いされる事はしばしばあったが、太公望はそれを鼻にかける事はなかった。一族の慣わしに従い、家畜の世話をしたり、弟妹や年の近い友と遊んだり、慎ましやかな平穏な生活をしていた。
その当たり前だった日常は、彼が12歳の頃に打ち砕かれてしまう。
当時、人間界で最大の国とされていた「殷」の国主が亡くなり、その埋葬の生贄として、家族や一族は人狩りにあってしまったのだ。
1人、家畜の世話をしていて難を逃れた太公望は目の前の惨劇に言葉を失った。
…何時間経った頃だろうか。
放心状態の彼に声をかける老人がいた…その者は仙人だった。
仙人は「元始天尊」という仙人界の三角、崑崙山の教主であった。
彼は語ってくれた。
何故、太公望の家族が人狩りにあったのか…その原因を。
「殷」の国主には寵愛する室(身分の高い妻)がいた。
そもそも、本来なら無関係だった太公望の一族はその室の強引な提案により、生贄に選ばれてしまったのだ。
その室の正体は人間ではなく、妖怪仙人。
絶世の美貌と魅惑の業をもって、歴代の皇帝を巧みに洗脳し、朝廷を影から操っていたのだ。
一部の仙道による悪意によって、幼き少年の人生は大いに狂わされた。
その事実は、幼い少年の心を大いに掻き乱し、やり場のない怒りと底知れぬ悲しみをもたらした。
太公望は決心した。
仙道の手で、自分のように不幸になる者を増やしたくない。
そのためにも、強くなりたい…力を手に入れなければならない。
太公望は、元始天尊に弟子入りを懇願した。
この時より、太公望は人間ではなく仙道となった。
長きにわたる修行を経て、太公望は力を身に着けていった。
特に、知性に関しては師である元始天尊さえも唸らせる程のレベルに到達した。
気のおける同僚や親友にも恵まれた。
時折、親友の普賢真人とお忍びで人間界に赴いたり、師の付き人(弟子の一人)である白鶴童子に仙桃(賄賂)を渡して散歩に行くなど…
若者らしくそれなりの青春時代を謳歌できたと思われる。
転機が訪れたのは60年経過した頃。
太公望は元始天尊から呼び出しを受けた。
あの殷王朝が再び荒みだした
…その原因である悪しき仙道を駆逐し、封神させる任務を与えられたのだ。
時の皇帝は文武に優れていた名君だったが、ある女性を室にした事で、悪政を強いる
暴君となった。
―――その室の名前は『妲己』
60年前に『王氏』と名乗り、太公望が仙道となる原因を作った狐の仙女だ。
太公望は、この時を待っていた。
童子の頃に心に誓った事を現実にするために…その任務を遂行する事となった。
師から、仙道の武具である宝貝(パオペエ)と霊獣の四不象(スープーシャン)を授かり、太公望は人間界へ降り立った。
送り込まれる刺客を持ち前の頭脳と宝貝で倒し、封神していく。
その際に、妲己の妹である王貴人と戦い、騙し討ちの形で戦闘不能にさせ、原型の玉石琵琶に戻す事に成功した。妹を人質にする形で、太公望は身分を偽って宮廷音楽家となり、敵城へ乗り込んで妲己を倒そうとした。
しかし、結果は…惨敗。
妲己は太公望以上の頭脳の持ち主だった。
伊達に1000年生きてきただけに、隙を見せる事無く太公望を裏をかいて、彼を叩き潰した。
それこそ心が折れそうになったが、太公望はその失敗を認めざる負えなかった。
自身の慢心と力不足があった事を痛感し、太公望は仲間を集める事にした。
特殊な生まれ方をした宝貝人間の少年や、変化の術を得意とする美形の道士、太公望を慕う天然道士の少年…さらに、殷王朝の元将軍やその息子の道士、はたまた敵の女スパイ道士まで…。
そして、太公望は腐敗しきった殷王朝を倒すべく、周の武王の軍師となり、味方の戦力強化や知略を駆使して、敵陣営と対峙していった。
火種は人間界にとどまらず、仙人界にまで広がった。
妲己の暗躍と、彼女に協力する妖怪仙人の王天君の策略…
そして殷王朝の存続を願う聞仲の並外れた力によって、仙界大戦が勃発。
太公望の第2の故郷である崑崙山と妖怪仙人が集う金鰲島…両者は激しい戦いの末、多数の犠牲者を出し、崩壊してしまった。
過酷な戦いが続く中、太公望はある事実に直面した。
この封神計画と呼ばれる任務は、単純に人間界に蔓延る悪い仙道を退けるため…というのは
あくまで表向きの理由に過ぎなかった事に。
諸悪の根源とされていた妲己の背後に…さらに巨大な『真の敵』が潜んでいた。
――――「歴史の道標」
名前は『女禍』と言い、彼女は太公望のいる世界とは異なる星の住民だった。
強大な力を制御しきれずに滅亡した星から、女禍は部下達を引き連れ、故郷に似た地に移住した。
女禍はその地の生命体を滅亡させ、自分の故郷を地球に再現しようとした。
しかし、 部下達がそれに反抗。
女禍の肉体を封じ込めて、地球の生命体と融合した。
それは、彼等が自らの力を薄める事で、滅んでしまった故郷の二の舞を踏まないようにするための手段だった。やがて彼等の血を色濃く現す生命体が現れ、その者達は『仙道』と呼ばれるようになった。
しかし、ある時築かれた文明が突如破壊されてしまった
…生きていた女禍の手によって。
生き残った生命から再び歴史が生み出されていったが、それは女禍が干渉していき、自分の思い通りの歴史を作りだし、操作していたにすぎなかった。
妲己は、女禍の手足となって率先して殷王朝を滅亡させる役割を担っていたのだ。
だが、太公望はさらに衝撃の事実を知る事となる。
事ある毎に、太公望や仲間達を苦しめてきた王天君から告げられた。
…太公望と王天君は同一人物であると。
元の存在は、女禍の部下であり、始まりの祖の1人。
歴史を影から支配する女禍を消滅させるべく、王天君は自らの魂を分割させる能力を利用し、
元始天尊も協力した上で長年の計画を遂行していたのだ。
魂の一部は亡くなった赤子に入れられた…その子こそ、太公望であった。
この時、太公望は妲己の妹の胡喜媚の手により、肉体を消失していた。
王天君は太公望と融合する事で、再び一つの存在に戻ろうと誘ってくる。
今までの自分ではなくなる…それに抵抗感は起きるものの、拒絶すれば、己の魂は封神されてしまう。若干、己の境遇を嘆きつつも太公望は…その誘いに乗る事にした。
結果、太公望は元の存在…『伏羲』に戻った。
太公望と王天君―――それぞれの今まで辿ってきた記憶を共有する形で一体化したのだ。
紆余曲折を得て復活した伏羲は仲間達と合流。
既に、表舞台に姿を現した女禍を前に、仲間と共に最後の戦いへ挑んだ。
そして―――
「…さん、望さん!」
夢から現へ引き戻された。
開かれた両目に映し出されるのは、店長のハル。
「んあッ…なんじゃ?」
「昼飯の準備できたから呼びに来た…もう3時過ぎてるぞ。
この調子じゃ夕飯まで爆睡一直線だったから起こさせてもらった」
大抵は午後1時前後に目覚めるのに、今日はやけに眠りが深かったようだ。
その事を指摘され、太公望はぼやーとしながらも「それはすまないな」と軽く謝罪した。
「俺もこれから食べるんだ…‟いろいろ”と話したい事もあるし」
「…分かった。ふぁー…」
ハルが意味深げな事を口にすると、太公望は一瞬だけ目を細めるもすぐに盛大な欠伸をして椅子から立ち上がった。
『食事処』へ訪れた2人。
時間的な事もあり、この空間にいるのはハルと太公望、キッチンで調理中のセッタしかいない。
「随分と眠ってたけど、夢でも見てた?」
ハルがからかう口調で尋ねると、太公望はひゃっひゃっ…と笑いながら「さあのう~」とはぐらかした。今までの人生のダイジェストを見ていた…なんて正直に答えるつもりは毛頭ない。
それに、大体の素性はハルにはバレているため、伝えたとしても面白味を欠くものだろう。
「お待たせしました。
本日のおすすめメニュー…豆腐ハンバーグのトマトソースがけです」
タイミングよく、セッタが注文したメニューを太公望の前に置いた。
「おおぉ~、これじゃこれこれ…」
仙道であるがゆえに、肉や魚といった生臭な食品は摂取できない。
食べられるモノは限定されてしまうが、ココではハルの計らいで豆や野菜中心の特別メニューをつくってもらえるため、太公望はとても助かっている。
ナイフとフォークで切り分けていき、一口をそのまま口に入れる。
むぐむぐと美味しそうに咀嚼する太公望。
隣にいるハルはというと…山菜蕎麦を気持ちよさそうに啜っている。
彼の食べ方は、とても綺麗だ。
箸の使い方は勿論の事、真っ直ぐに姿勢を伸ばして、途中で麺を噛み切る事無く、一口で収まるように呑みこんでいる。
「前から思っとったが…お主、行儀作法が良いのう」
「長年、色んなタイプの人間と交流してたからそのおかげだよ」
蕎麦を食べ終えたハルはさらりとそう返した。
『長年』…ハルのいうその言葉は、どのくらいの年月を指すのだろう?
少なくとも、見目は20代半ばの青年だが…実際の年齢は不明だ。
太公望は、自身よりも年齢は上だとみている。
ハルの事だから尋ねたら教えてくれるだろうが、無理強いさせてまで(緊急時を除く)秘密を
聞き出す趣味は太公望にはない。
「ところで…そっちの『情勢』はどうなってる?」
「そうじゃのー…」
今日のメインも食べ終えたところで、ハルは太公望と話し出した。
他人が聴けば、他愛もない世間話だが…ある『特定の人々』には聞き逃せない価値のある特ダネに等しい。
太公望は、世界の理を知る者。
さらに、星の大海に位置する世界の動きを掴める情報屋でもある。
もっとも、その情報源は親友が『エクレシア』という特殊な種族であり、彼と接触するたびに
貴重な仙桃と引き換えに引き出しているからだが…。
それでも、ハルのように星の大海の世界の情勢を少しでも把握したい者にとったら、太公望のような仲介役は有難い存在だ。
「最近、物騒な盗賊団が魔術師の試作品を盗んで、各世界を徘徊しとるようだ。
友人が言うには少人数じゃが頭の回る奴らばかりらしい」
「…なるほど、こっちも念の為にセキュリティを強化しておこう」
ハルは、この店を好きな時に使用する事を対価にして、太公望から情報をもらう契約をしている。
自由にあらゆるジャンルの文献を読めるうえに、三食・入浴つきの宿泊権を得られたのは、太公望にとってもラッキーな事だ。
好待遇な条件をあげられ、即座に二つ返事で受け入れたのが記憶に新しい。
「ワシの友人…その盗賊団に属する娘に狙われとるのに、茶飲み仲間として接しとる」
「へぇー…」
「普賢の奴、何考えとるのやら…」
だんだん私的な話題も混ざってきた。
太公望の最近の悩みは、親友である普賢真人がやたらと敵である盗賊団の娘と距離を縮めようとしている事。単純に更生させる目的…というよりも、その娘に興味を持っている感じだ。
「その娘さんはどう思ってるのかな?」
「さあのう、少なくとも初対面の時よりかは攻撃性は薄らいでるが…」
正直、エクレシアになって以降の親友は少しずつ変化が生じてきた。
急激ではなく、緩やかにその兆候が信号が点滅するように顔を出したり隠れたりしている。
嫌な方向ではないけれども、そこに潜む流れる渦のような心の波に一抹の不安を感じてしまう。
「なら、その気持ちを伝えたらいい」
そんな太公望の気持ちを先読みしたかのように、ハルはそう答えた。
「親しい友人であっても、家族であっても…恋人でも、その人の気持ちはその人にしか分からないものさ。じゃあ、他人の気持ちを理解するには、自分の本音を包み隠さずにぶつけるしかない。そうしないと、相手の心を開けない時だってあるんだ」
ハルは真面目な顔でそう告げる。
「…確かに。ここのところ、あやつとはあんまり話とらんかった」
頬杖をついて、太公望はここ数年の間の出来事を振り返る。
親友は、太公望と前と変わらず接している。
けれども、仙籍を抜いて、別の神界に所属するようになり、同じ種族…エクレシアの友人が
できて、それが古い付き合いのある者達との距離感を生みつつあるようだ。
「多分、その親友さんは古い付き合いを捨てる事はしないよ。
…よほどの事がない限りは」
「縁起でもない事言うな。
もしそんな事になったらどうしてくれる?」
「そうならないよう、望さんが頑張ればいい。
―――お得意の頭脳を駆使して、ね」
ほんのり笑ってそう助言するハル。
他人事と思うて…と悪態をつきながらも、太公望はくくっと喉を鳴らして笑う。
ハルの言葉は、不快な気持ちにならない。
この男の人柄がそうさせているのだろう。
不思議と、他者の心を安定させるオーラを纏っている。
(そういや、こやつ…初対面の時もこんな感じで笑っとったな)
*** ***** ***
―――あの女禍との最終決戦…
太公望は己の持つ力を思う存分解放した。
強化した宝貝で…仲間達のサポートも…そして封神された仙道や人間、あらゆる人々の力を借りて。強化された太公望は、女禍との死闘の末…ようやく彼女を倒す事に成功した。
しかし、ボロボロとメッキがはがれる様に肉体が消えゆく女禍は最後の悪あがきをした。
『お前も…いっしょに…』
太公望を手を強く掴み、道連れにしようしたのだ。
この時、太公望は抵抗しなかった。
生への執着は何故か湧かなかった。
途方ない長い時を経て、ようやく自分の計画を達成できた満足感からだろうか…。
仲間達が必死に助けようとする姿を穏やかに見つめながら、太公望は静かに目を閉じて消滅を
受け入れようとした…
…のだが…
『本当にそれでいいのん?』
耳元に聞こえてくる声。
最後の最後まで勝てなかった【あの人物】の…
『お、目覚めましたか』
意識が浮上した時、太公望の眼前に映し出したのは澄み切った青空と…一人の男だった。
その人物が…進藤 ハルだった。
彼曰はく、この場所は自らの住まい兼貸本屋であるとの事。
時刻は早朝で、定期購読している新聞(この世界の情報伝達手段のひとつ)をポストから取り出しにきたら、太公望が閉じられた門前に仰向けに寝転がっていたのを目撃した。
脈があったので揺さぶったら、すぐに目覚めてくれた
…と安堵交じりの彼の微笑は、太公望の心をじんわりと癒した。
これも何かの縁だと、屋敷に客人として招いてくれたのは正直渡りに船だった。
それから、太公望は屋敷へ迷い込む直前まで何をしていたのか包み隠さずに話していき、
ハルもこの世界の事を説明してくれた。
情報交換して総合した結論から…太公望は初めて異世界トリップした事を認識したのだ。
太公望は思った。
一度は消滅を望んだものの、生き残ってしまった。
これから先、見知らぬ世界で何をすればいい?
『時間があるなら、試しに此処で生活してみなよ。
俺は一人暮らしだし…丁度話し相手がほしかったところでね』
壮大な目標を達成した反動で、喪失感に苛まれていた太公望に生きる活力を与えたのも、
ハルだった。
こやつ、彷徨いこんだ見ず知らずの異世界人を保護するなんて、かなりお人好しな性格だ…と
当時も現在でもそう思う。同時に、最初に自分を見つけてくれたのがハルでよかった…と感じる
自分がいる。
でなければ、こんな生きる楽しさと充実感を味わえなかった。
10年前のあの日の出会いが…太公望の第3の人生を歩むきっかけをつくったのだから。
ボーンボーン…
食事処の大きな古時計が鳴り響く。
何時の間にか、時刻は午後7時となっていた。
「夕飯のメニューを決めていただけますか?」
セッタがさりげなく献立表を広げてくれる。
「ま、続きは夕餉の後だ」
太公望はそう呟くと、ウキウキと今日の夕食のおすすめメニューに視線を落とした。
夕食後、1時間程度の談話をし終えると、太公望は席を立って、店の外へ向かった。
「時間が経つのは早いもんじゃ…」
「次はいつ来る?」
「…2,3日くらいあっちで過ごす。
久々に『あやつ』を誘って仙桃の酒をたらふく飲ませてやる予定でな」
ふふっ…と愉快そうに笑う太公望。
彼なりのやり方で、親友の本音を聞き出す作戦に出るようだ。
「飲酒もいいけど、程々にな」
「お主もな…寝不足にならんよう睡眠はとっておけ」
互いにそう忠告しあうと、太公望は踵を返して屋敷の門の鍵穴に、所持している鍵を向けた。
鍵から一筋の光が放たれ、それが鍵穴に直撃する。
きぃ…と鉄製の門が開かれると、そこに広がるのは緑黄色で彩られる異空間。
そこから真っ直ぐ伸びている白い一本道へ一歩ずつ足を進めていく太公望。
「またのご来店、お待ちしています」
小さく手を振り、見送るハル。
視線を一瞬だけ後ろへ向けると、太公望はヒラヒラと手を振り、元の世界へ帰宅した。
【常連さんの一日】
故郷の世界に帰還すると、太公望は真っ先にある場所へ向かった。
崩壊してしまった第2の故郷の代わりに…後に出来た『神界』と呼ばれる場所へ。
最終決戦後、仙道は人間界へ干渉する事がなくなり、生き残った者達は神界へ住むようになった。
「…そう、そうじゃ…その日こっちへ来い。
久しぶりに酒を酌み交わそうではないか」
桃がたわわに実る果樹園の一角で、太公望はシートを広げて自分の寛げるスペースを
独断で作った。そこに横になって、携帯を耳に押し当てながら親友…普賢真人と会う
約束を取り付けていた。
『珍しいね、望ちゃんから誘うなんて…』
「ワシとて、たまには昔馴染みと飲みたくなる時だってあるわい。
で、どーなんじゃ?」
『いいよ。折角の同窓会だから美味しい物を持っていくよ』
「【胡麻団子】は必須だぞ?」
『ふふっ、腕によりをかけてつくるね。じゃあね』
プッと連絡が途切れると、太公望は携帯を懐へしまう。
突然の申し出にも、普賢はいつものペースを崩す事無く穏やかに了承した。
一歩踏み出せば、周りにその身にとびかかろうと隠れ潜む野獣共に目をつけられているというのに…それすら、どこ吹く風という調子だ。
「…ま、あやつの事だし、その点は問題ないだろう」
普賢が単純な善人ではなく、あの師ですら欺く程のしたたかさを併せ持つ人物なのは、太公望本人がよく知っている。仮に、普賢やその仲間である者達でも対処が困難な時…窮地になれば、それとなく自分が陰で手助けしてやればいいだけの事。
「まったく…お人好しな幼馴染を持つと苦労するわい」
《―――アナタも人の事は言えないわよん》
耳元に聞こえてくる艶のある女性の声音。
ぴくっと反応した太公望は眉を潜めて上半身を起こす。
「…心配するなんて、なーに企んどるんだか」
時折、聞こえてくるその声の主。
彼の者が…誰かなのか、太公望は察していた。
その人物は、女禍の巻き添えを覚悟して消滅しかかった際に、彼を救った張本人。
従順な配下だと装い、真のラスボスさえも欺き、最後の最後まで、太公望が勝つことが
できなかった…美しき仙女。
そして、女禍の肉体を乗っ取り、最終的に太公望の故郷であるこの星と一体化した
―――現在の【導き神】
《わらわはマザーだもの。
いつだって、アナタの事を見守ってるわん…太公望ちゃん》
我が子を抱いて慈しむように、暖かな風が太公望を通り過ぎていく。
「…勘弁してくれ。
お主に振り回されるのはもうたくさんだからな
―――『妲己』」
そう言いつつも、空を見上げる太公望は自ずと目元を和らげていた。
【つづく】
※次回は、本日中(8/11)か明日(8/12)に投稿する予定。