(1)の続き。
「イルカ君、着いたよ」
ハルの呼びかけで、イルカは現へ引き戻された。
「此処が俺が経営している御店…貸本屋【双月文庫】です」
レトロな雰囲気のある二階建ての古民家だ。
背中合わせの三日月のマークが描かれ、その横に『双月文庫』という文字が
記載された看板が屋根の部分に設置されている。
「ただいまー」
ハルが引き戸を開けると、奥の方から「おかえりなさーい」と女性の声が
聞こえてきた。
「どうぞ、上がって」
あちらこちらに視線を向けるイルカに、ハルが入るように勧める。
おじゃまします…とイルカは靴を脱ぐと、ハルの後ろをついていった。
奥の方にある扉を開けると、そこに一人の女性がいた。
「ハルさん、お疲れ様。
それから…いらっしゃいませ、小さなお客様」
イルカはふわぁ…と感嘆の息を漏らした。
薄い茶色の長い髪に、青空を連想させる瞳。
蝶の柄の浴衣を纏うその人は、あたかも現に舞い降りた天女のように
とても美しかった。
「は、はじめまして…」
頬が熱を帯びたように赤くなる。
恥ずかしくて思わず顔を俯けてしまった。
「この子もあの森に?」
「うん、どうやらさっきのあの子と同じ場所から来たようだ」
ハルと奥さんが話をしている。
声が小さいため、どんな内容なのかは分からないが…
二人の表情から何か大切な事を話しているのだとイルカは察した。
「イルカくん!?」
その時、名前を呼ぶ声が耳に伝わり、イルカははっとその方向へ
視線が移った。今いる所…台所の隣に大きな部屋がある。
そこの中央に設置されているソファーに、女子が座っていたのだ。
「ゆかりちゃん…」
女子…水基 ゆかりの元気そうな姿を見て、イルカは改めて安堵した。
ゆかりは驚いた表情で、腰を上げてこちらまで近づいてくるや
イルカの右手をガシッと両手で握りしめる。
「イルカ君もまよっちゃったの!?
ケガしてない? だいじょぶ?」
「う、うん…ハルさんがいたから」
真剣な顔で問い詰められ、イルカはその勢いに呑まれつつも答えた。
すると、ゆかりはよかったぁーと安心したように笑った。
「イルカ君、ラッキーだったね!
わたしが森にいた時、近くにおおかみがいたんだよ」
「ええっ!?」
ゆかりが森の中にいた時、とてつもなく危険な状況に陥っていたようだ。
単体なら逃げられたが、狼は複数いて四方を囲まれていたらしい。
「食べられちゃう!って思ったら、ハルさんとおくさんが来てくれたの」
狼が獲物(ゆかり)目掛けて飛びかかろうとしたその時、
ハル達が助けてくれたとの事。
「すごかったよー…ハルさんが忍術みたいなのをつかって、
ズドーンって落とし穴つくって三匹も落としちゃってね!
それからね、おくさんは剣術でバサバサってたおしちゃったの!
ともかく、二人ともすっごくかっこよかった!!」
「へ、へぇ…そうなんだ…」
ハイテンションで当時の状況を語るゆかりに、イルカはやや気後れしてしまう。
この子、こういう性格だったのか…と同級生の意外な一面を知り、なんとも言えない
気持ちになった。
「でも…どうして、里の森からこの町にきたんだろう?」
「うん、なんでだろうね?」
大分落ち着いてきたところで、イルカは抱いていた疑問を口にした。
ゆかりも同調して首を傾げる。
「その件については、今から説明するよ」
彼等の疑問に対し、ハルが答えてくれた。
「この町から少し離れた場所にあるあの森は特殊でね…
夜の時間帯になると、時空が不安定になるんだ。
そのため、此処とは異なる世界と繋がってしまう」
「…つながる?」
「分かりやすく言うと、イルカ君とゆかりちゃんの故郷にある森と
こちらの森を行き来できる【道】ができてしまう。
君達はその【道】を通って、こちらに迷い込んでしまったんだ」
その説明を聞いて、イルカは言葉が出なかった。
気付かない間に、未知なるルートで世界を越えていたという事実に
度肝を抜かれてしまったのだ。
「あの…わたしたち、帰れるんですか?」
頭の中で情報が錯綜して混乱しているイルカの代わりに、
ゆかりがおずおずと挙手して単刀直入に質問した。
彼女も、早く里に…家に戻りたいのだろう。
(もしも、このまま帰れなかったら…)
考えたくない可能性が頭をよぎる。
自ずと服の生地をぎゅっと握りしめてしまう。
「大丈夫」
そんな不安を打ち消すように、ハルがその一言を口にした。
「多少時間はかかるけれど、必ず君達を元の世界…お家に帰してあげるよ」
…このヒトは良い人だ。
まだ子どもであるイルカ達に一から事情をきちんと話し、その上で
「元の世界に絶対に帰す」と約束してくれた。
何より、語り掛けるハルは嘘のない優しい目で二人を見つめていた。
…このヒトなら信用できる。
人となりに触れて、イルカは改めてハルの事を『信じていい人物』だと認識した。
―――ギュルル~…
「あの~…ごめんね。なんかいい時にジャマしちゃって」
ゆかりがえへへ…と笑って頬を赤らめる。
タイミングよく空腹のサインが出たのは偶然だろうか…。
「…おれも」
イルカも苦笑いして呟く。
里に帰れると分かり、緊張がほぐれた事も影響したのか…腹の虫が小さく鳴った。
本来なら、肝試しの後で友達と一緒に里の屋台でご飯を食べる予定だった。
わたあめ、タコ焼き、揚げ芋、鳥の串焼き、リンゴ飴…。
一ヵ月前から楽しみにしていたのに…と内心ガッカリしつつも、仕方ないと割り切るしかない。
母からもらったお小遣いも使う事無く、帰ったら豚の貯金箱行きとなるだろう。
「実はね…さっき、帰宅してちょうどに嫁さんが食事を
作り終えたところだったようでね」
すると、ハルが中腰になって二人と視線を合わせながら、
夕食が出来上がった事を伝えた。
イルカとゆかりはお互い顔を見合わせる。
「今日はお祭りだから張り切っちゃって、いつもよりたくさん
作ってしまったみたいだ。
…二人ともよければ、一緒にご飯を食べてくれますか?」
「「はい、よろこんで!」」
二人の声が見事に重なり合った。
息の合った返事に、ハルはにっこりと笑顔を浮かべた。
「どうぞ、たくさん召し上がってくださいね」
奥さんは微笑して、手料理を食べるように勧めてきた。
テーブルに並んだ料理は、食べた事のあるものや見た事のないメニューまであって
種類が多い。…出来立てでどれも美味しそうだ。
「今年も盛大に作ったね」
「うん、作っちゃいました。ごめんねー」
「構わないよ。今日はお客様もいるから、このくらいあった方がいい」
笑って謝る奥さんに、ハルはその光景に慣れているのか笑い返した。
「なかよしだね、あの二人」
「うん」
ハルと奥さん…二人とも纏っている雰囲気が穏やかで、お互いを見つめる目は愛情が
込められている。両親も同じような空気を漂わせているのをよく見かけるため、
イルカもゆかりの言葉に同意する。
「ほら、温かい内に食べよう」
ハルの言葉に、イルカとゆかりは改めて料理に向き合う。
「えと…いただきます」「いただきます」
両手を合わせて、食事の挨拶をすると二人は箸を手に取った。
イルカが、まず口に運んだのは天ぷらだ。
手前にあるきつね色の大きいそれを取って、一口齧った。
さっくりとした触感の衣、内側はじんわりと肉汁が出て柔らかく、
噛む毎に肉の旨みが出て美味しさが広がっていく。
「うまい…」
――――【鶏肉の天ぷら】
初めて食べるそれに、イルカは虜になってしまった。
「なにこれ、すっごくおいしー!」
隣の席で、ゆかりは絶賛の言葉を口にしている。
彼女が味わっているのは丸い形の揚げ物で、イルカも試しに半分食べてみた。
その中身は、周りにひき肉を纏わせたゆで卵だった。
ゆで卵の黄身がとろとろ~と流れて、サクサクの衣とジューシーなひき肉とあわさり、
口の中でハーモニーを生み出していく。
「これ、なんていうんですか?」
「それは【スコッチエッグ】、
今回は半熟のみだけど、固茹での物も美味しいのよ」
奥さんが答えてくれた事に、ゆかりはへぇー…と興味深そうに耳を傾ける。
「こちらもどうぞ」
「あ、すみません」
ハルが取り箸で、別の大皿に盛りつけている焼き餃子を小皿に取り分けて、
イルカに差し出した。イルカは会釈して、それをもぐもぐと咀嚼する。
(ギョーザ、ぱりぱりだ…
あっ、こっちのはカレーの味がする!)
餃子は通常のものだけでなく、カレーや、チーズ、梅肉、エビなどの
一味加えたものなども含まれていた。色んな味が楽しめて飽きがこないため、
イルカは一個、また一個と食べ進めていく。
「しあわせだねぇー、ここって【とうげんきょう】かなー」
オムライスを食べつつ、ほんわかと幸せなオーラに包まれているゆかり。
(うん、おれもそう思う)
彼女の発言に、夢中で料理を味わうイルカも心の中で賛同していた。
「ふふふ、こんなに賑やかなのは久しぶり」
奥さんが懐かしそうにそう言った事に、イルカは目を瞬きさせる。
「息子や娘達も、お祭りの時にお腹いっぱい料理を食べていたから」
「お子さん、何才なんですか?」
咀嚼し終えたゆかりが興味津々に尋ねた。
「皆、大人になって別の場所で暮らしていますよ」
返ってきた答えに、イルカは驚きを顔に露わにする。
「…大きい子どもがいるの?」
「うん。今でも手紙でやり取りしているよ」
自ずとハルに視線を向けて訊いてみたら、ハルは普通に返してくれた。
ハルと奥さんの間には、子どもが三人いるらしい。
娘二人は、此処とは違う世界で伴侶を見つけて嫁いだ。
長子である息子は未だに独身で、特殊な仕事についているらしい。
「はい、しつもんです!」
「どうぞ」
「ハルさんとおくさんは、どのくらい生きているんですか?」
「とても長生きしているよ」
「多分、イルカ君とゆかりちゃんのおじいちゃんや
おばあちゃんよりも年上になっちゃうかもしれませんね」
ゆかりの率直な質問に対して、ハルと奥さんは朗らかに答えてくれた。
イルカはまたしても、頭からぷしゅーと煙が出てきそうになる。
二度目のキャパシティーオーバーな事実に、どう言えばいいのか分からない。
「イルカくん、イルカくん」
「…な、なに?」
「そんなにむずかしく考えなくていいんだよ」
イルカの状態を察したのか、ゆかりはアドバイスしてきた。
「『世の中、本に出てくるお話よりもふしぎなできごとはいくらでもある』って、
うちのおじいちゃんが言ってた。だから、ハルさんとおくさんみたいにすっごく
長生きしている人もいてもおかしくないんじゃないかな?」
彼女のその言葉に、イルカは目から鱗が落ちた。
「それに、二人ともわたしたちを助けてくれたからいい人たちだよ」
…その通りだ。
例え、この夫婦が普通の人間ではありえない特殊な生き方をしているとしても、
見ず知らずのイルカ達の恩人である事に変わりない。
「うん、そうだね」
イルカは力強く頷いた。
ゆかりは「そうそう」と、自分の意見に賛成してくれた事に満足そうだ。
ハルと奥さんは…そんな二人の様子を微笑ましそうに見つめている。
「そろそろデザートを出しましょうか」
奥さんがそう言って、冷蔵庫から三種類のフルーツが入った大きい寒天ゼリーを取り出した。
包丁で寒天ゼリーを切り分けようとしたその時、ハルが何かに気付いて椅子から腰を上げた。
「誰か来たみたいだ。先に食べてて」
(音、きこえたかな…?)
この部屋から玄関の扉まで距離があるのに、ハルはかなり聴覚が良いようだ。
イルカ達は言われた通りに、寒天ゼリーをちょっとずつ味わっていると…
複数の人の気配がこちらへ近づいてきた。
「こちらです」
「では、失礼します」
扉を開けて入ってきたのは、ハルともう一人…金髪の二十代くらいの若い男性だった。
だが、イルカとゆかりは彼のその姿に目が集中した。
衣装が忍服であり、なおかつ…木の葉のマークが描かれた額当てを身につけていたのだから。
「夜分遅くにすみません。俺はあるところからやってきた者です」
「旅の御方ですか?」
「少し違います。
正確には、故郷の里で行方不明になった子ども達を探している最中です」
その男性は奥さんに事情を告げると…イルカとゆかりの元へ近寄り、
腰を屈めて視線を合わせた。
「うみの イルカ君と水基 ゆかりちゃんだね?」
「は、はい!」
「そうです!」
「ん! よかった! 無事でいてくれて…」
二人の元気な姿を確認できて、その男性は安心した表情を浮かべる。
彼は木の葉の上忍で、『波風 ミナト』と言った。
あちらの世界の時の流れで換算して…数時間前。
「アカデミーの生徒二人が、肝試し中に森の中で神隠しにあった」と
三代目火影に緊急連絡が回ってきた。
火影の命令で、捜索にあたる事となったミナトは部下の三人と一緒に
森の中で不審なところがないか調べていた。
「部下の一人が怪しい箇所を見つけてね…
そこを通り抜けて、こちらまできたんだ」
共同で捜索していた他の上忍達と話し合いをした結果、ミナトが単独で【道】に入る事となった。
最初は、部下三人も一緒についていこうとしていたが、不測の事態を考えてミナトが説得して
止めさせた。明日の昼までに帰還できなかった場合は、火影に連絡した上で然るべき対応を
する事になっているようだ。
「そんなことになってたんだ…」
「ごめんなさい、わたしのせいで…」
ゆかりが申し訳なさそうに謝る。
イルカも勝手に行動をした事を思い出して、「すみません」と頭を下げた。
「ゆかりちゃんは、知らない内に巻き込まれてしまったから仕方ないとして、
イルカ君の場合は『問題がない』とは言えないな。
いずれ、忍になる身として…周りを無視して独断で行動するのは危険極まりない事だ」
真面目な顔で諭すミナトに、イルカはしゅんとする。
「ご家族やアカデミーの友達も心配しているはずだ。
里に帰ったら、きちんと謝って…そして、『待っててくれてありがとう』って
御礼を言おうね」
続けて言われた言葉に、イルカははっとして顔を上げた。
先程とは変わってミナトは優しく微笑んで、イルカの頭を撫でてくれた。
胸に温かい何かがじんわりと、目頭が熱くなった。
涙が出そうになるのをこらえて大きく頷くと、ミナトは「ん、えらいね!」と
褒めてくれた。