(2)の続き。
その後、ハル達と話し合って、明日の朝に帰還する流れとなった。
夜の時間帯は夜行性の獣が活発化している事もひとつの理由だが、
それ以外にもすぐに動けない事情があった。
「イルカ君達みたいに、別の世界の人が迷い込む事が時々あるんだ。
あの【道】はひとつだけでなく、複数の世界とも繋がっている。
だから、今の段階であそこを通っても故郷の世界に帰れるとは限らない。
別の世界に飛ばされる危険もある」
そのため、こちらの世界と木の葉の里を結ぶ【道】をつなげるためにハルも同行する事となった。
詳しくは教えてくれなかったが、ハルは次元を安定化させる能力があるようだ。
ミナトもそれに合意した上で、ハルと二人で話をするために食事をした部屋にとどまった。
イルカとゆかりは、奥さんに勧められて交代で入浴して寝る事になった。
「この部屋で休んでくださいね」
用意してくれたベッドに、イルカは腰かける。
いつもは、敷き布団で寝ているため、イルカはこういう洋式タイプのものが初めてだ。
ベッドはふかふかで、枕もちょうどいい硬さである。
「今日はいろんなことがあったね…」
「うん…」
隣でもう横になっているゆかりは、天井を眺めている。
「お家にかえったら、まず何する?」
「とうさんとかあさんにあやまって…それから~」
両親や友達、担任を含めた教師に謝る。
それ以外は…特に何も考えていない。
多分、夏休みの宿題を片付けたり、母の料理を食べたり、友達と遊んだり…
いつもと変わらない日常に戻るだけだ。
「わたし、今日のこと日記にかくつもりなんだ」
「…シュミなの?」
「うん、それにこういうタイケンって二度とできないと思うから。
一生の思い出になるよ」
確かに…とイルカも思った。
ちょうど、夏休みの宿題に絵日記があるから今日の出来事を記すのもいいかもしれない。
「おれもそうしようかな…あっ、ねてる」
スースーと寝息を立てているゆかりを見て、イルカは微妙な気分になった。
「おれも…人のこと言えないや」
全身から疲れがじわじわと溢れてくる感覚がする。
ふぁーと欠伸をすると、イルカは瞼を閉じた。
「うーん…」
三時間くらい経って、イルカは目を擦りながら起きた。
理由は至ってシンプルに、トイレに行きたくなったから。
「はぁ…」
スッキリさせてトイレから出ると…部屋の一室に灯りがついていた。
食事をした部屋で、まだ誰かが残っているようだ。
そっと僅かに開いている扉の隙間を覗くと…
(…ハルさん、まだ起きてたんだ)
テーブルの椅子に腰かけているハルがいた。
白いワインが注がれたグラスを手にして、少量ずつ飲んでいる。
「眠れないのかい?」
声をかけられて、ひゃっ!と驚きの声をあげてしまった。
「えと…ごめんなさい」
「謝らなくていいよ。そういう事は誰にでもあるから」
入ってきていいよ、と勧められてその言葉に甘える事にした。
向かい側の椅子に座らせてもらうと、ハルは冷蔵庫を開いて物色している。
「麦茶とジュース、どちらが飲みたい?」
「…じゃあ、むぎ茶で」
魚の絵柄のグラスに注がれた麦茶を手前に置いてくれた。
イルカはちびっと一口飲むと、香ばしくスッキリした味が口の中に広がる。
家で母がよく出してくれる馴染みのあるそれと味が似ていた。
「ハルさんも…ねむれないの?」
「時々ね。そういう時は、こうして夜の風景を見ながらお酒を楽しむんだ」
そう言うと、ハルは白ワインを飲んでふぅ…と一息つく。
「あの…ハルさん」
「ん、なんだい?」
「おれとゆかりちゃん…知らない子どもなのに助けてくれて、
ほんとうにありがとう、ございました」
改めて御礼を言いたくなった。
…言わないといけない気がした。
すると、ハルは微笑を浮かべてこう返した。
「どういたしまして。俺の方も、君達に御礼を言いたかったんだ」
「…おれたちに?」
「そう、君達のおかげで…
久しぶりに賑やかな食事の時間を過ごす事ができたからね」
飲み切って空になったグラスに、ハルはボトルから白ワインを注いでいく。
「俺もだけど、嫁さんも嬉しかったと思う」
「…?」
「まだ子ども達がいた頃は、育てるのに苦労したり、大変だった事も少なくなかった。
でも、同時に喜びや楽しみ…家族でたくさんの思い出を作っていって、すごく幸せな日々を
過ごせた。子ども達が独立してから、嫁さんはたまにアルバムを見ている事があってね…
心のどこかで寂しいと思っているんだ、きっと」
それに…とハルは淋しい感情を顔に露わにした。
「今日は…特別な日でもあったから尚更かな」
「とくべつ…?」
「二番目の子――――娘の命日なんだ」
ハルの言った言葉に、イルカは絶句した。
つい先程、『遠くに嫁いだ』という話を聞いたばかりなのに…
娘さんに何があったのか?
「びょうきとか…ジコにあったの?」
「寿命だよ」
ハルは神妙な面持ちで語った。
娘さんは『リーザ』という名前で、此処から非常に遠い世界に住む一般の男性と結婚した。
もともと、ハルと奥さんが人間とは異なる長命な種族で、リーザもその血を受け継いでいたため、
人間よりもかなり長生きしたらしい。
それでも父や母、兄妹よりも先に寿命が訪れてしまい、天に召されたとの事。
幸いだったのが、伴侶である人が先に逝っていた事。
そして…ハルを含めた家族に見送られた事だった。
『ありがとう…幸せだったよ』
そう言い残して、眠りについたリーザはとても安らかな顔だった。
「…つらかったんだね」
イルカが三歳の頃、父方の祖母が亡くなった事をなんとなく思い出した。
あの時は、普段はしっかりしていて弱い面を見せる事のない父が嗚咽していた。
大好きだった祖母ともう会えない…その事が辛かったのだと母が教えてくれた。
きっと、ハルも同じ気持ちなのだと思った。
「子どもが先に亡くなる事程、親にとって辛いものはないよ」
でも…とハルは再び空になったグラスを見つめながら言葉を継ぐ。
「あの子は、俺や嫁さん、他の子ども達の心の中で生きている。
…これからもずっと」
ハルはそう言うと、優しい笑みを浮かべる。
「こころの中に…?」
幼いイルカには難しい話であった。
だが、彼は…そう遠くない未来にその言葉の意味を理解する事になる。
翌朝、朝食をご馳走になり、イルカ達はハルと共に例の森へ向かった。
「ミナトさんが通ってきたのはこの辺ですか?」
「はい。間違いないです」
ハルの確認の問いかけに、ミナトは首を縦に振ると、地面に突き刺している布を
巻いた苦無を指さしてそれを抜き取る。
彼曰く、昨日の内に【道】のある地点を見失わないように、目印を設置していたそうだ。
イルカとゆかりは周りを見渡す。
…【道】と思われる怪しい箇所はどこにもない。
「…どこにあるんだろう」
「みあたらないね」
「ちょっと待っててね」
困惑する二人に、ハルはそう言うと前方にある樹の手前まで歩を進めると手を翳した。
すると、真っ黒な穴のような歪が出現した。
「あっ!?」
「でてきた!」
「ん、俺が通ってきた時もこんな感じの歪だったね」
「今の時間帯は、次元が安定しているからこういう目に見えない程度の大きさに
縮小しています。力を使って、一時的に見える程度の大きさにしました」
「これで帰れるの?」
イルカがちらちらと歪とハルを交互に見ながら尋ねると、ハルは首を緩慢に振る。
「まだダメだよ。【道】が複数に枝分かれしている状態だから、
入ったとしても元の世界に帰れる可能性が低い」
「なるほど、これから調整するんですね」
「はい、そのためにも…ミナトさんにご協力して頂きますが、いいですか?」
「もちろん、喜んでお手伝いしますよ」
ミナトは快く承諾すると、ハルの質問に答えていく。
ハルは、ミナトと話しながら何やら難しい文字の羅列や独特の図形が描かれた布陣を
展開して操作していく。ゆかりは興味深そうにその布陣を眺めながら、「コダイ語っぽい」
「まほーじんってやつかな」と呟いている。
ちょくちょく意味不明な単語が出てくるが、どういう意味なのだろうか…?
イルカが首を捻っている間に、ハルの調整は完了した。
「完成しました」
…漆黒色だった歪が黄緑色に輝いていた。
奥の方を見ると、真っ直ぐに白い光の一本道が伸びている。
「この道を通って行けば、木の葉里に辿り着きます」
「ありがとうございます。
イルカ君、ゆかりちゃん、準備はいいかい?」
ハルに御礼を言うと、ミナトが二人に確認してきた。
イルカとゆかりは大きく頷くと、大人が数人入れるくらいの大きさになった
【道】の前に立った。
「そうだ、渡したい物があるんだった…」
その時、ハルは思い出したように別の空間を開くとそこから紙製の手提げ袋を
三袋取り出した。
「皆さん、こちらをどうぞ。
帰宅してから、ご家族や親しい方々と一緒にお召し上がりください」
「うわぁ~…」
「おかしの大きいカンだぁー!」
なんと、クッキーの大きい缶容器をプレゼントしてくれた。
イルカはパァ…と顔を輝かせ、ゆかりは大はしゃぎする。
「よろしいんですか? こんなに上等な物を頂いて…」
「そちらは、俺と嫁さんからの御礼の品です。
あなた方のおかげで…昨日は満ち足りた日になりましたから」
ミナトが不思議そうに聞き返すと、ハルは笑顔で答えた。
ゆかりも「わたしたち、何かしたっけ?」と頭に疑問符を浮かべるその横で、
イルカだけは口元を緩めていた。
「それでは、皆さん…お元気で」
「「さようなら!」」
「お世話になりました」
そして、イルカとゆかり、ミナトは木の葉里へ帰還した。
【道】の出口を抜けるや、ミナトの部下である三人の少年少女が駆け寄ってきた。
ゴーグルをつけた少年は嬉し泣きしており、少女は安心した表情で「おかえりなさい」と
言っていた。イルカは、数歩ほど後ろにいた口元を隠した銀髪の少年と目が合った。
彼は特に何も言わずに、上司であるミナトの無事が確認できてほっとしているように見えた。
それから、アカデミーに向かうと担任の教師と…イルカとゆかり、それぞれの両親が待っていた。
母は真っ先にイルカを抱きしめてくれた。「怪我はない?」「体調はどうなの?」と心配する
母の後ろで、腕を組んだ厳しい表情の父がいた。
叱られる…と目を瞑って覚悟したが、軽く頭を撫でて「よく戻ってきてくれた」と告げた。
「ただいま…!」
イルカは危うく泣きそうになったが、ぐっとこらえてそう言った。
その一方で、ゆかりはと言うと…両親にハーイなテンションで一連の出来事を語っていた。
(ゆかりちゃん、ゲンキだなぁー…)
溢れそうになっていた水滴が引っ込んで、イルカは苦笑してしまう。
彼女の母親はもぅ…と呆れた表情を浮かべており、父親の方は「うんうん、そうなんだねー」と
ほんわかと笑って彼女の話に耳を傾けていた。
余談だが、担任が「無事でよかったぁああああ…!!」と号泣していた事が、
イルカにとって一番驚いた事である。
(たのしかったな、でも…もう行けないよね)
イルカはしみじみそう思いながら、絵日記にその少し不思議な出来事を記す事にした。
この時、イルカは予想もしていなかった。
少し先の未来で、【ある事】が要因でハルと再会する事になるのを…
「…以上となります。ご静聴ありがとうございました」
イルカが終了を告げると、パチパチと複数の拍手音が鳴った。
「こちらこそお話を聞かせて頂いて、ありがとうございました」
「…すごくよかったよ、イルカ先生」
エステルとソフィに御礼を言われ、イルカはにこやかに「どういたしまして」と返す。
「おつかれさん…いやぁー、なかなか面白かったぞ」
「…と言うか、勝手にコーナーを作って塩せんべい食べながら寛がないでくださいよ」
途中から戻ってきた太公望は、呑気に菓子を食べながら話を聞いていたようだ。
従業員の方が困りますよ…というイルカのツッコみにも、太公望は気にする様子もなく
ニョホホホと笑って済ませる。
「なんか…すごい事、聞いちゃったね」
やや離れた席に座っていた広瀬 康一は、俄かに信じがたい顔でそう感想を呟いた。
店長がただの人間ではない事は薄々勘付いていたが、よもや途方もない時間を
生きている種族だとは…予想を遥かに上回る事実に混乱しているようだ。
「ハルさん、ご家族がいたのね。今もご健在なのかしら?」
向かい側の席にいる恋人…山岸 由花子は何気に気になった疑問を口にする。
そういえば、と康一は店に通い始めた頃からの事を振り返る。
従業員のゲルダとセッタ、時々働きにやってくる蛮と銀次はともかく、
ハルの血縁者らしき人物なんて見かけた事はない。
…イルカの語りに登場した【奥さん】もである。
(うーん、離婚したとか? あんまり想像できないけれど…)
詳しい事は不明だが、何かがあったのかもしれない。
その辺は、繊細な問題に関わりそうだから深く触れないでおこう。
「それにしても…」
康一は冷や汗を流しながら、別の方向へ視線を向ける。
本棚を使って身を潜めているようだが、こっそりイルカ達の様子を観察している
40代くらいの外国人の男性がいる。くくくっ、と奇妙な笑い声を時折漏らしながら、
さらさらと手帳に何かを記しているようだが…
「新しい常連さんかな? あの人…」
「康一君、あんまり見ちゃダメ。
ああいうタイプは目を付けられるとヤバいのよ」
あまりにも不気味な存在感を放つその男性に、康一はドン引きしてしまう。
由花子もその異様な雰囲気を察知したのか、小声で視線を合わさない方がいいとアドバイスした。
高校生のカップルがそんな会話をしているとは露知らず、その男性もといヴィクセンの
心拍数は上昇していた。
何故なら、彼の想像を天空突破した新情報を入手できたからだ…!
興奮せずにいられるなんて、あり得ない事だ。
(なんという貴重なデータ……
古参のあのイルカ殿には【感謝】の一文字では足りんくらいだッ!)
ボールペンを走らせる速度がさらに上がる。
この情報は、いずれ会合で報告する予定だが…さらに精密さを求めるべきだろうか。
(正確なデータに仕上げるためには直に訊き出すべきだろうが、
そのためには…一定の条件をクリアしないといけない)
やはり、常連と交流してある程度は親しくなる必要がある。
ヴィクセンには些か高めな難易度のミッションになるが…
諦めてはそこで試合は終了である。
(イルカ殿は性格も温厚で訊きやすそうだし、上手くいけば話友達になれそうだ。
何か共通の話題はないだろうか…)
「ところで、さっきからあそこでブツブツと独り言言うとる男がおるが…
お主の知り合いか?」
「いえ、全然知らない方です」
ヴィクセンの事が気になったのか…簡略化した太公望がこそっと尋ねるが、
イルカは首を左右に振る。
「お主をちらちら見とるぞ。もしや、隠れファンか?」
「ちょっ…ヘンな事言わないでくださいよ。
怖いじゃないですか!」
この時、ものぐさ仙道と【友達になろう計画】の対象者であるイルカから、
密かに『おかしな人』認定されてしまったヴィクセンだが…
当の本人がこの先、その事実に気付く日は…おそらくないだろう。
【あの夏のSF(すこし不思議)な体験談】
「どういう事ッスか…」
二階から、こっそりと聞き耳を立てていた人物がいた。
艶のある赤い長い髪に、明るい色のパーカーとレギンスパンツの服装で、
一見女子と見間違いそうになる中性的な顔立ちをしている。
その人物…十戒のグロキシニアは、先日相棒であるドロールに連れられて
初めて店を訪れた。
あの時は、連休を理由に店長のハルは不在であったため、顧客をメインに
情報収集をする事に専念した。
今回、グロキシニアは単独で来店した。
理由は、初回の時に感じた【ある魔法】の事が気になったから。
この店内に張り巡らされている複合魔法…各々の異世界の住民の言語を
それぞれ解読し、通訳する魔法…に既視感を覚えた。
随分と昔に、彼はそれと同じものを目にした事がある。
そう、仲間であるヴァイスハルトが考案した魔法と…類似しているのだ。
ヴァイスハルトの血族だから、その類の魔法を使用できてもおかしくはない。
しかし、グロキシニアの中で何かが引っ掛かった。
だから、もう一度調べてみようと相棒にも内緒で足を運んだ。
適当に本を選んで、読むフリをしながら魔法の解析をしていた時に、
古参のイルカが他の顧客にせがまれて昔話を語る事になった。
その内容を聞き終えるや、グロキシニアは頭の中が真っ白になりそうになった。
(イルカ君の話だと…店長とその番の人は相当な年月を生きている事になる)
あの二人の子どもならその可能性はあり得るし、長命の種族と結婚していたなら辻褄は合う。
けれども、イルカの話に出てくる店長と伴侶は…ヴァイスハルトと【彼女】の特徴にあまりにも
重なる点が多かった。
(あり得ない事ッス。でも、もしかしたら…)
浮上したひとつの仮説に、グロキシニアは本を持つ手に力を込めてしまう。
闇の奥に隠された真実に…彼は手の届くところへ近づきつつあった。
【つづく】
※肝試し中に、イルカ君とオリキャラの子は異世界に迷い込みましたが、
ハルさんと奥さんのいた世界だったのが幸いでした。
これが、他の世界(異世界もので見かける優しくない世界)であったら
本当にシャレにならない事態になっていました。
そうなると、無事に二人を見つけた上に、お土産つきで里に帰還したミナト先生は
作中で最も幸運な人だったと思います(笑)