多重クロスオーバー形式連載 2話。
ゲストキャラは引き続き、TOVのエステルです。
今回は、別の従業員や常連客が何名か判明します。
エステルは手に取った漫画を熟読していた。
1巻が終わると…次の2巻を取りにいき、続きを読んでいく。
3巻、4巻、5巻…みるみるうちに、読む冊数は増えていった。
「すまぬが、お嬢さん」
第三者から呼びかけられ、エステルは現実に戻された。
その声の方へ振り返ると、一人の青年が立っていた。
黒髪の黒い瞳、白と黒生地がメインの変わった異国の服装を纏っている。
「読書中に申し訳ないんじゃが…そこの長椅子よりも、あそこの丸机がある日当たりのいい場所を
使った方が視界的にもいいぞ。それと、夢中になる気持ちは分かるがのう…
終わった単行本を隣に積み重ねていくのはやめてくれんか?
このままじゃと、単行本の山が椅子を占領してしまうからのう」
古風な話し方をする青年の指摘に、エステルはハッとした。
自分でも気付かない内に、読んでいる漫画を長椅子にきちんと
上から並べる形で積み重ねていたのだ。
「す、すみません…私ったら、知らない内においてしまって…」
「よいよい。誰にでもそういう経験はあるもんじゃ」
青年は細目でケラケラ笑って「気にせんでいい」と言う。
エステルは元の本棚に読み終わった漫画を返すと、青年に頭を下げた。
「改めて、ありがとうございました」
「礼儀正しい娘さんじゃ。見慣れん顔だが…此処へ来るのは初めてか?」
「はい、今日…初めて訪れました」
「ふむ…野暮な事を訊くが、お主は『表玄関』から来た者か?
それとも『裏通り』…狭間の空間を潜ったのか?」
青年がさりげなく尋ねてきた質問に、エステルは大きく目を見開く。
「そう警戒せんでいい。
ワシは単純に気になったから訊いてみたかっただけじゃ」
「――――後者です。
あの…この貸本屋さんを利用している方ですよね。貴方も…」
エステルはもしやと目の前の青年に聞き返す。
「いかにも。ワシもあの扉(ゲート)を利用している者だ」
青年は大きく頷き、エステルの推測が当たっていると暗に口にした。
「!? それじゃあ、私と同じ…」
エステルは驚きを顔に露わにするや、すぐに次の言葉を継いだ。
「彼是、10年前…この貸本屋が出来たばかりの頃にたまたまのう。
それ以来、此処へ通うようになったんじゃ」
「通う…という事は、此処は再び訪れる事も可能なんです?」
「可能じゃよ。マスター…ハルに頼めばな」
「そ、そうなんですか…」
「ワシ以外にも、巻き込まれたのがきっかけで常連になった者が少なくないぞ。
…てか、此処の顧客層の8割はそれじゃ」
「ええっ~…!?」
告げられた事に、エステルはさらに吃驚する。
…この店は思っている以上に凄い場所なのかもしれない。
彼女の中でそんな認識ができつつある。
「エステルさん」
その時、ゲルダが戻ってきた。
「あ、ゲルダさん…」
「楽しんで頂けていますか?」
「はい…この漫画、とても面白いです!
小説と違って絵がメインなのに、物語がすぅーって頭の中に入ってきて…」
「漫画は、この世界では幼いお子様から大人の方まで幅広く親しまれているジャンルです。
小説とは違った手法…視覚で楽しめる上に解り易く物語を理解できるのもいいですね」
興奮するエステルの気持ちを汲み取るように、
ゲルダも笑って彼女の言わんとしている事に同意する。
「随分、打ち解けとるようだのう」
「いらっしゃいませ、太公望さん」
先程まで、エステルが使用していた長椅子にリラックスするように、
青年…太公望が腰を下ろしていた。
「本日はどんな書物をお求めですか?」
「じっくり選ぶ予定じゃ…お、下の食事処の今日のお勧めのスイーツはなんだ?」
「メインは白玉あんみつパフェです。アイスとクリームは豆乳を使用しています」
「ふむ、ならひと眠りした後で食べに行こう。楽しみにしとるぞ~」
太公望はひらひらと手を振ってそう言うと、長椅子に横になり、昼寝し始めた。
すぐにすぴーと眠りについた彼をぽかーんとして見つめるエステル。
「そろそろランチタイムになりますが、食事でもいかがですか?」
ゲルダの誘いに、エステルは長椅子で寝息を立てる太公望が気になりつつも、
「はい…」と小さく頷いた。
「あの…ゲルダさん」
「なんですか?」
階段を降りている最中、エステルは思い切って訊いてみた。
「先程の…太公望さんという人ですが、いつもあそこでお休みになられているんですか?」
「ええ、驚いたでしょう?
太公望さんは二階のあの場所で一眠りしてから読書をする
…変わったスタイルの方なんです」
ゲルダ曰く、あの青年…太公望は自らの世界でも一定の場所に留まらず、放浪生活を
している身らしい。たまに、長年過ごした故郷に立ち寄る事はあるものの、すぐにふらりと
旅に出てしまう。
同郷の者から再三「帰って来い」と言われる彼だが、この貸本屋に訪れる明確な理由は…
「マスターと談話をするのが一番の目的かしら」
「ハルさんと?」
「はい。マスターとは仲がいい…友達のような関係、色々と話が合うみたいです」
ゲルダは朗らかにそう言いながら、エステルを一階にあるカフェへ連れていく。
通路を渡る途中、エステルは一階の書籍が置かれているスペースが視界に映った。
二階と同様に、広い空間に高い本棚が置かれており、常連と思われる…複数の人物が
各々席に座っている。
本棚に近い丸い木製の机では、とさかの様な特徴的な黒色の髪形の長身の男子、身長の低い…エステルの仲間のパティと同じくらいの…大人しい子、やや不良っぽい顔立ちの男子の3名が勉強道具を広げて、あーだこーだ言いながらノートの筆を進めている。
彼等の反対側にある長椅子には、菫色の長い髪をツインテールにした10代の少女が熱心に
厚めの児童書を熟読している。
さらに、奥の窓際の席には、艶やかな黒い長髪を後ろに纏めた男性か女性か定かでない、異国の服装をした美しい顔立ちの人が優雅に小説の頁を捲っている。
(この人達も…私と同じ、違う世界から訪れた人々)
エステルは瞳を揺らし、ほんの刹那の間だったが、その常連の顔は記憶に深く印象付けられた。
案内されたのは、一階の西側にある大部屋。
先程、太公望が言っていた『食事処』…レストランに相当する場所だ。
アンティークの温かい雰囲気が漂う、自然と落ち着けるところ…
帝都のザーフィアスにあるユーリがお世話になっている宿屋にちょっと似ている。
大きな窓が設置されており、そこから屋敷の庭が一望できる開放的な空間だ。
「セッタさん、オーダー頼んでもいい?」
「むっ、お客様かい? 構わないよ」
ゲルダの声に反応したのか、カウンターから顔を上げる一人の男性。
濃い紫色の髪、褐色の肌に眼鏡をかけた知的な雰囲気の人だ。
薄い水色のブイネックに、黒のパンツ、その上から白いシンプルなエプロンを身に着けている。
みたところ、この食事処の料理人のようだ。
「いらっしゃいませ。こちらへどうぞ」
初めてのお客であるエステルに、丁寧な対応をするセッタ。
カウンター席へ招かれ、エステルは右から三番目の椅子に腰を落ち着ける。
「はい、メニューです」
彼女の隣に座ったゲルダがメニュー表を手渡す。
ぱらっとメニューを開くと、そこには…この世界のものと思われる文字と…
その下にエステルの世界で一般的に使用されている文字が書かれていた。
「…! 私以外にもこのお店に来た事がある人がいたんですか?」
「いいえ。このメニュー表にはちょっとした解読用の魔法が施されていて、
異世界のお客様が困らないための、当店ならではのサービスです」
エステルはうわぁ…と目を輝かせる。
異世界にはこんなに便利な魔法が存在しているのか。
もし、この場に親友のリタがいたら「それってどういう仕組みなの!?」と質問攻めするはずだ。
ふふっ、とそんな想像をしつつ、エステルは改めてメニューを見ていく。
「うーん…迷います」
メニューは単品からランチセット、飲み物やデザートの種類も含めると一般的な飲食店以上に豊富だ。メニューによっては写真つきのものもあり、どれもお腹に刺激を与えそうなほど、美味しそうだ。ふと、麺類の項目に目が止まった。
「…麺、パスタがいいですね。でも、どのパスタにしましょう…」
「本日は新鮮な卵といいチーズが入荷したから、カルボナーラはどうかな?」
どの種類にしようと悩むエステルの前に、セッタは氷入りの水の入った
グラスを置くと、眼鏡をくいっと押し上げてさりげなくお勧めを言う。
「えっ?」とエステルは視線をあげて、目をパチクリさせるが…すぐに彼の厚意だと分かり、
口元を綻ばせる。
「はい! お願いします」
「迅速な回答、実にクールだ」
フッと満足げに一笑すると、セッタは早速調理に取り掛かる。
料理が出来上がるまでの間、ゲルダがエステルの話し相手になってくれた。
「…じゃあ、ゲルダさんも元々違う世界の出身だったんですね」
「ええ、マスターとはその頃からの付き合いなんです」
マスター…もといハルもこの貸本屋のある世界でない、どこか別の世界の出身らしい。
詳しい経緯は知らないが、お店を開く前までは長い間異世界を転々と渡り歩いていた
経歴があるとか…。
一般人が聞けば、与太話だと一蹴されるものだが、エステルは真剣にその話に耳を傾けた。
「そういえば…エステルさんは此処が異世界だと判明しても、あまり驚きませんでしたね」
「え、そうみえました?」
「はい。大抵、こちらへ迷い込む方々は一部例外もありますが…かなり狼狽したり、
泣きだす方もいますから」
苦笑して語るゲルダ。
エステルはうーん…と約5時間前の自分の状況を思い返してみる。
(…最初は不安でしたけど、でも…それほどでもなかった気もします)
冷静になって振り返ってみると、ゲルダの言う事は当たっている気がしてきた。
ならば、何故自分はあまり動揺しなかったのだろう?
「そうだ…ハルさんのおかげです」
エステルはぽんと両手を軽く叩いて、ほんのり笑って頷く。
その理由を見つけ出すまで、そんなに時間はかからなかった。
「マスターが…?」
小首を傾げるゲルダに、エステルは語る。
「正直に言うと…あの時、すごく怖かったんです。
でも、ハルさんと話をしていて、その気持ちがウソみたいに消えていきました。
見ず知らずに迷い込んでしまった私のために、一から事情をきちんと教えて
くれましたし…元の世界に絶対に帰してくれると約束もしてくれた」
ハルが悪い人なら、ここまで丁寧な接客をする事なんてしないだろう。
それに、ゲルダやあの常連の太公望の発言を聴いていて、あれが人を欺くために手の込んだ
演技をしているとは思えなかった。
「だから、私…ハルさんは信用していい人だと思いました。
見つけてくれたのが、ハルさんでよかったって…実感しています」
「マスターを…そう評価して頂けると私も嬉しいです」
主の事を敬愛しているのだろう。
ゲルダは、顔を綻ばせてエステルに感謝の意を返した。
「話の途中ですまないが、ご注文のカルボナーラ、完成しましたよ」
セッタはそう言って、エステルの前に出来立てのカルボナーラを乗せたお皿を置いた。
アツアツの湯気に、チーズの香りが鼻を擽る。
きゅるる…とお腹が鳴り、エステルは自ずとそこを手で押さえてしまう。
ハルルの町に戻った際に、軽くお菓子のクッキーしかつまんでいなかったため、
目の前の麺料理が輝いて見えてしまうのは必然だろう。
「いただきます」
両手を合わせて、食事の挨拶をする。
仲間であり、現在も異世界で旅を続けている女性から教わった異国の作法をしてから、
フォークで一口大に麺をからめとり、口へ入れた。
「おいしい…!」
チーズと塩気のあるベーコンの濃厚な味。
辛い黒コショウがその濃さに負ける事無く味を引き締め、卵がそれらを包み込んで
メインである麺と上手く調和させ、口の中に一体感を生み出す。
王族として生まれ育ち、一流のシェフがつくる食事を長年とり続けた事や、料理上手な仲間と旅していた経験から口が肥えているエステル。
そんな彼女の舌を満足させるほどの出来栄え…このパスタを調理したセッタの料理の腕前はかなりのレベルである事が証明された。
「デザートは何にします?」
「僕は、今朝方マスターが市場で購入してきた苺を使ったシャーベットをお勧めするけれど…
いかがかな?」
ゲルダとセッタの言葉に、エステルは目を輝かせて「是非とも!」と大きく数回頷いた。
「すみませーん!」
「こんにちは」
「おおー! 食欲そそるいい匂いがするぜぇー。やべっ、涎が垂れてきた…」
その直後、食事処の扉を開けて来店した3人の男子。
先程、一階で勉強をしていた学生達だ。
「いらっしゃい…って、杜王町トリオじゃないか。
あそこの世界時間は計算すると…休日ではないはずだ。学校はどうしたんだ?」
「今日は午前までだったんで。
康一の提案で、宿題パッパッと終わらせてランチ食おうって事になって来たんスよ」
「そうそう、ようやく終わって飯にありつける…
あ、ゲルダさん、どうも! 今日もいい天気っすねぇ!」
サボりにきたならクールじゃないぞ、と鋭く探りを入れるセッタ。
すると、とさかのような髪型の男子は気分を害する様子はなく、あっさりした態度で
理由を告げる。同じく、不良っぽい男子も友人に加勢しつつ、ゲルダを見るや頬を赤らめて
挨拶してきた。
「仗助さん、億泰さん、康一さん、いらっしゃいませ。
お元気そうでなによりです」
「こうみえて体力だけは自信ありますから!
春の健康診断もばっちりお墨付きもらったし!!」
「なーに自慢げに言ってんだよぉ。
しかも、他はからっきしだってバラしてどーすんだ」
どうよ!と自信たっぷりに腕を見せる億泰に、肩を小突いてツッコむ仗助。
二人のコントのようなやり取りに、思わずクスッと笑いが込み上げてくるエステル。
「あれ? 見かけない人ですね」
彼等の一歩後ろにいる身長の低い少年…康一がエステルに気付いた。
「今日、初めてこのお店にいらっしゃった方です」
「あぁ…もしかして、【裏通り】から?」
「ええ。今、マスターが調整中です」
ゲルダの言葉を聴いた康一は同情を含んだ眼差しでエステルに向ける。
「大変でしたね…あ、はじめまして。
僕、広瀬康一って言います。
友人2人とよくここを利用しています」
康一が頭を下げて礼儀正しく自己紹介すると、セッタと話していた2人もつられて会釈する。
「はじめまして…エステリーゼ・シデス・ヒュラッセインと申します」
「なっげー名前だなぁー」
異世界の人って長い名前が多いよなーと億泰が後頭部を掻きながら、覚えにくそうに眉を下げる。
「あ、『エステル』って呼んでください。
知人からもその愛称で言われてます」
「そうっスかー、じゃあ改めてエステルさん。
俺は東方仗助って言います」
「虹村億泰、よろしくな!」
エステルの気遣いに、仗助と億泰は「助かります」と笑って自己紹介する。
「3人とも、席に座りたまえ。メニューは…いつもの日替わりかな?」
「はい、それで」
「今日の日替わりメニュー、何っすか?」
「メインは、チキン南蛮と鮭のムニエルのバター醤油…どちらかを選んでくれ」
仗助が挙手して質問すると、セッタは眼鏡を指先でかけ直し、目を光らせて答える。
「俺、チキン南蛮で!
それから飲み物は砂糖たっぷりミルクティーを!」
「億泰、君の早い決断は有難いが、いつも糖分を取りすぎなのはいただけないな。
余分な脂肪と糖分は将来的に身体に害をもたらしてしまう」
「だいじょーぶっすよ! 運動してその分エネルギー発散させてるし!
つーか、成長期の男子はそのくれぇ食わないとやってらんないよぉ」
なぁ、そう思うだろーと億泰は視線をちらつかせて親友2人に同意を求める。
仗助はやれやれ…と呆れ顔で肩を竦め、康一は苦笑いする。
彼等のやり取りを眺めていると、また扉が開く音が響いた。
「ランチ、もう頼んでもいい?」
杜王町トリオと同じく、一階で児童書を呼んでいた菫色のツインテールの少女が入ってきた。
「ソフィさん、いいですよ」
ゲルダは微笑んでこちらへ手招きする。
少女…ソフィは小さく頷くと、ゲルダの隣にあるカウンター席に座った。
「メニューはどうします?」
「――――『かにたま』できる?」
ソフィはうずうずと期待に満ちた目をセッタに向ける。
「問題ない。マスターが数日前に予約していたモノが先程届いたところだ。
いつもとは一味違うかにたまを御馳走しよう」
セッタがフッと得意げな笑みで、その料理は調理可能だと宣言する。
ソフィはパァと顔を明るくして、やったぁ…と咲いた花のような華やかな笑顔になる。
「よかったですね」
「うん! あれ…新しい人?」
エステルに気付いたソフィはこてんと首を傾げて、エステルを見つめる。
「はじめまして、エステルと言います」
「エステル、だね……わたしはソフィ」
ソフィは名前を言って、エステルにお辞儀した。
「ソフィって呼んでもいいですか?」
「いいよ。エステル」
「ありがとう…ソフィも常連さんなんです?」
「うん、今日は1人で来たの」
いつもは、2人で来てるけど…とソフィは言う。
彼女の口ぶりだと、普段は誰かが付き添う形で、この店へ来ているようだ。
「エステルはもうランチ食べたの?」
「はい、カルボナーラ美味しくいただきました」
「そう…あのね、ここの『かにたま』もおいしいよ」
ソフィは『かにたま』が大好物らしい。
『かにたま』の美味しさと魅力を、と彼女なりに熱心に語ってくれる。
「んぐんぐ、すみませーん! デザート追加でぇ!」
「億泰、やけに食うなぁ」
「テストが終わったから、頑張ったご褒美だって」
デザートのケーキをぺろりと平らげ、もぐもぐと咀嚼しつつ、おかわりを頼む億泰。
食いすぎてぶっ倒れるなよ~と冷やかす仗助と、口を開こうとして食べ物が喉に詰まった億泰に氷水を慌てて渡す康一。後ろの席に座る3人は、食事風景も賑やかだ。
「あいっかわらず、騒がしい奴等じゃのう…
お、すまぬが白玉あんみつパフェ頼む」
いつのまにか、常連の太公望が入室していた。
カウンター席の右隅に腰を下ろすや、さっき、ゲルダがおすすめしたデザートを注文する。
やがて、ぞくぞくとお客が来店してきて、それぞれ席に座ってオーダーをいれていく。
庭の風景を眺めつつ食事を楽しむ人もいれば、隣の席から慣れた感じで親しげに喋り合う人もいる。中には、周りのお客の様子をジッと眺めながら、静かにお茶を楽しむミステリアスな男性も…。
(こんなにお客様がいたんですね…)
エステルの瞳に映る光景は、とても新鮮かつ心躍らせるだった。
ふと、エステルの脳裏に、異世界を旅する仲間…リエ・クローチェが以前語ってくれた
言葉が再生された。
『異世界を旅する醍醐味は、あらゆる人々と出会える事、そして…彼等と交流していき、人生のノートの白紙部分を彩っていく事。そうする事で、自分の中にある新しい可能性を生み出し、価値観を広げ、心を豊かにしていける…とても素晴らしい事ですよ』
彼女の言った言葉の意味が、今なら分かる。
この貸本屋には、様々な出会いと交流があふれている。
なにより、エステルがまだ読み終えていない『漫画』や、未読のジャンルが豊富にある。
(もし、テルカ・リュミレースへこのまま帰ってしまったら…これっきりになってしまうの?)
エステルの胸がざわりと騒ぎ出す。
「そろそろ、扉の調整も終盤に差し掛かっているはずですね」
ゲルダが時計を見ながら告げる。
ええっ!?…とエステルの顔に困惑の色が現れる。
(どうしましょう…まだ、まだ読んでみたい本がたくさんあるのに…)
オロオロと挙動不審なエステルの様子に、ソフィは「エステル?」と不思議そうに名を呼ぶ。
すると、エステルはピタッとある事を思い出し、ソフィや他の席に座る常連の顔を見回していく。
彼女の視線に「?」と疑問符を浮かべたり、目を細めたり、意味深げに口元をあげる者。
一人一人に視線を向けていき、最終的にゲルダへ目を合わせるエステル。
「あの、ゲルダさん!」
「はい?」
「お願いがあります…」
「それで…当店を行き来するための方法を知りたい、と」
きっかり8時間経過した頃に、ハルは扉の調整を終えた。
その直後、ゲルダがエステルを連れてきたため、何事かと思いきや…エステルが真剣な顔で
懇願してきたのだ。
――――貸本屋『双月文庫』へ通いたい。
そんな彼女の強い意思を感じ取ったハルは腕を組んで少しの間思案する。
エステルはハラハラしていた。
突然のお願いに、ハルは難色を示してるのか…?
「分かりました」
しかし、エステルの懸念は数分後に払拭された。
「ゲルダさん、必要書類取ってきて。それから『アレ』も」
ハルはすぐにゲルダに指示した。
ゲルダは頷くと一旦店内に戻り、5分経たない内に両手に長い巻物を一本と丈夫そうな
トランクケースを運んできた。
「まず、当店を利用するにあたり、守ってもらいたい規約を説明します」
ゲルダから長い巻物を受け取ると、ハルはバッとそれを広げて読み上げていく。
その巻物に書かれている約束事は多かった。
エステルはその一つ一つを呟きながら、覚えていく。
その中でも、印象に残ったものをいくつか述べると…
◇店内において、過度な争いおよび他の顧客に迷惑行為をする事は禁止。
◇特別書籍や禁書に指定された書物の閲覧は、責任者の厳重な審査で許可された場合のみ可能。
◇利用者は、当店の事を他者へ紹介する場合、対象者は当店の規約を順守できる人物に限定する。
特に上から三番目に記された項目は、かなり重要なものだ。
これは、このお店が貴重な文献を扱っている事や別の異世界の情報の流出を抑える…と
いう名目なのだと、エステルはその意味をなんとなく察した。
「…以上の事を守れますか?」
「…はい!」
ハルの確認の問いかけに、エステルは力強く首を縦に振る。
迷わず答えた彼女に、ハルは「うん」と納得した様にほんのり笑う。
「それじゃあ、これをエステルさんにプレゼントします」
トランクケースを開くと、そこには同じ型の小さな鍵が並ぶように
詰められている。ハルはその中の一つを抜き取ると、エステルにどうぞと手渡した。
二つの三日月が背中合わせに組み合わさったキーホルダーがついた銀色の鍵。
綺麗な装飾のついたそれに、エステルは目が釘付けになる。
「その鍵を鍵穴のある扉に使用する事。
もし扉がない場所でも、鍵を適当な場所に翳せば当店の入口へ繋がる扉を召喚できます。
俺は、エステルさんが信用に値する客人と認めた上で、これをお渡します。
ただし…もしも当店の規約に反する行為をした場合は、それを没収させていただきます。
あと、何かが原因で紛失・盗難にあった時は速やかに俺か店の従業員に連絡してください」
約束できますか?
ハルの二度目の確認に、エステルはコクリと頷く。
「はい! 失くさない様に心掛けます」
「ありがとうございます…
では、初回にあたって、テルカ・リュミレースへの帰り道を案内しましょうか」
ハルは、屋敷の入り口の門に手を翳した。
そこから狭間の空間が出現した。
此処へ迷い込んだ時と同じ緑黄色の異空間。
一つだけ違うのは、そこから真っ直ぐ白い光の道が伸びている事。
「お客様を送ってくるから、留守の間店を頼むよ」
「お気をつけて」
ゲルダに店番を任せると、ハルはエステルに手を差し出した。
「お手をどうぞ」
まるで、ダンスを申し込むような申し出に、エステルは快く手を取った。
【新規のお客様へのご案内】
ハルと共に、異空間の道を歩く事10分。
終着点である出口が見えてきた。
「そこを通れば、ハルルの町に出られます。
5分後には出口は完全に塞がってしまうから…今のうちに」
「色々とありがとうございました」
エステルは御礼を言うと、ハルは「こちらこそ」と苦笑する。
「エステルさん」
出口を抜けようとしていたら、ハルに呼ばれて振り返るエステル。
「またのご来店お待ちしています。
今度は、ゆっくりと当店を楽しんでくださいね」
「…はい、必ず」
小さく手を振って見送るハル。
エステルは微笑して再び訪れる事を約束すると、外へ通じる出口を潜り抜けた。
通り抜けた先は、ハルルの町の入り口だった。
空は黄昏色に染まり、鴉が夕刻の時間を知らせている。
「夢の中にいたみたい…」
そう呟くエステルは未だ興奮が冷めやらぬ状態だ。
ほんの少しの間だけの異世界旅行。
…この事を仲間の皆には話すべきか否か。
(…まだ秘密にしておいた方がいいかも)
あの貸本屋の店主が掲げた約束事が、頭の中にちらついた。
皆の事を信用しているけれども、まだすべてを明かすのは時期尚早な気がした。
(フフッ…こういうのって初めてです)
自分だけの“特別”
後ろめたくなく、逆に人に教えたくてうずうずしてしまう
とっておきの秘密ができた事に、エステルはワクワクしてしまう。
「エステル!」
「ちょ、どこよ! どこにいるの!?」
「あ、町の入り口に…って引っ張らないでよぉー!」
聞き覚えのある声が耳に届く。
ふと、町中へ視線を向けると、こちらへ走って駆け付けてくる青年と少年少女3名。
「ユーリ! カロル、リター!」
仲間達の出迎えに、エステルは名前を叫んで笑顔で手を振った。
【つづく】
※エステルは異世界へ渡る鍵を手に入れた!