志は高く、愛情は深く、友情は等しく 作:けーぴー
「何その頭悪そうなネーミング」
いきなりその名前を出されて、思わず本音が出てしまった。
しまった本人作かもしれないとすぐに気づき、罵倒を覚悟する。
「なんか流行ってるらしいよ」
けれども姉の態度は変わらなかった。
幸運なことに我が愚姉の思いつきネーミングではなかったようだ。
危ない危ない。
「流行ってるって、どこで?」
「女子高生、女子大生あたり? 10代の若い子の間でSNS映えするって流行ってるらしくて。知らない?」
「いや知るわけないでしょ」
「同世代で流行ってたら聞いたり見かけたりするもんじゃないの? 友達とかで話題になったりしない?」
「う~ん、思いつかない。聞いた覚えもない」
「あんたの大学は男八割だっけ。あんたに女友達がいないのは仕方ないとして、女の子にしか流行ってない感じなのかな?」
「余計なお世話は置いといて、だからそのりんごジャパンって何?」
りんごジャパン。
読んでも意味が分からない。想像がつかない。
SNS映えすると言われても、りんごとジャパンの組み合わせでいったい何を錬成するというのか。
「りんごのスイーツとかりんご料理をSNSに上げるのが流行ってるんだって」
「全然普通だった。というかジャパン要素がどこにあるのか分からない」
「そんなのノリとか語感でしょ。物事にいちいち意味考えてたら人生つまらなくない?」
「むしろ思考停止で口開けて目の前をばくばく食べてるだけの人生の方が空しいと思う」
こうして我らはお互いに数百数千度目かの地雷を踏み、戦闘態勢へと移行する。
俺は両手を横に流し、腰を少し落としていかようにも対応できるよう構える。
敵は両手を前に出し、いつでも鷲掴みできるとばかりに攻撃態勢を取る。
今はお互いに笑顔で、これが真顔になった瞬間が戦闘開始の合図だ。
「っとと、今はそういう話じゃなくて」
「あれ、珍しい」
しかし戦闘は始まることなく、姉の方から構えを解いてきた。
てっきり『久しぶりに顔を合わせたからにはごあいさつから始めねば!』的な流れだと思っていたのに。
休みの日に朝からわざわざ俺の住むアパートまでやってきたということは、それ相応の理由があったようだ。
「えーとね、
「もしかしてまたりんご届いた? 送ってもらえると嬉しいけど取りに来いって話?」
「そうじゃなくて、いや方向性は間違ってないんだけど、そもそもの話。父さんの」
「父さんの……あっ! もしかしてまたクラウドファンディングで何かに大金突っ込んだ!?」
クラウドファンディングとはネット上で不特定多数からお金を集める仕組みだ。
例えば『〇〇したいから援助してください!』とか『〇〇で困っているので金銭的に助けてください!』的な話が多い。
お金を出す人を『パトロン』などと言うように、基本的に見返りを求めてやるものじゃない。
一応返礼もあるにはあるみたいだけれど、『名前を載せます』とか『絵を描きます(素人)』とか『感謝の言葉を伝えに行きます』とか別にそんなのいいよという程度のレベルだ。
見返りが欲しければふるさとなんたらにお金を出した方が何倍もマシなのは間違いない。
そして我が家におけるクラウドファンディング問題とは、そんなことにお金を出して遊んでいた父親という存在だ。
「それは大丈夫。あんたも知ってる通り、お金使うことは夫婦の相互許可制のままだから」
「状況が変わってないならいいや。びっくりした」
「最近は時々許可してクラファンを認めてるらしいけどね。たまに掘り出し物を見つけてくるのは事実だし」
「あの枕は正直欲しかった」
基本的に見返りはないと言っても、『新製品を開発したいから援助が欲しい』的な話もそれなりにあるらしい。見返りは新製品の試作品ということだ。
そういうのは超割高だけれど一品ものだったりして、商業ベースでは作る側にとってとても割に合わないようなものが出てくる。
父はそういった案件を探し出して支援するのが楽しいとハマってしまっていた。つまりは文字通りのパトロンごっこ。
「あたしはまだあの枕諦めてないから。でもそういうのを見つけてくるならまだしも、よく分かんないりんご農家に10万突っ込んだのは正直ないわ」
「台風で壊滅的被害を受けたりんご農家を支援しますだったかな? まあそれから定期的にりんごが届くようになったんだから、かろうじて見返りはあったってことでいいんじゃない? そもそもが割に合うとかコスパとかいう世界じゃないんだから」
「想像してたよりもすごくおいしかったのは本当だし、もうスーパーでりんごを買う気にならなくなったのも事実。さすがに今は父さんを責めたりはしないわよ」
「今さら藪をつつく必要もないのはその通り」
当時、10万突っ込んだことを得意げに語る父に対して、母は激怒し、姉は呆れ、俺は笑った。
でも幸いなことに、かろうじてその場の空気を理解した父と、前日に天井ガシャしてしまったことを隠していた母の必死な努力によって家庭崩壊は免れた。
母は俺に対して大学進学後の一人暮らしを認めることで家庭内における母親の尊厳を維持し、俺は大学合格後に晴れて実家を出て一人暮らしを満喫できている。
もっとも、姉のやっていたりあむの世話がくっついてきたのは予想外だったけれど。
「って話が横に行っちゃった。りんごジャパン」
「ああ、そういえば」
「それでそういう流行りに乗って都内でりんごフェスタって催し物をやるらしいんだけど、そこに父さんの救ったりんご農家が出店するんだって」
「そういう流れか」
「だけど父さんは今出張中で東京いないの。だからあんたが代わりに顔出してあいさつしてきてって話。はー、ここまで長かった」
「マジですか?」
「どうせあんたはヒマでしょ。あたしは急に言われてもこれから予定入ってるし、そもそもりんご農家とかに興味ないから」
「いやこっちも全く興味ないんだけど」
さすがに顔も知らないりんご農家の人に会いに行けとかハード過ぎる。
何を話せばいいのか。あいさつだけして帰ってくればそれでいいんだろうか。
姉はこれから予定があるということは、予定の前にここに寄ってきたという話か。
いや待て、これから?
ハッとして顔を上げると、気がついたかと言わんばかりに姉の口の端が釣り上がった。
そして姉は肩にかけていたバッグからチラシを取り出す。
「はい正解。りんごフェスタの開催日は本日です」
「図られた……じゃなくて、なんで今日の今日に持ってくるわけ?」
「そんなの父さんが気づいてなかったからに決まってるじゃない。時差あるの忘れて明け方に電話してくるのよ? さすがに腹立ったわ」
「母さんは?」
「同じくキレて今二度寝中。起こしたらどうなるかは分かるわよね?」
「選択肢なんて最初からなかったのか……」
「まあまあ。これは弟を想う姉の海よりも深い愛情なんだから」
「は?」
本人は慈愛に満ち溢れた表情をしているつもりなんだろう。
もちろん俺にとっては世界で一番うさんくさい笑顔だった。
「りあむちゃん連れてデートしてきなさいよ」
「うわ」
「ええ? 一年以上一緒にいたらいい加減何かしら芽生えてくるもんじゃないの?」
「ないです」
「ほんとに~?」
「ないです」
「……」
姉が疑わしげにジト目で俺を睨んでいる。
正直なところ、俺もりあむも両家族のこの空気には辟易だ。
お互いに『ないな』と言い合っているし、家族以上の目では見られない。
りあむにはこのまま家族の言いなりになってしまったら完全に自分は終わりだという意識があるようだ。
俺としてもりあむの受験も終わったし、面倒見るのは夏あたりで終わりにしたいと思っているくらいなのだけれど。
「言っとくけどね、りあむちゃんレベルの子ってあんたの人生じゃもう出会えないわよ」
「そうかな」
「このまま卒業して、一流企業に就職できたとして、すぐさま婚活を始めたとしても、20代じゃまず無理よ」
「そこまでか」
「30過ぎて、出世競争で前の方を走るか起業して成功するかしてようやく、相手にしてもらえるかもしれないってレベルなんだからね。りあむちゃんって」
「ふーん」
「アイドルと結婚するのと同レベルだと思いなさい。アイドルと結構できるのはどういう人達かって考えてみて」
「ちなみに妹じゃなくて姉だと?」
「えっ? あんたの好みそっち? いやでもそれは……20代のうちに全部揃えないと見向きもされないだろうから、はっきり言って考えるだけ時間の無駄よ?」
「へえ」
「ていうか、姉がありなら妹はもっとありでしょ? どう考えても」
完全にお説教モードに入ってしまった。
そこまでしてりあむを自分の義妹にしたいのか。
「そう言われても、付き合うにしても結婚するにしても一番大事なのは性格でしょ?」
「はっ」
「おい鼻で笑われたぞ?」
「だから、今から自分好みの性格に育てなさいって言ってんの!」
「いやそこキレるとこ?」
さすがにこれは意味が分からない。
今からマイフェアレディとか光源氏でもやれとでも言いたいのか。りあむはもう高校を卒業した年齢だぞ。
何から何まで無茶苦茶だ。
「りあむちゃんはね、超優秀過ぎるお姉さんと一緒に育ってきて、もう劣等感の海で溺れっぱなしなの」
「溺れっぱなしと言うかむしろ」
「だからあたしはりあむちゃんを褒め称えて、りあむちゃんが自信を持てるようにって励ましてきたわけ」
「いやその際のやり方が」
「黙れ。ということでりあむちゃんをりんごフェスタに誘ってきなさい」
もはや聞く耳すらなくなってしまった。
「えー」
「別に誘うだけでいいわよ。行きたくないって言われたらそれはそれで」
「それでいいなら」
「というかりあむちゃんならそういうとこには行きたくないだろうしね」
「それなら最初から誘う必要ないような」
「ちっちっち、それでも誘うことが大事なわけ」
「ふーん」
「じゃあ後はよろしく! あ、一応言っとくけど、一番大事な用事はりんご農家の人にあいさつしてくることだからね?」
「分かってるよ」
「ならよし。それでは幸運を祈る!」
うぜえ、と口にしそうになって、姉が右手に何かを握りしめていることに気づいて慌てて口を閉じる。
舌打ちを残して、姉はワンルームの部屋から出ていった。
はあ。完全に押し付けられてしまった。
ふと手元に残されたチラシを眺めてみると、会場の見取り図に赤ペンで丸がついている。
きっと対象のりんご農家だろう。『つじの』という文字が赤丸で囲まれていた。
「なんてこと言うんだ!
開口一番えらい言われようだ。
りんごフェスタに行くかと聞いただけなのだけれど。
いや、全然断ってもらって構わないし、きっとそうだろうと予想もしている。
でもさすがにここまで言われてしまうとは思いもしなかった。
「
「別に家の外へ連れ出して暗殺とか考えてないから」
「えっ、そういうこと言い出すの? それは引く……」
「は?」
舐めたこと言うとコロコロするぞくらいの勢いで睨む。
りあむお得意の脱線などさせない。
「そそそそういうことじゃなくて、リア充陽キャのすくつに突っ込むとか自殺行為以外のなにものでもないだろ!」
「巣窟ね。でもリア充陽キャかー。確かに女子高生とか女子大生が溢れてる場所に乗り込むのは勇気いるかも」
「
やれやれ、で締められた上から目線に少しイラッとした。
もちろんムキになってしまったら俺の負けだ。
「と言っても目的地に行ってあいさつして適当に何か買って帰るだけなんだから、一瞬で終わる程度の話だし」
「あーあ。分かってない。ほんっとうに
「それは何が分かってないと?」
「あれっ、ほんとに分かんない? しょうがないなあ。それじゃあぼくが教えてあげようじゃないか!」
「はいはい。それなら教えてください、りあむ先生」
りあむは腰に手を当てて得意げにふんぞり返っている。
マウント取ることに成功したのがよほど嬉しかったらしい。
「よろしい! じゃあまずはいちばん忘れちゃいけないこととして、僕ら陰キャは太陽の日の下じゃ生きていけないんだ」
「あれ、俺も陰キャの方に含まれてる」
「陽キャの陽は太陽の陽! 陰キャの陰は日陰の陰!」
「陽気と陰気っていう気質的な分類じゃなかったのか」
「だから陽キャは太陽が登ってるときに動いて、僕ら陰キャは太陽が沈んでから外に出るものなんだぞ」
「ただの昼型と夜型なだけな気が」
「それなのにぎゃくのことしたら大変なことになるんだ。陰キャが太陽の下に出たら太陽に焼き殺されちゃう」
「でも陽キャは別に夜でも普通に遊んでるような」
「あーもう! どうして
俺の指摘に耐えられず、早くもりあむが癇癪を起こした。
突っ込みどころしかないのだから仕方ない。
「別に至極当然なことを口にしてるだけで」
「そうじゃなくて、今
「えぇ……。じゃあ僕らは今外に出たら吸血鬼みたいに灰になっちゃうんですね?」
「ププッ。今どき吸血鬼とか。中二病おつ!」
こいつはどうしてくれようか。
「あれっ、なんでそんな顔してるの? ぼく何かおかしなこと言った?」
「むしろおかしなことしか言ってないんだけど、もういいや。じゃありんごフェスタには行かないってことでいいね?」
「行くわけないだろ。というかぼく今日はライブあるし」
「だったら最初からそう言え。分かった、アイドルのライブね。最近生でアイドルを見ると眩しくて辛いって言ってたけど、平気になったんだ」
それならメンタル的に底は過ぎたと考えてよさそうだ。
今まで楽しかったことが楽しくなくなるのは危険な徴候で、そこから変な方向に走り出したりしないか不安だった。
これは密かに危惧していた懸念事項が解消されて一安心と言っていいかもしれない。
「生で見るアイドルが眩しいのはふつうのことなんだけど、
「心の底から余計なお世話だ」
立ち直った途端にこれとは、確かに人生が楽しくていいのかもしれない。
「それじゃあそんなかわいそうな
「何も頼んでないのにこの押し売り。というかこれからりんごフェスタに行かないといけないんだけど」
「これから地獄のような場所に行くんだから、せめてアイドルのすばらしさを知ってから安らかな死を迎えて欲しいというぼくのやさしい気持ちだぞ。ありがたく受け取れ!」
「えぇ……」
こいつ本当に人生を楽しんでるな!
「ぼくもさあ、今まで全押し
アイドルオタクの一人語りが始まった。
自分の趣味で盛り上がりたいのなら同好の士と一緒に楽しめばいいと思うのだけれど、残念ながら夢見りあむにはリアルにおいて友達を作る能力が著しく欠けていた。
それなら顔を合わせなくていいネットでやればと思ったら、どうやらそっちではりあむにはクソリプしか返ってこないらしい。
こうやって一対一で向かい合っているのにこれなのだから、文字しかないネットの世界ではもっと無理な話だった。
「でも世の中に出てるアイドルってだいたいがもう既にすごくなっちゃってる。そりゃあそこから新境地を開いたり確変起こしたりもするけど、ぼくが見てみたいのはそういうのじゃない。だからぼくはこれから出てくるアイドルの駆け出しとか卵を探してみた。346のアイドルならきっと間違いないんだろうけど、でも今やってるのって事務所がトップアイドルを無理やり作ろうとしてるだけだからなあ。あっ、いや、卯月ちゃんがふさわしくないとかそういう話じゃないよ? ふさわしくないなんて言うやつは誰もいない結果だったし、デビューからあっという間にシンデレラになるってすっごい憧れる。ぼくは事務所が特別扱いしなくたって卯月ちゃんならふつうになれたと思ってるだけ。ほんと346は力入れるとこそこじゃないだろって何度思ったことか……あれ? ぼく何の話してたんだっけ?」
「アイドルの卵がどうとか」
「そうそう! それでついに見つけたんだ! これがその子だ! あんちゃん!」
最初から用意されていただろう写真やサイン、小物のグッズがテーブルに広げられた。
見てみると高校……いや体格的には中学生くらいだろうか。細身で地味めな顔の女の子だ。
あまりアイドルっぽい華やかさは感じられない。いつもりあむが見ている画面上のアイドルと比べてだけれど。
「ふーん」
「この子は絶対来るよ! 今毎日成長してるって感じで、歌も踊りも喋りも見るたびにぐんぐんうまくなってるんだ! きちんとお客さんを意識して毎回自分で工夫してて、他の子がダメダメだからもうはっきり分かるし! 事務所は弱小もいいとこだけどそれでも今が旬だって感じですごい勢いでライブとかやってる。まあ事務所的には別の子がメインと言うかトップ扱いだけど、あんちゃんがいちばんになるのはもう時間の問題だな!」
そんな得意げに語られても、興味のない人間からするとはあそうですか以上の感想は出てこない。
俺個人として思うのは、りあむが元気になったのでよしとするか、くらいだ。
目の前ではりあむがすごい勢いで自分の熱い思いを語っているけれど、もう耳にも引っかからなくなってきたので右から左に流すことにした。
「……それでその事務所にはほたるちゃんっていうレアキャラがいてね、これがとってもかわいいんだ! 健気で儚げでぎゅーっとしたくなるくらいのかわいらしさ! まだ小学生っぽいからアイドル活動が少ないのは仕方ないけど、ぼくはこの子の成長も見てみたい。何年かしたら着物の似合う美人さんになるんだろうなあって思うとああもう尊みが止まらない……!」
「あっ、もうこんな時間だ。いい加減りんごフェスタに行かないと」
「えーっ! わざわざ死にに行くことないじゃん。そうだ!
「いや無理に決まってるでしょ。りんごフェスタは個人的な用事じゃなくて家族の頼まれごとなんだから。行きたいとか行きたくない以前の問題だ」
「チッ。それじゃ今日はしょうがないか」
「こいつ今舌打ちしたぞ?」
どうやらここまでの一人語りは俺を勧誘するための行為だったらしい。
前に興味ないと言ったらそれ以上は何もしてこなかったのに、どこか心境の変化でもあったんだろうか。
「じゃあ来週ね。水曜の夜か土曜の午後と夜」
「行くとも言ってないんだけど。というか人の都合を無視しない」
「
「どうして断定されてしまうのか。……どっちも普通にバイトあるな」
「えっ!?
「掛け持ちくらい普通にするだろ。そういうわけだから無理」
「えーっ。バイトくらいサボろうよ」
「無茶言うな」
バイトとは砂塚の動画の制作手伝いで、7月の企画に向けてだんだん忙しくなりつつある。
現状は人集めと企画内容の詳細を詰めている段階だ。
だからりあむの相手もしばらくは最低限で済ませようと思っていたのだけれど……今ふと思った。
りあむご執心のアイドル達を企画に巻き込めないだろうか。
さっき弱小事務所とか言ってたし、そこまで無下にはされなさそうな気がする。
砂塚はビジュアル的な華やかさ、要は女性の参加者が欲しいと言っていた。
ただ当てが少なくて、同業者、つまり動画配信者くらいしか出てもらえないかもしれないそうだ。
それにバーチャルファッションショーもネタ衣装だけでは限度があるので、是が非でも綺麗どころの数は欲しい。
「ふんっ。じゃあもういいや。さっさと陽キャに焼き殺されてしまえー!」
「待った待った。ちょっと話をしてみる」
「えっ? 誰に?」
「バイト先の友達。もしかしたらその友達と行けるかもしれない」
「ふえっ!? ぼくまだそこまでは言ってないよ!? そりゃあ
「聞いてもいない自白をありがとう。まあそれはそれとしてとりあえず情報が必要だな。これがライブのチラシ?」
「お、おう」
「ホームページもあると。ざっとは調べられるかな。映像は……探せばネットにあるか」
「
「あっ、今日はりんごフェスタが先だった。行きながら考えよう。じゃありあむ、もしかしたらライブに案内してもらうかも。また連絡する」
「こいつはほんと人の話を聞かないな。やれやれ、自分勝手なやつだ」
自分を棚に上げることにかけてはきっと日本でも有数なりあむを無視して、俺は立ち上がる。
用事はさっさと済ませてしまおう。
これからやらなければならないことがたくさんあるのだから。
りんごフェスタの会場は駅近く、複合商業施設のビルの中だった。
フェスタと聞いたときは屋外で大々的にやるのかと思ってしまったけれど、ビルの中央、吹き抜けのイベントスペースに各業者が出店しているのが今回のりんごフェスタの実態だ。
地方の物産展がおしゃれになって腰を下ろして飲み食いできる場所も直ぐ側に付いている感じだろうか。
とはいえ若い女性に流行りのネタ。
空気と、匂いが違い過ぎる。
飲食スペースでは制服の女子中高生や私服の女子大生ぽい人たちで溢れていて、社会人も普通にいそうだ。
ただみんな席で一様にスマホ撮影しているのは不思議な光景と言えるのかもしれない。
お目当てのりんご農家はあっさり見つかった。
元々広くないし、チラシに印も付けられていたから迷うまでもなかった。
何より、この華やかな場所で不釣り合いにも程があるレベルな姿の中年のおじさんの存在。そのへんのスーパーにでもいそうだ。さらに絶対これ物産展と間違えて参加しただろと感想を言いたくなるような『山形のりんご』と書かれた旗。
ここだけ周囲とは一線を画した空気を作り出している存在感に、近づくには別の意味での勇気が必要だった。
「あっ、どうぞこれ山形のりんごです! 一口食べてみてください!」
そして話しかけるよりも前に、目の前の店員らしき、赤いエプロン姿な女の子から声をかけられてしまう。
流れのまま差し出された爪楊枝付き一口サイズのりんごを手に取って口に含むと、爽やかな甘みが口の中に広がった。
「思ってたより甘い。こんな時期なのに」
「そうなんです! うちは保存技術がしっかりしてるんで、旬じゃない時期でもこんなに甘いりんごが食べられるんです!」
セールストークの類ではあるんだろう。
けれど店員の女の子は本当に嬉しそうで、これは勘違いして買ってしまう客がいてもおかしくないと感じさせるような華のある笑顔だった。
見た目からしてきっとアルバイトなんだろうけど、販売員として将来有望だなあとどうでもいい感想が浮かんだ。
しかし今頭の上にある謎の双葉がぴんと立ったのは何だったんだろう。
「お気に召したならもっと甘さを感じられるりんごジュースもいかがですか? 他にもゼリーとかいろいろありますよ?」
「えっとそうじゃなくて、あ、おいしかったのは嘘じゃないんですけど、あちらが辻野さんですか?」
「父ちゃん?」
「は、はい。私が辻野ですが、どちら様でしょうか?」
目の前の店員さんは娘だったらしい。
ニコニコしながらやり取りを眺めていた中年のおじさんが、我に返ったように俺を見る。
この笑顔には見覚えがあった。どこで見たって、得意げな父に見せられたクラウドファンディングのページだ。
父の自身の正当化のために延々と解説を聞かされたので、セットで記憶に残っている。
「ええと、氷川の息子ですと言って分かりますか? あの、クラウドファンディングの件の」
「ああ! 氷川さんの! どうぞよくいらっしゃいました!」
我ながら微妙な自己紹介だけれど、他に言いようがないので仕方ない。
しかし相手には十分だったようで、一瞬でその目に理解の色が浮かんだ。
「聞いてるか分かりませんが父が出張中で東京にいなくて、代わって来ました」
「はい、メールで今朝方に伺いました。おそらく息子さんがいらっしゃると。わざわざご足労いただき本当にありがとうございます」
「いえいえ、とんでもないです。こちらも何度もりんごを送ってもらっているので、これくらいは」
「それでもわざわざご丁寧にありがたいことです」
なんだろう。年上の、それも推定親と同年代の大人から下手に出られるのってすごく居心地が悪い。
しかも自分はただの代理で、何もしていないのだから尚更だ。
もちろん相手が示しているのは俺ではなく俺の父に対する敬意なのだけれど、それでも気持ちのいいものではないことは確かだった。
「娘のあかりです。せっかく東京に出る機会だということで連れてきました」
「は、初めまして! 辻野あかりです! 中3です!」
「あ、こちらこそ初めまして。氷川
釣られて俺も自己紹介をしてしまう。
中3だったのか。ぱっと見は高校生くらいだけれど、確かによく見ると顔には幼さが残っている。
茶髪で身長が160くらいあって、印象としてはとても健康的に見えた。頭の上でぴょこぴょこ動く謎の双葉は髪型なのか触覚の類なのかなんなのかよく分からないけれど、少なくともさっきの接客する姿は看板娘という言葉がぴったりだ。
父ちゃんという呼び方は失礼かもしれないけれど田舎の女の子という感じで、微笑ましいとはこういう気持ちなのかもしれないと勝手に思ってしまった。
「さてこのままではなんなので、あかり、あれ出して」
「あれ? ……あっ、はーい! えーっと……」
娘のあかりさんが出店の裏に回って棚の下の覗き込む。
もしかしておみやげでもくれるのだろうか。普通にありそうだ。
そうすると一度実家に戻って置いてくる必要があるけれど、まあ動かぬ証拠を揃えて業務終了連絡に行くのもいいかもしれない。
何より今日の分の報酬が全く示されていないのだから。
「はいっ、どうぞ!」
「えっ? これは……エプロン?」
「本当にありがたいことです。わざわざお手伝いまでしていただけるなんて」
完全にしてやられた。
最初からそういう話だったのか。
目の前の親子はニコニコと全く邪気の見えない笑顔を俺に向けている。
知っていたのか知らないのか、商売人なのか純粋なのか、少なくともこの空気で断る勇気を俺は持っていない。俺はりあむと違って空気を読めるんだ。
俺はすっぱり諦めた。すぐさま笑顔に切り替えて差し出された赤いエプロンを受け取る。
エプロンを広げてみるとこれはデザインが悪いとかじゃなくて芋っぽい、いや家庭っぽいというか、りんごフェスタの雰囲気とは完全に方向性が違っている。
地に足がついていると言えば聞こえはよいけれど、どちらかと言うと非日常空間なこの場所で浮いてしまうのは当然だ。
よし、乗りかかった船ではないけれど、こうなったら半端なことをして後の報酬にケチをつけられるよりは覚悟してやり切ってしまおう。
中途半端に恥ずかしがる姿はものすごくかっこ悪い、というのはチッチ君動画をやっていて学んだことだった。
「マジでおみやげをこんなに買うとは」
「いーぢゃん☆ 事務所のみんな喜んでくれるぽよ」
「りんごりんごりんごジャパン! 駄菓子もいいけどたまには違うのはいいっしょ!」
ギャルっぽい三人組の学生が帰って行く。
大量に買ってくれて本当にありがとうとしか言いようがない。
あれが本物の陽キャという人種か。
確かにりあむとはあらゆる意味で真逆と言えるんだろう。
「はー、都会ってすっごい」
「東京は学生さんでも大人買いというやつをするんですなあ」
「事務所とか言ってたし、きっと経費で落ちるんでしょうけど」
笑顔で見送った後、親子は我に返って呆然と眺めている。
さすがにああいうのは東京でも多数派ではないと信じたい。
ギャルのレベルなんて分からないけれど、あれはきっと芸能人クラスだろう。モデルとか。
間近で接していて華やかさのレベルが異次元に違った。
「でも氷川さん、あんなにキラキラした人たちに話しかけに行けるんですね。私それがすごいって思っちゃいました」
「違うよあかりちゃん。むしろ逆。ああいう人たちの方がかえって話しやすいんだ。なんたってコミュ力があるから、波長を合わせればすごくやりやすい」
「そ、そうなんですか」
なまじ実感があるので言葉に力が入ってしまった。心なしかあかりちゃんが若干引いているような。
でもそれは事実で、りあむをこの一年相手にしていてつくづく感じている。
言葉通りの会話をできるのがどれだけ幸せなことか。裏を読む必要もなくストレートに会話すればいいというのがどんなに楽なことか。
まあ最近は気を利かせるのを止めたので、りあむから性格が悪くなったと文句を言われているけれど。
ちなみのあかりさんは恥ずかしいのでやめてくださいと言われてあかりちゃん呼びに変えている。
初対面だったのにもう完全に親戚のお兄さん状態だ。
「おかげでだいたいはなくなりましたな。あかり、せっかくだからそのへんを見ておいで。休憩ついでに遊んできなさい」
「父ちゃんいいの!? 行ってきます!」
喜びのままあかりちゃんは飛び出して行き、すぐに無言で戻って来る。
そしてエプロンを脱いで畳んでから財布と会場のチラシを手にして、再び駆け出していった。
「どこへ行ったらいいか分からなかったんでしょうな」
「でもすぐに戻ってくるあたりは冷静ですね。ちゃんとエプロンも脱いでるし」
「そのへんはあの子の性分ですなあ。特に最近は今自分のするべきことは何かと考えるそうで」
「ずいぶんしっかりしてますね。中学生なのに」
「親としてはもう少し子どもらしくてもいいと思うんですが、それではいけないと思ってしまったようで。あの台風の後に」
「なるほど」
我が家では表面上だけ家庭崩壊の危機だったクラウドファンディング事件だけれど、俺の隣のりんご農家にとっては文字通りの死活問題だ。
実際に見たわけではないので知ったような口をきけないとはいえ、当事者にとっては相応に考えさせられることがたくさんあったんだろう。
「もう完全に危機は脱しまして、氷川君のお父さんのおかげですが、ですからあの子も年相応に自分のことだけを考えていいと思うんですわ。わざわざ東京に連れてきたのもいい息抜きにならんかと」
「じゃあ今楽しめてるといいですね」
「そうですなあ。あの着ぐるみと遊んでいる女の子くらい楽しんでもらえれば連れてきた甲斐があると言えるかもしれませんな」
辻野さんが指差した先にいるのはなんとぴにゃこら太だった。
そのまがい物であるチッチ君としては正直なところ近づきたくない存在だ。
もちろん向こうがこちらの存在を知っているはずもないし、完全に原形を留めていないので万一突っ込まれてもしらばっくれることに躊躇はない。
そもそもその話は俺と砂塚と最終形をデザインした人間くらいしか知らないことなので、ただ単に俺が一方的に後ろめたく思っているだけなのだ。
「確かにすごく楽しそうですね。楽しそうと言うか嬉しそうと言うか」
「東京でもああいうゆるキャラは人気があるんですな。どこがいいのか年寄りにはさっぱりですが」
「でもあれはあれで珍しい気がします」
ぴにゃこら太には一人の女子高生くらいの女の子が抱きついていた。それも嬉しそうに。
正直何かがおかしい。ぴにゃこら太はそのとぼけた顔がブサイクだとして有名なマスコットなんだけれど。小学生が『ブサイクブサイク!』と囃し立てて体当りしていくような。
女子高生が喜んで抱きつくようなかわいいゆるキャラ、マスコットならもっと他にたくさんいるはずだ。
そのまま会話も途切れ、なんとなくそのセミロングの女の子がぴにゃこら太と戯れる様子をぼんやり眺めていると、不意に女の子と目が合った。
するとその女の子は俺を睨む。
しまった。見過ぎた。
距離もあってそんなに長い間でもなかったと思うけれど、大人の男二人から見られ続けてしまってはさすがに不愉快に感じるのも仕方ない。
しかもこの場はりんごフェスタという女性メインの空間だ。二重にまずかった。
慌てて目を逸らすも時既に遅く、女の子が真っ直ぐこちらへと向かってくる。
直接文句を言われるレベルだったか、と反省を覚えつつも、やってしまったことは仕方ないのでとりあえず謝るしかない。
覚悟を決めて迎えるべく女の子を見ると、幸いなことに、と言っていいのかは分からないけれど、女の子の顔に怒りの感情はなかった。
むしろ真剣な顔と言っていいのかもしれない。
どうせ怒られるなら冷静に叱られた方が気は楽だろうか。それともかえって辛くなるだろうか。
女の子は俺の前に立つと、まっすぐに俺を見据えた。
「あの」
「はい、なんでしょうか?」
多少の距離があったおかげで心の準備はできた。さあこい。
「チッチ君の声の方ですよね?」
「えっ?」
「動画を見ているので分かります。チッチ君ですよね?」
完全に死角から殴られた。
ピンポイントで特定されている。
あの動画でしか声を出してない一般人なのに、リアルでの声バレってあり得るのか。
「さっきから接客をしている声ですぐ分かりました。よく通る声で耳に優しくて聞き覚えがあったんです」
「いや」
「動画と一緒でしたよ。呼びかけ方とか、相槌を打つ感じとか」
女の子は完全に確信を持ってぐいぐい来る。
確かにその通りなのだけれど。
砂塚はチッチ君のキャラを俺の素に合わせて作っている。
なるほど、演技とは違うので俺が普通にしていたらバレることもあるのか。
「あー、その通りです」
「やっぱり!」
「分かるものなんですね。あの動画に出てるだけの素人なんですけど。いや、むしろ素人だから分かりやすかったですか?」
「確かに演技ではなかったからというのもあるかもしれません」
「なるほど。そうすると気をつけようがないな……」
「あっ、別に変だとかそういうことは全然ないですよ! 動画では十分自然だと思います!」
もちろん俺が気にしているのはチッチ君の評価ではなく、今後リアルバレすることの可能性についてだ。
ネットの世界はリアルとも繋がっている、という当たり前の事実を今初めて思い知らされた。
「ありがとうございます。今後もチッチ君動画をよろしくお願いします」
「はい、それはもちろん。えっと、それで……」
「何でしょう?」
女の子は恥ずかしそうに言い淀んだ。
もしかしてサインでも欲しいんだろうか。生憎とチッチ君にそんなものあるわけがないのだけれど。
俺のリアルについては全力で拒否する。これは絶対に譲らない。写真とか論外だ。
「もしチッチ君に会えたら絶対に伝えたかったことがあって」
「はい」
女の子は顔も赤くなってきた。
あかりちゃんがかわいい系ならこの女の子は綺麗系に分類されるだろうか。
なのに顔が赤くなっただけでかわいさの方向へと振り切って十倍増しになるのだから、本当に女子という生き物は恐ろしい。
これはもしかしたら傍目には愛の告白をしているように見えるかもしれない、なんてどうでもいい感想が浮かんだ。
やがて意を決したらしい女の子は左腕を広げ、流れるような動きで元いた場所を示す。
その姿はとても様になっていて、たったそれだけなのに俺は見入ってしまった。
何者だこの子はと思わざるを得ない。
「チッチ君とぴにゃこら太って、すごくお似合いだと思うんです!」
「へっ?」
「しっかり者のチッチ君と癒やし系のぴにゃこら太。二人並んだらとても素敵なカップルですよね!」
もう終始予想外の方向からこの女の子に殴り続けられて、完全にサンドバッグ状態だ。
それマジで言ってんの君のセンスどうなってんのとか、もしかしてチッチ君のこと理解してわざと言ってんのとか、そもそもぴにゃこら太って性別女だったの『太』ってついてるんだけどとか、いろんな感情が俺の中で渦巻いてぐるぐる回っている。
けれどその子のキラキラした笑顔を見ていたら、なんだかどうでもよくなってきた。
「チッチ君はバーチャルな二次元の存在だから、リアル三次元のぴにゃこら太とカップルになるのは難しいかな」
「ええっ!?」
本人にとっては予想外の返答だったようで、ようやく一本取れた気がした。