限界灰域のデトリタス   作:小栗チカ

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プロローグ

ここは廃都。

人の飽くなき夢と欲望とが行き着き、唐突に途絶えた、その成れ果ての地。

陽光は、群れてそびえる建物と灰域によって遮られていつも薄暗く、紫に白に発光する謎植物が生い茂る様は、この世の光景とは思えぬほどだ。

初めて任務でここを訪れた時、一緒にいた仲間がこんなことを言っていた。

 

「まるで深い海の底だ」

 

私は海の底を知らない。

そもそも、海を見たことがない。

水辺と言えば、ここよりさらに奥にあり、私たちが暮らす深層と呼ばれる場所の大きな湖が思い浮かぶ。

灰色と紫に煙る空と、武骨な建物が突き刺さり、わずかな日の光を反射しながら揺らぐ水面。

風が吹けば濡れた土と水の匂いを感じ、水面を揺らして陸地を洗うその音。

私の好きな場所だった。

かつてミナトにいた頃のお気に入りの場所、任務で度々訪れていた鉱山の下流域と少しだけ似ていたから。

だから、興味を覚えて、独り言だったろう彼の台詞に反応した。

 

「海の底、知ってんの?」

「いや、子供の頃に見た映像記録でしか知らないよ」

 

彼は、フードに手を入れて頭をかいた。

私と同じく、ゴーグルにマスクをつけたその表情はわからない。

彼が言うには、彼の生まれ育ったサテライト拠点は、この地の環境や生態系を調査、研究をしていた場所だったらしい。

 

「その時に見た深海の映像と雰囲気が似ていてさ。ここを舞う灰と光が、まるでマリンスノーのみたいだなって」

「マリンスノー」

「海底に降る雪。こんな感じの綺麗な風景だよ。ま、その正体は生物の遺骸や排泄物、分解物の欠片らしいけどな」

「せっかく綺麗めの名前なのに、それを言っちゃうかー」

 

私が呆れ半分で言うと、彼は肩をすくめた。

 

「ぶっちゃけこの灰は、喰灰の排泄物のようなもんだ。食ったら出す。当たり前のことだろ」

「そうだけどさー」

 

彼の言葉に、この現実味のないせっかくの風景が途端に色褪せそうだった。

 

「グレイプニルがしきりに灰域を浄化するだの、清浄な土地を手に入れるって言ってたの、そういうことなの?」

「さあね。俺らを踏みつけにして悦に入っている連中の考えなんて知らんよ」

 

彼は、感情を感じさせない声で応えた。

私たちがそうして無駄話をしている間にも、ゴーグルの向こうでは、白く輝く粒子が降り注ぎ続ける。

彼は顔をあげた。

 

「この灰がさ、天と地のどこにも安住の場所がなくて、沈むしかない俺たちのようだなって、ここに来る度に思うんだよ」

 

彼の言葉が寂しげに聞こえたのは、この風景によるものか。

人類の天敵アラガミを屠る術を持ち、灰域に対抗する肉体を持つ、地上でも力のある生物の一つとも言える私たちだが、実際は、数多いる人やゴッドイーターたちに虐げられ、使い捨てられる存在だった。

と、比較的大きめの粒子が目の前に降ってきて、おもわず手に取る。

しかし、それはあっさりと形をなくして消え去ってしまった。

ああ、なるほど。

彼の言わんとするところは理解できた。

でも。

でも、世界と人の有り様を嘆いたまま沈んで消えていくのは、ちょっと悔しいなとも思った。

彼に歩み寄り、その背を軽く叩く。

 

「ほら、元気だして回収作業の続きしよ。この仕事終わったらマリカも交えて一杯奢るからさ。ね」

「それ、お前が飲みたいだけだろ」

 

寂しげな様子が消えて彼が笑った。

ちょっとだけホッとして言葉を続ける。

 

「そうだよ。ここに来てから覚えたけど、あれはいいものだねい。いらないの?」

「いる。せっかくの奢りだ。高いの頼もっかな」

「子どもがいるんで、お手柔らかにお願いしたく」

「子持ちは大変だねぇ」

「子持ち言うな」

 

言い返した時、通信が入る電子音が鳴った。

 

《潜航開始から十五分が経過》

「おっと、少しピッチ上げたほうが良さそうだな」

「そうだね」

 

彼は長刀の神機を肩に担ぎ、気を取り直したように言った。

 

「んじゃま、引き続き灰底(かいてい)探索を続けますか」

「オッケー。案内よろしくね、センパイ」

「ほいきた。しっかり着いてこいよ、コウハイ」

 

私も神機を担ぎ並んで歩き出した。

 

 

ここ数十年の人類史を、少しだけおさらいしよう。

二千五十年代に、突如として現れた神の名を冠する人類の天敵『アラガミ』に対し、人類は、アラガミに攻撃可能な生体兵器『神機』と、それを操る兵士『ゴッドイーター(GE)』を生み出し、押し迫る人類存亡の危機を辛くも切り抜けてきた。

しかし、二十二世紀が視界の端に見えるようになった頃、空気中を漂い、あらゆるものを喰らって灰にする未知なる脅威『灰域』が各地で発生。

この脅威に対し、かのGEの力を持ってしても及ばず、GEを束ねていた『フェンリル』による体制もついに崩壊。

後に『厄災』と呼ばれるこの事態を皮切りに、守護者を失った人類は、再び存亡の危機に瀕していた。

しかし、それでも生き延びた人々は、各地で地下拠点『ミナト』を建造。

さらには、灰域に対抗する対抗適応型ゴッドイーター、通称『AGE』を生み出す。

そしてこの地では、フェンリルの生き残りによって組織されている『グレイプニル』を中心に、地表を覆う脅威に抗い続けていた。

 

月日は少し流れ、クリサンセマムの鬼神と呼ばれるAGEと、その仲間たちによってフェンリル本部を取り戻した人類は、この灰域を浄化しようと『灰域捕喰作戦』を決行することになった。

しかし、灰域を捕喰する兵器『オーディン』の起動にはAGEの力が必要であり、しかも起動したが最後、AGEは消滅してしまうものだった。

このお達しに、虐げられ続けたAGEたちは当然反発し、各地でグレイプニルに対して反乱を起こした。

私たちがお世話になっていた、AGEのみで構成される武装集団『朱の女王』も、その渦中に飛び込むことになった。

しかし、朱の女王は劣勢状態となり、私と子どもたちは、お世話になった人々や友人、仲間に見送られて拠点を脱出することになったのだ。

悲観的でロマンチストだったあの彼は、彼女と共にベースに留まって戦うことを選択した。

てっきり二人で逃げるものと思っていたが、二人は厄災が起こった頃からここのお世話になっていて、今更離れられないと告げた。

逃げる当日、神機を担いで見送りに来た二人は、表向きはいつも通りだった。

 

「まあ、ビビって土壇場で逃げるか、投降するかもしれないけどな」

「その時は、私にもちゃんと声かけてよ」

「もちろん。俺、運ないじゃん。一人だと絶っ対にやらかすか、絶対に巻き込まれる自信あるぞ」

「そんな自信はすぐに捨てろ」

 

自分の運のなさを、何故か自信満々にアピールする彼に私が突っ込むと、ゴーグルの向こうの目が笑った。

 

「だから、マリカの側にいてその強運にあやかろうと思っているんだ」

「あんたの運の悪さと、引きの弱さはわかってるからね。仕方ない。相席を許そう」

キッティ(ありがと)。マジ頼りにしてっから」

 

そう言って、彼は彼女にくっついた。

仲がいいのは結構だが、今日この日まで見せつけてくれるな、このカップルどもめ。

見守る子どもたちの視線を受け、私は手を差し出した。

 

「じゃ、私は行くよ。二人とも仲良く元気でね」

ナハダーン(またね)、サイカ」

「またみんなで飲みに行こうな」

 

そう言って握手をし、お別れとなった彼らの心には、どんな思いがあったのだろう。

生きてまた会えたら、三人でお酒を飲みながら話を聞きたい。

私は生き延びることを改めて決意する。

途中で脱出ルートへ誘導していた顔見知りの女AGEと会った。

 

「そっか、お前も逃げるクチか」

「うん。……ゴメンね」

「いや、責めてるわけじゃねえよ。お前らがここで沈むには、若すぎるからな」

 

子どもたちを見て笑って言う彼女もまた、私よりも若いのに。

口が悪くて、戦闘においては真っ先に先陣を切る猛々しさもある反面、子ども好きで仲間思いの優しく不器用な女性だった。

 

「あんたは残るんだね」

「ああ。ここには事情があって逃げられない連中もいる。守ってやらんとね」

「そう。くれぐれも気をつけて」

「お前らもな」

 

握手をして彼女と別れ、逃げる人々で混雑する道を進んだ先で会ったのは、このベースで唯一、子持ちのラベルを無視して私と寝る関係となった男だった。

彼もまた、脱出ルートを案内をしているらしく、それが済んだら逃げると言っていた。

そうして案内された先は、建物と建物間にある人気のない細い道路だった。

疑問に思って尋ねると、主なルートは人がいっぱいで進むに時間がかかり、ルートを分散して案内するよう、伝えられているとのことだった。

 

「ここを道沿いに進めば廃都へ出る。まだ連中はここまで来てはいないが、そう長くは持たんだろう。急ぐに越したことはないが、大型のアラガミも多く潜んでいる。気を付けて進め」

 

そして、手持ちのポーチから平たい箱を取り出し、私に差し出した。

 

「持っていけ。最悪の事態を回避するお守りだ」

「指輪の類いじゃなさそうだけど」

「それはそれでロマンだが、残念ながら指輪で最悪は回避できんよ」

「だねい」

 

私は小さく笑って受け取り、箱の中身を確認して思わず息を飲んだ。

 

「ちょっとこれ」

「火事場のどさくさに紛れてちょろっとな」

 

彼は、いつもの爽やかなお兄さんの笑顔ではなく、不敵で、イタズラを成功させた子どものような笑顔を見せた。

箱の中身は、正規のルート以外では一般のAGEには決して手に入らない、厳重に保管されているはずの代物だった。

それを土壇場とは言えくすねた彼は、一体何者なのか。

私は、よほどのシロモノでない限り、男から求められれば寝れる女だ。

男の素性や属性は全く気にしない。

しかし今回ばかりは、彼の素性と、ここまでしてくれる理由を聞き出したい欲求にかられた。

 

「……お礼をといきたいところだけど、そんな時間はなさそうだね」

「その体に未練はあるが、今は互いにこうしている時間も惜しい。早く行け」

 

私が気付いたように、彼もまた気付いていたのだろう。

ベース全体を取り巻く空気が、さらなる混乱と危機をはらんで飲み込もうとしている様を。

私は箱をポケットへしまうと、神機を軽く持ち上げた。

 

「わかった。それじゃ、また今度ね」

「ああ。気を付けてな」

 

これから任務に行くようなノリで挨拶をし、笑って手を振る彼に背を向け、廃都へ向かう道を進み始めた。

不安がないと言えば嘘になる。

でも、きっと大丈夫。

私は子ども四人を連れ、ペニーウォートの灰嵐を凌ぎ、生き延びることができた。

だから、今回もきっと乗り越えられるだろう。

楽観と慢心と無責任を鍋で煮込んだ、ベリーのジャムより甘い平和ボケした考えでこの旅に臨んだ。

だが、ここはただの灰域にあらず。

私たちAGEでも、灰域適応技術がなければ数十分ともたずに飲み込まれる限界灰域。

おまけに、人同士の戦乱がこの地に及ぼうとしていた。

みんなを守る。

みんなで生き延びる。

それがいかに困難なことであるか。

この時の私はそれを正しく知らなかったし、それどころではなかった。

やはりベース(ここ)はダメだった。

ならば、自ら選んで進むと決めた目的地で、今度こそ私の望みを果たすのだ。

 

廃都へ進んだものの、当然一筋縄ではいかなかった。

倒壊した建物や車、瓦礫の山、陥没した道路は行く手を阻み、濃い灰域は視界を狭め、耐性のあまりない子どもたちの体力を着実に奪い取った。

極めつけは、廃都一帯、灰域を耐え抜いた精鋭とも言えるアラガミが、我が物顔で闊歩する巣窟になっていることだった。

障害物を乗り越えたり、アラガミをやり過ごしたりしながら進むが、大人のAGEですら難しい道のりだ。

子どもへの負担は相当なものになっており、こまめに休憩を挟み、励ましながら時間をかけて安全確実に前進する。

そして今また、足止めを食らっていた。

私たちがこれから進もうとしている道路に、白くしなやかな大型のアラガミが、小型種を貪っているのが見えたからだ。

私一人では、子供を守りながら戦うことも勝つこともできないであろう。

古代の英雄の名を持つ白き炎のアラガミ、ハンニバルだった。

瓦礫の山に隠れながら、私たちはハンニバルの様子を見守る。

 

「サイカ、みんなの息が切れている。進むペースを少し落としてほしい」

 

傍にいた最年長の子どもの発言に、私は頷く。

 

「うん、分かってる。でも、アレをやり過ごした先に休憩所があるから、今日はそこまで頑張ってほしい」

「あれ? 今日はもうおしまいか?」

 

左脇にいる別の子どもの発言に、私はさらに頷く。

 

「今日は様子見と慣らし運転のつもりでいたからね。今日は早めに休んで、明日以降頑張ることにしよう」

 

言って私は、体をひねって背後に寄り添うお下げ髪の子の顔に手を触れた。

 

「大丈夫? 痛いところはない?」

「ウィ。でも、ここで少し休めてちょっと良かったかも」

「ゴメンね、無理させて。でも今日は後もう少しだからね」

「まだ大丈夫。頑張って着いて行くよ」

「メルシー。頑張ろうね」

 

マスクとゴーグルに覆われた顔を撫でると、彼女は頷き、私は再び前を向いた。

ビルとビルの狭間に差し込む光は、灰域に霞みながらもオレンジ色の光を投げかけてくる。

マスクをとって水を一口飲み、再びマスクをつけて前方へ注意を払う。

 

「サイカー、行ったよ」

 

小声で言うのは、背に背負う最年少の子どもだった。

小型種を跡形もなく貪り白い巨体が、ビルの向こうへ姿を消し道が開く。

今が通過するチャンスだ。

 

「よし、みんな行くよ! 集中してね」

 

私と子どもたちは、瓦礫の山を越えて再び前進を始めた。

 




ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
誤字脱字言い回し等、修正がありましたら都度修正します。
こちらでお知らせなどを語っておりますので、よろしければご覧下さい。
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