暗闇の中で声がする。
目をそっと開く。
ここはあのミナトの牢獄。
私が育った、人の弱さと悪意の吹き溜まり。
「無理だな」
浅い眠りから目が覚めた私は、聞こえてきた先輩たちの声に耳を傾ける。
「今の俺たちでは、この子たちに安心できる場所を与えられない」
昼間の先輩からは想像もできない弱く悲しげな声に、眠ったふりをしながら私も悲しくなった。
「俺たちは所詮は隷属の身。どんなに頑張っても外側が変わらない限り、何かしらの奇跡が起きない限りは無理だろう」
「……じゃあ、どうするの?」
暗い声で言うのは、先輩を助ける女の先輩だった。
やはりその声は、いつもの優しくたおやかなものと違っていて、涙と感情で揺れている。
「……一か八かで連中の作戦に乗るつもりだったが、今日死んだそうだ。隣のガキが目を真っ赤にして言ってた」
「……そう」
先輩が身じろぎする気配を感じた。
「しかも、自力でエンゲージしたとか何とか言っていてな。……多分、これを機に監視の目も厳しくなる。……消耗戦だよ、フリーダ。何の報いもない戦いの始まりだ」
「エーヴェン……」
静かに泣き崩れるフリーダ先輩。
「灰域への耐性が低い俺たちは、近いうちに間違いなく死ぬだろう。だがそれでも、命が続く限り戦い、この子たちを守り続けよう。暗闇の先にある未来に、この子たちを託せる人と場所が現れることを信じて、GEらしくな」
エーヴェン先輩が優しく、しかし途方も無い悲しみと覚悟を湛えて言った。
私は目を閉じた。
涙があふれ、起きていることをバレないように粗末な寝床に顔を沈める。
記憶のない私を暖かく受け入れ、知識を教え、守ってくれた最愛の大人たち。
ずっと生きて、側にいて欲しかった。
その大きく温かい手を繋いで、暗闇を一緒に歩いて欲しかった。
だが、エーヴェン先輩はフリーダ先輩や他の仲間を庇って死に、庇われたフリーダ先輩は見る見るうちに精神的に追い詰められ、自殺同然に戦いの最中で死んだ。
嘆く私の手を繋いだのは、他の先輩や仲間や友人だった。
私たちは暗闇を進み続ける。
戦死したもの。
実験体として、どこぞのミナトに売られたもの。
役に立たぬと捨てられたもの。
アラガミと化して討伐されたもの。
そのたびに人は補充され、年齢に関係なく同じような命運をたどっていた。
いつしか繋ぐ手はなくなり、それでも暗闇を歩く日々は続いた。
そして、同期の男の友人が、体調を崩した友人を大型種から庇い、それを道連れに帰らぬ人となった。
看守の相手をして牢に戻ってきた私は、帰ってきた友人からその報せを聞いた。
「グンナルが死んだ。私を庇って、大型種を道連れにして」
血の気の全くない、真っ白な顔で友人は言う。
真っ白で無表情な整った顔は、まるで作り物のようで冷たく怖かった。
奥のベッドで寝ている仲間たちへ意識を飛ばすが、完全に眠っている。
今の私たちの姿を、誰にも見られたくはなかった。
「そう」
口に出た言葉は、私の内面の動揺とは裏腹に感情がなかった。
友人は構わず、あの言葉を言った。
「私たちでみんなを守るの」
みんなを守るために大人になるのだと。
一人では無理だけど、私たち二人ならきっと先輩たちのような大人になれる。
その言葉を信じ、約束した。
私は、友人のような子ども好きではない。
性格も子ども相手には向いていないと思ったし、そもそもどのように接すればいいかわからなかった。
だから、二人ならばと同意したのに。
「ロー! ローダンテ!」
無念のうちに、青空の下で息絶えた友人に私は叫ぶ。
「ちょっと止めてよ。一人じゃ無理だよ。私一人でみんなを守るなんてできないよ!」
灰域がローの体を食らっていく。
黒ずみ、その形を曖昧なものにしていく。
「どうすればいいの、ねえ? アルビンになんて言えばいいの? あの子、あんたのことを慕ってるんだよ。知ってるでしょ。あんたの体調が悪くて心配していたのに。それでも帰ってくるって言葉を信じて待っているのに!」
崩れてしまう。
消えてしまう。
例外なく、跡形もなく、何も残さずに。
「ロー!!」
そうして友人は、塵となって消えた。
どうやってミナトに戻ったかは、記憶が曖昧だ。
泣き崩れた私に、無線の向こうにいる看守は一片の情もなく帰還命令を告げ、それに従ったことは覚えている。
牢で待っていたアルビンは、私の常にない態度とローがいないことで、最悪なことが起こったことを一目で察したと思う。
私が感情なくローが死んだことを告げると、アルビンは息を呑み、そしてグシャリと顔を歪ませて涙をこぼし叫んだ。
「嘘吐き!!」
帰ってくるって言ったのに、私が守るからって言ったのに、嘘吐き! 嘘吐き!
泣き喚きなじるアルビンに、苛立った看守が罵声を浴びせたが、私は瞬間的に怒り、それに応答した。
「うるせえっ! 粗チンは黙ってろ!」
今まで一度も出したことのなかった腹の底からの大音声に、アルビンは泣き止み、看守も凍りついた表情で私を見た。
すかさず隣の牢のハンマー使いとその弟が、その看守に向かって何かを言って煽ったらしく、看守の苛立ちの矛先はそちらを向いた。
彼らの口汚いやり取りに構うことなく、アルビンの方を見ると、怯えた表情で私を見つめている。
びっくりさせた上に、怖がらせてしまったか。
やっぱり、子どもの相手は苦手だな。
私はギクシャクと体を動かして膝をつき、無理やり小さく笑顔を作って、涙もそのままにしているアルビンと目線を合わせた。
「突然怒鳴ってゴメンね。あんたに言ったわけじゃないから」
そして、頭を下げる。
「ローのこと、守ってやれなくてゴメンね。私たち二人して、約束守れなくて本当にごめんなさい」
声が涙で揺れる。
だが、私は声帯を引き締めた。
彼に頼みたいことがあったから。
それは、今この場でするようなものでは無いと思ったし、たった八歳の子どもへの頼みごとにしては、あまりにも酷くて恥知らずではあったけど。
「アルビン、あんたに頼みたいことがあるの」
私がそう切り出すと、先程の取り乱し様が嘘のような静かな表情で、アルビンは私を見た。
「何」
表情とは裏腹に、その声は涙で濡れている。
その声に一瞬ためらい、しかしその青い目を見据えて告げた。
「私を助けてほしいの」
私一人では、これから増える仲間を守ることはできない。
だからできる範囲でいい、私を助けてほしいと。
「こんな時に酷いこと言っているのはわかっているの。それでもお願い。アルビン」
頭を下げる私に、彼は沈黙した。
そうしてどれほど待ったか。
「わかった」
顔を上げれば、そこには表情なく私を見ているアルビンがいた。
アルビンは口を震わせながら開く。
「ローが言ってた。私が体が弱くても強くいられるのは、サイカのお陰なんだって。私が元気で戦いに専念できるように、サイカが汚いことも含めてお膳立てをしてくれていたからだって」
言いながら、その青い目に見る見る涙が溜まっていくのを、私は息を飲んで見つめた。
「だから、サイカが先頭に立ったその時は、俺にも手伝って欲しいって。私は体が弱くて支えられるか不安だから、手伝ってくれたら嬉しいって」
静かに泣きながら話すアルビンに、私は言葉をなくした。
あの子、そんなことを考えていたのか。
この胸を満たして溢れる感情を表現する言葉が、この思いを伝える言葉が見つからない。
アルビンは両腕を持ち上げ涙をぬぐい、そして睨むように私を見た。
「ローとの約束は守る。ローがいなくても俺があんたを支える。だから先頭に立って、みんなを守って生きろよ。そうでなきゃ、あんたたちのこと一生許さないからな」
アルビンの覚悟に私は頷き、ありがとうと、そう一言伝えるだけで精一杯だった。
今に続くアルビンとの関係は、ここから始まったのだ。
時折他の牢の仲間にも助けられながら、徐々に増える子どもたちの手を引いて暗闇を進む。
そして、あの運命の時を迎えた。
脱出のタイミングが悪かった私たちは、救助の船に乗ることが出来ず、灰域をさまようことになった。
休憩しようと瓦礫と神機の盾を壁にして子どもたちを匿っていた時、ヴェルナーさんが見つけてくれたのだ。
それはまさに奇跡。
ヴェルナーさんに導かれ、ようやく人並みの平穏な日々を得ることができた。
先輩たちが話していたことを思い出す。
『暗闇の先にある未来に、この子たちを託せる人と場所が現れることを信じて』
もしかしたら、それはヴェルナーさんでありここでないのか。
だが、頭の醒めた部分はその考えを即座に否定する。
アレは、理想と呼ぶには足元があまりに疎かで、義憤と呼ぶには抱える怒りがデカすぎる。
針で突けばとたんに爆ぜる虚ろな風船だ。
爆ぜたらその被害は尋常なものじゃないのに、それを諌める奴も止める奴も尻拭いする奴もいない。
ここは、後先考えずに感情に任せて突っ走る、身体がデカくて青臭えガキの溜まり場。
アレはその中でも、多少の管理経験があるに過ぎない。
なあ、サイカ・ペニーウォート。
揺らす手はあっても止める手のない揺りかごに、安心してガキをのせられるか?
違うことはわかっていた。
だが、それでも淡い期待を抱いたのは、間違いなく私の弱さからだ。
期待は裏切られ、人同士の戦いという現実となって私に選択を迫った。
選択の結果はご覧の通りだ。
あの暗闇の底で先輩たちが望んだ人と場所と未来は、未だ見えない。
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誤字脱字言い回し等、修正がありましたら都度修正します。
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