比較的昇り降りのしやすい場所を見つけ、瓦礫の山を超えることになった。
べソをかくダニーを荷物とともに背負い、足場を確認しながら登っていく。
クロエ、ビャーネ、アルビンの順で手を貸しながら、みんなで瓦礫の山の頂上に立った。
高さは大したことはなく、見える景色も今までの風景とさほど変わらない。
西の地平に沈もうとしている太陽の光と、それを遮る灰域を背景に、紫の光が砂埃とともに宙に舞っている。
霞む視界の向こうに、アスファルトが辛うじて残る道路と、残骸と化している道路設備、謎植物、装甲壁の崩れた小規模のサテライト拠点だったと思しき廃墟が見えた。
「雰囲気、変わらないね」
「そうだね」
私の足元にしゃがんで瓦礫に掴まるクロエの言葉に私は頷く。
予想通り、ここから先もしばらくは限界灰域が続くようだ。
私の右隣に立つビャーネが、双眼鏡で周囲を見ながら唸った。
「んー、見えねーな」
「何が?」
「廃墟から先。真っ白だ。霧か?」
「廃墟のアラガミはどうだ?」
アルビンの問いかけに、ビャーネは双眼鏡を覗きながら答える。
「チラホラいるっぽい。見える範囲では小型種ばっかだ」
「巣になってるか」
「この辺り、巣になるような所なさそーだからなー」
アラガミも、安心安全な住処を望んでいるということだろうが、何とも複雑な気持ちになった。
ビャーネ越しに、アルビンが私を見た。
「どうする?」
「あの廃墟を今日のキャンプ地にしたいところだね」
「となると、アラガミ連中には全員、出て行ってもらう必要があるけど」
「仕方ない。もうひと頑張りしますよ」
言うと、アルビンは小さくため息をついたようだった。
「強盗みたいだな」
「話し合いのできる連中だったら良かったんだけどねい。とりあえず、ここから降りようか」
そして瓦礫の山を気をつけて下山し、子どもたちも無事に航路に降り立った。
右手に神機、左手を腰に手を当て、暮れなずむ景色眺める。
「日が暮れるな」
私は目を細め、低く厳かに呟く。
「灰域がなければ、たとえ地は荒れ果てようとも、美しい夕暮れの空を臨むことができただろうに」
戸惑う二対の視線を感じつつ、シリアスな権力者──イメージは深層で発掘した歴史ドラマだ──の小芝居を始める私。
「ビャーネはいるな」
「ハッ。ここに」
芝居じみた調子で言いながら、すかさず背後に控えるメガネ。
本当にノリのいいヤツである。
「ダニーの荷物を運んでもらいたい。できるな」
「イエス、マイ ロード」
「ねえ、ダニーの荷物頼むのに、その小芝居必要?」
冷静に突っ込むクロエと、複雑な視線で私を見るアルビンは無視し、手に持っていたダニーの荷物をビャーネに渡した。
すると、今までダンマリしていたダニーが動いた。
「ビャーネ、
「いいってことよ、坊ちゃん。んん?! 結構重い?!」
「大丈夫か」
「ヨー。たまには力仕事もせんとね」
アルビンに笑って答えるビャーネだが、今回初めての荷物持ちだ。
いきなり無理をさせるつもりはない。
「この先の廃墟を目標に頑張ってみようか」
「オッケー!」
「よし! 辛くなったら言ってね。行くよ」
子どもたちは返事をし、私たちは廃墟を目指して歩き始めた。
航路を横切るアラガミをやり過ごし、不運にも遭遇したアラガミを順当に討伐しつつ、日没の時間が迫るに従って輝きを増す植物を避けて道を進み続ける。
「なあダニー、お前の荷物、何入ってんだ?」
尋ねるビャーネに、ダニーは身動きをした。
「うんとね、水とうとー、着がえとー、食き。それと、ねぶくろでしょ。タオルと、歯ブラシ」
「ふむふむ」
「あとね、イスと、道具箱!」
「道具箱?」
「ヨー。ねんどとー、マットとー、かたぬき入ってる」
「はっはー、なるほど粘土かー」
どうやらビャーネは、荷物の重さの正体に行き当たったようだ。
ダニーは粘土遊びが大好きで、ベースを脱出する時も持って行くと言って聞かなかった。
少しだけならともかく、持っている粘土を道具箱に入れるだけ入れたのだ。
荷物が重くなるよと言っても聞かず、ついにはギャン泣きするダニーに、脱出の準備で余裕のなかった私は折れたのだった。
「そんだけだよ」
「
「……持ってます」
クロエの指摘に、ダニーは荷物にしがみついて観念したように言った。
「いくつ持ってきたの?」
「……二こです」
「二箱な」
私同様、ここにいる全員の荷物を把握している小舅が言い直す。
「サルミアッキ自体は大した重さじゃないけど、そっかー、粘土かー」
「辛いなら俺が持つけど」
「インゲン ファラ。でも、この重さの荷物を今まで背負っていたのか。ダニー、スゲーじゃん」
「ぼく、がんばったよー」
大好きな兄貴分に褒められ、ダニーの機嫌が良くなった。
他愛のない会話続ける子どもたちに、私は内心感心をする。
疲れているだろうに、会話のできる余裕がまだ残っているのは、凄いことではなかろうか。
「あとで、ビャーネにはサルミアッキ、あげます」
「キッティ」
その余裕は、誰一人欠けることなく皆がいるからこそだろう。
会話をしながら緩やかな起伏が続く航路を歩き続け、群青色の空に濃いオレンジ色が映える頃、崩れ落ちている装甲壁の前に辿り着いた。
装甲壁だった瓦礫の陰に身を潜める子どもたちに私は告げた。
「それじゃ、中にいる皆さんを追い出してくるから、ここで大人しく待っているように。何かあったらすぐに連絡ちょうだいね」
「ヤ」
「暗いから気をつけてね」
そして、私が背負っていた荷物にしがみつき、そっぽを向いているダニーに声をかける。
「ダニー、いい子で待っていてね」
「やだ! サイカきらい!」
私に対するダニーの機嫌は、未だ斜めのままのようだ。
私はドッと疲れを感じながら肩を落とした。
「ミスターダニー、そろそろ機嫌を直してはいただけませんか」
「だってぼく、いたいのやだって言ったのに、サイカいたくしたもん」
「仕方ねーだろ。お前の足の大灰嵐を止めるには、これしかなかったんだから」
不謹慎な喩えで宥めようとするビャーネだが、ダニーはそっぽを向いたままだ。
私は小さくため息をつき、そして笑みを浮かべた。
「じゃあ、私のことは嫌いでいいから、アルビンたちの言うことをちゃんと聞いて待っててね」
「サイカきらい」
「私は好きだよ、ダニー」
言って立ち上がると、メガネが身を乗り出した。
「オレのことは?」
「うん、好き好き、だーい好き」
「おざなり! あのな、あんまり扱いが雑だといつか拗ねるぞ!」
「拗ねるのは旅が終わってからにしておくれよ、マイベイビー」
「まさかのマジレス。それでも愛しているよハニー」
「ミートゥ、ダーリン。じゃあ、みんなよろしくね!」
三人が頷くのを見届け、胸の懐中電灯を点灯し、私は瓦礫と化している装甲壁を乗り越えて街中へ入った。
昨日まで過ごした拠点に比べると、その規模はかなり小さい。
半分以下、いや、四分の一もないだろう。
建物のほとんどは倒壊し、謎植物も生い茂っている。
その間に潜む小型アラガミを着実に仕留め続け、慌てて逃げて行くものについては追わずに放置した。
また戻ってくる可能性もあるが、襲いかかってきた時に対処することにする。
オウガテイルの群れが襲いかかってくるのを、バーストして薙ぎ払いながら違和感に気付いた。
意外に数が少ないか。
この周辺に身を潜める場所はほとんどなく、この場所は連中のかっこうの寝ぐらになるだろうに。
「アルビン、ダニーにこの周辺にアラガミがいないか探るよう伝えて」
《オーケイ》
オウガテイルの群れを討伐し、廃墟の街を歩きながら意識を張り巡らす。
やはりいない。
ついでにビャーネの大嫌いなアレについても探ってみたが、それすらいなかった。
《サイカ、ダニーに聞いたけどいないってさ》
「オッケー、ありがとう」
《ん? ……ああ、はいはい》
《……サイカきらい》
そうして通信は切れた。
思わず吹き出し笑った。
まったく、ご丁寧なお坊ちゃまだよ。
私は神機を担ぎ、改めて周囲を見渡す。
二重チェックまでしたのだ。
なら大丈夫だろうと思うのだが、警戒を解かない私がいる。
昨日のような装甲壁に囲まれた家は当然なく、家の基礎部分を残す建物が大半だ。
気をつけるに越したことはないということか。
私は一度街の外に出ると、子どもたちを呼び寄せ、改めて廃墟と化した街へと入った。
三方に塀が残っていた敷地を見つけ、子どもたちに手伝ってもらい敷地内を片付ける。
そして、アルビンとビャーネの手を借りてマットを敷きテントを張った。
これで、今日のお宿の完成である。
アルビンが、腰に手をあて完成した宿を眺めた。
「やっと使う場面がきたか」
「今までは不要な荷物になっていたからね」
「かさ張って大変だった」
「運んでくれてありがとう。助かるよ」
今までと比べたら粗末な寝ぐらだが、一晩過ごすには十分だろう。
「かまどはこの辺りに作ればいいの?」
「うん。クロエとダニーもお疲れ様。すぐに夕飯にするから休憩しててね」
「ウィ。あ、ジャケット貸して。縫っちゃうから」
「灯りがあんまりないから無理しないでね」
その横でクロエにくっつくダニーは、やっぱりそっぽを向いている。
その様にクロエと声なく笑い、ジャケットを渡した。
そして、アルビンとビャーネに手伝ってもらって夕飯の準備を始める。
言うまでもなくレーションを温めたものだ。
最後の缶詰は、鶏肉とジャガイモと豆をホワイトソースで煮込んだものだった。
そしてこの旅の定番となった主食の塩味のビスケット、野菜スープ、朝と昼にも食べていた残りのパテ。
そしてコーヒーと、ダニー用のココアを用意し夕飯は完成である。
湯煎した缶詰を開けると、ホワイトソースと肉の香りが周囲に漂った。
その豊かな香りに、私を含めた全員の目が缶詰に注がれる。
思わず口の中に溢れ出す唾液を飲み込んだ。
「ああ、メシだ」
「うん」
「これぞ、メシだよな!」
「そうだな」
感激のためか、目を輝かせながら言葉をなくす男子二人。
やはり缶詰レーションの魅力は、育ち盛りの子どもには抗いがたいもののようだ。
「早く食べたい」
「そうだね」
「はいはい、すぐに取り分けますよ」
全員分の食事が行き渡り、私は子どもたちを見渡す。
「はい。今日は本当にお疲れ様でした! 皆がよく頑張ってくれたおかげで、予定通り未踏灰域に入ることができました。これって凄いことだぞ、みんな偉い!」
せっかく褒めているのだが、子どもたちは目の前のご飯に夢中でろくに聞いていないようだった。
確かに、長話は野暮というものだろう。
「缶詰のご飯はこれが最後になります。おかわりはないので、しっかりと噛んで味わって食べるように」
全員で元気よくイタダキマスをし、子どもたちは無言で食事を取り始めた。
私も缶詰のレーションを食べる。
ジャガイモのホクホク感、鶏肉のはち切れんばかりの瑞々しさときたら。
しっかりと味付けされているホワイトソースが、疲れて強ばった身体中に染み渡るような感触に目を閉じる。
ああ、美味いな、生きているな。
温かい食事をみんなと食べることができる喜びと共に、胸に痛みを感じた。
昼間にも感じた、正体不明の切なさと悲しさは一体なんなのか。
結局、食事が終わってもわからなかった。
◆
夕食を終え、お腹が満たされたことと疲れから、アルビンとダニーが寝る準備もそこそこに寝落ちた。
もう一個、トランシーバを直すと言って作業をしているビャーネは元気そうだが、私のジャケットを修繕しているクロエは眠そうだ。
ウトウトしては起きるを繰り返している。
「クロエ、眠かったら素直に寝なよ」
「だってまだ途中だもん。あともう少し頑張る」
見かねて声をかけると、目を擦りながら答えるクロエに、折りたたみのローテーブルで作業をしていたビャーネが顔を上げた。
「明日でもいいじゃん。早く寝て早く起きればいい話だろ」
「
言い淀むクロエに、私は追い打ちをかける。
「眠れる時に寝ときな。私のジャケットの代わりはどうとでもなるけど、あんたの体の代わりはないんだからね」
「……わかった」
自分の体のことを指摘され、クロエは渋々と頷いた。
髪を拭き、歯磨きと洗顔をしてマスクを付けると寝袋に入った。
「じゃ、お先に。ボンニュイ」
「ボンニューイ」
「フェ ドゥ ボー へエヴ」
「メルシー」
そして横になったクロエは、あっという間に眠りに落ちた。
さて、私も神機の調整をしますかね。
「サイカ」
「なあに?」
作業を続けるビャーネが、手を動かしながら声をかけてきた。
「さっきクロエに言ってたのって何?」
「ん?」
「フェ ドゥ ボー へエヴ?」
「ああ、彼女の故郷の言葉で、良い夢をって意味だよ」
「ふーん」
私が子どもたちの故郷の言葉を使えるのは、マルチリンガルだった先輩と、データベースでの勉強、本人たちから習ったためである。
とはいえ、知っている言葉は日常会話程度だし、文法やイントネーションは怪しい。
ただ、相手の故郷の言葉を交えて話したり、習おうとする姿勢を見せると、親しみやすさや仲良くなるスピードが全然違ってくる。
これはかのミナト時代に、先輩や仲間、友人との会話で気付いたことで、私は積極的にその手法で人と接していた。
ビャーネも、私の真似をしているのは見ての通りである。
「アイツの言葉ってさ、アルビンやダニーの言葉とは、また雰囲気が違うよな」
「そうね。実際、距離もここからだいぶ離れているみたいだし、生活習慣も違うんだろうね」
彼女の言葉が使われている地域は、今どうなっているのだろう。
灰域の発生とともに外界の情報は遮断されており、現状は知る術はない。
ビャーネは手を止めると、小さく息を吐いた。
「俺たちの故郷ってどこにあるんだろ」
「あんたはその名前と容姿からして、この周辺の地域っぽいけど。……やっぱ寂しい?」
からかい半分でたずねると、ビャーネはムッと口を曲げた。
「……寂しくないと言ったら嘘になるよ。ベースにいた時もそうだったけど、たまに話に乗れなくて居心地が悪い時もあるし。誕生日とか故郷とか家族のこととか」
「うん、そうだよね。わかるよ」
宥めるように私は頷いた。
アルビンとクロエには故郷の記憶がある上に、無意識に出てくる言葉がそれを裏付ける。
ダニーは幼く記憶障害もあるが、使う言葉から、故郷がこの地であることが予想できる。
しかし、私とビャーネには、故郷を示す言葉がない。
フェンリル体制時代の公用語しか使えない私たちには、故郷の根拠になる材料が乏しいのだ。
ビャーネは真顔に戻って私を見た。
「オレはまだ、この名前のおかげで何となーく予想できるけど、サイカはわっかんねーよな」
「わからんねー」
私は苦笑した。
名前の響きは、この地の言葉や極東の言葉に近いが、自分の容姿はそのどちらともだいぶかけ離れている。
混血の可能性もあるが、ペニーウォートに来る以前の記憶は欠片もなく、蘇ることもなく、記録も恐らくは消え失せている。
真相は灰域と闇の彼方だ。
「寂しくないの?」
たずねるビャーネに、私は小さく笑った。
「あんたも言っていたけど、寂しくないと言ったら嘘だよね。でも、今は目の前のことで精一杯だし、昔の記憶がないことで特に困ったことも無いし、執着する程でもないかなって思ってる」
「……サイカらしいな」
そう言ったビャーネの表情は、複雑なものだった。
その表情に、今までコイツを見てきた知識と経験と直感が、真意を導き出す。
「あんた、自分の故郷をちゃんと知りたいの?」
すると、ビャーネは驚いた様子で目を見張った。
図星か。
「うん、まあ」
ばつ悪そうにビャーネは私から目を逸らした。
「単純に知りたいってだけで、どうこうしたいって訳じゃないんだけどさ。……ただ、調べてオレの故郷がわかったら、故郷がわかんないの、サイカだけになっちゃうなって」
らしくないことを考えちゃってまあ。
しどろもどろに言うビャーネに、私は笑顔を向けた。
「遠慮することないよ。知りたかったら調べりゃいいじゃん。手伝いが必要で私に出来ることなら手伝うし。あんたのやりたいようにやればいいよ」
「うん、ありがとう。……暇で暇で死にしそうな時にやる。あっ、そうだ!」
奴は表情をパッと明るくして私を見た。
「老後の楽しみにとっておくってどうかな?」
「あんたどう見ても、十年も生きていないでしょ」
呆れを隠すことなく言葉を続ける。
「あんたの老後は、確実に五十年以上は先だよ。どんだけ先延ばしにしてんの」
「だってえー、今はそれどころじゃないしー、目の前にやりたいことも知りたいこともいっぱいあるしー」
「あーはいはい、好きにしんしゃいよ」
「うっすうっす」
通常運転に戻ったメガネは、機嫌良く返事をして作業に戻った。
ま、未来のことを前向きに考えられるのはいいことだ。
この状況にあっては、紛れもない強さだと思う。
私は立ち上がり、荷物と共に置かれている神機を手に取り調整を始めた。
本格的に闇夜が廃墟を包んだ頃、凪いでいた風がまた少し強くなった。
神機の調整を済ませた私は、外に出てテントの確認をし、焚き火を消火する。
周囲を見渡せば、灰域濃度が上がったようで見通しが悪くなっていた。
クロエとダニーを寝かせて正解だった。
テントに戻ろうとして、吹き抜ける風と灰域に、剣呑なものを僅かに感じた。
ここを巣にし、私が来たことで逃げたアラガミたちが戻ってくる気配もない。
ビャーネが嫌いなアレも、やはり感じれない。
それが逆に不安を煽った。
……もう一度この周辺を見て回ろう。
杞憂ならそれでいい。
テントに戻ると、相変わらずビャーネが作業を続けていた。
「ビャーネ、あんたまだ起きてる?」
「うん。でも後一時間くらいかな。いつもの寝る時間になるし」
「そっか。じゃあ一時間、留守番頼んでいい?」
「え?」
ビャーネに事情を説明すると、気軽な感じで頷いた。
「オケーイ。何かあったらアルビンを叩き起こして、連絡すりゃいいんだろ」
「うん。余程のことがあれば、真っ先にダニーが飛び起きるだろうけど、眠りが深くて気付かない可能性もあるから、十分に気をつけてね」
私は縫いかけのジャケットを羽織り、携行品を持って神機を肩に担いだ。
「じゃあ行ってくる。寝落ちすんなよミスター」
「あいよっ。気ぃつけてな」
テントを出ようとして、背中に視線が刺さるのを感じ、そちらを見た。
ダニーが慌てた様子でモゴモゴと動き、寝袋に顔を埋めている。
どうやら起きたようだが、たまたま目が覚めたのか、それとも異変に気づいて起きたのか。
さすがにビャーネも気づいたようで、呆れた視線を弟分に向けていた。
「ダニーのこと、よろしくね」
「わかった」
今度こそテントから出ると、胸のライトを点灯して移動を開始した。
発光する謎植物と廃墟の残骸の間を通り抜け、崩れた装甲壁を越えると、謎植物の光すらも飲み込むような闇と灰域が、目の前に広がった。
見ようによっては幻想的な風景は、今は不穏と不安を煽ってやまないものだ。
周囲を見渡す目と、神機を担ぐ手に力が入る。
周囲を警戒しながら装甲壁の周辺をぐるりと巡り、航路の近くまでやってきた。
やはりアラガミはいない。
そして、灰域の濃度が先程よりさらに高まっているのを感じる。
その時、脳裏にアラートが鳴り響いた。
思わず足が止まり、全身が総毛立つ。
南から吹く風に、あってはならないものを察知したからだ。
おいおいマジかよ。
嘘なんだと、間違いなんだと言って欲しかったし、夢ならとっとと覚めて欲しかった。
この先に、灰域種がいる。
同時に、この周辺にアラガミたちがいない理由も察しがついた。
灰域種の存在を恐れて、この周辺から逃げ出したのだろう。
そうか、そういうことだったのか。
私は、右足を一歩後ろへ引いた。
戻ろう、今すぐに。
私を構成する全ての要素が、全会一致でその判断を支持する。
ソレは、まだだいぶ向こうにいて私には気付いていない。
今夜はあの廃墟で待機し、明日やり過ごす方法を考えればいいのだ。
そうして廃墟に引き返そうとした時、またしても有り得ないものを感じ取った。
人がいる。
灰域種と戦っている。
自分の感覚を本気で疑ったが、だがいる。
間違いなくいる。
何故、こんなザ・辺境の片隅の、灰域濃度の高い土地に人がいて、こんな時間に灰域種と戦っているのか。
状況がサッパリ理解できない。
自覚できるほど心拍数が上がり、呼吸が浅くなった。
意識して呼吸を整え、心に散らばるなけなしの勇気をかき集める。
……確認しに行こう。
どんな灰域種なのか、明日の対策のためにも知っておく必要がある。
そのついでに、助けられるようだったら助けよう。
無理だったその時は━━。
盾を展開すると、進路を南へ向けてダイブを繰り返しながら進んだ。
この身を切り裂き貫くような感触は、活性化している灰域のためか、それとも別のものか。
ダイブをやめて胸のライトを消し、僅かに灯る謎植物の光を頼りに道を進むと、徐々に周囲は明るくなり、吹く風に音が聞こえてきた。
地響きと、灰域と空気を震わせる雄叫びと、慈悲の欠片も無い砲撃音。
そして途切れ途切れに聞こえてくる、人の男の苦痛と恐怖の叫び。
闇と霞む灰域以外に遮蔽物はなく、身を屈めてさらに奥へと進む。
呼吸が否応なく荒くなる。
もう引き返そうと訴える理性を無理やり押さえつけて前進し、そしてついに、灰域と闇の向こうにそれを見た。
闇夜よりも濃い黒の巨体。
背は、塊のような毛に覆われ、鋭いトゲのような突起物が生えている。
全身のいたるところに、切り傷のような緑にも黄色にも見える光が灯っていた。
動きは鈍重。
だが、その巨体を支える足と爪は、強靭に発達して大地をしっかりと踏みしめ、自分の重さを活かした攻撃を繰り出す。
そして、異形と呼べるのはその頭部だ。
三つに分かれ、それぞれがウコンバサラを彷彿とさせる突き出た口を持ち、そこから溢れ出すのは、闇夜を激しく照らし焼き尽くす雷電の輝き。
その姿を見た瞬間、一つの記憶が弾けるように脳裏に広がった。
数ヶ月前、任務で深層の奥を潜行中にアレを見た私は、仲間と競うように逃げたことがある。
AGEを好んで喰らい、ベースでは『禍王』と呼ばれた、あまりに危険な灰域種だった。
しかも目の前にいるそれは、記憶の灰域種よりも確実に一回りは大きい。
助けるどころじゃなかった。
今すぐ逃げよう。
だが、視界に懸命にそれの攻撃を耐え忍ぶ人、AGEの姿が見えた。
絶望的な状況に捨て鉢になることなく、その命を燃やして生きるために戦い続けている。
だが、適合試験甲判定の感応能力は、隠すことなく彼の思いを伝えてきた。
帰りたい。
生きたい。
仲間の元へ、家族の元へ、自分を受け入れてくれた場所へ帰りたい。
彼は心の底からそれを切望し、戦い、助けを求めていた。
猛攻を凌いだそのAGEは、捕喰しバースト。
満身創痍の体で力強く地面を踏み切る。
鋭く鮮やかな
大音量と大音圧の叫びに吹っ飛ばされるAGEと、灰域がそれに呼応する感覚。
全身が再び総毛立ち、身動きが取れなくなった。
さあ、どうするんだ、サイカ・ペニーウォート。
クソ雑魚ボッチのお前が、愚かにも己の全てを投げ打って、あの死に損ないを文字通り必死で助けに行くのか?
それとも、我が身と背負うものを守るために、助けを求める存在を見捨てて賢しく逃げるのか?
いずれにしても、大きな代価を支払うことになる。
時間はない。
今すぐ決めろ。
だが、私はそれでも動くことは出来ない。
しかし、決定的な瞬間が訪れてしまった。
その突き出た口を大きく開き、AGEに飛びかかる灰域種と、とっさに身を引くが凶暴なその口にその身を喰われるAGEの姿。
巨体を縛める鎖が音を立てて解かれ、さらに活性化する灰域と不吉な赤の光を纏って灰域種はバーストした。
その禍々しい覇気と共に、絶望に染まるAGEの思いが伝わってくる。
痛い痛い痛い!
苦しい嫌だ痛い死にたくない死にたくない!
死ぬのは嫌だ!
誰か、誰か助けてくれ!
怒涛の如く押し寄せる痛ましすぎる思いに、私は逆に怖気づいた。
嫌だよ、私だって嫌だよ!
子どもたちを守らなきゃいけないし、こんな出来損ないの根菜類もどきに喰われるなんて真っ平ゴメンだ。
そして、逃げることを選択した。
背を向けることなく、前方に注意を払いながら少しずつ後退を始める。
僅かに残る良心が悲鳴をあげるが、無理やり体を動かして後退を続けた。
後もう少ししたら、ダイブで逃げよう。
本当にゴメン!
でも、恨まないでくれよ。
私だって自分の命は惜しいし、子どもたちがいるのに命懸けの戦いはできない。
いよいよダイブをしようと立ち上がった時だった。
イーリス……、ユリアナ……。
無残に千切れた悲痛な思いに混じる、彼にとって得がたく価値ある誰かの名前。
それは彼もまた、誰かを背負い守るべきものがいることの証だった。
私は、怒りとともに歯が砕けそうなほど食いしばり、拳を握りしめる。
何やってんだよ。
あのくたばり損ないのAGEが、どんな理由があってこの全く勝ち目のない戦いに臨んだのかは知らない。
だが、背負い守るものがありながら死地に赴いた、紛うことなき、生粋の、褒め言葉でもなんでもない正真正銘の、ガチの大馬鹿野郎だった。
さっさと死んどけよ!
怒りとともに内心で罵倒する。
さっさと死んでいれば、後腐れなく逃げることが出来たのに!!
盾を展開すると、猛る灰域に飛び込んだ。
そして、今まさに死に損ないを喰わんと意気揚々と大口をあける灰域種の面に、渾身のダイブの一撃を浴びせる。
ついでに捕喰して着地。
倒れ伏しているAGEを背負うと、灰域種に背を向け一目散に走り始める。
怒る灰域種の叫びを背に感じ、半分泣きそうになりながら闇夜を駆け抜けた。
何やってんだよ! この馬鹿野郎が!
お前には、仲間や友人から託されたものがあるだろうがよ!
息を切らし、吹き出し流れる汗を拭う暇もなく、私はひたすら足を動かし続ける。
ダメだった無理だった出来なかった。
私は、懸命に戦い生きて帰りたがっている人を見捨てることが出来なかった。
私と同じく守り背負うものがありながら、それでも戦いに臨んだその決断に怒りを持っても、間違っていると切り捨てることが出来なかった。
呼吸の邪魔になるマスクを外し、灰域の混じる空気を存分に吸うことで、走る速度が上がった。
体には確実に悪影響をもたらすだろうが、今は何よりもスピードが欲しい。
巨体に似つかわしくない爆発的な健脚をもって、こちらに迫る灰域種の気配を背に感じる。
それに押されるように、私はさらに足を必死の思いで動かした。
体がさらなる空気を求めて悶える。
その苦しみのただ中で、心の醒めた場所から声がした。
サイカ・ペニーウォート。
人殺しの神機使い。
これは形は違えど、あの廃都で、お前が傷つけ死に至らしめたであろう屑どもの焼き直しだよ。
あの時と同じく、お前はこいつを見捨てて我が身と背負うものを守るべきだった。
そうして見殺しにした罪を、人知れず生涯背負い続けて墓場まで持っていくべきだった。
己の身の丈を知る大人が、己が本当に守りたいものを守るために、古今東西やってきたことだ。
なのに、罪を無意識のうちに自覚したお前は、その手段を選べず、さらなる罪を犯せず、背負うことができなかった。
こいつを助けたのは、お前が思っているような小綺麗なもんじゃねえ。
お前の幼さと弱さからだ。
非情に徹しきれなかった代価は、お前が守りたいものを戦場へ引きずり出し、受ける必要のなかった恐怖と痛みと苦しみを、負わせることになるだろう。
その払いの準備は、できているか?
《サ……サ……カ! サイ……! サイカ!!》
イヤホンから聞こえてきた声に、嘆こうとする心が押し留まった。
私は息を切らしながら応える。
「アルビン!」
《繋がった! ……カ、サイカ、あんた、余裕……のに人……助……な!》
灰域濃度が高く、通信がまともに通じない。
だが、何故私の状況を知っているのか。
即座にその答えは出た。
ダニーの感応能力だ。
その高い感応能力で私の状況をいち早く見抜き、起きていたビャーネにそれを伝えたのだろう。
アルビンが、怒り呆れているのは当然であり、私は自分のしでかしたことの重さを思い知る。
「ゴメン! 見捨てられなかった!」
《あああっ! も……おおっ!》
ここで罵声の一つ浴びせないのは、アルビンなりの大人への配慮だろう。
忍耐を知る、本っ当によくできた子どもだった。
《ダニー……情報から、……は分かっている。今……あんたの元へ行く》
「ちょっ! あんた何言って」
《……一人で……できる状況じゃないだろ!》
アルビンは一喝した。
通信が悪い中、アルビンは早口で簡潔に要点を伝えてきた。
アルビンが、ビャーネが先程直していた無線を使い、ダニーのナビでアラガミを避けながら航路へ出る。
航路を進んで私と合流し、アルビンが持っていく携行品と私が助けた人を交換する。
そして、アルビンがダニーのナビで助けた人を連れ帰り、私は灰域種の相手をする。
《討伐はできな……いい。ていうか、できない……ら、餌場へ向か……放置して逃……。後のことは、あんたが帰って……考えよう》
通信の悪い中での途切れ途切れの提案に、私は迷った。
だが、アルビンの言うことはもっともであり、全員が生き延びるためには、全員が危険を承知の上で協力しなくてはならない。
巻き込んだことへの申し訳なさと、協力してくれることへの喜びを噛み締め、私は口を開いた。
「わかった。気をつけて来て。危なくなったら構わずに逃げるんだよ! みんなによろしく!」
《ヤ!》
通信が切れ、ついでにバーストも切れた。
後ろに迫る灰域種をどうにかしたいが、バースト状態ではあらゆるアイテムは効かないだろう。
バーストが解除されるまで逃げ回るしかない。
と、不意に迫る背後の気配が遠のいた。
諦めたか、否、違う! 長距離攻撃だ!
次々と足元に灯る光の輪。
後先考えずに一目散に悪路を走る。
死ぬぞ止まったら死ぬぞ走れ走れ走れ走れ!
背後で内臓を揺さぶる轟音と共に炸裂する雷撃と、それを受けて巻き上がる土煙。
雨のように降り注ぐそれを被りながら猛然とダッシュし続けた。
クソがっ! しつこいんだよ、型崩れのベジタボーめ!
だが、バーストし食う気満々の灰域種は、なおも私に追いすがり、長距離攻撃を間髪いれず浴びせ続ける。
蛇行しながらそれらをかわし、不意に背後の灰域種の猛々しい気配が治まった。
チャンスだ。
追いすがる気配を感じながら、私は即座に立ち止まり、スタングレネードを取り出して背後の巨体にむけて全力で投げつけた。
さらに足元に、ホールドトラップを仕掛ける。
上手くかかるかはわからないが、かかったらラッキーだ。
そして、背後から眩い閃光がほどばしった。
怯む背後の気配に構うことなく、くたばり損ないを背負いなおすと全力で走り出した。
《サイカ! 航路まで出たぞ!》
「オッケー!」
アルビンの声に私は頷き応じた。
背後の気配が遠のいていくのを感じる。
ここで距離を稼ぎ、いち早くアルビンと合流しなくては。
躓きそうになるのをこらえ、転がるように走り続けていると、目の前に人工の光の輝きと共に人の姿が見えた。
思わず私は叫ぶ。
「アルビン!!」
「サイカ!!」
この場においては小さく、しかし誰よりも頼もしく信頼できる相棒の姿。
地面を蹴り、飛び込むようにして彼の元へたどり着いた。
「これは……!」
私が背負うものを見てアルビンは目を見張った。
自分の予想よりはるかに酷い状態のAGEだったからだろう。
私は構わず、くたばり損ないを下ろす。
「連れ帰ったら医療キットで応急手当てしてあげて。あと荷物を」
「わかった」
携行品を預かり、アルビンの細く小さな背に大人のAGEを背負わせる。
「フィット! やっぱ重いな」
「完全に意識をなくしてるからね。行けそう?」
「いくしかないだろ。やってやる」
ゴーグルの向こうで、晴れた青空のような目に峻烈な光が灯った。
そして大地を踏みしめ、よろめくことなく立ち上がる。
四人の子どもたちの中で最強のメンタルを誇る男は、一番の負けず嫌いでもあった。
私は信頼と共に頷いた。
「ありがとう。任せたよ、アルビン!」
「……生きて帰ってこいよ」
アルビンは私を睨むように見た。
「ガキにここまでさせといて死んでみろ。あんたと世界を恨んで呪って奴に喰われてやる。ローのことも含めて本気で許さないからな」
静かに、しかし鋭く言い切るアルビンに、私は言葉をなくした。
アルビンがここまで協力してくれるのは、決して私のためではない。
私の亡き友人と交わした約束を果たし、私と共に子どもたちを守るためだ。
そんな彼にとって、この事態はさぞ業腹なことだろうが、それでも協力をしてくれる彼には感謝しかない。
その思いを胸に、口元を引き締めて頷いた。
「帰ってくるよ、必ず。いつも通りに」
そう、いつも通りに。
覚悟を決め、目に力を込めてアルビンに言い放った。
「行け!」
「ヤ!」
男を背負ってアルビンは走り出し、その背は瞬く間に闇へと消えていく。
「ダニー! 聞こえているね」
《サイカ! サイカ、聞こえるよ。ぼくね、ちゃんとみんなと待ってるよ》
「
手短に、しかし高らかに褒めた。
「アルビンに荷物は預けたからね。医療キットの準備をするようビャーネとクロエに伝えて」
幼いダニーの姿を思い浮かべながら、私は言葉を続ける。
「アルビンのナビ、頼んだよ」
《ヨー! ぼく、ここでみんなを守る!》
「うん。お願いね」
ダニーの力強い宣言に、心の柔らかい部分が痛んだが、それに背を向け振り返る。
さあ、行くぞ。
アレを元の場所まで連れ戻さなくては。
怖気付く心を叱咤し、盾を展開。
ダイブで再びあの異形のバケモノの元へ向かった。
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