重力の枷を振り切り、空に舞いあがる感覚を機体越しに感じる。
子どもならずとも心ときめく初体験は、体の調子が絶不調な今、その負荷がしんどかった。
だが、程なくして機体は水平に安定した状態になった。
「
操縦席に座るサングラスをかけたパイロットのGE──腕輪に引退したテープが貼られている──が、低く艶のある美声をもって朗々と告げる。
「本日は当ミナトの飛行艇をご利用頂き、誠にありがとうございます。短い時間ではありますが、空からの風景を存分にお楽しみください。機長は私キケ。副操縦士はフィリップです」
キケと名乗るパイロットが、ふざけ半分に前口上を述べる。
「さて、この地は昔、森と湖の地として名を馳せていましたが、岩の地でもあったことはご存じですか。比較的平坦な土地と厳寒な気候が、太古の岩をそのまま残したためです」
キケさんは、意気揚々と語り始める。
しかし、肝心のガキどもは窓に張り付き、眼下に広がる景色に興奮して全く聞いていない。
「岩は、風や雨、川の侵食によって砕かれていき、最後には砂となりますが、山の少ないこの地は川が少ない。厳寒な気候は、雨は雪となって大地を覆い、川を凍らせ、根を張る植物の動きを鈍らせる。岩を削る要素が少ないため、岩が岩として残りやすいのです」
ガキどもに構わず、いや、あえて対抗しているのか、キケさんの弁舌は大きく滑らかになる。
「岩といえば、北欧と呼ばれるこの地域の大半は、バルト
へー、そうなのか。
機体が安定し体の負担が軽くなった私は、座席に身を預けながらキケさんの話に耳を傾ける。
人の話を聞くのは好きだし苦ではなかった。
「アラガミが発生する前の記録では、この地には十八万以上の湖があったそうですが、それは氷河期時代の分厚い氷が大地を削った跡なのです。
今はアラガミと灰域によって、森と湖は食い荒らされてしまい、まともに調査もできていません。それでも変わらぬものが確かにある。この地表に存在する岩肌を見る度にそんなことを私は思うのです。いやあ、ためになる上にいい話だなーって聞いてないねーキミタチー」
「私は聞いてましたよ。興味深いお話でした」
自棄っぱちに言うキケさんに主張をすると、彼は大きく頷いた。
「キートス! あんた、なりは派手なヤンママだけど良い奴だな!」
「ハハッ! うるさいよ。ママじゃねえし」
思わず敬語が取れてしまったが、キケさんは気にする風もなく笑い、その隣りに座るやはりサングラスをかけたGEの男──こちらは現役のようだ──が、私の方を向いて両手を合わせた。
「ゴメンな。このオッサン、調子に乗ると一言多くなる悪い癖があってさ。しかも、久しぶりに空を飛べる上に、子どもを乗せるとあって張り切ってんだよ」
「そこの副操縦士、いらんこと言うな」
「へいへい」
彼は肩を竦めて、前を向いて座席に座り直した。
私は驚いていた。
パイロットたちのこの地に対する知識もそうだが、AGEに対する偏見が全く感じられないことにだ。
早速尋ねると、副操縦士の彼が再びこちらを見て笑顔を向けた。
「それはオレたちのミナトに来れば、すぐに分かると思うよ」
「はあ」
「ここであれこれ説明するより、実際に見聞きした方が早く理解ができると思うぜ」
二人から明確な答えは引き出せなかったが、少なくともAGEだからと差別はなさそうだった。
とりあえず一安心だ。
と、窓に張り付いていたビャーネが、興奮状態のまま私の方を向いた。
「うひょおおおっ、たまらん! 何もかもがたまらん! ねえサイカ、ここ見どころいっぱい過ぎて、オレどうしたらいいの?!」
「落ち着け」
私は答えるが、当然奴は聞いていない。
奴はそのテンションのまま操縦席を覗き込む。
「ねえねえ、おっちゃんおっちゃん!」
「オレはまだお兄さんだ!」
副操縦士の彼が主張するが、ビャーネは全く気にも止めない。
「この飛行機カッケーな! どこでいつ作られたの? 主要諸元教えて! 燃料はなに使ってんの? 飛行艇ってことは、水でも離着陸できんだよね? どういう仕組みになってんの? てか、エンジン見たい! エンジン! あとパンフあったらちょうだい!」
「ビャーネ、危ないから座りな」
興奮状態でバンバン質問攻めをするメガネに、私は強めに声をかける。
これで聞かなかったら鉄拳を振るってやろう。
しかし私の声に、面食らっていたパイロット達が何故か立ち直った。
フィリップさんがこちらに向けてウィンクし、キケさんはメガネに向けてニヤリと笑った。
「おう何だ。お前、飛行機好きか?」
「好き好き! てか、メカ大好き!」
「よおし、ならミナトに着いたらみっちり教えちゃる! だから座れ。だーがー、お子ちゃまが俺の話について来れるかなー?」
「いいよいいよ、ドンと来いやあっ!」
興奮状態のビャーネのノリについて行けるとは、このパイロットも相当に明るく元気でノリがいいのだろう。
うるさいのは論外だが、年齢性別関係なく元気なのはいいことだ。
ビャーネは素直に座席に戻り、子どもたちの会話に混ざるのを見届けると、私は自分の右側にある窓の外を眺めた。
窓の向こうには、灰域航行法の及ばない未踏の地が広がっている。
だかどこを見渡しても、森と湖の地と呼ばれた面影を感じることは出来なかった。
ここに至るまでの状況を整理しよう。
南の空からやって来たこの飛行艇は、廃墟の真上を何回か旋回し航路に着陸した。
そして、GEとAGEたちがやってきて、ハンネスさんの所属するミナトの者であることを告げると、容態の悪い彼を即座に回収。
私達も一緒に乗せるつもりだったようだが、人数と荷物が多くて断念した。
私達のことも必ず助けると言い残し、飛行機は南の空へと戻っていった。
この件ですっかり目が覚めた子どもたちと片付けと荷詰めをし、本当に来るのか懐疑的になりながらも、みんなでプロテインバーを齧りコーヒーを啜っていると、本当に彼らは戻ってきたのだった。
彼らのミナトは、この先の巨大な湖の向こうにあるという。
文字通り、渡りに船だった。
この旅一番の難関が、呆気なくクリアされたのだ。
湖を渡れればそれで十分だったのだが、灰域種と戦った私と、限界灰域に曝された子どもたちの体調を心配した彼らは、一度ミナトで診てもらうよう提案した。
体調の悪い私を見かねたのが半分、飛行機に乗りたい気持ちが半分とで、子どもたちは私より先にそれに同意し、彼らのミナトへと向かうことになったのだった。
「ほら、湖が見えてきたぞ」
「わあっ、おっきい!」
「
子どもたちが歓声を上げる。
眼下に、青空と雲を写しこみ陽光を受けて輝く巨大な湖が見えてきた。
地図で見るのとはまた違い、実物のそれはかなり大きく見える。
おまけに橋も見当たらない。
対岸から彼らのミナトの入口を発見できれば、救難信号で助けを求めることができるかもしれないが、気付かない可能性が高い。
さりとて湖を迂回するのは現実的とは言えず、そうなると山越えか、引き返すくらいしか道はない。
「さあ、そろそろ遊覧飛行は終わりだ。着水するから、シートを戻してシートベルトをつけてくれよ」
「えー、まだ乗ってたーい」
「のってたーい」
副操縦士のフィリップさんが告げると、下の子ども二人が不満の声を上げる。
「気に入ってくれてありがたいが、コイツも朝メシの時間なんでな」
キケさんは笑って言い、湖を大きく旋回すると、飛行艇は滑るようにして湖に綺麗に着水した。
その後、船のように水面を進み、人工的に整備された広場までたどり着く。
人と荷物を下ろした飛行艇は、平たく小さな車に引っ張られ、地下の格納庫へと運ばれていくのを、下の子ども二人が目を輝かせて見送っていた。
私は今渡ってきた湖を眺める。
天気がいいにも関わらず、向こう岸が霞んでいた。
ビャーネの双眼鏡でも、ミナトの入口を確認できるかかなり怪しい。
改めて、この湖の踏破が最大の難関であったこと、そして如何に無謀であったかを思い知った。
「あ、草が生えてる」
隣でクロエが指摘して見れば、謎植物ではない緑の細長い草が、湖に沿うようにまばらに生えていた。
それは、風によって打ち寄せる波に逆らう風もなく、涼しげな音を立ててそよいでいる。
「ホントだ。やっと限界灰域を抜けたってことだね」
「うん」
深層や限界灰域では、薬に頼らざるを得なかったクロエの体にとって、そこそこに優しい環境にたどり着いたのだ。
その後、十分ほど歩いて見えてきたミナトの入口から、GEと整備士数名が出てきて、神機と荷物を預けた。
しかし、すぐに中へ入れてはもらえなかった。
灰域に曝されている上に、不衛生な状態になっているためだった。
体の洗浄と消毒をし、用意された服に着替え、ようやく未知のミナトのエントランスへと足を運ぶことが許された。
ドアが開いて目に飛び込んできたのは、光に照らされた眩い緑だった。
次いで鼻をついたのは、乾いた荒野では感じられなかった土と草と樹木の匂い。
別世界だった。
恐らくは、生まれて初めて見る緑豊かな光景だった。
天井は高く、円形に象られた白壁のフロアには大小様々な樹木が植えられ、フロアの中央には今まで見た事のない尖った大きな木は青々とした葉をつけている。
床を占める芝生には、石造りの小路が作られ、白い木のベンチやテーブルが置かれており、緑豊かでありながら、人の手がしっかり入った印象を受けた。
「何じゃあ、こりゃあ」
「すごーい」
ビャーネとダニーがポカンと口を開けるその横で、クロエは感動のあまり言葉をなくし、アルビンですらも目を見張って周囲を見ている。
そして、石造りの小道からやってきたのは、二十代後半か三十代あたりのGEの男と、私と同年代ほどの女、そして年齢不詳の白衣にメガネの女だった。
とっさに私の背に隠れるクロエとダニー。
こういう時のこの二人の動きは恐ろしく機敏だ。
男は、私たち構うことなく親しげな笑みを浮かべて口を開いた。
「『カイスラ』へようこそ。私は当ミナトのオーナー、カール・コイブランタだ。このミナトの職員、ハンネスを助けてくれた恩人たちを、私たちは歓迎する」
「カイスラ?」
ビャーネが首を傾げて言うと、カールさんは笑みを深くした。
「このミナトの近くにある湖に、草が生えているのは見たかい?」
「ゴメン。飛行機見てた」
「そっか。男の子ならそちらの方に興味が向くよな」
大人の男が苦手なクロエは、人見知りのダニーと共に私の背に隠れつつ私の服を掴む。
先ほどクロエが指摘したアレか。
クロエの変わりに私は口を開いた。
「膝丈くらいの細長い草のことですか?」
「その通り」
彼は嬉しそうに頷いた。
その笑顔に、私は引っかかるものを感じた。
この人、誰かに似ているような気がする。
「この地の言葉で、水辺の草のグループ名だよ。さすがに灰域内ではその数は少ないけど、それでもまあまあ生きていける程度には丈夫だ。灰域に耐え、厳冬期は凍てつく地中に潜み、春の訪れとともに再び芽吹くこの草のように、この地で長くしぶとく生きていこうという思いから、先代オーナーがそう名付けたんだ」
「そっかー」
ビャーネは頷いた。
カールさんは真面目な表情になると、私たちを見回した。
「このミナトでは、どんな存在であろうとも、使えるものは何でも使うのが正義であり流儀だ。AGEの君たちに対して差別はないから安心して欲しい」
そう言うと、彼の後ろで控えていた白衣にメガネの女性がヘラリと笑った。
「万年人手不足で、四の五の言ってらんないってのが本音なんですけどねー」
「オリガさんは黙っててくれないか」
「仰せのままにー」
胸に手を当て芝居じみた調子で、女性はおじぎをした。
その時、何か違和感を覚えたが、とっさのことでその正体はわからなかった。
カールさんは小さくため息をつき、そして改めて私たちを見た。
「さて、君たちについてだが、深層から限界灰域を徒歩で渡ってきた上に、灰域種とも戦ったと聞いている。朱の女王で施された灰域適応技術があるとはいえ、やはり体調が心配だ。まずは健康診断を受けてもらおう。特に、えーと」
「サイカです」
「サイカさんは急を要すると聞いた。オリガさん、すぐ診てやってくれ」
「オッケーです、ボス」
オリガと呼ばれた白衣の女性は敬礼で答えた。
「君たち四人は、このお姉さんの指示に従って検診を受けてくれ」
「トーヴェです。よろしくお願いしますね」
美人と言うよりは可愛いと呼べる容姿と柔らかく穏やかな声音、屈託のない笑顔は、万人に好印象を与えるだろう。
どこからどう見ても、人畜無害の普通の女性だ。
子どもたちが一斉に私の方を見たので頷いた。
「トーヴェさんの言うことちゃんと聞いて、くれぐれも困らせないようにね。トーヴェさん、よろしくお願いします」
「はい! お任せください」
明るく朗らかに笑う彼女に、私も自然と笑顔になる。
「泣かされないよう頑張ってください」
「……頑張ります!」
気合いを入れて彼女は答えると、子どもたちの方を向いた。
「それでは皆さんついてきてくださーい」
子どもたちは返事をし、素直にトーヴェさんの後に付いていった。
程なくして、奥の方にある別フロアへの扉へと消える。
それを見送り、カールさんが私を見た。
「では、私は一度失礼する。検診が終わったら、詳しい話を聞かせてくれ」
「わかりました。お世話になります」
カールさんが場を離れ、エントランスには私とオリガさん二人だけとなった。
「よし! んじゃあ、サイカちゃんは私の後についてきてねん」
「了解です」
白衣を翻してオリガさんは歩き出し、私もその後に続いた。
◆
オリガさんにここまでの事情を話し、彼女の話を聞きながら検診は滞りなく進んだ。
彼女の話によれば、このミナトの起こりは、フェンリルの一研究組織であり、アラガミが発生する前の、この地の生態系や環境の調査、保全を目的とした研究を行っていたそうだ。
しかし、人口の増加とともに維持が難しくなり、当時の所長が今の場所に、今で言うサテライト拠点の前身ともいうべき地下施設を作った。
所長は拠点の初代オーナーとなり、苦労を重ねながら、この地の生態系と環境の研究と保全に努めたという。
しかし厄災が発生し、初代オーナーと当時のオーナーが死亡。
程なくしてグレイプニルによって灰域航行法が施行されたが、その内容に異議を唱えた先代オーナーが、灰域航行法領域からの離脱を宣言。
混乱の末、独自の行政・財政・立法権限を持つ今のミナトに至ったという。
「まーもー、グッチャグチャだったよ。酷い酷い。厄災当時のことを正しく把握できている人なんて、ほっとんどいないんじゃないのかなー」
診察と検査を終え、診察室で結果を待ちながら彼女は語った。
ここが拠点と呼ばれていた当時から、彼女はここで医者をしているという。
現在のオーナーがオーナーになる前、尻に卵の殻がついている頃から知っていると笑って言った。
「エントランスのあの植物は」
「あれは、このミナトの象徴のひとつだね。アラガミが現れる前の、この地にあった自然の一部ってとこかな」
パイロットたちが言っていたことを思い出す。
恐らくこのミナトに住む職員は、程度の差はあれ、この地の環境に関する何かしらの知識を持っているのだろう。
興味があれば、それを学べる環境がここには揃っているのだから。
検査が終わり、結果を待つ間にもオリガさんから色々話を聞いていたが、奥のドアが開いて白衣の男が現れた。
「オリガさん、検査結果出たんで転送しときました」
「スパシーバ! ハンネス君はどう?」
私は思わず視線を白衣の男に向ける。
この短時間で色々なことがありすぎて頭からすっぽ抜けていたが、先に運ばれた彼はどうなったのか。
私の視線に構わず、男は涼し気な表情で答えた。
「ヴァージルさんが言うには、峠は越えたそうですよ。ただ一ヶ月は入院、絶対安静だそうです」
「だろうねー。生きていること自体、奇跡が積み重なっての結果のようなもんだし。彼の日頃の行いかね。いいことはしとくもんだ」
「ですね」
そして白衣の男は出ていき、オリガさんは端末を操作した。
ディスプレイに映し出された検査結果を確認している。
私はといえば、少しだけホッとしていた。
どうやら、ハンネスさんは生き延びたらしい。
素直に良かったと思った。
同時に、彼を助けたことはやはり無茶だったし、間違っていたのだとも思った。
何故なら、奇跡の連続で私たちは生き延びたに過ぎず、再現性は全くないからだ。
こんな世界である以上、同じようなことが再び起こる可能性はないとは言えず、その時に、このような奇跡が起きる保証はどこにもない。
山ほどある問題点を洗い出して反省しなければ、次はないだろう。
「うーん……」
オリガさんは顎を指で触りながら唸り、そして椅子ごとぐるりと一周回って私の方を向いた。
足を組み、こちらを見る眼鏡の奥の青い目は、今までになく真面目だった。
「サイカちゃーん、よくないよー。てか、ハンネス君ほどでないにしてもマズイ」
さすがにわかっていたことだった。
「腕輪ですか」
「うん。右手首の腕輪の中身、よりにもよってオラクル細胞を調整する機構がイかれてる。運が悪いね。日頃の行いに心当たりは?」
「……それなりにありますね」
ミナトの大人連中の相手を楽しんでいた上に、あの廃都で兵士たちを傷つけ死に至らしめた可能性が高い。
なるほど、悪行の報いのひとつか。
「無傷で大人にはなれないけどさ、悪いことはできないもんだね。で、連日高濃度の灰域を移動して体力と免疫力が低下。そこに灰域種と戦って腕輪が損傷。侵食が進んだわけだ。侵食が比較的遅いのは、サイカちゃんのオラクル細胞の制御の高さと灰域適応技術、それと今朝の出来事のおかげかな」
廃墟で見た、あの夢のような光景か。
「あれって何なんですか? 何かエンゲージっぽい感じでしたけど」
「詳しいことは調査中。ざっくりわかっている範囲だと、あの光が及んだ地域の灰域が中和されて濃度が一時的に下がったことと、オラクル細胞の不活化かね」
「不活化」
「うん。オラクル細胞の不必要な活性化を静める作用があったっぽい」
オリガさんはデスクに肘をつき、ペン型のデバイスをくるくると回す。
「そのおかげでハンネス君の侵食も抑えられて命拾いしたんだよ。恐らくサイカちゃんにもその恩恵があったんだと思う」
「……そう言えば、あの光を浴びた時から、手首の痛みが軽くなったし、廃墟を襲おうとしていたアラガミも、大人しくなって引き返していました」
「やっぱそうかー。感応現象の無双っぷりを改めて知るエピソードだね」
ペン回しを止めると、オリガさんの表情が再び真面目なものになった。
「でだ。今はその無双の力で侵食は抑えられているけど、当然無限に続くわけじゃない。今すぐにでも、ちゃんとした施設と技師のいるミナトに行くことをオススメする」
紹介状は書くよ。
彼女は言うが、私は思わず尋ねた。
「ここじゃダメなんですか?」
「ダメだねー」
彼女は申し訳なさそうに眉を下げた。
「さっきも言ったけど、このミナトは万年人手不足なんだよ。腕輪の修理をできる技師がいない。昔はいたよ。でも厄災が原因で死んじゃって、それ以来補充ができていないの」
「じゃあ、腕輪が不調を起こしたらどうしていたんですか?」
「紹介状持たせて、秘密裏にダスティミラーへ行ってもらってたよ」
ダスティミラー。
この旅の最終目的地。
「このミナトがプチ引きこもりになってからも、あそこの医療チームと技師連中とはやり取りが続いていてさ。AGEに対する扱いも悪くないし、設備も良ければ腕もいい。信頼していいよ」
「そうですか」
彼女の言葉に、私は半分上の空で頷く。
そうか、結局そこがゴールなのか。
「とはいえ、サイカちゃんはキッズたちのことがあるからね。後でボスと相談しよう」
「わかりました」
「よし、点滴するから、そこに横になって」
言われたとおり、私はベッドに横になった。
オリガさんが点滴の準備をする間、私は考える。
私の旅は続くことになったが、子どもたちはひとまずゴールしてもいいのではないか。
少なくともこのミナトは信頼できる。
それは、このミナトの雰囲気と人々を見れば分かる。
朱の女王で常に感じていた、不穏さもきな臭さも感じられない。
最終的に所属するかはさておき、一時的に預けた方が、子どもたちとっては間違いなく安全だし安心だろう。
だが。
私が選んだミナトへ、私の手で連れていくのではなかったのか。
今度こそ、信頼できる大人と場所へ子どもたちを託すために。
それはここでも良いはずだ。
なのに、それでもと思うのは、単純に私のエゴだった。
私は、みんなと一緒にダスティミラーへ、決めたゴールへたどり着きたいのだ。
しかし、無理強いはできない。
子どもたちにちゃんと意見を聞こう。
そう決め、視線をオリガさんへと向けた。
テキパキと点滴の準備を進めるその姿に、またしても違和感を覚える。
よくよく観察をし、ある疑惑が浮かび上がった。
まさかとは思う。
年齢不詳でふざけ半分の言動をし、ティアウス・ピターの頭のような髪型をした瓶底メガネの女なんて、ぶっちゃけ怪しい。
だが医者なのだ。
高い職業意識を持ち、常識と良識と理性を友とした、命と健康の守護者に限ってまさかそんなことは──。
「ではでは、ちょいとチクリとしますよー」
オリガさんはそう言って太い点滴の針を腕輪に刺した。
痛みはない。
上手い。
だが、屈んで針を刺す時に決定的なものを見てしまった。
「じゃあ、大人しくしててね。あ、寝てていいから」
「一つ聞いていいですか」
「何かな?」
一瞬ためらうが、疑惑は解消しておきたい。
私は声を落として尋ねた。
「オリガさん、きてますか」
「うん?」
「白衣の下に服」
「何だー、そっちか。もちろん着てるよ」
彼女は頷き、恐ろしい早さでボタンをはずし白衣の前を開けた。
「ほら!」
「しまえ」
あろうことか、白衣の下は水着、紫のマイクロビキニだった。
スタイルは抜群にいいし、似合ってもいる。
だが、この場においてはあまりに非常識な姿だった。
その時、診察室のドアがノックと共に開いた。
「オリガさーん、例のAGEさんと話を」
ドアを開けた整備士らしき若い男が固まった。
患者の前で白衣をはだけ、マイクロビキニを見せつけている女医師。
いついかなる時代の誰がどう見ても、異常すぎるシチュエーションである。
何だ、この状況。
と、固まっていた男が口を開いた。
「あ、今日は紫なんすね」
「まーね。今日はほら、お客サンが来るって聞いたからさ、医者らしい知性の高さと、女のエレガントさを演出してみようと思ったんだよねー」
「一応自分のイメージを演出しようとする知性は残ってたんすね」
恐ろしいことに男はこの状況に適応していた。
私は、体調不良とは別のところで目眩を覚えながら二人に声をかけた。
「あのさ、つかぬ事を聞いていい?」
「何?」
敬語が取れてしまったが、構わず続けた。
「いつも白衣の下はそれなの?」
「そーだよ」
「信じがたいことにね」
「いやいやいやいや」
あっさり頷くほぼ裸族のメガネと、肩をすくめる整備士に思わず声をあげた。
「それ、色々どうなの?!」
「衛生面のこと? 問題ないよ。一時間に一回、体拭いてるし」
「そんなことするくらいなら、服着なよ!」
「えー、やだー」
「えーやだー、じゃないよ!」
何なの、この瓶底メガネ。
「あのー、何言っても無駄っすよ」
男の同情を帯びた声に、私は男に視線を向けた。
声同様、私を見る男の顔は同情と諦めが浮かんでいる。
「この人、この件で前のオーナーに叱られても懲りなかったって話だし、ヴァージルさん、あ、ここのもう一人の医者なんすけど、データを出せば従うだろうって抜き打ちで検査したんすよ」
「したんか」
「でも問題なかったって」
「マジか」
衝撃の事実を告げる男の横で、マイクロビキニのメガネが、腰に手を当て胸を揺らしながら張った。
「だってあたし医者だよ。衛生管理は徹底しないとねっ!」
「その格好で言っても説得力ねーよ」
呻き、脱力する。
大丈夫か、このミナト。
やはり子どもたちと一緒に、ダスティミラーへ行った方がいいのではないか。
自分の見る目に自信をなくす傍らで、ピター風のほぼ裸族が整備士の男に向き直った。
「それで、ユーシュン君は」
「ユーシュエンっす」
「うん、何の用かな?」
「本題に入れそうで何よりっすよ」
呆れた調子で言って、男は私を見た。
「神機の件でそこのAGEさんと話をしたいんすけど」
「いいよん」
「あざっす。それとしまってください」
男は冷静に言い、ベットの近くにあった椅子に座った。
「神機を確認させてもらったっすけど、すんません、お手上げっした」
「え」
ユーシュエンと名乗る男は説明をした。
元々私の持つ神機は灰域に適応しておらず、灰域に適応しようと無理をした結果、既にボロボロで手をつけられない状態とのことだった。
「生きよう喰らおうとする執念っすかね。元は無属性だったのに、形を保とうと元のスロットを幾つか潰して氷属性に変化。凍らせることで形を維持しようとしてたんすよ。ぶっちゃけこれ、凄えことなんすよ。でも、灰域種との戦いで力を使い果たしちゃったみたいで」
彼は、極東の人によくある平たく幼い顔を申し訳なさそうに歪めた。
「ちょっとでも手をつけようものなら、あっという間に崩壊するようなバランスで成り立っていて、どんな整備士でも手がつけられない状態っすね」
「ジェンガみたいな?」
「言い得て妙っすな」
白衣の前をしまったオリガさんが口を挟むと、ユーシュエンさんは頷いた。
「そのジェンガも遠からず力を失って自壊する。私らにできるのは、バランスを保つための簡単な調整と、綺麗にしてやることくらいっすよ。力になれず本当に申し訳ない」
「いや、それだけで十分だよ。教えてくれてありがとう」
頭を下げるユーシュエンさんに、私は自由な手を振り笑顔を作った。
初めて聞く話のはずだ。
もっとショックがあってもいいはずなのに、私は何故か落ち着いていた。
体調不良で、それどころじゃないせいか。
「ユーシェン君の腕をもってしてもダメかー」
「ユーシュエンっす」
訂正する年若い整備士に構わず、年齢不詳の女医はため息をついた。
「神機もその使い手もボロボロ。本当なら、どちらか片方でも万全の状態にしてから送り出してやりたかったんだけどね」
「え、そうじゃないんすか?」
「残念ながら、そうはいかない事情ができたんだよ」
怪訝な顔をするユーシュエンさんに、オリガさんは困ったような笑顔を向けるのだった。
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