点滴が終わった後、オリガさんと会議室へ向かった。
会議室には、オーナーのカールさんと、私たちを運んでくれたパイロットのキケさん、そして髪に白髪の混じる温厚そうなメガネの男がいた。
メガネの男は、このミナトの副オーナーでヴィリさんというらしい。
着席した私は、ここまでの事情を説明した。
「それは本当に大変でしたね」
説明をし終えた私に、ヴィリさんが労りを込めた視線を向けた。
「数日とはいえ、子ども連れでアラガミに戦乱、そして灰嵐に怯えながら限界灰域を縦断するのは、我々の想像の及ばない苦労があったことでしょう。当ミナトでゆっくり静養をして頂きたいところですが」
「ああ、そうはいかなくなった」
カールさんが口火を切った。
「サイカさんの腕輪が損傷し、早めに別のミナトへ移送することを、オリガさんから提案された」
「あちゃー、腕輪をやっちまってたのか」
渋面で言うキケさんに、カールさんは真剣な表情で頷く。
「このミナトに腕輪を整備できる技師がいない以上、他のミナトへ移送することに異議はない。そしてこの近辺に、腕輪の整備のできる設備と技師のいるミナトと言えば、バランとダスティミラーになるが」
「ダスティミラー一択でしょ」
「そもそもバランとは厄災以降、没交渉ですからね」
カールさんがヴィリさんに目を向ける。
「先般の作戦で、かのミナトもごたついていると聞いたが、連絡は取れそうか」
「問題はありませんよ。あそこのミナトは、最新設備と優秀な人材の宝庫です。まるで夢物語のようにね」
「頼めるか」
「かしこまりました。この後すぐに連絡を取ります」
「オリガさん、紹介状は」
「すぐに用意できますよん」
「そうか。なら、最短で昼前には出れそうな感じか」
言ってカールさんは私を見た。
「だが、ここで問題になるのは、君の連れてきた子どもたちのことだ。一緒に行くとするなら、彼らの体調次第になる。本来であれば君もそうだが、灰域濃度が低いとはいえ体調不良での山越えと、アラガミ討伐を含めた長距離移動は、人道的に見過ごせない」
「ええ。わかっています」
私は頷いた。
それは先程考えていたことだった。
だからこそ、ここで私の意志を表明しておこうと思った。
「私は、子どもたちと一緒にダスティミラーへ行きたいです」
そして、先程考えていたことをこの場にいる全員に告げると、カールさんは深く頷いた。
「そうだな。子どもたちの意見を聞くとしても、できることなら君の願いを叶えてやりたいところだが」
「飛行機で送ってやることができればなあ」
「できませんよ。即アローヘッドの地対空兵器に落とされ、向かった先のダスティミラーの立場も危うくなります」
椅子に寄りかかり、手を頭の後ろで組んで言うキケさんに、ヴィリさんは眉を寄せた。
「ここが灰域航行法の領域から外れ、その旗頭となるアローヘッドとの外交が断絶している今、向こうからしたら、我々は朱の女王と同じく無法者の集まりです。そんな無法者の車両や航空機が領域内へ入るのは」
「えーえーわかっていますがね、人命がかかっているのに、もどかしいったらねーや」
「気持ちはわかりますが、これこそが、彼らが人々の命と土地と財産を守るために張った枷です。我々はこうなることを承知の上で、その枷から離れたんですよ」
そう言えば、オリガさんと腕輪の話になった時、ダスティミラーと秘密裏に連絡をとって行かせたと言っていた。
灰域航行法から外れて自由かと言えば、それはそれで様々な問題があるようだ。
やはり、この世はままならない。
その時、会議室のドアが開き、トーヴェさんと子どもたち、そして理知的なメガネで白衣のイケメンがやってきた。
「サーイーカあああっ!!」
クロエと手を繋ぎ、べソをかいていたダニーが、私を見るやいなや突進してきて勢いよくしがみついた。
その衝撃に、思わず目を閉じる。
相変わらずいいタックルだぜ、小僧。
衰えた体に超キくわ。
私は気持ちと体勢を立て直した。
「ダニー、どうしたの?」
「あの……、それがですね」
疲れた様子のトーヴェさんが言うには、どうやら検診の採血で、注射嫌いのダニーがギャン泣きしながら見事な大脱走をして、医療施設内は大騒ぎになったという。
「あんなになったの久しぶりだったよ。本当に大変だったんだから」
「メルシー。お疲れちゃんだよ」
トーヴェさん同様、疲れた表情で言うクロエの肩に手を置いた時、抱きつくダニーの腕に力がこもった。
「白いおじさんとおばさんたち、きらいっ!!」
会議室を響かせるその声に、白衣の男はショックを受けた様子で立ち尽くした。
深い影がさした状態で身体が傾く彼に、ビャーネとアルビンが声をかける。
「……あー、なんだ、ほら、元気だせよ。おっちゃん頑張ってたじゃん。きっといいことあるって。なっ」
「なんかホント、すみません。悪気はないので」
「うん、ありがとう。いいんだ。わかってるから」
子どもに慰められ気を遣われる、いい歳をした医者の姿。
……何だこれ。
すると、隣にいたオリガさんが体を寄せてこっそり耳打ちをした。
「彼、ヴァージル君って言うんだけどさ、あの涼しそ~な面構えで、実は大の子ども好きなんだよ。ここ、子どもが少ないからさ、今日はメッチャ張り切ってたんだよねー」
「そうだったのか」
抱きつくダニーの背を軽く叩いて宥めながら、黄昏れつつ着席する医者を見つめる。
後で、看護師の人も含めて謝っておこう。
「やはり、子どもがいると違いますね。場が明るくなります」
「そうだな」
ヴィリさんが目を細めて言うと、カールさんは苦笑した。
私の隣にクロエが座り──クロエもそばにいなきゃやだという、小僧たっての希望だ──、ビャーネ、アルビンの順で着席した。
カールさんがここまでの話を、子どもが理解できて、尚且つ心理的な状態を加味した上で説明した。
「サイカ、一人で行くの?」
クロエの不安げな声に、ダニーが再びグズる気配を感じた。
ダニーの背を叩きながら笑顔を作って答える。
「あんたたちの体調次第だって」
「オレは元気だぞ!」
「うん。わかる」
ビャーネの身を乗り出しての主張に、私は頷き、隣のピター風味の女も何度も頷いた。
「うんうん、ひと目でわかるよー。いいことだねー」
「確かに君は全くもって問題ないが、他の子はそうはいかないんだよ」
続いたヴァージルさんの言葉に、カールさんが反応した。
「他の子たちに何か問題があるのか?」
「いえ、概ね良好ですが、やはり疲れが溜まっています。ちゃんと栄養を取って、しっかり休ませてあげたい」
「そうだな」
そして、カールさんは子どもたちを見た。
「君たちの意見を聞きたい。君たちはここに留まり、休養をとりながら、復調したサイカさんの迎えを待つという選択肢がある。それまで君たちの安全と生活は保証しよう。それともやはり、サイカさんと共に旅を続けたいかね?」
すると、子どもたちは揃って頷いた。
「みんなといっしょがいい」
ポツリとダニーが言い、クロエが黙ったまま私の服を掴んだ。
嬉しかった。
私と共に歩んでくれるその気持ちが、たまらなく嬉しかった。
この気持ちを忘れなければ、どんなことにも耐えられる。
そう思えるほどに。
カールさんは神妙な表情になった。
「オリガさん、サイカさんがここに留まれる猶予はどれくらいある?」
「あんましないですね」
「そうか」
すると、アルビンが表情を険しくしてオリガさんを見た。
「そんなに悪いんですか」
「早ければ早いほどいいってことだよ」
核心には触れずにオリガさんは言うが、敏いアルビンのことだ。
それとなく事情を察したに違いない。
「私は、全員揃ってダスティミラーへ向かう方がいいと思う」
アルビンが何か言おうとした時、カールさんがそれを遮るように言った。
「彼女達は深層からダスティミラーを目指していたが、ハンネスを助けたことでそれが障害となってしまった。なら、それを取り除き、動けぬハンネスに変わって恩返しをしたいと思っている」
カールさんは視線を下げた。
「それに、離れ離れになって互いに不安な時を過ごすなら、苦しくとも共にあった方がいいだろう」
その言葉に、ヴィリさんとオリガさんがカールさんの方を向いた。
彼は視線を上げ、小さく頷く。
「オリガさん、彼女、明日中なら持ちそうか」
オリガさんはカールさんを見ていたが、頭をかいて答えた。
「そうですねー。今日以上にしんどくなることは間違いありませんが、彼女がそれを耐えられるのなら問題はありません。あたしはいつも通り、最善を尽くすまでですよ、ボス」
「ヴァージルさん、子どもたちは一日休ませれば大丈夫か」
「二、三日と行きたいところですが、事情が事情です。信頼出来る保護者がいない中、見知らぬミナトで何日も過ごすのは、安心よりも不安の方が大きいでしょう。オーナーに同意しますよ」
「二人ともありがとう」
カールさんは私たちに笑顔を向けた。
「決まりだ。君たちは明日、ダスティミラーへ向かってくれ。そのために今日は当ミナトで一泊し、鋭気を養ってほしい」
子どもたちが安堵したのを察し、彼は笑顔を深くした。
「心配しなくてもいい。彼女は大丈夫だ。この旅の最後まで、君たちと共にあり続ける。私たちはそのために力を貸そう」
そして彼は笑顔をおさめ、アルビンに視線を合わせた。
「彼女を、そして
カールさんの真摯な表情にアルビンは面食らったようだが、やがて生真面目に頷いた。
「わかりました。お世話になります」
「よし。では明日のブリーフィングを行う。トーヴェさん、準備をしてくれ」
「かしこまりました、オーナー」
トーヴェさんが、信頼をこめた笑顔で頷いた。
◆
明日の計画と確認が行われた後、その場にいた全員で昼食となった。
内容は、クロエの故郷の料理を取り入れたものだそうで、繊細、複雑、豊潤さを揃え持ったものだった。
この地や周辺の料理が、シンプルかつ高カロリーのものが多いことと比べると、選択肢の多さと高い美意識が感じられる。
ヴィリさんが言うには、このミナトに所属する、この地以外を故郷とする職員から食の改善を強く訴えられ、ならばと彼らの知見を取り入れたとのことだった。
子どもたちはと言えば、そんなものは関係なく大喜びで貪っていた。
こんなに喜ぶなら作ってあげたいが、作るの大変そうだな。
「あれ? サイカ、食わないの?」
皿を舐める勢いで食べていたビャーネが、目敏く私の皿に目を向ける。
そう、この素晴らしい料理を前にしても、私の食欲は一向にわいてこなかった。
体中の体液が先程の点滴になったかのようで、かすかに感じるその臭いと味が、食欲減退に拍車をかけているような気がする。
「残してもいいから、少しでもお腹に入れときな。明日のためにもね」
「はい」
オリガさんの言葉に頷いた。
心配そうに見つめる子どもたちに笑顔を向け、スプーンを動かすとノロノロと食べるのを再開する。
せっかくの料理をだったが、やはり先程の点滴の臭いと味しか感じられなかった。
結局半分以上を残して、私はオリガさんに案内されて、今日は病室のベッドで安静に過ごすことになった。
心配する子どもたちをどうにか安心させ、男子三人は先程のパイロットたちとこのミナトの施設を見学に行き、クロエは私の側に居残ることになった。
「私、機械に興味ないもん。ここでサイカとお話ししながら編み物する」
「クーちゃん、編み物できるの?」
「は、はい。ちょっと、ですけど」
オリガさんに話しかけられ、クロエは戸惑った様子で答えた。
クロエは大人の男が大の苦手だが、大人の女もそこそこに苦手なのだ。
オリガさんは明るく笑った。
「凄いじゃん! あたしゃ母親にやらされたことがあったけど、半日ともたなかったよ」
「……サイカは一時間ともちませんでした」
何、暴露してくれちゃってんの、この小娘ちゃんは。
遠慮なく爆笑するほぼ裸族に屈辱を覚えつつ、私は言い訳を開始する。
「いや、何というか、性にあわなかったんだよ。ちまちまやるの」
朱の女王の拠点にいた時、近所に住んでいた女AGEから習ったことがあるのだが、クロエが即ハマったのに対し、私は全然ダメだった。
あまりの単調作業と、その作業の進まなさに、じれったくもどかしくなったのを覚えている。
オリガさんは笑いを収め大きく頷いた。
「わかるわかる。根気いるよね。性格出るよ。大雑把で飽きっぽいのはやっちゃあかんね」
そうして三人で雑談をしていると、ハンネスさんの奥さんのイーリスさんが、赤ん坊のユリヤナちゃんを抱えてお礼と謝罪にやってきた。
そもそも、ハンネスさんは湖の調査のため、GEの研究者たちの護衛とサポート任務についていたそうだ。
そして、向こう岸で休憩をしていた際に灰域種と遭遇、ハンネスさんはみんなを逃がすため、一人その場に留まり戦うことになったという。
AGEの補充はいくらでもきくが、努力と共に培ってきた知恵と知識は、そうは簡単に補充できないと言って。
彼自身の補充もないというのに、私も含め、本当に大馬鹿野郎だったのだ。
最初は気丈にしていたイーリスさんだが、感極まって涙ぐみ、それが連鎖反応的に子どもに伝わって大泣きし始め、三人で宥めたりした。
「ぶっちゃけ、死んで神機と腕輪しか残っていないと思っていたからね」
何度も何度もお礼をして出ていくイーリスさんを見送ったオリガさんが、白衣のポケットに手を突っ込みポツリと言った。
「彼女が嘆くのは当然としても、心ならずも彼を置いて逃げた人達も、自分たちを責めていたんだよ。でも、サイカちゃんが助けてくれて、彼は奇跡的に生き延びた。あんた達にとっちゃ大変だったろうけどさ、彼が助かったことで、救われた人々も確かにいるんだ。その事は、忘れないでほしいかな」
笑顔とともに言ったオリガさんのその言葉は、今までになく重かった。
そして、オリガさんが休憩をのために出ていき、眠気が押し寄せてきていた私も寝ることにした。
「ゆっくり休んでね。私はここにいるから大丈夫だよ」
その言葉に思わず笑った。
それは、クロエが体調を崩した時に私がよく言っていたものだった。
「メルシー。あまり根を詰めないように。眠くなったら部屋に戻って寝なさいよ」
私は言って、クロエの返事を待たず目を閉じた。
眠りに落ちるのはあっという間だった。
◆
夢も見ずに眠り、点滴の時間とのことで起こされた時には夕方となっていた。
結局クロエも、休憩から戻ったオリガさんに起こされるまで眠ってしまったようだが、編み物の進捗は順調らしい。
今月中には完成できそうだと、嬉しそうに笑っていた。
点滴が終わり夕食の時間となったが、私は病室で食事をとることになった。
消化によく栄養のあるメニューだそうだが、食欲は全くない。
それでも明日のためにと、どうにか食べ進めた。
昼同様、半分以上残して横になっていると、夕食を食べ終えた子どもたちが病室へやって来た。
賑やかに午後の出来事を報告をするのを、ぼんやりと聞く。
夕方になって熱が上がり、解熱剤がまだきいていないせいだった。
「サイカ、本当に大丈夫なのか?」
面会終了の時間となり、心配そうに尋ねるビャーネに私は笑い、その頬を軽く摘んだ。
「今日はしっかり休んで、明日に備えるよ。あんた達も夜更かししないようにね。寝坊したら置いてっちゃうよ」
子どもたちを送り出し、オリガさんはこちらを向いた。
「今更だし脅す気はないけど、この状態は改善しないよ。あたしもやれることはやるけど、覚悟だけはしておいてね」
私は頷いた。
私が選択した結果と報いだ。
それがどれほどのものになるのか、正直想像はつかない。
だが、必ず乗り越えてみせる。
再び眠気が押し寄せ、私は目を閉じた。
そうしてどれくらい眠ったのか、気配がして目が覚めた、ような気がした。
人がいる。
私の右手首の腕輪を両手で添え、私を見つめるのは懐かしい人だった。
「フリーダ、せんぱい」
掠れた声で言うと、彼女は私の大好きだった笑顔で頷き、そして溶けるように消えた。
そうして本格的に覚醒した。
……何故、彼女がいたのだろう。
周囲に視線を巡らすが、闇に沈んだ病室に人の気配はない。
サイドテーブルに置かれた時計を見れば、真夜中まで後二時間ほどの時間だった。
体を起こす。
解熱剤がきいたのか、身体はだいぶ楽になっていた。
水を飲み、トイレを済ませてベッドに横になったが、完全に目が覚めてしまい寝付けそうにない。
エントランスを見てこようかな。
病室でほぼ過し、ここの施設を見て回ることはついに出来なかった。
せっかくだから、この地表では体験できない緑豊かな場所を堪能しよう。
ミナトは電力が最小限に抑えられているようで、誰もいない薄暗い廊下を歩く。
一時的に体調が落ち着いているのか、さほど苦労することなくエントランスへ到着した。
緑の茂るエントランスは、やはり電気も最小限に抑えられ薄暗い。
それどころか、覆い茂る緑が濃い闇となり、どこか不気味で得体の知れないもののように見える。
石畳を照らす光がなければ、回れ右をして病室へ戻っていたかもしれない。
だが、人の気配を感じてエントランスを歩き出した。
ついでに言えば、その気配はよく知っているものだった。
開かれた場所に設置してある白木のベンチに、アルビンが座っていた。
「サイカ」
「
笑って言うと、彼は立ち上がった。
「あんた大丈夫なのか、寝なくていいのか?」
「寝付けなくてね。トイレのついでに散歩にきたんだよ」
「いや、寝ろよ」
「まあまあまあまあ」
私はアルビンの肩を叩き、ベンチに腰を下ろした。
アルビンは軽く睨んだが、素直に私の隣に座った。
私はそびえる緑と、その先の天井からの優しい光を見つめる。
「明日も早いし、ここの施設をちゃんと見ることできなかったからね」
「ダスティミラーで治療を受けたら、荷物を取りにまたここへ戻るんだろ。その時に見れば」
「まあまあまあまあ」
「心配して言ってんだけど」
「タック。でも少しだけ、ね」
再びアルビンはため息をついた。
私の性格をよくわかっているアルビンは、それ以上は言わなかった。
私は視線をアルビンへ移す。
「あんたこそどうしたの。眠れないの?」
「……うん、まあ」
珍しく歯切れ悪い返事だった。
「何か心配事でも?」
「……体調の悪い先輩がいてさ、心配して寝ろって言ってんだけど、聞いてくれないんだよね」
コイツめ。
「うんまあ、その先輩は、あんたが本当に心配している気持ちをわかっていると思うよ」
「どうだか」
アルビンはそっぽ向いた。
私は苦笑した。
「で、その先輩は、あんたにいつも助けてもらって本当に感謝しているの。だから、あんたが困っていたら、力になりたいって思っているんだよ」
私は言葉を続ける。
「無理に話せとは言わないし、その力を利用するもしないもお任せだけどさ、その準備はいつでもできているよって、思っているから」
「…………」
アルビンは黙ったままだ。
わずかな光量に照らされたアルビンの顔は、困惑し苛立っているように見えた。
一言、声をかけようとして思いとどまる。
自分でちゃんと言葉を組み立てて、話そうとしてくれている気配を感じたからだ。
「わからない。でも、何かムカつく」
そうして言った言葉は意外なものだった。
下手な大人よりも理性的でしっかりしているのがアルビンだ。
だが、この旅の合間に、それが綻んできているのを度々見てきた。
アルビンの、強靭な理性と忍耐強さの真ん中にあって、揺さぶりをかける正体は一体何なのだろう。
疲れとか体調不良ではない、もっと根源的なもののように感じた。
「何に対してムカついているの?」
私だろうか。
まあそれは今更である。
だが、アルビンは視線を落としたまま首を振った。
「……わからない。だから余計にムカついて、頭冷やしにきたんだ」
「そっか」
これ以上聞き出すのは、何となく難しそうだ。
旅が終わった後に改めて聞こうと思った時だった。
新たな気配を感じて、そちらに視線を飛ばす。
緑の茂みから、小さな音を立てて車椅子に座った女性がやってきた。
今まで見てきた誰よりも年老いた女性は、私たちに目を止めると車椅子を止めて笑いかけた。
「
「ヒュヴァ イルタ」
つられて挨拶を返すと、彼女はにっこりと笑った。
「見かけない顔ですけど、もしかして貴方達が、オーナーの話していた深層からのお客様でしょうか」
「はい。お世話になっています」
私とアルビンは自己紹介をした。
誰だろうこの人。
パッと見は、体の不自由な小さなお婆ちゃんだ。
だが、意匠を凝らしながらも、コンソールが付き自分で簡単に操作できる車椅子と、上品な身なりとたおやかな所作。
どう考えても私たちとは別次元の存在だった。
「ご丁寧にありがとう。昼間にご挨拶できなくてごめんなさいね。私はニナ。オーナーの、カールの祖母です」
そう言って、彼女は皺が多く刻まれた顔に、親しみを込めた笑顔を浮かべた。
私同様、夜の散歩に来たというニナさんと話をした。
カールったら、徘徊なんて失礼なこと言ってるけど違うのよ、と笑っていた。
屈託のない態度の彼女に緊張が少しほぐれ、深層からここまでの旅の経緯と、今この場に来た理由を話した。
ニナさんは頷きながら話を聞き、そしてアルビンの方を向いて微笑んだ。
「貴方は凄いですねえ。賢くて理性的で我慢強くて。大人でもこんなに強い人はそうそういませんよ」
「……そんなんじゃないです」
アルビンは俯いた。
「最近はイライラしっぱなしだし。……八つ当たりしないようにしてるけど」
「あら、そうなんですか? でも、それを我慢できることは、やっぱり凄いことですよ」
ニナさんの言葉に、アルビンはますます居心地が悪そうだった。
照れているというより、動揺し困惑しているようだった。
と、ニナさんはポンと一つ手を打った。
「ねえ、お二方。良ければ、このお婆ちゃんのお散歩に少しお付き合いしませんか。軽い運動は眠りにもいいと聞きますしね」
「え、でも」
「ヨー! 喜んで!」
ためらうアルビンの言葉を被せるように、私は調子よく答えた。
アルビンが睨むのを感じたが、当然シカトする。
「では決まりですね。大丈夫ですよ。貴方たちは明日早いし、私もこんなですからね。体への負担の少ないコースにしますとも」
アルビンに優しく告げ、彼女は私を見た。
「でもサイカさん、体調が悪くなったらすぐに言ってくださいね」
「わかりました」
「では、出発しましょう」
そう言ってニナさんは車椅子をコンソールで操作し、滑るように小道を進み始めた。
私とアルビンは何となく顔を見合わせ、彼女の後に続いた。
彼女は道すがら、私たちに話しかける。
「ここのことは、誰かから説明を受けましたか」
「はい、オリガさんから」
「俺はトーヴェさんと、キケさんたちから聞きました」
「そう。お話が早そうで何よりです」
彼女は補足という形で、このミナトの概略を語り始めた。
ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
誤字脱字言い回し等、修正がありましたら都度修正します。
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