日の暮れた廃都の路地裏。
深い青に染まる廃墟の風景を照らすのは、謎植物の発光する白と紫の光だ。
ベースにいた時に聞いた話では、かつてここは繁華街で、夜は様々な色の明かりが煌々と灯り、多くの人が行き来する大層賑わっていた場所だったらしい。
今ではそんな面影はほとんど残されておらず、人っ子一人いない陰鬱で危険な場所となっていた。
多少無理をしても今日中にここを抜けたいと思っていたが、子ども四人を抱えてはそれもままならず、しかも行く先の道路とその迂回路には、アラガミが一体ずつ陣取っていた。
どちらも中型種、一体ずつ油断なく立ち回ればどうにか切り抜けられるだろうが、この先の行程を考えると、ここで戦うのはできれば避けたい。
なので、建物の影から様子を窺っている真っ最中だった。
「サイカ」
声を潜めて私の名を呼ぶのは、この場において一番最年少の子だった。
「どうしたの」
「あれは何ですか」
私の腰にしがみつきながら、行く手を塞ぐモノを指差す。
餌場でうずくまる丸い異形。
馴染み深く、見ようによってはユーモラスな、しかしこの灰域には珍しい姿だった。
何故か敬語で生真面目に尋ねる子どもに、私も敬語で返す。
「あれはアラガミです」
「お名前何て言いますか?」
「コンゴウです」
「コンゴー」
ちょっとイントネーションが違うけど、そこはまだ六歳のお子様。
細かい指摘はなしの方向で進める。
「コンゴー」
「そう、コンゴウ。丸くてムキムキなおサルのアラガミです。でも、ただのおサルなアラガミと思うなかれ。背中にパイプが付いているの見える?」
「
「あのパイプから空気を取り込んで、それを弾にして敵を攻撃することもできるの。それが、めっちゃ命中率が高くてね」
「強い?」
「強いよー。でも、あのおサルの厄介なところは耳の良さ。ちょっとでも大きな音を立てたら、あっという間にバレて仲間を呼んじゃうから、こうして隠れている時は気を付けるように」
「ヨム」
元気よく返事をしようとする彼のマスクを慌てて塞ぐ。
私の周囲にいる子ども三人が、一斉に私たちの方を向き人差し指をマスクに当てた。
「シーッ!」
見れば、コンゴウは何かを察して周囲を見渡すが、しばらくすると餌場に再びうずくまった。
どうやら気付かれなかったようで、一安心だ。
「静かにね」
彼はゴーグルの向こうで目を丸くし、ウンウンと頷いた。
素直でよろしい。
マスクから手を離すと、左手側にいる子どもが袖を引っ張った。
「ねえ、オレも聞いていい?」
「はい、何ざますか」
「あれはなんていうの?」
そう言って迂回路を指差す先には、別の餌場でうずくまる角の生えた大きな背中と、その背に繋がる太い尻尾が見えた。
「あれはバルバルス」
「バルバル?」
腰にくっつく子が会話に入ってくる。
「バルバルス」
「バルバル」
「バルバルー」
訂正するも、子ども二人は楽し気にバルバルバルバル言い続ける。
そう呼びたきゃ呼べばいい。
大人でもバルバル呼びする人はいたし、恐らくは通じる。
「バルバル強い?」
左手にいる子が見上げて尋ねるので、私は頷く。
「強いよ。特徴は、見てわかるように左手のドリルだね」
「ドリルっ」
「ドリル、カッケーなあ」
「そうね。人に向けなければね」
ドリルのロマンとやらがわからない私は、雑に同意した。
「あのドリルを使って地中に潜って飛び出しながら攻撃したり、ドリルで地面を抉りながら範囲攻撃をしたり、シンプルに延々と振り回したり。あれと戦う時は、とにかくあのドリルを先に壊すことがお約束かな」
「耳はいいの?」
尋ねるのは、神機を持つ右手側にいる子だ。
ここにいる全員、マスクとゴーグルにフードを被っているため、顔立ちはハッキリと分からない。
だが、そのフードから出ているダークブロンドのお下げ髪と、ゴーグルの向こうに見える目の輝きは女の子のものだ。
「感覚はそこまで鋭くないよ。どちらかと言えば、比較的戦いやすいアラガミなんだけど、アイツうるさいから、コンゴウが気づいて合流する可能性がある」
「そっか。厄介だね」
小さくため息をついたらしいその肩に、私は安心させるべく手を置いた。
「大丈夫。ここで大人しく待っていれば、いずれ餌場から離れる。そしたら、素早く通り抜けて予定の休憩地点まで進もう。後もうちょ」
「ぶぇっくしょーい! うぇーい」
私の言葉を遮り、マスクをしているにも関わらず、この通路の空気を震わせる盛大なくしゃみをしたのは、左手にいる子だった。
私を含めた皆の視線を受け、彼は小さく縮こまる。
「……ゴ、ゴメン。わざとじゃ、ない、よ」
「うん」
私は深く、内心で歯を食い縛りながら頷く。
「うん、仕方ないよね。生理現象だもんね」
ここまでの努力が水泡となった上に、事態の悪化を予感しながら言うその背後で、最年少の子が外套の裾を引っ張った。
「バルバル気づいてないよ」
「そうね。バルバルは気付かない」
頷き、本来向かうはずだった通路へと視線を向ける。
「でも、アイツは気付くんだよ」
餌場で夕食を楽しんでいたはずのコンゴウが、こちらをバッチリと見ていた。
どうしようもない空気が流れる中、最年少の子が、咄嗟に背中に隠れた。
そして顔を出し、コンゴウに向かって口を開いた。
「……
「ちゃんと挨拶できるなんて凄いなー、偉いぞー」
自棄っぱちで誉めた瞬間、コンゴウは胸を叩き、両腕を上げながら屈伸して、この周辺に咆哮を轟かせた。
「走れ!」
その声に負けじと私は叫び、背に寄り添う子を背負い、左手側の子を小脇に抱えて、先程来た道を駆け出した。
「アルビン!」
後ろに付いてきている、子どもたちの中で最年長の子を呼ぶ。
「クロエのフォロー!」
「オケイ!」
「クロエ、苦しくなったら言って。我慢して酷くなる方が、よっぽどマズイからね」
「ウィ!」
駆けながら指示を出し、逃げることに専念する。
とは言え、子ども二人と荷物、そして神機を抱えているので、いつものように走ることはできない。
仮に全力疾走できても、後続にいる子どもたちを置き去りにはできない。
「サイカ、コンゴー何かするー」
荷物と一緒に背に掴まっている子が指摘するが、端的すぎる。
聞き返そうとして、しかし即座に思い至った。
例のエアボムだ!
「アルビン、クロエ、合図したら全力疾走! ダニー、ビャーネ、頭伏せときな!」
「ヨー」
「あいさー!」
そうしている合間に、背後から砲撃音がした。
そして、私の周囲に風が巻きおこる。
「今っ!」
二人が私の横を走り抜けると同時に、私は振り返り、右手の神機を振り上げ片手で盾を展開。
「残念!」
ナイスタイミングでガード成功。
私の腕では、中々珍しいことだ。
即座に盾を閉じて、前を走る二人を追って再び走り始める。
「サイカ」
小脇に抱えているビャーネが声をかけてきた。
「はいはい、なあにっ?!」
「あのさ、オレのせいでこんなことになっちゃたけどさ、……アタシのこと離さないでね。一人にしないで」
……コイツ。
子供心に責任を感じ、不安になる気持ちはわかる。
だが、それをよくも、そんなふざけた言い回しで言えたものだ。
てか、どこで覚えた。
「ビャーネ」
走りながら、小脇に抱えたふざけた存在に呼びかけた。
「そんな軟弱なふにゃチンは、今すぐコンゴウの元へ叩っ込む!」
「こむ!」
「いやだあああっ!」
叫ぶビャーネに構わず、私は言葉を続ける。
「揉まれて轢かれて潰されて、メンタルムキムキなるまで家に上げない!」
「ない!」
「ムキムキ! オレ、メンタルムキムキのマッチョメェン、だよっ! でもさ!」
「挽回したいなら今は黙って生きろ!」
「生きる!」
そうして先行する二人を追うが、前の二人のペースは明らかにダウンしていた。
アルビンはともかく、体の弱いクロエは、顎が上がり大分苦しそうだった。
おまけに、背後からはコンゴウ以外の足音も聞こえてくる。
「サイカー、バルバル来てるー」
「うん! 派手にやらかしてくれたからねっ」
背負うダニーに答え、神機を持つ腕を伸ばすとクロエの体を抱き込み小脇に抱えた。
「重っ」
思わず走る足の動きが鈍った。
荷物や厚手の服のせいもあるが、彼女自身が想定外の重さだったのだ。
彼女を最後に抱えたのは、数年前のこと。
当時からしっかりバージョンアップしていたわけだ。
私の思わず口に出た発言に、息を切らしながら彼女は体を小さく丸めた。
「ご、ごめ……」
「許す! その調子で肥え太って、健康に丈夫に逞しくなりなさい」
「ウィ」
重さに慣れ、再び足は路面を力強く蹴り出した。
子ども三人とその荷物、私の荷物と神機を抱えて走り続けられるのは、ひとえに超人的な肉体を持つAGEだからだ。
それが幸か不幸かはわからない。
「アルビン」
最年長の少年の横に並び走る。
「何」
「あんたはまだ大丈夫ね」
「うん。って、あんたヤバいだろ。定員オーバーすぎだろ」
私の様子を見て、ゴーグルの向こうの彼の目元は引きつっていた。
ドン引きする余裕があるとは頼もしい。
その余裕振りに便乗させてもらおう。
「そのとおりっ! てなわけでっ! あんたはこの先苦しくなっても、その足で私に付いてきなさい。できるね」
「ヤ!」
即答して頷く彼に、私も頷き返した
「よし! しっかり付いてきなさいよ!」
「がんばれー」
ダニーの声援を受け、私たちは暗い路地裏を走り抜ける。
こうして、命がけの逃走は三十分ほど続き、根負けしたらしいアラガミが退散したことで幕を閉じた。
◆
私とこの四人の子どもたちは、かつて『ペニーウォート』というミナトで同じ牢にいた仲間、コジャレた風に言うならルームメイトだった。
ミナトの環境は最悪で、何か虐げ下に見なければ安心できない、大人の形をした子どもの下衆な理不尽が横行していた。
私も例外なくその餌食になっていて、私は、皮の鎧を常に装備したサドでペドな粗チン連中と、やっぱりサドでペドでヒス持ち女どもの憂さ晴らしと性欲処理が主な仕事だった。
心が着実にすり減る日々の中で、私は気づいた。
いや、天啓を得たというべきか。
私はコレが好きだ、という事実に。
それに気づけたことは、本当に不幸中の幸いだったと思う。
連中は何をどうしたところで楽しむわけだし、それなら私も勝手に楽しめばいい。
奴等のために、心をすり減らして苦しむなぞ真っ平ごめんだった。
その日から、好きこそ物の上手なれ、をそのまま実践した。
戦闘はからっきしだったけど、こちらの方はもしかしたらSSS+、いや、これは言い過ぎか。
世界は広く、数多の男と女がいるのだ。
それでも、Sくらいは取れるかもしれない。
ある日、セックスに耽る私を見て、看守の一人がうすら寒そうにこんなことを言った。
「どんだけ好きモノだよ、このメス犬。将来コエーよ」
己と己の所業を棚に上げ、人を貶して見下すことにかけては確実にSSS+を取れる連中だった。
内容は違えど、虐待を受ける日々に心と体を壊していくAGEがいる中で、私がここまでこれたのは、こんなだったからだと思っている。
おかげで仲間を守り、待遇改善に幾ばくかの貢献もできていたのだから、世の中何が役に立つか本当にわからない。
で、数ヶ月くらい前、ミナトが灰嵐に襲われた。
私は四人の子どもたちと共にミナトを脱出した先で『朱の女王』に拾われた。
悪名高きテロリスト集団に助けられ、そこで生活をすることは、もちろん複雑だった。
夢のような風景に漂うきな臭さは常に感じていたし、
だが、
『普通の』日常生活を知らない私に、家事全般を教えてくれたり、食料や日用品をお裾分けしてくれたり、私が任務で不在の時は子どもたちの面倒を見てくれた。
ここまでされて、警戒心を持ち続けることは私にはできなかった。
そうして子ども四人とささやかな、平和で賑やかで忙しい生活を送っていたのだ。
しかし、そんな日々は『グレイプニル』の灰域捕喰作戦のAGE徴集によって終わりを告げた。
そのお達しに、各地でAGEたちは当然猛反発し、灰域やアラガミそっちのけで人同士が争う事態に発展した。
そして、中立を保っていた『バラン』の協力を得た朱の女王は、ついにグレイプニルとの全面戦争に突入。
でも、そのバランが離反したことで、数に勝るグレイプニル側に勝利の天秤は一気に傾いた。
その報はベースでも知れ渡り、戦火が及ぶことをいち早く察した人々は、居住区内の人々を対象に、ベースからの脱出を希望する人を集めて逃がすことになった。
それは、無謀としか言い様のない賭けだった。
限界灰域を生きる術を得ているとは言え、それは、どっかの博士が作った灰域適応技術のおかげだった。
そもそも偏食因子が切れたらおしまいだし、仮に偏食因子はあっても、救助される前にアラガミやグレイプニルに遭遇したり、水や食料が尽きたらやっぱりおしまいだったから。
だが、ここにいても待っているのは、人同士の血まみれの闘争か、この地域の浄化のための生け贄の道のみ。
私は悩み、子どものことや、敵とは言え人に神機を向けることへの激しい抵抗があったこと、そしてある望みのために、周囲の人たちの背を押される形でベースの脱出を選択した。
その選択に、子どもたちは概ね賛同をしてくれたけど、アルビンとビャーネから徹底的に突っ込まれ、クロエが自分の体調から不安を訴えたのは当然だった。
しかし、説得に難航したのはダニーだった。
ここから離れるのは嫌、みんなと離れるのも嫌、痛いのも苦しいのも死ぬのも嫌という、あまりにも正直すぎる反応に、私はもちろん子どもたちも頭を抱えた。
結局、嫌々モードのまま強引に連れて行くことになったけど。
そして昨日、お世話になった人たちに別れを告げ、励まされ応援されながらベースから脱出し、この廃都に辿り着いた。
昨日は慣らしと様子見で進み、今日はある程度は距離を伸ばせるかと思いきや、子ども連れではそうはいかず、予定のルートよりもだいぶ外れた場所に流されてしまっていたのだった。
◆
路地裏にある、小さな雑居ビルの前にたどり着いた。
上の階は巨大な謎植物が居座り、これ見よがしに光って居住権を主張していたが、地下はほとんど侵食が進んでいない。
廃都にはいくつか朱の女王AGEたちが利用していた休憩所があって、ここもその一つだった。
ベースを脱出して二日目の夜。
今夜はこの休憩所で休むことにした。
ここまで細かく休憩を取りながら歩いていたが、先程のこともあって子どもたちの体力は限界だったのだ。
子どもたちと荷物を下ろして扉を開け、玄関の壁に神機を立て掛けると、部屋に備え付けのランタンに火をつけた。
すると、たちまち見慣れた風景が広がり、思わずホッとする。
一晩だけなら問題なく休めそうだった。
私の背後で、アルビンが背負っていた荷物を放り投げ、そこに崩れるように身を投げ出した。
そのまま平たくなって溶けそうな彼に、クロエが心配そうに寄り添う。
「ちょっと大丈夫?」
「大丈夫、だけど、大丈夫、じゃ、ない。疲れた」
アルビンは息も絶え絶えに答えた。
私に付いて頑張って走り続けてくれた彼。
間違いなく本日のMVPというやつだ。
「凄い汗。拭かなきゃ」
彼の体を触ったクロエが、慌てて自分の荷物からタオルを取り出して彼に差し出す。
私は、荷物を部屋に入れながら声をかけた。
「アルビンお疲れ。よくついて来れたね。頑張ったじゃん。汗を拭いて着替えときなよ」
「……わかった」
彼は体をノロノロと起こすと、クロエからタオルを受け取り、フード、ゴーグル、マスクの順に取り外し、顔の汗を拭き始めた。
「みんなもお疲れ様。よく頑張りました! ゆっくり休もうね」
他の子どもたちも、ほっとした様子で荷物を下ろしてぺたりと座り込む。
ビャーネが、自分の荷物から水筒を取り出して私に掲げた。
「ねえサイカ、水飲んでいい?」
「いいけど、飲み過ぎるとご飯食べられなくなるから程々にね。クロエ、ダニーを見てやって」
「はーい」
バスターブレードの柄頭にフードを引っかけると、荷物を広げ、やはり備え付けのストーブに火を付け夕飯の準備を始める。
夕飯と言っても、缶詰を温めたもの──チキンと豆とニンジンをコンソメで煮たもの──と、お湯で戻すフリーズドライの野菜スープ、塩味のビスケットといった、いわゆるレーションと呼ばれるものだ。
ストーブとその炎を見つめる年少組と、食前の薬を飲みながら、彼らをさりげなく監視するクロエ。
しばらくして、着替えたアルビンがこちらへやって来た。
「サイカ、ここは俺が見ておくから着替えたら」
「ありがとう。服はどうした?」
「出しっぱ」
「オッケー。干しとく」
替えの服とロープを持って、部屋の隅へ移動。
体を拭き着替えている間にも、小さくお腹が鳴った。
緊張の連続で意識が向いていなかっただけで、やっぱりお腹は空いていたのだ。
見れば、子どもたちが湯煎中の缶詰に釘付けになっていた。
それなりの距離を今日も歩いた。
ちゃんと暖かいものを食べさせてあげよう。
「ねーまだー? お腹すいたー」
「後もうちょっとだ。食器でも出しとけ」
「ヨー」
「クロエ、俺の分も出しといて」
「ウィ」
着替えて服を干している間に食事は完成し、取り分けて皆でイタダキマス。
そして、黙々とがっつく子どもたちに声をかける。
「どう? 美味しい?」
「
即答するダニーこと、ダニエルは、恐らく元いたミナトのペニーウォートでも最年少のAGEだったのではないかと思う。
私同様、適合試験は甲判定。
元々この地の出身らしく、それにちなんだ言葉を混ぜて話すのが特徴。
甘えん坊、泣き虫、臆病、無邪気と、いわゆるマスコットキャラのような存在だ。
ただ、実際の年齢より幼い言動をしているのは、明らかにおかしい。
恐らくだが、適合試験のショックに幼い心が耐えきれず、退行現象のようなものが起こったのではないか。
隣の牢にいた同期の男が、一緒に任務をした時にそんなことを言っていた。
「オレはサイカの作ったミートボールが食いたいな。マッシュポテトとベリーのソースをつけて」
にこやかに笑って調子のいいことを言うメガネは、先程くしゃみでやらかしたビャーネだ。
口と手がよく回るお調子者のムードメーカーにして、運が良いのか悪いのか、たまにやらかしてしまうトラブルメーカーでもある。
コイツは私同様、適合試験による記憶障害の影響で、実際の年齢やら身元は不明だが、明らかにダニーよりは年上だ。
「ぼく、カレーがいい!」
「カレーもいいな。揚げたチキンと一緒に食いてー」
「食いてー」
弟分のダニーとカレーで盛り上がりそうになる中、私は口を挟んだ。
「さっきも思ったんだけどさ、どこでそんな言葉を覚えてんの?」
「コンゴウに教えてもらった」
「あんた、知り合いにコンゴウがいんの?」
「最後に会ったサイカの友だち」
「……えっ、彼? でも何でコンゴウなの?」
「マッチョだから」
「マッチョをコンゴウと置き換えるのはやめろ」
四人の中で一番気が合い、話が盛り上がるのもコイツだ。
「美味しいけど、甘いものも食べたいな」
「そうね。でもまずは、ご飯を完食してからだよ」
「はーい」
食後のデザートを所望するのは、子どもたちの中で唯一の女の子、クロエだ。
見かけはビャーネと同い年くらいだが、精神年齢は明らかに年上の人形のような美少女。
手芸と裁縫と園芸が大好きな女の子だが、体が弱くて大人の男が大の苦手でもある。
大人の男が苦手なのは、間違いなくペニーウォート時代の影響によるものだ。
ベースに来てから、体調とともに少しずつ改善してきていたのに、また流されることになってしまった。
彼女のためにも、早く落ち着いた場所へ連れて行って上げたいと思っている。
「……赤いのと緑のはいらないな」
「食え。これでも取り分けの時に減らしたんだよ。お残しは認めません」
「何で厄災の時に滅びなかったんだろ」
忌々しげに言うアルビンに、私は小さくため息をついた。
「そうなる前に対抗適応型の野菜が出てきて、あんたの前に立ちはだかったって。諦めて和解しな」
「
木っ端な悪者のようなことを言うのは、本日のMVPアルビン。
子どもたちの中では最年長の十一歳で、年不相応にクールなリアリストで、これも間違いなくペニーウォート時代の影響によるものだ。
シャイで人見知りなところはあるが、忍耐強く面倒見も良い。
一人前のAGEほどでないにしても、子どもたちの中では群を抜いて力があり、私との付き合いも長い。
この中では一番頼りにできる存在だ。
と、ダニーが身を乗り出した。
「ぼく、赤いのも緑のも食べられるよ」
「あげようか、ほら」
「あげるなバカ」
負けず嫌いの野菜嫌いなところは、年相応だ。
暖かい食事をとったことで、子どもたちもようやくリラックスできたようだった。
ベースにいた時は、当たり前のように見てきた光景だったが、それがどれほどかけがえのないものだったか。
まるで、水面に揺らいで瞬き消える陽光のようなものだ。
大きなうねりには逆らえず、灰はただ流され沈むのみ。
そこまで思って、思わず自嘲する。
らしくもなく感傷的になっているじゃないか、サイカ・ペニーウォート。
今さら怖じ気づいたか。
「ごっそさーん!」
「ノンニー」
「ごちそうさまでしょ」
子どもたちの声に視線を上げた。
年少組は夕飯を完食し、隣のクロエも、野菜嫌いのMVPも何だかんだで完食間近だった。
さて、気持ちを切り替えてと。
私は立ち上がって荷物の元へ向かうと、タオルに包まれた瓶を取り出した。
「では、全員食べ終わったら、お待ちかねのお茶にしようかのう」
芝居じみた調子で言うと、その瞬間、子ども四人の目が一斉に私に、正確に言えば瓶に向けられた。
「ヒッロ!」
「ジャムだ!」
目を輝かせ喜びの声をあげるお子ちゃま二人と、叫ばずとも目をギラつかせる小娘と、食べるペースが跳ね上がる野菜嫌い。
ヘッ、わかりやすくてチョロいガキどもだぜ。
「色からしてブルーベリー?」
「いんや嬢ちゃん、これは
「キタコレ!」
メガネが歓声を上げた。
女王のジャムとは、ブルーベリーとラズベリーをミックスしたジャムのこと。
何でそう呼ばれているのか諸説あるらしいが、古くからこの土地で人気のあるジャムだったらしい。
そして、私たちが住んでいた居住区内でも、大人から子どもまで圧倒的な人気を誇るジャムだった。
私が手にしているのは、お裾分けされたベリーで自作したものだ。
「準備しよ、準備!」
「ヨー!」
いそいそと夕飯の片付けをし、お茶の準備を始めるお子ちゃまたち。
こういう時だけ積極的になりやがって。
その積極性で、居住区にいた時も家のことを手伝って欲しかったものだ。
アルビンとクロエは頑張ってくれていた方だが、それにしても現金なガキどもである。
私も夕食を食べ終え、宣言通りみんなの取り皿にスプーン山盛り一杯のジャムを与えた。
「おー、いっぱいだ!」
「昨日から頑張ってくれていたからのう。明日も大変じゃから、これ食べて元気出して行くんじゃぞ」
「はーい」
死ぬ気で完食したらしいアルビンの皿に、ジャムを多めに乗せた。
「本日のMVPには、増し増しにしてやろう。ほれ」
「
無表情に答えるアルビンに、内心渋面となる。
……愛想のない奴め。
ジャムを受け取った彼らは、紅茶に混ぜたり、先にジャムを食べてから紅茶を飲んだりと思い思いに楽しんでいた。
表情からして、嘘偽りなく好評なようで何よりだ。
私も一口、口に含む。
あ。
軽くイった、かも。
ついでに、体の要求のままにがっつきそうになる衝動をどうにかこらえた。
濃厚な果実の甘味と酸味が口と舌に心地よく、息を吐き出せばその芳醇な香りが目の前に広がる。
その香りに、居住区の平和な生活が思い出され、ほんのちょっとだけしんみりした。
我ながらジャムは上手くできていた。
作り始めた頃は、火加減を誤って鍋底を焦がしたり、分量が適当すぎてベリーの砂糖煮になった時もあったが、その当時に比べれば明らかに腕は上がったと思う。
胸を張れるほどではないけれど。
作れる料理の数も増え、最近はここから東にあったという大国の料理も教わっていたが、こんな時代のこんな世界では、直近の予定すらもままならない。
お茶の時間が終われば、後は寝る準備をして寝るだけだ。
だが、洗顔と歯磨きを面倒臭がるお子ちゃまと、眠くない遊びたいと駄々をこねるメガネと、髪を拭きたい編み物の続きがしたいと訴える小娘とで、どうにも一筋縄ではいかない。
ふ、餌がなけりゃ発揮できぬカリスマよ。
それでもどうにか、寝袋に入ってくれた彼らに声をかける。
「明日は夜明け前に出発して、ここを抜けるからね。起きられなかったら置いてくよ」
「やだー」
「じゃあ、寝ましょう。おやすみなさーい」
「ユオタ!」
「ボンニュイ」
挨拶する二人の横で、ビャーネがこちらを見ていた。
「サイカ」
「うん?」
「良い夢見ろよ」
「寝ろ」
言いつけ、ストーブの前に戻った。
何だかんだ言っていた彼らも、やっぱり疲れていたようで、あっという間に眠ってしまい、部屋は一気に静かになる。
残ったのは、ストーブの向こうで、ジャムを溶かしたお湯を飲んでいるアルビンだけになった。
「サイカ」
「うん?」
「明日の予定を聞きたいんだけど」
「あの三人に言った通りだよ。明日の夜明け前に出発。できるだけ早くここを抜ける」
私はストーブに燃料を追加しながら答えた。
「ここを出たら、アジトへ行く予定だけど」
「それなんだけどさ、アジトって頼れんの?」
「そりゃ頼れるでしょ。一応、所属しているわけだし」
「そうじゃなくて」
アルビンの表情が厳しくなった。
「連中はさ、オーディンとやらを動かすために、この地域一帯のAGEを根こそぎ連れてきたいんだろ。だったら、ベースを落としたら次は各地のアジトだ。それどころか、数にものを言わせて同時に攻めているかもしれない。そんな所に行って本当に大丈夫なの?」
険しい表情のまま、アルビンは言葉を続ける。
「そもそもさ、本当にここを抜けられるの?」
「アルビン」
彼の言いたいことを察して少し語気を強めると、彼はうつむいた。
「……ビャーネのせいにしたいわけじゃないよ。あれは、本当に仕方なかったんだから。でも、今日中にここを抜けたかったのは、ここの包囲網が完成する前に、廃都から出たかったからだろ。俺たちがこうしている間にも、主要な航路や道路を確実に封鎖しているだろうし、ここに部隊を送り込んでいるかもしれない」
「そうだね」
アルビンの言葉に私は頷いた。
コイツの指摘と危惧は、憎らしいほどに正しく的を射ている。
年不相応にリアリストだと評しているのは、こういうところだ。
そして、こういう時のコイツは、
『大丈夫、諦めなければ何とかなるって!』
『進んでいけばどうとでもなる! 俺を信じろ!』
という根性論や理想論、勢いに任せた発言、説明を省くようなことをすると、途端に不信感を露にして反発するタイプだった。
まあ確かに、理解のできる反応ではある。
子どもながらに状況を把握し、最悪を想定して準備をしておきたいと考えているのに、それを子どもだからと誤魔化そうとするのは、さてどうなのかと。
もちろん状況にもよるが、こういう時のコイツの対処法としては、変に誤魔化さず、手間でもちゃんと説明してやる必要があった。
「あんたの言うとおり、状況は思わしくないよ。予定よりもだいぶ後ろへ流れちゃったしね」
「だよな」
アルビンはため息をついた。
「持っているラジオ、ここだと使えないからあれだけど、主要な航路や幹線道路の封鎖も多分とっくに完了している。ただ、ここへの部隊の投入は、少なくとも今夜はもうないだろうと思っている」
「何で?」
「さっき見たでしょ。アラガミがいるから。ぶっちゃけ巣窟なんだよ、ここ」
現時点で、私たちは運良く回避できているが、ここには多くの大型種が潜み、音に聞く灰域種の目撃例もある。
おまけにここは限界灰域で、私たちがここでのんびりとしていられるのは、灰域適応技術のおかげなのだ。
それらのない彼らが、見通しの悪い夜に、大型もしくは灰域種のいるこの土地へ、AGEを拿捕する部隊を送るリスクの高いことは多分しない。
そんな風に説明したら、彼は頷いた。
「少なくとも今夜は大丈夫だけど、明日から事態はより深刻になるわけだ」
「結局のところ、今回は時間との戦いだからね。だからと言って、あんたたちに無理はさせられない」
「うん。俺とビャーネはまだいけるけど、クロエとダニーはもたない」
アルビンは言って、カップから目線をあげた。
「それと、道路が封鎖されていたらどうするの? アラガミでもけしかけて突破するの?」
「悪くないアイデアだけどね」
笑って言うと、彼は苦々しい表情を浮かべた。
「冗談だよ。俺たちがいる以上、この手はリスクが高すぎる」
「うん。できれば最後の手段にしたいね。だから、地下の水供給施設を使おうと思っている」
「水供給施設?」
聞き返す彼に頷く。
「ここのインフラの名残だよ。地下に上下水道があってね、任務で近道として使っていたことがあったんだ」
「安全なの?」
「灰域濃度が高いことを除けば、潜んでいるのは小型のアラガミだけ。通り抜けるだけだったら、クロエの体にもさほどの影響はないはず。アジトへ向かうかの判断は、ここを出た時の状況を見てからにするよ」
「そうか。わかった」
アルビンはカップをあおると立ち上がった。
「話してくれてありがとう。そろそろ寝る」
「うん。ちゃんと歯磨きしなよ」
「わかってるよ」
煩わしそうに言って、子どもたちの所へ向かおうとする彼の背に呼びかけた。
「アルビン」
「何?」
「ミナトの時からそうだったけど、あんたには苦労かけるね。私がもっと強ければ、楽させてあげられたんだけどね」
「それを言ったら、俺らはただの子どもで、
彼は振り向き、生真面目な表情で私を見た。
「あんたが潰れたら、俺たちも自動的に潰れる。この灰域を、子どもだけで渡っていくのは不可能だ。だから悪いけど、連れてきた以上は弱っちくても頑張ってくれ」
逆に発破をかけられてしまったか。
その言葉に、私は深く頷いた。
「最大限、努力させてもらいますとも。明日もフォローよろしく」
「わかった」
「ありがとう。
「グナッ」
そうしてアルビンも眠りにつくのを見計らって、大きくため息をついた。
そして、何とはなしに天井を見上げる。
アルビンには助けられっぱなしだ。
彼の言動は、人によってはノリが悪くて面倒で煙たい、目の上のたんこぶに違いない。
大人から見ても、生意気なマセガキと見られても仕方がない。
でも、そのおかげで私は、自分の在り方を改めて認識することができたのだから。
そして思うのは、ヴェルナーさんのことだった。
ペニーウォート周辺の灰域で私たちを助けてくれた、紛れもない命の恩人だ。
虐げられたAGEたちに寄り添い、彼らに安心して生活を送れる居場所を作る。
その夢と理想に向かってひた走るその純粋さと情熱的なその姿はカッコよかった。
ぶっちゃけタイプだ。
あの身体は深層の至宝と呼んで相応しいもので、食いたかったし食われたかった。
だが、彼は理想を重んじるが故に、現実的な視点をもってブレーキをかける力が弱く、地に足をつけることができなかった。
いや、虐げられたAGEたちに寄り添い続けていた彼には、ブレーキはあってもかけられなかったのかもしれない。
そんな危うさも含め、ベースの人々は彼を心から信頼し、信奉し、その存在に熱狂していた。
己の理想と彼らの思いを燃料に、浮き足だったまま走り続けた結果がこれだった。
ベースの一部の人が危惧していたように、現実に生きる人の命と生活を天秤にかけられる、地に足のついた強かなバランによって足元を掬われ、取り返しのつかないことになってしまった。
彼にこそ、アルビンのような本当に現実的な側面から、忌憚のない意見をもってブレーキ役となる存在が必要だったろうに。
仮にいたとしても、ヴェルナーさんに聞く耳と心の余裕がなければ意味はないのだが。
視点をストーブに戻し、すっかり冷めてしまったお茶を一口飲む。
この容赦のない現実は、私にある選択肢を用意させていた。
アルビンには言わなかったが、もしグレイプニルの部隊に遭遇することがあったら、素直に投降をする選択肢だ。
せっかく逃げたのに意味がないではないか。
そう思うが、事態があまりにも急激に進んでいて、弱いものには付いていけない状況になろうとしていた。
もちろん、投降した先に待っているのは、オーディンの動力源になって死ぬ未来だが、じわじわと時間をかけて苦しみながら死ぬよりマシなのではないか。
だがそれは、本当に最後の選択肢だ。
私の持てる全てを出し切って、その上で捕まるというのなら、それはもう仕方がない。
人事を尽くしての結果なら、無念ではあるが諦めもつくというものだ。
お茶を飲み干し、私は立ち上がった。
神機の整備をするため、出入り口の壁に立て掛けたバスターブレードに足を向ける。
戦闘同様、あまり得意ではないのだが、アラガミに喰われて死ぬ未来だけは、AGEの端くれとして全力で避けたいところだった。
ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
誤字脱字言い回し等、修正がありましたら都度修正します。
こちらでお知らせなどを語っておりますので、よろしければご覧下さい。
https://syosetu.org/?mode=kappo