限界灰域のデトリタス   作:小栗チカ

22 / 24
故郷 3

灰色の大地に、まばらに生える緑の草と低い木。

大地と同じ色の大きな岩が天に向かって伸びているが、その大半は灰域によって侵食され、燃えているように見える。

まるで火にくべられた薪だ。

黒煙が青空に向かってたなびいている。

 

「何かまぶしいね」

「うん。灰域が薄いと、世界ってこんなに色鮮やかだったんだね」

 

緩やかな勾配の坂を登りながら、ダニーとクロエの会話をしている。

子どもたちの言うとおり、灰域によって陽光が遮られ、全てが灰色にかすむ限界灰域では決して見られなかった風景だった。

深層にいた時は、懐かしく恋しく思っていた風景だったが、今の私には感動する余裕はない。

健康な時なら何ともない坂だ。

実際、子どもたちはヒョイヒョイと登っていく。

しかし私は、歩いて三十分も経っていないのに、既に遅れ始めている状態だった。

体は重く、熱く、なのに寒い。

しんどい。

ただひたすらにしんどかった。

気を緩めれば、身の内から腹ガ減ッタ、喰イタイと大合唱をする声が聞こえて、それが集中力を掻き乱す。

ああ、もう、うるせえな。

腹は減ってねーんだよ、他ならぬお前らのせいでほぼ絶食中だ。

ハハッ、ザマーミロだバカめ、そのまま飢えて死ね!

 

「サイカ、サイカ!」

 

呼ばれて顔を上げれば、アルビンが私の肩を掴んでいるところだった。

 

「大丈夫か。……少し休もう」

「でも」

「こっちも役割分担を決める。あんたは休んでて」

「ゴメンね。この状態で動くのにまだ慣れてないから、お言葉に甘えさせてもらうよ」

 

そうして道沿いの岩に軽く腰を下ろすと、リュックからタオルを出して汗を拭き、水筒の水を一口飲んだ。

ヤバいな、しっかりしないと。

あと数時間じゃないか。

だがその数時間が、恐ろしく間延びしているように思えてならない。

目を閉じて、目からの情報を遮断する。

 

「五十分歩いて十分休憩な。で、俺とお前でサイカの神機を交代で持つ。俺が三十分でお前が二十分だ。キツかったら俺が長めに持つから言ってくれ」

「オケーイ。任せてちょー」

 

アルビンがみんなの役割分担をしている。

元々子どもたちのリーダーではあるが、昨夜のことは全くおくびにも出さず、いつも通りの頼もしさだった。

 

「ぼくはー?」

「ダニーはアラガミがいないか注意を払ってくれ。いつもどおりで良いから」

「……ニーン」

 

ダニーが言い淀む気配。

 

「どうしたの? ダニー」

「今日は、むずかしい、かも」

「難しい?」

「ヨー。サイカ、具合わるいから」

「サイカが体調悪いと、お前のレーダーも不調になるのか?」

「ぼくは平気だけど、サイカがいないと、ぼく一人になって、よく見えなくなっちゃうから」

「んんー?」

 

ビャーネの問いかけに、ダニーはどうにか説明をしようとしているようだが、ダニーの今の語彙では説明は出来ないだろう。

私は目を開け、子どもたちの方を向いた。

 

「私とダニーは、それぞれがレーダーでビーコンなんだよ」

 

子どもたちがこちらを見た。

 

「二人で索敵して、取得した情報を同調して共有、情報の範囲と精度を上げているの。今日の私は不調で、取得する情報がほぼダニーだけになるから、範囲も精度も落ちるよってことだよ」

「へー、そういうカラクリだったのかー」

「だったのでーす」

 

感心するビャーネに、何故かダニーは胸を張った。

 

「ダニー、あんたはいつも通りでいいよ。私もできる限り気を配るから。でも、みんなもいつも以上に注意して進んで。あんたたちは人じゃない。AGEだ。普通の人やGEより勘は働くと思うから」

 

アルビンは頷いた。

 

「わかった。ダニー、頼んだぞ」

「ヨー! みんなも、たのみましたぞー」

「頼まれましたぞ、坊ちゃん」

 

相変わらずのノリでビャーネが応じた。

その横でクロエが私を見る。

 

「じゃあ、私はサイカとダニーの様子を見ていれば良いんだね」

「ああ。ただ、お前も体調は十分に気をつけて。苦しくなったら言ってくれ」

「ダコール」

 

クロエは真面目な表情で頷く。

アルビンとは微妙に色の違う青い目は、気合いが入っていた。

普段、支えられてばかりの自分を不甲斐なく思っているクロエにとって、自分を信頼して何かを任されることは、とても嬉しいことなのだと思う。

結果、体に力が入っているのは、ご愛嬌というやつだ。

四人の様子を見つめ、私は再び目を閉じた。

前にも思ったが、私がいなくてもこの子達なら十分にやっていける。

たまにフォローするだけで、恐らくはもう十分なのだ。

そう、こんな感じで。

目を開き神機のケースを蹴飛ばすのと、ダニーが表情を強ばらせたのはほぼ同時だった。

驚く三人を後目に、ダニーが私に言う。

 

「なんか来る! 青いの!」

「ネヴァンかサリエルかな。みんな岩陰に隠れてマスクして」

 

言って、私もゴーグルとマスクをつけると、ケースが開いて姿を見せた神機の束を握った。

臨戦態勢になったせいかで、身体のダルさは残るが、頭の中は比較的クリアになった。

向こうはこちらを捕捉しているようで、道なりにこちらへやってくる。

さあ、今日も頼んだよ。

ボロボロの神機に呼びかけるが、特に反応はない。

いつものことだ。

 

「サイカ、これ!」

 

ビャーネが渡したのは、この旅ではおなじみになった通信機だった。

受け取り身につける。

 

「ありがとね。じゃあ行ってくる。荷物頼んだよ」

「ヤ!」

「気をつけてね!」

 

子どもたちに背を向け盾を展開、ダイブで坂を登った。

おー、これ楽だな。

これで山道登ればいいのでは?

ガキ共の目の前でアラガミになって、全員食い散らかす結末を望むなら名案だ。

よし、しんどいけど地道に行こう。

そして、山肌がせまる道に沿ってそれはやってきた。

ああ、やっぱりサリエルか。

全体的に青っぽく、スカートを履いた女の形をしたアラガミ。

優美に宙を舞い、光と毒を自在に操る嫌らしい攻撃を仕掛けてくる。

狭い山道では、攻撃をかわすのが難しそうだが、手持ちの武器との相性は抜群だ。

気合いを入れ、ダイブでサリエルに激突、空中で捕喰してバーストした。

着地してオラクルをリザーブし、距離を少し開けて近接形態に戻す。

まずはスカート、それから足だ。

ジャンプ切りでスカートを狙いまくる。

変態っぽいが、そうとしか表現のしようがない。

と、呆気なくスカートが結合崩壊を起こした。

……あれっ? やけに早いな。

チャージ捕喰して、頭に攻撃を当て続ける。

再び浮上し、ご存知の光の柱やらホーミングレーザーなどの攻撃をしかけてくるが、心無しか威力が弱い。

頑張っているアラガミに、照射弾を当て続けていると、あっさりと頭が結合崩壊を起こして地面に落ちた。

思わず我が目を疑う。

何だこれ、おかしくないか?

捕喰してバーストを維持、積極的攻撃をするまでもなく足も結合崩壊。

瞬く間に討伐が完了してしまった。

えっ、もう終わり?

思わず倒れ伏すアラガミを見つめていると、頭の片隅で何かが閃いた。

ここは限界灰域じゃない。

この場所相応のアラガミってことだ。

数ヶ月とはいえ、限界灰域で戦ってきた私は、すっかり限界灰域の常識が染み付いていた。

慣れって怖いな。

バーストが解け、黒ずみ始めたアラガミを神機で捕喰する。

足リナイ。

腕輪からの激痛と共に唐突に聞こえた声。

足リナイ、コレジャア足リナイ。

モットモットモット喰イタイ。

腹ガ減ッタ喰イタイ喰イタイ。

うるせえな、ここぞとばかりに出てきやがって。

 

≪サイカ、サイカ大丈夫か!?≫

 

喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイマダマダモットモット喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ生キタイマダ生キタイ!

ああああああああああああああああっ!!

うるさいっ!

 

≪サイカ! おい、サイカッ!≫

 

うるさいうるさいうるさいうるさい!

マダマダモットモット喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ!

 

「うるせえよっ!!」

 

たまらず声に出して怒鳴った瞬間、自分のしでかしたことに心が凍りそうになった。

無線の向こうでアルビンが、それを聞いた子どもたちの息を飲む気配が伝わる。

罪悪感と自責の思いが、瞬く間に心を焼き尽くした。

やってしまった。

一人で子どもたちを守るようになってから数年、子どもたちに対して感情のままに怒鳴ることは一度たりともしなかった。

疲れてしんどくて怒鳴りたい時もあったけど、どうにか我慢できていた。

なのに、最低すぎる。

 

≪……ゴメン≫

 

アルビンの謝罪の声に、自己嫌悪で涙が出そうになった。

 

「違う。……違うんだよ、アルビン」

 

私は神機を持たぬ手で顔を覆った。

 

「違うよ、あんたに対してじゃない。あんたは何も悪くない。ゴメンね。私、今ちょっとおかしいんだよ」

 

それでも、泣くのは気力の全てを使って我慢した。

傷つけた側が泣くなんて、あまりにもズルすぎる。

萎れそうになる心にムチを打って、声帯を引き締めた。

 

「本当にゴメン。……アラガミは片付けたから大丈夫だよ」

≪わかった。今からそっち行くから待ってて≫

 

通信は切れた。

身の内から聞こえてきた声は聞こえなくなっている。

この件ではっきりとわかった。

オリガさんが処方してくれた薬は、日常生活や簡単な運動をするにあたって侵食を抑え、痛みを和らげてはくれる。

だが、神機を使えば症状が悪化することに変わりはない。

使えば使うほど侵食は進み、地獄の門をくぐる以上の最悪の結末に近づくのだ。

まだ始まったばかりなのに、もうこれかよ。

体を苛む痛みと熱が、心の余裕を奪い取り悲観的な思いに拍車をかける。

足音が近づいてきた。

ちゃんとみんなに謝らないと。

 

「サイカ!」

「お待たせ。さっきは怒鳴っちゃって本当にゴメンね」

 

やってきた子どもたちに向けて、私は頭を下げた。

 

「大丈夫なのか」

 

常の陽気さはどこへやら、心から心配そうに尋ねるビャーネに頷いた。

 

「うん。心配してくれてありがとう」

 

言って手を伸ばし、ビャーネのマスクの上から頬を撫でた。

 

「クロエとダニーもゴメンね」

「大丈夫だよ。ね、ダニー」

「ヨー。サイカ、元気だして」

「……ありがとう」

 

二人の顔を撫で、アルビンの方をむいた。

その両眼は、いつも通りの冷静なものだった。

 

「さっきは本当にゴメン」

「いいよ、わかってるから。怪我はないよね」

「うん。討伐自体は簡単だったから」

「そう」

 

アルビンは頷き、神機のケースを私に渡す。

 

「しまったらよこして。運ぶから」

「わかった」

 

いつも通りの素っ気のない淡々とした応答は、アルビンなりの精一杯の気遣いだろう。

頑張らなくては。

無様でもみっともなくてもいい。

私が、今唯一やりたいことを成し遂げるのだ。

神機をケースにしまい、アルビンに渡した。

クロエから杖を受け取り、みんなを見渡す。

 

「じゃあ、行こうか」

 

子どもたちに笑顔はなく、ただ何かしらの決意と覚悟を決めた目で頷いた。

 

 

山登りは続く。

子どもたちは時折会話を交わすものの、ほぼ無言でひたすら歩き続けていた。

殿を歩く私も、何とかして子どもたちに気を配り続けるが、手首を震源地にして体を苛む痛みは止むことはなく、集中力が続かない。

オリガさんからもらった痛み止めがあるが、ここで使うのは避けたかった。

と、感覚に何かが引っかかった。

 

「あ。この先に何かいる」

 

ダニーも気付いて声を上げると、先頭を行くアルビンとビャーネが振り向いた。

 

「アラガミか?」

「ヨー。まだ遠いし気付いてない」

「……もう少し進もう。ヤバそうだったら声かけて」

 

再び私たちは歩き出す。

アラガミの気配は確実に近づいている。

しかも複数だ。

安易に神機は使えない。

何とか避けることが出来ればいいが。

山肌に沿ってパイプが連なる道を歩き続け、不意に右手側が開けた。

開けた道からは、侵食され続ける岩山が延々と連なり、アクセントカラーのような緑の植物が点在している。

下を覗き込めば、重機が捨て置かれた広場と大きなトンネルらしき穴が見えた。

パイプ同様、恐らくキケさんが言っていた鉱山の名残だろう。

そしてそこに、黒い塊が蠢いていた。

 

「あれは?」

「アックスレイダーとその堕天だな」

 

ビャーネの言うとおり、タフネスで厄介な小型種アックスレイダーの群れだった。

普通のと堕天種とで群れをなし、雄叫びを上げながら小競り合いをしているようだ。

その数二十以上。

限界灰域なら地獄絵図、普通の灰域でも悪夢の光景だった。

 

「ケンカ?」

「縄張り争いかな」

「ケンカなんかしないで、みんなで仲良く住めばいいのに」

「アラガミにも色々あるんじゃねーの」

「色々って、……ご近所トラブルとか?」

「アラガミに近所ってあんの?」

 

しゃがんで崖の下のアックスレイダーの争いを見守る子どもたちだが、私は警戒を解かずに周囲に気を配る。

これじゃない。

ダニーが察知したのは、コイツらじゃない。

その時、雷を纏う気配を感じた。

しかも三匹いる。

 

「本命が来るよ」

「本命?」

 

途端、雷鳴と共に広場に見覚えのある雷球が降り注ぎ、瞬く間にアックスレイダーの群れを蹴散らした。

 

「え?!」

「なっ、何いきなり?!」

「あっちのおっきい岩から来る!」

 

ダニーの言うとおり、岩場の影から雄叫びと地響きをたて、三体はもつれるように広場へとなだれ込んできた。

 

「マイガッ、ヴァジュラだ!」

「みんな静かに下がって。バレたら間違いなく死ぬよ」

 

私の声に子どもたちは頷き、しゃがみながら静かに下がる。

 

「このまま離れるから、それまでは静かに。いいね」

 

山側まで下がると子どもたちは立ち上がり、哀れなアックスレイダーたちを巻き込んだ崖下の大乱闘は放置して、その場を去った。

しばらく黙って歩き、気配が完全に消えた辺りで声をかける。

 

「もう大丈夫だよ」

 

子どもたちは大きく安堵の溜息をついた。

 

「ばじゅらこわかったね」

「ねー。あのヴァジュラも縄張り争いしてたのかな?」

「かもな」

「アラガミ社会も楽じゃありませんなー」

 

子どもたちが会話を始める。

私のせいで沈んだ空気になって子どもたちだが、アラガミ鑑賞会のおかけで元に戻ったようだ。

これでいい。

うるさいのはあれだが、子どもたちの元気な姿は、今の自分の気力を支える力になっていた。

すっかり、子どもたちに支えられちゃってるな。

情けないと思う反面、子どもたちの強くしなやかな心を嬉しく思えた。

その後もアラガミたちをやり過ごし、途中で休憩を挟みながら道を進んだ。

かなりゆっくりめのペースだが、かなり余裕を持った時間配分をしているため行程は順調と言えた。

今回の休憩で、食間の薬を飲む。

隣に座るクロエが、心配そうにこちらを見ていた。

 

「ん? 大丈夫だよ」

「うん。それはわかるんだけど、薬の量が多いなって」

「ハハ。まあ仕方ないよ。あんたは大丈夫?」

「うん、こまめに休憩とれてるから」

「なら何より」

「ちょっとだけ頑張ろうね」

「ダコール」

 

水を飲みながら、雑談をしている男子たちの様子も全く問題はなさそうだった。

 

「それじゃ、また一時間登るぞ。足に違和感があったら言ってくれ」

 

リーダーアルビンの言葉に、私を含め子どもたちは返事する。

そして、再び山間の道を歩き始めた。

 

「ちょうじょうまだかな?」

「もう少し先だよ。疲れたのか?」

「……岩ばっかでちょっとあきた」

「また山の中に入っちゃったからな。でも岩の形見るのおもしれーぞ。あそこの岩、バルバルに似てなくね?」

「ホントだー、バルバルー」

 

男子組が賑やかに先行するのを、私とクロエは後ろから見守る。

 

「ペニーウォート、どうなってるのかな」

 

ポツリとクロエが呟いた。

その表情は暗い。

 

「気になる?」

「……あそこ、嫌なことばっかだったから」

「そうだね」

 

アラガミも出現せず、薬が効き始めたのか体調が比較的安定しているため、受け答えをする余裕はあった。

 

「あんたにとっちゃ、しんどすぎる場所だったからね」

「……うん。あ、でも、サイカやみんなに会えたことは良かったって思ってるよ」

「うん、知ってる」

 

私はクロエの頭の後ろを軽く叩いた。

 

「もうあのミナトはないよ。灰嵐で滅んじゃったからね。あんたに酷いこと言ったり、酷い目で見る大人はもういないから」

「うん」

「そう簡単に忘れられないだろうけどさ、焦らなくていいからね。私は置いていかない。身体と同じようにマイペースで進んでいこう」

「うん。……ベースみたいに過ごせるといいな」

「過ごせるよ。きっと」

 

クロエの肩に手を回すと、そっと彼女は体をくっつけてきた。

あのミナトは本当に酷くて、体の弱かったクロエにキツくあたる大人は多く、おまけに美少女っぷりからぺドな大人にキモい目で見られていた。

そんな経験から、クロエは大人の男が大の苦手となり、その思いの行き着いた先が、世界と大人に対する恐怖と不信だった。

それでも何とか対応できているのは、AGEになる前の環境の良さと、庇護してきた私や他の牢にいた仲間たちがいたこと、朱の女王で人並みの生活を経験したからだろう。

だからこそ、あのミナトを見ることはとても大切だと思った。

クロエに酷いことをする存在は無くなったのだと、クロエ自身の目で確かめるために。

その後もクロエとポツポツの会話をしながら歩いていると、左手側の山肌がなくなり視界が開けた。

 

「あ! 湖だ!」

「おー! すげー!」

 

子どもたちは走り、クロエも私から離れてその後を追う。

そうして四人は、崖から落ちない距離を保ちながら、その光景を歓声を上げて眺めた。

四方を山に囲まれた円形に近い湖が一望できた。

よくよく見ると渦を巻いているようだ。

そう言えば、ここから東にある山間の湖も渦を巻いている所があった。

 

「グルグルしてるー」

「何で渦巻いているの?」

「海だったら潮の流れで説明できるけど、……昔の洗濯機みたいに、湖底にスクリューみたいなのがあるとか?」

「その例えはどうなんだ」

「でもわかりやすいだろ」

「せんたっきー」

 

ビャーネの双眼鏡を順番に回しながら、子どもたちは飽きることなく湖を眺め、思い思いに会話をしている。

私はといえば、渦を巻く湖を見ているだけで目が回りそうだった。

この調子だと、キケさんがオススメしていた山頂の光景も残念なことになりそうだ。

自業自得の体調不良が、恨めしい限りである。

 

「そろそろ行くよ。頂上に着いたらご飯にするからね」

 

子どもたちを促し、私たちは再び頂上を目指して歩き始めた。

順調に進んでいた道のりは、途中でコクーンメイデンの生息地にぶち当たり、やり過ごすことができずに神機を使う羽目となった。

どうにか根こそぎ倒したものの、侵食が進んで例の声と激痛が体と心を更に苛む。

心配そうに見守ることしかできない子どもたちに、私はどうにか笑ってみせた。

 

「ゴメン。あと少しで落ち着くから、ちょっと待っててね」

 

荒い息を吐きながら言い、身の内の嵐が通り過ぎるのを待った。

その時、熱と痛みと飢えを発する腕輪の痛みが急速に和らいだ。

気配を感じてみれば、懐かしい少年が腕輪を両手で掴んでいた。

グンナル、あんたもか。

私と同い年くらいだった少年は、死んだ当時の姿のままだった。

彫りが深く精悍な顔立ちの少年は、歯を見せて笑い、私の腕を叩くと日の光の中に消えていった。

呼吸を整え、私は顔を上げる。

 

「お待たせ。じゃあ行こうか」

「大丈夫か?」

「何とか落ち着いたよ。今のうちに行こう」

 

アルビンとビャーネの手を借りて立ち上がると、コクーンメイデンの生息地跡を通過した。

ふと視線を感じて見ると、ダニーがもの言いたげにこちらを見ている。

恐らくグンナルの姿を見たのだろう。

私は小さく笑い、人差し指を立てて口に当てた。

ダニーは生真面目な表情で頷き、私の真似をすると、クロエにくっついて歩き出した。

私は歩きながら彼のことを思い出す。

グンナルは、私と友人の共通の友人だった少年だ。

私以上の大雑把さと、男子ならではの喧嘩早さと口の悪さ、遠慮のない性格だったが、仲間思いの優しい奴でもあった。

故郷はこの地から遥か西にある、火山と間欠泉とバイキングと呼ばれる海賊が有名な島だと言っていた。

故郷の話をする彼は楽しそうで、彼の故郷を見てみたいと言うと、いつかみんなで行こうなと笑って言っていた。

常に明るく、真昼の太陽のような存在だった彼も、先輩や仲間たちの死を見送り続け、数年後に自分がリーダーになった頃には、傾き沈む太陽となっていた。

彼は、先輩たちと同じく悟り覚悟を決めたのだろう。

故郷へ帰ることは叶わず、この灰域で散っていく未来を、仲間を守るという責任とともに受け入れたのだ。

そして、彼は友人を守って死んだ。

ミナトでも精鋭と謳われた友人を守ることで、その後のことを託したのだと思う。

そのことを責めるつもりは全くない。

ただ思うのだ。

それでも諦めて欲しくなかったと。

ああ、グンちゃん。

生きていた頃は言えなかったし、恐らく面と向かっては今も言えないだろうけど、あんたが故郷の話をしてみんなで行こうと言っていた時の笑顔、私もローも好きだったんだよ。

半笑いで大きく息を吐き、私は前を向いて歩き続けた。

 

歩き続けていくうちに両側に迫っていた山肌はいつの間にかなくなり、右手には連なる岩山、左手には岩山に囲まれた湖が見える見通し良い道に出た。

恐らく山頂は近い。

全身を襲う熱く鈍い痛みに耐えながら、坂道を無言で登り続ける。

前を行く子どもたちが坂道を登りきり、そして声を上げた。

 

「サイカ! 着いたよ、頂上だ!」

 

ビャーネが叫んで言うのを、私は手を軽く上げて答えた。

待ってて、すぐに行くから。

子どもたちが待っている。

吐く息は熱く荒く、体から汗が噴き出す。

それでもどうにか坂道を登りきると、遮るもののない広場のような場所へと出た。

特に頂上と示すものはないが、眼下には連なる岩山と湖と、オレンジの光が灯る煤けた大地が見える。

みんなで固まって前へ足を運んだ。

 

「ペニーウォートだ」

「やっと、目に見える所まで来た」

 

青く見える山々に囲まれた広い広い大地には、廃墟の街が点在し、航路を走る船が小さく見えた。

 

「あれ、もしかしてミナトか?」

 

双眼鏡を覗くビャーネが声を上げる。

見れば何やら窪んだ場所があった。

ビャーネに双眼鏡を借りてのぞいて見ると、ミナトの入り口の残骸と、大量の土砂を被った施設らしきものが見えた。

 

「……そうだね。ペニーウォートのミナトだ」

 

牢獄で過ごし、行動を制限されていた私は、それをパッと見ても故郷という実感はない。

しかしそこで、AGEたちが日常茶飯事のように虐げられ、多くの仲間たちが犠牲になったことを思った時、その潰れた残骸は巨大な墓標のようであり、人の弱さと悪行のかさぶたのように見えた。

いずれあそこは、人の記憶と同じように時間をかけて風化し、地中へ消えていくだろう。

だが、ミナトが行なった所業は人が人である限り、決してこの世から消えることはなく、人なら誰しもが持つ標準装備としてそこに在り続ける。

私は、双眼鏡を隣のクロエに渡した。

クロエは酷く緊張した表情でそれを受け取り、何回か深呼吸をして恐る恐る双眼鏡をミナトへ向けた。

しばらく黙って見ていたクロエだが、やがて双眼鏡を外した。

 

「……本当に、潰れちゃったんだね」

「そうだよ。あんたのあそこでの酷い夢は、終わったんだよ」

 

私が言うとクロエは頷き、ハンカチで目を押えた。

子どもたちも双眼鏡でミナトを見て、それぞれの表情を浮かべる。

猛る感情を押さえ込んでいるであろうアルビンの無表情と、いつになく真剣な表情で見つめているビャーネ。

そして、ダニーが何も言わずに私の左手を掴んだ。

その表情は複雑なものだった。

語彙の少ないダニーは、自分の気持ちを言葉で表現できず、もどかしそうだった。

私は安心させようと、その手を握り返して笑顔を向けると、ダニーはすがりつくように両手で私の手を掴んで寄り添った。

私たちは黙って眼前の風景を見つめる。

ミナトの残骸も含め、あちこちでオレンジの燃えるような光と、黒い煙が立ち昇っていた。

さながら、大火事の後で今なお燻り続け、灰域によって限られた命しか存在できない大地は、絶望的な風景そのものだ。

なのに、些細なもののように思えてしまうのは、その大地にこうして立てる生物(バケモノ)の傲慢さ故か、それとも、視界の大半を占める圧倒的な青のせいか。

太陽が白く輝く雲一つない空は、いくら目を凝らしてもあまりに高く果てがない。

あらゆる生物の営みと思いを、一切意に介さない徹底した無関心っぷりは、いっそ清々しいくらいだ。

あのミナトにいた頃、どうせ死ぬなら青い空の下がいいと思っていた。

そして今、改めて思う。

やはり、この青い空の下で死ねたらどんなにいいことだろうと。

灰域によって喰われ、瞬く間に灰となって跡形もなく散ることができたなら、それはどれほど潔いことか。

しかし、今はそれは叶わない。

私はまだ、この痛みと重さを背負い、この地上を歩き続けなければならないのだ。

私は子どもたちに視線を向けた。

 

「さ、お昼ご飯にしよう。みんなは適当に食べて時間まで休憩していてね」

「サイカは?」

「私は薬を飲んでお昼寝する。アルビン、一時間後に起こして」

「わかった」

 

子どもたちは広場の真ん中辺りで、輪になるなるように折りたたみの椅子を広げ、ミナトで用意してくれた弁当を広げていた。

私はそこから少し離れた所で折りたたみの椅子に腰掛けると、オリガさんが用意してくれたゼリー飲料と、これが昼飯だと言わんばかりの薬を何回かに分けて飲む。

身の内で喚く声に内心で中指を立ててやり、タオルを顔にかけてそのまま目を閉じた。

頼むよ私の細胞。

胡散臭いオラクル細胞なんぞに負けんでくれ。

私の意識は、呆気なくブラックアウトした。

 




ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
誤字脱字言い回し等、修正がありましたら都度修正します。
こちらでお知らせなどを語っておりますので、よろしければご覧下さい。
https://syosetu.org/?mode=kappo
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告