日の出まで後二時間ほど。
ベースを脱出して三日目を迎えた。
「おはよー」
「フオメンタ」
「はい、おはよう。着替えて顔拭いてきな。そこに洗顔一式置いてあるからね」
「あいさー」
朝食の準備をしている間に、その匂いが目覚ましとなったのか、子どもたちがぞろぞろと起き始め、身支度を始めた。
子どもたちの体調は概ね良さそうだが、アルビンの動きが少々ぎこちない。
昨日の全力疾走で筋肉痛にでもなったか。
ひとまずそれは置いておいて、湯煎した朝食を取り分ける。
本日の朝食は、缶詰を温めたもの──チキンと複数の野菜と豆をトマトソースで煮込んだものらしい──と、塩味のビスケット、鶏肉のパテ、そしてお茶だ。
みんな揃ったところでイタダキマス。
「タマネギ、ピーマン……」
「これでも減らしたからね。食えよ」
「みじん切りだったら、まだいけたのに」
アルビンは嘆きながら、それでも口に運んだ。
しかしこのレーション、味もさることながら、栄養のことも考えて作られているようだ。
もっと持ってきたかったところだが、人一人、それがAGEだったとしても持てる量は限られる。
車があればもっと持ち込めたかもしれないが、今度は燃料の課題が出てくるし、そもそも限界灰域に耐えられるような素敵なシロモノは、一般庶民には持ち得ないものだった。
荷物の梱包と輸送は、古今東西から尽きぬ課題であるが、まさか大雑把な私がその課題に取り組むはめになろうとは。
ついでに言えば、地味にストレスになる課題だった。
食事を終え、私は改めて今日の予定を皆に告げた。
「昨日も触れたけど、今日こそはここを抜けます。アラガミの他にもグレイプニルの部隊が展開すると予想され、昨日や一昨日以上に大変になるでしょう。なので、怪我には気をつけて、皆で助け合いながら頑張って進みましょうね」
そして、クロエへ視線を向ける。
「体調がおかしいなと思ったら必ず言うようにね」
「
「ぼく、クロエのこと見てるから」
クロエの横で、ダニーが名乗りをあげた。
「ちゃんとごほーこくしますぞ」
「ダニーったら、まずは自分の心配をしないさいよ」
クロエが呆れて言い、私は笑ってダニーに頷いた。
「それは頼もしいですな。よろしくお願いしますぞ」
「
「ビャーネ、二人を見てあげてね」
「わかってるって」
ビャーネも笑って頷いた。
身なりと荷物を整え、部屋の片付けを済ませる。
そんな中、足の筋肉に沿ってテープを張り付けているアルビンに声をかけた。
「やっぱり筋肉痛は免れなかったか」
「うん。でもこれでいけるよ」
「そっか」
正直な話、彼が使えなくなると、この旅の続行は不可能に近いレベルになる。
この人数での旅を可能にしているのは、彼の運搬能力があってこそなのだ。
すると、ビャーネが頭の後ろに手を組んで言った。
「どっかで車でも落ちてりゃいいのにな。そうすりゃ、もっと楽にできるのに」
「車なんて貴重品、落とすバカいないよ。仮に落としたとしても、アラガミと灰域が見逃すはずないだろ」
「だよなー」
野菜嫌いのリアリストの言葉に、お調子者は肩を落とした。
私はその背を軽く叩いた。
「ま、できる範囲で頑張ろう。それじゃ、もう一度忘れ物がないか確認して。そろそろ出かけるよ」
子どもたちがそれぞれに返事をし、私は外の様子を見るため神機を手にして、音を立てずに外に出た。
夜明け前の廃都は、未だ謎植物の光が目映く、街灯の代わりとなって周辺を照らしている。
周辺にアラガミもグレイプニルの部隊もいないようだ。
皆を呼び寄せ、私は入れ違いに休憩所に戻ると、ストーブの消火を確認して荷物を背負い、改めて道路に出た。
「昨日話してた水供給施設へ行くの?」
横に並んだアルビンの言葉に私は頷く。
「うん。ここから南西にあるよ。最短で進むつもりだけど、アラガミとグレイプニルの動き次第では迂回をすることになる。とは言え、なるべく早く着きたいね」
その施設が押さえられたら、この旅と私たちの命はいよいよ詰み寸前になる。
アラガミをけしかける無謀な策には、頼りたくないところだった。
アルビンは頷いた。
「わかった。殿は任せて」
「オッケー。では出発!」
こうして、三日目の旅はスタートした。
日の出ていない内は、順調に距離を稼ぐことができたが、空が白み始めた頃、周辺の雰囲気が徐々にざわつき始めるのを感じた。
そして、大通りを横切ろうとして周囲を確認した時、舌打ちしたい気持ちにかられた。
「ねえ、あれって」
「グレイプニルだ」
クロエとビャーネが声を潜めて言うように、限界灰域用の装備を身にまとったグレイプニルの兵士が、小走りに大通りを通過していくのを見送った。
やはり、日の出を待って部隊を投入したか。
「サイカ」
「もう少し様子を見る。続いて奴らが」
アルビンに答えていたその時、目端に何かを察し、思わずそちらに顔を向ける。
と同時に、ダニーが服の裾を掴んだ。
「何か、おっきいのいる」
「うん、いるねえ。ヤバそうなのが」
グレイプニルの兵士たちが向かった先に、何かいる。
奴等、気づいているのだろうか。
気付いて向かっている風には見えなかったが──。
と、朝の静寂な空気を震わせる、太く猛々しい遠吠えを聞いた。
続けて聞こえてきたのは、グレイプニルの兵士たちの悲鳴と怒号。
左右を確認して、身を潜めている建物から身を乗りだし、声のした方向に目を向けた。
思わず顔をしかめる。
「マルドゥークか」
白い体毛に赤く輝く触手、前足を白い装甲で覆った、炎のごとき赤い感応波を迸らせる四つ足の獣。
よりよって朝イチで大型種、しかもコイツが出てくるとは。
「ワンワン。白くておっきいワンワン」
「でっけえ。前足太ってえ。もうあれだけで強そうなんだけど」
「うん、昨日の二匹とは比較にならないほど強いぞー。動きが素早くて、あの前足の連続お手つきを食らったら、ただじゃすまない」
私にくっついて観察する年少組に、半ば自棄になって解説する。
「あの前足を覆っている白いの、ガンドレットって言って、あそこから炎を産み出して、範囲攻撃や遠距離攻撃を繰り出してくるんだよ。しかも固くてね、あれ」
「じゃあ、どうやって倒すの?」
「それは──」
「サイカ!」
後方に気を配っていたアルビンが、小さくしかし鋭く声をあげる。
咄嗟に子どもたちもろとも建物に身を潜めた。
しばらくすると、グレイプニルの兵士たちが大通りを全速力で走って通過していく。
恐らく、マルドゥーク鎮圧のために先の連中が増援を呼んだのだろう。
「タック、アルビン」
「
「ここからすぐに離れる。アイツは本当に厄介だから」
「何で?」
「アイツ活性化すると、周辺のアラガミを呼び寄せる力を出すんだよ」
その言葉に応じたわけではないだろうが、遠吠えと共に、肌身に不快な感触が押し寄せてきた。
来た、感応波だ。
「耳いだーい! やだー!」
ダニーが声をあげてうずくまった。
適合試験で甲判定だったダニーは、他のAGEと比較しても感応現象に対する親和性が高い。
だが、幼いゆえにそれに抵抗する力がまだ弱く、まともに煽りを食らってしまうこともあった。
私は半ベソのダニーを抱き上げ、軽く背中を叩いた。
「あー痛いねーやだねー。すぐ収まるから、ちょっとだけ我慢しなー」
宥めていると、背後から唐突に気配を感じた。
硬く舗装された道路が盛り上がり、そこから出てきたのは、
「ドレッドパイク!」
「ちょっ、やだ何で!」
叫ぶビャーネに、クロエが悲鳴をあげた。
一匹どころじゃなく、その背後から何匹も何匹も涌き出てくる。
マルドゥークの感応波に応じて出現したのだろう。
マズい!
左右を建物に阻まれ、迂回するために後退することもできなくなった。
咄嗟に大通りを確認する。
左手にはアラガミとグレイプニルの兵士たちが激戦を繰り広げていて、どちらも見つかったらおしまいだ。
右手側には、現状人影もアラガミもいない。
左手側で、互いが互いに集中している今がチャンスと思えた。
「通りを突っ切るよ。足元には十分気をつけて。アルビン先行! 行くよ!」
「オーケイ!」
私たちは通りに向けて、全力で駆け出した。
八車線のとても広い道路は見通しもよく、今まで狭い路地裏を歩き続けていたため解放感があった。
しかしそれは、見つかりたくない相手に見つかるリスクもはらんでいる。
一刻も早く渡りきりたいのに、五十メートルにも満たない距離がこれほど遠く感じられるとは。
道路の半ばまで来た時、クロエの前方のアスファルトが盛り上がった。
「キャアッ!!」
「クロエ!」
悲鳴を上げるクロエを、咄嗟にビャーネが腕を引いて彼女を引き寄せ、私は片手でダニーを抱えつつ神機を捕喰形態にして突き出す。
現れたドレッドパイクに神機が食らいつくと、走る勢いのまま大きく振りかぶった。
そして、そのまま一気に振り抜くと同時に捕喰形態を解除、緑の塊を放り投げる。
よし、これで──!
「AGEだ! AGEがいたぞ!!」
右手から声が上がった。
グレイプニルの兵士たちだった。
恐らくは、マルドゥークへ鎮圧のために駆けつけた兵士たちだったのだろう。
旅の三日目にして、ついに一番見つかりたくない相手に見つかってしまった。
「足を止めるな! 走れ!」
鋭く叫ぶと、前を行く三人は先程よりもさらに速度を上げて駆け出す。
私も大急ぎで駆け出した時、抱えているダニーが後ろを指差した。
「サイカー、バルバル来てる」
「バルバル?!」
振り向く余裕はないが、耳を済ませば確かに昨日の夜にも聞いた足音が──。
ああもう! 何でこんな時に出てきて……マルドゥークかーそっかーアハハー、あのバカ犬め!
「ドリル、地面にさしてる!」
氷塊の範囲攻撃!
ここは足を止めてガードするしか!
しかし、氷塊は来ないどころか、右手側から兵士たちの悲鳴が聞こえてきた。
右手を見れば、氷塊に吹っ飛ばされた兵士たちに向かって、一気に距離を詰めたバルバルスが、ご自慢のドリルで兵士たちを蹂躙していた。
どうやら奴は、兵士たちを攻撃目標にしたようだった。
バルバルスの相手は、連中にお任せして走り続ける。
「みんなこっち!」
既に車道を渡りきって路地裏へ逃げ込んだアルビンが手を上げている。
そこに、ビャーネと手を引かれたクロエが飛び込むのを見届け、私は全力で車道を渡りきった。
「そのままその道を進んで!」
「ヤ!」
「バルバルがんばれー」
ダニーが声援を送る声とともに、私は路地裏へと駆け込んだ。
再び子どもたちを先に行かせて走り続けるが、不意にアルビンが足を止めた。
息を切らしながら、険しい表情で振り向く。
「向こうの道路に小型のアラガミがいる」
「何匹」
「赤いクモ四匹」
「オッケー。掃除するからダニーを頼んだ」
ダニーを預けると、神機を両手で構えて通路に飛び出した。
クイック捕喰から、バースト。
ステップの範囲攻撃でオラクルを吸収しつつ、バーストが切れそうになったら捕喰をする流れを繰り返し、片付けは完了した。
この道路を渡りきれば、水供給施設の出入口まで後もう少しだ。
皆を呼び寄せて、道路を渡ろうとした時だった。
「いたぞ! こっちだ!」
グレイプニルの兵士たちがこちらに駆けつけてくるのが見えた。
さっきの連中が報告をいれたのだろう。
職務に忠実で大変結構なことだよ、クソったれが。
「走って!」
子どもたちも懸命に駆け出すが、先程よりもスピードは落ちていた。
それでも道路を渡りきったものの、足がもつれたアルビンが転んでしまった。
「アルビン!」
「くっそ! こんな時に!!」
手を貸して起き上がらせている間に、グレイプニルの兵たちが行く手を封鎖し、私たちは建物の壁へと追いやられた。
「神機を捨てろ! 抵抗するなよ、薄汚い野良犬どもめ」
兵士の恫喝に、私は神機を足元へと落とした。
子ども背後へ庇い、周囲をさりげなく観察する。
左手後方に路地が見えた。
スキがあったら逃げ込めるのは、あそこか。
……素直に投降するんじゃなかったのか?
この期に及んで、まだ未練とか執念のような気持ちが残っていることに、我ながら驚いた。
「AGEを発見、捕獲した。メス犬一匹とガキ四匹だ。最初の収穫としちゃまあまあってところで──」
リーダーらしき男が、誰かに報告をし、改めてこちらに向き直った
「朱の女王に荷担する重犯罪者のAGEは、本来なら即刻銃殺刑だが、今回は世界を救う英雄になってもらうのがお上の意向だ」
リーダーが言い、手にした銃をこちらに向けた。
子どもたちが背後で身を縮め、私に寄り添う。
「無駄な抵抗はするなよ。傷つけるなという命令は受けていない。逆らう狂犬にはきつい仕置きをくれてやるからな」
「ふざけんな!」
背後から叫んだのは、ビャーネだった。
ゴーグルの向こうで緑色の目に怒りを灯して兵士を睨み付ける。
「何偉そうに吠えてんだよ。その野良犬がいなきゃ、自分の身一つすらも守れねえクソ雑魚のくせに」
「ビャーネ!」
「黙れ!」
窘めようとする私を遮り、その銃口をビャーネに向けた。
「その臭い口で何か言ってみろ! 今度は容赦なく頭を吹き飛ばすぞ」
「……生きて私たちを連れていくのが仕事じゃなかったんですか?」
「お前はともかく、そのガキどもはオーディンの餌としては量がそもそも足りんだろうからな。ここで一匹や二匹消えたところで、どうということもない」
この!
腸が煮えくり返る思いに耐えている間にも、連中は余裕綽々といったところで距離を詰めてくる。
「う、うう……」
私にしがみついていたダニーが身じろぎし、
「う、う、うわああああん! やあだあ! もうこわいのやあだああああっ!」
そして大声で泣き出した。
恐怖がピーク達し、歯止めがきかなくなってしまったのだろう。
安心させてやろうと屈んで腕を伸ばした時、再び銃声がした。
「ヒッ!」
泣いていたダニーが小さく悲鳴を上げる。
兵士が発砲した弾は、ダニーの足元近くに着弾し、跳ねた。
「うるせえよ、ガキ! 甲高い声でギャーギャー喚くんじゃねえっ!」
ドスのきいた恫喝に、ダニーが完全に固まってしまった。
そして、履いているズボンが見る見る内に濡れていく。
恐怖のあまり、漏らしてしまったのだ。
「見ろよ、あのガキ、ションベン漏らしてやがるぞ」
「ウフフフ。そーんなに怖かったのかなー、男の子なのに恥ずかしいねー」
「ちょっとやめなよ、AGEとはいえちっちゃいのに可哀想でしょ」
「可哀想なもんかよ。躾のなっていない野良犬は、これだから困るんだ」
弱い子どもを口々に嘲り罵る彼らの姿に、頭がクラクラした。
今、見聞きしているこの光景が信じられなかった。
こいつら、本当に正規の兵士なのか。
ミナトの看守どもに負けない下劣さは、一体何なのか。
ああ、これが悪趣味な夢なら良かったのに。
「あいつら!」
アルビンが珍しく怒りの声を上げるが、その腕を掴んだのはクロエだった。
ゴーグルの向こうで涙目になりながら、首を振る。
怒りと恐怖に震える私たちを見下し、リーダーとおぼしき男が告げた。
「さあ行くぞ。そのションベン臭えガキを車に乗せるのもあれだから、途中でマルドゥークの元に捨てていこうか」
「てめえっ!!」
冗談めかして言う兵士に、ついにキレたビャーネが身を乗り出すが、銃口を向けられ動きを止めた。
「動くなよガキ。先にお前がマルドゥークの餌になるか?」
マスクをしていてもわかるほどに顔を歪ませるビャーネと、ゴーグルの向こうで絶対的な安全圏から弱者をいたぶり楽しむ兵士の目を見て、今の今まで耐えてきた私の中で、何かが蒸発し消え去った。
それは、彼らに投降するという最後の選択肢だった。
ダメだ、コイツら。
落胆と失望をもって悟る。
こんなクズどもを雇っている組織に、子どもと命は託せない。
そして、そんな組織のために使う命など、ここに降る灰の欠片ほどもない。
私は、決して上等なイキモノではない。
看守相手に尻尾を振り、体を開き続けた文字通りのメス犬だ。
私を侮辱するならまだしも、子ども相手によくもこんなことを。
……人は、人は自分の安全と正義に酔うと、こうまで醜悪になれるものなのか。
こんなにも無慈悲で無責任なガキに成り果てるのか。
ペニーウォートから溜め込んできた怒りと憎悪に火がつき、その炎は、粘土のように柔らかかった私の『神機を人に向ける』覚悟を固めた。
こいつらから逃げるのは不可能だ。
仮に逃げられたとしても、数に勝る彼らは応援を呼び、今度こそ本当に詰みになる。
その後のことなど想像もしたくなかった。
ならば、全力で潰すしかない。
猛る感情とは裏腹に、頭は冷たく状況を見定める。
私たちを弱者と見なして気が緩んだのか、奴らの包囲網に綻びが生まれていた。
ならば、こちらでその綻びを確実なものにするだけだ。
私は口を開いた。
「ま、待ってください! 兵士さん」
「何だメス犬、いつ口をきいていいと言った」
上から睨まれ、私はビクつきながらも、何とか口を動かした。
「ご、ごめんなさいごめんなさい。あの、投降します。貴方たちの言うことを聞きますから、一つだけ、一つだけでいいのでお願いを聞いていただけませんか」
私は、卑屈な負け犬を装ってリーダー格の男に声をかけた。
「野良犬の分際で人様に」
「この子たちに一声かけさせて下さい」
男の台詞を遮り、膝を付いて惨めなほどに懇願する。
「大人しくするよう、皆さんの言うことを聞くようにちゃんと言い聞かせますから、どうかお願いします」
必死にすがって媚態を滲ませ、怯えて嗜虐心を煽りながら、男の顔を見上げる。
「お願いします。兵士さん」
「……一分だ。さっさとしろ」
「ありがとうございます」
喜ぶ間もなく、私は子どもたちの方を向いた。
「アルビン」
屈んだその体を抱き締め、右耳に小さくそっと囁いた。
「いけそう?」
すると、彼の腕が動いて、私の背中を二つ叩いた。
負けず嫌いもここまでくれば上等だ。
「スキを作るから左手の路地へ逃げて」
「わかった。言うこと聞くよ」
アルビンは、殊更大きな声で答えた。
そうして子どもたちを抱きしめ、一声かけていく。
ビャーネとクロエには逃げることを伝えたが、ダニーはさすがに無理だった。
「お兄さんたち、大人しく静かにしていれば、もう怖いことしないって。お仕事の邪魔をしないように、大人しく良い子にしていようね」
「……ん。わかった。もう泣かない」
「よし。ダニーは強い子だもんね」
抱き締めた背中を軽く叩くと、ダニーはしゃっくりしながら頷いた。
そして、兵士の方を向いた。
背中に手を回し、指を三本立てて腰を一つ叩く。
三秒後に行動開始。
アルビンが服を払うしぐさで応じた。
そして、私は屈んだまま上目遣いで兵士を見つめる。
「ありがとうございます。これで十分です」
「ふん。最初から生意気な口をきかずに、大人しくしてりゃよかったんだよ。よし、それじゃあ行くぞ」
「はい」
頷いた瞬間、アルビンが動いて地面に落ちている神機をこちらに向かって蹴りつけた。
滑ってくるそれをキャッチしながら荷物を外し、立ち上がると同時に盾を展開。
ダイブで左手側の、すっかり気が緩んでいた隙ができていた兵士に突っ込んだ。
アルビンが、私の荷物とビャーネを抱えて路地へと走り出す。
「アルビンに続いて!」
「わかった!」
「この、メス犬がっ!!」
クロエの腕を引き、ビャーネがアルビンの後に続く。
兵士たちが次々と銃を構えて発砲するが、残念、
子どもたちが路地へと逃げ込んだのを確認し、私は声を張り上げた。
「路地のどこかに隠れて! いいと言うまで出てきちゃダメっ!」
そして盾を展開したまま、ポーチからアンプルを取り出した。
虎の子の強制解放剤と回復錠。
自分の体力と引き換えに、強制的にバーストすることができる。
戦闘が得意でない私は、バーストせずに複数の対人戦闘は無理だ。
なら、バーストアーツの力でコイツらを倒すしかない。
躊躇ったのは一瞬、すぐに双方の薬を使った。
バーストした勢いのままに、神機をバスターブレードに切り替えるとステップを踏んでクソガキどもに向かう。
刃ではなく、背の部分を向けたのはせめてもの情けか。
大きく薙いだ刀身に、肉が潰れ、骨の砕ける感触が伝わってきた。
だが、その感触に私は動揺した。
や、やわらかっ……!?
ふかしたジャガイモを潰すような、呆気なさ。
まだ採れたてのベリーの方が歯応えがあるだろうに。
容易く、頼りなく、あまりに儚い手応えに全身が総毛立った。
な、何これっ!?
バーストの高揚感を打ち消す、冷たくおぞましい未知の感触だった。
苦痛と恐怖の悲鳴を上げて倒されていく兵士たち。
だが、止められない。
現に彼らの銃弾は、私の服と肌を裂いていく。
止めたらやられるのは、こちらとて同じなのだ。
なのに、この胸糞の悪さは何だ?!
無我夢中で戦い、バーストが切れた頃には、兵士側に立っているものは誰もいなかった。
優位を誇っていた威勢のよさは、微塵の欠片もなく倒れ伏している。
私は神機の刃をおろし、それを見つめた。
何なのコイツら。
あれだけのことを言っていたくせに、何で、何でこんなに弱いの?!
動揺する私の耳に、呻き声が聞こえた。
「この、バケモノめ……」
倒しきれなかった兵士の一人がノロノロと立ち上がる。
「よくも、よくも仲間をやってくれたな!」
怒りと憎しみを持って叫ぶ兵士に、私は衝撃を受けた。
仲間。
ああ、仲間を倒されて怒っているのか。
私は呆然と彼を見つめる。
散々私たちを見下し嘲笑ったその下衆な心に、仲間のために怒り、勇気を奮って敵に立ち向かう心もあるのか。
人の心の地平において、それらは並んで両立をするのだという至極当たり前の事実に、私は顔をしかめる。
こいつらは弱者である子どもたちを見下し、嘲ったクソガキどもだ。
痛い目にあって当然の相手なのに、何でいきなりコイツらが正義の味方っぽくなってんの。
何で私が悪者のようになってんの。
「おおおおおっ! 仲間の仇!!」
銃を構える兵士に、私は瞬時に間合いを詰めて盾を展開。
放たれた銃弾を装甲で受け止め、そのまま掬い上げるようにして刃を振り上げた。
バーストは切れている。
手加減もかなりした。
なのに兵士は呆気なくふっ飛んで、地面に叩きつけられる。
そして、今度こそ動かなくなった。
『バーストアーツは、使えば使うほどアラガミに近づいていくって話だ』
不意に思い出したのは、隣の牢にいたリーダーの男の言葉だった。
『灰域でアラガミと戦うために必要な力とはいえ、無理やり人外にさせられてこれとは、何ともやりきれない話だよな』
皮肉げに、寂しげに呟いた彼の言葉に、私はついに思い知る。
そうか。
私たちが彼らと同じ人の心を持っていても、彼らからしてみれば、私たちは人の形をした得体の知れない力を持つ未知のバケモノだ。
おまけに、皆の尊敬と憧れの花形だった立場を、灰域の発生とともにAGEに奪われた思いはいかばかりか。
彼らが私たちを虐げるのは、自分達が弱いことを本能でわかっていて、そんな自分を許すことができないからだ。
しかもその未知は、取り除くことができない。
だからこそ、恐怖と暴力をもって管理下におき、見下し痛めつけることで、目の前にある未知と不安を解消しようとしている。
自尊心を守り、安全と安心を得たいという、人なら誰しもが持つ望みのために。
そうとも、だからこそ私は戦ったのだ。
仕方ないではないか、こうしなければ私たちは捕まっていたのだから。
奴らは私たちを虐げた上に、血も涙もなくオーディンの餌にしようとしているじゃないか。
自分の命を、子どもたちを守るためにはやむ得なかったのだ。
だがそれは、この兵士たちも同じようなことを問われたら、同じようなことを答えたに違いない。
何て身勝手で、弱くて幼い人の心か。
救われないのは、力を持つ
力を持つ分、私たちの方が遥かに罪深い。
一方的に蹂躙できる力を持っておいてカワイソーな被害者面か、虫がよすぎるだろ。
私は神機を握りしめ、歯を食いしばる。
「クソッ!」
知りたくなかった。
自分自身が、こんなにも幼く弱い心を紛れもなく持ち、理解できてしまうことなど、こんな形で知りたくなかった。
「クソがッ!」
どうすんの、どうすんだよこれ!
その時、目の前に倒れている兵士が動いた。
「この、野良犬のバケモノめ」
気絶から覚めた兵士は顔を上げ、私を見上げる。
割れたゴーグルから見える青い目は、怒りと痛みと狂気をたたえて輝いていた。
「俺たちから逃れたところで、お前たちにはもう、行く所も帰る所もない。野良犬らしく、この灰域で野垂れ死にすればいい。死ね。苦しみ抜いて死ね!」
とっさに顔を蹴飛ばし、兵士は再び気絶した。
言い付けを守らない悪ガキの気配が、こちらに来ているのを感じたからだ。
「サイカー!」
「ダメよ! ダニー!」
声のした方に体を向けると、こちらに駆け寄ってきたダニーが、私の視線を受けたとたん体を竦めた。
続けて追ってきたクロエもダニーの肩に手をのせたまま固まる。
「いいと言うまで出て来るなって言ったよね」
「……ごめんなさい」
語気を強めて言うと、二人はションボリと項垂れた。
心配してくれたのはありがたいが、安全の確認が取れるまで待って欲しかった。
そう伝えると、二人は揃って頷き、
「そっち行っていい?」
「いいよ」
頷くと、二人はパタパタとこちらへやって来た。
「怪我してる。手当てしないと」
「少し休めば治るから」
「そういう問題じゃないでしょ」
そこに、荷物を抱えたアルビンとビャーネがやって来た。
「サイカ、大丈夫か?」
「うん。かすり傷だよ」
「そう」
そしてアルビンは無表情に、倒れている兵士たちを見た。
「……殺したの?」
「寸でで止めたよ」
「そうか」
アルビンは頷き、隣のビャーネを見た。
「俺とビャーネで、奴らの装備から使えそうなの探してくる。少し休んできたら」
「……わかった。気絶から覚めるかもしれないから気を付けて」
二人は頷くと、倒れている兵士の元へ向かった。
……子どもにこんなことさせるなんて、本当にどうしようもないな。
「サイカ、ここ、すわれるよ!」
ダニーが手を降る場所は、庇のある街路設備だった。
文字が書かれていたとおぼしき謎の長方形のモニュメントと、煤けたベンチが置かれている。
最低限の雨風は凌げそうな、一休みするにはよさそうな場所だ。
周囲に危険がないことを改めて確認し、私とクロエは荷物を持ってそちらに移動した。
ベンチに座るやいなや、ドッと疲れが押し寄せてきた。
やっぱり、戦いは苦手だ。
自分には絶望的に向いていない。
看守ども相手に、セックス三昧している方が万倍もマシだった。
ふと、私は思い至ることがあり、クロエに声をかけた。
「そういえば、ダニーのズボンは?」
「密閉できる袋に入れておいたよ」
「メルシー」
「めるしー」
私に続いて、彼女の故郷の言葉で礼を言うダニーに彼女は小さく笑った。
「
メディカルキットで、私の傷の手当てをしていたクロエが、ふと手を止める。
「あ、ここ綿が出ちゃってる。後で直さなきゃ」
「これくらいならテープで」
「ノン! そんなダサいの許さない」
私の台詞を遮り、クロエはキッパリ拒否した。
服の修繕のためにテープを使うのは、ペニーウォートのAGEたちの間ではよく見かけるものだ。
しかし、お洒落が大好きなクロエの美学には反する行為のようで、それを見かける度に苦々しい表情をしていた。
「テープを張り付けるくらいなら、ウサギのアップリケ張り付けるからね」
「ぼく、クマさんがいい!」
私の隣で元気よく身を乗り出すダニーに、クロエは小さくため息をついた。
「ダニーの服、どこも壊れてないでしょ」
「えー、ぼくのもつけてほしいー」
「じゃあ、サイカの服を直した後に、時間があったら付けてあげるね」
「ホント? やくそくだよ」
「ウィ、約束ね」
さっきの出来事がまるで夢のように思える。
だが、妙な感覚があった。
クロエとダニーが私に触れる度に、居心地の悪さと名状しがたい感情が喉元に競り上がってくる。
……何だろう、これ。
違和感の正体を探ろうとした時、
「サイカ!」
アルビンとビャーネが、慌てた様子でこちらにやって来た。
その様子は、尋常ではないことが起こったことを明確に告げている。
「どうしたの?」
「これ」
アルビンが、手に持っていたものを見せる。
私たちが持っている民生品とは違う、厳つい形のラジオだった。
ノイズが混じり音飛びはあるものの、男性の声がしっかりと聞こえてくる。
《繰り返します。つい先程、グレイプニル広報から、今朝がた、バランによる情報をもとに、グレイプニルの鎮圧部隊が朱の女王の本拠地を襲撃したとの発表がありました》
「えっ」
クロエが顔をひきつらせる。
……そうか、ついにこの時がきたか。
《なお、この襲撃に際し、グレイプニル側の現在の死傷者は、ゼロとの情報が入ってきています》
「何それ。ありえねーだろ」
「情報操作だよ。あのジイさん連中が、自分達に不利益になる情報を流すわけないだろ」
ビャーネの言葉に、アルビンは素っ気なく言いきった。
十一歳とは思えない、このひねくれた言動はどうしたものか。
《本拠地に潜伏していたAGEたちですが、関係筋の話では、グレイプニルに対して抵抗は続けているものの、拿捕した者から順に本部へ移送を開始しているとのことです》
「みんな大丈夫かな。酷い目にあってないかな」
胸に手を当て、悲しげに目元を歪めて言うクロエに、私は目を伏せた。
即答できなかったのは、私の中に残っているなけなしの情か。
「どちらも無傷じゃすまないだろうね」
それでも辛うじて言った言葉は、恐ろしく苦かった。
そして、自分の言葉に私はベンチから立ち上がる。
「すぐに出発するよ。ベースへの襲撃が始まった今、ここにいられる時間はもうほとんど残っていない。私達は、頑張って逃げ延びましょう」
子どもたちは頷き、それぞれに準備を始めた。
荷物をまとめ直して背負うと、ビャーネが両手に何かを抱えてこちらに走ってきた。
「サイカ、これ持ってきたいんだけど」
ビャーネが見せたのは、一見ただのガラクタたちだった。
一目でわかったものもあったが、先程の戦闘で壊れたものもあり、何に使うかはわからない。
「またいっぱい取ってきたね」
「これでも厳選したよ」
「ふーん。……双眼鏡、ライター、針金と」
「トランシーバだよ。壊れたのを修理すれば使えるようになるかもしんない」
ビャーネはいつになく真剣な表情で私を見つめる。
「無線通信が使えるようになれば、これからの旅に何かと便利だと思うんだ。これ、軍用だから性能もいいし。オレ、こういうの好きだから、試してみたい」
ビャーネの表情に、彼が何をしたいのかがわかった。
彼なりに、自分のできることで昨日の失敗から挽回しようとしているのだ。
その機会を無くすようなことはできない。
私は頷いた。
「いいよ。やってみな」
「うん! ありがとう!」
ビャーネの明るい笑顔に、私は笑顔を返しながらも胸に鋭く重い痛みを覚えた。
クロエやダニーと接している時にも感じたものだ。
……本当に何だろう、これ。
しかし、思いを巡らす余裕はなかった。
荷物を持ち、マスクとゴーグルをつけ直した子どもたちを引き連れ、道中に湧いて出てきた小型のアラガミを倒しながら水供給施設へと急ぐ。
そして、太陽が真上に上がりきる前に、無事に施設までたどり着いた。
人には見つからずに済んだのは、不幸中の幸いだ。
鍵を壊して建家に入り、ポツンと設置されているマンホールの蓋をあけ、中の様子を確認した。
発光する謎植物が生い茂っているが、通行に問題はなさそうだ。
子どもたちと荷物を降ろし、蓋を閉めて廃墟の地下道を慎重に進む。
「クロエ、まだ行けそう?」
「大丈夫!」
「オッケー。皆も苦しくなったらすぐに言ってね」
声を掛け合いながら、謎植物に照らされた通路を歩き続けた
小型のアラガミがいないのは、マルドゥークに呼び出されて地上に出たからだろうか。
通路の壁の至るところには、先人たちが残した行先と方向を示す目印と、簡単な一言や絵などが書かれている。
と、ビャーネが立ち止まった。
「なあ、サイカ」
「ん?」
「これ、何て書いてあんの?」
ビャーネが照らす光の先に、文字が書かれていた。
この地の言葉と、アルビンの故郷の言葉が混ざった文章のようだ。
私とダニー、アルビンとで協力し、私たち知る数少ない語彙と限られた時間で翻訳を試みる。
そして翻訳できた内容を一言で言うなら、
「この地の山、谷、浜辺、住んでいるみんな、サイッコー! ってとこかな」
「乱暴すぎだろ」
ゴーグルの向こうで座った目をして言うアルビンに、私は眉をひそめる。
「でも、わかりやすいでしょ」
「わかりやすーい」
「ほら」
ダニーがはしゃいで言うのをうけ、私は胸を張る。
反論しようとするアルビンの肩を、ビャーネが手を置き首を振った。
「やめとけよ。サイカが雑なの、わかってるだろ」
「そうだけど」
「サイカ、謝ったほうがいいと思う」
クロエがきっぱりと言い切った。
「え? 誰に?」
「いろんな人に」
「いろんな人って……、何で?」
「いいから、謝って!」
ダニーを除いて、無言の圧力をかけてくる子どもたちの視線に耐え切れず、私は渋々口を開いた。
「えっと、……ゴメンなさい」
「ゆるしましょー」
「
「それほどでもあります」
「あるんかーい」
私たちのやり取りに、三人の子どもたちはため息をつき、文字の書かれた壁に向き直った。
「この地の、有名な詩なのかな?」
「多分ね」
「残しておきたかったのかな」
「だな」
子どもたちは、感慨深くその文字の描かれた壁を見つめた。
この地と、そこに住む人々を高らかに讃える内容からして、恐らくはフェンリル体制以前に作られたものだろう。
フェンリル体制時に、こんな詩は恐らく書けない。
「サイカ、そろそろ行こう」
「よし、みんな行くよ」
アルビンに促され、私たちは再び歩き始めた。
壁面の文字を頼りに、小休憩を挟みながら歩き続けて二時間以上、ようやくゴールに到着した。
ここから先は謎植物で通路自体が塞がれて使えず、ここの出入り口が廃都から最も遠い場所になる。
穴が塞がれていないか確認するために、子どもたちを待機させて梯子を上った。
何事もなければいいのだが。
蓋は呆気なく動き、思わずホッとした。
そっと動かし、外の様子を確認するが、何者の気配もなさそうだった。
蓋を大きくあけ、地上に出る。
パッと見、先程の風景とはあまり変わってはいない。
灰域で白く霞み紫の光が灯る街並み。
しかし、商業施設らしい建物の数は減り、建物自体の高さも随分と低いものが増えていた。
かつての厄災と、その後の混乱によって至るところで崩壊が進んでいるが、ここが廃都の周辺にある住宅地、廃棄されたサテライト拠点であることは明白だった。
「サイカ、大丈夫か?」
「大丈夫! ゆっくりでいいから、気をつけて上がってきな」
子どもたちを呼び寄せると、続々と穴から出てきた子どもたちは、初めて見る光景に声を上げた。
「おー、何かさっきとは違った感じ?」
「お家ちっちゃいね」
「だな。……ん? あそこ広場か」
「どこー」
「ほら、あそこ」
水を飲みながら、物珍しそうにキョロキョロするビャーネとダニーに構わず、アルビンが私に声をかけた。
「日没までまだ時間があるけど、どうするの」
「ここから少し歩くと丘陵地帯があって、そこに展望台がある。ベースも含めて周辺をちゃんと確かめたいと思っているんだけど」
「距離は?」
「二キロちょっとかな」
「わかった。でも、少し休憩させて欲しい。クロエがへばっているから」
見れば、クロエは肩で息をしながらペタリと座り込んで水を飲んでいた。
私は大きく頷いた。
「もちろん。一時間休憩ね。その後に展望台へ行って状況を確認したら今日はここまで。どこか良さそう場所を探して休むことにしよう」
「休憩所みたいなとこはないの?」
「あるかもしれないけど、ここから先は私も詳しくは知らないんだ」
アルビンは小さくため息を吐いた。
「侵食されていない屋根と壁のある建物があるといいけど」
「贅沢者め。そんなのレア物件だよ」
私は笑って言うが、アルビンは生真面目な表情を変えなかった。
「妥協はしたくない。疲れの取れ方が全然違うから」
「まあね」
そうしてみんなを呼び寄せ、ビャーネが見つけた広場で休憩を済ませると、アラガミをやり過ごしながら崩れた装甲壁を越え丘陵地帯へと向かった。
灰色と紫に煙る景色は、傾く陽光に照らされオレンジ色に染まっており、常よりも明るく温かく見える。
丘陵地帯は背の低い謎植物が生い茂るものの、遮蔽物がないため強風を遮るものがない。
ダニーが突風で転がりそうになるのをとっさに支えた。
「キートス!」
「
緩やかな坂道を道なりにグイグイと登っていき、程なくして目的地の展望台まで到着した。
そして、ベースの方角に目を凝らし言葉をなくした。
ビャーネも、私の横で早速双眼鏡を構えて身を乗り出す。
「あれ、ベースか」
「うん」
「……そんな」
声を上げるビャーネに、感情なくアルビンは応じた。
その横でクロエが両手を組んで、涙目でそれを眺める。
林立する建物と、風に流れていく灰域は濃いため、ベースの全容は見えない。
しかし、遠目にも火の手が上がり、煙が立ち上っているのが見えた。
先程の放送では襲撃を始めたと言っていたが、AGEたちの抵抗は今も続いているのだろう。
ベースに残ることを選択した友人たちは無事だろうか。
数ヶ月という短い期間ながら、平和に過ごしていた馴染みのある景色が今どんな状態になっているのだろうか。
それらを想像するだけで気が重く沈んだ。
強く吹き付ける風が、ベースの姿を曖昧なものにしていく。
まるで、流され沈んでいるかのようだ。
灰域の最果てにして最奥だったはずなのに、崩れながらさらに光すら届かぬ水底へ沈んでいくように見えた。
誰一人として声を出すことなく、その様を眺めていた所に、私のフードの裾を引っ張る気配があった。
「ダニー。どうしたの?」
「ね、あそこにいた人たちはどうなったの?」
調子はどこまでも無邪気なのに、その問いかけは無慈悲なものだった。
咄嗟に言葉に出来ずに黙る私に、ダニーはさらに言葉を続ける。
「死んじゃったの? 何でにげなかったの?」
……何でこんなに答えにくい、大人相手でも口にするのを躊躇う質問をするのだろうか。
子どもだからか、そうか。
私は考えたけど纏まりきらず、それでも何とか口にした。
「わからないな」
「わかんないの?」
「うん。襲ってきた人に連れられたかもしれないし、戦って死んだかもしれないし。……逃げなかったのは、色んな理由があると思う。大切な人や仲間を守りたいっていうのも立派な理由だよね」
「ヨー」
「それと、自分の命の使い方は自分で決める。それを戦って反抗することで、相手に伝えたかったからだと思うよ」
私は視線を再び霞むベースへと向ける。
「自分で決める」
「うん。襲ってきた相手は、この土地を綺麗にするために、私たちの命をよこせと言ってきた。でも、私たちだって生きたいし、命を懸けるのなら、それは誰かに命令されたからではなく、自分で決めたかったの。でも、決めさせてもらえず、強引に連れていこうとした。だから、勝ち負けとか関係なく戦って抵抗して、自分の意志を貫こうとしたんだと思う」
案の定、ダニーは理解できていない表情をした。
私自身、考えがまとまりきれていないのに、子ども相手に分かりやすく説明するのは難しすぎた。
「何で、みんな人とたたかっているの? ぼくたちがたたかうの、アラガミでしょ? 何で?」
だから何で、立て続けにそんな質問をしてくるのか。
ダニーを除いた三人の子どもの視線が、同情の色を帯びて私を見ている。
だが、私は見逃さなかった。
この三人もまた、私の真意をはかろうと、細心の注意を払って聞き耳を立てている。
子ども、怖い。
ただ一人の年長者として責任重大な中、私は考えをまとめ、言葉を選びながら話し始める。
「誰かを犠牲にしても生きたい、守りたい、安心したいって、必死だからだよ」
「そのせいで、みんなかなしい思いしてるのに?」
「うん」
脳裏に浮かぶのは、廃都で対峙した下衆な兵士たちと私だった。
「何もかもが余裕がなくて、自分のことで手一杯なの。不安で怖くて、早く安心したいと思っている。だから、分かりやすい手っ取り早い方法で強引に解決しようとして、こんなことになっているんだと思う」
「……よくわかんない」
やっぱり難しかったか。
私は苦笑した。
「ごめんね。わかりやすく説明できなくて。わかりやすく話せるように、もうちょっと考えてみるね」
「いいよ。ぼくも、もっと勉強するー」
「そっか。ダニーは偉いね。私も勉強しないとね」
「ねー」
ダニーの頭を軽く叩くと、彼は嬉しそうに腰にしがみついてきた。
途端、またしても胸が傷んだ。
ベッタリと油汚れが張り付くような感覚は、ダニーに嫌悪を抱いたからではない。
それだけは確実で、でも、明らかに自分が汚れたと感じるこれは何だ?
「サイカ、そろそろ日が落ちる。戻らないと」
「うん、そうだね」
アルビンの声に我に返ると、私はそっとダニーを引き離し、子どもたちを見渡した。
「じゃ、さっきの場所まで戻って休める場所を探します。しばらく歩くことになるけど、後もう一息頑張りましょう!」
子どもたちは元気に応じ、アルビンを先頭に来た道を引き返し始める。
クロエは、しばしベースを見つめていたが、一つお辞儀をして皆の後について歩き始めた。
それを見届けた私は、改めて周辺を確認し、子どもたちの後に続いて歩き出そうとした時だった。
『俺たちから逃れたところで、お前たちにはもう、行く所も帰る所もない』
不意に思い出したのは、先程の下衆な兵士の声。
『野良犬らしく、この灰域で野垂れ死にすればいい。死ね。苦しみ抜いて死ね!』
思わず動きを止める。
日は地平の向こうへと姿を隠し始め、ますますベースはその形を曖昧なものにしていく。
風と灰域と闇の向こうへ消え去ろうとする姿に、拳を握りしめた。
そうか、あの男が言っていたのはこのことか。
思わず鼻で笑った。
呪いの一言であるはずなのに、まるで激励のように聞こえるのはどうしたことか。
……ああ、上等だとも。
子どもたちと共に足掻いてもがいて、必ずたどり着いてみせる。
それは、無念の天の果てか絶望の地の底か。
それとも、目指すミナトか。
私は右手を左胸にあてて、ベースに向けて一礼した。
束の間とはいえ、人らしい平穏な生活を与えてくれた人と場所に感謝の意を捧げ、子どもたちを追って再び歩き出す。
逃げ帰る場所は最早なく、生きるための旅が本当の意味で始まったのだった。
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誤字脱字言い回し等、修正がありましたら都度修正します。
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