次の任務までそこそこの時間があった。
居住区に戻って仮眠をとるつもりだったが、足は自然と展望公園と呼ばれる場所へと向かっていた。
深層の街を一望できるこの場所は、ここに住む人々の人気の場所で、私にとっても例の湖と並ぶお気に入りの場所の一つだった。
広場では、普段は居住区に住んでいるであろう子どもたちが、マスクとゴーグルをつけ、楽しげな声をあげてボールを追い回している。
清浄だが限りのある地下より、灰域に汚染されていても広々とした外がいいのだろうか。
広場の設備は、灰域の侵食を免れることはできない。
それでも補修が入っているらしい柵の近くには、比較的綺麗なベンチが設置してあって、私と同年代くらいのAGEたちが端末を見ていたり、寝そべっていたりと自由な時間を過ごしている。
彼らを横目に私は柵に手をかけ、空を仰いだ。
深層の空は、思いのほか単調だ。
強く明るく輝く太陽も、風の舞う彩り豊かな空も、重く垂れ込め時に雷光をまとう雨雲も、深く透き通るような夜空を飾る星も、青々と瑞々しく輝く月も、全て灰域によって薄い膜を覆ったように霞み、本来の美しさを伝えるには至っていない。
来た当初は、紫の光と白く煙る幻想的な風景に浮き足立ったものだが、今ではすっかり慣れてしまい、そして物足りなさを感じるようになっていた。
かのミナトにいた頃、先輩や仲間、友人の死を見届け、比較的死を身近に接してきた私には、実に後ろ向きな望みがあった。
どうせ死ぬなら青い空の下がいい。
何だかんだで今まで結構頑張ってきたと思う。
なら、頑張った最後に見る風景くらい、壁と天井に囲まれた場所ではなく、人の悲しい顔でも泣き顔でもなく、清々しく美しいものであってもいいじゃないか。
目の前に広がる街の風景と、空模様に小さくため息をつく。
色鮮やかな地上の風景が恋しい。
だが、状況が状況だ。
まずは、がんばって生き延びよう。
そのためにも今は一休みだ。
背後が騒がしいことに気付き振り向けば、子どもたちに囲まれている人陰があった。
赤い髪と対照的な深い緑色の軍服に黒いコートを着た偉丈夫。
その姿に心が踊った。
拠点の主にして、私と子どもたちの命の恩人、ヴェルナー・ガドリンその人だった。
彼は警護の人を連れ、子どもたちと話している。
弾ける笑い声と、ヴェルナーさんの笑顔。
過激派テロリスト組織の首領と聞いたら、血と暴力と闘争の象徴、畏怖される存在を思い浮かべるだろうが、今の彼にはそれが当てはまらない。
それどころか、子どもたちを温かく見守るその笑顔は、嘘偽りのない彼の素直な心根を感じた。
だからこそだろうか、何故か違和感があった。
何が? と聞かれるとすぐに言葉にできないのだが。
その彼が不意にこちらを向き、目があった。
とっさに会釈をして、視線をはずす。
だが、予想に反して気配がこちらに近づいてきた。
私はマスクとゴーグルを外し、彼らに頭を下げた。
「こんにちは。お疲れ様です」
「ああ。君は確か、サイカ・ペニーウォートだったか」
「はい」
彼は、灰域に取り残されていた私たちのことを覚えてくれていた。
先月だったか、私たちの住む居住区を視察に来た時も声をかけてくれた。
私たちが特別というわけではなく、ベースを視察する時の彼は、誰に対しても気さくで朗らかだった。
「休憩かね」
「はい。次の任務まで時間があるので、気分転換に散歩に来ました」
「そうか」
彼は頷いた。
「子どもたちは息災か。何か不足しているものがあるなら遠慮なく申し出るといい。できうる限り、希望は叶えよう」
「ありがとうございます。……では、ダニー、ダニエルが貴方に会いたがっていたので、機会があったら顔を見せて頂けると嬉しいです」
我ながら無茶な申し出である。
半分冗談とはいえ、さすがに警護の人の視線がキツくなるのがわかった。
ええ、ええ、わかっていますとも。
だが、ヴェルナーさんは片手をあげると表情を緩めた。
「それならお安いご用だ。確か、あの子の好物はサルミアッキだったな。土産に持っていって一緒に食べるとするか」
「いえいえ、そこまでしていただかなくても大丈夫ですから」
さすがに慌てて遠慮をするが、ヴェルナーさんは笑みを崩さなかった。
「なに、君たちの住む居住区にはしばらく足を向けていなかった。また近いうちに立ち寄らせてもらおう」
「……わかりました。ぜひ」
笑顔を作って頷いた。
子どもたちや近所の人は素直に喜ぶだろうし、私もそのステキな身体を服越しに鑑賞できて大喜びというものだ。
彼は私の横を通り、柵に向かって歩きだした。
私は数歩離れてその後に続き、ヴェルナーさん背姿を上機嫌で見つめる。
うんうん、ヴェルナーさん、今日もいい身体してますね!
ああっ、抱きたいし抱かれたいし、貪りたいし貪られたいわー、ンフフッ。
と、警護の人が鋭い視線をこちらに向けた。
私は黙ったまま微笑む。
別にあんたでもいいんだよ?
青臭いし融通はきかなそうだし、ヴェルナーさんほどじゃないにしても、まあまあ悪くない身体してるしな。
すると、その視線に氷のような冷たさが加わった。
嘘ですってば、冗談ですよ冗談!
眉を下げると、彼は呆れた目線を寄こし、顔を前へ向けて仕事モードに戻った。
ふう、さすが警備を担当だけあって察しがいい。
やるじゃねえかボーイ、将来有望だ。
その調子で、頑張って身体作れよ。
さて、ヴェルナーさん本人が気づく前に自重しよう。
彼は柵の手前で足を止め、眼前に広がる風景をしばし見つめ、そして振り返って私を見た。
「君たちがここへ来て二ヶ月ほどになるか。どうだね、ここの暮らしは」
「はい。先月お会いした時と変わりなく、忙しく賑やかな毎日です。変化と言えば、やっとこのマスクとゴーグルを身に付けることに慣れたことでしょうか」
「それは結構なことだ。不便だろうが、
それが花開くのは、近い将来か遠い未来か。
ヴェルナーさんは、再び街の風景を見つめる。
私は、沈黙に耐えきれず声をかけた。
「一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
「答えられる範囲で答えよう」
「ありがとうございます。……貴方は結構な頻度で、この街や周辺を視察されていると聞きました。それは何故ですか」
政治的なパフォーマンスもあるのだろうが、人伝に聞いた話では、彼はここを拠点にしてから今まで、週に数回の視察を続けているという。
その熱意は何なのだろう。
「大したことではない」
彼はふと笑った。
「君と同じく気分転換だよ。外出することで強制的に心の換気をしている」
「そうですか」
「無論、情報の収集もかねている。各地区の報告は聞いているが、灰域次第で情況はいくらでも変わる。人の予想を越えてな」
彼は表情を引き締める。
「ここは私が治める土地だ。私自身が五感の全てを使って、この土地と人々をしっかり把握しておきたいのだよ」
そこで話は終わりかと思いきや、ヴェルナーさんはこちらを見た。
「後はそう、戒めだ」
「戒め」
「そうだ。己が何者であるか。何を背負っているのか。成すべきことは何か。それを確認し戒めるためだ」
組織のトップとして、人々のために慢心せずに責任を果たすため、ということだろうか。
だが、その雰囲気に再び違和感があった。
先程と同じく、嘘偽りのない心情だからこそ感じたものであり、ようやく言葉として形にすることができた。
彼は、この地と人々の向こうに、何を見ているのだろう。
道半ばではあるが、ここは彼とAGE達が望んだ安心して暮らせる穏やかな場所であるはずなのに、何を悲しんでいるのだろう。
それを、たずねることはできなかった。
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