Life is what you make it《完結》   作:田島

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嵐の予感

 スレイン法国の最奥、神聖なその部屋ではスレイン法国の最高位に立つ最高神官長、六大神殿の神官長、研究機関長、大元帥が一堂に会する会議が緊急に執り行われていた。

 議題は、リ・エスティーゼ王国戦士団に拿捕された陽光聖典についてである。

「先だって王都に到着した陽光聖典と接触した王都に潜伏している風花聖典の隊員から、伝言の羊皮紙(スクロール・オブ・レポート)にて陽光聖典隊長、ニグンから聞き取った内容が報告された。驚くべき内容だが、土の巫女姫他多数が死亡した痛ましい爆発事故の原因もほぼ特定できた」

 本日の議長である光の神官長の言葉に一同はざわめいた。

「なんと、どういう事なのだ」

「陽光聖典は任務に従いガゼフ・ストロノーフをカルネ村という村に追い込み包囲した。だが出てきたのはモモンガを名乗る仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)ただ一人だったという。恐らくは転移の魔法を使い突如出現したモモンガなる者は、炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)多数、ニグンの監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)、そして魔封じの水晶から召喚した最高位天使をも見たこともない魔法で打ち倒した。計三発、それぞれ一撃の魔法でだ。その際、最高位天使の第七位階魔法〈聖なる極撃(ホーリー・スマイト)〉を受けても余裕で立っていたという」

「なっ⁉ 最高位天使を一撃だと⁉ しかもニグンの生まれながらの異能(タレント)によって強化されている最高位天使の〈聖なる極撃(ホーリー・スマイト)〉を耐え切るなど……ニグンが嘘をつくとは思われんが……信じられん……」

「信じられない思いは私も同じだよ。逃げようとした者は空から現れた騎士のようなモンスターに一撃で殺され、陽光聖典一同は戦意を喪失し降伏したそうだ。その際陽光聖典の任務進捗の監視の為にこちらで大儀式を行い〈次元の目(ブレイナーアイ)〉を発動したのがモモンガなる魔法詠唱者(マジックキャスター)の魔法障壁に阻まれた、とニグンは証言している。考えられる可能性として一番高いものは、その魔法障壁に反撃の手段が組み込まれており、それがあの大爆発を引き起こした、というものだ」

 淡々とした口調の光の神官長の報告に場は静まり返った。誰がそんな話を信じられるというだろう。そんな驚異的な力を持っているとすれば、最低でも魔神――それに類する者しか考えられなかった。

「…………そろそろ……百年の揺り返しの時期だ」

「その可能性はあろうな……我等は初手から敵対してしまったという訳だ……。どう取り戻すべきか、いやそもそもそのモモンガなる者は人類に対してどういう態度をとっているのか、その辺りの情報を集める事から始めなくては」

「確かに、情報がない内に下手に接触してはいらん敵意を招く危険もあるな……それで、陽光聖典の釈放についてはどうなっているのだ」

「その点は問題ない、王国の貴族を使って手配済みだ。戻ってきたら、彼等自身の口から改めて報告を聞かねばなるまい……」

 光の神官長を含め一同の面持ちは沈痛だった。もし人類に仇なす者であれば――どう対抗すればいいというのだろう、それだけの圧倒的な力を持っている存在に。切り札として所有している神人・漆黒聖典第一席次は神の力を覚醒させてはいるが、それでも神そのものの力は持っていない。番外席次は様々な事情から動かすわけにはいかない。もし揺り返しによって訪れた来訪者が六大神にも等しい力を持つ者ならば、対抗手段などないに等しい。

 人類という弱い種は、百年毎に襲い来る暴風の嵐に晒され沈みかける脆弱な小舟だ。それでも、その命脈を保ち未来へと歴史を紡いでいかなければならない、何としても。この場にいる一同の思いは誰もが同じだった。

 

***

 

 今日も今日とてモモンガ一行はレベリングに適当な場所を探していたのだが、見渡す限りの平野が続いていたので街道から三十分程も歩き続けた。グリーンシークレットハウスを視界から遮るのに良さそうな小ぢんまりとした森をようやく見つけたが、その森を抜けた場所に奇妙な村があった。いや、村なのかどうかも分からない、その場所は高く頑丈そうな塀に囲まれ物見櫓まで備えた小さな砦とでも言えるような外見をしていたからだ。

「こんな場所に……妙だね」

「ああ、妙だな」

「えっ? 何が?」

 一体何が妙なのか一人だけ分かっていないモモンガが二人に尋ねる。

「砦に見えなくもないんですがこんな場所に砦を作る意味が分かりませんから恐らく村だとは思うんですが、一般的な村は、カルネ村のように村の外に畑を作ります。そうしないと畑を広げる時に外周の柵も広げないといけなくて、多大な労力がかかるからです。この村には外に畑が見当たらず、見た感じの広さからするとあの塀の中に畑があるのではないかと。それにあの塀も妙です。普通の村でもモンスター対策に塀を作ったりはしますが、ここは街道の近く、然程強力なモンスターはいません。それにモンスター対策にしてもあんな頑丈そうな高い塀は作る労力を考えると一般的には普通の村にはありません。見れば見るほど不自然です」

 クレマンティーヌの答えに、モモンガは成程と頷いた。言われてみればカルネ村の畑は村の外にあったし、村の境界線だって簡単な柵しかなかった。それにここは完全に人の生息圏でモンスターは森に潜んで少数が暮らしている程度だ。

「そんなに何を警戒してるのかな、王国のど真ん中だから敵国ってわけでもないだろうし……」

「考えられるのは人間を警戒している……それも同じ王国の人間を、といったところですか。情報が少なすぎるので推測にすぎませんが。もし必要なら少々探ってきますが」

「うーん……無視してもいいんだろうけど見つけちゃったからにはちょっと気になるなぁ。見てきてもらってもいい? 無理そうならすぐ戻ってきて」

「分かりました、ではちょっと行ってきます」

「よし、じゃあ不可知化……は無理だからせめて透明化の魔法をかけておこう。〈透明化(インヴィジビリティ)〉」

 モモンガが魔法を詠唱するとクレマンティーヌの姿が掻き消える。

「ブレイン、後は任せたからね、しっかりやってよね」

「へいへい」

 気のない返事を返したブレインに背を向けクレマンティーヌは姿勢を低くし村に向かって走り出した。とりあえずクレマンティーヌが戻ってくるまでは暇だ、背中を見送ってからモモンガは何となく空を見上げた。

「……あれ?」

「どうしたモモンガ、何かあったか」

「人が飛んでる」

「……? 何も見えないが……」

「透明化してる。あっこっち見た……?」

 透明化し恐らくは〈飛行(フライ)〉で空に浮いていたローブ姿の子供らしき人影は、モモンガ達を見つけるとこちらへと向かって来た。少し離れた場所に着地し透明化を解き姿を現す。モモンガの言葉を今一つ信じきれていなかった様子のブレインが突然現れた子供にぎょっとしていた。

 子供は奇妙な仮面を被っていてその表情は窺い知れない。見るからに怪しい嫉妬マスクを被っているモモンガが言うのも何だが変わった仮面だ。

「貴様達、何者だ! その怪しげな格好、八本指の手の者か!」

「えっ……八本指って犯罪組織でしょ、そんな怖い人達と関係なんかないよ、ただの旅人なんだけど……」

 突然の誰何にモモンガは戸惑った。その声から目の前の子供の性別がようやく女の子だと分かる。ただ、年老いているような幼いような年齢がよく分からないくぐもった声だった。

「こんな場所に居て、しかもそんな邪教に使いそうな見るからに邪悪な仮面姿で何を言っている!」

「悪いけど君に言われたくないよ……?」

「言え、何が目的だ! 答えないなら……!」

「目的も何もたまたま通りかかっただけだし……って聞いてないよ……」

 モモンガの言葉に耳を貸さず戦いの構えを取った少女の姿に、ブレインが一歩下がった。

「モモンガ、あいつは俺には無理だ。任せる」

「お前達のその相手の強さが大体分かっちゃう能力凄いよね。俺はそういうの全然分かんないからなぁ」

「多分お前は分かる必要ないと思うぞ……」

「この私を前にぺちゃくちゃと、よくも余裕を見せてくれたものだな……馬鹿にしているのか! その傲慢、死で償わせてやるぞ八本指! 〈結晶散弾(シャードバック・ショット)〉!」

 少女が腕を前に伸ばし翳した手から拳大の水晶の結晶が前に出たモモンガへと向かって無数に発射される。後ろのブレインをも一挙に葬り去ろうと算段したと思しきその水晶の散弾は、しかしモモンガに届く前に弾けるように消え去り、一つとしてモモンガの後ろに迄到達したものはなかった。

「無効化能力だと⁉ 弱いんじゃない……違う、強いのか弱いのかどれ位の強さかが分からない……? 何なんだお前、一体何者なんだ!」

「いきなり攻撃してくるとか危ないなぁ……だからただの旅人って言ってるでしょ、話聞いてよ……」

「くっ! 〈魔法抵抗難度強化最強化(ペネトレートマキシマイズマジック)水晶の短剣(クリスタルダガー)〉!」

 相手の魔法抵抗力を貫く力を込めた鋭い水晶の短剣を放つが、その一撃もやはりモモンガに届く前に弾け去り飛び消えた。

「防御突破を込めた魔法でも届かないだと……⁉」

「なあブレイン、話聞いてくれないし面倒臭くなってきたからやっちゃっていいと思う?」

「……好きにしろよ。御愁傷様だなお嬢ちゃん、あんた死んだぜ」

「空も飛べるみたいだからとりあえず様子見であれを使おうか。〈黒曜石の剣(オブシダント・ソード)〉」

 魔法を詠唱したモモンガの前に現れた数本の黒曜石の剣が、まるで意志を持っているかのように真っ直ぐに仮面の少女へと向かっていく。〈飛行(フライ)〉で後ろ向きにジグザグに避ける少女を黒曜石の剣は踊るような動きで正確に追っていく。

「くそっ、〈水晶防壁(クリスタル・ウォール)〉!」

 少女の前に展開された輝く水晶の壁が黒曜石の剣の行く手を阻むが、勢いを殺し切る事は出来ずに脆くも破壊され粉々になる。水晶の防壁を抜けた剣が少女を襲い肩口や胸、脚に刺さり、仮面に当たり弾き飛ばす。勢いのままに吹き飛ばされた少女は崩折れ仰向けに地面に横たわった。

「様子見で倒しちゃった……でもこの世界ではかなり強いらしい陽光聖典よりも多分強い感じがするけど何者なんだろ? ちょっと顔でも拝んでみるか」

 ちょっとした好奇心を刺激されたモモンガは少女へと歩み寄っていく。見れば少女の胸元には冒険者プレートが下がっている。あちゃー、冒険者だったか、失敗した。でも相手が話を聞いてくれなかったんだから仕方ないよね、とモモンガは自分に言い訳をする。

「こりゃアダマンタイトのプレートだな。噂に聞く蒼の薔薇か?」

 モモンガの後ろから覗き込んだブレインがそう呟いた。蒼の薔薇ってどこかで聞いたような……リーダーが魔剣持ってるとか第五位階を使えるとかそういえば言ってたな、と思い出す。

 とりあえずの気休めだが証拠隠滅として黒曜石の剣は消す。なるべく波風は立てたくないのに冒険者、しかもアダマンタイト級の有名人に大怪我をさせてしまった、大失敗だ。差し当たってはもしまだ生きてたら傷を治す為にポーションか? とモモンガが考えていると少女が目を開いた。どうやら生きていたようだった、アダマンタイト級は伊達じゃないということか。

「……殺すのか、やれ」

「いやあの……こんな怪我させといて今更何だけど誤解だからさ……っていうか君」

 少女の瞳は人では有り得ない紅に染まり、食いしばった歯には犬歯としては尖すぎる牙があった。異形らしい異形ではないが人間とも言い切れない。この特徴には覚えがある。

吸血鬼(ヴァンパイア)……? 吸血鬼(ヴァンパイア)がアダマンタイト級冒険者やってんの?」

 それにしては不死の祝福にアンデッド反応がない。何らかの手段で隠しているのだろうか、モモンガだって隠蔽しているわけだから人の事は言えないが。不思議に思いブレインに尋ねてみる。

吸血鬼(ヴァンパイア)って人間と共存するの?」

「上位種は知能が高いから有り得ない話じゃないと思うぜ。まぁ大抵は人間の事は餌程度にしか思ってないし見下しきってるから普通は共存なんてしないが、変わり者もいるだろうしな」

「ふーん、そっかぁ。あのさ、話を聞いてほしいんだけど、いいかな?」

「話……? 貴様がただの旅人で偶然通りすがっただけとかいう有り得ないような与太話か」

「本当なんだけど何でそう疑ってかかるかなぁ……俺達はほんとにただの旅人だし、ガゼフ・ストロノーフに会いに王都に向かってる旅の途中でたまたまここに来ただけなんだよ。君を怪我させちゃったのは正当防衛ね、全然話聞いてくれない上に問答無用で攻撃してくるんだもん。一発殴って言う事を聞かせるのは悪い手じゃないってぷにっと萌えさんも言ってたしな。あれ武人建御雷さんだったっけ……やまいこさんも言いそうなんだよな……」

 本当は殺すつもりだったがそんな事は言う必要はないだろう。相手がどれだけの力量かモモンガには分からないのでどの程度の力があるのか知る為に様子見をしたのが幸いした。結果良ければ全て良し、だ。

「……お前は、ガゼフ・ストロノーフの知り合いなのか」

「そうだよ、王都に来てくれって言われてる。俺の名前はモモンガ、こっちはブレインね。八本指とやらとは本当に全然関係ないよ」

 ガゼフの知り合いと聞くと、少女の警戒が少し緩んだようだった。名前の威力が凄い、ガゼフ様々である。

「何でそんな怪しげな仮面を被っている」

「モモンガは他人の前で仮面を取って顔を見られると魔力が暴走する呪いをかけられてるんだよ。分かるだろ、こいつの魔力が暴走したら相当やばいってのは」

「それは確かに……身をもって実感した」

 聞かれたら説明してね、とお願いした通りにブレインが説明してくれて少女が素直に頷いた。ナイス。やっぱり他人から説明してもらった方が説得力が増す気がする。

「誤解だと分かったところで傷を治したいけど吸血鬼(ヴァンパイア)だとポーション使えないな……じゃああれを使えばいいのか、〈負の光線(レイ・オブ・ネガティブエナジー)〉」

 モモンガが翳した掌から流れ出た負のエネルギーが少女に流れ込み、傷を癒やしていく。

「……すまない、話を聞こうともせずに一方的に攻撃して、悪かった……こんな所にいるものだからてっきり八本指の手の者だと思ったんだ」

 傷が癒え起き上がった少女はばつが悪そうに俯いて目線を逸らしそう呟いた。

「それにしてもお前は、私が吸血鬼(ヴァンパイア)だというのに治すのか。本来であれば人間の敵だぞ」

「でも人間と共存して冒険者やってるんでしょ? なら別に退治する必要もないと思うし。不幸な誤解から生じた事故だったんだから、こっちも怪我させちゃったお詫びって事で。安心して、君の事は誰にも言わないから」

 そもそも人間がどうなろうとあまり興味はないし、モモンガ自身だって似たような立場だし、というのは言わなくてもいいだろう。余計な混乱の元だ。少女は仮面を拾い上げ顔に被り直す。

「名前、聞いてもいい?」

「イビルアイ、蒼の薔薇のイビルアイだ」

「変わった名前だね」

「お前程じゃない。それよりここはすぐに離れることだな、今晩あの村の畑を焼く」

「えっ何で?」

「あの村は八本指に支配され麻薬を栽培している。王国を蝕む麻薬の脅威を少しでも取り除く為に麻薬は全て焼き払う」

 成程、ただの村にしては物々しい理由がようやく分かった。そういう事ならクレマンティーヌが戻ってきたらすぐにでも離れよう。と思っていると、丁度良くクレマンティーヌが戻って来るのが見えた。

「私は行く。すまなかったな、王都に来たら詫びをさせてくれ、モモンガ」

「気にしなくてもいいけど……俺がこんな怪しい格好してるのも悪いしね」

「私は依頼がなければ王都にある天馬のはばたき亭という宿にいる。有名な宿だからすぐに分かる筈だ、暇があったら訪ねてきてくれ。じゃあな」

 言い残すとイビルアイは〈透明化(インヴィジビリティ)〉で透け消え〈飛行(フライ)〉で空に飛び立っていった。しばらくすると透明化の効果時間が切れたクレマンティーヌが戻ってくる。

「戻りましたけど、何かあったんですか?」

「問答無用で攻撃されたから返り討ちにした」

「うわぁ……命知らずな奴もいたもんですね」

「さて、お前を待ってる間に実はあの村の情報が分かったんだ。あの村は八本指の支配下で麻薬を作ってて、今夜蒼の薔薇が焼き討ちするそうだ。野営するにしてももうちょっと離れた場所を探した方が良さそうだ」

「変な草しか畑にないから何かと思いましたけど麻薬ですか、成程。じゃあ行きましょうか」

 一行はその場を離れ、北に進路を取り野営地探しを再開した。遠ざかっていくその姿を上空から眺めていたイビルアイは、先程の戦いの恐ろしさを反芻する。

 例えば無効化能力ではなく力量差がありすぎて攻撃が通らなかったのだとしたら。世界でも並び立てるような強者はほぼおらず、エレメンタリストとして地属性、その中でも宝石系に特化しより強力に磨き上げられたイビルアイの魔法が通用しない。あの見たこともない攻撃魔法の強大さからその可能性はありえない話ではないと思えた。しかもイビルアイの聞き間違いでなければあの魔法は様子見だとモモンガは言っていたのだ。もし様子見をされていなかったなら、イビルアイなど今頃灰となって欠片も残っていなかったかもしれない。

 そして何より不気味なのはそれ程の圧倒的な強さがモモンガからは一切感じられなかった、ということだ。相手の力量を正確に推し量る能力に関しては些かの自負があるイビルアイをもってしても、だ。

 何者なのかは結局分からなかった。あの恐ろしさを知って尚ガゼフは知人となったのだろうか。後ろの男もイビルアイには及ばないものの相当の強者だった。

 これから何かが起きるのかもしれない。あれだけの力、望まずとも厄介事を招き寄せてしまうだろう。嵐の予感を感じながらイビルアイは監視の為村へと視線を向け直した。

 

***

 

 エ・ランテルと王都の丁度中間に位置するエ・ペスペルへとモモンガ一行が到着したのは昼頃だった。恐らくはエ・ランテルと同規模と思われる街で、四方を囲む高い城壁があり、街の中央には六大貴族の一人、ペスペア候の館がある。ちなみに検問で勿論モモンガは引っかかったがガゼフの名前パワーとクレマンティーヌのフォローで事なきを得ている。

「ペスペア候は先代も代替わりしたばかりの現当主も中々の人物で、その領地は王国の中では割とましな統治がされてますね。レエブン候ほどの先進的な考えは持っていない保守派ですが、余計な課税もしませんし各種産業の発展にもそれなりに費用を充てたりしています。ただ、王派閥なのですが派閥の力を強くする事にかなり強く拘っていて、その辺が玉に瑕ですね」

 クレマンティーヌの説明にモモンガはふーんと頷いた。

「問題はあるにしても街が賑わってるって事はそれなりにいい領主なんだろうな。さて宿屋は……」

「おっ、あそこにあるぜ」

 ブレインが指差した先にはベッドの描かれた看板がかかった店舗があった。王国語の読めないモモンガでも分かりやすくて助かる。

 早速宿屋で部屋をとる。ちなみに道中で協議したのだが、クレマンティーヌとしてはモモンガと離れたくないので三人部屋で構わないらしい。ブレインは嫌がっていたが、クレマンティーヌに結局押し切られ宿屋をとる際には三人部屋、という事に決まった。早速部屋に入る。

「さて、それでは私は情報収集に行ってきますけどモモンガさんはどうするんですか?」

「折角だから街をちょっと見て回ろうかな。ブレインも来るよな?」

「モモンガさんがこう言ってるのにまさか行かないわけがないよねぇ?」

「……分かった、行く」

 にっこり笑顔のクレマンティーヌに半ば脅されるような形でブレインが頷き、満足したクレマンティーヌは一足先に宿を出ていった。

「で、何を見に行くんだ?」

「うーん、とりあえずペスペア候って奴の館とか? 何か凄そうだし。あとブレインとクレマンティーヌの武装強化もしたいからマジックアイテムの店とかも探してみよう。というかお願い探して? ほら俺こんな仮面だから通行人に聞こうにも不審者扱いされちゃうし」

 そうなのだ、仮面が怖くてモモンガは不審者扱いされるのだ。エ・ランテルで小川のせせらぎ亭の場所を探した時も実はかなりモモンガは苦労していたのだ。

「可愛く言ったって可愛くねぇぞ……」

「うっさいよ」

「まあいいぜ、その辺は俺の役目だろうからな。んじゃとっとと行くか」

 そう言うとブレインは軽く伸びをしてベッドから立ち上がりドアへ向かう。モモンガもそれに続いた。

 宿屋を出て大通りを街の中央へと進む。まずはペスペア候の館とやらを見に行く。貴族の館なんて見たって面白くも何ともねぇぞ、とブレインには言われたがどういうものなのか単純に興味があるので一度見てみたいとモモンガは思っていたのだ。

 大通りを一時間ほども歩くと貴族の館の広大な敷地が見えてきた。敷地は高い塀で囲まれ、門の前には衛兵が立っている。外から窺い知れるのは立派な庭木と青々とした芝生と丁寧に刈り込まれた低木が両脇に植えられた敷地の奥に続く白い道だけで、館など欠片も見えなかった。どれだけの広い庭があるというのだろう。

「でか……広……庭しか見えない……」

「まあ六大貴族ともなれば身分に応じた立派な庭園を備えた屋敷に住んでるってこった。残念だったな、見えなくて」

 がっくりと肩を落とすモモンガに至極真っ当な追い打ちをブレインがかける。その言葉にモモンガは顔を上げると、きっとブレインを見やった。

「裏に回ろう」

「何でだよ」

「こうなったら〈飛行(フライ)〉で空から見てやる。〈全体飛行(マス・フライ)〉を使ってブレインも一緒に見るんでもいいぞ」

「そこまでするか? それに空なんか飛んだら確実に悪目立ちするぞ……」

「うぅーやだー見たいー!」

「駄々っ子かよお前は……可愛く言っても可愛くねぇぞ」

「うっさいよ……ふーんだブレインのバカバカおたんこなーす!」

「おたんこなすって何だよ……多分馬鹿にする類の言葉なんだろうけどな」

「……いいもん、宿に帰ってから遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)で見るもん……」

「最初っからそれでいいじゃねぇか……」

「生の感動を味わいたいだろ! いいよもうちゃんと諦めたから……マジックアイテム探しに行こう……はぁ」

 肩を落として歩き出したモモンガをまぁそう落ち込むなってとブレインが慰め、二人はマジックアイテムを取り扱う店舗探しに移った。

 剣士風の風体をしたブレインがマジックアイテムを探していることを怪しむ者はさすがにおらず、二人は何軒かのマジックアイテム取り扱い店舗を順調に回った。モモンガからするとどの店もエ・ランテルに輪をかけて微妙な品物しかなかったのだが、ブレインにとっては違うようでどの店でも興味深げに店主の説明に耳を傾けていた。

冷気属性防御(プロテクションエナジー・アイス)のネックレスか……使えるな」

「属性対策は無効化が基本じゃない?」

「お前のその基準相当おかしいぞ……まあお前の基準がぶっ壊れてるのは渡された指輪からも分かるけどな」

「ええー……あの指輪は基本中の基本だよ」

「あんなもん買おうと思ったら金貨数千じゃきかないぞ、値段が想像できんしそもそも存在すら多分してねぇよ……なんであんな途方もなく強力なマジックアイテムをポンと二つも渡せるんだお前は」

「基本だから……クレマンティーヌとブレインにはちゃんと属性対策もしたい。今頑張ってアイテムボックス整理してるところだから待っててね」

「怖い……お前のその発想が怖い……」

 ブレインはドン引きしているが軽減なんて生温い対策では足を掬われるぞとモモンガは思った。例えば雷属性を軽減対策してたものの〈万雷の撃滅(コール・グレーター・サンダー)〉でも使われたとしたらこの世界の人間では死んでしまう。全属性に対する完全な対策は無理としても状況に応じて対応できるような各種装備を渡したいところだ。幸いにもモモンガはアイテムコレクターで死蔵しているアイテムは山のようにあるのだ。まず第九位階魔法である〈万雷の撃滅(コール・グレーター・サンダー)〉を使われるような状況がこの世界ではほぼありえないという事はモモンガの頭からは抜け落ちている。

 夕方になりいい時間になったので大通りを南へ進み宿に戻る道を辿っていると、途中で人だかりができていた。人々のざわめきには不穏の色があった。

「何だろ、ちょっと見ていこう」

「やめとけよ、どうせ酔っ払いの喧嘩か何かだぜ」

「えぇー気になるー、いいじゃんブレインー」

「だから可愛く言っても可愛くねぇって言ってんだろ……分かったよ、ちょっと見たらすぐ帰るぞ」

 モモンガは苦い顔を見せたブレインと人混みを掻き分け人垣の最前列に出る。輪の中心では柄の悪い男と大きな荷物を抱えた痩せた男が向かい合い、痩せた男の後ろではやはり大きな荷物を持った若い娘が怯えていた。

「お願いします、娘は、娘だけは!」

「そういう事はきっちり借金を返してから言うんだな。払えねぇってんならその分を賄えるもんを持ってかなきゃなんねぇってのは分かるよな? 俺も子供の使いじゃねぇんだよ」

「借金は少しずつでもお返ししますから、お願いです!」

 その様子を見ていたブレインが小さく舌打ちした。

「質の悪ぃ金貸しに金を借りたんだろうな。胸糞悪いぜ」

「王国って奴隷制はなくなったんだろ? 娘を連れてくってどういう事?」

「借金の形に連れてって従業員として借金分働かせるのは奴隷じゃないって法の抜け穴さ。あの娘も碌でもない所で働かされる事になるんだろうな……」

「それじゃ奴隷と何も変わりないじゃないか」

「そういうこった。ま、関わり合いになってもあの父娘の人生背負える訳じゃねぇんだ、可哀想だが悪目立ちしたくないなら手は出さない方が無難だぜ」

 ブレインに窘められ、納得できないながらもその言い分は正しいとモモンガは認めざるを得なかった。今助けたところであの父親の借金が消えてなくなる訳ではないし、ブレインの言う通りあの父娘の人生など背負えない。不快だが見ているしかないようだし、不快なものを見続けていても嫌な気分が増すだけなので早々にこの場を立ち去るべきなのだろう。

 帰ろうとブレインに言おうとしてふと、モモンガにとっては基本の装備であり大した事のない指輪が価値のつけようがないとブレインが言っていた事を思い出した。それならガチャで爆死した時に大量に手に入ったアイテムももしかしたら使えるのではないだろうか? と思い付く。

「ブレイン、ちょっと聞きたいんだけど」

「何だ?」

「例えば、俺とブレインが離れた所にいてその居場所を交換するみたいなマジックアイテムがあったら、どれ位の価値になる?」

「……は? 唐突だな、そんなぶっ壊れた性能のアイテムがあったら価値のつけようがねぇよ」

「そうか、ありがとう」

 ブレインの返答を聞いてモモンガは袖に手を入れるとこっそりアイテムボックスを開け、目当てのアイテムを取り出すと前に進んでいった。

「ちょっ、おいモモンガ、何してんだ! 戻ってこい!」

 ブレインの制止を無視してモモンガは進んでいく。金貸しの男がモモンガを鋭く睨め据えた。

「……んぁ? 何だてめぇ」

「そいつの借金を代わりに返してやろうと思ってね。あんた、これをやるよ」

 父親に向かって差し出されたモモンガの手の上には五百円ガチャの外れアイテム、チェンジリングドールが乗っていた。

「えっ……あの、これを貰って……何か意味があるんですか?」

「これはマジックアイテムだ、売れば金になる。この中に〈道具鑑定(アプレイザル・マジックアイテム)〉を使える人はいますか? この人形を鑑定してその価値をこの二人に教えてあげてください」

 その呼び掛けに一人の男が進み出てきた。モモンガが差し出したチェンジリングドールに〈道具鑑定(アプレイザル・マジックアイテム)〉を唱える。

「えっ……ちょっ、待って、あの……何ですかこれ…………強大なんて言葉では言い表せない魔力の込められた品です……。離れた二者の位置を交換って通常では考えられない有り得ない性能ですね……。正直その、価値を教えろと言われてもこれがどの位の価格になるのか私程度では見当も……最低でも金貨数千枚は下らないのでは?」

 余りの事に青褪めて恐る恐る話す魔法詠唱者(マジックキャスター)の言葉に、金貸しも金を借りた男も娘も周囲の野次馬達もただただ唖然としていた。

「じゃあこれをどうぞ、魔術師協会にでも持っていけばいい金になるのでは? あんたもその程度の時間は借金の返済を待てるよな?」

 モモンガは呆然とする痩せた男にチェンジリングドールを握らせ、金貸しにそう言い放つ。脂汗をかいた金貸しは壊れた機械のようにこくこくと頷いた。それを確かめると行くぞとブレインに声をかけ、モモンガは人垣を割ってその場を後にした。

「……何であんな事したんだ? あいつらの為にならねぇぞ」

「気紛れだよ。困っている人を助けるのは当たり前、ってのもたまには良いかと思ってね。それにあのアイテムめちゃくちゃ余ってるんだ」

「やっぱ価値基準がぶっ壊れてるなお前はよ……それにしても似合わねぇな、その台詞」

「余計なお世話だよ、似合わないのは分かってるけど憧れてるの。俺は正義の味方にはなれないけど、たまには真似事をしたくなるんだよ」

 そんなもんか、と呟いてそれ以上ブレインは尋ねてこようとはしなかった。西の際に太陽が沈みかけ、空は澄んだ暗い紅に染まっている。ただ生きる事に必死になるしかない貧しい者を見ると希望のない貧民層の暮らしを送っていた鈴木悟を思い出し、感傷のような痛みのような思いを抱かされる。

 あの生活からはもう解き放たれた筈なのに、自由にはなれていないんだな。

 やはり感傷がこみ上げてきて紅の空を往く鳥の影をモモンガは見送った。鈴木悟が帰るべき場所はもうない。宿に帰ったらちょっとカルネ村に転移して顔を出そうか、そんな事を考えながらモモンガはゆっくりと歩を進めた。




誤字報告ありがとうございます☺

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