Life is what you make it《完結》   作:田島

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蒼の薔薇

 王都の酒場はどこも二三日前辺りから流れ始めた一つの噂で持ち切りだった。

 曰く、借金を返し切れずに逃げ出すところを借金取りに捕まった父と娘に破格の値が付くマジックアイテムを与えた通りすがりの仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)がエ・ペスペルに現れた、というものだった。

 仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)と言われて王都の者が思い出すのは蒼の薔薇のイビルアイだ。だがそんな無償の施しなど決してしないと本人は関与を完全に否定したし、エ・ペスペルにその日居なかった事も裏付けが取れている。噂する者達の関心の中心はその謎の仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)が何者なのかという点と、マジックアイテムがどのようなものだったのかという点が主だった。

 冒険者達が集う宿屋の酒場でも話題の中心はやはりその謎の仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)で、どこに行ってもこの話ばかりだな、と多少うんざりした心持ちをイビルアイは覚えた。

「なあ、イビルアイ。噂の仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)だけどよ、この前お前が会ったっていう変な二人組の旅人の片方じゃねぇのか? お前が簡単に負けたってんだから恐ろしいよな……」

「あっ、あの時は! ちょっと油断して……いや、認めなければな、圧倒的な力量差があったと。あいつは決して敵に回してはいけない……モモンガと名乗っていたが、妙な名前だし偽名か?」

「お前には言われたくないだろうさ。変な仮面を被ってるところといいお前とは妙に共通点があるじゃねぇか、意外と気が合うんじゃねぇか?」

「馬鹿を言うな! しかしあの力……まさかとは思うが。癪だがあの婆ぁに相談してみるか……」

 自分との会話を途切らせ思考の海に沈んだイビルアイを、ガガーランは珍妙なものを見る目付きで眺めた。

「何だぁ? そんなに深刻になる事なのかね?」

「イビルアイ、何か気になる事があるの? あなたの知識でしか分からない危険がその仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)にはあるというの?」

 横に座ったラキュースの問いにイビルアイは顔を上げ、盗聴防止の魔法の込められたペンダントを取り出すと力を起動させた。周囲から聞こえてくる音が消え蒼の薔薇の三人が座っているテーブルの辺りの空間だけが隔絶される。

「……あいつはもしかしたら、ぷれいやーかもしれん」

「ぷれいやーって……十三英雄にもいてあなたやリグリットと共に魔神と戦ったっていう?」

「そうだ。異世界から来訪し、我々では到達できない強大な力を振るう者達だ。その力はぷれいやーである八欲王が世界の魔法の法則を始原の魔法(ワイルドマジック)から位階魔法へと捻じ曲げた事からも分かるように途方もなく巨大なものだ。モモンガという奴がどれだけの力量なのかは全く分からなかった、ただ強いという事しか分からなかったが……もし八欲王と並ぶような力を持ち彼の者達のように世界に害を為そうとするのであれば由々しき事態だぞ。対抗できるのは竜王(ドラゴンロード)位のものなのだからな」

 イビルアイの説明に、ラキュースは納得しきれないように首を捻る。

「でも、ただの旅人でガゼフ・ストロノーフを訪ねる旅だと言ったのでしょう? それにもし世界に対して悪意があるのだとしたら今頃大きな被害が出て騒ぎになっているでしょうし、今流れている噂だって妙よ、人助けをしているんだからまるで逆じゃない」

「それももっともだが……警戒するに越したことはない。何が奴の狙いなのか全く分からんからな」

「なぁ、もう一人の名前はブレインって言ってたよな? お前から見てどれ位の強さだった?」

 ガガーランの問いにイビルアイはあの時の事をしっかりと思い出そうとするように僅かに俯き考えてから口を開いた。

「そうだな……私よりは弱いが、お前よりは強かった」

「じゃあそれって、もしかしてブレイン・アングラウスじゃねぇか? 何で奴がそんな妙な魔法詠唱者(マジックキャスター)と一緒にいるのかね?」

「ブレイン・アングラウスって、確か五年前の御前試合の決勝でガゼフ・ストロノーフに敗れた男よね」

「そうそう、そいつだ。敗れたっていってもかなりの接戦だったから、まず間違いなくガゼフ級の腕と才能の持ち主だぜ。そんな奴が何でその謎の魔法詠唱者(マジックキャスター)と旅なんかしてるのか、俺ぁそっちの方が気になるぜ」

「気になる事ばかりだな……よし、私はリグリットに連絡をとってみる」

 そう告げてイビルアイが〈伝言(メッセージ)〉を発動させようとした時だった。店の奥側の席に座り入り口を向いていたガガーランが、ちょっと待て、とイビルアイを押し留めた。見やるとガガーランは店の入口を指差していた。

 振り向くと三人の男女が店に入ってくるところだった。一人はブレイン・アングラウスと思しき男、一人は軽装鎧のやはりガガーランより強者の風格を漂わせる小柄な女、そしてもう一人は、モモンガを名乗る謎の仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)、噂の中心人物その人だった。

 モモンガはぐるりと店内を見回すと奥に座るイビルアイを見つけ出し、真っ直ぐに蒼の薔薇の座るテーブルへと歩いてくる。

「やあ、イビルアイ、だっけ。久し振り、怪我はもう大丈夫? あの時はごめんね?」

「……あ、ああ、大丈夫だ、問題ない。こちらこそすまなかった……」

「王都に着いたんでお言葉に甘えて訪ねさせてもらったんだけど、今忙しくない? 大丈夫?」

「いや、今は……丁度いい依頼がないので待機していたところだ……」

「そちらお仲間? 紹介してもらっていい? あっ、俺はモモンガ、こっちがブレインでそっちがクレマンティーヌね、皆さんどうぞよろしく」

 にこやかな声で挨拶し話を進め軽く頭を下げるモモンガにイビルアイとラキュースは呆気に取られていたが、ガガーランは愉快そうに笑い出した。

「ははははは、面白ぇ奴じゃねぇか! 俺ぁガガーランってんだ、よろしくな」

「えっと……えっ、あの……いや、こういう質問は失礼かな……」

「モモンガさん、蒼の薔薇は女性だけで構成されたパーティです」

「ナイスアシストクレマンティーヌありがとう。お陰でセクハラせずに済んだ」

「その程度の細けぇ事ぁ気にしねぇから安心しな! はははは!」

 ガガーランの恐らく性別が分からず困惑するモモンガにクレマンティーヌがフォローを出し、その様子を眺めたガガーランが愉快げに破顔する。

「ところでモモンガだったよな、あんた童貞だろ」

「……⁉ えっ、え、ええっ……? ななななななんで、なにが、えっ……そ、ソンナコトナイデス……」

 ガガーランに問いかけられたモモンガの様子が明らかに落ち着きを失い、みるみる動揺の様相を見せる。もし仮面をしていなかったなら冷や汗をびっしりかいていたかもしれない、そんな様子を容易に想像させる落ち着きのなさだった。

「ハハッ、その反応バレバレだぜ。どうだい一発、筆下ろしといかないかい?」

「いやあの物理的に不可能というか……すみません……初めては好きな人とっていうのもあるんだけどやっぱり物理的な壁があって、だから」

「マジで反応が童貞だなお前……」

「うっさいよ、余計なお世話です! バーカバーカブレインのバーカ!」

 ブレインの横槍にモモンガがムキになって肩を怒らせる様子もガガーランはやはり楽しげに眺めていた。

「そうかい、残念だ。まぁ気が向いたらいつでも声掛けてくんな。いざという時好きな人とやらに下手くそって罵られねぇようにしっかり仕込んでやっから」

「あっ……そういうノリなんだ。意外と軽い」

「モモンガさん、蒼の薔薇の戦士ガガーランの初物好きは有名なんです」

「成程納得、ほんとクレマンティーヌは物知りだなぁ」

 クレマンティーヌの説明にモモンガが頷く様子を見て、軽く溜息をつくとラキュースは口を開いた。

「もうガガーラン……初対面からそれなんだから。初めまして、私は蒼の薔薇のリーダーを務めているラキュース・アルベイン・デイル・アインドラと申します。先日はうちのイビルアイが大変失礼をしたそうで……本当にすみませんでした」

「これはご丁寧にどうも。あの件は不幸な事故でしたしもう気にしてませんよ。まあお詫びをしていただけるという話だったのでこうして今日伺ったんだけど、優秀な冒険者の皆さんでしたら様々な情報もお持ちかと思います。俺の旅の目的に、強い力を持つ者の情報収集というのもありまして。それを聞かせてもらえたらと思うんですが」

「何故だ、何故お前はそんな情報を求める!」

 つい立ち上がり大声を上げてしまったイビルアイの様子に、酒場中が静まり返りイビルアイに注目が集まっていた。情報というものは大切だ、取り扱い方によっては危険な武器になる。それをこの何が狙いなのか分からない謎の男に渡す事に対する警戒がつい態度に出てしまったのだが出しすぎてしまったようだった。それだけイビルアイはこのモモンガという男を危険だと思い無意識の内に強く警戒していた。どれだけ友好的に接されても少しも安心できはしない。

 少し困ったようにモモンガは仮面の頬を掻きおずおずと言葉を発した。

「えーと……あの、実は俺はぐれた仲間を探してて……すごく強い人達だから絶対噂になると思ってそれで情報を集めてるんだけど……何かおかしかった?」

「……あ、いや…………すまない、おかしくはない。ただそういった情報は冒険者にとっては大事な商売道具だからな、ついカッとなってしまって」

「ああ、そうだよね。情報は大切だもんね、よーく分かるよ。あの程度の事故のお詫びにしては高すぎたかぁ……すみません無理言って」

 モモンガがぺこりと頭を下げて詫びる。この腰の低さもイビルアイには恐ろしく不気味に感じられた。簡単にこちらを捻じ伏せ黙らせるだけの力を持つというのに、なぜこの男はこんなにも腰の低い平凡な男のような態度をとるのだろう。

 いや、違う。この男の力は確かに恐ろしいがそれよりも、この男について何も明らかになっていない、碌な情報がない現状の方がイビルアイにとっては恐ろしいのだ。仲間を探したいというがその話だってどこまで信用できるかは分からない、仲間を探したいというのが本当だったとしても、もし強い力を持つという仲間を集めて世界に害を為そうとするのであればどうする。対抗できる者など本当にほんの一握りだろう、それにイビルアイは含まれない。

 情報を、集めなければならない。こうして訪ねて来てくれた事を僥倖と思わなくては。このモモンガという男の事を少しでも知らなくては。即座に思考を切り替えイビルアイは口を開いた。

無料(タダ)という訳にはいかんが、その代わりにお前達の事を話してくれるならば考えなくもない」

「えっ? 俺達の事? 何で?」

「情報を渡してどう使われるか会ったばかりのお前を信用しきれんからな、そのお前の仲間とやらを集めて何をしようとしているのか、旅の目的は何なのか、知っておきたい」

「相変わらず疑り深いね……まあ簡単にホイホイ他人に情報を流す人よりは信用できるか」

「ここでは何だ、部屋に行って話を聞こう」

 イビルアイの言葉に異存はなかったのかラキュースとガガーランも椅子から立ち上がり階段へと歩いていく。モモンガ達もそれに続いた。最高級の宿屋に相応しく部屋は六人が入っても十分な広さがあった。イビルアイがいくつかの情報収集対策の魔法を部屋にかけてからベッドに腰掛ける。

「率直に聞く。モモンガ、お前はぷれいやーか」

「えっ、うん、そうだけど、何で?」

 警戒し意気込んだイビルアイの質問に、あっさりと軽くモモンガは答えた。肩透かしを食らったような脱力感を僅かに覚えながらイビルアイは質問を続ける。

「この世界でぷれいやーがどういう存在かは知っているのか」

「六大神に八欲王に十三英雄の内の何人かと口だけの賢者だっけ? 良い事も悪い事も何か色々とやらかしてるみたいだね」

「詳しいな……お前は仲間を探したいと言ったが、仲間を探して何をするつもりなんだ? もう知っているだろうが、ぷれいやーとは良くも悪くも世界に大きな影響を与える存在だ。お前の答えによっては我々も態度を考えなければならない」

「ええと……会いたいってだけで、会ってその後何をするかまでは正直深く考えてないんだよね。皆で世界中を冒険できたら楽しそうだなぁとかは思ってたけど」

「……は? …………それだけ、か?」

「それだけだけど……何かおかしかった?」

 不思議そうに首を傾げるモモンガを、信じられない気持ちでイビルアイは凝視した。会いたいだけでその後の事は考えていない、冒険できたら楽しそう、そんな答えはまるで子供のようだ。

「信じられない気持ちは痛いほどよーく分かるがお嬢ちゃん、こいつの言ってる事は残念ながら紛れもなく本当だ。こういう奴なんだ……」

「モモンガさんは本当に欲がないよねぇ、何でも好きな事できちゃう力があるのに」

 ブレインとクレマンティーヌの言葉が更に追い打ちをかけてくる。その言葉はイビルアイの理解力の限界を超えていた。ぷれいやーとは神に等しい力を持つ存在だし実際に神として崇められているのが六大神だ。誰よりも強くなったリーダーを見れば分かる、人では決して届かない領域に到達できる者だ。それがこんな、良く言えば無邪気な、悪く言えば何も考えていない目的で、旅をしている? それが本当? とてもではないが信じられなかった。

「うーん、会ってからの事もやっぱりちゃんと考えた方がいいかなぁ? でも会えるかどうかも分からないのに考えるのは気が早いかなって思って……イビルアイはどう思う?」

「私に聞くな……先程お前ははぐれたと言っていたが、仲間も一緒にこの世界に来たという事なのか」

「それなんだけど……違うんだ、ちょっと盛った。この世界に来たのは俺一人。でも二百年前に十三英雄と口だけの賢者は同じ時期に別々の場所にやって来たんだろ? だから仲間に会える可能性もゼロじゃないって思ってさ」

「別々にぷれいやーが現れたのが歴史上で確認されているのはその例だけだし、もしお前以外にぷれいやーがいたとしてもそれがお前の仲間とは限らんだろう」

「そうだね、でも仲間だったっていう可能性だってゼロじゃないだろ? 可能性が限りなく低いのは分かってるんだけどさ、それでもどうしても会いたくって」

 そのモモンガの言葉を紡いだ音は、嘘を言っている者の声色ではなかった。いくら疑り深くてもそれ位の事はイビルアイにだって分かる。ただ会いたい、たったそれだけの理由でこの男はいるかどうかも分からない仲間を探しているのだ、それは恐らくは本当なのだ。

「ねぇイビルアイ、モモンガさんはあなたが心配するような人ではないと思うわ、信用してもいいんじゃない?」

「俺もラキュースに賛成だな。慎重なのは必要な事だが今回のお前さんはちょっと行き過ぎだぜ」

「……分かっている。モモンガ、ぷれいやーは危険な存在とはいえ警戒が過ぎたようだ、すまなかった」

「気にしてないさ、神に等しい力を持ってるらしいから警戒するのも当たり前だろうしね。八欲王みたいなのもいたみたいだし。分かってくれればそれでいいよ」

 実に気軽な声でモモンガはそう答えた。言葉の通りに全く気にしていないのだろう。邪な思いを抱く者ではないという事は分かった、しかしながら警戒の気持ちはイビルアイから消え去らなかった。初めて会ったあの時モモンガは、面倒臭いからやっちゃっていいよね? と今のような声音で言っていたのだ。つまりは命をその程度に考えているということだ。確かにあれは話を聞かなかったイビルアイが全面的に悪いが、善良とは言い切れない何かがモモンガにはある気がしてならなかった。

「ガゼフ・ストロノーフに会いに旅をしていると言っていたが、これからどこへ行くんだ」

「しばらく王都観光と情報収集したらアーグランド評議国に行こうと思ってるよ」

「評議国に? 何故そんな所へ行く、あそこは国民がほぼ亜人の国だぞ、仲間に亜人がいるのか」

白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)に会おうと思ってね。今回みたいに俺が何か悪い事するんじゃないかって疑われる前に、その気はありませんよって話を通しに行こうと思って。あとプレイヤーに詳しいらしいから他にプレイヤーがいないか知ってる可能性もあるだろ?」

「確かに、一番最初にぷれいやーの存在を感知できる存在は奴だろうな……竜王(ドラゴンロード)の感知力は並外れているからな、何か大きな力の行使があれば感知する筈だ」

「えっそんな能力あるの、ドラゴン超すごい」

 イビルアイの説明にまるで子供のようにモモンガは驚いた。語彙が貧弱になっている。

「奴とはちょっとした知り合いだ、共通の知り合いに頼んで話を通しておいてやる、今回の詫びと思ってくれ」

「助かるよ、ありがとう」

「それで、お前が欲しい強い者の情報とは、ぷれいやーの情報なのだろう? それであれば申し訳ないが持っていない」

「そっかぁ……そうだよね。期待はしてなかったけど……」

「もしそういう噂が聞こえてきたら、真っ先にモモンガさんにお教えする事をお約束します。イビルアイは優秀な魔法詠唱者(マジックキャスター)で、〈伝言(メッセージ)〉の魔法もかなり距離が離れていてもはっきりと伝えられますので」

「えっ、〈伝言(メッセージ)〉って距離が離れるとはっきり伝えられないの……?」

「えっ……そうですけど……」

「知らなかった……」

「お前の魔力なら世界の果てでもくっきりはっきり届くだろうよ……」

 ラキュースの申し出を聞いてそこに食い付くか? という部分にモモンガが食い付き、呆れ顔のブレインが処置なしとばかりに肩を竦める。一応ブレインはモモンガが神の領域である第十位階やその上の超位魔法が使えるという話を半信半疑ながら聞いている。

 モモンガとしても第十位階魔法を使う機会なんて魔樹との戦いでもなければそうそうないだろうからあまり使わずにいたいところだった。超位魔法は〈天軍降臨(パンテオン)〉や〈天地改変(ザ・クリエイション)〉辺りであれば使う機会があるかもしれないが他の攻撃的なものは出来れば使わずに平和に過ごしたい。〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉あるいは流れ星の指輪(シューティングスター)を使ってプレイヤーを探すのも考えたが、前者であれば消費した経験値を補充する当てがないし後者であればもう二度と手に入らないアイテムなのに勿体ない。そもそも情報は地道に足で稼げるし旅自体も楽しんでいるのでやめた。

「あっ、えっと、話が逸れた。情報が入ったら教えていただけるんでしたね、ありがとうございます。何かお礼した方がいいのかな? やっぱお金を稼ぐ方法を考えないと……」

「人類に敵対したり支配しようとしたりしないお礼だと思っていただければ安いものです。それに他のぷれいやーが人に害を為す存在であれば対抗できるのは同じぷれいやーであるモモンガさんか竜王(ドラゴンロード)位ですから、そういう意味でも情報をお渡しする事には意味があると思いますので」

「えっ、そんなんでいいんですか? 何か悪いなぁ……」

「ぷれいやーという存在はそれだけの力を持つんだ、素直に受け取っておけ」

「うーん……納得はできないけど分かったよ、お気持ちありがたく受け取ります」

 イビルアイの言葉を受けモモンガが了承する。モモンガに伝える役目はイビルアイが請け負う事になるだろう、伝えてもいい情報と伝えてはいけない情報はその時に取捨選択すればいい。

 何でこいつはこんなにも人となりと力がちぐはぐなのだろう、英雄の膂力を子供が持っているようでどう振るわれるのかが分からず不安にさせられる、危険だ。

 直感のようなその思いを、イビルアイは胸から消し去ることができなかった。

 

***

 

 宿への帰り道をラキュースが送ってくれることになった。何でも彼女は今日は家に帰り明日登城するのでそのついでだという。貴族のご令嬢と一人だけ知らなかったモモンガだけが驚いていた。

「名前で分かるだろ、称号含めて四つの名前があるのは貴族なんだよ」

「そんなの知らないもん……ブレインの意地悪……」

「別に意地悪はしてねぇよ、悪かったよ、常識だから覚えとけ? 俺みたいな平民は二つで、名前が三つなのはスレイン法国の人間だからな? そんで王族は称号含めて五つだ」

「スレイン法国の人はなんで一つ多いんだ?」

「あそこは宗教国家だからな、姓と名の間に洗礼名が入るんだ」

「成程」

 ブレインの懇切丁寧なレクチャーをモモンガが受けながら歩を進める。いつかのエ・ランテルの時のようにクレマンティーヌが道脇にすっと寄った。さりげなく歩速を落としモモンガが横に並び落とした声で話しかける。

「……付けられてるの?」

「はい。人数が多いですね。どうしますか」

「一人残して片付けていいよ。あんまり狭いとやりづらい?」

「そうですね、狭いと後ろの奴に逃げられる可能性があります。この数だとある程度広めの道に誘い込んでブレインと二人で片付けるのが確実かと」

「そうか、じゃあ適当な道に入って。任せる」

 繰り広げられる物騒な会話を先頭のラキュースはやや硬い表情で聞いていた。モモンガは人に積極的に敵対はしないが、敵対者には容赦がないらしいという事にようやく気付く。クレマンティーヌが先頭に立って広めの脇道に入り、どんどん進んでいく。人気がなくなった辺りで立ち止まると、追跡者の一団が一行を取り囲み始めた。平たく言ってチンピラのような風体の男達だった。

「お前が金目の物を持ってんのは分かってんだ、大人しく……」

 脅し文句を言い切る前に男は絶命して大地に伏した。前をクレマンティーヌ、後ろをブレイン。二人の流れるような動きは人を殺しているとは思えない舞いのようなものだった。一人を残して十人以上の男達が命を絶たれるまでに十秒程だったろうか。

「ひ……ひぃっ……!」

 一人だけ残された男は何故自分が残されたのか分からずに恐怖で混乱し腰を抜かしていた。その男の前にモモンガが進み出る。

「〈支配(ドミネート)〉」

 魔法を詠唱すると男の瞳から光が失われていき、恐怖に歪んでいた顔もまるで夢の中にいるように陶然とした表情になる。

「答えろ、誰かに頼まれて襲ったのか」

「はい」

「依頼した者の名前を言え」

 モモンガの質問に男が答えた貴族の名前を聞いたラキュースが眉を顰めた。

「……知ってる名か」

「ええ、ちょっとね」

 ブレインの問いに手短に答えるとラキュースは黙り込んだ。

「じゃあお前の職場に案内してもらおうか。ゴミは纏めて焼却処分した方がいいだろ」

 モモンガの言葉に従って男は立ち上がり歩き出し、一行はその後を追った。人がすれ違うのがやっとといった感じの細い通りに差し掛かると、ラキュースの表情が硬くなった。

「やっぱり……」

 短く呟いただけでラキュースは再び黙り込み脚を動かす。蒼の薔薇が八本指と対立しているならばそれ絡みか、という程度の推測はブレインにも付くが確証もない事だし聞いても答えてもらえるような問いでもないので黙って歩き続けた。

 薄汚れた生臭いゴミの臭いが染み付いた路地を進む。大分進んだ頃、先頭を進んでいた男はある建物の前で立ち止まり、ここです、と建物を指差した。

「ご苦労様。ふむ、ナイフはちゃんと持ってるな。じゃあお前は次に、お前にこの仕事を依頼した貴族の館の前に行き、今後仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)に手を出すような事があればこうなると知れ、と叫んでからそのナイフで喉を掻き切れ」

「はい」

 モモンガの言い付けを受諾した男が歩き出していく。その背中を見送って、恐る恐るラキュースが口を開いた。

「あの……何もあそこまでしなくてもよかったのでは……」

「そうですか? 敵対する愚を徹底的に教えてやらないとこういう輩がわんさか寄ってくるでしょう、それは煩わしいので。それにしても何で俺狙われてんだ?」

「エ・ペスペルのあれじゃねぇのか、王都に着いてからずっと注目の的だぞお前」

「あーあれか……確かに金目の物があるって思わせたかも、失敗したなぁ……まぁ今更言っても仕方がない。さてここはどうするかな……頑丈そうな扉だな」

「ラキュースさん、あんた、この建物が何か知ってるようだが」

「そうなのか?」

 ブレインの言葉にラキュースは答えを躊躇ったが、やがて口を開いた。

「ここは、先程の貴族が経営に関わっている裏の娼館です。前からマークしていたのですが、ここを叩くと八本指の他の組織が地下に潜って追えなくなってしまうので迂闊に手が出せないんです。叩くなら一斉に叩かなければならないんですが、私達だけでは手が足りず……」

「成程、ではここは手を出さない方がいいという事ですね。脅しはあれで十分でしょうし、じゃあ帰りますか」

 モモンガの言葉にラキュースも頷き、一行は道を進み始めた。歩き始めてすぐに後ろで扉が開く音がして、次にどさりと何かが地面に投げ出される音がした。振り返ると、何か大きなものが袋詰めにされて地面に転がっていた。

「ゴミ捨て……にしちゃ雑だな」

「よく見ろ。ありゃあゴミじゃねぇ、人間だ。動いてる」

「だねー。裏の娼館って話だし廃棄処分ってとこかな?」

 振り返った一行の内三人はそんな会話をしていたが、一人だけ冷静になれない者がいた。ラキュースだった。咄嗟に駆け出したラキュースは袋の元まで駆け寄ると口を縛った紐を解き、中で藻掻いていた人間を救い出そうとする。放っておくわけにもいかず三人も袋の元まで戻った。

 中から這い出てきた恐らくは女の顔はひどく腫れ上がっていた。目も口も鼻もどこなのか分からない程紫色に腫れ上がってまるで水死体のようだった。長い金髪は艶がなくぱさぱさで、腕には赤い斑点がいくつも浮き出ていた。呼吸しているのかどうかも唇がひどく腫れ上がっているため判別できない。ただ微かにだが動き袋から這い出ようとはしているところを見るとまだ生きてはいるようだった。

「この人を助けるのですか?」

「……それは…………ええ、助けます」

 モモンガの問いに躊躇を見せながらもはっきりとラキュースは答えた。瞳に宿る決然とした光は誇り高さを感じさせた。きっとこの人も、困っている人を見たら助けずにはいられなくて実行してしまうタイプの人間なのだろう。そう思うとモモンガの胸には羨ましさと憧れと尊敬と、自分はそうはなれないのだという諦めが浮かんだ。

 これは、恩を売るチャンスかもしれない。このゴミを助ける手助けをすればアダマンタイト級冒険者との強い繋がりが出来てお得では? という打算が働いているのでモモンガには利害抜きで人を助けるということが気紛れ以外で出来ないのだ。

「何だお前等! 見せもんじゃねぇぞ、散った散った!」

 店の中から体格のいい男が姿を見せていた。一行を恫喝してくるがそれに怯むような者は残念ながらこの中にはいない。

「答えなさい、この女性をどうしようとしていたの」

「勝手に袋開けんじゃねぇよ! この(アマ)……」

「〈(デス)〉」

 ラキュースに殴りかかろうとした男は突然動きを止め、どさりとその場に倒れ込んだ。一瞬の出来事に何が起こったのかとラキュースが戸惑っていると、モモンガはブレインに袋ごと女性を担がせていた。

「あの……この男は……」

「目撃者は残さない方が都合がいいのでは? 〈転移門(ゲート)〉」

 宿の部屋へのゲートを開きブレインとクレマンティーヌを先行させる。

「私達の宿への転移魔法です、入ってください。治療にはラキュースさんのお力が必要でしょうから」

「は……はい……」

 戸惑いながらもラキュースがゲートを潜り、最後にモモンガが入ってゲートを閉じる。これで現場に証拠は残らない。

 宿の部屋で検分した女性の体はひどいものだった。袋から出したら裸だったのでぎょっとしてモモンガはすぐに後ろを向いたのだが、ちらりと見ただけでも分かる、ぼろぼろの状態だった。確か第五位階を使える信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)って言ってたよな、という記憶の通りラキュースが女性の体を見て症状を調べる。

「ひどい……外傷は私の魔法で治癒できますけど、抜けた歯や切断された腱は治せません……それに何か病気にもかかっているようですし、ものによっては病気を治せずに命を落としてしまうかもしれません……」

 それを聞き、モモンガは無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)から一本のスクロールを取り出した。ラキュースを招き寄せ、スクロールを手渡す。

「これは……?」

「第六位階の治癒魔法、〈大治癒(ヒール)〉のスクロールです。これでしたらあらかたの病気は治せますし、歯や腱の欠損も元に戻るでしょう」

「第六位階って……! そんな貴重なものを提供していただくわけには!」

「乗りかかった船ですからお気になさらず。早くしないと死んでしまうかもしれませんよ」

「はい……ありがとうございます!」

 ラキュースが早速スクロールを使用し、クレマンティーヌが用意していた寝間着を着せる。もう大丈夫ですよ、とクレマンティーヌが声をかけてくれたので振り返ると、髪の艶が戻り頬がふっくらとした愛らしい女性がベッドに横たわっていた。その姿を見て、誰かを思い出せそうで思い出せずにモモンガは首を捻る。誰だったっけ……喉まで出かかっているのに……、という気持ちの悪さに襲われる。

 しばらくすると女性はゆっくりと目を開いた。ぱっちりとした青い目が、天井を捉えて横で見守るラキュースへと移る。

「あっ!」

 思わずモモンガは大声を上げていた。ようやく思い出した、この輪郭、上向いた小振りの鼻、唇の形、ぱっちりとした青い目、モモンガは見たことがある。漆黒の剣のニニャにすごく似ている。

「ひっ……」

 モモンガの大声でモモンガの存在に気付いた女性が怯えた声を上げた。

「あっ、大丈夫よ、あの人が下さったスクロールのお陰であなたを治せたの。安心して。腕も脚もちゃんと動く? 歯も全部元に戻っているでしょう?」

「あの…………あ……うごき、ます……なん、で…………」

「仮面が怖いかもしれないけど、あの人がとても貴重なスクロールを使わせてくれたお陰よ」

「ごめん……顔怖いよね……やっぱ後ろ向くわ。ところであの、聞きたい事があるんだけど話せる?」

 がっくりと肩を落としモモンガは後ろを向いた。慰めてくれる筈のブレインは、男がいたらまずい事になるだろうと言い残して少し前に部屋を出ている。ブレインが正しかったけど何でなのか教えてほしかった。

「あ……あの…………はい……」

「あの、君、名前は?」

「ツ…………ツアレ……です」

「ニニャって弟いる?」

「おとうと…………は、いま、せん…………いもうと……なら…………」

 その答えを聞き人違いかなと首を捻っていると、クレマンティーヌが顔を寄せてきた。

「ニニャですよね? あいつ多分女です」

「…………えっ? マジ?」

「隠してるつもりだったんでしょうけど、歩き方と骨格で大体分かります」

「やっぱりクレマンティーヌ優秀……分からないなら本人に聞けばいいのか、よし。〈伝言(メッセージ)〉」

 〈伝言(メッセージ)〉を繋げると、繋がった感覚があったのか、ん? というニニャの声が聞こえた。

「ニニャさん? モモンガですけど」

『モモンガさん? これって〈伝言(メッセージ)〉ですか?』

「そうです。どうしても確認したい事があって。お姉さんの名前はツアレさんですか?」

『えっ……どうしてそれを……? でもちょっと違います、ツアレニーニャというのが姉の名前です』

「あともう一点、ニニャさんは実は女性?」

『えっ⁉ いやあの、その……すみません、騙すつもりはなかったんですけど……』

「分かってます、パーティに異性がいると問題が起きやすいんですよね? その点を責めるつもりはありません。それより一ついいお知らせがあります。偶然ですが王都でお姉さんを発見しました」

『……えっ? えっ? どういう事ですか? 何で? モモンガさんが?』

「正確には蒼の薔薇のラキュースさんが助けられたのですよ。私は少しお手伝いをしただけです。ニニャさん、これから王都に来られますか?」

『はい、皆に相談して、私だけでもすぐに向かいます!』

「今は私の宿で治療したのですが、お姉さんを預かってもらう先が決まったらまたご連絡します」

『はい、よろしくお願いします!』

 〈伝言(メッセージ)〉を切断すると、後ろを向いたままツアレに報告を始める。

「ツアレさん、実は妹さんと私は偶然にも知り合いだったんです。貴族に連れて行かれたお姉さんがいるという事を聞いていたので今ツアレさんが見つかったと妹さんに報告しました。現在はエ・ランテルで冒険者をしているので王都まで来るのには少し時間がかかると思いますが、もうすぐ会えますよ」

「いもう、と…………ほんと、ですか……」

「本当です、楽しみに待っていてください。とりあえず食事でもした方がいいかもしれませんね。クレマンティーヌ、何か消化の良い食事作ってもらってきて」

「了解です」

 モモンガの言葉を受けクレマンティーヌが部屋を出ていく。

「ラキュースさん、ツアレさんが滞在できる場所はありますか?」

「妹さんが見えられるまでは家で引き取ります。八本指に手出しはさせません」

 そうか、八本指が居場所に気付いたら取り戻しに来たり報復に来る可能性があるのか、とモモンガは思い至る。証拠は残していないからモモンガ達やラキュースに辿り着くのは至難を極めるだろうが、目撃者がいないとは言い切れない。

 ラキュースはツアレを家に連れて行く為に馬車を呼びに行き、今まで男に暴行されてたんだから男は怖いに決まってるだろとようやくブレインに教えてもらったモモンガは部屋を出て廊下をウロウロしていた。

 ゴミとか思ってたけど助けてみたらニニャの姉だったとは。こうなってくると、ただのゴミにしか見えないまでニニャの姉を傷めつけたあの娼館、ひいては八本指に面白くない気持ちが湧き上がってくる。あの娼館を経営してるとか言ってたから脅すだけに留めておいたあの貴族も抹殺してもいいかもしれない。飼い犬に暴行された飼い主だって警察に訴えるだろう、八本指がのさばっているのを見る限りでは王国は警察機構が頼りにならなさそうだから多少はモモンガが動く必要がありそうだ。

 よくも手を出してくれたな、というどす黒いものが胸の底から湧き上がってくる。こういう黒い気持ちの抑制が効かなくなっているのは間違いなくアンデッド化の影響だろうとモモンガは思った。鈴木悟は憎しみや怒りなど人前で表に出す人間ではなかった。いや、今まで溜め込んだ分をここに来て吐き出しているのかもしれない、とやや自嘲気味に考える。

 ただ、目立つ事は極力避けたい。八本指は王国の裏社会を支配しているとか聞いたし、それなら拠点も多いだろう。アンデッドを使えば制圧など容易いがそれでは目立ちすぎてしまう、王国の兵士をどうにか動かさなければならない。一挙に叩く為にまずは拠点探しだ。

 もしかしてこういう時にあの組織が使えるのでは? と思い至り〈伝言(メッセージ)〉を起動する。

「カジットか、私だ、死の王だ。今日はお前に尋ねたい事があってな。八本指、という組織についてズーラーノーンはどこまで把握している?」




誤字報告ありがとうございます☺

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