Life is what you make it《完結》   作:田島

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仮面の下

 王都中が八本指の拠点摘発で騒然としている中、数多くの兵士が足早に移動するのを目にした一般市民達は異常事態の発生を感じ取り早々に家へと引きこもった為、街中に兵士と八本指以外の人影はほぼない。

 ひっそりとした街中をモモンガは歩いていた。この辺りは貴族の邸宅が立ち並ぶ区画の為、この夜の時間帯には人通りは元々ほぼない。目的地はクレマンティーヌに昨日までにこっそり調べさせ道順も事前に遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)で確認済みなので多分大丈夫だ。

 記憶通りに進んでいくと、クレマンティーヌに遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)で確認してもらい教えてもらった邸宅が見えてきた。街中の騒ぎを聞きつけた貴族の邸宅がどこも騒ぎに巻き込まれないよう防備を固めているのと同様に、門は固く閉ざされている。

 モモンガは目的の邸宅の門の前まで進むとおもむろに門を蹴りつけた。モモンガは純然たる魔法職とはいえ百レベルともなれば戦士換算でも三十レベルになる程の能力がある。レベリングなどの経験から推察すると、この世界ではトップクラスの戦士と同等の身体能力をモモンガは持っていることになる。勢いよく蹴りつけられると頑丈そうな鋳物門扉は簡単にひしゃげばきりと内側の閂が折れた。これでもし足が痛いだけだったら格好悪いなと思っていたので想定した通りに事が進んだ事にモモンガは密かに安心した。

「で、ここは何なんだ?」

「例の俺に喧嘩を売ってくれた貴族の家だよ」

「成程な、まぁそんなこったろうと思った」

 宿を出てからずっと無言だった後ろのブレインがようやく質問を投げかけてきた。後ろを見ないままモモンガはその質問に答える。

「その全部お見通しみたいな態度引っかかるなぁ。もしかして止めたいの?」

「止めやしねぇさ。お前を止めるなんざ俺如きにできっこねぇだろ。それに俺の仕事は有象無象の処理だからな」

「……分かってるならいいけど」

「こっからは有象無象が湧いてくるだろうから先に行くぜ」

 言うとブレインは門を押し開け先に進んでいった。モモンガも後に続く。

 進んでいくと貴族の私兵らしき兵士達がたむろしており、こちらに気付いたのか何者だと誰何の声を上げ戦闘態勢をとってきた。ブレインは刀に手もかけないまま進んでいき、斬りかかってくる兵士の槍や剣を苦もなく躱すと鳩尾に拳や蹴りを叩き込んでいく。しばしの後には全ての兵士が痛みに呻き腹を抱え地面に蹲っていた。

修行僧(モンク)の真似事?」

「こんな奴等刀を抜くまでもない。それにお前の目的はこいつらを皆殺しにする事じゃねぇだろ」

「そうだけど目撃者を生かしておくと後々リスクが残るよ」

「やめとけ、ただ見たってだけで一々殺してたらキリがねぇぞ。お前にとっちゃそこいらの人間はその程度の存在なんだろうが、それじゃ騒ぎが大きくなる、これからの為にならねぇんじゃねえか。何の為に評議国くんだりまで行くんだよ」

「それは……まぁ、確かに。じゃあ任せるよ」

 納得しきれないながらも理解はしたのでブレインの言葉にモモンガは了承を返した。確かに一人の貴族の為に屋敷の人間を皆殺しにしたなんて事が知れたら白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)の心証は悪くなるかもしれない。不法侵入の時点で心証は良くないかもしれないが。評議国までの旅は自分は害がない存在だとアピールしに行くのが目的なのに、屋敷の人間皆殺しなんて不穏な行動をしたら台無しになるかもしれないというのは確かだ。発端が怒りからの行動とはいえ少し考えが足りなかったかもしれないとモモンガは素直に反省した。

 他の場所にいた兵士達が騒ぎを聞きつけたのか駆け付けてくるが何人かかろうがブレインの敵ではない。全ての者を黙らせるのにかかった時間も数分といったところだろう。増援の気配がなくなったところで歩を進める。

 玄関は鍵がかかっていたのでモモンガが正拳突きでドアノブの辺りをぶち抜いて鍵を壊した。阿呆みたいな馬鹿力だな、とブレインは若干引き気味ながらも先に立ち屋敷の中に入っていく。イルアン・グライベルを着けているので腕力には補正がかかっているのだとモモンガは自己弁護したくなったが面倒だったのでやめた。それを差し引いてもこの世界の基準からいうと多分モモンガは馬鹿力だからだ。

 音を聞きつけて警護の者と思しき男達が玄関ホールへと集まってくるがブレインの前に立って二秒と立ち続けていられる者はいなかった。イケメンで喧嘩も強いとかちょっとむかつくな、と暇を持て余すモモンガは全くもって筋違いの怒りをブレインに抱いていた。これでブレインが女にモテる男だったら普段からむかついていたかもしれないが、その気配はないようなのでその点は安心だった。

 ちなみにモモンガは知る由もない事だが、この世界の人間は劣等種である為生存本能が刺激されやすく、より強い男性の遺伝子を残そうと強い男に本能的に女性は惚れる傾向があるので街にいればブレインは確実にモテる。今までは人里離れた男所帯の傭兵団にいた上に性欲処理用の女にも興味を示さないストイックぶりだったので女と縁がなかっただけだった。モモンガから見て今の所モテていないように見えるのは、モモンガという珍妙な仮面の男やクレマンティーヌという美女が横にいる為声をかけづらいというそれだけの理由だ。

 玄関ホールが蹲り呻く男達で溢れ返り、これ以上出てくる様子がなくなったところで倒れた男の一人にモモンガが〈支配(ドミネート)〉をかけ、貴族の部屋の位置を聞き出す。部屋を一つ一つ確かめても別にいいのだが、女性の部屋をいきなり開けるのは何だか申し訳ない気がしたので聞くことにした。メイドの部屋とかもあるだろう、着替えとかしているかもしれないしそもそも女性の部屋を許可もなしに開けたくない。我ながら妙な所で遠慮をしているとモモンガは思った。

 玄関ホールの奥にある階段を登り右手の奥の部屋が貴族の自室だった。この世界にも同じ木材があるのかは知らないがウォールナットによく似た風合いの重厚なドアを開けると、広い部屋には奥に立派な机が置いてあり目的の貴族と思しき男はそこで書き物をしていた。ドアが開いたのに気付いた貴族は顔を上げるとそこに居たモモンガの姿を認め驚愕に顔を歪めた。

「かっ……仮面の、魔法詠唱者(マジックキャスター)……?」

「初めまして、先日のプレゼントは気に入っていただけたかな? 貴様の無礼に対するちょっとした返礼だったのだがね」

「誰か、誰かいないのか! 侵入者だ!」

 貴族は立ち上がり大声を上げるが、それに応えられるような戦力はここまでの道程で全て潰している。駆け付ける者はおろか返答すら返ってこず、狼狽えた貴族は壁に走り、飾ってあった剣を鞘から抜き放ってへっぴり腰で震えながらも構えた。

「よよよ、寄るな! きっ来たら、斬り殺す!」

「俺は温厚な男なんだが、こう見えて売られた喧嘩はきっちり買うんだよ。その愚かさの対価、身をもって支払ってもらおうか」

 正面に貴族を見据えモモンガは特殊技能(スキル)・絶望のオーラレベルⅠを解放した。効果覿面なのはこの前立証済みだ。

「ひいいいぃぃぃああああああぁぁぁぁ!」

 刹那、圧し潰されそうな猛烈な威圧感に襲われ強い恐怖に囚われた貴族は背中からその場に倒れ込み無闇矢鱈に手足をばたつかせ、泣きじゃくって涙と鼻水で顔を汚していた。股間が濡れアンモニアの匂いが立ち込める。剣などそこらに放り投げてしまっていた。

「やだやだやだっ、しにたっ、しに、しにたくないっ!」

「何を言ってるんだ貴様は? 喧嘩を売ってきた奴を簡単に死なせてやる程俺は慈悲深くないぞ」

「ななな、なんでも、なんでもしますっ! かねっ、かね、おかねっ! おかねをさしあげます!」

「言ったよな、身をもって支払ってもらうと。さて次はどうしようか。貴様がやらせているように手足の腱を切るのがいいか、歯を一本一本抜いてやろうか? それとも元の顔が分からなくなるまで殴るか? 一体どれが希望だ、好きなものを一つずつ順番に選ばせてやるぞ。時間をかけてじっくりと己の愚かさを思い知らせてやる」

「やだっ、やだやだやだっ、たすけてっ!」

「そう訴えてきた者を助けた事があるのか? 貴様は。自分だけ助かろうというのは虫がいいと思わないか。選べないなら俺が選んでやるぞ」

 貴族は恐怖に声を上げながら闇雲に体をばたつかせるばかりでまともに受け答えする事すらもう無理だった。モモンガが一歩足を踏み出すと、後ろに控えていたブレインが歩き出し、貴族とモモンガの間に立った。

 何でそんな所に立つ、とモモンガは思った。わざわざ絶望のオーラの範囲は貴族への直線上前方にしたのだ、後ろに立っていれば影響を受ける事はないのに。目の前のブレインの額やこめかみからは汗が溢れ出し顔を滴っているし、首も既に汗でびっしょりの様子だ。呼吸も荒く、肩で息をしている。二度とやるなと怒られたのは記憶に新しい、今だってきっと逃げ出したい程恐ろしいだろう、好んで影響を受けたい訳ではない筈だ。それなのにどうして。

 いやそれ以前に、この体勢はモモンガから貴族を庇う体勢だ。こんな生きている価値もないどころか生きていても害にしかならないようなゴミ虫を庇うとはブレインは気でも狂ったのだろうか? さっき邪魔はしないと言ったばかりだ、それなのにどうして。

「どけブレイン」

「断る」

「まさか、自分は殺されないだろうと思っていい気になってる? それならそれは勘違いだよ」

「んなこた分かってるよ、殺したきゃ殺せ、覚悟は出来てる」

「何で命を賭けてまでそんなゴミを庇うんだ、俺の邪魔が出来るって思い上がってるの?」

「俺程度でお前の邪魔なんか出来る訳がない、それはよく知ってる。だがここをどく気はない。このゴミはお前が手を出すまでもない有象無象どころか俺から見てもゴミだよ。だけど今お前がやろうとしてる事を見過ごしちまえば、俺はお前がこのゴミと同じになっちまうのを何もせず止めないゴミになる。そんなのは死んでもご免だ」

 モモンガが、この貴族(ゴミ)と同じになる? ブレインの言っていることがよく飲み込めずにモモンガはしばし考え込んだ。例えば〈時間停止(タイム・ストップ)〉でも使えばブレインなど何の障害にもならないが、こちらを真っ直ぐに睨み付けてくるブレインの視線からどういう訳か目を逸らせなかった。

 鋭く強い目線だった。だが敵意のような嫌なものは感じられない。この強い視線に込められた感情を何と呼ぶのか、それをモモンガは知らなかった。名前の分からないものが真っ直ぐに自分を見つめてくる、そこから目を逸らせず隠れ逃げることもできない。知りたい、と思った。この目線に込められた感情の名を。どうしてブレインは今にも逃げ出したい強い恐怖から一歩も動く事なく、こうして真っ直ぐにモモンガを見つめ続けるのかを。

「俺が……そいつと同レベルになる、って事か?」

「そうだよ。お前はこいつがしたのと同じ事をそっくりやろうってんだろ? それじゃ丸っきりこいつと一緒じゃねえか。こいつがどうなろうと構やしねえ、だけど俺はお前にそんな事はさせたくねえんだ」

「同じ痛みを受けないと自分が何をやったのか馬鹿は思い知れないだろ?」

「脅しは十分、あの時お前はそう言った。今もそうだ、こいつは十分思い知った。そこまでやる必要はない」

「あの時は脅しだけでいいだろうと思ったからそう言っただけだよ。今は違う」

「お前は間違ってる、こいつのやった事は許せねえがこいつを裁くのはお前じゃない、王国だ。こいつがお前の敵ならいくらでも俺が斬ってやる、だけど違う、こいつはお前の敵じゃない、敵にすらなれないゴミだ」

「……それは、人間の理屈だよブレイン。俺はそういう考え方はしない」

「人間だろうがどうだろうが関係あるか! ダチが間違ってる事したらぶん殴ってでも目ぇ覚まさせてやる、そういうもんだろうが! その為なら俺の命位いくらでもお前にくれてやる!」

 血を吐くような必死なブレインの叫び声に答える言葉をモモンガは持たなかった。何故なら、そういうものなのかどうかを全く知らなかったからだった。

 ダチ――友達。

 友達だと言ってくれた人が一人もいなかった訳じゃない、アインズ・ウール・ゴウンの仲間は皆良き友人でもあった。だが、間違いを正す為に命を賭けてくれるようなそんな種類の友達なんて、鈴木悟はおろかモモンガも知らない。そもそも鈴木悟(モモンガ)の事を真剣に心配して間違いを正してくれた人なんて、母親しか記憶にないのだ。

 ああ、このブレインの真っ直ぐな目線に込められているのは、友達を心配している真剣さなんだきっと。その事が何の疑いも生じずにすとんと腑に落ちた。こちらを言い包めるような欺瞞の色を感じられないのはモモンガがその言葉を信じたがっているあまり故なのだろうか、心からの真剣な言葉で嘘などないようにしか思えないのはモモンガがそう言われたいという願望を形にされたからなのだろうか。

 そんな事はもうどちらでも良かった。嬉しい、その強い感情の波が沈静化されても次から次から溢れ出してきてただそれだけが胸を満たしていく。

「はは……はははは、何で、何で俺、泣けないんだろう……今、すごく泣きたいのに、涙が、流せないんだ……悔しいなぁ……畜生」

 まるで泣いているように。モモンガは俯き両手で顔を覆った。肉のあった頃の名残りなのだろうか勝手に体がそう動いてしまった。真似事しかできないけれどもそれでもモモンガは今確かに泣いていた。嬉しすぎて泣いてしまうなんて、そんな事は今までにあっただろうか、なかったような気がする。きっと、初めてだった。

 あんな真っ直ぐな目で友達だと言われたのは、初めてだった。

 アインズ・ウール・ゴウンの皆だってブレインのような真っ直ぐな目をしていてくれたのかもしれない。でもそれは表情のないアバターからは伝わりようのないものだった。伝えてくれた、それがどうしようもなく嬉しかった。人の強い思いが伝わってくるのがこんなにも嬉しい事だなんて、今まで知りようもなかった。

「ブレイン」

「……何だ」

「もう一回言って」

「断る、あんな恥ずかしい事そうそう言えるか。それからそんな事言ってる暇があるならその恐ろしい気配をとっとと消せ、そろそろ限界だ……」

 言われてはっとなりモモンガは顔を上げ、絶望のオーラを切った。その瞬間汗だくのブレインはその場にへなへなと座り込み、床に手を突き俯いて必死に呼吸を繰り返し肺に空気を取り入れようとしていた。相当無理をしていたようだった。

 いつの間にか貴族は気絶していた。こんな奴はもうどうでもいいな、ブレインの言う通り脅しとしては十分だったろうし放っておいてもいいか。そうモモンガは考えていたのだが落ち着いたらしきブレインが貴族の頬を強く(はた)いて起こした。

「おい」

「はいっ!」

「八本指と癒着してた証拠を用意して今すぐ詰め所でも王城でも行って自首してこい。出来ないってんなら今ここで俺がお前を斬る」

「やっ、やります! やらせてください!」

 恐怖に引き攣った表情とひっくり返った声で答えた貴族は、本棚の奥にある隠し棚を開けると中の書類を持ち出し逃げ出すように走り去っていった。その素早さたるや声をかける余裕すらなかった。

「ねえブレイン」

「何だ」

「もう一回言って」

「しつこい奴だな……俺ぁお前の事ダチだと思ってるよ、これでいいか」

「もっと心を込めて、と言いたいところだけど今はそれで満足しておく」

 ツアレの件があって以降モモンガの胸を覆っていたどす黒いものはいつの間にかすっかり消え失せていた。

 誰とも向き合おうとしてこなかった鈴木悟(モモンガ)に、どうしてかは分からないがブレインは真っ向から向き合ってくれた。友達だと言ってくれた。

 俺も向き合えるかな、こいつみたいに命を賭けてなんてのは無理でも、少しは痛む覚悟で。向き合ってみたい、そう思った。向き合ってもらえるのがこんなにも嬉しい事ならば、大切な人にこの嬉しさを分け与えたい、そう思った。

「じゃあ帰るか。クレマンティーヌが帰ってきたら一杯褒めてやんなきゃいけないし」

「俺も褒めろよ……扱いの差……」

「……ブレインのお陰で、間違った事しなくて済んだ、ありがとう。これからも助けてほしい」

「……お、おう」

 素直な気持ちを言葉にすると、ブレインは戸惑ったような声色の返事を返してきた。

「もしかして照れてんの? ブレインみたいなごつい男に照れられても全然嬉しくない……」

「余計なお世話だよ、放っとけ」

「いじけないいじけない。ほら帰ろう、〈転移門(ゲート)〉」

 ゲートを開き宿の部屋へと帰る。王都の騒乱はまだ終息していないが、モモンガの心は今とても穏やかだった。

 

***

 

 明けて朝。八本指の各部門の首魁と纏め役は全て拿捕された。幹部格もほぼ抑えられ、捕らえられた者を収容するのに牢ではとても足りず王城の空いている場所に兵を配置して下っ端どもを集めているような有様だった。それ程昨日の大捕物は大成功だったという事だ。

 王は貴族の横槍が入る前に即日首魁八人の処刑を断行。誰の入れ知恵か、と揶揄する者はあったがその果断ぶりは今までの王と違うと感じさせるのには十分であった。第一王子バルブロと八本指麻薬部門の癒着の証拠が流れ、次期後継者にバルブロを推す貴族派閥、とりわけバルブロと娘が婚姻関係にあるボウロロープ候に大打撃が与えられたのは余談である。

 王都が静けさを取り戻すまでにはまだ少しの時間がかかるだろう。そして、社会の暗部、裏社会は決してなくならない。裏社会は表の社会から零れ落ちた者を受け入れる必要悪の側面もある。だが八本指のようにやり過ぎれば叩かれるというある種当然の事が今回示せたのは、王国と国王ランポッサⅢ世にとっては大きな前進だっただろう。

「祝勝会?」

『そうだ、今日の夜に天馬のはばたき亭でやる。お前達三人も来い。今回の勝利の立役者だからな』

 イビルアイからの〈伝言(メッセージ)〉が入ったのは作戦から二日後だった。

「いや、クレマンティーヌは分かるけど俺とブレイン何もしてなくない?」

『お前の提案がなければ今回の作戦自体が成立していないし、ブレインを一人だけ仲間外れにするのも悪いだろう。コソコソと何やらしていたお前のお守りで大変だったのだろうしな。(ねぎら)ってやれ』

「ぐっ……それを言われると弱い……」

『ガゼフも来るそうだがお前とブレインに会いたがっていた。いいな、参加しろよ』

「分かったよ。別に何か用事があるわけじゃないしめでたい席を断る理由はないしね」

『夕方の五時頃から始めるからそれまでに来てくれ、また後で会おう』

「了解、また後で」

 〈伝言(メッセージ)〉を切断し、刀の手入れをしていたブレインに祝勝会の話をすると案の定俺は何もしてないと言うので説得に苦労した。俺だって何もしてないのに強制参加みたいになってるんだからお前もだよ、ガゼフとの飲み会だと思え、という方向の論調で強引に連れて行く事にした。情報収集に出ているクレマンティーヌにも〈伝言(メッセージ)〉で伝えておく。ちなみに六腕の内二人を仕留めて帰ってきたクレマンティーヌを褒めまくったら感激されてまた泣かれた。俺はどうすればいいんだろうと途方に暮れたのもいい思い出だ。

 そろそろ夕方の頃合いに引き摺るようにブレインを連れて宿を出て天馬のはばたき亭に向かう。今回集まったのは蒼の薔薇とレエブン候麾下の元オリハルコン級冒険者、ガゼフと戦士団の副長、ガゼフに連れられて来たラナーの所にいた少年兵(クライムとかいう名前だった)、そしてモモンガ達だった。

「何でぇ、お前もリグリットに負けたのかよ、ブレイン!」

「負けたんじゃない、痛み分けだ。今やったら勝つ。ってか、も、って事は他にも誰か負けた奴がいるのか」

「イビルアイが、ボコられた」

「泣かされた」

「うるさい、お前と一緒にするな! 私の時はあの婆ぁに加えて、蒼の薔薇(こいつら)もいたんだぞ!」

「ふふ、懐かしいわね」

「飲みすぎるなよクライム、感覚を覚えるだけでいいんだからな」

「はい! しかし、お酒というのは不思議な味がします……これが、美味しいのでしょうか?」

「そういう真面目すぎる所がお前の欠点なんだ。場の空気を楽しめ!」

「そういう戦士長だって相当真面目一徹ですけどね」

「ガゼフはもうちょっと遊びを覚えたら一皮剥けるんじゃないかなぁってお姉さんは思うなぁ~」

「遊びですか……剣に遊びは必要なのですか?」

「何事にも遊び、つまり余裕というものは必要だぞクライム。俺も人の事が言えたものではないが、お前のようにいつでも全力で力一杯で遊びのない状態はいつ折れるか分からない危険な状態だ。張った弦は容易に切れるが、弛んだ弦は簡単には切れないということだ」

「はい、気を付けます!」

「だ~か~ら~、そういうとこなんだよなぁ~少年、分かってにゃい~」

「モモンガ殿は第四位階の使い手とお伺いしましたが師匠はどなたなのですか?」

「独学です。最近まで辺境に籠もって魔法の研究をしておりました」

「ほう、それは凄い! 独学で第四位階とは彼のフールーダ翁もそのお歳では到達しておりませんでしたぞ!」

「それより、ルンドクヴィスト殿はいくつもオリジナルの魔法を開発されていると噂を耳にした事がございます。そちらの方が私にとっては凄い事です、残念ながら私にはその方面の才能が全くないので。良ければどのような魔法を開発されたのか詳しく教えていただけますか? 非常に興味深いので」

「誰だヨーランに酒飲ませた奴! 絡み上戸だから飲ませるなって言ったろ!」

「だ~れ~が~、絡み上戸だってぇ~? ボリス、大体お前いつもそうだよな、仕切り屋っていうかさぁ、まぁリーダーだから俺も許してるよ? でも限度ってもんがあるだろ? 今日だって俺はパモタが食べたかったのにお前がルンキキを頼んだんだ! どうしてくれる、この俺のパモタを食べたい気持ちはどこに行けばいい!」

「可哀想になぁヨーラン……ストレスが溜まってるんだな……」

「ロックマイアーお前誰の味方なんだ! 助けろよフランセーン!」

「酒美味い」

「今日のルンキキはさぞや美味かったろうなぁ~ボリスぅ~!」

「分かった、悪かった、俺が悪かったよ! 次はお前が頼みたい物を聞いてやるから! 許してくれ~!」

 祝勝会は賑やかに続いていく。話の途切れたタイミングでモモンガは席を外した。飲食のできないモモンガにとって飲食必須の場は仮面の呪いという言い訳があるにしてもあまり居やすい場所ではない。パモタって何だよ、ルンキキって何、エール美味しそう、葡萄酒美味しそう、そんな好奇心や欲望と闘いながらにこやかに話さなければならないのだ。

 店の外に出ると大きな月が向かいの建物の屋根の上にかかっていた。もっとよく眺めたくなったので〈飛行(フライ)〉を使って屋根の上に上がる。するとそこには先客がいた。

「ん、何だ、モモンガか。どうした」

「休憩。イビルアイも?」

「ラキュースは酔うと絡んでくるから面倒なんだ」

「あはは、意外。隣、座っていい?」

「構わんぞ、座れ」

 許可が出たのでイビルアイの横に腰を下ろす。見上げると月は視界を覆うほど大きく、蒼白い光は眩しいほどだった。

「綺麗だなぁ」

「そうか……? いつもの月だと思うが」

「この世界の人は皆そう言うよ。月も星も空も山も川も草原も森も、この世界は美しいものばかりだ。俺は、すごく好きだよ、この世界」

「お前は……それを我が物としようとは思わなかったのか」

「なんで発想がすぐそっち行くかなぁ? 旅とか冒険で十分見られるし、そっちの方が性に合ってるというか好きなんだ。支配なんて柄じゃないよ」

「……正直に言う。それでも私はお前を信じ切れない。お前が仲間を探したいだけだというのは本当だろう、そこは信じられる。だが嘘はついているな。例えば仮面」

 図星を突かれモモンガはぽりぽりと仮面の頬を掻いた。

「……やっぱ分かる?」

「私とて人前で仮面を外せない事情を抱えている身だ、大体の察しは付く。それも含めて、お前の腹の内が見えていない、そんな感じを受けている」

「うーん……意図して隠してる事は他には特にないんだけど……じゃあ素顔を見せればちょっとは信用してもらえる、って事なのかな?」

「それは確約できん。ますます警戒する結果になるかもしれん。ただ、出来れば信用したいとは思っている。世界の為にも自分達の為にもな」

「まぁ、隠してるのは君と大体同じ理由だよ。ただ見たらちょっとびっくりするかもしれないけど」

「これでも長い時を生きてきた、少々の事では驚かん」

「そう? まあこっちは君の仮面の下を見てるわけだしお互い様って事で秘密にしてくれるならいいよ。後、攻撃してこないでね?」

「そんな命知らずな事はもうしない」

「ここだと誰かに見えちゃうかも、上行こうか」

 二人は立ち上がり〈飛行(フライ)〉で上空へと昇る。雲が流れるほどの高さまで上がると先行していたモモンガが止まり、イビルアイもそれに合わせて止まった。

「ほんとにびっくりしないでね?」

 言いながらモモンガは仮面を外した。下から現れたのは白磁の骨。磨かれたように白くつるりとした頭蓋骨、ぽっかりと開いた眼窩には禍々しい紅の光が灯っている。邪悪な意志を感じさせる髑髏の顔がそこにあった。先程までは肉が付いていた筈の首も今は頚椎を晒している。

死者の大魔法使い(エルダーリッチ)、いや、ナイトリッチか?」

「残念、もっと上の種族だよ。死の支配者(オーバーロード)っていうんだけど知らないか」

「寡聞にして知らんな……」

「六大神の闇の神、スルシャーナも多分同族。俺とそっくりらしいから」

「そうなのか……首は普段どうしているんだ」

「低位の幻術だよ。触ったらバレちゃうけど今の所不都合は起きてないね」

「そうか……」

 それきりイビルアイは黙り込んだ。モモンガは仮面を被り直し、イビルアイが何か言い出すのを流れる雲を眺めながら待った。さやかな月光が烟るような灰色の雲を照らし出している。眼下には地平線まで草原が広がっている。月と星の明かりだけで世界は静かに輝いていた。この世界は光に満ちているんだな、そんな事をふと思う。昼でさえ薄暗かったリアルとの対比で余計にそう思ってしまうのかも知れない。

「私が言うのも何だが、生者を憎む気持ちはないのか」

「ないよ。ただ、知らない人間は虫くらいにしか思えないかなぁ。仲良くなるとそうでもなくなってくんだけど。これってスルシャーナもこうだったのかな? それなのに人類救ったとしたら素直に凄いと思うよ」

「……成程、納得した。お前は根本的に感じ方や感覚、価値観が人間と違う、積極的に人を害するわけではないが敵対する者を殺すのは虫を潰す位にしか思わない、そういう事だな」

「うん、そういう事」

「もし国が敵に回ったらどうする」

「……それはその時になってみないと分からないとしか言えないかなぁ。出来ればそんな事にはならないように立ち回りたいと思ってるけど。俺がしたいのは仲間探しと世界中を旅する事だから、旅する先を減らしちゃうのは残念だろ?」

「そういう軽さが今一つ信用できん所なのだが……さておき私が感じていた違和感の正体は分かった。その上でお前がツアー……白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)に話を通しに行こうとしているのならば本質的にはお前の言う通り人に仇なす存在ではないと信じて良さそうだ」

「分かってくれて嬉しいよ。屋根に戻ろうか」

 屋根まで戻ると中ではまだ賑やかな酒盛りが続いているようだった。喧騒が漏れ聞こえてくる。

「賑やかだね」

「ああ」

「イビルアイに一つ聞きたい事があったんだ」

「何だ?」

「イビルアイは冒険者をやってるけど、いつか仲間は寿命で先に死ぬだろ? そうでなくても歳になれば引退するだろうし。仲間がいなくなっちゃうのって、耐えられるのかなって」

 モモンガのその問いに、イビルアイはしばしの沈黙を返した。その後ゆっくりと口を開く。

「寂しいだろうな。きっと耐えられないほど辛いだろう。だが、時の流れはどんな傷も癒やしてくれるものだ。それを知っているから私はまた仲間を持とうと思えた」

「そうか、強いんだな、イビルアイは。俺はそういうの全然駄目でさ。蒼の薔薇の皆と冒険できなくなったら、イビルアイはどうするの?」

「さてな、分からん。抜けるか、他のチームに入るか、だが今のチーム程楽しい場所はそうはないだろうな。まぁ前もそう思っていたのに今は今で楽しいのだからやってみなければ分からんというのが正直なところだが」

「前のチームの方が良かったなぁって思う事、ないの?」

「ないな。そもそも比較するものではない、それぞれ別のものだ。それぞれ別個に心の中に席ができるんだ。前のチームだって別に過去の存在になって隅に追いやられるわけじゃない、私の中ではどちらも同じ位大切な存在だ」

「別の席かぁ……難しいな」

「そんなに難しく考えることはない。とはいってもお前では実力差がありすぎてチームを組める相手がいないだろうがな」

「俺は別に冒険者にはならないからそこは心配してない」

「お前に冒険者になどなられたら私達の商売上がったりだ、勘弁してほしいものだな」

 会話が途切れ、二人はしばし黙って月を見上げた。柔らかに地上を照らす光、傷を癒やす時の流れもきっとこんなたおやかで優しいものなのかもしれない、何となくモモンガはそう思った。

 傷は癒えるのだろうか。そもそもこれは傷なのだろうか。モモンガの中ではまだ傷ではない、諦めてはいないのだから。

 いつか認められる日が来たら、その痛みに耐えられたら、俺は前に進めるんじゃないだろうか。

 そんな確信のような思いつきがモモンガの胸に浮かんだ。独りでは絶対に耐えられない、でももしブレインとクレマンティーヌがいてくれるなら? 踏み出す勇気を持てれば? 今すぐにではなくても、心の準備をしてからでも、きちんと認めた方がいいのかもしれない。臆病者が一歩前に踏み出す勇気は途方もないほど大きなものが必要だけれども、それでも。

 鈴木悟の心の中の席は狭すぎて四十しかないけれども、もし別の席を作れるのだとしたら?

 様々な思いが胸を交錯するけれども、柔らかな月の光は全ての答えであるようでいて何も答えてはくれなかった。




誤字報告ありがとうございます☺

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