Life is what you make it《完結》   作:田島

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潮騒

 ガゼフ邸を去り際にモモンガは明日王都を発つ事をガゼフに告げた。またいつでも気軽に訪ねてほしいとガゼフは気持ち良く送り出してくれた。宿に帰る道すがらに蒼の薔薇とツアレ・ニニャの姉妹にも別れを告げておく事にする。

 天馬のはばたき亭にいたイビルアイはモモンガが王都を発つ事を聞くと、一通の手紙を取り出しモモンガに差し出した。

「これを持っていけ」

「これは?」

「ツァインドルクス=ヴァイシオン、つまり白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)への紹介状だ。これでもアダマンタイト級冒険者として近隣諸国に名を馳せているんだ、私の名前で書いたこれがあればスムーズに面会できるだろう。お前はどうも検問で引っ掛かるようだからそこでも使えるかもしれん」

 そのイビルアイの言葉に、この先はガゼフパワーが使えない事を思い出す。今度はイビルアイパワーを使え、という事かと納得する。

「わざわざありがとう、有難く使わせてもらうよ」

「ツアーは話の分かる竜だが、竜王(ドラゴンロード)の中では最も強い力を持つ者の一人だ。罷り間違っても敵対してくれるなよ」

「分かってるよ、そもそも敵じゃないって話をしに行くんだからね。仲良くできるように頑張るよ」

「お前のその軽い物言いにはどうも不安が残るが……そのつもりならいい。旅の無事を祈る、息災でな」

 蒼の薔薇の他のメンバーからも別れの挨拶を貰い、アインドラ邸でニニャとツアレにも別れを告げて宿に戻る。クレマンティーヌとブレインが食事などを済ませてから明日からの旅程の計画を話し合う。

「評議国との国境付近にある都市、エ・アセナルまでのルートは二つあります。一つは内陸部の街道を通りリ・ボウロロールを経由するルート。もう一つは海沿いの街道を進むルートです。リ・ボウロロール経由ですと情報収集の機会がありますね。どちらも距離的にはあまり変わらずエ・アセナルまでは徒歩で十日程ですが、モモンガさんはどちらがご希望ですか?」

「海! 海見たい! 海沿いのルートにしよう!」

 クレマンティーヌの質問に間髪入れず食い気味にモモンガは即答した。この世界の海は是非見たいと思っていたので思ったよりも早く機会が巡ってきた事に興奮を隠しきれない。情報収集の機会が減るのは惜しいがリ・ボウロロールで何かあれば王都やエ・アセナルにも情報は届くだろうし、情報収集自体をそんなに急いでいる訳でもない。元々が何か掴めればラッキー程度の気持ちなのだ。

 鈴木悟は海を見た事がない。リアルの海は汚染されきっていて好き好んで近寄るような場所ではなかったし、アーコロジー内の会社とアーコロジーの外の家を往復するだけの生活では見る機会もなかった。ユグドラシルでは見た事があるしあれも素晴らしいと思ったものだが、現実の海がこの目で実際に見られるとなると興奮をどうにも抑えられない。

「二三日も歩けば海沿いの道に出ますからすぐ見られますよ。そんなに面白いものでもないですけどね」

「海は俺も見た事がないから少し楽しみだな。こいつ程はしゃぐのは無理だが」

「クレマンティーヌは景観の美しさに対する情動が薄すぎるぞ! 初めての景色にワクワクしたりしないのか!」

「うーん……そういうのはあんまり……拷問されてる可哀想な人の痛くて苦しそうな呻き声とかならものすごく興奮するんですけど」

「分かってたけどサイコパスめ……そうだ、この機会にクレマンティーヌに聞いておきたいんだけど」

「何でしょうか?」

 微笑んだクレマンティーヌは僅かに首を傾げた。答えを聞くのが怖いような気持ちを覚えて躊躇ってしまうけれども、意を決してモモンガは口を開いた。

「お前にさ、そういうお前の好きな事……拷問とか人殺しとか我慢させてるだろ? それってストレス溜まらない? 嫌になったりしてないかなって……」

「うーん、我慢してないといえば嘘になりますけど。それより今は、モモンガさんと一緒にいられる方が私にとっては大事な事ですし楽しいですし、我慢するのもそんなに苦じゃないですよ」

「本当に? 無理してない?」

「私なんかの事をそんなに気遣ってくださって、モモンガさんは本当にお優しいですよね。でも本当に無理とかはしてないです。こんなに毎日が楽しいなんて、今までの人生でありませんでしたから」

 嬉しげににっこりと笑んでクレマンティーヌはそう答えた。前も思ったけれどもクレマンティーヌは一体どんな環境で生活していたのだろう。確かにモモンガも旅は思いっ切り満喫しているけれどもユグドラシルでの日々だって楽しかったし、室内での娯楽に限られるとはいえ社会の底辺である貧民層の暮らしでもそれなりに楽しみはあった。そんなものすらクレマンティーヌにはなかったのだろうか。

「無理してないならいいけど……ストレス溜まったら言ってね? 爆発する前にガス抜きしないと取り返しのつかない事になるってヘロヘロさんも言ってたから」

「分かりました。この前みたいに気兼ねなく人殺しできる機会が適度にあれば嬉しいんですけどね」

「そういう事を言うから心配になるんだよなぁ……」

 気にはなったもののどう切り出せばいいのか結局分からずモモンガはお茶を濁した。踏み込まれたくない事も話したくない事もあるだろうと思うと聞く勇気が出ないし、どう聞けばいいのかも分からない。アインズ・ウール・ゴウンでもそうだった、モモンガは相手の話す事に相槌を打つような会話が主で、相手の事に自分から踏み込んだり自分の事を自分から話したりといった事はあまりしなかった。アインズ・ウール・ゴウンの皆は放っておいても盛り上がるような面々だったというのもあるし、語るべきような何かが鈴木悟にはないというのもあった。自分から話す事といえばユグドラシルのゲーム内容に関する事位だっただろう。

「海沿いのルートを進むということは……もしかして、ずっとれべりんぐですか……」

「情報収集できそうな街がないならそうなるだろうな」

「うへぇ……」

「マジか……」

 ずっとレベリングが続くという事実に気付いてしまったクレマンティーヌとブレインがげんなりした顔を見せる。

「ははは、そんな顔するなよ、強くなれるんだぞ! 二人ともレベリング頑張ろう!」

「その代わり死ぬ思いし続けんだよ……他人事だと思いやがって」

「エ・アセナルが遠い……」

 エ・アセナルに着くまでの目標は死の騎士(デス・ナイト)を二人が倒せるようになる事だな、と密かに決めておいて、げんなりした二人を楽しげな声で励ましつつもしかしながらモモンガの心はどこか晴れないままだった。

 漆黒の剣のペテルは、冒険者パーティは共に戦う仲間だからお互いがどう行動し何を考えているかを深く理解し合うようになるのだと言っていた。それを聞いた時はアインズ・ウール・ゴウンの仲間達と自分も同じだったと思っていたけれども本当にそうだったのだろうか。ニニャが冒険者になった目的は仲間達に話していると言っていた。そこまで深く信頼しているという事だろう。そして、それだけ沢山の事を語り合い、時には自分の領域を曝け出し相手の領域に踏み込んだということではないだろうか。そこをまさに今、モモンガは尻込みして踏み込めずにいるし、今までだって積極的に自分から踏み込んではこなかった。

 アインズ・ウール・ゴウンの皆とは沢山の事を話したしお互いの事をよく理解していたし息だってぴったりだった。でもそれは皆が心を開いてくれたからで、モモンガは相手に心を開いてもらえてようやく自分の心を開くことができた。だから今のクレマンティーヌのように心の内を明かさない相手にはどう接していいのか分からない。

 別にクレマンティーヌは嘘をついている訳ではないだろうけれども、どうも口にしたことが全てではないような気がするし、そもそも協力者になる前のクレマンティーヌについてモモンガは漆黒聖典の一員でズーラーノーンに鞍替えしようとしていたという事とクインティアの片割れという蔑称しか知らない。ブレインに聞かれてもはぐらかすし、自分の過去についてあまり触れられたくないような雰囲気がクレマンティーヌにはあった。

 モモンガが聞けばクレマンティーヌは忠誠心から恐らく答えるだろう。だけどそれがモモンガは嫌だった。当初から思っていた事だけれども崇拝と忠誠を向けられても困惑しかできないし、ユグドラシルでは手に入らないレアアイテムを収集したいという欲が働いたのも確かだけれども、叡者の額冠を貰って協力者という体にしたのはあくまで対等の関係でいたかったというのが一番大きい。クレマンティーヌは未だに「仕えている」という気持ちなのかもしれないがそれをモモンガはやめてほしいのだ。だがそれにしたってどうすればやめてくれるのか、どう言えばいいのかが全く分からない。

 二人が眠りに就き深い闇の中に沈んだ部屋の中でモモンガは答えの分からない問いについて考え続けた。

 

***

 

 王都を発って街道を西に進み三日目、そろそろレベリング場所兼野営地探しの頃合いかという頃、彼方に海が見え始めた。

「あれ? もしかしてあれが海? すごい! でかい!」

「少し寄り道して海岸に行きましょうか。モモンガさんも海をちゃんと見たいでしょうし」

「うん、見たい! うわーすげーよブレイン海だよ! 本物の海! 今日はレベリングはお休みして海だ!」

「めちゃくちゃ語彙が貧弱になってんぞお前……」

「お前だって初めて見るんだからもっと興奮しろよ! うわぁすごいほんとに青い……水ってほんとは青いんだなぁ……」

 興奮が最高潮に達したところで沈静化がかかるがわくわくした気持ちはじわじわと続いている。地平線を北から南までずっと海と思しきものが続いている。湖はトブの大森林にあったものを空から見た事があるが、これから眼前に一杯に広がる海を見られるのだ。これがわくわくせずにいられようか。

 そのまま西に進み海岸線に出る。海岸線は切り立った崖になっていて、視界一杯の海の濃紺の水平線の上は霞んだ雲がかかってその上で澄んだ空の蒼がグラデーションを描いていた。彼方には海鳥が飛び、崖の下を見やると波が寄せては返し飛沫を上げている。

「少し北まで行くと港町があるんでもっと近くから見られるかもしれませんけどこの辺りは崖みたいですね」

「ふっふっふ、クレマンティーヌ、魔法は万能なんだ。こんな崖なんて何の障害にもならないぞ! 〈全体飛行(マス・フライ)〉!」

 ちっちっち、と立てた人差し指を何度か振ってモモンガは魔法を詠唱した。三人の体が浮き上がる。

「ちょっ、お前、そこまでするか……?」

「海上散歩ってのも乙なもんだろ、さあ行くぞー!」

 告げてモモンガは先陣を切って垂直に崖を降りていく。飛沫がかかりそうな程海面に近付いてから直角に方向を変え海上を進んでいく。〈飛行(フライ)〉はそれなりの速度が出る。纏った速攻着替えのローブに風を孕ませて広げ全速力で進むモモンガの横で波打つ海面が後ろへとどんどん流れていく。それでもどこまでも先へ先へ視界一杯に海は広がっていて、果てなどないように見えた。

「お前これ散歩って速度じゃねーぞ! 飛ばしすぎだーっ!」

「細かい事は気にするなよー! さいっこーに気持ちいいーっ!」

「モモンガさんちょっとーっ! 待ってくださいーっ!」

 ほとんど怒鳴るような大声で言葉を交わすのも気持ちがいい。この瞬間今、一切のものから解き放たれモモンガは自由になっている、そんな確かな実感が胸を満たす。何にも妨げられず今まで知らなかった世界を見ている、それはこんなにも胸躍る事だったのだ。ワールド・サーチャーズを哀れんでいた過去の自分に恥ずかしささえ感じた。

 うっかり夢中になりすぎて途中で〈全体飛行(マス・フライ)〉の効果時間が切れてしまい三人仲良く海にドボンしたのもモモンガにとっては笑い話だが二人にはこっぴどく怒られた。ぶーぶーと二人から文句を垂れられる、それさえも楽しかった。もし海水が塩水だったら乾いたらベタベタになっていたのでこの世界の海水が真水だったのは幸いだった。

 ずぶ濡れの衣服を乾かす為崖の上で焚き火を焚いて下着姿になったブレインの鍛え上げられた身体を目にしたのは(鈴木悟の貧弱な身体を思い出して嫉妬心を覚えたので)ちょっと面白くなかった。ちなみにクレマンティーヌは普段からお前それ下着か? と聞きたくなるような軽装だからか鎧を脱いだだけで焚き火に当たっていた。普段から目の毒な格好だし宿でも目の前で普通に鎧を脱がれていたのでモモンガの感覚も段々麻痺してきた。やはり三人部屋は失敗だったかと今更ながらに思う。クレマンティーヌはもう少し自分が女性であるということを大切にしてほしい。ブレインだってかなり困っていた。

 因みにクレマンティーヌが情報収集に出ている間に聞いておいたのだが、ブレインの認識としてはクレマンティーヌは女というよりは危険な肉食獣みたいなものらしいので欲望の対象にはならないそうだ。手を出したら確実に死ぬ、という危機感が先に立つらしい。困っているのはそうは言っても一応性別は女だから気を使わざるを得ないからだという言い分だった。

「いいなぁ海。船にも乗ってみたいなぁ」

 しみじみと呟きを漏らしたモモンガに、ブレインは微妙な表情を、クレマンティーヌは困ったような笑みを返してくる。

「王国からでしたらこの先にある港町から聖王国方面の商船が出ているみたいですよ。海はモンスターが強くて危険なので、船旅自体があまり一般的ではないんですけど」

「そうなのかぁ……聖王国は今の所行く予定がないけど、行く時は船で行ってみたいなぁ」

「でも聖王国といえばアベリオン丘陵との境に築かれた大城壁がやはり見応えがあるので、陸路も捨て難いですね」

「そうそれ万里の長城的な奴、見てみたいんだよなぁ、でも船旅もしたい……悩ましいな」

 鈴木悟には想像もできなかった贅沢な悩みだ。何処に行って何を見てもいい自由が今のモモンガにはあり、見てみたいものも数え切れない程にある。

 でもきっと一人だったなら、今日の海だってこんなに楽しくなかったろうな。ふとそう思う。一緒に分かち合う事で楽しさが何倍にもなり、失敗だって笑い話にできてしまう、この感覚をモモンガは知っている。これはあの頃感じたものと同じなのだ、それを認めたくない自分がいて、認めたがっている自分もいる。定まらぬ壊れた秤の針のように二つの気持ちの間で意志は振れ動いて正しい答えは出ない。

「何も一回しか行っちゃいけねぇって訳じゃないんだから、船も陸もどっちも行けばいいだろ、仕方ないから付き合ってやるよ。まぁそれも評議国でのお前と白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)の話の結果次第だろうけどな」

 愉快そうに微笑みを浮かべたブレインがそう言う。下着姿でも格好いいのがかなりむかつくが、言葉の内容は素直に嬉しくて返す反応にモモンガは戸惑った。

「……そうだね、聖王国がいい所だったら何回も行きたくなるかもしれないし。名前からしてアンデッドには厳しそうな国だけど……」

「法国程ではないですけど厳しいですね。あそこも神殿勢力が統治に大きく関わっていて国民も信仰心が厚いですから」

「はぁ……アンデッドに優しい国はないの?」

「ねぇだろそんな国は」

「カッツェ平野とかだったらまぁ……仲良くできるかどうかは別ですが」

「あそこ知能が低いアンデッドばっかりなんでしょ? 仲良くできないよ……」

死者の大魔法使い(エルダーリッチ)達やより上位の存在等の知能あるアンデッドによる秘密結社の噂も聞いた事がありますけどズーラーノーン以上に謎に包まれてるので……本当に存在してるのかどうかすら眉唾なところがあるんですよね」

「へぇー面白い、そんなのあるんだ。そいつらを探してみるってのも楽しそうかもな。やっぱり話ができそうな同族には興味あるし……」

 話があちらこちらに飛んで広がっていくがそれが何気ない雑談という感じでこの感覚もまた楽しい。失くしていたものを取り戻しているような奇妙な感覚があってそれは嬉しさと痛みを同時にモモンガに齎す。

 別々のもので比較するものではない。イビルアイの言葉は正しい。アインズ・ウール・ゴウンの仲間達との輝いていた時間と今流れている時間はまるで別のもので、そもそも比べるべきものではない。それなのにアインズ・ウール・ゴウンのあの時間をどうしてもモモンガは連想して思い出してしまう。

 胸が、痛い。

 痛みの余りに空を仰ぎ見れば陽は暮れかけて、水平線は朱に染まり赫々と燃えるような色をした太陽はもう半ばまで姿を隠していた。楽しかった一日が終わる。明日もきっと楽しい旅路になるだろう、一人ではないこの旅は。その事が嬉しいと同時にどうしようもなく辛くて胸が詰まる。アインズ・ウール・ゴウンの皆を忘れたくない、そう思ってしまう。別々のものだから、今が大切になったとしてもアインズ・ウール・ゴウンで過ごした時間は心の中から消えるわけでもなくなるわけでもないのに。

 今ここに皆が居てくれたなら。それはないものねだりで贅沢な願いで、その為に何の努力もモモンガはしなかった。していた事といえばひたすらに待つことだけで、戻ってきてくれとすら言い出せないのに戻ってきてくれないことにもどかしさや寂しさや悲しさを感じて恨みにすら思っていた。どれだけ自分勝手だったろう、当然の帰結を恨みに思うなんて。

 以前の過ちを繰り返さずに今ここにあるものを大切にすべきなのだ、それは分かっている。だけれども、願ってしまう気持ちはそれならばどこに行けばいいのだろう。行き場のない気持ちは胸をじりじりと焦がす。

 そろそろ夕食にしたいというので、王都で買ってアイテムボックスに入れて保存している肉や野菜や調理器具などを取り出してブレインに渡す。ユグドラシル時代に入手してアイテムボックスに入れていた食べ物は問題なく食べられたので王都にいる間に実験したのだが、この世界の食べ物もアイテムボックスに入れる事によって入れた時の状態で保存されるようなので冷蔵庫要らずだし嵩張らない。無限の水差し(ピッチャー・オブ・エンドレス・ウォーター)があれば水の持ち運びも必要ない。焚き火を使ってブレインが手際よく夕食を作る。修行時代には一人旅をする事もあり自分で料理をしなければ食事できなかったのでその時覚えたのだという。

 食事を食べられないモモンガは闇に沈んだ海を見た。濃紺の海はどこまでも沈んでいきそうなほどの深さがあるように見えて昼間とは違う表情を見せていた。東の空に昇り始めた月の光を受けて波頭が煌めく。潮騒だけが世界を支配する音のように遠く近く寄せて返す。この世界の自然がどれもそうであるように美しいけれども、どこか遠く切ない物悲しさを感じさせるような光景だった。これが日本人特有の侘び寂びって奴なのかな、と骸骨の姿に似合わない事を考える。

「やっぱれいぞうこの中にあった肉とかモモンガが前の世界から持ち込んだ肉の方が美味いな」

「野菜もそうだねー。でもさぁ、あの肉ドラゴンの肉とか言われた時はびっくりしたよぉ」

「俺も人生でまさかドラゴンの肉を食う時が来るとは思ってなかった……美味かったけど」

 そんなに美味いのかフロスト・エンシャント・ドラゴンの肉……とぼんやりとモモンガは思った。何せ噛む事は出来ても味覚もなければ噛んだところで顎から零れ落ちるだけなのでドラゴンの肉がどれだけ美味しいのかをモモンガは確かめようがない。今二人が食べている肉と野菜だって鈴木悟(モモンガ)からしたら最高級食材だ。どうにかして飲食できるようにならないかな、と考えるもののモモンガの手持ちのアイテムにはそういうものはない。ユグドラシル時代には一切必要なかったからだ。同じ不用品でもリング・オブ・サステナンスとか疲労無効のアイテムとかはちゃんと持ってたのになぁ、と自分に対し理不尽さと後悔を感じる。

 アイテムといえば王都を出る前に二人には炎・冷気・電気・酸の属性ダメージをそれぞれ無効にするアイテムを預けた。敵によって使い分ける運用方法を想定している。最初の一撃は喰らう事になるかもしれないが例えばドラゴンなら種族によってブレスの属性は決まっているし魔法を使うモンスターにしても使える魔法は限られているのでそう問題にはならないだろう。聖属性と闇属性は二人が人間で特に弱点ではないし対人戦でその二つの属性の魔法が使われる事はあまりないらしいという事もありとりあえずは不要かと思ったので渡していない。本当に属性ダメージ無効装備渡してきやがった……とブレインは完全に呆れ返っていた。最低限の装備を整えるのはモモンガの責任とはいえもう少し位は感謝してほしい。頑張ってアイテムボックスを整理して見つけ出したのだ。

 食事の後片付けを終える頃にはブレインの服も乾いていたので焚き火を始末してグリーンシークレットハウスを出し二人は就寝する。寄せて返す潮騒を聞きながらモモンガの長い夜はいつ終わるとも知れず更けていった。

 

***

 

 将来聖王国に船旅をする時の為に転移ポイントを作る為港街に立ち寄ったりしながらエ・アセナルへの旅路は順調に進んでいった。レベリングも至極順調で、死の騎士(デス・ナイト)は今ではほぼ手加減なしで二人と戦っている。その様子を見て、これはひとつテストをしてみた方がいいかな、とモモンガは考えた。

 テストのタイミングは、明日にはエ・アセナルに着ける所まで辿り着いた日の事。適当なレベリング場所を見つけたところでモモンガは用件を切り出した。

「今日は一人につき一回しか召喚しないから、二人とも全力で戦ってみて」

「いつも全力だよ……じゃねぇと死ぬから」

「でも長時間訓練を続ける事を想定して武技とかはセーブしてるだろ? そういうの考えないで自分の出せる全力をぶつけてみて。そうすればそろそろ二人とも死の騎士(デス・ナイト)には勝てるんじゃないかって気がするんだよね」

 そのモモンガの言葉を聞いてもクレマンティーヌもブレインも半信半疑といった顔付きだった。勝利のビジョンが浮かばない、といったところか。死の騎士(デス・ナイト)には二人がまだ知らない特殊能力があるのでその点は少し厄介かもしれないが、昨日までの戦いぶりを見れば十分勝算があるとモモンガには思える。

「まあとにかくやるだけやってみて、クレマンティーヌからね」

 そう告げるとモモンガは中位アンデッド創造で死の騎士(デス・ナイト)を一体創り出した。やるだけはやってみますけど、と自信なさげにクレマンティーヌは死の騎士(デス・ナイト)と対峙し、四つん這いの獣とクラウチングスタートを掛け合わせたような独特の姿勢をとる。

「〈能力向上〉〈能力超向上〉〈疾風走破〉」

 刹那、二者の間の距離などなかったかのようにクレマンティーヌは死の騎士(デス・ナイト)の懐に入り込んでいた。その速さたるや転移と見紛うばかりだ。死の騎士(デス・ナイト)は盾を動かしクレマンティーヌを排除しようとするが、それに先んじてクレマンティーヌのスティレットが死の騎士(デス・ナイト)の胸に突き立っていた。

「起動っ!」

 スティレットにモモンガが込めた〈火球(ファイヤーボール)〉が起動し内側から死の騎士(デス・ナイト)の身体を焼く。死の騎士(デス・ナイト)はアンデッドでありながら炎属性は弱点ではないが、回避不能のダメージをそっくりそのまま体の内側に受けてしまうこの攻撃は脅威だ。暴れるように振り回した剣がクレマンティーヌの頭目掛け振り下ろされるが胸から抜いたスティレットをクレマンティーヌは頭上に構えた。

「〈不落要塞〉〈流水加速〉」

 細身のスティレットがまるでグレートソード並の質量でもあるかのように死の騎士(デス・ナイト)のフランベルジュの一撃の勢いを完全に受け止め殺す。次の刹那にはクレマンティーヌが左手で抜き放っていたもう一本のスティレットが死の騎士(デス・ナイト)の胸に突き立っていた。

「おらぁっ! 〈超回避〉!」

 二本目のスティレットから解放された魔法は〈電撃(ライトニング)〉。素早くスティレットを抜いたクレマンティーヌは横薙ぎに振り回された盾を先読み発動したと思しき武技でするりと躱し一旦距離を取り、左手の魔法を発動したスティレットをしまい込むと三本目のスティレットを抜き放つ。

「〈疾風走破〉っ!」

 再び武技を発動し瞬く間に距離を詰めたクレマンティーヌの動きは二度目ともなると死の騎士(デス・ナイト)に読まれていた。クレマンティーヌが懐に入り込んだタイミングに合わせてフランベルジュの重い一撃が振り下ろされる。しかしそれを読み切れないクレマンティーヌではない。

「〈不落要塞〉!」

 レベリングを始める前であれば対応不可能だった速度で振り下ろされた死の騎士(デス・ナイト)の一撃は右手のスティレットに完全に防がれ、そのまま一歩踏み出したクレマンティーヌの左手のスティレットが再度死の騎士(デス・ナイト)の胸を穿つ。

「これで、終われぇぁっ!」

 三本目のスティレットに込められていたのは氷の属性ダメージ魔法。四本目のスティレットには〈人間種魅了(チャームパーソン)〉が込められている為、クレマンティーヌは死の騎士(デス・ナイト)相手に切れる手札をこれで全て切った。しかし死の騎士(デス・ナイト)は未だ倒れず、クレマンティーヌを間合いから排除しようと横薙ぎに払われた盾が襲い来る。

「ぐぎっ!」

 今度は回避に失敗したクレマンティーヌは右腕にもろに盾の一撃を喰らい吹っ飛ぶ。素早く立ち上がりはするものの、強烈な一打を貰ってさすがに腕の骨が折れたのか右腕はだらんと垂れ下がった状態だった。

「……モモンガさん、やっぱり無理な気がするんですけど」

「あとちょっとだと思うよ、頑張れ」

「んもー、死んだらどうするんですか……蘇生できるから大丈夫ってのはナシですよ」

「あと一発、頑張って当ててみて、クレマンティーヌならできる!」

「……モモンガさんにそう言われちゃったら頑張るしかないですね……死なないように祈っててください」

 動かないクレマンティーヌに死の騎士(デス・ナイト)が突進攻撃を仕掛けてくる。振り下ろされるフランベルジュのタイミングを見誤らないよう、それだけに全身全霊を払いクレマンティーヌは武技を発動させる。

「〈超回避〉!」

 フランベルジュが空を切り、死の騎士(デス・ナイト)の右側面に回り込んだクレマンティーヌがスティレットを胸部に突き刺す。魔法はもはや込められておらずアンデッド相手では急所も狙えない、スティレットは有効な武器とは言い難い。次の動きに対応しようと素早くスティレットを戻したクレマンティーヌの前で、しかしながら予想に反して死の騎士(デス・ナイト)は膝を折り、うつ伏せに崩折れた。そのまま灰になり風に崩れ消えていく。

「……えっ?」

「だから言ったろ、あと一発だって。おめでとうクレマンティーヌ、死の騎士(デス・ナイト)卒業だ」

「えっ? えっ? ちょっ、ちょっと待ってください、卒業ということは……」

「次はもう一段階強いアンデッドだな」

「えええーっ! ちょっ、ちょっと、いくらモモンガさんの言葉でもそれはないです! 今だって本当に死ぬかと! 大体にして何で最後あんなあっさり……」

「ああ、あれはね、死の騎士(デス・ナイト)の特殊能力なんだ。どんな強力な攻撃でもギリギリの状態で一撃だけ耐える事ができるから、死の騎士(デス・ナイト)に致命傷を負わせてもギリギリの状態で耐えちゃうんだよ。どんな攻撃でも一撃は絶対に耐えてくれるんだから盾としてすごく優秀だろ?」

「そ、そういう事は……さ、先に言ってください……」

 クレマンティーヌはへなへなと座り込むとそのまま仰向けに地面に倒れ込んだ。緊張が解けてしまったらしい。とりあえずポーションを飲ませ傷を癒やす。

「……俺はあれはまだ無理だと思うぞ」

「まあやるだけやってみようよ、減るもんじゃなし」

「俺の命は一個しかねえんだよ! 減るんだ!」

 ブレインの訴えは無視し中位アンデット創造でもう一度死の騎士(デス・ナイト)を創り出す。

「人の話を聞け!」

「問答無用だよー、はい始めー」

「俺の扱い! くそっ!」

 言葉通り問答無用で襲い掛かってきたフランベルジュの一撃を後ろに躱して一旦距離を取り、ブレインは刀を抜いた。

「ほんと人の話聞かねぇ奴だな……〈能力向上〉〈縮地〉」

 レベリングで新たに習得した武技で滑るように一気にブレインは間合いを詰め刀の間合いへと踏み入る。

 次に発動した武技〈領域〉によって間合いの中の音、空気の動き、気配、何もかもをブレインは知覚し、死の騎士(デス・ナイト)のいかなる攻撃をも紙一重で回避し受け流し、攻撃できる隙をひたすらに待つ。こうして回避できるようになったのもレベリングの効果で、いくら〈領域〉があるとはいえ対応不能なスピードの攻撃が来れば回避できないのは自明の理、故に今もブレインは一切気を抜けない。いつでもギリギリすれすれのところで躱しているからだ。

 無限の繰り返しにも思える攻撃と回避の応酬が続く。その均衡が破れる時が来た。

「そこだ!」

 死の騎士(デス・ナイト)が盾を振り抜き剣を振り下ろして前面ががら空きになったほんの一瞬の事、瞬きの間に四閃、胴を狙った斬撃が残光を残して走る。本来のブレインのスタイルならば首を狙うところだが、二メートル以上ある巨体の死の騎士(デス・ナイト)の首を狙うのは難しい。故に狙うのは曝け出されている胴体部になる。

 すぐに構えを戻したブレインは一瞬も気を抜く事なく〈領域〉の助けを借りて襲い来る攻撃を回避し続ける。回避が紙一重なのは反応できるギリギリの速度だからなので、回避しきれずに傷を受け盾に殴られる事もあるが、半ば以上は避けているので致命傷までは負わない。この戦法に辿り着くまでにも紆余曲折があった。最初は〈領域〉の助けを借りても避け切れず死にはしないまでもかなりの大怪我を負った事もある。だが待ちの剣である虎落笛(もがりぶえ)は巨大なタワーシールドがある限り有効打とはなり得ない。故にブレインは自ら間合いに入り隙を窺う戦法を選択した。

 隙を窺い一撃を加える、それだけの繰り返しなのでブレインの戦いは第三者から見れば全く派手さはなく単調だ。しかし常に武技を発動している状態のブレインの気力は回避がギリギリである事も併せて極限まで削られ続けている。そんな事情もありブレインはレベリングに最も適した状態である死ぬか生きるかの瀬戸際の状態に常に置かれていた。

 その後ブレイン側が攻撃する機会が幾度かあったが、結局死の騎士(デス・ナイト)を倒すまでには至らず召喚の限界時間を迎えた。

「うーん惜しい、あとちょっとじゃない?」

「……どこがだよ、お前の目は節穴か」

「だって今の死の騎士(デス・ナイト)ほぼ本気だよ? それなのに受けた傷も浅いし攻撃は全部入ってたじゃないか」

「疲労しないお陰で何とか戦えてんだよ……気力は削られまくるけどな」

「その刀も魔法蓄積できれば勝てそうじゃない?」

「できねぇから……一時的に魔法武器化するオイルならあるがあれ相手には特に意味ないだろ」

「そうだね、特に意味はないね。聖属性付与とかなら別だけど」

「疲れた……もう寝てぇ」

 クレマンティーヌに続いてブレインもその場にへたり込み仰向けに寝転がる。

「ほらほら二人とも、そんな所で寝てたら風邪引くぞ、せめて部屋で寝なよ」

 グリーンシークレットハウスを用意してからモモンガが二人に声をかけると、二人は首だけを動かし恨めしげな視線でモモンガを見やった。

「……誰のせいで起きられないほど疲れたと思ってんだ」

「ちょっと……まだ起きる気になれないですね」

「お前達疲労無効アイテム持ってるでしょ?」

「精神的疲労で起きられねぇんだよ!」

 我慢も限界といった様相のブレインがたまらず叫ぶ。陽が暮れかけて風も冷たくなってきた、このままにしておいたら本当に二人とも風邪を引いてしまうかもしれないと思い腕力だけなら三人の中では一番のモモンガが横抱きに部屋に連れて行ったので、クレマンティーヌは耳まで赤くなり慌てまくるという珍しい姿を晒し、ブレインはめちゃくちゃ嫌そうな顔をしたものの立つ気力も出ないらしく羞恥プレイに必死に耐えたのだった。

 

***

 

「エ・ペスペルにて借金に追われた者に施しを与えた仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)……同じ者が王都で蒼の薔薇と接触、王城に入って二日後に王直轄軍が中心となって動き八本指が粛清された……これが本当ならば彼のモモンガなる者は人の側にある者なのでは?」

 スレイン法国神都・最奥。最高神官長のその言葉に部屋に集った皆が頷いた。

「ならば我等の採るべき道は一つ」

「気になるのは八本指検挙に協力した者の中に裏切り者の疾風走破の名前があった、という報告だが」

「もし万一行動を共にしているとしても、あの人格破綻者の事、本性を知らせれば誅する事に異を唱えるとは思われませんな」

 その意見に皆が頷く。人を守ろうと動くモモンガともし共にあるならば、クレマンティーヌは本性を隠しているのでは、と推測された。でなければ不興を買うだろう。

「では方針は決定ですな。先行させた三名に伝えよ、彼の方をお迎えせよ、と。そして、裏切り者には死を」

 土の神官長レイモンが控えていた者にそう告げる。スレイン法国の来訪者に対する方針はこうして密室で定まった。


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