Life is what you make it《完結》   作:田島

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遭遇

『モモンガさん、今から行きますね』

「はい、待ってるよ」

 首から下げた金のどんぐりのネックレスから聞こえてきたエンリの声に返事を返すと、モモンガは〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉でエンリと出会った場所へと移動する。

 この何処かも分からない場所へと来てから五日経った。あの後、薬草を採って戻ってきたエンリにこの場所では他の村人に見つかる危険性があると言われモモンガは森の奥へと居場所を移していた。この森はトブの大森林といい、奥に分け入ると危険な魔物が跋扈する人跡未踏の地になるため人は寄り付かないのだという。奥に進む際に〈敵感知(センス・エネミー)〉で敵意を持つモンスターや魔獣を探りながら進んだのだが、どういう訳かモモンガに襲いかかる輩はついぞ現れなかったのでこの森のモンスターがどれだけの力を持っているのかは未だ分かっていない。

 ちなみにモモンガは全く気付いていないが、死の王の強大なオーラを前に危機察知能力に優れた周囲のモンスターが逃げ去り他のモンスターや魔獣の縄張りを侵犯し、北の魔樹が周囲の森林を枯らしている事による北からのモンスター達の大移動も合わせて、トブの大森林の勢力図は現在大混乱に陥っている。

 そしてトブの大森林の南端に接する平野部にあるのがエンリの住むカルネ村だ。人口百二十人ほどの開拓村で、穀物の栽培とトブの大森林で採取できる薬草を売る事で生計を立てているのだという。

 森の奥から離れた村にいるエンリと話したアイテムは、ナザリック地下大墳墓のNPCである第六階層守護者の双子のダークエルフにぶくぶく茶釜が持たせていた物と同じ物で、離れた場所にいる二者の交信を可能にするアイテムだ。アイテムコレクターの気があるモモンガも持ってはいたのだが使い道がなくアイテムボックスの肥やしになっていたものが有効活用できた。モモンガは人目を避けるため森の奥に移動するが、普通の村娘であるエンリにそこまで来てもらうのは多大な危険が伴う。なので、エンリと話す時だけ事前に連絡してもらい村の近くに移動するという方法をとることにした。

 睡眠の不要なアンデッドになりモモンガは正直暇を持て余していたので、様々な実験をした。各種アンデッド作成や絶望のオーラといった基本的な特殊技能(スキル)は特に問題なく使えた。負の接触(ネガティブ・タッチ)も切り忘れて有効になっており触った木や草が瞬く間に枯れていったので慌てて切った。友好的に他者と接触するなら正直いらないスキルだろう。

 持っていたアイテムは結論から言えばエンリに渡している事からして問題なく使えている。アイテムボックスは開けるのか試そうとしてゲームと同様に操作してみたら、虚空に窓のようなものが開きその中の空間にインベントリがありアイテムが陳列されていた。横で見ていたエンリからは突然宙に腕が消えたように見えたようで、更にそこからアイテムを引き出してきたので一体何の魔法かと大いに慌てていた。

 魔法といえばこの世界にも魔法詠唱者(マジックキャスター)という存在はあるらしい。冒険者という職業があり魔法詠唱者(マジックキャスター)もその一員となる事が多く、エンリの友人である街の薬師も魔法が使えるのだという。街にある神殿には信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)が多数おり、寄進に応じて治癒をするという話もあった。具体的にどういう魔法が使えるのかは見たことがないため知らないということで聞けなかったのは残念だが、外見さえどうにかすればもしかしたら魔法詠唱者(マジックキャスター)として生活できるかもしれない。

 エンリとは短い時間ながら様々な事を話した。この辺りの国家の事、カルネ村周辺はリ・エスティーゼ王国の支配下である事、一番近い都市である城塞都市エ・ランテルの概要、年中霧に覆われアンデッドの跳梁跋扈する地であるカッツェ平野の話、農村の暮らしや街の友人の薬師、家族の事など。

 モモンガもここに来る前のユグドラシルでのアインズ・ウール・ゴウンの仲間たちとの冒険譚を語って聞かせた。ドラゴンハイドの確保の為にドラゴンを乱獲した話をした時、ドラゴンをそんなにいっぱい倒すなんてモモンガさんもお友達の皆さんも本当に本当に凄いんですね、と興奮気味に反応を返すエンリの姿に、かつての仲間たちを認めてもらえて誇らしくも嬉しい気持ちが胸を満たしたりもした。ドラゴンは全身余すところなく素材として有効活用できる話を思わず気分良く続けてしまった。

 NPCではなし得ない自然な会話の成り立つエンリの反応を見て初日に分かっていた事だが、周辺の国家などの話を聞いて確信に至った。ここはリアルでもユグドラシルでも他のゲームでもない、第三の世界だ。どうしてかは不明だがモモンガはこの世界にゲームのアバターの姿で転移してきてしまったのだ。

 とりあえずはアンデッドが多数いるというカッツェ平野に行ってみて同族との対話を試みてみるべきか。つらつらと考えていると茂みが揺れエンリが顔を出した。

「こんにちは、モモンガさん」

「こんにちはエンリ、畑の方はいいのか?」

「はい、一息ついて休憩してきてもいいってお父さんが」

「そうか。今日も来てくれてありがとう。毎日来てくれるなんてエンリも義理堅いな」

「モモンガさんのお話はすごく楽しいので、いっぱい聞きたいんです」

 話しながらエンリは歩み寄ってきて、モモンガの近くに腰を下ろす。距離も大分近くなった。

 最初モモンガは営業の時の癖の抜けない敬語で話していたのだが、ただの村娘に敬語を使われるのは居心地が悪いというエンリの言葉を受けフランクな言葉遣いを心掛けている。エンリももっと楽な言葉遣いでいいと提案してみたものの、あんな凄い魔法(木に穴を開けた〈電撃(ライトニング)〉の事だと思われる)を使える人に崩した言葉遣いはできません、と言われそれ以上強く出ることもできずに今に至っている。

 〈電撃(ライトニング)〉のような低位魔法をそんなに有り難られても、という気持ちは正直あるのだが、カルネ村には魔法を使える人はいないらしいし魔法に馴染みがなければそういうものなのかもしれないと納得する事にした。

「さて、昨日はどこまで話したっけ」

「氷の巨人が出てきたところまでです! ペロロンチーノさんが真っ先に攻撃を当てたんですよね?」

「そうそう、何だかその時ペロロンチーノさんやたらテンション上がってて、それでペロロンチーノさんの方に巨人が走っていっちゃって茶釜さんが怒り出しちゃったんだよ。まず盾役の自分に攻撃を向かわせなきゃいけないのに先に殴られたらヘイト管理できないだろう馬鹿弟って……ん?」

 話している途中がさがさと茂みが揺れ、そちらを見やると茂みを掻き分け十歳ほどの少女が姿を現した。

「ねっ……ネム! どうしてここにいるの!」

「えっ、あっ……あ、お姉ちゃん……その人、モンスター……?」

 ネムと呼ばれた恐らくエンリの妹と思しき少女は戸惑った様子でこちらを見ているが、戸惑いたいのはモモンガの方だった。妹がいるとは聞いていたしそこには驚きはないのだが、まさかモンスターもいる危険な森をこんな小さな女の子が一人で歩いてくるとは、カルネ村の危機管理は一体どうなっているのだろう。

「モンスター扱いは少し悲しいな。俺の名前はモモンガ、君のお姉さんにはお世話になってる、友達だと俺の方では思っているんだけど」

「お姉ちゃん、モンスターといつ友達になったの?」

「こらネム! モンスターじゃないってば! すみませんモモンガさん……ネム、どうしてここにいるの?」

「お姉ちゃん最近どこかにいなくなっちゃうから……何してるのかなと思って後を着いてきてみたの」

 怒られると思ったのだろう、ネムはしょんぼりとして目を伏せた。別に怒る気はモモンガにはないのだが、少々まずい事になったなとは思う。この状況をどう誤魔化せばいいのか名案が全く浮かばない。

 面倒だから消すか、と真っ先に考えてしまった己のアンデッド的思考が少し怖い。勿論エンリの家族だ、死ねばエンリが悲しむのだからその案は即座に却下だ。だが選択肢として真っ先にそういう思考が浮かんでしまう現在の状態からは己が人間ではなくなってしまったという事実を如実に感じさせられ薄ら寒い。

「お姉さんには俺の話し相手になってもらっていたんだ。お姉さんを取ってしまってすまないね」

「モモンガさん、謝ることなんて何もないです!」

「いいんだエンリ、この位の子ならお姉さんがいないと寂しいだろうし、この子から君と遊ぶ時間を取ってしまったのは事実だよ」

 モモンガとエンリのやりとりを顔を上げたネムはきょとんと眺めていた。恐ろしげなモンスターと姉が親しげに話していればそうもなるだろう。

 ユグドラシルでは異形種が当たり前にプレイヤーだったからつい忘れてしまうが、モモンガの外見は恐ろしいアンデッドモンスターなのだ。自身が非公式ラスボスと呼ばれていたのは、千五百人からなる討伐隊を壊滅させた難攻不落のギルド拠点たるナザリック地下大墳墓を擁する悪名高い異形種ギルド、アインズ・ウール・ゴウンのギルド長であるという理由だけではない。その魔王然とした外装(ビジュアル)となかなかの完成度を誇る魔王ロールも大きな要因だった。

 要するに己の外見が恐ろしいという自覚をしなくてはならない。だから、努めて友好的に振る舞わなければならない。エンリの妹ならば尚更嫌われたくない、というよりは好かれたい。

「そうだ、もし良かったら、ネムもエンリと一緒に俺の話し相手になってくれないか? そうすれば寂しくないだろう?」

「えっ……でも…………」

「ネム、大丈夫よ。モモンガさんはすごく優しいし話も面白いの。冒険の話も沢山聞かせてもらえるんだから」

「冒険……!」

 モモンガの提案に戸惑い気味だったネムが、姉の発した冒険の言葉に目を輝かせた。これといった娯楽のない村のことだ、冒険譚などはさぞ面白がられるだろう。そして子供はそういう胸躍る話が概ね好きなものと相場が決まっている。

「今丁度仲間たちと一緒に氷の巨人を退治した話をしていたんだ。聞きたいか?」

「うん、聞きたい聞きたい! ねえお姉ちゃん、座ってもいい?」

「いいよ。でも、一つだけ約束して。モモンガさんの事は村の皆には、お父さんとお母さんにも絶対に内緒だよ。そうしないとモモンガさんを退治するって皆が言い出すかもしれないから、絶対に話さないって約束して」

「……うん! 約束する!」

 ネムが力強く頷き、じゃあおいでとエンリが自分の横を指し示してネムがちょこんと座り込む。場が丸く収まった事に安堵しながら、モモンガは先程の続きを語り出すのだった。

 まるでお伽の世界の話のような英雄譚にネムが大いに興奮し、モモンガさんもお仲間の皆もとっても凄いとエンリ同様の高評価にモモンガは大いに気を良くして語りにも熱が入った。大満足で明日も来るねと満面の笑顔で手を振りながら帰っていく様子に一時はどうなる事かと内心かなり焦っていたモモンガはほっと胸を撫で下ろした。精神作用無効の種族特性を持ち強い動揺は即座に抑止されるため声に出ず骸骨なので表情も顔に出なくて助かったと心から思った。

 ちなみに一番ウケたのはたっち・みーの次元断裂(ワールド・ブレイク)で氷の巨人の一体がとどめを刺された下りだったので、たっちさんやっぱ強いなと改めてモモンガは思ったのだった。

 

***

 

 内心で舌打ちしたい気持ちを抑えながら周囲の気配を慎重に探りつつ、トブの大森林内を足早にクレマンティーヌは進んでいた。生い茂る下生えが脚に絡み付くこの場所はクレマンティーヌの持ち味であるスピードを十全に活かせない、出来れば早く抜けてしまいたかった。

 風花の奴らさえ追ってこなければこんな所通らないのに。分断さえ出来れば全員殺しちゃうのにな。

 そんな物騒な事を考えているとはおくびにも出さないのんびりとした顔付きで歩を進める。どうも森の様子がおかしいのは森林内に入ってすぐだった。トブの大森林内の亜人の間引きは主に陽光聖典の仕事だが、手伝いもあるので大体の勢力図位は頭に入っている。その知識からするといる筈のモンスターがいなかったり縄張りから移動中と思しき群れがいたりとどうにも騒がしい。

 この森でクレマンティーヌとまともに戦える相手は森の賢王級のモンスター、つまりは縄張りの主位なものだ。しかし、如何に彼我の力量に大きな差があるとはいえ数が多い群れと遭遇しては殲滅に時間がかかってしまう為、逃走中だというのに慎重に進まざるを得ず遅々として歩みは進まない。

 風花の連中だけでは森林の奥地へは入れないだろうが、陽光辺りに協力されたら厄介だ。そしてそれだけの追手をかけられてもおかしくはない物をクレマンティーヌは法国から持ち出している。ズーラーノーン、もっと正確に言えば同じ十二高弟たるカジットへの手土産だが、これだけの価値があり使える見込みも立っているのだ、無下には扱われまい。

 ふと、クレマンティーヌは歩みを止めた。この森は最初からおかしかったがこの辺りは殊更におかしい。生き物の気配が一切しない。モンスターや獣は言うに及ばず、鳥の囀りや羽音も虫の気配すら一切しない。まるで、森の中にぽっかりと突然姿の見えない死が舞い降りたような気味悪さがあった。

 迂回しようか。考えるが、それでは余計に時間を食ってしまう。追手を撒く為にわざわざ帝国まで行ってから森に入り足取りを追えなくしてからエ・ランテルへ向かっている途中だ、余計な追跡の時間を与えない為に時間が惜しい。大体にして、この森のモンスターの強さは概ね分かっている。森の賢王クラスなら苦戦は免れないが、それでも負けるつもりはない。

 この森に、私に勝てる奴なんているものか。

 嫌な予感を無理矢理押し殺しクレマンティーヌは足を踏み出した。耳が痛い程静まり返った森の中では、濃い緑の匂いさえ音のようにも感じられる。己の呼吸音と鼓動の音が耳に響いて煩わしい。こめかみに汗が滲むのは、それなりに暑い季節だからというだけではない気がする。

 茂みを抜けると、そこには「死」がいた。

 王侯貴族さえ手にするどころか見たことすらないであろう上質の生地を使った漆黒に金の縁取りをした豪奢なローブ、フードの下から覗くのは髑髏の顔、ぽっかりと開いた眼窩には紅の光が灯っている。骨の指には強大な魔力を宿していると思しき指輪を幾つも嵌め、木の根元に座り込んでいたその「死」はゆっくりとこちらを見た。

「……やれやれ、大人しくしてても厄介事が向こうから舞い込んできちゃうとか、ほんとついてないなぁ」

 優しげな青年の声で呟きながら「死」はゆっくりと立ち上がる。こいつ、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)か? いや違う、あれはそういう次元のものではない、戦士としての直感がそう教えてくれる。そして立ち上がった姿は実物ではなく似姿とはいえよく見知ったものだった。

「さて、見られたからには……」

「スルシャーナ様!」

 咄嗟にクレマンティーヌは地面に平伏していた。それ以外の姿勢は有り得ない。クレマンティーヌどころか、クレマンティーヌを赤子のように捻り潰せる神人たる漆黒聖典第一席次さえ問題にならない程の圧倒的な力を持つという神の前では。

 六百年前に降臨し、圧倒的な身体能力と凶暴性で人類を滅亡寸前にまで追い込んでいた亜人や異形種を退け、人を滅びの運命から救い守ったという六大神の中でも最強の一柱、闇と死の神スルシャーナ。

 そう考えれば辻褄が合うのだ。死の神が顕現しているのだ、この周囲が死の静寂に包まれているのはむしろ自然といえる。しかし次元の違う力を振るうとされる神の存在をここまで近付きながらクレマンティーヌが察知できなかったのは何故なのだろう。疑問は残るが、とにかく今は平伏だ。

「……は? する、しゃーな? 誰?」

「八欲王に弑されたというのは偽りの伝説だったのですね!」

「いや、はちよくおうも誰よ……多分人違いだと思うんだけど……いやアンデッド違い?」

「そのお姿、間違える筈がございません!」

「いやあの……いいから頭上げてくれるかな? アンデッド違いだから……悪いけど、するしゃーな? だっけ? は知らないんだ。その人多分同族じゃないかな。俺の名前はモモンガだし、最近来たばっかりだから、知らない人に土下座される覚えが全然ないんだよね……」

 許可を頂き、頭を上げる。モモンガと名乗った「死」は頬の辺りの骨をぽりぽりと掻いていた。

「で、結局のところ君はどうしたいのかな? アンデッド退治する?」

「あの……あなた様は、もしかしてぷれいやー……なのでしょうか?」

「えっ、うん、そうだけど……もしかして俺の他にもプレイヤーっているの? さっきのスルシャーナって人もそうなの?」

「左様です。この世には、百年毎にぷれいやーと呼ばれる神にも等しい力を持つ方々が現れるといいます。スルシャーナ様を含む六大神、世界に混沌を齎した八欲王、魔神を討伐した十三英雄の幾人かなど、世界に大きな影響と爪痕を残す方々です」

「もしかして……その口振りだともう死んでる……? 百年毎って事はものすごく前の話だったりする?」

「はい。六大神が降臨されたのは六百年前の事です。六大神の内五柱の方々は天寿を全うされました。スルシャーナ様の従者は魔神に堕ちず今もご健在な為スルシャーナ様は生存しているのではないかと考える者もおりますが、八欲王と戦い弑されたともお隠れになられたとも伝えられております。その後八欲王は真なる竜王達のほとんどを滅ぼし世界を征服しましたが、仲間割れにより滅び去りました。それが五百年前の事。そして六大神の従属神達が魔神と化し世界に災厄を齎しそれを十三英雄が討ったのが二百年前の事、ぷれいやーはその中に複数人いたようですが、いずれも死去されております。同時期に大陸中央のミノタウロスの国に現れた口だけの賢者なるミノタウロスの勇者もぷれいやーだったと考えられていますが、彼も天寿を全うしております。スレイン法国の知る限りでは生存されている方はおられません」

「そう……か……同族と会えるかもしれないと思ったんだけどなぁ。……ん? 二百年前十三英雄と口だけの賢者って別々の所に現れたの?」

「はい」

「そう、か……そうか! という事は今回来たプレイヤーも俺だけじゃないかもしれないって事じゃないか! そうか!」

 モモンガと名乗った死の神は、希望を見出したと言わんばかりに嬉しげな声で何度も頷き手を打った。何がそんなに嬉しいのか分からずにクレマンティーヌは困惑し、水を差して怒りを買うのは避けたいけどと思いつつも口を開いた。

「あの……ぷれいやーといっても、彼の八欲王のように他のぷれいやーを殺し世界を我が物とするような者もおります……軽々に接触されて御身が害されては……」

「えっ、心配してくれるの? 会ったばっかりなのに結構優しい人なのかな? ありがとう。そうだな、友好的なプレイヤーばっかりとは限らないしアインズ・ウール・ゴウンの悪名を考えれば敵対される可能性もかなりあるな……とりあえず事前に十分な情報収集はきちんとしないとね。全ての基本だからね。それからどうするか考えよう。でもお陰でやりたい事が見つかったよ、本当にありがとう……えっと、名前は?」

「クレマンティーヌと申します、死の神よ」

「ええ……神じゃないんだよなぁ俺。その堅苦しい口調もやめない? ところでクレマンティーヌはこれからどうするの? 君からは有益な情報ももらったしここで俺を見たって事を口外しないって約束してくれるならもう行っていいけど」

 モモンガの言葉に、クレマンティーヌの中に迷いが生まれた。ここは通り抜けるだけの場所、エ・ランテルを経由してそこで大きな騒ぎを起こし、その隙にアーグランド評議国辺りまで逃げれば風花の連中も追ってこられないだろうというのが当初の目論見だった。だが、本当にそれでいいのだろうか。

 クレマンティーヌはスルシャーナ教徒だ。スレイン法国への忠誠心や人類を守るという使命感は消え失せているが死をもって人類に安寧を齎した神への敬意は消えていない。この出会いは天啓ではないのだろうかとすら思った。スルシャーナ様の同族というこのモモンガ様という神、情報収集といってもこのお姿では人や亜人の中には入れないだろう、自分でも十分お役に立てるのではないだろうか、と。

 何より、ぷれいやーならば法国も簡単には手出しできない。ある意味アーグランド評議国よりもこの方の側の方が安全なのではないだろうか。

「あの……もしお許しいただけるならば、モモンガ様にお仕えしたく存じます」

「だから口調……えっと、クレマンティーヌ? 俺に仕えて君に何かメリットがあるの? 俺は神じゃないから神に仕えるのは当然とかそういうのはナシで」

「……お恥ずかしい話なのですが、私は法国を裏切り追われる身です。ぷれいやーたる貴方様のお側にいれば、法国も簡単には手出しできない、私にとっての利はそれです」

「俺のメリットは? 確かにもっと詳しい話は聞きたいけど」

「手前味噌ですが、私は周辺国家でも五本の指に入る戦士と自負しております。神の力を持つ御身をお守りするというと口はばったいですが、有象無象は排除してご覧にいれます。それに情報収集ということであれば人間である私がいた方が何かと都合が宜しいのではないでしょうか? 憚りながら隠密行動や情報収集についてもそれなりの手腕がございます」

 クレマンティーヌの言葉を受け、モモンガは顎の先に指をかけしばし黙考の構えをとった。それも当然だろう、突然遭遇した怪しげな女、しかも法国から逃げているような者に仕えたいと言われたところで即座に信用できる訳がない。というよりは信用できなさすぎる。だがアンデッドであるモモンガにとって情報収集は頭の痛い問題だろう。本業の風花聖典にはさすがに負けるとはいえその方面でも十二分に役に立てる自信がクレマンティーヌにはある。

「……とりあえず立って。別に偉くもないのに平伏されてるのって落ち着かないんだよね」

「はい……」

 モモンガの言葉に従いクレマンティーヌは立ち上がった。せめて跪きたかったが、神の命とあらば従わないわけにはいかない。

「スレイン法国に追われてるんだっけ? 何やったの」

「叡者の額冠という国の神器を奪い逃走しました」

「理由とか聞いてもいい? 言いづらかったらいいけど」

「……スレイン法国は国是として人類種の繁栄と人類種以外の殲滅を説いております。私は漆黒聖典という特殊部隊に所属し人類種の繁栄の為に働いてきましたが、使い捨ての道具である事に嫌気が差しました。そこで、以前から密かに所属していたズーラーノーンという秘密結社に身を守る為に移ろうと思い立ち、逃亡する事にしました」

「……それだけじゃなさそうだけど、まあいいや。スレイン法国についても色々気になるけど……とりあえず叡者の額冠ってやつ、見せてもらってもいい?」

「勿論でございます」

 それだけではない。クレマンティーヌが法国を裏切ったのはそんな単純な理由ではない。こんなボロの出にくい短い言葉のやり取りでお見通しとは自らは否定されるが神と呼ばれるに値する力を持つ方だけの事はある。クレマンティーヌは叡者の額冠を取り出すとモモンガへと恭しく差し出した。

「〈道具上位鑑定(オール・アプレイザル・マジックアイテム)〉」

 クレマンティーヌに叡者の額冠を捧げ持たせたままモモンガが魔法を詠唱し、何やら興味深げに頷いている。

「成程……装着者の自我を奪い上位魔法を吐き出す道具に変える、か。〈魔法上昇(オーバーマジック)〉って知らないけど、この世界独自の何かなのか……? しかも外すと発狂とか……えげつないな。でもユグドラシルでは再現不可能なアイテムだなこれ……興味深いな。クレマンティーヌ、これ、もらっていい?」

 知らない魔法を唱えていたと思ったがアーティファクトである叡者の額冠の効果についてそこまで言い当てられるとは思わなかった。それだけで門外漢のクレマンティーヌでも並の魔法詠唱者(マジックキャスター)ではない事が分かる。しかも効果を知った上で欲しいという。モモンガの思惑が読めず、クレマンティーヌは困惑を隠しきれずに口を開いた。

「勿論構いませんが……しかし、適合者でなければ使用できませんが」

「こんな怖い物使わないよ。コレクターとしてこういうレアアイテムは見逃せないだけ。コレクションの一環だよ」

「はぁ……では、どうぞお納めください」

「ありがとう」

 モモンガはクレマンティーヌから叡者の額冠を受け取ると虚空に手を伸ばす。途端、手首から先が掻き消えた。

「⁉」

「……あ、やっぱりびっくりするよね。ごめんごめん。ちょっとアイテムしまっただけだから気にしないで」

 モモンガが手を引くと消えていた手首から先が虚空から現れる。一体どんな絡繰りなのだろう、魔法か何かなのだろうか。やはりこの方は神なのではないだろうか、その思いが強くなる。

「さて、これで叡者の額冠強奪犯の共犯だね俺達。仕えられるのはちょっと困るんだけど、協力するっていうならどうかな? 言葉遣いも普通にしてくれると嬉しいんだけど」

「えっ……」

 一瞬、何を言われているのかがクレマンティーヌには分からなかった。この神は何と言っただろう? 罪を分かち、協力者であろうと言っている。クインティアの片割れと蔑まれ続けてきた、死んでしまった友達の他には誰も価値を認めてくれなかったクレマンティーヌをこともあろうに同じ目線で協力者としようという。あまりの事にクレマンティーヌは呆然とし、ぽかんと口を開けてモモンガを見つめた。

「何、嫌だった? やっぱズーラーノーンだっけ? そっちの方がいい?」

「いえ! 決してそのような! お仕えする事が叶わなくとも、協力者として必ずやお役に立ってみせます!」

「だから言葉遣い……それはまあ少しずつ直してくれればいいや。じゃあよろしく、クレマンティーヌ」

 モモンガが手を差し出してくる。尊い白磁の手を両手でそっと包み腰を曲げ、恭しく押し頂く。

「だからそういう……うわー、ちょっと引くわ……ただ握手したかっただけなんだけど、この世界ってもしかして協力する時に手を握り合う習慣ないの?」

「いえ、ございます。私がモモンガ様と握手など思いもよりませんでしたし恐れ多い事ですので」

「俺達協力者でしょ。様付け禁止ね」

「えっ、そんな! どうお呼びすればいいのですか!」

「呼び捨てでいいよ。それが嫌ならモモンガさんとか。あと敬語もやめて」

「……じゃあ、モモンガさん、で」

「おっ、いい感じいい感じ。その調子で砕けた口調で話してくれればいいから」

 捧げ持たれていた手を引くと腰に両手を当て、上機嫌な様子でモモンガはうんうんと頷いた。どうやら本当にクレマンティーヌを対等な協力者として扱うようで恐縮もするし困惑もするのだが決して嫌ではない、いや、嬉しかった。こんな風に接してくれたのは、死んだあの子だけだった。神にも等しい力を持っているであろうモモンガがクレマンティーヌを見下すことなく対等に扱ってくれる。嬉しくないわけはなかった。

「で、ちょっと聞きたいんだけど……変わった鱗鎧(スケイルメイル)だけど、それ何を貼り付けてるの? 何か文字が刻んであるような……」

 その言葉に心臓を鷲掴みにされたような衝撃が走りどきりと跳ねた。

「……これは……その……」

「言いづらい事?」

「…………冒険者プレートです」

 この方に嘘をつくなどありえない。これで不興を買ったならそこまでだったという事だ。クレマンティーヌは生き汚い方だし死ぬくらいならどんな手段を使ってでも生き延びてやる、今までそう思って生きてきたし今でもそう思っているが、それでも目の前の方に嘘をつく選択肢はなかった。そもそも嘘をついたところで今ではなくてもいずれは露見するだろう。街に行けば冒険者は皆これを首から提げているのだ。

「冒険者……なるほど、ドッグタグみたいなものか。特殊部隊にいたんだっけ? その時に集めたとか?」

「それも、ありますが……」

「……」

 沈黙が痛い。自分の歪められた性癖を楽しみこそすれ恨めしく思う事など初めてだった。いつまで続くのかと苦痛に思うほどの時間が経ち、地面に何かががしゃりと投げ出された音がした。見てみると、見た事のない材質の魔力を帯びた軽装鎧が落ちていた。

「それに着替えろ。魔法の装備だからサイズは自動的に合う。重さも見た目ほどはない。俺の協力者として最初に言っておくべき事ができたな。俺は人間がいくら死のうと自分が大切に思う者以外なら別にどうとも思わない。だが、無駄な殺しは嫌いだ。お前がもしこれからも自分の欲望を満たす為に冒険者を狩りたいというなら協力はできない。どうする?」

 淡々と紡がれた言葉だったが感情が乗っていない分だけ言外の重みは計り知れなかった。先程までの気の良さそうな青年の声の気配などどこにもない、こちらの声こそがこの方の本質ではないのか、そんな予感があった。

「すぐに着替えます。モモンガさんと協力する上で必要な殺し以外はもうしません。ですが……あの」

「何だ」

「いいんですか、こんな価値の付けようもないほど高価な鎧を頂いて……法国なら国の宝になるレベルです」

「……えっ、せいぜい聖遺物級(レリック)の鎧なんだけど……えっと、魔法詠唱者(マジックキャスター)の俺が持ってても使えない物だしクレマンティーヌが有効活用した方がいいだろう。じゃあ後ろ向いてるから着替え終わったら教えてくれ」

「はい」

 重い黒のフード付きマントと今まで着ていた革鎧を脱いで下賜された魔法鎧を装着する。漆黒聖典の装備でもそうだったが魔法の武具は装着者の体格に合わせて自動的にサイズを変える。モモンガの言葉通り革鎧並に軽く、これなら動きを阻害することもなさそうだった。

「着替え終わりました。こんな貴重な物を頂いて、本当にありがとうございます」

「……だから、口調なぁ……もっと砕けてほしいな。協力者だろ、俺達」

「ほんっとぉ~にありがとねぇ~、モモンガちゃぁ~ん」

「急に変わりすぎだろ! 敬意ゼロ!」

「どっちがいいかさぁ、選んでもいいんだよぉ~?」

「……どっちも選びたくない、中間はないの?」

 表情筋があれば渋い顔をしているであろうモモンガを一頻り眺めて満足するとクレマンティーヌは、気になっていた事を質問することにした。

「それで、先程したい事が見つかったと言ってましたけど、これから何をするんですか? 他のぷれいやーを探すのだろうとは推測が付きますが……」

 どうにか中間らしき地点に着地した口調のクレマンティーヌに問いかけられるが、モモンガは答えを躊躇するように顎を引いた。しばらくそうして考え込んだまま、ようやく重い口を開く。

「……プレイヤーを探す、そうだな……。俺は、この世界に来ているかもしれない仲間を探したい。最後にログインしていたのは俺だけだった、希望的観測に過ぎないのかもしれないけど……それでも、再会できる可能性があるとしたらその希望を諦めたくない」

「仲間……ですか?」

「俺の所属していたギルド、アインズ・ウール・ゴウン。その仲間たちだ。まあ……言い訳がましく聞こえるかもしれないが、もし仲間たちがいなかったとしても、プレイヤーの情報を集める事は無駄にはならないだろ? 敵対するかもしれないけど、仲間になれるかもしれない」

「そうですね、ぷれいやーであれば神に等しい力を持ちますから、必ず目立ちます。もしモモンガさんの他にいるのであれば、探すのはそう手間ではないかと。あと……アーグランド評議国を訪ねてみるのも一つの方法かもしれません」

「評議国? それはどんな国なんだ?」

「五匹の竜王(ドラゴンロード)が永久評議員を務め治めている国で、様々な亜人中心の国家です。その中でも始原の魔法(ワイルドマジック)の使い手である白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)は長い時を生き、スルシャーナ様と世界盟約を結ばれたり八欲王とも戦い十三英雄にも参加していたといった経緯がありぷれいやーにも詳しいとか」

始原の魔法(ワイルドマジック)、また知らない単語が出てきたぞ……ふむ……とにかく情報だな。そんなに急いで事を進めることもないだろう。まずは詳しく話を聞かせてくれるか?」

「はい、勿論……といっても、私は漆黒聖典の中でもそんなに重要視されていなかったので中枢の情報には詳しくなくどこまでお役に立てるか分からないのですが」

「右も左も分からない俺にとっては十分過ぎるほど役に立つよ。クレマンティーヌと会えて本当に良かったよ。おっと、クレマンティーヌがいるなら野営地が必要だな、用意するか。話はその後でもいいだろう」

 そう言いながらモモンガが虚空から取り出した掌サイズの小さな家の模型のようなものがどういう訳かコテージになり中に入ると更に外からは想像できない広さだった事でクレマンティーヌはモモンガの底知れなさを改めて思い知るのだった。グリーンシークレットハウスっていうんだけど知らない? と聞かれたもののこの世界のどこを探しても知っているものなどいないだろうという結論しか出てこなかった。

 

***

 

 閑話。

 目にするまで圧倒的な力を持つ筈のモモンガの存在を認知できなかったのが疑問だったクレマンティーヌは、話が途切れたタイミングで思い切って聞いてみることにした。

「あの、私相手の力量は戦士でも魔法詠唱者(マジックキャスター)でも大体分かるんですけど、モモンガさんだけは全然強さが分からなくて……どうしてかなって」

「ん? ああ、探知阻害の指輪を着けてるから。これのせいじゃないかな」

 モモンガが指輪を一つ外した。刹那、暴力ともいえる暴風のようなオーラが室内を渦巻きクレマンティーヌは思わずひっくり返った。

「ひゃあぁっ! あわわっ……わっ、わた、わたっ、わたしぜったいうらぎりませんから!」

「え……何の話? 指輪付けていい?」

「おねがいしますつけてください!」

 モモンガが指輪を着けてもしばらくの間クレマンティーヌは荒い呼吸を整えるのに必死だった。




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