Life is what you make it《完結》   作:田島

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闘技場~襲来

「爺よ、例の魔法詠唱者(マジックキャスター)が帝都に入ったとの情報が上がってきたぞ」

 入室したフールーダに皇帝から一言目に掛けられた言葉は、挨拶でも(ねぎら)いでもなくそんな言葉だった。だがその言葉こそフールーダにとっては何より待ち望んでいた吉報に他ならない。おお、と呻いて相好を崩しソファに座る皇帝の元へと足早に駆け寄る。

「誠でございますか陛下、それは何よりの朗報」

「ふふ、お前は会いたくてたまらずこの帝都を飛び出してもいいとまで思っていたのだろう?」

「勿論でございます。彼の魔法詠唱者(マジックキャスター)集団・陽光聖典の精鋭四十名をたった一人で降伏せしめる魔法詠唱者(マジックキャスター)であれば、わたくし以上の使い手に相違ございません」

「だが、お前に出ていかれるのは様々な面で問題があるからな、許可するわけにはいかん。お前がその者と魔法談義ができるようになるには、まずその者が私に仕えてからになるだろうな」

 バハルス帝国皇帝、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスはフールーダにそう告げて艶美な笑みを頬に浮かべた。その胸に秘めた様々な思惑を窺わせない色のある、自信に満ちた笑みだった。

「左様でございますな。居所が知れているのであればわたくしも陛下にお供して早速……」

「そう急ぐな、その者とてすぐに帝都を離れるわけではないようだ。フールーダ・パラダインよ、お前の「眼」の力をもってその者の力量を見極めるのだ。よいな、承知しているとは思うが魔法談義をさせる為に連れて行く訳ではないのだから、その点を重々弁えてもらわなければ連れてはゆけん」

 二百歳以上も歳上のフールーダに皇帝は噛んで含めるようにそう告げる。ここまで言っても皇帝の不安は消え去らない、フールーダの魔法狂いは異常とも狂気とも言える域だからだ。モモンガなる魔法詠唱者(マジックキャスター)が本当にフールーダ以上の使い手ならばその場で泣き崩れて土下座して弟子入りしようとしても何ら不思議ではない。それ程までにフールーダの魔法の深淵を覗きたいという思いは深く重く強いのだ。

「承知いたしております陛下、モモンガなる魔法詠唱者(マジックキャスター)と心ゆくまで魔法の深淵について語り明かす為にも、わたくしは己の役目に徹する所存でございます」

「ならばよい。私も楽しみだ、お前以上という魔法詠唱者(マジックキャスター)に会えるのがな」

 そう言って皇帝は(くう)に眼を向ける。地位、栄誉、権力、財、女、何をいかほど与えればその魔法詠唱者(マジックキャスター)を跪かせることが可能かを様々に計算して。

 

***

 

 「鉄壁」は定宿にはいなかった。ヘッケランがその場で簡単に集めてきた情報では、帝都の外に仕事に行った様子もないのに二週間ほど前から姿が見えないのだという。これは所謂失踪というやつではないだろうかとモモンガは思った。何で用事のあるワーカーチームがピンポイントに失踪してるんだ、その理不尽さに何とも言い難い思いを抱えるものの、組合という後ろ盾があり予め組合が調査した仕事を引き受ける冒険者とは違いワーカーは一切の後ろ盾はなく頼れる者は自分たちのみの冒険者以上に危険と隣り合わせの仕事、失踪だってもしかしたらするかもしれない。ただ、ヘッケランはチーム全員が姿が見えないのを怪しがっていた。確かに全員まとめて失踪というのはいかにも考えづらいし怪しい。

 本格的な調査は明日からという事になり、まずは調査に二日ほど時間が欲しいという話だったのでモモンガ達はひとまず宿に帰る事にした。毎日夕方に歌う林檎亭を訪れて報告を聞く段取りも済ませておく。

 帰ろうと立ち上がった所で酒場兼食堂の入り口のドアが開いた。入ってきたのは十代半ばと思われる、冒険者風の丈夫そうな皮の服にマント姿ではあるがそれに似合わない上品な顔立ちをした少女だった。

「アルシェ、待ってたんだぞ、何処に行ってたんだ」

 ヘッケランの呼び掛けに、これが厄介事に巻き込まれているアルシェか、とモモンガは納得する。これから込み入った身内の話が始まるのだろうから早目に退散した方がいいだろう。

「それでは我々はこれで失礼します。明日からよろしくお願いしますね」

「あっ、はい、任せてください、また明日」

 フォーサイトの三人に別れを告げて入ってくるアルシェと入れ違いに歌う林檎亭を出て宿へと戻り、夕食にする。夕食のメニューはほかほかのシチューに白パン、そして分厚いステーキだった。何の肉なのかはモモンガには分からないが焼ける肉の美味しそうな匂いだけは分かる。

「……なんか黄金の輝き亭みたいなメニューだな」

「まず……この価格帯の宿で白パンが出るのが普通じゃないですし、この肉の厚さも考えられないですね……」

「やっぱぼったくりなんじゃねぇか……? 後から追加請求が来るんじゃねぇか……?」

「うん……もしそうだったとしてもいいよ、お前達が美味しいご飯を食べられるなら多少ぼったくられても払うからいいんだ……」

 そう呟いてモモンガは(仮面で他の二人からは見えないが)遠い目をした。あったかシチューも柔らか白パンも肉汁滴るステーキもモモンガは食べられない、だけど二人がお腹一杯美味しい食事ができればそれでいい、それでいいんだ。クレマンティーヌが白パンを割いているがいかにも柔らかふかふかそうである。ブレインが肉を咀嚼してうめえと呟いた。鈴木悟が食べた事があるのはパサパサの薄切り肉を少しだけだ、あんな汁の滴った厚切り肉の味は知らない。どんな味でどんな噛み応えなのか食べるとどんな気持ちになるのか、本音を言えば知りたくてたまらなかったがそれは叶わない。

 夕食を済ませて部屋に戻ってから、明日からの行動について相談する。

「まずクレマンティーヌの情報収集だけど、いつもの奴に加えてこっちでも「鉄壁」について調べてみよう。フォーサイトだけだと分からない事が分かるかもしれないからね」

「了解です」

「で、俺とブレインはどうせする事もないし観光しよう。ごめんねクレマンティーヌ、一人だけ働かせて」

「気にしないでください、二人がいない方がやりやすいので。帝都の観光スポットですと、闘技場なんかが有名ですね」

 闘技場と言われてモモンガは昔見た映画の事を思い出した。金持ちの娯楽として剣奴が戦わされていたが、剣奴の中に優れた男が現れて皆を纏め反乱を起こすという筋書きだった。最後には反乱は結局鎮圧されて主人公も悲劇的な死を遂げたので奴隷は奴隷のままと思わされて暗澹とした気分になった事を覚えている。

「闘技場……なんか奴隷とか戦わせてんの……? そうだとしたら趣味悪い……」

「そういう奴隷もいますが、冒険者とかワーカーもモンスターや魔獣とかと戦ったりしますし、闘技場専属の戦士もいますね。闘技場の中でも最強の戦士は武王という称号を与えられます。今の武王はトロールでただでさえ身体能力が高くて生半可な攻撃では有効なダメージを与えられない上に戦闘技術も優れているので負け知らずです」

「冒険者とかワーカーも出るのか……それってもしかして飛び入りもできるの?」

「仕組みまでは詳しくは分かりませんが……冒険者やワーカーが仕事がない時に糊口をしのぐ為に闘技場に出る、というのはよく聞く話ですね」

「そうか……よし、それじゃ明日は闘技場に行ってみよう」

 モモンガがそう宣言すると、じとりとした目でブレインがモモンガを見てくる。

「何かするつもりじゃねぇだろうな……? まさか出場するなんて言ってくれるなよ……?」

「武王以外はどんな相手でも低位魔法一発で片付いちゃいそうだし、モモンガさんが出ても楽しくないっしょ」

「こいつには俺と戦った時の戦士になる魔法があるだろうが……あの時もちょっと運動したかっただけとか言ってたよな……?」

 ブレインが疑いの眼差しをモモンガに向けてくる。確かに戦士になって闘技場で遊んでみるのも悪くはないのだが、それよりももっと楽しそうな事をモモンガは思い付いたので今回はやめにしておく。

「俺は出ないよ、客席で観戦するつもり」

「本当だな? 絶対だな? 誓うな?」

「本当だってば、疑り深いなぁ。あっでも例えばこういう魔法はどう? 〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉」

 モモンガが立ち上がって魔法を詠唱すると、黒に金と紫の縁取りをした一級品と一目で分かる全身鎧がその身を覆う。背には二本のグレートソードが背負われている。

「おい、お前なぁ……」

「こういう事も出来るってだけだよ。これだとレベル的には三十三位の戦士だから、今のブレインよりも弱いよ。まあブレインが攻撃してきても俺にダメージは通らないんだけど」

「どっちにしろ勝てねぇんじゃねぇか……。それはいいが、まさかその格好なら自分だって分からないから大丈夫とか言い出さないよな?」

「それも悪くないけど今回は本当に観光気分で観戦とかを楽しむつもりだからやめておくよ。また機会があったらね」

 もし表情筋があったなら満面の笑みを浮かべていたであろう心持ちでモモンガは〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉で作り出した鎧を消してローブ姿に戻りベッドに腰掛け直した。

 明日の闘技場が楽しみだ、大荒れになるぞ。さぞ観客席も沸くに違いない。その様子を想像して興奮気味のモモンガの夜は更けていくのだった。

 

***

 

 妹達を連れて家を出る。その決意を噛み締めながらベッドの中アルシェは眠れずにいた。

 使用人を全て解雇した場合の費用は試算が出たが今回ヘッケランが持ってきた仕事の報酬では足りない、他に何か収入を得なければならない。

 そして出来れば、出ていく態勢が整うまでに妹達が無事でいる為に期限が来ている分の借金だけでも返しておきたい。

 今受けている仕事が終わったら、フォーサイトのメンバーは全員好まない仕事だが闘技場に出る事を頼んでみようか、と考える。闘技場で見世物になって戦うのは正直嫌いだが短時間で纏まった収入を得られるのは大きい。それに今は好き嫌いを言っている場合ではないだろう、手段を選んではいられない。

 もし妹達を引き取り家を出たならアルシェももうワーカーの仕事なんて無茶はできない。妹達をこれから育てるのは自分なのだ、命を失う危険の大きい仕事はできない、チームを抜けざるを得ないだろう。

 魔法学院を辞めてすぐの頃、魔法詠唱者(マジックキャスター)を探しているという噂話を頼りにフォーサイトの三人を探し当てた時の事を思い出す。ヘッケラン、イミーナ、ロバーデイク。三人はまだ子供同然のアルシェが仲間に入れてくれと突然言ったのを見て目を丸くして、そして魔法の腕を見て興奮して驚いてくれた。それから幾度も様々な仕事をして幾度も死線を乗り越え、本当の仲間になっていった。そんな三人とも、別れなくてはならないだろう。

 いつまでも続けられるとは思っていなかった。だけど心のどこかで、いつまでもこの四人で続けられるような、いや続けていきたいという願望も抱いていた。アルシェにとって大切な仲間。アルシェがいつまでも両親に見切りをつけられず愚図々々していたからその大切な仲間に迷惑をかけた。ここまで追い詰められなければ決断することができなかったのはアルシェの弱さだ。

 家がまだ貴族だった頃はこんなではなかった。父は確かに有能ではなかったかもしれないが温和な父親だった。母はあまり変わらないかもしれない。才能を見出されて魔法学院に入り順調に位階を上げていく生活の中で、アルシェはこれからの人生がより良くなっていくのだと疑っていなかった。

 何が間違っていたというのだろう。誰が間違えてしまったのだろう。アルシェにとっては生活を滅茶苦茶にした相手だが鮮血帝の正しさは嫌という程に分かるから責めたり恨んだりする気にはなれない。誰も悪くはないのかもしれないけれども原因を探さずにはいられない。こんなになってしまってもアルシェにとっては父と母はやはり大切な存在で、捨てると決意した今でも心は乱れ揺れる。

 誰も何も間違っていなくても時には悲しい運命が牙を剥いて襲い掛かってくるのだという事を、こんな歳でアルシェは知りたくはなかった。

 

***

 

 翌日クレマンティーヌは情報収集に出て、モモンガとブレインは予定通りに闘技場へと足を運んだ。

 一般入り口の前には何やらビラが張り出されている。文字解読のモノクルを取り出して読んでみると、「本日”天武”エルヤー・ウズルス登場! 挑戦者求む!」といった内容だった。ますますいいじゃないか。これは面白くなってきた。モモンガはほくそ笑むが仮面をしているしそもそも表情筋がないので表情は他人からは読み取れない、隣のブレインは熱心にビラを見るモモンガを不審そうに眺めていた。

「観戦するんだろ、さっさと行くぞ」

「ちょっと待って、聞きたい事があるから案内係みたいな所はないかなぁ」

「チケット売り場で聞けばいいだろ」

 それもそうかと思いブレインの言葉に従いモモンガはチケット売り場へと歩き出した。並んでいる列はなく売り場のお姉さんがすぐに対応してくれる。

「いらっしゃいませ、観戦席のご希望ですか?」

「うん、そうなんだけど、その前に一つ質問いいかな」

「はい、何でしょうか?」

「エルヤー・ウズルスだっけ? に挑戦したいんだけど、どうやって手続きすればいいの? あ、俺じゃなくてね? こいつが」

 そう告げてモモンガは後ろのブレインを指し示した。刀を腰に差した剣士風の出で立ちのブレインを見て売り場のお姉さんも挑戦に不審を抱かなかったようだが、ブレインはモモンガの肩を掴んできた。

「おい、どういう事だ」

 ブレインの声が低い、ドスがきいている。でも残念でした~全然怖くないです~、と言ってやりたい気持ちを抑えてモモンガは至極冷静にブレインを振り返った。

「聞いた通り、お前がエルヤーなんちゃらに挑戦するの」

「勝手に話進めてんじゃねえよ!」

「いいじゃんブレインー、お金稼いでよー! 絶対いいお金になるからさー! お前の新しい刀の資金だよー?」

「ぐっ……!」

 ブレインの顔が苦々しげに歪む。刀の資金の話をすれば絶対に断れない事は事前に読めていた。ブレインよ、お前は私の掌の上で踊らされているのだ、などと思考に魔王ロールが混ざりそうになる。

「挑戦ということであれば専用の受付窓口がございますのでご案内しますね。係の者に付いていってください」

 係の者と思しき男性が横の扉からすぐに出てきたので嫌々ながらもその男にブレインは付いていった。モモンガは一般席のチケットを買い闘技場へと入場する。

 闘技場の中は特に休日という訳でもないだろうにほぼ満員御礼の状態だった。場内は歓声が飛び交い熱気に溢れている。一般席は自由席なので適当な席にモモンガは腰掛ける。というかこの世界では休日という概念があまり一般的ではないらしい、ブラックである。でも考えてみれば農民とかは毎日働かないと作物は休んでくれないもんなぁ、と冒険者たちとモンスターの戦いを眺めながらモモンガは思い至る。冒険者たちはダメージを食らいながらも中々のチームワークで見事モンスターを倒してみせる。上がる血飛沫に場内の熱気もますますヒートアップしていく。精神作用無効のせいで感情が平坦なモモンガが申し訳なくなってしまうほどの熱狂ぶりだ。

 モンスターの死骸が片付けられた(なんと地面の血痕の後始末に〈清潔(クリーン)〉を使っているところを見られてしまった事にモモンガは沈静化がかかる程に大層興奮した)後で拡声器らしきものを手に持った男が出てくる。

「さて皆様、ここで本日登場予定の”天武”エルヤー・ウズルス、常勝無敗であり挑む者がいないのではないかと思われた彼になんと、挑戦者が現れました! 王国からやって来た剣士、その名はブレイン・アングラウスです! 無敗のエルヤーが本日も勝利を収めるのか、それとも未知の挑戦者が見事無敗の剣聖を倒し武名を上げるのか! 勝負は午後からとなります、投票券売場にてご自身の予想を是非的中させてください!」

 どうやらあの拡声器のようなものは本当に拡声器らしい、マジックアイテムだろうか。そのアナウンスを聞いていた観客の一人が、ブレイン・アングラウス……と呟いたのが聞こえたのでモモンガはそちらの方を見た。ずんぐりむっくりした黒っぽい髪と髭のおじさんが眉根を寄せ唸っている。

「挑戦者を知ってるのか? グリンガム」

「ああ……俺は王国の御前試合で奴と戦ったんだわ……もう五年も前になるかな。三合と保たずにあっさりと敗れたわ。決勝であのガゼフ・ストロノーフと互角の戦いをして激戦の末に僅差で敗れたんだぜ? あの試合をお前にも見せてやりたかったなぁ、ありゃあ真の天才ってやつよ」

「お前が完敗してガゼフと互角……そんな奴がこれまで無名とはな……」

「しかし、俺の見立てでは御前試合の時のブレインは今のエルヤーよりは下だなぁ。ま、ブレインだってあの時のままではないだろうがな」

「で、結局どっちに賭けるんだよグリンガム」

「俺はブレインよ。エルヤーも天才には違いなかろうがブレインはそれより上と見るね」

 グリンガムとかいうおっさん中々見る目があるじゃないかと聞き耳を立てていたモモンガは心の中だけで感心する。自分でも言っていたがブレインは本当に無名らしい。これは金策が捗りそうだとモモンガは内心ほくほくである。

 そう、競馬や競輪や競艇といったリアルで富裕層が楽しんでいたギャンブルというものは、勝つ確率の高いものに賭けると配当が少なく、勝つ確率の低いものに賭けると配当が高いのだと鈴木悟は聞いたことがある。それは恐らくこの闘技場の賭博でも同じことだろう。無敗の天才に挑む無名の剣士、ブレインはいわば大穴である。モモンガからしてみれば、元々がガゼフ級でクレマンティーヌにも実力を認めさせていたのにそこからレベリングして今まで成長してきたブレインがそこいらの剣士に負けることなどほぼ有り得ない、賭けるしかないではないか。立ち上がり投票券売場へといそいそとモモンガは急いだ。

 

***

 

 そしてエルヤー・ウズルスとブレイン・アングラウスの試合の時間がやってきた。挑戦者として先に入場したブレインはげんなりとした顔を隠そうともしなかった。新しい刀を買う費用を稼ぐ為、と言われてしまっては自分の武器の費用なので自分で稼ぐのは当然という理屈になってしまう為断れない。それをいいことにこんな見世物に出しやがって、後で覚えてろモモンガ。どうせ何もできないのだがどうにかしてこの憤懣遣る方ない気持ちを元凶であるモモンガにぶつけてやるとブレインは決意を固める。

 じきに対戦相手のエルヤー・ウズルスが入場してくる。灰がかった色素の薄い金髪を後ろで一つに纏め、涼やかな切れ長の目が印象的な整った顔立ちだ。装備は動きやすい革鎧の軽装、機能的な格好をしている。体幹がしっかりした様子、体捌き、腰に佩いた刀の造り、歩く様子だけで分かる範囲でもひとかどの剣士である事は間違いがないだろう。だが問題は後ろから重い足取りで着いてきた三人の恐らくはパーティメンバーの女性である。

 三人とも防御力などまるで考えられていない襤褸切れのような薄汚れた粗末な布の服を着て、生気のない眼をしてその長い両耳は半ばで切り落とされている。森妖精(エルフ)の奴隷、それを三人このエルヤーという男は引き連れてきた。

 正直な話ブレインにとってあまり愉快な光景ではない。帝国の奴隷制は契約奴隷とも言うべきもので、奴隷になる代わりに契約に応じた金銭が支払われてしっかりと契約内容が定められ契約以上の無体な扱いをされる事はない。だがそれは人間とドワーフに限った話で森妖精(エルフ)など他の種族は権利を保障されていない。ブレインは奴隷制についてどうこう言う気はまるでないが生き死にさえ好きなようにできる奴隷を引き連れて得意げな顔をしている輩を見るのは胸糞が悪い。奴隷制が廃止されるまでは嘗ては王国にも主に貴族でこうやってボロボロの奴隷を引き連れてそれが財力の証とでも言わんばかりの顔をしていた者もいた。つまりエルヤーという男はそういう貴族と同列の、所謂下衆なのだろうとブレインには思われた。

 まあ今から倒す相手が下衆だろうとどうだろうと関係はないのだが、出来ればガゼフのような戦士としての誇りを持った戦い甲斐のある相手と戦いたかった、というのがブレインの本音である。

「あなたが今日私に倒されて私の引き立て役になってくれる方ですか。どうぞよろしくお願いしますね」

 闘技場の中央、ブレインの眼前に立ったエルヤーは自分の勝利を疑う様子など微塵もなくそう言い放った。鈴を転がしたような涼やかな声である。凛とした整った容姿といい、自分の持つ美しさを外面のみに全て割り振ってしまったような男だった。

「勝負ってのはやってみなくちゃ分からねぇぜ?」

「分かりますとも、この私があなた如き無名の剣士に負ける事など有り得ませんから」

「大した自信だ。いつまで保つか見物だな」

 口の片端を上げて笑いブレインは刀を抜いた。正眼に構えるとエルヤーはやや目を見開く。

「ほう……いい刀です。それほどの刀、あなた如きには勿体ない。あなたを殺し、私がその刀を手に入れるとしましょう」

「好きにしな。準備はしなくていいのかい? 後ろの三人もただ居るだけって訳じゃないんだろ?」

「そんなものは必要ありません、私の実力だけであなた如きを屠るのには十分過ぎる程です」

「そうかい。じゃあ、いつでもかかってきな」

 ブレインの刀を手に入れる皮算用をしているのだろう、愉快げな笑みを浮かべながらエルヤーも刀を抜く。

 二人が構えをとったところで開始の合図の鐘が鳴り、エルヤーが素早く距離を詰めてくる。力強い踏み込みからの鋭い斬撃、成程無敗の剣士というのも頷ける。二ヶ月程前のブレインであればかくや己に並ぶやもという相手だと思っていたかもしれないが、毎日のように死線を潜り抜け生命力を高めてきた今では捌くのに然程苦はない。死の騎士(デス・ナイト)の巨大なフランベルジュの重い一撃をすれすれで受け流す方が余程心臓に悪い。

 エルヤーのいかなる攻撃をもブレインは余裕をもって受け躱す。絶対の自信を持つ己の剣技が尽く通用しない事に苛立ったのか、エルヤーの顔には明らかに焦りの色が混ざり始めていた。大上段からの大振りの一撃を躱したところで、ブレインはエルヤーの首筋に刀の峰を当てた。

「ぐがっ!」

「隙だらけだぜ、油断大敵ってな」

 大きく横にエルヤーはよろける。刀の構えを正眼に戻し、ブレインは首筋を押さえたエルヤーの戦意が回復するのを待った。勝利間違いなしと目されていたエルヤーの意外な苦戦に観客達はざわめき始めている。

 どういう訳かエルヤーは大きく飛び退きブレインと距離をとった。刀の攻撃レンジでは有り得ない距離の取り方だ。何をするつもりなのかとブレインが眺めていると、ぎりりと歯軋りの音が聞こえてきそうな程敵意に満ちた目でエルヤーはブレインを睨み付ける。

「どうやら、本気を出すに足る相手のようですね、いいでしょう、全力で潰してやります」

「そうした方が観客も喜ぶだろ、準備したいなら待っててやるぜ」

「そんな余裕を見せた事を必ず後悔させてやりますよ! 〈能力向上〉〈能力超向上〉!」

 眦を上げながら能力向上の武技をエルヤーが発動する。〈能力超向上〉が使えるのは極僅かな才能に恵まれた者のみ、成程エルヤーは天才と呼ばれるに相応しい才能を持っているらしいとブレインにも知れる。レベリングの中でブレインも既に習得したのだが。

 距離を保ったままエルヤーは唇を大きく歪めて笑んだ。勝利を確信した顔だ、あれは。何を根拠に、と思うもののエルヤーが次何をしてくるか大体の見当はブレインにも付くというものだった。

 大きく距離が離れたままでエルヤーが刀を振るい(くう)を裂く斬撃の衝撃波が生じる。この〈空斬〉という武技は、距離によって威力は減衰するものの今のエルヤーとブレインの距離であれば十分な威力が見込める、そして刀使いであるブレインにとってこの距離は攻撃を当てられない致命的なもの、エルヤーが一方的に攻撃することができる。故にこそのエルヤーの自信の笑みだった。が。

「笑うんなら命中させてからにするんだな。攻撃の動作をばらしたくないならな」

 不可視の斬撃をブレインは苦もなく横に飛び躱した。涼しげに笑んでそんな忠告すらしてくる。連続して〈空斬〉をエルヤーは放つが、エルヤーの動きや呼吸を見てからでも躱す余裕があるのだろう、ブレインに当たったものは一つとしてなかった。

「もう終わりかい? もうちょっと手応えのあるところを見せてほしいもんだが」

「クソが、クソがクソがクソがぁっ! お前達何をしているんですか、強化だ、強化の魔法をよこせ!」

 エルヤーが怒号を上げ、怯えた様子の森妖精(エルフ)達がエルヤーにいくつかの強化魔法をかける。準備が整ったエルヤーは美しい顔立ちを醜く歪めて笑みとも怒りともつかぬ表情を見せた。

「殺してやる……必ず殺してやりますよ! 〈縮地改〉!」

 身体能力が大幅に向上しているエルヤーの縮地によって一瞬でエルヤーとブレインの間の距離はなくなった。下段からブレインの首目掛けエルヤーが鋭く刀を振り上げる。

「〈斬刃〉!」

 刀身に気を込めたエルヤー入魂の一撃、しかも武技に加え強化魔法までかけたエルヤーの一撃を躱せた者などモンスターを含めても今まで存在しなかった。この距離からでは到底躱せまい、エルヤーが勝利を確信した時だった。

 がきり、という硬い感触がエルヤーの手に伝わってきた。ぎゃりぎゃりぎゃりとブレインの刀の棟がエルヤーの斬撃を受け止め逸らしていく。エルヤーは刀を大きく上に振り抜いた体勢になってしまう。そして生じた隙を見逃すような甘い相手ではない、エルヤーの腹部目掛けブレインが刀の峰を大きく振り抜いた。

「ぐごっ……ふ……っ」

 からり、と地面にエルヤーの刀が落ちる硬い音がした。峰打ちでも当たり所が悪ければ人は死ぬ、あまりの衝撃に両手で腹を押さえて蹲ったエルヤーの首筋にブレインは刃を宛てがった。

「確か必ず殺すんだったよな、まだやるかい?」

「……ま、まけ、です……わたしの、まけ……」

 エルヤーのその宣言で勝敗は決した。あまりの意外な事の推移にしんと静まり返っていた観客席は、ブレインの勝利を伝えるアナウンスに徐々にざわめき、やがて怒号が飛び交い始める。ブレインに罵声を飛ばす者、エルヤーを詰る者、様々だがとにかく怒っている。それはそうだろう、回収は確実と思われていた賭け金がパァになってしまったのだから。

「負けた方が得るものが多いんだぜ、無敗の剣士さんよ。一つ忠告しておいてやる、俺達の剣の腕など所詮はゴミ程度だぞ、本当の高みには努力などしても届かない。お前さんのその自信も自負も、ちっぽけなものだ。分を弁えるってのは大事だぜ?」

 そう言い残しブレインはアリーナを後にした。剣を取れば無敗だった頃の自分を思い出す。あんなに品性が低くはないが鼻っ柱の強さはエルヤーも当時のブレインも同じだったろう。それがガゼフに敗北した事でブレインの人生は大きく変わった。何を犠牲にしても強さを得たいという執念だけが己を支配し、それからの日々は全て剣の腕を高める為の修練の為だけにあった。そしてその執念も、モモンガという絶対的な強者によって粉々に打ち砕かれた。何もかも失ってそこからブレインはまた一歩一歩、自分の剣の道を歩み直しているのだ。

 エルヤーがそういう風に思い直せるかどうかは分からないしブレインには関わりのない事だ。だがもしエルヤーが真に剣の道を志す者であるならば、願わくは再起し己の剣について考え直してほしいと、ほんの少しだけだがブレインはそう願ってもいた。エルヤーのあの才能は慢心で腐らせるには勿体ないからだ。

 その頃モモンガはやや困惑していた。怒号、悲鳴、観客席からはとにかく膨大な負の感情の渦が放たれていた。モモンガが意図したものとは違う、もっといい意味で盛り上がるだろうなぁと思っていたのに残念である。

 モモンガの利殖計画は大成功だった。リ・エスティーゼ王からの下賜金を全額賭けていたのだが、元々がかなりの金額であった上にブレインの倍率がかなり高かった為最早億万長者と言っていい程の金額を稼ぐ事に成功した。闘技場の白金貨の在庫が足りないので銀行で取引できるという金券板を明日取りに来る事になる。

 控室に下がっていったブレインと合流する為モモンガが〈伝言(メッセージ)〉を送ると、ブレインの明らかに不機嫌な声が返ってきた。

『お前後で覚えてろよ……この恨み絶対忘れねえからな』

「新しい刀の為だろー? 余裕で勝ってたし何か問題あった?」

『こういう見世物にされるのは俺の趣味じゃねえんだよ!』

「お金の為には誇りさえ時には売らなくてはならない……そういうものだろ?」

『何ちょっといい事言った風になってんだ! いいか、こんな事もう二度とやらねえからな!』

「じゃあどうやってお金稼ぐのさ」

『ぐっ……おっ、俺じゃなくてクレマンティーヌを出せばいいだろ!』

「あいつ出したら相手をいたぶって嬲り殺しにするでしょ……観客ドン引きだよ」

『それは……困る……な』

「まあその話はまた後でゆっくりすればいいだろ、チケット売り場の辺りで待ってるから早く来てね」

『ふん、寂しんぼめ』

「寂しんぼ言うな」

 待ち合わせ場所は告げたので言い捨てて〈伝言(メッセージ)〉を切断する。チケット売り場の側で待っていると、しばらくしてブレインが出てきた。かなり注目を浴びている。

「くそっ……だから嫌だったんだよ」

「武名が上がって損はないんじゃない? 無敗の天才に圧倒的勝利なんてこれはもう有名人確定だね。話題の男だよ、嬉しいだろ?」

「嬉しくねえよ! 俺は別に名を売りたくて剣士やってんじゃねえんだ」

「はぁ……ほんと剣術バカだねブレインは」

「余計なお世話だ」

 苦い顔をしたブレインを促して闘技場を後にし、夕方までマジックアイテム屋巡りをして時間を潰す。頃合いになってから歌う林檎亭に移動すると、クレマンティーヌは先に来ていた。

「お疲れ様クレマンティーヌ。どうだった?」

「これといったものは何も。大体四騎士の話ですね。帝国のアダマンタイト級は二つとも特殊な構成で純粋な戦力という意味では多少落ちますし。モモンガさん級の力の持ち主の話は勿論なかったです」

「うーん、やっぱりそう簡単には見つからないかぁ。ツアーが年単位でずれることはなかったって言ってたから、情報収集の期間は俺が来てから一年が目処かな。もう一つの話の方は?」

「街から出たという情報はありませんでした。ミスリル級相当のワーカーであればある程度の有名人ですし目立つんですけどね。やっぱり大体二週間前から居なくなってるのが確認できたといったところです」

「どこで何をしてんだろうな……早く会いたい……」

 モモンガが溜息をついているとフォーサイトも歌う林檎亭へと戻ってきた。報告を聞くが、やはり二週間前から失踪しているという確認が取れただけだった。

「二週間前の目撃情報も洗ってみたんだが、夕方に共同墓地の辺りで鉄壁の面々を見かけたという不確かな情報だけだったな。明日はワーカー仲間に聞き込みをかけるのと同時に墓地の辺りも洗ってみようと思う」

 ヘッケランの言葉に、ふむ、と唸ってモモンガは考え込んだ。

「墓地か……何でそんな所にいたんだろう。ワーカーって墓地に用事あるの?」

「墓地で自然発生する骸骨(スケルトン)やら動死体(ゾンビ)やらの低級アンデッド退治の仕事を請け負う冒険者やワーカーはいるが、内容的に駆け出しのする仕事で、ミスリル級がする仕事じゃないな」

「ますます不審……何か仕事があったのかな」

 考えても分からない、まずは情報収集だろう。明日金券板を換金したら自分でも墓地の辺りを洗ってみようとモモンガは考えた。

 とりあえずまた明日という事でフォーサイトと別れ歌う林檎亭を後にし、宿へとモモンガ一行は戻ることにする。そこに何が待っているのかも知らずに。

 

***

 

 宿のドアを開けたモモンガの目にまず入ったのは、酒場兼食堂に立っていた王子様としか形容しようのない男だった。

 白雪姫にキスした王子様って絶対こういう奴だったろ、そんな容姿をしている。流れるような鮮やかな金の髪、誠実そうなぱっちりとした青い眼に凛々しい眉、大きすぎず小さすぎない絶妙なバランスの鼻はすっきりと通り、口元は凛々しく引き締められていて、精悍な印象を与える引き締まった頬は骨張っているわけでもなく程よく肉付いていい感じの曲線を描いている。紛う方なきイケメンだ。キラキラしている。そんな王子様だが、不審な点があるのだ。何故か黒い全身鎧(フルプレート)を着用しているのだ。その鎧はあんまり王子様っぽくないぞ? と思っていると王子様が口を開いた。

「モモンガ殿でいらっしゃいますか。わたくしはバハルス帝国騎士、ニンブル・アーク・デイル・アノックと申します。あなたに面会を希望されているさる方がこの宿の前までいらっしゃっております、お時間を割いていただいてもよろしいでしょうか?」

 王子様じゃなくて騎士だったんだ、そんな事を考えているとクレマンティーヌが小声で四騎士です、と教えてくれた。四騎士って確か帝国で一番強い四人の騎士で、そんな奴が先触れに出されるようなモモンガに会いたい相手といえば、相当偉いのではないだろうか、という予感がする。

「あの……面会を希望されている方のお名前を伺っても?」

「バハルス帝国皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス陛下と、主席宮廷魔術師フールーダ・パラダイン様です」

「え? あの……何で皇帝陛下が? こんな一介の旅人に?」

「申し訳ございません、用件については直接陛下からお話がございます」

 ニンブルと名乗った王子様改め四騎士は至極冷静な面持ちでそう告げてくる。えっ? 皇帝? 皇帝がこんな宿屋まで一介の旅人に会いに来たの? あまりにもフットワーク軽すぎじゃない? というか俺皇帝待たせてんの? あまりの事態に動揺が頂点に達しモモンガの精神が沈静化される。

 やや冷静になった頭で考えてみるが、追い返すというのはどう考えても無理だろう。本当なら皇帝なんて会いたくないが波風は立てたくない、一介の旅人がここまで今来ている皇帝を追い返すなんてできる訳がない。呼ばれたなら何かしら理由を付けて断れたかもしれないが、皇帝が自ら来た時点でもうモモンガには選択肢など残されていない、会う一択だ。

「……分かりました、ですがこの宿屋、いえすっごくいい宿なんですけど皇帝陛下をお迎えするには失礼じゃないかと……」

「問題ございません、陛下はそのような些事は気にされぬお方、モモンガ殿のお部屋にてゆっくりとお話されたいとのご希望です。陛下が座れるソファなどはございますか?」

「あっ、はい……あります……」

 そのニンブルの言葉に、謀られた、とモモンガは確信した。このやたら居心地のいい宿にモモンガが泊まるように全ては仕組まれていたのだ。旅人が泊まる宿には必要のない応接セットはこの為だったのだ。やられた。

 問題は皇帝が何故逃げられない状況を作ってまでそんなにもモモンガに会いたいかである。一体何がどうして。さっぱり分からない。話すしかない状況なわけだし、話してみなければ分からない事だろう。腹を括るしかないようだった。

「分かり、ました……ではあの、部屋でお待ちしていればいいですか……」

「ご了承頂きありがとうございます。では陛下とフールーダ様をお呼びして参りますので、お部屋でお待ちください」

 初めてにこりと微笑んで颯爽とニンブルは宿を出ていった。王子系イケメンの笑顔やたらキラキラしてるな、と現実逃避気味にモモンガは思ったが、今はそんな事を考えている場合ではない。

 とりあえず部屋まで移動して待っていると、しばらくしてノックの音が響いた。どうぞ、と応じるとニンブルがドアを開け入ってきた。

「バハルス帝国皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス陛下、お成りです」

 そのニンブルの言葉に、とりあえず敬意を表さなくてはならないのではないかと思い至りモモンガは片膝を突いて跪いた。これが正解なのかは分からないが、クレマンティーヌとブレインも同じようにしてるし多分大丈夫だろうと思う事にする。

 やがて入ってきた皇帝は、一目で皇帝と分かった。オーラが常人と違う。ニンブルも大概王子様だが、皇帝はもう見るからに支配者の気配を纏っていた。そしてすごいイケメンである。緩やかなカーブを描いた艷やかな金髪にこの顔面レベルの高い世界でも最上級といえる男版ラナーかという程に整った顔立ち、そしてアメジスト色の瞳が強い印象を残す。イケメンだらけの大運動会か、(こうべ)を垂れながら心の中だけでモモンガはそう毒付いた。

「私がバハルス皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスだ。そなたがモモンガか」

 皇帝は声までかっこいい。イケメン声だ。どこまでイケメンなんだよとモモンガは再度心の中だけで毒付いた。

「はい、皇帝陛下。一介の旅人故皇帝陛下とお話できるような礼儀作法の心得がございません、ご無礼の段がございましても平にご容赦頂ければ幸いです」

「そのような事は気にしなくて構わない。公式の場でなければ無駄な礼儀作法など時間を食い潰すだけの無用の長物よ。さて、頭を上げてソファに掛けてくれるかな? 向かい合って腹を割って話そうじゃないか、モモンガ」

 そう言われてしまっては仕方がない、渋々ながらモモンガは顔を上げた。皇帝は既にソファに腰掛けており、その隣には若く見積もっても八十代は行っているのではなかろうかと思われる老人が座っていた。ニンブルと同じ鎧を着けた騎士がもう一人増えて、二人で皇帝の後ろに立っている。もう一人の騎士の顔は精悍だが男らしく四角くごつい顔付きで、イケメンという訳ではなかった。今はそのイケメンじゃなさがモモンガにとっては救いだった。ありがとう名前を知らない騎士さん、やっぱり全員が全員美男美女って訳じゃないって確認させてくれてありがとう。名前を知らない騎士にモモンガは心からの感謝を抱いた。

 言われた通りにモモンガは皇帝と主席宮廷魔術師の座る向かいのソファに腰掛けた。

「それで……あの、今日はどのようなご用件で皇帝陛下自らお越しになられたのでしょうか……」

「時間の無駄は嫌いだからな、単刀直入に言おう、帝国に仕えてほしい」

 は?

 頭が真っ白になりモモンガは返す言葉に詰まった。何でそういう話になってるの? 訳が分からないよ。

 どこかに仕えるなど勿論お断りである。モモンガは旅したいから拘束されるのは困るし、国の為に振るうにはモモンガの力は大きすぎる。仕えるとなれば何もしないわけにはいかない、どこにも属さないのが恐らくは正解だしどこかに仕えるなんて言ったら多分ツアーにも怒られるだろう。

 だがどう言えば穏便に断れる? 何て言えばこの皇帝は納得する? それがモモンガにはさっぱり分からない。

「あの……質問よろしいでしょうか、皇帝陛下」

「何かな?」

「どうして、こんな一介の旅の魔法詠唱者(マジックキャスター)に皇帝陛下自らが足を運んでまで仕えろなんて仰られるのか理由が分からないのですが……」

「ふふ、帝国の情報収集力を舐めてもらっては困るな。モモンガ、君がカルネ村でスレイン法国の特殊部隊、陽光聖典の精鋭四十人を降伏させたという話は耳に入っているのだよ。聞けばこのフールーダさえ殲滅ならともかく降伏させるのは難しいという。ならば君はフールーダ以上の使い手という事になるわけだ、是非とも我が国で迎えたいと思うのは当然ではないかね?」

 あれかー! モモンガは頭を抱えたくなった。あの、この世界に来たばかりでこの世界の普通がよく分かっておらずに上手いこと手加減できなかったやつである。まあ他の国に情報が漏れない訳がないだろう、法国も当然知っていたし。この場を何とか切り抜けようととりあえずモモンガは思い付いた言い訳を口にした。

「あの……私は第四位階の使い手でして……とてもフールーダ様と並べるような者では……」

 そうモモンガが告げると、フールーダが何事かを皇帝に耳打ちした。それを聞いた皇帝の眉根が微かに寄る。一体何を話したんだ? 疑問を口にするより早く皇帝が口を開いた。

「モモンガ、君は自分で第四位階の使い手だというが、どのような系統の魔法を修めているのかな?」

「魔力系魔法、その中でも主に死霊系統を得意としております」

「……それはおかしな話だな。このフールーダは魔力系魔法の使い手に限るが相手の魔力をオーラとして見る事ができ、使用できる位階も正確に当てられる。そのフールーダが、君には魔力を一切感じないというのだよ。これはどういう事なのかな?」

 えっ、あのやばい生まれながらの異能(タレント)⁉ ここでその生まれながらの異能(タレント)来る⁉

 動揺は即座に沈静化されるのが本当に助かる。そうでなければモモンガはおろおろしすぎて話などまともにできなかっただろう。

「ええと……己の手の内を晒す事は相手に情報を与える事になり、戦いの場においては己を危険に晒すものともなりかねません。ですので、普段から探知阻害のマジックアイテムを使用しておりますのでそれが原因ではないかと……」

「それを外して君の魔力をフールーダに見せてくれる事は可能かな?」

「すみませんが……お断りいたします。もし証明してみせよというなら〈第四位階死者召喚(サモン・アンデッド・4th)〉など第四位階魔法を使用してご覧にいれる事は可能です」

「それでは君がそれ以上の位階の魔法は使えないという証明にはならないな」

「信じていただくより他ございません。それに私が探知阻害のアイテムを外すのは、白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)にも固く戒められておりまして……怒られたくはございませんので」

 嘘である。ダシに使ってごめんツアーと心の中だけでモモンガは謝ったが、この場面で探知阻害の指輪を外したら多分ツアーは怒るだろうから問題ないだろう。白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)の名前の神通力たるや凄いものがある、皇帝も眉を顰めたがそれ以上の追及を諦めたような気配があった。

「……君は、あの竜と知り合いなのか」

「ええ、ちょっとした縁がありまして、懇意にさせていただいております」

「そうか……まあその話だけで君がただの旅人ではないということの証明のようなものだが。それで、我が国に仕える事についてはどう考えているのかな? 地位、名誉、財、魔法の研究に必要な物、君の望むものを可能な限り用意する事を約束しよう」

「申し訳ないのですが、私はどの国にも仕えるつもりはないのです。私の望むものは自由な旅、ただそれだけなので」

 そのモモンガの答えを聞き皇帝の表情が硬くなった。自由な旅、それは国に仕えては決して与えられないものだ。そしてモモンガが望んでいるのは自由と仲間、本当にそれだけなのだ。

「本当に他の国に属さないという保証はできるのか。君に敵に回られるなど想像したくもないのだが」

「これも信じていただくより他ございません。既に王国でも知己であるガゼフ・ストロノーフの誘いを断りましたし、スレイン法国からの誘いも断っております。決して己を高く売ろうという魂胆があるわけではなく、本当にどこにも属する気がないのです。ただの一介の旅人でありたいのです」

 モモンガの言葉を聞いても皇帝は答えなかった。ただ鋭い目線でモモンガを見透かそうとするように見据えてくる。もし人間だったなら表情と声に動揺が思いっ切り出ていただろうから仮面のアンデッドでよかったとモモンガは感謝した。一つも嘘は言ってないから疑われても潔白だが。

 やがて皇帝は視線をふっと緩めた。

「そうか……だが私は諦めん。さておきあまりしつこくても逃げられてしまうだろうからな、今日のところはこれで退散するとしよう」

「ご希望に沿えず申し訳ございません、何度お声を掛けていただいても心は変わりませんので」

「それを変えるのが私の務めというものだ。人の上に立つ皇帝たる者、心を掴めない者がいるのは名折れというものよ」

 強い自信と自負と余裕に満ち溢れた魅惑的な表情で言いながら皇帝は立ち上がった。そのままドアへと歩いていく。

「また会おうモモンガ」

 もう会いたくないです、という心の声は口に出さずに胸の内に留めておく。皇帝は振り返らずにドアを出ていきニンブルも続いた。が、フールーダはソファから動こうとしなかった。何か言い出そうとするところを名前を知らない騎士が取り押さえ立ち上がらせる。

「離せバジウッド! 私はこの方とお話したい事が!」

「へいへい、陛下から引きずってでも連れてこいと命を受けてますんでね、その言葉は承服しかねます。さて行きますよフールーダ様」

「離せええええぇぇぇ! あああああぁぁぁ!」

 そうしてフールーダもバジウッドと呼ばれた騎士に引きずられ部屋を去った。とりあえずモモンガはとても疲れた、精神的疲労がすごい。またいつ皇帝が来るかもしれないから明日からは宿を変えた方がいいだろうが、居場所なんて簡単に突き止められてしまうだろうと思うと気が重い。

 帝国やっぱりあんまり近寄らない方がいいみたいだな……千変の仮面(カメレオン・マスク)見つかったら早々に退散しよう。その思いを新たに強くしたモモンガであった。

 

***

 

「どうしたアルシェ、何か気になることでもあるのか?」

 何事かを考え込んでいる様子のアルシェにヘッケランが声をかける。アルシェは少し躊躇した様子だったがやがて口を開いた。

「あのモモンガという魔法詠唱者(マジックキャスター)、何者なのだろう」

「さてねえ、世界各地を旅してるって言ってたが、詳しくは知らんよ」

「本当に魔法詠唱者(マジックキャスター)なのだろうか……」

「……どういう意味だ? まさか、見えなかったのか?」

 ヘッケランの言葉にアルシェははっきりと頷いた。

「私の”看破の魔眼”では魔力を一切感じられなかった。少なくとも魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)ではない」

 アルシェのその答えに、ヘッケランの中にあった疑問は大きくなっていった。魔法詠唱者(マジックキャスター)では考えられない怪力、あれだけ魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)然とした格好なのにアルシェの眼では見えない魔力、モモンガとは一体何者なのか。

 どこかで、これ以上深入りしてはいけないという予感がある。胸の内で膨れる疑問を抑え込みヘッケランは眉根を寄せ目を細めた。




誤字報告ありがとうございます☺

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