Life is what you make it《完結》   作:田島

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エリュエンティウ

 ウスシュヴェルからエリュエンティウまでの旅程は一ヶ月半程かかった。竜王国を抜けてから砂漠までの距離がまず思っていたよりも遠かった。既に人間国家ではなく亜人の国の領域だったが、アベリオン丘陵のように紛争が頻発しているわけではなく日常生活を亜人が営んでいる国だったし、人間(エサ)が来たと絡む者あればクレマンティーヌとブレインが片付けてしまうので何の問題もなかった。ただ亜人の中には鉄鼠人(アーマット)のように鋼のような体毛で剣や刀を弾く斬撃耐性を持つ種族もいるらしいので、やはりブレインの副武器と副武器訓練も検討した方がいいかもしれないとモモンガは考えた。

 一ヶ月強をかけて砂漠近くの集落まで到達し、カジットに用意させていたズーラーノーンの道案内役と合流する。死の王だと証明するのに神器級(ゴッズ)装備と死の支配者(オーバーロード)の素顔を見せると絶望のオーラを浴びせるまでもなく平伏されてしまったのでカジットがモモンガの力を誇大宣伝しているのではないかと少し心配になった。ズーラーノーンの中で死の王とはどういう存在だと認識されているのだろうか、知りたかったけれども聞くのが怖くてモモンガはカジットにも道案内役にもそれを聞くことができなかった。

 砂漠は広大だった。砂漠とは降水量が極端に少なく植物が育たない地域を指す為、鈴木悟のいたリアルの砂漠は多くの人が思い描くような砂の大地は実は然程多くなく、石ころや岩石が剥き出しで乾いた荒涼とした荒れ地と言ったほうがしっくり来る大地の方が多かったらしいが、エリュエンティウまでの道程はまさに砂漠と聞いて多くの人が思い浮かべるイメージ通りのもので、砂の大地による砂漠がどこまでも果てしなく広がっていた。鬱金色の砂漠はいくつもの砂の丘が複雑に入り組んで、踏み荒らす人のいないその丘には風紋が綺麗に残っていた。その上には雲一つない深い深い蒼の空が広がり痛い程の鋭く強い陽射しが照りつけている。リアルにいた頃アーカイブで見た昔のサハラ砂漠やタクラマカン砂漠の映像のような光景がモモンガの目の前に広がっている。命の絶えた死の大地であるのにそこには胸をつくような美しさがあり、やはりこの世界はどこまでも輝いているのだとモモンガは改めて感じた。

 案内役はエリュエンティウと砂漠の外を何度も行き来して歩き方を把握していて、案内にも迷いはなかった。旅人の基本技能である太陽の位置で方角が分かる技能は標準装備だ。何度も砂漠を行き来している案内役はモモンガにはどれがどれだか見分けが付かない砂丘を目印にして道を覚えていた。砂漠の旅はただでさえ過酷である、この広さの砂漠ともなれば行き来するのは一大事だ。成程刀もなかなか北へ流れない筈である。実際案内役の話でも隊商は月に一つも来ればいい方なのだという。エリュエンティウに行こうという隊商がまずそうそういないのだから探すのは困難を極めただろう、隊商に便乗しようとしなくて良かったとモモンガは心密かに思った。

 アンデッドであるモモンガは暑さを感じないから平気だが、人間である他の三人と案内役は暑さで大変そうだった。三人は疲労はないとはいえ暑さは堪えるようだった。特に全身鎧(フルプレート)のロバーデイクは負担が大きそうだったが、モンスターも出るというので備えを怠ることはできない。幸い無限の水差し(ピッチャー・オブ・エンドレス・ウォーター)があるので冷たい水はいつでも飲むことができる。案内役の言葉に従って三人は飲みすぎないようにしながらこまめな水分と塩分の補給を心掛け砂漠を進んだ。

 本来であれば砂漠では日中と夜の極端な温度差が旅の難点になるが、モモンガ一行はシークレットグリーンハウスがある為極寒の夜の砂漠に凍える事なく進む事ができた。シークレットグリーンハウスを見て例に漏れず案内役も唖然とした。更にアイテムボックスから食糧を取り出してそれを調理した夕食が出てきたのを見てあなたは神かみたいな目でモモンガを見てきたのでやめてほしいとモモンガは心から思った。神みたいな力はあるかもしれないがモモンガは神ではない。一介の旅人だ。一介の旅人でいたい。いさせてほしい。

 道中のレベリングは順調だった。足場の悪い場所での訓練も必要だろうと思い砂漠でもレベリングは続けた。特に成長目覚ましかったのはロバーデイクで、エリュエンティウに着く頃にはロバーデイクはまだまだ手加減の度合いはかなりあるものの死者の大魔法使い(エルダーリッチ)と戦い始めていた。死者の大魔法使い(エルダーリッチ)一対一(サシ)で戦う神官を見て案内役が唖然としたのは言うまでもない。お前もレベリングするかと冗談半分で案内役にも聞いてみたのだがかなり本気でものすごい勢いで拒否された。クレマンティーヌとブレインの成長も順調で、そろそろまたテストしてもいいかなと思える程にまでなってきた。ただ、テストはベストコンディションで行ってほしいので足場が悪く暑い砂漠は不適な環境だろう。正確な数値は分からないがクレマンティーヌはもとよりブレインもレベル四十は超えたのではないだろうか。

 そうして十日程砂漠を歩いて、そろそろ見えてきましたよと案内役が指差す先に空に浮かぶ城が見えた。空に浮かぶ島には雲がかかり、島の上には遠目にも分かる絢爛な城がある。島からは地上に向けて幾筋も滝のように水が流れ出していた。城の真下には緑に彩られた城壁が見える。あれが浮遊都市、エリュエンティウなのだろう。

「ラピュタだ……ラピュタは本当にあったんだね!」

「あの城ラピュタっていうのか?」

「いや多分違う。でも俺の世界ではこういう光景を見た時にはこの台詞を言うっていうお約束があるんだよ」

「よく分からん決まり事だな……」

 ブレインは困惑しているがお約束を達成できてモモンガは満足である。あのギルド拠点はもしかしたらアースガルズの天空城かもしれない、そうでなくても規模的に三千レベル級かそれに近い拠点ではないだろうか。だとしたら都市守護者三十人が全員百レベルという可能性も現実のものとなってくる。下手なことをせず大人しくしていなければモモンガでも容易に死ぬ。敵と見做されないよう言動にはくれぐれも細心の注意を払わなくてはと内心冷や汗ダラダラでモモンガは気を引き締めた。

 その日の内にエリュエンティウに到着した。城壁は継ぎ目が分からないような石の組み方がされていて、まるで一枚の岩を切り出して作ったような美しさだった。王国や帝国、竜王国などの建造技術とは明らかに一線を画している。街の周囲には天から降り注ぐ水が堀を作り、堀の内側は砂漠の真ん中である事を忘れたように若草が生い茂り城壁を蔦が這っていた。検問で勿論モモンガは止められたのだが、最早恒例行事なので何も言う事はない、説明はロバーデイクに丸投げして任せる。その結果無事通れる事になったが、通る前にモモンガは衛兵に質問をすることにした。

「すみません、一つ伺いたいのですが」

「何だ?」

「都市守護者にお会いするにはどうすればいいのでしょう」

 モモンガの質問に衛兵たちは顔を見合わせ、何だこいつはと言いたげな呆れた顔をした。

「都市守護者様は上の城におられて年に一度の徴税の日に行政府にお出でになる他は非常時でなければこちらに降りてこられる事はない。俺はこの街で生まれ育ったが都市守護者様を拝見した事など一度もないぞ」

「何か連絡する手段はないのでしょうか?」

「非常時用に連絡するためのマジックアイテムはあるが、非常時でなければ使えない決まりだ」

「では是非ともお伝え頂きたいのですが、私はユグドラシルのプレイヤーです。ユグドラシル金貨でのお取引をしたくこの街にやって来ました。お伝え頂ければ都市守護者の方にはお分かり頂けると思います」

「非常時でもないのに使う訳にはいかん」

「お伝え頂ければ分かるかと思いますが、十分に非常時にあたる用件だと思いますよ。皆様方にはご迷惑がかからないようにいたしますのでお願いできませんでしょうか」

 言いながらモモンガは用意しておいた心付けをこっそり衛兵に握らせた。一度やってみたかった、憧れのシチュエーションを前に思わず沈静化がかかるほど興奮してしまう。都市守護者が徴税の際にしか地上に降りてこないのは案内役から既に聞いていた為、今のやりとりは連絡を取る手段があるかの確認と連絡を取ってもらう交渉の会話だ。もし連絡手段があったとしても非常用だろう事は容易に予想できたので、こうして前もって心付けも準備しておけたという訳である。

「分かった分かった、だからこれはしまっておけ」

 しかしながら衛兵は握らせた心付けを押し返してきた。何で受け取ってもらえないのだろう、折角用意したのにとモモンガはたじろいでしまう。

「旅人なら知らんだろうが、そういったものを受け取ると役人や兵士はここでは厳しい処罰の対象となるのだ。お伝えするだけはお伝えしてみるから待っていろ」

 憧れのシチュエーションならずである。奥に引っ込んでいった衛兵の後ろ姿を見送ってモモンガは思わずしょんぼりとしてしまった。役人や兵士が心付けを受け取るのが禁止されているという話は案内役からは聞いていなかった、何故ならモモンガがまさか禁止されているとは露ほども思わず聞かずに用意していたからである。しかし役人や兵士に鼻薬を嗅がせるのが厳しく禁止されているというのは、健全な政が行われているという証拠だろう。悪徳の限りを尽くしたという八欲王の逸話から来るイメージとは全く違う。八欲王についてはツアーは敵対者だったので人となりなどは詳しく知らない為不明点が多いのだ。聞かせてもらった話は竜王(ドラゴンロード)がバッタバッタと薙ぎ倒されていくという恐ろしい話だった。八欲王の力はプレイヤーとして考えても規格外だったかもしれないと思わされるような殺戮振りだった。

 衛兵は不思議そうな顔をしながらすぐに戻ってきた。不思議にもなるだろう、狂人の戯言だと思っていたら話が通じたのだろうから。明日の朝十時に行政府で都市守護者が面会するという回答が返ってきたと伝えられる。とりあえず首尾は上々だ、衛兵に礼を言ってからモモンガ達は街の中へと入っていった。案内役にも礼を言い一旦別れることとなる。実はエリュエンティウでもズーラーノーン構成員向けに死の王ロールをやる事になったのでまた会わなくてはならないのだ。

 とりあえずは案内役が勧めてくれた宿に行き部屋を取り、街を見て回る事にする。明日は交渉が上手く行けば装備品を見繕えるかもしれないのでクレマンティーヌも連れていきたい、情報収集は明後日からでいいだろう。ガゼフのような黒髪黒目は南方の血が入っていると聞いていたが、行き交う人々は確かに黒髪黒目の日本人のような容貌である。但し顔面レベルはこの世界水準なので美男美女がかなり多いが。行政府に通じる目抜き通りを歩くが、露店の多くは野菜や果物を売る店だった。こんな砂漠のど真ん中なのに食糧はどのように仕入れているのだろう、色々と興味深い都市である。ロバーデイクを使って通行人に聞いてもらったが、この辺りは食料品を売る店が集まっていて他の通りではまた別のものを扱う店が集まっているらしい。どうせしばらく滞在する予定なのだから街中をゆっくり見て回ってエンリとネムへのお土産を探すのも楽しそうだと浮き立つ気持ちのままモモンガは足を運んだ。

 エリュエンティウはこの世界の都市としてはかなり大きな規模の都市で、宿から行政府までも歩くと二時間程はかかった。人気のなさそうな路地裏を探して転移ポイントを作っておいて、そろそろ陽も西に傾いてきたので宿の部屋まで〈転移門(ゲート)〉で戻る。

 ここまでの道程はそれなりに長かったがそれだけの価値のあるものが恐らくはあの頭上の城には眠っている。都市守護者とは是非とも友好的に話を進め交渉に持ち込まなくてはならない。頑張れ俺、モモンガは心の中だけで自分に気合いを入れた。気分は鈴木悟時代の大きな取引のプレゼン前日である。ただ今回の問題点は下手を打つと死ぬ、という事だが。いくらモモンガでも百レベルNPC三十体を向こうに回しては為す術もなく確実に死ぬ、非常に緊張感に溢れている。こんな極度の緊張の中では人間なら中々寝付けなかったりして困るものだがアンデッドはそもそも睡眠が不要なのでその点は助かる。

 決戦は明日。(下手をすると本当の戦闘になるが)モモンガにとって大きな戦いの幕が落とされようとしていた。

 

***

 

 翌日朝九時半頃に昨日作っておいた転移ポイントで行政府の近くまでモモンガ一行は転移し、行政府に向かった。入り口の衛兵に用件を告げると、衛兵がそのまま先導してくれたので建物の中へと足を踏み入れる。

 行政府の一階はどこかリアルの役所を思い出させるような風景だった。奥まで長いカウンターが続いてカウンターの向こうでは多くの役人が働いていて市民と役人がカウンター越しに話して何かの手続きをしている。モモンガ達が歩いている側には多くの机が並んでいて上には書類が置かれ、市民たちは机で各々の必要な書類を記入していた。一階を奥まで横切り階段を登っていく。五階まで登ってから廊下を進み、一際立派な扉の前で衛兵が立ち止まった。

「十時にこちらに都市守護者様がいらっしゃいます、中でお待ち下さい」

「ありがとうございます、失礼します」

 案内してくれた礼を衛兵に告げモモンガはドアを開け中に入った。広い部屋の中は落ち着いた雰囲気ながらも財をかけた事が分かる豪華な作りだった。奥には玉座と思しき豪奢な椅子が置かれている。こちらもプレイヤーなのだから立場的にはあちらと対等だろうと思い、モモンガは玉座の近くで立ったまま待つ事にした。幸い疲労とは無縁なので立ちっ放しでも疲れは覚えない。

 しばらく待っていると、玉座の前に転移してきた者があった。紺碧の鎧兜に身を包み聖なる光に包まれた槍を持ち、純白の四枚の羽根を背に生やした、恐らくは戦乙女(ヴァルキリー)。戦ったらめちゃくちゃ相性の悪そうな相手がいきなり現れたので内心のモモンガの緊張が強くなる。

「わたくしはこの都市の都市守護者、グズルです。ユグドラシルのプレイヤーを名乗る者はあなた方ですか」

「プレイヤーは私です。私はヘルヘイムのナザリック地下大墳墓を拠点とするギルド、アインズ・ウール・ゴウンのギルド長だったモモンガという者。本日はユグドラシルの装備とアイテムをお取引したいと思い伺いました」

 一歩前に進み出てモモンガが答えると、グズルを名乗る都市守護者はモモンガを見つめ何事かを考え込んだ。

「……そのマスク、確か嫉妬する者たちのマスクとかいうものでしたね。我等が主にお見せいただいた事があります。確かクリスマスに一緒に過ごす彼氏や彼女も友達もいないぼっちでなければ入手できないアイテムだとか聞きましたが」

「…………ハイ、ソノトオリデス」

 中々に胸にくる言い方をするNPCである。事実クリスマスに一緒に過ごすような彼女も友達もいないぼっちだったのだからモモンガには何も言う事はない。

「ですがそれもこの世界に来た他のプレイヤーから入手したという事もあるかもしれません。他にあなたがプレイヤーだと証明するものは?」

 その言葉に、モモンガはアイテムボックスを開いた。論より証拠である、アイテムボックスを開く事が可能なのは恐らくはプレイヤーである証拠になるだろう。アイテムボックスからモモンガは二枚の金貨を取り出した。

「ユグドラシルの旧金貨と新金貨です。個人的にはこちらの男性の意匠の方、旧金貨の方が思い入れが強いですね。大型アップデートのヴァルキュリアの失墜が実装されて新金貨に切り替わった頃には金など余ってしまっていて金貨を得ても有難味が薄かったので」

「似たような事を我等が主も仰っておられました。ギルドの名はアインズ・ウール・ゴウンとか言いましたね、我等が主が噂しているのを聞いた事がありますが、何でもユグドラシル一のどきゅんギルドだとか……どきゅんとはどういう意味なのですか?」

 DQNとかやっぱ言われてましたよねー! 懐かしい呼称を出されてモモンガの胸に様々な思いが去来する。一番強いのは恥じらいだったが。

「ええと……そうですね、やんちゃ、とでも思っていただければ結構です」

「いつだったか我等が主がアインズ・ウール・ゴウンについて独り占めしやがって許せないと随分と憤慨されていた事がございましたが、何があったのですか。敵対関係だったのですか?」

「独り占め……ああ、七色鉱の一つ、セレスティアル・ウラニウムが発掘できる鉱山をアインズ・ウール・ゴウンが最初に発見したのですが、発掘したセレスティアル・ウラニウムを市場にほとんど流通させなかった事を言っているのでしょう」

「……ああ、そうですね、確かにセレスティアル・ウラニウムの話でした。成程、我等が主や我等のようにアイテムボックスも開けるようですし、七色鉱などユグドラシルの事もよく知っている。ひとまずはプレイヤーだと思って良さそうです。装備とアイテムの取引が希望ということですが、具体的にはどのような物を希望しているのですか? 基本的には我等が主が残して下さったユグドラシルの装備やアイテムは外には出していません。大抵がこの世界に出すには強力過ぎる物ですし、我等が主との大切な思い出の品でもありますので」

「そんなに強力な物は必要としておりません。聖遺物級(レリック)の装備品と、下級(マイナー)中級(ミドル)のポーション、それから人化の腕輪を求めております」

 モモンガの申し出に、グズルは不思議そうな顔を返した。

「装備品とポーションは分かりますが、人化の腕輪ですか……? あれであれば我等には使い道のないアイテムですし余っていますから店売りの価格で譲ってもよいですが、一体何に使うのですか?」

「実は私は異形種でして、このマスクもそれを隠す為にしております。不便は様々あっても我慢できぬわけではないのですが、ただ一つ、私の種族は飲食ができないのだけが耐え切れないのです。この世界の様々な食材や料理を見るにつけ食べてみたいという思いを抑え切れないのですが、あれさえあれば食事も可能となります」

「成程、ちなみにどの種族なのですか?」

死の支配者(オーバーロード)です」

「スケルトンであれば物を食べられる構造ではないですね。分かりました、人化の腕輪はお譲りしましょう」

 頷いたグズルを見てモモンガはほっと息をついた。とりあえずこれで主目的の一つは達成できた事になる。

 人化の腕輪は端的に言ってゴミアイテムである。異形種にしか意味がなく特定用途にしか使えず使用時のペナルティもかなりきつい。レアリティが低く外れアイテムとしてよくドロップするので、またゴミが出たよとゴミ呼ばわりされるようなアイテムである。

 簡単に言うと異形種では入れない街にどうしても入らなければならない用事がある異形種の為の救済措置アイテムである。使うとレベル一の人間になる。例えばモモンガが使えば、職業(クラス)レベルが魔術師(ウィザード)レベル一の人間になる。使える魔法はレベル一の時に覚えた三つだけになるしMPも駆け出しの魔法詠唱者(マジックキャスター)と同じ量になるしHPもそこらの街の人と同じ貧弱さになる。要するにちょっと魔法が使えるだけの一般人になる。そして人間が装備できない装備制限の付いている装備品は勿論装備できなくなる。効果時間は最長二時間、効果が切れてから二時間は再使用できない。

 街中でPKすればPKした側が衛兵NPCにボコられるとはいえPKの危険が完全にないわけではない、そしてモモンガは異形種が入れない街には全く用事がなかったので入手した横から店売りしていた。ナザリックの維持資金はそれなりに高かったから、仲間達の残したものに手を付けずにやっていこうとすれば結構な額を稼がねばならなかったのだ。売っても価格の安いゴミアイテムとはいえないよりはマシだった。そして嫌になるほどドロップするレアリティの低さがモモンガがアイテムボックスに入れていなかった最大の原因だ。それにしたって一つ位持っておけよと過去の自分に説教してやりたくなるが、何はともあれ入手できることになったのだから許してやろうという位には広い気持ちになれた。

「それから装備品とポーションですが……聖遺物級(レリック)とはまた微妙なチョイスですね」

「それなりに使えるものは欲しいですが伝説級(レジェンド)ではこの世界で使うには強力過ぎますので。全身鎧(フルプレート)を一つと軽い鎧か鎖着(チェインシャツ)を一つ、鎚鉾(メイス)辺りの殴打武器を二つとそれから刀とスティレットが欲しいのですが」

「何に使うのですか? 目的によっては譲渡できません」

「後ろにいる者達、私の仲間なのですが、彼等の装備です。私の目的は世界中を旅して回る事、モンスターと戦う必要も出てきますし人間と共に旅すれば食糧にしようと亜人が襲い掛かって来る事もあります。その為に最低限の装備を整えるのが目的です」

 そのモモンガの言葉にグズルは後ろの三人を見やった。恐らくは装備を眺め回して納得したのだろう、モモンガに視線を戻す。

「何故人間と共に旅をしているのですか? あなたには拠点やNPCは? 何の目的で旅を?」

「一人でこの世界に飛ばされましたので拠点はありませんしNPCもいません。旅自体が目的といいますか、美しいこの世界を見て回る事が私の目的なのです」

「強力な装備品を渡してそれを使ってあなたが世界に害を為したとなれば忌々しき竜王(ドラゴンロード)共に我等が睨まれる結果になるやもしれません。あなたの言葉が本当であるという保証が欲しいのですが」

白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)からは持ち出す装備品が強力過ぎなければいいという許可を既に貰っています」

「あなたは忌々しき彼の竜とどういう関係なのです」

「友です。ですがあなた方ともいい取引相手になれればと思っています、敵対する意志はございません」

 白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)の名前を出されてグズルの表情は明らかに硬くなったが、八欲王と敵対関係にあった白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)の名前を出すデメリットを差し引いてもその名前の信頼度は高いだろう。微かに眉根を寄せてグズルは考え込み、やがて息をついて表情を緩めた。

「……いいでしょう。彼の竜は我等にとっては忌々しき仇敵とはいえ、その友であれば世界に仇なす存在ではないでしょう。良からぬ野心があれば伝説級(レジェンド)神器級(ゴッズ)の装備を求めるでしょうしね。あなたの言葉を信じ装備品とポーションもお譲りします。但し装備品はこの世界に出して問題ないものをある程度こちらで選ばせて頂きます。ポーションはいかほど?」

下級(マイナー)中級(ミドル)それぞれ五百ほどあれば差し当たっては十分かと。足りなくなったらまたお取引に伺ってもよろしいですか?」

「ポーションであれば生産できる体制がありますし材料もまだまだ余裕がありますので問題ありません。ただ無限という訳にはいきませんからこの世界のポーションを使われた方がいいのではと思いますよ」

「検討します」

 確かにグズルの言う通りだとモモンガは認めざるを得なかったが、しかしこの世界のポーションは劣化するしユグドラシルポーションに比べて効果が薄い。劣化はアイテムボックスに入れておけば防げるだろうが効果の薄さは如何ともし難い。レベルに比して三人の体力量も上がっている、この世界のポーションでは費用対効果が悪いのでポーション代を稼ぐ為に本格的にブレインに闘技場デビューしてもらうとか考えなくてはならなくなる。

 その後グズルが〈伝言(メッセージ)〉を飛ばし、それなりの時間待たされてから〈転移門(ゲート)〉が開き装備品と人化の腕輪が運ばれてきた。聖遺物級(レリック)の物はそれなりの量があるらしく、何回かに分けて運ばれて来る。予め空にしてあった無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)を運搬係に渡し、この中にポーションを詰めて持って来てくれるよう頼む。

「この世界に出しても問題ないだろうというものに絞ってありますのでここから選んでください」

 グズルのその言葉に、後ろの三人は、は? と言いたげな顔を返していた。三人にとっては国の宝レベル、漆黒聖典で伝説級(レジェンド)と思しき装備品を貸与されていたクレマンティーヌは別にしてもモモンガと関わらなければ手にするどころかお目にかかる事もなかったであろう(この世界基準では)最上級の装備品が山と積まれているのだ。とりあえず数の少ないスティレットから選び始める事にして〈道具上位鑑定(オール・アプレイザル・マジックアイテム)〉をモモンガは唱え一つ一つの装備品の性能を確認していく。

「やっぱり炎属性と電気属性と冷気属性は押さえておきたいよね。正直〈人間種魅了(チャームパーソン)〉はいらなくない? 毒とか酸とかにした方がいいと思うんだけど」

「そうですね……というか大丈夫なんですか、そんな高価そうな武器を買っていただくにしても、お金は足りるのでしょうか……」

「ユグドラシル金貨は唸る程あるから大丈夫だよ、心配しないで」

 手持ちのユグドラシル金貨は持てる上限までカンストした状態でモモンガはこの世界に来たのだ、聖遺物級(レリック)の装備を買う位は(適正価格で売ってもらえるなら)訳無い事だ。炎、電気、冷気、酸の属性をそれぞれ付与されたスティレットを選び山から離しておく。

 次はお楽しみ、刀タイムである。一番いい物を選ばなければならないとモモンガは気合い充分である、何せブレインをギャフンと言わせなければならないのだ。全てに〈道具上位鑑定(オール・アプレイザル・マジックアイテム)〉をかけて性能を確認し、悩みに悩んだ末に選んだ一振りをブレインに差し出す。

「どうよこの刀、これを見たら俺がブレインの刀を微妙って言った訳が分かってもらえると思うんだけど?」

 差し出された刀を受け取ったブレインは鞘から刀を抜き放って刀身を確認する。じっくりと刀身を観察した後刀を鞘に戻し、一つ深い息をついてブレインは苦い顔を上げた。

「……あのなあ、俺の刀が微妙なんじゃねえよ、この刀が凄すぎるんだよ」

「そうやって素直に認めないのよくないぞ!」

「この刀が凄い事を認めてるだろうが! とんでもねえ刀だよ!」

「これだって俺からしたらちょっと微妙な性能なんだぞ! この世界に合わせてこれだけど!」

「その! お前の基準が! おかしいって言ってんだよ!」

 ギャフンと言わせられなかったのは残念だが、さておきブレインは刀を気に入ったらしいのでこれも山から避けておく。その調子で結構な時間をかけて装備品を選び終わり、〈転移門(ゲート)〉を通って来た経理担当と思しきNPCがポーションと人化の腕輪も合わせた値段を算出してくれる。安心の適正価格だったので快く精算して装備品とポーションと人化の腕輪を受け取った。

「わたくしクヴァシルと申します。取引にいらっしゃる場合は次からは事前にわたくしにご連絡ください。魔法詠唱者(マジックキャスター)とお見受けしますが〈伝言(メッセージ)〉は使えますか?」

「はい、問題ありません。次からはそうさせて頂きます」

 次からの取引の段取りも終わらせ装備品をとりあえずポーションの入っている無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)に入れてモモンガ一行は行政府を後にした。

 

***

 

 宿屋に帰ってまずしたのは各自の装備の交換である。古いものは基本的に下取りに出すが魔法蓄積(マジックアキュムレート)の付与されたクレマンティーヌのスティレットは惜しいのでコレクションとしてモモンガが貰うことにした。いきなり国宝級の全身鎧(フルプレート)を着る事になったロバーデイクは緊張のあまり手が震えていた。慣れるまでにしばらくかかりそうな様子だ。ブレインの鎖着(チェインシャツ)もアダマンタイトより数段硬い金属製になったので今のレベリングのレベル帯なら破損の心配はしなくていいだろう。〈修復(リペア)〉はモモンガも使えるが耐久度が落ちるのであまり使いたくない最終手段だ。前の普通の鋼の鎖着(チェインシャツ)死の騎士(デス・ナイト)相手で既に何の役にも立っていなかったので気休めにもならないと途中からブレインは装備していなかった。

 その後酒場兼食堂に移動し夕食となったのだが、この世界に来て初めてモモンガは食べ物を頼んだ。左手首の時計は時間を確認したい時に取り出す事にして外して人化の腕輪を装備してある。目の前に肉と野菜を炒めたものと湯気を立てるシチューと黒パンが並び、モモンガは緊張を隠しきれなかった。

「ど……どうしよう…………だだだ、大丈夫だと思うけど、ちゃんと人間になれなかったら……街中にいきなりアンデッド出現した事になっちゃうよ……」

「とりあえず使ってみて、テーブルの下で籠手を外して確認してみたらどうですか?」

 クレマンティーヌの出した案にモモンガは頷いた。動きはぎこちない。

「成程名案……そ、そうしてみよう……これ使うと俺ほんとにそこら辺の街の人並に弱くなるから、頼むね皆……」

「大丈夫ですよぉ、モモンガさんは私が守ります」

「任せとけ」

「お二人がいれば大丈夫だと思いますけど、私も頑張ります」

 三人からそれぞれ心強い言葉をかけられ、モモンガは意を決して人化の腕輪の力を発動させた。

「あっ……」

「どうした?」

「何かあったんですか?」

「すごい……人間が虫じゃない……人間だ」

 驚くべき事に、視界の中の見も知らない人々は先程までモモンガには羽虫が飛んでいてうるさい位にしか思えていなかったのに、今は人々の賑わいがきちんとモモンガにも認識できている。人間が同族に思えている。その答えを聞いて、ブレインは苦い顔をしてロバーデイクはぎょっとしてみせた。

「人間は元々虫じゃありませんよ、人間です!」

「ロバー……こいつはな、人間が虫程度の存在に見えてたんだ……まあとりあえず人間になるのは成功してるって事じゃないのか? 手も見てみろよ」

「そうだね……」

 気を取り直してモモンガはテーブルの下でそっとイルアン・グライベルを片方外してみた。

「あっ……」

「どうした?」

「まさか失敗ですか?」

「人間の、手だ……」

 モモンガはイルアン・グライベルを外した腕をそっと上げる。そこには皮膚が付いて血の通う腕があった。もう片方も外してみるが、ちゃんと人間の腕になっている。

「成功ですね! マスクも外してみましょうよ!」

 クレマンティーヌに言われ、モモンガはマスクに手をかけた。心臓がドキドキする、激しい動揺に沈静化がかからない、この感覚も本当に久し振りだ。外さなければ食べ物は食べられない、恐る恐るそっと外す。外した顔を見たブレインとロバーデイクは微妙な表情を浮かべた。

「……えっ? 俺の顔何か変? やっぱりアンデッドとか?」

「いや、違う、ちゃんと人間になってるから安心しろ。南方系の顔だな……何ていうか、何かに疲れてるというかこう……いや何でもない」

「言いかけて辞めるなよ! 気になるだろ! ロバーデイクも何か変な顔してるけど何が言いたいんだよ!」

「いえ……何というかその……大分窶れていらっしゃるのですが、健康状態に問題があるのでしょうか……治癒した方がいいですか?」

「私は好きですよモモンガさんのお顔。モモンガさんらしくてお優しそうで」

 三人の反応に一体自分の顔がどうなっているのかとモモンガは袖の中でアイテムボックスを開き鏡を取り出して自分の顔を映した。そこには鈴木悟がいた。

 よりにもよってこの顔か!

 顔が苦くなるのをモモンガは抑えきれなかった。もっとこの世界仕様の顔にしてくれてもいいのではないか、どうして鈴木悟の顔なのか。それは反応が微妙にもなろうというものだ、リアルでもいい所三枚目の顔だったのにこの世界なら五枚目くらいにはなっているだろう。

「くそっ! お前等自分がイケメンだと思って! レベリングの時に手加減させないようにしてやるぞ!」

「誰もそんな事は言ってねえだろ! 手加減して貰わないと死ぬだろうが!」

「私はただモモンガさんの健康状態が心配で……」

「まあまあ、モモンガさん早く食べないと料理が冷めちゃいますよ? あんなに楽しみにしてた食事じゃないですか」

 いつもなら煽るクレマンティーヌが珍しく仲裁に入る。そうだ、手加減はしないにしてもまずは食事だ、パンはともかく折角のシチューと炒め物が冷めてしまう。覚えてろと捨て台詞を吐いてからモモンガは炒め物を口に運んだ。咀嚼し、飲み下す。シチューと炒め物とパンを次々と無言で口に運び、あっという間に食べ終えてしまう。

「一週間位食ってなかった奴が食事してるみたいな食べっぷりだったな……」

「何これおいしい! こんなおいしいもの食べたの生まれて初めてなんだけど! お前等ずっとこんなおいしいもの食べてたの⁉ ずるい!」

「えっ……そんなにですか……?」

 驚いたロバーデイクがシチューを口に運ぶが直後に不思議そうな顔をして首を捻る。どうやらこの世界的には並の味らしい。

「帰ったらエ・ランテルに行って黄金の輝き亭行くぞ、あそこのコース料理絶対食べる。ガゼフとも食事したいし一緒に酒も飲みたい。エンリの手料理も食べたい」

「夢が広がって良かったな」

「うん、でも俺の顔を見て微妙な顔をした件は許さないから」

「だから! お前が随分疲れた顔してるってだけで別に他意はねえよ!」

 ブレインが必死に訴えてくるがモモンガは無視した。腹八分目といったところでシチューもう一杯くらいなら食べられそうだ、お代わりをすべく皿を持ってモモンガは席を立った。

 美味しすぎてついがっついてしまったが、本当は雑談を楽しみながらゆっくり食べたい。そんな事が出来る余裕が生まれるほどモモンガがまともな食事の美味しさに慣れられるのはいつになるだろうか。焦ることはない、ゆっくり慣れていけばいいのだけれども、一日も早くそんな日が来ればいいと思いながらモモンガはお代わりのシチューを受け取った。




竜王国~エリュエンティウ編はこれにて終了です、お付き合いありがとうございました☺
今回の話にはR18差分(夜の話)がございますので閲覧希望の方は各自探してご覧ください。

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