Life is what you make it《完結》   作:田島

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鏡像

 その日、ブレイン・アングラウスは塒にしている死を撒く剣団の根城からエ・ランテルへと出ていた。求めている魔化された刀はまだ入荷していないのは分かっているが、その他のマジックアイテムで有用な物を探す為に時折こうして街へと出てくる。エ・ランテルは三カ国の要衝に当たる交易都市で商人の往来が多く、冒険者も多いのでマジックアイテムの流通も盛んだ。強力なマジックアイテムはそれなりの値が付くがそれでも求める者は少なくない、こまめにチェックしなければすぐに誰かに買われてしまう。実際に実用する冒険者や傭兵でなくても投資目的の商人やコレクション目当ての貴族が買う事もある、油断できない。

 何箇所か馴染みの店を回ってから目抜き通りを歩いていると、向こうから馬車と冒険者の一団がやって来た。それ自体は別に珍しいことではない、日常の光景だ。冒険者達は見れば銀のプレートで、見た感じもプレート相応の実力というのがブレインの見立てだった。だが、その中に日常では有り得ないおかしな二人が混じっていたのだ。

 粗末なローブに妙な仮面の恐らくは魔法詠唱者(マジックキャスター)と軽装鎧の女の二人だった。冒険者プレートを付けていないことからみて、冒険者達の仲間ではないのだろう。

 まず女の方は、明らかに強かった。鍛え抜かれたしなやかな筋肉は天性の恵まれた素材を弛まぬ努力によって完成させたもの、そして身のこなしが違う。五分、いや、自分よりも明らかに上。自分と並び立てるような強者などガゼフ・ストロノーフと蒼の薔薇の死者使い(ネクロマンサー)の老婆以外に見た事がないブレインにとって、その存在は強い衝撃だった。集めた強者の情報の中で女の背格好や容姿と一致するものはない。これだけの強者について噂の一つも聞こえてこないというのが不自然で不気味だった。

 秘剣・虎落笛(もがりぶえ)で迎え撃って……勝てるか、躱されてしまうような予感もある。あの神速の一撃を躱せるような存在がいるのだろうか、ガゼフにすら当てる自信があるというのに。相手の力量に対する己の直感はまず外れたことがないが、それでも信じられない思いがした。

 そしてそれ以上におかしな存在が仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)の方だった。強いのか弱いのか、力量を一切推し量れないのだ。

 例えばそこら辺を歩いている街の住人なら百人や千人束になってかかってきても負けない自信がブレインにはある。その程度の弱さだ、ということが分かるのだ。だがあの仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)からは不気味な程何も感じ取れない、読み取れない。弱いかどうかすら分からない、ただひたすらに無だった。耳の痛くなるような無音の中に身を置かれて拠り所のなさを覚えて不安になるような、そんな異様さがその存在からは漂っていた。

 足を止めたブレインの横を一団は何やら楽しげに話しながら通り過ぎていく。あんな不気味な存在と和気藹々と語り合える冒険者達のその無邪気さをブレインは少し羨ましく思った。

 何者なのだろう。気にならないといえば嘘になったが、恐らく関わり合いにならない方が利口だろう。馴染みの店巡りを早々に切り上げてブレインは塒へと帰る事にした。

 

***

 

 エ・ランテルに入る際の検問で案の定モモンガは引っかかった。引っかからなければむしろ衛兵の正気をモモンガが疑うところだ。こんな怪しい仮面を付けた妙な奴をすんなり通したら真面目に仕事をしていないのではないかとしか思えない。

 だが、街の有名人であるンフィーレアの連れでガゼフとも知り合いであるという事が幸いして無事通ることができた。ガゼフ・ストロノーフに招かれ王都に向かう旅の途中、と話したら衛兵の態度が変わった。これは使える。仮面についてもンフィーレアや漆黒の剣が呪いにより人前では外せない旨を説明してくれた。これも使える。自己申告だと信頼度が今いちなので、今度からはクレマンティーヌに説明させよう。

 エ・ランテルは三重の城壁に囲まれた要塞都市で、一番外の区画は主に軍事施設と共同墓地に使われているとのことだった。二番目の区画は街の住人達の住居や商店などがあり、一番内側の区画は食料庫と行政区が置かれているという。この一番外周の区画は帝国との戦争の時には所狭しと兵士が溢れるらしいが、平時の今は閑散としている。特に見るものもなく通り過ぎ二つ目の壁を越えると、まさにファンタジー世界の都市といった光景が広がっていた。

 年甲斐もなくわくわくする気持ちをモモンガは抑えきれなかった。ユグドラシルの街にもそれなりに似たような気持ちは覚えたものだが、今目の前に広がる光景は生きた人間の息遣いの気配と現実感が段違いだ。人の往来が多く活気に溢れた大通りは露店が立ち並び、呼び込みや値切りの声が賑やかに飛び交っている。まるでおのぼりさんのようにきょろきょろと辺りを見回しながら、ゆっくりとモモンガは歩を進めた。

「どうですか? エ・ランテルは賑やかでしょう」

「ええ、今まで人里離れたところにいたもので、こんなに賑やかなのは久し振りです」

「ここは王国と帝国と法国の三カ国の商人が集まりますから色々と珍しいものもありますよ。もしよければ明日にでもご案内しますからゆっくりしていかれるといいですよ。魔法詠唱者(マジックキャスター)でしたらマジックアイテムなども色々ご興味があるでしょう」

 ペテルが人のいい笑みを浮かべてそう申し出てくれる。いい人だなぁ、栗鼠辺りの小動物に向けるような親しみをペテルに感じながらモモンガは礼を述べた。

 ちなみに漆黒の剣のメンバーに対して感じている親しみ具合は、ニニャが犬猫、ペテルが小動物、ダインとルクルットは虫だ。

「それじゃ私達は冒険者組合に依頼完了の報告に行って報酬を受け取ってきます。モモンガさん達はバレアレ商店で薬草の査定ですよね?」

「はい、まず先立つものが必要ですからね。その後宿を取ろうかと」

 ペテルの問いに答えると、後ろからニニャが進み出てきた。

「あの、宿が決まったら、私達は小川のせせらぎ亭という宿にいますので是非いらっしゃってください、約束の魔術師協会にご案内しますから」

「それは楽しみです、是非そうさせていただきます」

 それじゃ後で、とペテルが手を振り漆黒の剣は冒険者組合へと向かって別れていく。ンフィーレアの馬車に着いて行き草の匂いが強い区画へと入る。薬師の店が集中している区画なので薬草の匂いが漂っているのだそうだ。

 この区画の他の店が店舗に工房をくっつけたような作りをしているのに対して、バレアレ商店は工房に工房をくっつけたような作りだった。店の前に馬車を止め、入り口をンフィーレアが開けるとドアに取り付けられた鈴の音が大きく鳴った。

「お婆ちゃん、今帰ったよ」

 ンフィーレアがそう声をかけると、しばらくしてから奥から一人の老婆が出てきた。真っ白な髪を首の辺りでばっさりと短く切り、皺の深い顔に魔女のような鷲鼻が印象的だった。

「お帰り、ンフィーや。何だい、その妙ちくりんな仮面の男は」

「えっと、この人はモモンガさんっていって、凄いんだお婆ちゃん、モモンガさんのお陰で森の賢王に手伝ってもらえて珍しい薬草が一杯手に入ったんだ」

「ンフィーや、私だってまだボケちゃいないのに若いお前がもうボケちまったのかい?」

「違うよ、本当なんだって。モモンガさんは一緒に採った薬草を売りに来たんだ。今運んでくるから査定してもらってもいいかな?」

「そりゃ構わないけど……ふーむ」

 構わないという返事をもらったンフィーレアが薬草を取りに外に出て、手伝うよ少年というクレマンティーヌの声が後ろから聞こえる。モモンガと申しますと告げて軽く一礼すると、ンフィーレアの祖母はいかにも胡散臭いと思っていますという訝しげな視線をモモンガに向けてきた。当然だろう。こんな妙な仮面をした男を怪しく思わない人はどうかしている。

 ンフィーレアとクレマンティーヌがまずモモンガとクレマンティーヌが採取した分の薬草を入れた壺を持ってくる。その壺を開けて、ンフィーレアの祖母は目を見開いた。

「こっ、これは……ラフレア? レレニクも……一体どういう……」

「だから言ったろお婆ちゃん、森の賢王に案内してもらって森の奥で採ってきたんだ。この壺はモモンガさん達の分だけど買い取るよね?」

「当然じゃ! 他の所に売られてたまるものか!」

「それじゃ値段を出してあげて。僕は他の壺を薬草庫に入れて馬車を戻してくるから。モモンガさん、時間がかかりますのでどうぞ座ってお待ちください」

 ンフィーレアにソファを勧められる。クレマンティーヌにンフィーレアを手伝うように伝えてからモモンガはソファに腰掛けた。目の前ではンフィーレアの祖母が目の色を変えて壺から次々に薬草を取り出し仕分けしている。

 話し相手もいないし特にする事もないので魔術師協会でどんな魔法が見られるかぼんやりと妄想しながら査定が終わるのをモモンガは待った。その内ンフィーレアとクレマンティーヌが戻ってきたがそれにも気付かない様子で鬼気迫る表情のンフィーレアの祖母はひたすらに査定を続けた。

「すみません……お婆ちゃん夢中になると回りが見えなくなるんです」

「気にしてないさ、職人気質(かたぎ)というやつだろ?」

「まあそうですね。お婆ちゃんはこれでもエ・ランテル一の薬師なので」

「真剣さを見れば分かるよ。というか、これってそこまで貴重な薬草だったの?」

「あはは……そうですよ、あんな森の奥普通は行けませんから、なかなか入手できないんです」

 ンフィーレアが苦笑しているが、門外漢のモモンガにはその希少性が今いち分からない。森の奥が危険な場所だという事も今一つ分かっていない。ふーん、という気のない感想しか出てこなかった。

 しばらく待つとようやく壺の中が空になったようだった。テーブルの上には所狭しと薬草が並べられている。

「……正直、これだけの希少な薬草がこんなにあったら価値の付けようもないわい。未加工、という事で差し引いて……金貨二百枚…………じゃな」

「ええっ!」

 素っ頓狂な声を上げたのはクレマンティーヌだった。見れば唖然とした顔をしている。この世界に来てからまだお金を使った事がないモモンガは貨幣価値について全くといっていいほど理解していないので、ンフィーレアの祖母の提示した額がどれだけのものなのかよく分かっていなかったが、クレマンティーヌの驚きようからして多分大金なのだろう。金貨だし。ということは恐らく路銀としては申し分ない額が稼げたということだろう。

「異存はありません。是非その額で買い取ってください」

「商談成立、じゃな。お主、定期的に薬草を採ってくる気はないか?」

「すみません、旅の途中なもので。これから北へ向かうんですよ」

「そうか、残念じゃ……金を用意してくる、少し待っておれ」

 言葉通り心から残念そうに言うと、ンフィーレアの祖母は立ち上がり奥へと入っていった。

 待つ間ンフィーレアに旅人向けのお勧めの宿を聞いておく。クレマンティーヌが寝られればどこでもいいので、適当な宿でいいだろう。

「じゃあ宿はその三羽の烏亭だな。宿は俺が取っておくからクレマンティーヌ、お前は情報収集だ。夕方に宿で落ち合おう」

「大丈夫ですか、宿までの道分かります?」

「僕がご案内しますよ」

「そっか、ありがとね少年。それじゃ早速行ってきます、バイバ~イ少年」

 ンフィーレアに笑顔で手を振りクレマンティーヌが店を後にする。入れ替わるようにンフィーレアの祖母が戻ってきて、ずっしりと重い革袋を渡してきた。薬草は全部クレマンティーヌが採取したものなので本当は全額クレマンティーヌに渡すのが筋だろうが、森の賢王を呼んだ代として半分貰うことにしよう。全額渡したらヒモ生活を余儀なくされてしまう。

「いい取引をありがとうございました」

「こちらこそじゃよ、また機会があったら売りにきておくれ。ポーションが入り用になったら贔屓にしてくれると嬉しいの」

「お婆ちゃん、モモンガさんを宿まで案内しにちょっと出てくるね、すぐ戻るから」

 ンフィーレアの言葉に祖母が頷き、ンフィーレアと連れ立って二人で店を出る。途中で美味しい食事が食べられる店をンフィーレアに尋ねると、黄金の輝き亭という最高級の宿がエ・ランテルで一番料理が美味しいと教えてくれた。一階部分がレストランになっており、レストランのみの利用も可能だという。今日のクレマンティーヌの夕食はそこで決まりだ。

 宿は大通りの分かりやすい場所にあった。モモンガが街に不慣れという事を考慮して立地の良い宿を勧めてくれたのだろう。これなら道に迷うこともなく戻って来られるから安心だ。

 ンフィーレアに礼を言って別れ、宿に入って二人部屋を取る。二人部屋食事付きで一泊銀貨二枚だったので薬草を売った金の破格の価値がようやく何となく分かった。部屋に入ってまずは薬草を売った金を二等分してから一旦宿を出た。適当な通行人に道を聞き、小川のせせらぎ亭を目指す。

 小川のせせらぎ亭の一階部分は酒場になっており、冒険者と思しき集団が数組テーブルを囲み酒を飲んでいた。奥の方に見知った顔がある。歩いていくと、奥に座り入口側を向いていたルクルットが気付いたようで手を振ってきた。

「ニニャ、お待ちかねのモモンガさんが来たぜ」

「モモンガさん、早かったですね、もう大丈夫なんですか」

「ええ、宿も取ってきました。それではご案内願えますか?」

「はい。それじゃ皆、行ってきます」

 ニニャが立ち上がり、連れ立って宿を出る。薬草を売った金額を話すとニニャもやはりというか大層びっくりしていた。薬草の採取の依頼も冒険者にはよくあるらしいのだが、森の奥はモンスターが強く危険で立ち入れない為、森の入口付近に生えている薬草しか普通は採れないのだという。あんなに森の奥深くで薬草を採取したのは数々の冒険を繰り返した漆黒の剣でも初めてだったと教えてくれた。森の賢王様々だ。

「魔法を見たいということですけど、実演とかはやってないんですよね。スクロールのリストがありますのでそれで知らない魔法を探して、私が説明するというのはどうでしょう?」

「それで構いませんとも。未知の知識を得られる機会ですから、非常に楽しみです」

 魔術師協会は大通りを中央へ進んだ所にあり、近くには冒険者組合もあった。

 魔術師協会に入ると、中は広いホールになっており、ラウンジ的なソファがいくつか並び掲示板のようなものの前では冒険者風の男が張り出された羊皮紙を真剣に眺めている。ニニャは迷わず奥のカウンターへと進んで行き、モモンガもそれに続いた。

「ニニャ様、当魔術師協会へようこそお越しくださいました。本日はどのようなご用件でしょうか?」

 カウンターの向こうに立ったローブ姿の受付の男が丁寧に口上を述べる。さすがというか何というかニニャは名前と顔を覚えられている常連のようだ。

「今日は一緒に来た旅の魔法詠唱者(マジックキャスター)のモモンガさんにスクロールのリストを見せてあげてほしいんです。モモンガさんは今まで辺境で研究をされていたんですけど、古い文献を元に研究されていたので比較的最近に開発された魔法についてご興味がおありなんです」

「かしこまりました。モモンガ様、こちらへどうぞ」

 受付の男に呼ばれニニャの横に並ぶ。受付の男は後ろの棚から厚い本を取り出すと、カウンターへと置いた。

「こちらがスクロールのリストになります、どうぞご覧ください」

 差し出されるままにモモンガはリストを開いた。予想していた事だが、文字が読めない。

 何で言葉は通じるのに文字は読めないんだ? 若干の理不尽さを覚える。

 懐に手を入れるふりをしてアイテムボックスを開き、魔法の力で文字を解読できるモノクルを取り出し左目に当ててリストを読んでいく。

「えっ……なんですかこの〈清潔(クリーン)〉って……」

「第一位階魔法で、汚れや埃を綺麗にしてくれます。部屋にも服や体にも使えますよ」

「えっ面白い……」

「そうですか……?」

「〈浮遊板(フローティング・ボード)〉というのは?」

「半透明の浮遊板を術者の背後に作る第一位階魔法で、荷物を運んだり土木作業に使ったりします。術者の魔力によって最大荷重や大きさが決まります」

「えっ面白い……」

「そうですか……?」

 この調子でモモンガは知らない魔法の説明を受けては面白いと呟くマシーンと化していった。戦いに使うようなものではなく、生活に密着した魔法が主にこの世界では作られているらしかった。ニニャによると、腕のいい魔法詠唱者(マジックキャスター)は自分だけのオリジナル魔法を作れたりするらしい。すごい。レベルアップで魔法を習得したにすぎないモモンガには論理立てて術式を組んでオリジナル魔法を作るなど絶対に不可能なので素直に尊敬する。

 本音を言うと知らない魔法のスクロールを全部買いたかったが、いくら大金が入ったとはいえこれはこれからの路銀だ。泣く泣く涙を飲んでモモンガは、一番面白かった〈清潔(クリーン)〉のスクロールだけを買った。まず汚れるということがユグドラシルではありえないのでユグドラシルでは絶対に生まれない魔法だ。これは大切にコレクションすることにする。

 十二分にスクロールのリストを堪能してから魔術師協会を出て、ペテルから申し出のあった街の案内について明日の朝待ち合わせる事を約束してニニャと別れた。宿に戻ると、クレマンティーヌは既に部屋に帰っていた。まずは薬草を売った金を半分渡す。受け取れないと言われたが薬草を摘んだのはお前だからと無理矢理押し付けた。その後本題を切り出す。

「さてクレマンティーヌ、夕食を食べに行こう」

「えっ? 何でですか? ここ食事付きですよね?」

 不思議そうなクレマンティーヌににやりと笑ってみせるがマスクをしているしそもそも表情筋がないので表情は伝わらない。

「そんな普通の食事じゃなくて最高級のやつを食べるんだよ。黄金の輝き亭に行くぞ、俺の奢りだ」

「ええっ? な、何でですか? どういう事ですか?」

「お前にはいっつも助けられてるしレベリングも頑張ってくれてるから、感謝の気持ちだよ。絶妙なフォローいつもありがとうな。ほら行くぞ」

 立つように手振りで示すが、涙目のクレマンティーヌはベッドに座ったままで感極まったように肩を震わせるだけだった。

「も、モモンガさぁあん!」

「あーもう泣くな! 喜ぶのは料理を食べてからにしろよ!」

「だってぇ……うわああぁぁん!」

 とうとうクレマンティーヌは泣き出してしまった。参ったな、泣かせるつもりなんて全然なかったのに。落ち着くまで待ったが結局泣き腫らした目のクレマンティーヌを連れ歩く事になってしまった。黄金の輝き亭は有名な宿なので場所は把握済みだというので案内を任せる。

 途中、クレマンティーヌが道脇に寄る。馬車も来てないのに何だろうと思い振り返ろうとしたら、そのまま前を見ててください、と言われた。

「付けられてます。正体を確認しますから着いてきてください」

「了解」

 クレマンティーヌは少し進んだ先にあった細い横道に入っていったので並んで入る。袋小路だったので奥まで進んでから立ち止まる。

「挟み撃ちにしよう。〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉」

 不可知化してからクレマンティーヌと少し距離を開けて脇に立ち追跡者を待つ。二人で路地に入ったのに一人しかいなかったら不審には思うだろうが完全不可知化しているこちらを看破できる術者はこの世界には多分そうそういない。

 追跡者が路地の入り口に姿を見せると、クレマンティーヌが何かに気付いたようだった。

「ああ、カジっちゃんとこの」

 何やら知り合いの様子だ。警戒する必要もなかっただろうかと思うもののまだ安全とは言い切れない、不可知化は解除せずに黒いローブ姿の男が近寄ってくるのを待つ。

 男はゆっくりと歩いてきた。クレマンティーヌは何の用だと言いたげな怠そうな顔をしている。

「お前がこの街に来るとは聞いていないが」

「いちいち報告しなくちゃいけないのぉ~? ここは確かにカジっちゃんのシマかもしれないけどさぁ、通るだけで何かする訳じゃないんだから一々干渉しないでくれるかなぁ? 潰すぞ?」

「……っ! 何もしないというならそれでいい、我等の邪魔はするな」

「テメェらの儀式なんか興味ないしどうでもいいんだよ、アタシは今ご機嫌で飯を食いに行くところなんだよ、その不愉快な面見せんな、とっとと失せろ」

 凄んでみせたクレマンティーヌの殺気に気圧され男は踵を返すと早足で駆け去っていった。カジっちゃんって誰なんだろう、儀式って何? 色々と聞きたいことができてしまった。とりあえず不可知化を解除する。

「カジっちゃんって誰?」

「ズーラーノーンの十二高弟の一人で、カジット・デイル・バダンテール。このエ・ランテルを根城に活動している死者使い(ネクロマンサー)です」

「儀式って?」

「昔ズーラーノーンの盟主が死の螺旋という儀式を行ったことがありまして。アンデッドを大量に召喚しそれらが発する負のエネルギーで更に強いアンデッドが生まれ、加速度的にアンデッドが増えていきそこから生まれた膨大な負のエネルギーで盟主がアンデッド化したと伝え聞いています。その儀式で一つの都市が滅びました。カジットはそれをこのエ・ランテルで再現しようと数年を費やし準備しています」

 なんか穏やかじゃない話を聞いてしまった。別にエ・ランテルが滅びるのはいいんだけど、ンフィーレアに被害が行くのはエンリが悲しむなぁ……と考え込む。

「ちょっと聞きたいんだけど、ズーラーノーンってそもそもどういう組織なの?」

「盟主ズーラーノーンを頂点として十二高弟がおり、もう帰属意識はありませんが一応私もその一員です。十二高弟の下に無数の下部組織があり、邪法を行う魔術師が多く所属し、人類圏に広く深く根を張っています」

「広く深くか……いいねそれ、使えるんじゃない? 情報収集に」

「確かに、情報収集力は精査力は置いておくとすれば法国にも負けないかと……」

「人類圏って事はここから離れた場所にも組織はあるんだろ?」

「はい、西のアーグランド評議国や東のカルサナス都市国家連合、南方の砂漠の都市エリュエンティウまで、広くカバーしています」

「うーん、俺達二人だと収集できる情報はかなり限られるだろ? どうにかしてその力を使いたいなぁ……まずはそのカジットって奴に会ってみようか。協力できるかもしれないだろ?」

「確かに、モモンガさんの話であればカジットも……」

 そう呟くとクレマンティーヌは俯き考え込む。何だか分からないけどカジットとかいう奴はモモンガの話を聞いてくれる可能性が高いようだった。

 剣呑な儀式を阻止してンフィーレアの安全を確保して、もしカジットが従ってくれるようだったら危険な生まれながらの異能(タレント)を持ったンフィーレアを守らせてもいい。そして広範な範囲から入手した情報もカジットを介して手に入るようになるかもしれない。我ながら完璧な計画じゃないか。

「とりあえずまずは先に飯だ。その後カジットとやらに会いに行こう」

「はい、それじゃ行きましょう」

 豪華な夕食の事を思い出したのかにっこり笑顔が戻ったクレマンティーヌが歩き出したのでそれに続く。腹が減っては戦が出来ぬだ。戦なんて剣呑な事にならないよう願うけど。

 

***

 

 黄金の輝き亭の食事は控えめに言ってめちゃくちゃ美味しそうだった。匂いがすごくいい匂いだった。食材や料理は〈保存(プリザベイション)〉という魔法をかけられているらしく、レタスなんて瑞々しくパリッとしてパンは焼き立てホカホカで湯気を上げていた。

 正直言ってモモンガだってものすごく食べたかった。リアルではこういう食材は富裕層しか食べられない超がつく贅沢品で、鈴木悟のような貧民層は必要カロリーと栄養素を最低限摂取できるだけの味気ない栄養食品を日常的に食べていた。だから、本当はものすごく食べたい。どういう食感でどういう味なのか、知りたくてたまらない。鈴木悟にとってはエンリの家の豆のスープだってものすごいご馳走に映っていたのだ。食欲は消滅しても好奇心や興味までは消せない。

 最初は一人で食べるのが申し訳ないような事を言っていたものの、結局クレマンティーヌは終始ご満悦でコース料理を食べ終え、満足そうにお腹をさすっている。

 いいんだ、これはクレマンティーヌの日頃の働きへの感謝なんだから。クレマンティーヌに一杯助けられてるだろ俺。呪うなら食事が食べられない骨の身を呪うんだ。必死にそう自分に言い聞かせる。

 満腹のクレマンティーヌに案内されて向かったのは、共同墓地だった。奥まった場所にある廃棄されたような寂れた霊廟の中にクレマンティーヌが入っていくので続く。奥に置かれた石の台座の下の方に彫り込まれた彫刻をクレマンティーヌが何やらいじると、カチリと何かが噛み合ったような音がして重そうな台座が動き、下に階段が現れた。

「マスクと籠手は取っていった方がいいと思います」

「えっ何で? カジットって奴が死者使い(ネクロマンサー)だから?」

「カジっちゃんもスルシャーナ教徒だったんです。今は違うって自分では言ってましたけどね」

 成程、だから俺の話なら聞くかもしれないと言っていたのか。納得し速攻着替えし邪悪な魔法使い変装セットを外して死の支配者(オーバーロード)の素顔を晒して階段を降りていく。

 ゆっくり歩いてきてくださいね、とクレマンティーヌに言われたので、岩壁に不気味なタペストリーがかかり火の灯された赤い蝋燭から血の匂いが漂ってくる階段をゆっくりと降りていく。クレマンティーヌは小走りに先に階段を降りていった。

「やっほー、カジっちゃんいる~?」

 下に先に辿り着いたと思しきクレマンティーヌの声がした。タイミングとかあるだろう、とりあえず様子見で姿を見せずにいようと思いモモンガは少し上で待機した。

「クインティアの片割れか。この街は通り過ぎるだけと聞いたが、何をしに来た」

 しわがれた男の声が聞こえた。恐らくカジットなのだろう。

「…………あぁ? その呼び方でアタシを呼ぶんじゃねーよタコハゲ、殺すぞ」

「貴様が我が儀式の邪魔をしようというのであれば一戦も辞さぬが」

「テメェの出来の悪い手下にも言った通り、アタシはテメェの下らねぇ儀式なんぞ一切興味はないんだよ」

「では何をしに来た、まさか遊びに来たというわけでもあるまい」

「ふふっ……カジっちゃん、儀式なんかしなくってもあんたの望みがもし叶うとしたらさぁ、どうする?」

「……どういう意味だ」

「その力をもつお方がいるとしたら? あんたはどうする?」

「それは我が盟主にも不可能な事、そんな事をできる存在など……」

 おっ、いい感じのタイミングではないか? と思いモモンガは靴音を立てて階段を降りていく。階段の下は岩盤を穿った広い空間になっており、パッシブスキル・不死の祝福で周囲から無数のアンデッド反応が捉えられた。〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉の灯りがあるのか視界は悪くなく、クレマンティーヌの向かいには体毛らしきものが一切ない為年老いているようにもそうでもないようにも見える年齢不詳のやけに血色の悪い屍のような肌色のローブ姿の男がいた。彼が恐らくカジットなのだろう。

「……まさか、闇の神……? いや、闇の神は八欲王に弑された筈……何? 死の宝珠よ、貴様は何を言っているのだ!」

 カジットはどういう訳か右手に持った鉄の玉らしきものに話しかけ始めた。もしかして電波とかそういう危ない人なのだろうか、こんな墓の下に住んでる位だし……墳墓をギルド拠点にしていた自分の事を綺麗に棚上げしてモモンガは若干引いていた。

「カジットよ、俺はお前の言う闇の神、スルシャーナではない。だが恐らく同族だ。俺の名はモモンガ。必要なら力を示すが?」

「……いえ、その必要はありません。人を支配し死を振りまく存在である死の宝珠が、あなた様の気配を感じた瞬間、己が仕えるべき至高にして偉大なる死の王が現れたと言いました。人を支配する死の宝珠を支配する方、それだけであなた様の偉大な力は十分分かるというもの……成程な、クレマンティーヌよ、これだけのお力を持つお方ならば貴様も従うだろうよ……」

「その宝珠は話せるのか、面白いな。少し見せてもらってもいいか?」

「どうぞ」

 カジットが死の宝珠を両手で捧げ持つ態勢をとる。モモンガは歩み寄り、捧げられた宝珠に手を翳した。

「〈道具上位鑑定(オール・アプレイザル・マジックアイテム)〉……ふむ、インテリジェンスアイテム、見たことがないぞ、興味深いな。能力としてはアンデッド支配能力の強化に死霊系魔法を一日数回発動か……能力的には特にいらんな」

「お望みであれば献上いたしますが」

「いや、お前が持っていた方が役に立つだろう。そのまま持っているがいい」

「はっ、ありがとうございます」

「今日はお前の行おうとしている儀式の話をしに来た。死の螺旋……だったか?」

 死の宝珠を手元に戻したカジットは僅かに躊躇した後モモンガの言葉に頷いた。

「エ・ランテルが滅びる事に別段の興味はないが、お前が何故その術式を行おうとしているのかを聞いてもいいか。理由如何によっては力を貸す事も吝かではない」

 死の螺旋を阻止するにしても話のとっかかりは必要である。説得が失敗して力でねじ伏せることになっても別に困りはしないだろうが、カジットは他にも利用したいことがある。できれば言葉で説得したかった。故にモモンガは理由をまず聞くことにした。

「……少々長い話となりますがよろしいでしょうか」

「構わん」

「わたくしめが幼い頃、母が心臓の発作を起こして死にました。その日わたくしめは遅くまで遊び呆けて家に帰るのが遅くなり、帰った時には母は既に冷たくなっていたのです。もう少し早く帰っていれば母が生きている間に神官に治療してもらえたのではないか、そう思うと悔やんでも悔やみきれませんでした。わたくしめは母の復活を望みましたが、蘇生の魔法に耐え得る生命力は母にはございません。故に、母でも復活できるような生命力の消費のない蘇生魔法を編み出そうと決意し信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)の道を選びました。しかしながら新しい蘇生魔法を編み出すには人の生ではどう足掻いても時間が足りません。そこでわたくしめは、研究の時間を得るべく不死のアンデッドとなろうと邪法を修め始め、ズーラーノーンに所属するに至りました。ですが自我を保ったままの他者のアンデッド化は我が盟主にも不可能な事、ですから私は……死の螺旋を起こしその負のエネルギーをもってアンデッドと化するしか他に道はないと……五年の歳月をかけ今まで準備してまいりました」

 話し終えたカジットは口を閉じ沈黙し、モモンガの言葉を待った。だがモモンガにはカジットにかける言葉などなかった。

 まるで、歪んだ鏡で己の姿を写しているようだった。

 過去に囚われ固執し、取り戻そうと足掻き藻掻き、前に進めない進もうとすら思わない者。

 第三者の事として見ればはっきりと分かってしまう。そんな事は間違っているのだと。他人を犠牲にするのが間違っているとかそんな事をしても母親は喜ばないとかそんな事を言うつもりは全くない。ただ、それではあまりに悲しすぎるのだと分からされてしまう。人は未来に向かって今を生きているのに、カジットには過去しかないのだ、今も未来もありはしない。過去しかない者が永劫の時を生きるアンデッドになって、過去だけを抱えて生きていく。それはどれだけ悲しいことだろう。

 こいつは、俺だ。歪んだ鏡に映し出された俺自身だ。それが嫌という程分かってしまう。

「カジットよ……死は私の支配するところ。それを人が弄ぶことを私は喜ばない」

「はっ……」

「お前の母の死もまた運命であった。人は確かに死に抗う力を持ってはいる、だがそれは万人に与えられたものではない。お前の母は既に運命を受け入れているのに、お前はそれを己の都合だけで覆そうというのか」

「それは…………」

「お前の悔いは分かる。だが取り戻せないものの重さと尊さをこそ知れ。それこそが死の重みだ。弱き種たる人が必死に足掻く様は嫌いではないが、私は無為な殺戮が嫌いなのだ。何故なら、そんな事をしなくても人はいずれは必ず死ぬものであるからな。さてカジットよ、お前は今もまだ母を蘇らせようと望むか」

「それが……運命だったと仰るのですか、死の王よ……」

「そうだ。運命は善も悪も考慮しないし情も与えない。無慈悲で残酷で不平等なものである。だが死は等しく万人の上にある、平等だ。お前の母は誰もが迎える平等な死に迎えられた、それだけの話だ。それでもお前はアンデッドと化し私の支配から脱し平等なる死に抗うか。それならばお前は私の敵だ」

「……わたくしめに、あなた様と敵対するような恐れ多いことはできません、死の王よ」

 ぐったりと疲れ切ったような声でそう告げると、カジットは糸が切れたようにその場に座り込み呆然と足元を眺めていた。

「お前の五年の歳月を無駄にした事は謝ろう。何か償えるか」

「償いなど恐れ多い事、今は望むことは何もございません」

「私はお前の力を買っている、私の為に働く気はあるか」

「今は己の望みを失った身なれば……無為に生きるしかないこの身を御身のお役に立てられることは望外の喜び。何なりとお命じを、死の王よ」

 そう告げると、カジットは居住まいを正しモモンガの前に跪いた。

「頼みたい事は二つある。まずは、ンフィーレア・バレアレを常に見守り不測の事態から守れ。次に、ズーラーノーンの情報網を駆使し世界中の強者の情報を集めろ。そう……神に等しい力を持つ者の情報をな。その情報は定期的に私から〈伝言(メッセージ)〉でお前に連絡して報告してもらう。差し当たってはそれだけだ。お前に望みができれば働きに報いることもできるだろう、何か考えておくがいい」

「慈悲深きご配慮に感謝いたします。粉骨砕身、御身に仕えさせていただきます」

「クレマンティーヌもそうだが、お前は既にズーラーノーンの盟主とやらに仕えているのではないのか?」

「力によって従っている身なれば、より強いお方に着くのは当然の帰結でございます」

「ならば私よりも強き者が現れればそちらに着くか。それもまたよかろう。では頼んだぞ」

 そう言い残すと踵を返しモモンガはその場を去り階段をゆっくりと登っていった。じゃーねーカジっちゃんと軽快な声でクレマンティーヌが挨拶しているのが後ろから聞こえてくる。霊廟まで戻ると、ローブを着替え邪悪な魔法使い変装セットを装備して旅の魔法詠唱者(マジックキャスター)姿に戻る。

「何かほんとに死の神っぽかったですねモモンガさん、演技にしては真に迫ってましたよ。声まで全然違ってたし」

「まぁな……ああいうのはちょっと慣れてるんだ」

 まさか悪ノリで始めた魔王ロールがこんな所で役に立つとは思わなかった。人生なんでもやってみるものである。いや俺の場合人生はもう終わってるのか? 深く考えると泥沼に嵌りそうだったのでモモンガは考えるのをやめた。

「しかしすっかり深夜ですね、こんな時間に帰ったら宿屋の親父に嫌な顔されそうですね」

「まあ……仕方ないだろ、こっちが迷惑かけてるんだからな。舌打ちとかするなよ」

「大丈夫ですって、そんな事しませんから。信用ないなぁ」

「だってお前ルクルットに思いっきり舌打ちしてただろ……」

「あれはちょっとドスッと殺したくなって……」

「ほんとそういう所だぞお前……」

 夜の静寂に沈んだ墓場を、クレマンティーヌと他愛もない話をしながら帰っていく。突然突き付けられ見せつけられた己の鏡像に対する苦さを忘れられないまま、間違っていて悲しくてもどうしてもそうせざるを得ない己の愚かさを思い知らされながら。




誤字報告ありがとうございます☺

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