その場所に、生命はなかった。
動物も植物もなく。
土はなく、剥き出しになった岩盤層の上に大小様々な岩が転がっている。
海や川といった水のたぐいも見当たらない。
荒涼とした大地。
それがどこまでも広がっていた。
何もない世界に例外は2つ。
不毛の大地に突き刺さった、一本の樹枝。
へし折られた枝が想像を絶する力で地面に激突し、岩盤を貫通し刺さっている姿。
地面に刺さった部分からはつる草が伸び、放射状に岩盤を貫いて侵食している。
逆に天へ伸びる部分からはナンテンに似た新しい枝が生えていた。
その若い枝が刺す暗黒の天に、強く輝く星がひとつ。
そして、その樹枝の横で座るイヴ。
「あそこに行きたいんだね、キギ」
イヴは空を見上げる。
枝の指す先。
明星のように煌めく星辰。
「……すごかったね」
イヴは樹枝を撫でる。
「キギ、あんなに強かったんだ。知らなかった」
イヴの足元に、つる草が何本も蠢いて寄ってくる。
イヴはそれらを白い指でさすりながら、
「私に遠慮して隠してたの? それとも、私の食事だけじゃ力が出なかったの?」
つる草の群はイヴの体にゆっくりと巻き付く。
脈打つように這うつる草の動きは、どこまでも優しいものだった。
「……そっか。あのひと、アリアナが移した力を使ったんだ」
イヴは目を細める。
言葉はなくても、キギの言いたいことが伝わってくる。
ここは現実ではなく、夢の世界、キギの世界だから。
キギを授かってから、夢の中でイヴは望んだときにいつでもここに来ることが出来た。
父兄や叔父や従兄弟との交わりでどんなに疲れても、この場所に来ればすぐ回復する。
何よりここにはキギがいた。
ロバートを除けば唯一イヴに優しいキギが。
「キギ、少し大きくなった?」
イヴは全身のほとんどをつる草に絡まられながら、樹枝を見上げる。
一振りの枝。
生長している。
星に手を伸ばそうとするかのように。
「……もっと大きくなれば、あの星に届くのかな」
イヴ、自分も手を空へ伸ばす。
「あのひとに、また会いたい……」
イヴは自分の中で渦巻く渇仰を意識していた。強く。
*******
「私と来いよ」
ダイナーの入口を乱暴に開けて、アリアナはイヴに言い放った。
「―――え……?」
イヴは状況を理解できなかった。
襲撃を受けた夜の翌日の昼。
怪我を負った一家が「昨日の停電と爆発で大騒ぎだ」「警察があちこちで目を光らせてる」「しばらく何も出来ねえ」と屯していた昼下がり。ロバートはいない。
そこにいきなりダイナーの扉を開け放ち、アリアナは現れた。
あの異色の双眸を輝かせて。
「探したぜ、ったく。こんな美人こんなしょうもねえ場所に立たせとくとかホントどうしようもねえな」
オリーブグリーンの軍放出コートをだらしなく纏い、獣のように乱雑に黒髪を伸ばしたアリアナの登場で、ダイナーに緊張が走った。
「てめえ…!」
「昨日はよくも!」
一家の男達が殺気と共に立ち上がる。
女達はダイナーの隅にひっそり移った。
「なんだよ。てめえらの大事な大事なトラック様はちゃんと動けただろ?」
アリアナは昨夜と同じく、多数の殺意と敵意を向けられても全く動じなかった。
昨夜の爆発の後、一家はイヴも含めて全員をトラックに乗せた。
トラックは運転席の屋根や車体表面の損傷こそひどかったものの、操行装置や駆動系にはなんら問題がなかった。
そのためなんとかキングスポートに戻ることが出来た。
「っざけんな! てめえが昨日やらかした爆発のせいで、俺たちはどこにも遠出できねえんだぞ!」
長兄が叫ぶ。
キングスポートに戻ることこそ出来たものの、この状況下で損傷だらけのトラックを走らせればすぐ警察に捕まる。
そのためトラックを隠れ家に隠さざるをえず、一家は遠出する足を失っていた。
「……あ? 爆発だ?」
アリアナはしかし、理解しがたいものを見るような表情でその場の全員を見やった。
そしてすぐ後、店のカウンターにいるイヴへ深いしかめ面を向ける。
「おい、名前なんつったっけ?」
「……イヴ」
「イヴ、なんでこいつら皆殺しにしねえんだ?」
ざわっ、とダイナーの空気が強張る。
イヴも言葉を失う。
アリアナはそんな一家の驚愕になんら頓着せず、
「私は太陽を目指してる」
尊大に言い放つ。
「無限の燃料タンクを持ってるくせに、肝心の燃料取り入れ口が小さすぎて、結局そこらのジェット機の馬力にも勝てやしねえ。ちまちまと油を啜ってるみみっちい連中の中で一番だ二番だ競い合うなんて、馬鹿馬鹿しいと思わねえか?」
アリアナの体が、淡く輝きを帯び始める。
灼かれる空気のきな臭さが、店内に広がった。
一家の者達、誰もが身構える。
が、そのアリアナの燃える二色の双眸は、一家の者などまるで眼中になかった。
「十字架を崇める教会の神が、並ぶものなんざないように。月と星を全部合わせても、太陽の光に敵わないように」
彼女はまっすぐ射貫いていた。
たったひとりを。
「神の炎で輝く太陽に、私はなる」
イヴだけを。
「―――私と来いよ。太陽の力を、お前の唇に注いでやる」
「………」
力そのもののようなアリアナの言葉。眼。視線。イヴは息を呑む。
瞳を合わせた。
色の異なる、青緑と薄緑の双眼。
アリアナの燃える視線が、イヴに引火する。
熱は心臓を弾ませる。
甘やかな鼓動で、イヴは力を動きに変えた。
「――連れてって」
イヴ、手を伸ばす。アリアナに向かって。
アリアナ、にいっ、と笑う。獰猛に。
女達は互いに進み始める。
「ま、待てっ! そいつはうちの種付け女だ! 勝手に―――」
「んじゃ止めてみろよザコ共!」
慌てて止めに入る家長へ、アリアナは哄笑と共に吼えた。
同時、アリアナの肩からウミユリめいた触手が幾本も伸びる。
そして、イヴの腕からも黒いつる草が放たれる。何本も。
「キギ…!」
つる草はアリアナの触手へまっすぐ伸び、螺旋を描いて絡みつく。
羽枝の触手はにわかに輝き、その光をつる草へ伝えた。
黒いつる草、輝きを帯びる。
生長と枝分かれが急速に進む。
枝分かれした部分からは刀剣状の突起が鋭く伸びた。
黒剣の群、イヴとアリアナの周囲を泳ぐ。
2人を守護するように。
「イヴ……なんだよ、それ」
初めて目にするキギの姿と、その刀身が宿すエネルギーの強さに、一家の者達は固唾を呑んだ。
イヴとアリアナが接近する。誰も止められない。
手を伸ばしたまま歩み寄ったイヴ。
その手をぐいっと引き寄せるアリアナ。
イヴはアリアナの腕の中に放り込まれる。
頭ひとつ分高い位置にあるアリアナの瞳。
二色のそれを覗き込むだけで、魔酒のような酩酊をイヴは起こす。
アリアナの体表から伝わる多量の熱が、イヴの心髄を新たに駆動させた。
熱と光のようなひと。
イヴはアリアナを見上げた。
アリアナは、やはり唇を吊り上げて笑っていた。
「行くぜ」
アリアナがイヴの体を抱きしめる。一気に籠もる熱と匂い。イヴは目眩がした。
そんなイヴを抱えたまま、アリアナは跳躍する。
砲弾のようにダイナーの入口ドアを吹き飛ばし、ガラスを周囲に飛散させた。
羽枝つき触手と剣状のつる草が光の尾を引く。
イヴの一家は突然のことに何も反応できない。
「アリー! こっち!」
表通りに出たイヴとアリアナへ、一台のキャンピングカーが呼びかける。
触手やつる草を引っ込めた2人のもとに、そのキャンピングカーが近付く。
運転席から出された顔に、イヴは目を丸くする。
「ロビン?」
従兄弟のロバートが爽やかに微笑む。
「乗って。旅に出よう」
アリアナがイヴを強引に引っ張り、早々に車内へ乗り込ませた。
ロバートがアクセルを踏み込み、発進させる。
車窓から、ダイナーが見えた。
イヴのいた場所。
あっという間に後ろへ流れていく。
イヴはそれを目で追った。
「……」
「本当にイヴを連れてくるとは思わなかった」
車内の固定されたソファにイヴを侍らせながら座るアリアナへ、ロバートが面白げに笑う。
「おいおいボビー、昨日の話を冗談だと思ってやがったのかよ。あんだけ真剣な顔で聞いといて大した役者だなおい!」
「大酒飲みながら大火傷を治して大声で怒鳴り散らしてる人を相手にしたら、誰だって真顔になると思うよ」
「んだよ、くっそ久しぶりに会ったこっちのハッピーさを少しは理解してんのかと思ってたぜ」
「そっちは大丈夫。僕もハッピーだ」
笑い合うアリアナとロバート。
イヴは戸惑い、
「ふたりは、知り合いなの?」
「うん。僕が昔お世話になってた人のとこで、やっぱり居候してたのがこっちのアリー」
「居候ってなんだよ。奥様つきのメイドだったろ?」
「あれはむしろ奥様がきみの世話をしてた」
「ボビー! 過去を捏造すんな!」
車は走る。キングスポートを抜けた。郊外に出る。
イヴは車窓から、アリアナと出会った道を探そうとした。
しかしどこだか分からない。
「これから、どこに行くの?」
ロバートが応える。
「まずアリーの燃料を補給して、少しどこかで路銀を稼いで、そうしたらカナダに行く」
「カナダ?」
「世界最大のウラン鉱脈をもってる国だよ。僕らパスポートがないから、どこかでこっそり国境を越えないとね」
「……ウラン?」
「核燃料」
イヴははっとして、相変わらず自分を抱き寄せているアリアナを見上げた。
アリアナはやはり粗暴な笑み方で応えた。
「一花咲かせるのに、ガソリン燃やしたくらいじゃ話にならねえ」
アリアナ、イヴの頭を引き寄せる。
耳元で囁く。
「――――原子力を喰ってやる」