王港の一族   作:鈴本恭一

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④オンタリオ原子力発電所

 

 

 宵の明星が煌めき、消えた。

 

 オンタリオ湖の水気を含んだ風が、森の梢を揺らす。

 

 

「よし、行くか」

 

 

 アリアナは仮面を付ける。触手を何本も垂らしたような不気味な仮面。

 

 隣にいるイヴは、その仮面をつけたアリアナと初めて出会った夜を思い出す。

 

 

「……遠くにきちゃったね」

 

 イヴは湖水の匂いを感じながら、そっと呟く。

 

「カナダだもんね」

 

 

 ボストンから州間高速道路90号線をひたすら西進した彼女らは、オンタリオ湖周辺の国境を密かに越え、カナダへの入国に成功した。

 

 

 そして現在、カナダ・オンタリオ州、アメリカとの国境でもあるオンタリオ湖のとある丘に、彼女らはいた。

 

 

 森が覆う丘から見下ろすのは、湖の岸辺に建てられた、一基の発電所。

 

 

 オンタリオ原子力発電所。

 AECL(カナダ原子力公社)が実験中の、初の国産商用原子炉。

 

 この旅の目的地だった。

 

 

「どこが原子炉?」

「2つくっついてT字になってる変な建物が見えっだろ? で、送電線が伸びて変電所まで通ってる方の建物がタービン回して発電してるとこ。つまりそっちじゃねえ方の建物が原子炉だな。そこの燃料棒を頂く」

「アリアナ詳しいね」

「アーカムで世話になったミスカトニックの先生が、そういうのの仕事もしてたからな」

「ロビンの下宿先だっけ? ふたりとも大学生だったの?」

「行けるわけねえだろ、戸籍がねえんだから。けどこっそり大学の中に忍び込んだり、学生どもに混じったりはしてたな。ボビーなんか大学の図書館にずっと籠もって、閲覧専用の、めちゃくちゃ古い本とか読んでやがった」

「ロビンは変わらない」

 

 イヴは容易に想像できる従兄弟へ微笑む。

 

 ロバートはここにいない。

 別の場所で車に乗り、2人の逃走ルートを確保していた。

 

「4人で食事に行くつってんのに、先生と奥様と私で、いつまで経っても図書館から出てきやがらないボビーを迎えに行ったこともあった。あそこだとボビーが一番ガキになるから笑えるぜ」

 

 

 アリアナは懐かしそうに笑う。

 

 口角を吊り上げない、穏やかな笑み方。

 

 イヴはそれをじっと見詰める。

 

「……どれくらいのエネルギーなのかな、あの原子炉」

「ボビー調べだと、1ユニットで50万キロワット。4ユニット全部平らげれば200万キロワット。400万人を余裕で賄えるパワーだ。これでどんな神もご満足頂けるってもんよ」

「400万」

「ボストンが70万人な」

「よく分からないけど、アリアナは、そんなに食べられるの?」

「食べるしかねえよ。今日のために、いつもどこかを停電させてきただろ?」

 

 カナダに入国するまでの道中で、アリアナは高圧電線から大量の電力を強奪してきた。

 突然の高負荷により電力ネットワークの需給バランスが崩壊。近隣の町で停電も発生した。

 

「その力で原子炉の核を食べ尽くして、私は並ぶもののないエネルギーを手に入れる」

 

 アリアナは言う。

 

 

「……それ以外に、私には何もない」

 

 

 その静やかな口調に、イヴはハッとアリアナを見上げた。

 

「アリアナ…?」

 

 そう尋ねるイヴの頭を、アリアナが乱暴な動きで抱き寄せる。

 

 仮面をずり上げ、露出させた口で、イヴの唇を奪う。

 

「――…っ」

 

 

 深い口づけだった。

 

 

 アリアナの舌が、イヴの口内をまさぐる。

 舌を絡め取り、歯茎の全てを舐めずった。

 イヴの唇を食むアリアナの唇。

 

 長い長い口づけ。息苦しくなるほど。

 イヴへ流し込まれる唾液と熱量。

 全身に充ちて行き渡り駆動する精魂。

 

 血と息が苦しいほど熱していく。

 

 

 イヴが熾きる。

 

 

 

 長い抱擁の末、アリアナはようやく口を離した。唾液の糸を引く。笑った。口角を吊り上げる。獰猛な笑み方。

 

 

「……帰ってきたら、続きをしようぜ」

 

 

 仮面を被るアリアナに倣い、息を荒くしながらイヴも仮面を付ける。

 

 花火と花吹雪をあしらった仮面。

 アリアナが作った。この日のために。

 

 

「行くぜ、相棒」

 

 

 

 アリアナは肩からウミユリもどきを生やす。

 人間の胴体ほどもありそうな羽枝つき触手が蠢く。

 

 イヴはアリアナに両腕で抱きしめられ、密着する。驚くほど熱いアリアナの体を感じながら、

 

「どうやって近付くの?」

「目の前だ。ひとっ飛びすりゃいい」

 

 

 アリアナは荒々しく笑う。

 10本近い触手が2つに束ねられていく。

 双腕となった触手の塊が、帯電。輝きを帯び、膨らむ。

 

 巨腕が地面に手をつき、イヴとアリアナを宙に浮かばせた。

 

 

「――――ショーダウン」

 

 

 触手の腕がぐぐ、っと大きく屈む。

 

 そして、跳んだ。

 

 

 飛翔。

 

 

 森を突き抜け、丘を飛び出し、夜の風を破って進む。

 

 

「―――」

 

 イヴは浮遊感に踊る。

 

 

 星空。

 黒い地面。

 星光を返すオンタリオ湖。

 天地。

 輝きの尾を引くアリアナ。

 

 

 視界の中で捉えきれない様々なものをすり抜け、イヴは発電所の屋根へ降り立った。

 

 

 

 

 

*******

 

 

 

 オンタリオ原子力発電所1号機の屋根に、アリアナはイヴを抱えたまま降り立った。

 

 屋根は平らなコンクリート製。

 発電所の敷地外から飛来した人間2人分の衝撃は、その屋根にほとんど伝わらなかった。

 

 着地の直前、アリアナが木の根と動物の内臓を混ぜ合わせたような触腕を屋根へ展開していた。

 触腕の表面の所々に、半透明の皮膜が張られている。

 

 この皮膜が、屋根に衝突したエネルギーを吸収した。

 内臓めいた触腕はこの皮膜により、物質だけでなく様々なエネルギーを食すことが出来る。電気でも熱でも、運動エネルギーであろうと。

 

 

「よし、見張りはいねえな」

 

 アリアナは見回す。

 屋根は平らで見るからに分厚い。

 

 屋内への出入り口は見当たらない。

 外付けの非常階段がひとつあるだけだ。

 

「この下が、原子炉? 核分裂中の?」

「ああ、原子炉建屋だ。壁は鉄筋コンクリート。厚さはざっと2メートルか。耐放射線用の厚みだな。その向こうに、蒸気発生機と原子炉があるはずだ」

 

 アリアナはイヴを床に下ろしながら、自分もその床を手でなぞる。

 

「中で作業するなら防護服を着込まねえといけないらしいが、私には関係ねえ。中に入る必要もないしな」

 

 着地に使った触腕をもぞもぞと蠢かせ、天板の奥へすり抜けさせる。

 物理的な障壁を無視し、アリアナの触腕が原子炉を探す。

 

 

 ―――アリアナ達は知る由もなかったが、原子炉建屋の内部は無人だが監視カメラで厳重に見張られている。

 

 

 しかし管制センターのモニターに、アリアナの触腕は一切映っていない。

 

 

 もし職員が建屋の中にいれば、天井から垂れ下がりあちこちを物色する無数の触腕を目に出来たはずだ。

 が、電子機器は普段と同じ原子炉建屋しか認識できない。

 

 

「発電能力が50万キロワットなら、熱出力自体はだいたい3倍。150万キロワットのエネルギー。この世の誰よりも、今までいた誰よりも、私は燃える」

 

 こぼれる笑みを抑えられないアリアナ。

 全身が僅かに光を宿す。

 その光は少しずつ強さを増し、触腕も更に光度を上げる。

 

 

 そのアリアナの触手が、無数に巡るパイプに潜り込んだときだった。

 

 

「―――なんだ?」

 

 

 顔が仮面の下で強張る。

 

 

「どうしたの?」

「消化吸収用の触腕たちが、たぶん原子炉っぽいとこに到達した。したんだが……」

 

 アリアナは小さな声でこぼす。

 

「この水はなんだ?」

「水?」

「減速材だ。核分裂でできた中性子を減速させて、次の核分裂をしやすくするやつ。ここの原発は冷却材も兼ねてやがるな。中性子にブレーキかけて出来た熱を蒸気発生器に送ってんだ」

「その水がどうしたの?」

「なんかおかしい。感触はほとんど水なんだが、ただの水じゃない」

「なに?」

「密度が高い。質量そのものが少しだけ重い。こいつはなんだ?」

「変な成分混ざってるんじゃない?」

「水以外の成分はほぼ見当たらない。水素と酸素だけで出来てる。触手がそう言ってやがる」

「まずいの?」

「……いや、減速材がなんだろうと、燃料棒を頂けれりゃそれでいいんだ。核分裂で出た中性子の運動エネルギーは私の吸収皮膜で奪う。核分裂は制御できる」

 

 アリアナは首を振り、気を取り直して触腕をさらに奥へ進ませる。

 分厚い天井の向こうに意識を集中していた。

 

 イヴは周りを改めて見張る。

 かすかに見える星。夜空。様々な機械の稼働する音が遠くから届く。

 

 剣呑な気配はない。

 

 原動機のように熱と力を増していくアリアナ以外は。

 

 

「……」

 

 イヴはふと、どうして自分はここにいるのかと思ってしまった。

 

 それほど、なんのトラブルもなかった。

 前日に抱いてた様々な不安を嘲るような、穏やかな夜だった。

 

 イヴは、ただ眺めていればいいだけ。

 まるでキングスポートの頃のように。

 

 ……イヴの虚無がうずく。

 

 

「あった、見付けたぜ! 燃料集合体だ!」

 

 

 そんなイヴの鬱屈を蹴散らすような歓喜の声。

 

 

 イヴの体に、アリアナの感情の波動が伝わった。

 アリアナから灯る光が輝きを増す。

 

 その光と熱が、イヴの凍え始めた心を温める。

 

「やった。じゃあ、あとは食べるだけ……どうしたの?」

 

 イヴはしかし、アリアナの纏う歓喜の感情が、瞬く間に褪せていくのを見た。

 

「見付けたんだが……燃料集合体の数が……数が……」

 

 

 アリアナは何本もの触腕を細かく広く操作し、オンタリオ原子力発電所1号機の炉心を調べた。

 

 そして、

 

 

「……4500体以上、だと?」

 

 

 アリアナが唸る。強い戸惑いの声。

 

「多いの?」

「100万キロワット級の原子炉だって1000体を越えることはねえよ。つうか燃料棒は燃料集合体ひとつあたり28本? 12万6000本? なんでそんだけ揃えて出力が50万キロワット程度なんだよ舐めてんのか?」

 

 ぶつぶつと零すアリアナ。

 イヴはアリアナの呟きの意味が分からないが、先ほどまでの平穏さはもう消えているのだと理解した。

 

 

 予定が狂い始めている。

 

 

「……こいつ知ってるぞ、先生のとこで食った……そうだ、奥様が消してくれっつってたやつ……これは……こいつは」

 

 そしてついに、アリアナは原子炉に納められているものの正体を知った。

 

 

 

「――――こいつは濃縮ウランじゃねえッ、ただの天然ウランだ!」

 

 

 

 拳を床に叩き付け、アリアナは吼える。

 

 イヴはその声の荒々しさに肩を震わせ、

 

「普通のウランで発電できるの? ロビンの話と違くない?」

「濃縮処理してねえだけで放射性同位体は含まれてる。それが熱源だ。発電が続いてるってことは核分裂を維持できてるってことだからな」

「どうやって?」

「さっきの変な水の減速材が何かしてやがるんだ。カナダの連中め、アメリカと違うもん作ってんじゃねえよクソが!」

 

 憎々しく罵り、アリアナはイヴへ振り向く。

 

「燃料の質量が多すぎる。思ってたより時間がかかっちまう」

「どうするの? いったん帰る?」

 

 アリアナは原子炉内部の物質を一切吸収していなかった。

 よって原子炉の運転は正常。計器にも異常はない。

 来たときのような大跳躍で敷地外に出れば、誰も彼女らに気付かない。

 

 しかし、

 

「……目の前に150万キロワットのエネルギーがある。想定外なのは、時間だけだ」

 

 アリアナは仮面を上へずらす。

 素顔を晒し、イヴを異色の双眸で見詰めた。

 

「イヴ、頼みがある」

「なあに?」

 

 イヴはアリアナの瞳と目を合わせる。

 鼓動が強まる。

 痺れ、それでいて力が出る。

 

 不思議な瞳。

 

「今から燃料棒の燃料ペレットを食べる」

「うん」

「原子炉に異常が出て原発の連中が調べ出すが、私の触腕はカメラに写んねえからすぐには原因が分からねえ。私に気付くまでの間に燃料をかっくらってトンズラするはずだった」

「うん」

「時間稼ぎをして欲しい」

「分かった」

 

 イヴは即応。

 アリアナが眉根を寄せる。

 

「……いいのか?」

「相棒なんでしょ?」

 

 イヴは微笑む。

 アリアナの困ったような顔を初めて見た。それも、自分が原因で。

 

 イヴは仮面を外す。

 アリアナへ素顔を近付け、

 

「でも、報酬を上乗せして欲しいの。それも前払いで」

「何を」

「キスして」

 

 囁く。

 

 

「ジェリカン1000個分のキスをして」

 

 

 アリアナはイヴの頭を掴む。両手で。

 

 イヴの唇へ口付ける。噛み切らんばかりに。

 

 イヴは目を閉じた。アリアナから流れ込むものを純粋に感じ取りたかった。

 

 

 ―――アリアナはイヴの期待通り、抱え込んだエネルギーを暴虐なまでの凄まじさで送り込む。大量の熱量。頭も体も痛み、熱する。それを肉体の同居者が受け止めた。

 

 

 

 あの夜のファーストキスのように。

 

 

「……あの非常階段を、上がらせなければいいんだよね?」

 

 アリアナから唇を離されたイヴは、息を切らしながら屋上の隅を指さす。

 

「ああ、来る奴をぶっ殺しに行く必要はねえし、ヤバそうならこっちに逃げていい。死なせるには惜しい顔と体だからな」

「ありがとう」

 

 イヴは笑う。

 

 

 そしてアリアナの頬に口づけした。

 

 

 不意を打たれ、アリアナはきょとんと目を丸くする。イヴはくすりと微笑む。

 

 花火と花吹雪をあしらった仮面を被り直し、アリアナから離れる。

 

「じゃ、行ってくるね」

 

 イヴは歩き出す。

 アリアナに背を向けて。

 

 残されたアリアナがイヴの背中を見詰め、仮面を被る。

 アリアナ、さらに強く発光。力のボルテージを上げる。

 

「……キギ、お願い」

 

 イヴは屋上の端の非常階段に辿り着く。

 

 種々の照明が発電所を照らしていた。その明かりの中に入らないよう、階下を見下ろす。

 

 イヴの袖口から、つる草が伸びた。

 淡く光を帯びた、力強い太さと動き。

 

 同居人のキギ。

 

「キギの行きたいところに、私も行くから」

 

 つる草の先端が生長。

 茎が枝分かれし、刀剣状の突起を生やす。

 

 

「力を貸して」

 

 

 イヴは歩き出す。

 

 黒剣が伴う。

 

 

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