銀の蛇と白い猫のお話 作:アマゾンの奥地
感じたのは喜びだった。
しばらく見ていなかったギンの顔は、私の理性をかき消すのには充分すぎるほどだった。
彼に出会えたという事実が私のすべてを支配し、それ以外のことは些事に思えた。部長からの命令も、オカルト研究部の仲間たちのことも、果てはギン自らの頼みですら、私の中から消えていた。
全身の血が沸騰するような快感だ。
彼との、一方的ではあるが確かな接触は私に多大な興奮と快感をよぶ。
彼の胸元に飛び込みたい。
そんな感情が私の頭を支配する。
彼はきっと私を暖かく迎え入れて思い切り甘やかしてくれるだろう。
あぁしかし。
私の中に僅かに残った理性が、ソレを否定する。
ソレをしてはいけない。彼はソレを望んでいない。今は耐えなければ。
すんでのところで何とかとどまった私は無理やりギンを視界から外すと、なんとか部長へ報告に行った。
「.....部長.....来ました.....」
私の一言でオカルト研究部のみんなの表情が硬くなった。
そうだ、それでいい。
私以外にギンの魅力を知るものは必要ない。
それに.....この人たちはきっと耐えられないだろうから。
仮とはいえ私の仲間だった人たちだ。
私とは違って普通の生活をして、普通の恋愛をしていける。
これまでのことを洗い流して、希望という光に向かって進んでいける、この人たちはそんな人種だ。
辛いとわかっていて、無理をしてまでその先を歩く必要はない。
この人たちは選べるのだから。
一人の仲間として、この人たちに幸せな生き方をしてほしいと思う。
いくら私でも、それぐらいのことを願うことはできる。
まあギンにさえ関わらなければ、の話だけど。
と、こんなことを考えているうちにオカルト研究部の面々は廃屋の中に入っていった。
私も追わなければならないと思うと、些か気分が落ち込んでしまう。
だってそうでしょう。
好きな人が目の前にいるのに、一声掛けることすらせずに隠れて見ていろなんて言うんだから。
本当に、ままならない。
*
赤龍帝が怯えていた。
ギンの好奇に当てられて、恐怖していた。
仕方のないことです。
赤龍帝はつい先日までは人間だったし、それにギンは赤い竜とすこしばかり遊んだことがあったようですから。
それにしても、兵藤先輩の感じている恐怖は彼自身のものなのか赤龍帝ゆえのものなのか、はたまた両方なのかもしれませんが。
まあ兵藤先輩にはかわいそうではありますが、運が悪かったと諦めてもらうことにしましょう。
.....ギンがまた、あの笑顔を向けてる。
彼がまた、私以外に笑顔を見せている。
私が一度も得られたことのないその顔を、私以外の誰かが知っている。
ギンのことを知っているのは私だけ。
ギンのことを理解しているのは私だけ。
ギンに触れるのも、ギンに触れられるのも、私だけで充分だ。
ギンの冷たさを感じるのも、私だけのものだ。
私のものに触れるものに生きる価値はない。
嫉妬はそのまま怒りに転じた。
彼を汚す
あぁ。
この世に彼を汚すものは必要ない。
消えて、消えて消えて消えて消えて消えて消えて消えて消えて消えて消えて消えて消えて。
カケラも残らなくなるまで。
その存在を抹消する。
二度と私のギンに近づくことのないように。
だってあなたが悪いんですよ。
私のギンの視界に入ったりするから。
彼をすこしでも愉しませることができたから。
その感情は、すべて私に向けられなければいけないのに。
人のモノを取ったらどうなっているのかぐらい、解っているでしょう。
お仕置きです。
死んで、死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで。
それで許すかどうかは私の気分次第ですけど。
「シロ、やめなさい」
肩に手が置かれた。
ギンの、大きな手だ。
「彼女はもう死んでいるし、俺の興味はもう彼女にはない。そんなことより、久しぶりに会った君と話がしたいんだ。シロもそう思ってくれるだろう?」
「.....はい///」
ギンが私と話がしたいと言ってくれた。
それだけでさっきまでの不快感は消え、彼への愛だけが残った。
「ほら、おいで」
気が付いた時には、私は彼の胸に飛び込んでいた。
「ふにゃぁ~」
「シロは可愛い娘だね」
「にゃぁ///」
ギンに頭を撫でられて、どうしても顔がにやけてしまう。
甘く甘くて、脳がとろけてしまいそう。
好きな人と触れ合える。
今日はなんて素晴らしい日だろう。
いろいろとありはしたが、そのおかげで私はこうしてギンの腕の中に納まれていると考えると。
まあ、悪くなかったと思えてしまう。
「にゃぁ.....にゃぁ~♡」
身体をこすりつけて私の匂いをつける。
この人は私のものなんだと、主張するように。
他の臭いは私の匂いで上書きする。
私は彼だけのもの、彼は私だけのもの。
「シロ、君は今いるオカルト研究部は好きか?」
「嫌いではないです」
質問の意味が分からない。
オカルト研究部?
そんなものの話をなぜするのだろうか。
「もしもだ。もしもシロが今の生活がいいと言うのなら、君は.....」
「そんなことは決してないです!私の居場所は貴方の隣、それ以外のことに興味はありません!!」
「そうか.....嬉しいよ」
ギンは、そう言ってもう一度私の頭を撫でた。
それにしても、私があんな場所に愛着が沸いたと思われているのであれば、少し悲しい。
私が在るべきはギンの隣であり、それ以外のことは些事であると。
そう知っているはずなのにそんなことを聞いてくるところが、少し悲しい。
きっと彼は私に普通の幸せを望んでほしいのだろう。
私にリアス・グレモリーの監視を頼んだときも、おそらく私を他の人たちと触れ合わせたかったからだと思います。
普通に友達をつくって普通に学校に通って。
きっと、ギンはそんな生活を私に望んでほしかったんだ。
でも。
そうはならなかった。
私は既にギンがなくては生きていけないのだから。
「シロがそう言うならそうなんだろう。あと少しだ。あと少したてば君はリアス・グレモリーの眷属をやめられるようになる」
「!本当ですか!?」
「勿論だ。だからもう少し頑張ってほしい。サーゼクスとの契約もあと僅かだ」
「.....わかりました。ギンがそう言うなら、私はどれだけでも待ちます」
「ありがとう。.....行きなさい。リアス嬢が待っているよ」
「それではまた」
名残惜しくはある。
でも、ギンがあと少しと言っていたから。
私はそれだけで頑張ることができる。
彼との生活がもうすぐそこまで迫っている。
その事実があれば、私はどんな相手でも戦える、そんな気がするのだ。
「.....すみません部長。今戻りました」
ひとまずは、私を心配しているであろう部長のお説教を聞くところから始めましょうか。
*
「兄上お願いします!!私は何があっても彼女を、アーシア・アルジェントを救けねばならないのです!!」
「ディオドラ。お前はアスタロトを継ぐ者だ。いつまでも一人の人間に執着するな」
「しかしッ!!」
「二言はない。お前は優秀な悪魔だ。これ以上言わずとも、自分のすべきことは解っているはずだ」
「ですが兄上!!」
「.....諦めろ。お前はこれから悪魔の世界を背負っていく者の一人なんだ。自分の意思を曲げてでも、優先させなければいけない事もある」
「.....わかりました兄上」
「ハァ。やっとわかってくれたか。それなら」
「私は一人でも、アーシアを探します」
「.....なんだと」
「兄上、私は救われたのです。悪魔であるこの身を、アーシア・アルジェントに救われた」
「だからそういう問題ではないと.....ッ!?」
「どれだけの勇気があったのでしょう。聖女である彼女が、悪魔である私を癒すというのは。彼女自身に利することは何一つないあの状況で私の傷を癒すということは、彼女にとってどれだけの意志が必要だったでしょうかッ!!」
俺は今、こいつの魔力に気圧されている、のか?
いつまでも弟に変わりないのだと、そう思い続けていたあのディオドラの魔力に!?
「.....私は行きます。いいえ行かなければならない。行って、そして彼女に貰った命を返さなければ」
吹き荒れる魔力が物語っていた。
自分は止まらぬのだと。何があっても人間を助けに行くのだと。
そう、言っていた。
「彼女に救われた命を、彼女に返さなければ。そうでないと、私は前に進めないッ!!悪魔の未来もッ!!兄上たちの願いもッ!!胸を張って進むことは出来ない!!」
あぁ。
俺は見くびっていたんだ。
いつまでも俺の後ろを付いてくる小さな弟でしかないと。
ディオドラの成長を、俺は見くびっていたんだ。
「私は納得することでしか前へ進めない。彼女に恩を返して初めて、私は自分自身に納得して前に進めるのですッ!!納得は、全てに優先するのだッ!!」
弟への認識を改めなければな。
ディオドラは。俺の弟は、俺が胸を張って誇れる立派なやつだと。
「.....たしか、人間界の情報はセラフォルーが持っていたはずだ。俺の名前を出せば、いくらかは教えてくれるだろう」
「兄上!?」
弟があそこまで言ってのけたのだ。
それを聞いて応援しないなんて者は、兄ではない。
「行って来い。なに心配するな、知恵を絞るのは俺の仕事だ。どうにか良い言い訳を考えておくさ」
「ッありがとう、ございます!」
飛び込んでくるのも突然なら、飛び出していくのも突然か。
.....大丈夫、お前ならできるさ。
なんせお前はこの俺の、魔王アジュカ・ベルゼブブの弟なのだから。
*
「それで、俺にその聖女を探せと」
今日は溜まっていた鬱憤もある程度発散できたし、シロにも会えたしで良い一日になるはずだった。
だったんだが。
「お願いだよぉ~。だってあのアジュカだよ!いつも冷静沈着な彼に頭まで下げられたんだよ!?こっちも何とかしてあげたくなるじゃん」
「.....あのアジュカが?」
「そう!そうなんだよ!!なんでも弟のためにどうしても力になってやりたいとか言ってきたから、最初は風邪でも引いてるのかと思ったよ☆」
確かにセラが病気を疑うのも無理はない。
俺たちの知っているアジュカ・ベルゼブブという奴は普段ならそう感情で動いたりしないのだから。
「でもね、本気だったよ。本気で弟くんのために頑張ろうとしてた。だから.....」
「良いだろう。その聖女とやらを探してやる」
あのアジュカがそこまでするんだ。
少しぐらい力になってやろうと思うセラの気持ちもわかる。
「えっ!?本当にやってくれるの!ありがとう☆」
「まあフェニックスの件までの暇つぶしだ。それに、アジュカには俺も世話になったからな」
人のことを想えるのは良いことだ。
そして、そのために一生懸命になれることも。
俺には.....俺たちにはそんな綺麗なことはできないから。
それを応援してやりたいと思う。
「情報が入り次第連絡する」
「あっ!ちょっと待って。連絡するなら私じゃなくて本人にしてあげて」
「本人?アジュカにということか?」
「ううん。アジュカの弟くんに」
なるほど。
確かにセラの話が本当なら、直接伝えるぐらいできなければ危ういだろう。
「分かったよ。伝えておく」
「ありがとう☆さすがは私の女王ね☆」
「じゃあな」
「それじゃ、またね~☆」
意志を持った者は強い。
また、それを貫いた者はより強い。
俺はそうはなれないが、そうである者に敬意を表する。
さあ勇者よ、姫を救い出すことができるかな。
*
最近の俺はどこかおかしい。
自分でもよくわからないんだが、どうにも調子が悪いというか。
なんでもないはずなのに震えるんだ。
一人で歩いているとき、物音がしたとき。
他にも色々とあるんだけど、俺はなにかにビビってるんだ。
『死んでくれないかな』
夜道を歩くと思い出す。
俺が死んだあのときのことを。
あのときの.....夕麻ちゃんのことを。
彼女の俺を見る目は、まるで虫かなにかを見ているような、そんな目だった。
.....ッ!
俺、一体どうしちまったんだよ。
こんな、悪い方にばっかり考えて、落ち込んで。
部長が求めてる『俺』は、こんな俺じゃないだろう!
もっと強くて、甲斐性があって、なんでもできる.....。
俺は生かされたんだ。
俺は、俺は.....。
「あっれれぇ~?なんでこんなトコに悪魔なんかがいやがるんですかねぇ」
「お、お前.....誰だよ」
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
きっとこいつも俺を殺しに来たんだ。
俺を殺しに。
「なぁんで名乗る必要があるんでしょうねぇ。だって.....」
白髪の男だった。
似ても似つかないはずなのに、この前に見た魔王さまの女王が頭にチラつく。
男は俺のすぐ横までやってきて耳打ちするように言った。
「これから死ぬやつに何言っても無駄ってぇモンですよぉ」
「ヒッ!?」
に、逃げなきゃ。
逃げなきゃ死んじまう!
俺は男に背を向けて無様にも走り出した。
「鬼ごっこですかぁ~?いいじゃあないの俺もだぁい好きでございますよ!」
クソッ。
なんで振り切れないんだよ。
いくら弱いっつっても悪魔の身体能力だぞ!
なんで、どうして俺なんだよ。
俺がなんかしたってのかよ。
どうして俺が命なんて狙われなくちゃいけないんだよ。
おかしいだろ!
どうして、どうして俺が.....。
「なぁんにも見えてないんですね悪魔ちゃん。目の前でございますよ!」
ヒュッ。
右腕すれすれを光の刃が通る。
腰が抜けちまった。
おかげで今の一撃は避けられたが、もう次はない。
こんな.....こんなカッコ悪い終わり方で。
「アンタ、つまんないね。なんかさぁ最初っから生きるのを諦めてるっていうの?マジメにやってない奴の相手って一番つまんないんだよ」
グサッ。
足に激痛が走る。
切られたんだ。さっきの剣で。
「グッ.....がぁぁぁぁぁぁ!!??!?」
痛い。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
痛い。
もう動けない。
無理だ。
やっぱり俺なんかが悪魔になったってなにも変われやしない。
「ホントさぁ.....這いずってでも逃げる気概くらい見せたらどうなん?さすがの俺ちゃんも心苦しくなっちまいますってもんですよ」
怖い。
痛い。
もう嫌なんだ。
こんなのになんの意味があるってんだ。
なんでこんな.....。
「まあ?これもお仕事ですから?お前を殺さないっていう選択肢は最初からないんでございますけどね?」
「兵藤くん!助けに来たよ!」
いきなり魔法陣が展開され、木場が男に向かって飛び出していった。
それに続くようにオカ研の面々が現れる。
そこからのことはあまり覚えていない。
気づいたときにはあの男はいなくなっていて、俺はいつの間にかオカルト研究部の部室にいた。
ただ、怖かった。
死ぬのが怖かったんだ。
「イッセー」
部長に名前を呼ばれた。
あぁ。なんだろう。
解雇でもされるんだろうか。
そうだよな。
こんな、なんにもできない奴のことなんか、持ってても無駄だもんな。
「後で話があるわ。残って待っていなさい」
「.....はい」
俺の中にあるのは助かった安堵感でも、助けてくれた仲間への感謝でもない。
俺の心にあるのは『恐怖』だけだった。