T/A01:思い出した過去の自分は超絶カッコよかったのでした。
私は生まれてから何とも言えない違和感を覚えていた。今の体がまるで自分自身の体ではないような感覚が常に付き纏っていた。
どうしようもない不安は、私を泣き虫にさせた。言葉も喋る事の出来ない赤子の頃から私は他の赤子よりもよく泣き、母や父の胸の中にしがみついた。
他の子より少しばかし遅く言葉を覚え、拙いながらも感情を他人へ伝えられるようになると私は盛んに両親へ尋ねるようになった。
「ねえ、私は私なの?」
私がこの質問をする時の表情は、とても見ていられなかったと母は言う。思い返してみれば、私がこの質問を尋ねた時、決まって両親は断言してくれた。
「大丈夫。あなたはフィエーナ。私の愛しい娘よ」
「心配するな。フィエーナは俺の大切な子供さ」
何度も何度も私が同じ質問を繰り返しても、両親は決して面倒くさがらず真正面から私の感情を受け止めてくれた。包み込むような愛情を前に、私は言いようもない不安から逃れることが出来たのだった。
それでも時折無性に不安になって、ただただ涙が止まらなくなることがあった。だから私は頻繁にしくしくと泣き出す泣き虫で、通っていた幼稚園ではよくからかわれ、よく守られる弱虫な女の子だった。
そんな私がようやく自分自身を襲う謎の違和感に答えを見出したのは、ついこの間のことだ。
その日、赤子の頃には摩訶不思議な言語を話していたと母は笑いながら言い、録画した映像を見せてくれたことがあった。その時私の口から流れ出る言語は確かに、この国の言葉には似ても似つかなかった。だが、私にはそれの意味がおぼろげに理解出来てしまった。
以来、私の中には私ではないもう一人の自分が巣食っている。この現代社会とは似ても似つかないファンタジックな世界の記憶だ。
そこで私は人の背丈に迫る巨大な大剣を操り、奇怪な化け物と戦いを繰り広げていた。ヴェイルという名の青年で、オストブルクという都市で高名な探索者として活躍しているのだ。
ヴェイルとしての記憶は、一度思い出してから加速度的に増殖していった。
幼少から探索者という存在に憧れを抱き、抱いた理想を元にした馬鹿げた努力だけでその資格を手に入れた若き思い出。食い扶持の少ない農民だったにも関わらず両親は俺を責め立てることなく、応援してくれた。
探索者になったばかりなのに、思い上がり死に瀕した黒歴史。そして死の間際を救ってくれたばかりか修業を付けてくれるようになった師匠との修業の日々。
独り立ちした頃に出会ったハリアやヨーキといった仲間たちとの日常。
復活した魔王との戦い。味方としてついた魔導者カディア。ああ……そうだ、俺はカディアとともに最後の魔王と共倒れになったのだ。
頭の中に大量の記憶が増えた反動なのか、その後しばらく私は寝込んだ。体だけは健康優良児だった私が突然熱を出し倒れたので、いつもより周囲から優しくされる気がする。珍しく病院にまで連れ出されたが、大した事はないそうだ。私としてもちょっとだるいだけで辛かったり、苦しかったりはしない。
明るい時間なのにベッドでゆっくり出来るなんて不思議な気分だ。吹き付ける風が窓を叩き、遠くから迫る車が再び遠ざかっていき、少し空いた扉の向こうでは階下で家事をする母の生活音が耳に届く。何だかいつもより音に意識がいく。それは新しく頭の中にある“過去”の日常の音とは性質が異なるからだろうか。特に記憶にある自分自身の終わりは苦しく心が重たくなってしまうようなものばっかりだ。
私は頭の中でゆっくりとスイッチを切り替えていく。実際にスイッチがある訳じゃないけれど、そんな感覚で私はヴェイルの記憶に繋がることが出来た。
ヴェイルとしての記憶を見ていると、涙が目に溜まってくる。私が今まで見聞きしたどんなお話よりもリアルで、もの悲しい最後だった。魔王は倒してもヴェイルはハッピーエンドで幸せにはなれない。仲間を生かして“私”は死んだ。
いきなり増えた記憶に思いを馳せ、天井をただ見つめながらボケっとしていると、玄関が開いて五歳上のベーセル兄のただいまの声が響いてきた。
もうベーセル兄が学校から戻って来る時間になっていたのか。枕に沈んだ顔を動かし壁に掛けられた時計を覗くと、とっくに四時を指し示していた。
「調子はどう? フィエーナ」
「ベーセル兄、おかえりなさい」
私と瓜二つの白銀の頭頂部がひょっこり扉の間から現れる。いつも私と遊んでくれるベーセル兄は、私が倒れ込んでからというものいつも以上に気遣ってくれる。ベーセル兄の顔を見たら、先程までのもの悲しい思いは消し飛んで喜びが湧き上がって来て笑顔になってしまう。
「ただいま。その分だと、元気になったみたいだね」
「うん」
ほっとしたように笑みを見せたベーセル兄は、ベッドに腰掛けて未だ横になっている私の頭をそっと撫でた。いつもより丁寧で優しいような気がする。
「僕が学校に行ってからずっと寝ていたの?」
「ううん、お昼に一回起きたよ。お母さんがここまでご飯持ってきてくれた」
「そっか。まだ眠いの?」
「うーん……」
ちょっと考えたけれど、もうこれ以上横になるのはいいや。逆に体がむずむずしてきてしまいそうだ。
「起きる。お腹空いた」
母は病気の身と考えてお昼を少な目にしたので、今日はちゃんと食べていないのだ。起きて頭が覚醒してくると、お腹が自己主張をし出した。小さくお腹の音が鳴ると、ベーセル兄は軽く笑いながらこっちへ手を伸ばす。
「おやつ食べてないもんね。一緒に食べよう?」
「うん!」
ベッドから手を差し出した私の手を取り、ベーセル兄は引っ張って持ち上げてくれる。手を繋いだまま一階に降りると、今まさに母がフライパンでパンケーキを作っているところだった。
「あら、フィエーナも起きたみたいね。起きて平気なの?」
「うん、もう平気」
「そう、パンケーキは食べる?」
空腹の私に、パンケーキの焼きあがる香ばしい匂いが漂ってくる。ケーキに入っているスライスしたリンゴも加熱されて甘酸っぱい匂いを届けて来る。こんなの、我慢出来る訳がない。
「食べる!」
「ふふっ、すっかり元気になったみたいね。ベーセルと一緒に食器の準備頼めるかしら」
「任せて!」
「じゃあフィエーナはテーブルを拭いてて。僕がお皿を取って来る」
背の低い私に変わってベーセル兄が食器棚から平皿を持ってくる間に私は濡らした布巾を持ってきて、テーブルがけをする。こまめに掃除をする母のおかげで布巾に汚れが付くようなことはなかった。
「フィエーナありがとね」
ベーセル兄はいいことをするといつも褒めてくれる。今もまた私の頭を撫でてくれた。
「ねえ、全然汚れなかったよ」
「そうだね、お母さんがいつも掃除してくれるおかげだね」
ベーセル兄がフォークとナイフを並べている間に、母はお皿に乗っけたパンケーキを一枚運んでくる。
「焼きあがったわよー」
「あ、残りは僕が運ぶね」
「ありがとう、ベーセルは優しいわね」
待ってました! 母お手製のリンゴのパンケーキが三枚テーブルに並んだ。ハチミツもたっぷりかかっている。フォークやナイフなんて使わずにかぶりついてしまいたい。でもそんな真似をしたら、はしたないとパンケーキを取り上げられてしまうだろう。
「今お茶を淹れるから、先に食べてていいわよ」
私は大人の理性で以て、椅子に座りパンケーキをナイフで切り分け口に運んだ。美味しい! 夢中になってパンケーキを運んでいるとあっという間にパンケーキは皿の上から消滅してしまった。
「ああもう、フィエーナは早食いだなあ。口がハチミツでべとべとだよ」
仕方がないなあと苦笑いしながらベーセル兄は私の口元を拭いてくれる。私はお礼を言う余裕もなく、未だベーセル兄の正面に残存しているパンケーキへ視線が釘付けになっていた。
「お母さんは夕食前だって言うから、一口だけね」
わざと大きめに切り取られたパンケーキはちょうど私の口を一杯にする大きさになっていた。母が背を向けお茶を淹れる僅かな間に、ベーセル兄のパンケーキは私の口内へと移される。頬を膨らませながら、私は最後の一口を一生懸命に咀嚼する。
「あら? フィエーナのほっぺが随分おっきくなってるわねー?」
ニコニコと母は私の頬をつついてくる。その目は私の頬とベーセル兄の残り少ないパンケーキを往ったり来たりしていた。
「あんまり慌てて喉つまらせちゃ駄目よ?」
母は私の頭を撫でた後、席についてお茶に口を付けた。
母が夕食の準備を始め、ベーセル兄が勉強で自室に行ってしまうと私はリビングで一人になってしまった。
時計は八時を指そうとしている中、窓からは仄暗く青い空が見える。目の前で喧しく騒音を立てるテレビは目に入らず、私の目はゆっくりと暗くなっていく空に向いていた。
一人になり、唯一変わらない色をしている空を見ていると過去の記憶が湧き上がって来る。数日前の私と今の私は決定的に変わってしまった。
かつての私であるヴェイルはたくさんのやり残したことがあった。たった二十三年しか生きることが出来なかったのだ。碌に親へ恩を返すこともなく、師匠に報いる時間もなく、共に戦った仲間に疲れを労ってやる酒の一杯も奢れず世を去ってしまった。
幸いこの世界は概ね平和で、命が脅かされる危機が目の前にあったりしない。目の前にあるテレビみたいに、かつての世界では見たこともないような機械に溢れる豊かな社会。
かつて憧れに胸膨らませた、魔獣の脅威に神経を澄ましながらダンジョンを潜るような目標は見つけられていない。けれど、過去の私が今の私を見て恥じ入ることがないように生きていきたいと強く私は思った。今まで築き上げてきたヴェイルの偉業に今を生きている私が傷を付けてはいけないと、強く思ったのだ。
テレビを消した私は決意を胸にキッチンへ駆ける。意気揚々と母の背目掛け突撃する。抱き付いた母の背中からは、料理の匂いと心落ち着く甘い匂いが僅かに漂ってきた。さあ、今こそ私の覚悟を見せる時だ。
「お母さん!」
「あらあら、急にどうしたの? もうすぐ出来るから待っててね」
「何か手伝う!」
「ありがとうフィエーナ。それじゃ……焦げないようこのお鍋かき混ぜててくれる?」
「分かった!」
世界を救った英雄の魂を継いだ私は、意気揚々とお鍋をかき混ぜる。空腹を強調する芳香が鼻腔を刺激し、私の口内に唾が溜まっていく。初戦からしてここまでの強敵に相まみえた私は、まさしくヴェイルの後継者だった。