俺と共に裸になった遥は意気揚々と浴場内へ俺を引き入れる。気のせいかもしれないが、遥が俺を舐めまわすように見てくる……ような気がする。
「フィエーナっておっぱい大きいよね」
羨むような視線を向ける遥には確かに胸はない。だがなあ、フィエーナを対象に考えちゃ駄目だろう。
「遥はまだ成長期に入ってないだけだよ」
「だ、だよね……お母さんも小さかったけど」
ボソッと悲し気に呟く遥に俺は返答してやれなかった。きっと、遺伝だけで決まるものじゃない……と思うぜ。
「じゃあ最初はお体洗いましょうねー」
気を取り直したのか、浮ついているのが見て取れるほどニコニコと顔を蕩けさせている遥は、歌うような調子で俺を木の椅子へ座らせる。
「本当に日本だとお互いに体を洗うの?」
「仲良しなら普通!」
普通……普通のことなのか。
「んん……フィエーナの髪綺麗だよねー!」
揉みしだくように髪を撫でつけながら髪を洗うのは普通なのか。
「あぁ……フィエーナの背中!」
感極まった声を上げながら背を洗うのも普通なのか? 遥は舞い上がり過ぎて調子が狂っているんじゃないか?
「ねえ! 前の方も洗ってあげようか!?」
「いいよ、後は自分でやるから。それより、次は私の番でしょ?」
遥を座らせ、俺はゆっくりと髪を洗ってやる。フィエーナが普段からやるように、あまり力を込め過ぎないよう丁寧に。
「んっ……フィエーナ、頭洗うの上手だね……」
肩に触れそうな長さの黒髪は艶やかで引っかかるようなことはなく、頭皮まで指先が簡単に届くので洗うのに苦労しない。気持ちよさそうに小さく声を紡ぐ遥を見ていると、指先に溜まっていく疲労も飛んでいくような気がした。
「ねえ、遥。今日の遥随分とはしゃいでいるね。友達とお風呂にはいるのがそんなに嬉しかった?」
「あ……ちょっとテンションおかしかった?」
俺の口調に少し咎めるような調子を感じたのかもしれない。遥の返答は何処かおどおどとしているように思えた。
「いつもと比べるとね」
「嫌だった?」
「そうじゃないよ。でも、一回落ち着こうか。息も荒くなってるし、深呼吸しよう」
遥はまだぬるま湯で髪を洗った程度なのに、耳も頬も赤く染まっていた。普段から白い肌をしているだけに、余計目立つ。遥はもしかすると、暑さに弱い性質なのか?
「どう? 落ち着いた?」
「うん……どうかな。まだ心臓がバクバク言ってる」
「もしかしたらお湯にあてられたのかな。一回お風呂を出て、涼んできた方がいいよ」
「そうかも。ちょっと出て来るね」
湯気満ちる浴場内が遥の調子を狂わせてしまったのだろう。一回頭を冷やせばいつもの遥に戻るんじゃないだろうか。
浴場から遥が出て行った間に俺は全身を洗い終え、浴槽に足先を差し入れる。
「んー、ちょっと熱いかも」
かといってこの湯の量じゃ冷めるのを待っている間に俺の体が冷めてしまう。一回、浸かってみるか。するすると体を浴槽の中へ沈めていき、ついには肩までお湯の中へ沈めてしまう。
あー、でもこの熱さがいい感じかもしれない。シャワーを浴びるのとはまるで違う、全身がほっこり熱に包み込まれるような感覚が心地よい。それに、浴槽の材料になっている木の香りが清涼感をもたらしてくれる。
「あー……これははまるかも」
思考が蕩けてただ、気持ちがいい。しばらく何も考えずお湯をのんびり眺めていると、浴場の扉が開き、遥が戻って来る。
「フィエーナ、お風呂気に入った?」
「うん、これ好き」
やばいなあ、ヴェルデ市でお風呂に入れる場所なんてここぐらいなのに。お風呂目当てで毎日通いたくなってしまいそうだ。
「遥は大丈夫なの? 気分はどう?」
戻ってきた遥はスポンジを泡立てて体を洗おうとしていた。さっきは髪しか洗ってないもんな。
「ん、大丈夫。原因も分かってるし」
「原因って?」
「フィエーナ」
「え?」
てっきり、暑さに弱いと答えるかと思っていた俺は間抜けな声を上げてしまう。
「私、いつもはお風呂に何十分も入ってても平気なんだよ? でも、フィエーナと一緒だと何だか頭が暑くておかしくなっちゃったんだ」
なるほど、実は遥も他人と一緒にお風呂にはいるのが恥ずかしかったんだな。日本人なら普通と思い込んで実践してみたけど、無理だったって訳だ。俺はそう指摘してみるが、遥は首を横に振った。
「違うよ。お友達と一緒に入ったことなんて何回もあるし、家族で温泉に行ったことだってあるもん」
今まで背を向けていた遥が振り返って俺と目を合わせる。答えの分からない何かを欲する切ない表情に、俺は思わず緩やかに弛緩していた思考を正される。
「フィエーナといると別なの! どうしてか分からないけど、何か……ごめんね」
悲し気な笑みを最期に遥は再び背中を向けて、スポンジで全身をこすり始める。遥の小さな背中を見ていると、正解も分からないのに俺は浴槽から上がって遥へ向かっていった。
「フィエーナ?」
「背中洗ってもらったからね。私もやってあげる」
「ありがとう!」
遥の背中は十二歳相応に小さかった。この年で親元を離れ、一人なのは心寂しいに違いない。普通の少女に比べ、遥は重荷を背負わされてしまっている。もし俺を特別に思ってくれているなら、遥の重荷を代わりに背負い、心の隙間を埋めてやりたい。遥を助けてやりたい。
体を洗い終えた後、俺の隣で一緒にニコニコと浴槽に浸かる遥を見て俺はフィエーナと同じような愛おしさを覚えた。
俺の肩に頭を乗せこっちをずっと見つめて来る遥は甘えん坊の子供にしか思えなくて、結婚もしていない二十三歳の若造だったくせに、フィエーナに続く二人目の子供を見守る気分を抱いてしまっていた。
遥が浴槽に浸かってから十分ほどだろうか。俺はそれより長く浸かっていたからか、何だか熱に浮かされたような気分になりつつあった。いけね、これじゃ俺の方が調子を崩しちまう。
「これ以上は限界かな。私はそろそろ上がるね」
「じゃあ、私も出る。多分鳳二さんが今か今かと待ってるよ。あの人お風呂大好きだから」
今日はフィエーナがお客さんだから特別なんだよと遥は教えてくれる。
「でも鳳二さん長風呂はしないの。お風呂は好きなんだけど浸かるのは数分だけなんだよ」
体を拭き、いざ下着を付けようといった段階で俺の手は止まった。あー、これ着けなきゃいけないのか。フィエーナの記憶を見る限り、こいつは就寝用の地味な代物だ。それでもな……だが、隣で俺が下着を見て動きを止めているのを不思議そうに見ている遥がいる。
「何で恥ずかしがってるの?」
「そんなこと、ないよ……あはは」
視界に入れる時間を短くしようと手早く下着を身に着けた俺は、さっさとパジャマに袖を通した。
美味しく頂いた夕食の席の後、テーブルに並んだ皿を遥と一緒に台所まで運んで、食器洗浄機へ放り込んでいく。一々手で洗わなくても、この世界ではいいのだ。
様々な文明の利器に、多彩な調味料を使った新鮮な料理の数々。全くこの世界は羨ましいくらい文明が進んでいる。
「なあフィエーナちょっといいか」
「いいけど」
全ての食器を洗浄機に入れて、後は終了の音楽が鳴るのを待っていた俺を陽人が連れ出す。
道場脇の連絡路まで行くと、晩酌で賑やかな大人たちの笑い声も遠く聞こえる。外は既に暗く、弱弱しく灯る連絡路の照明にはひらひらと蛾が誘われていた。連絡路の先に建つ誰もいないがらんどうの道場は明かりもなく、何処か厳かで神聖な雰囲気を漂わせている。
少しの間俯き、口をつぐんでいた陽人は目を合わせるなり強く俺を睨み付けて来る。
「なあ、お前の強さやっぱおかしいよ。今までの俺ならお前には天賦の才があるって納得できた」
今までの疑念を晴らすような苛立ちを募らせた口調で陽人は続ける。
「今日俺は本気だった。こっちの国の連中と模擬戦していい線行ってる俺が、魔力もないお前に五分だなんて冗談もいいとこだ」
本気で理不尽を覚えているのだろう。悔し気な顔つきは切羽詰まっているようにも見えて、俺は真相を明かすべきか一瞬悩んでしまった。
「立ち回りだっておかしい。さっきのお前……まるで何度も死線を潜り抜けた奴の反応じゃねえか。死を目前にしてなお、勇気を持って踏み出せる奴がようやく立てるラインにいる、気がする」
陽人がここまで真相に迫って来るとは正直驚いた。フィエーナの記憶を見て俺は、こいつを立ち向かってきては何度もフィエーナに挑み続ける愛すべき馬鹿と考えていた。
だけどなフィエーナ、お前はこいつをちょっと軽く見過ぎている。こいつは目指す目標を前に何処までも努力できる男だ。一回りも歳が下のフィエーナに何度も負けて、それでも剣の道を一度たりとて諦めた様子を見せない陽人には、尊敬の念を持ってもいいくらいだぜ。
「絶対お前は何か隠してるだろ」
「……」
俺はあえて否定はしなかった。否定できなかった。
「そうか……じゃあさ、いつか俺が勝ったら話してくれるか?」
「負けないよ」
「言ってろ、いつか必ず勝ってみせるからな」
馬鹿みたいに探索者の道を進み続けた俺の若き頃を見ているようで、俺は思わず微笑んでしまう。
「な……何でここでそんな風に笑えるんだよ」
「気にしないで」
何故か照れて頬を掻いてみせる陽人へ俺は手を差し出した。
「あ?」
「陽人も来月から日本に行くんでしょ。私もその間頑張るから、陽人もサボっちゃ駄目だからね」
「当たり前だ!」
乱暴に差し出された手を受け取り、互いに握手を交わす。
「実はな、剣術探求ってこっちの友達には言ってるしお前にもそう言ったけど本当は退魔師修行に行くんだ」
日本は何故か特別魔之物の出現量が多く、実戦経験を積んだ歴戦の退魔師も世界一の人数を誇っていると陽人は話す。
「俺はそこで実戦を積む。本物の化け物相手に戦いを重ねていくんだ。ちんたら剣を振ってるだけのフィエーナなんて、あっという間に追い越してやるぜ」
そうはどっこい。俺だって化け物相手は幾度もこなしている。これからの未来に燃えている陽人には発破だけかけて送り出してやろう。
「それは怖いね。でもだからって私だって負ける気はしないから」
「言ってろ」
フィエーナは陽人のことをただの兄貴の友人としてしか見ていなかったようだが、俺は陽人を気に入ってしまった。頑固でいじっぱりで目標目指して愚直な素直に感情を見せる男に俺は親近感を抱いてしまった。
「何か知らねえけど、今日はお前とよく話せた気がするな」
「そう?」
陽人にとってもベーセル兄貴は友達だが、フィエーナのことは友達の妹兼追い越すべき目標としてしか見ていなかったようだ。たまに家に来たときとかに、ちょっと軽口を交わす程度の関係でしかなかった。フィエーナの記憶を漁ってみると、何だかんだこんな話す機会は初めてなのか。
「へへ、話せる機会ももうそんなないもんな。思い切って話してよかった」
「ねえ、多分そんな機会あるか分からないけどさ……ついてきて」
「何だよ」
俺は遥の部屋まで陽人を連れてきて、荷物からメモ帳を取り出しアドレスを書き記して渡す。
「今まで連絡先も交換してなかったでしょ。だから、はい」
「ははっ、そういや。そうだったな」
「困ったら相談してもいいから」
俺の発言がおかしかったのか、陽人は盛大に笑い出した。
「何で笑うのさ」
発言した直後、俺はフィエーナだということに気付く。そりゃ五歳も離れた少女が上から目線してたら笑われもするか。
「い、いやだって……ま、分かった。ありがとうよ」
俺の頭をポンと叩いた後、陽人は襖を開ける。そこでは不満げな遥がこちらを睨んでいた。
「長くなっちまって悪いな遥。俺は部屋に戻るよ」
メモ用紙を頭上に掲げ、ひらひらと振りながら陽人は遥の部屋から去っていった。
休みの最中なので遊ぼうと思えばいくらでも遊べるが、遥には一刻も早く強くならなければいけない理由がある。
そこで俺たちは明日の修行に備え早々に寝ることにした。林原家の人たちに挨拶を告げた後、遥の部屋に布団を敷いて二人一緒に横になる。
俺は一気に眠気に襲われ、何か遥と二言三言会話を交わしてすぐに寝入ってしまった。
私は夢を見た。私の体へヴェイルが乗り移って林原家の人たちや遥と行動している。ヴェイルが私の格好をして、さらには私の口調をして動いているのは滑稽なようでもあり、現代に蘇ったヴェイルを見るのは憧れのスターを目の前に現れたようで感動を覚えもする、不思議な体験だった。
良質なスピンオフ作品を見たような読後感を覚えつつ、私は目を覚ました。さっきまで木刀を握っていたはずなのに、今の私は隣の布団から転がり込んできた遥に抱き枕として身動きを封じられている。
私が今目を覚ますまでの間、確かにヴェイルが私を動かしていたのだ。
ヴェイルになら、安心してこの身を任せられる、のだけれど今さらどうしてこんなことが起きたのだろう。やっぱり肉体に無茶をさせすぎちゃったのだろうか。ヴェイルがそう判断していたのだ、きっとそうなのだろう。
でも、無茶をし過ぎてもヴェイルが控えているのなら安心して無茶が出来そう。そんな不届きな思いが通じてしまったのか、心の奥底からヴェイルの諌める声が聞こえてきたような気がした。
遥の好きなキャラクターものの可愛らしい卓上時計に目を移すと、時刻は五時半になろうかといったところだった。遥の柔らかい体の温もり、ほんの微かに香る甘い体臭、吐息を浴びながらぼうっと障子の向こうを眺めていると、群青色の空がゆっくりと明るくなっていくさまが見えた。
そろそろ起きなくちゃいけないな。私は体を揺さぶってみるけれど、どうも拘束は解けそうにない。
「遥、起きて。朝だよ」
もぞもぞと動いて耳元に直接声を届ける。何度か声を掛けていると遥も目を覚ましたみたいでぽけぽけした顔つきでこっちを見つめてくる。その愛くるしさに私は一瞬このままでもいいかなと思い込まされそうになってしまう。
「遥、起きた?」
「んー……? うん……おはよう、ふぃえーな……」
微睡みながら微笑む遥はやっぱり愛くるしくて、またしても私はほだされそうになってしまう。うう……このままじゃいけないな。
「ふぃえーなぁ」
「うわ、ちょっと遥」
寝ぼけて顔を近づけてきた遥に慌てて動こうとするけれど、やっぱり動けなくてそのままおでことおでこが接触してしまう。
「ねえ、寝ぼけてないで起きてよ。いい加減恥ずかしくなってきたんだけど」
「私はそんなフィエーナの顔もっと見てたい」
あっ、これからかわれているのか。遥の口の端に浮かぶ笑みがいつの間にか悪戯っ子のそれに変わっていたのに気付く。
「もう遥、早く起きないと朝の修行が出来なくなっちゃうよ」
「そうだね。残念だけど起きる」
遥が私の拘束を解いてくれたので私が立ち上がろうとすると、いきなり遥が腰に飛びついてきたので私は布団に尻もちをついてしまう。
「もう遥!」
「フィエーナおーはよっ!」
はしゃぐ遥に私は怒るに怒れなくて、笑ってしまう。それに遥もつられて笑い出す。ああもう、何て楽しい朝の始まりなんだ。