事件が終息したあの日から、私は私自身の行動を第三者の目線で見つめていた。嬉しいとか悲しいとか、昔は私も感じていた感情が持てなくなっていた。
私自身が何処か遠くにいるような、空虚な感覚しか持てなかった。
「馬鹿者! そうではないと言っているだろう!」
はかま姿のおじさんから怒鳴られる。どうして私は木刀を持たされているのだっけ。訳も分からないまま、おじさんの言う通りに体を動かす。でも、思うように体が動かない。おかしいな、これは私の体なのに……そうだっけ、これは私の体、私の? 私って何だっけ……。
「違う! どうしてこの程度も分からんのか!」
ああ、何だかもうどうでもいいや。とにかく、終わらせよう。
「ちょっと待ってください!」
「吉上! 貴様、何をしに来た!」
「遥はまだ訓練をするような精神状態じゃない! 今はまだ静かにさせてあげるべきです!」
「馬鹿者! 一刻も早く自衛の術を身に付けさせるのが真の優しさだろうが!」
「とにかく、こんなこと許されていいはずがないでしょう! この子は僕が預かります!」
私の手を引っ張る男の人は、私を地獄から救ってくれた恩人だ。とてもありがたいことで、感謝をしてもしきれないはずなのに、私は口を開くことが当時できなかった。ありがたいと思う余裕すらなかったのだ。ただ、苦しみが途絶えて、そして代わりには何もない。
「そ、そんな……そんな暴挙許されるとお思いですか!?」
「しかしそれは、天河家がいなければ壊れていただろう? 天河家に身を尽くすのが人として当然の事でないかね?」
「な……まだ心の整理もついていないこの子の口約束に拘束力なんてあるはずがない! この件は僕が直々に重蔵様と話を付けます!」
「馬鹿な! 当代の主である私の判断に横車を押すというのか!」
私の周りで叫ばないで。争わないで。折角、苦しみから逃げられたのに、また痛くなる。苦しくなる。
「いいだろう、お主の判断に任せる」
「お父様! しかし! 遥の潜在力はここ数十年稀に見るものがあります! その血を是非とも天河に入れるべきでしょう!」
「いけ、善。こいつの傍に居るとそれも邪魔が入る。鳳二の元に身を寄せるとよかろう」
無理やり天河家の人間と婚約するよう強要された私を、吉上さんはロートキイル王国へと連れ出した。
「大丈夫、向こうでは何も心配いらないから」
事件以来、私のために動き続けてくれた吉上さん。私を悪魔から救い出し、両親の病院を手配し、自衛手段を手にするよう天河家に預けてくれた吉上さん。私は何も恩返しなんて出来ないのに、ただ助けてくれて、私を慰めてくれた吉上さん。
頭を撫でてくれる吉上さんの優しさに触れて、私はようやく自分を自分自身が動かしている感覚を取り戻せた。
けど、それは同時に自分が犯した過ちと直面することにもつながった。私が、両親を、友人を、吉上さんを危険に導いたんだ。それを自覚すると、心が息苦しくなった。優しくしてくれる吉上さんに申し訳なくなった。大きな恩を感じているからこそ、これ以上迷惑をかけたくなくて、頼りに出来なくなった。
私が身を寄せた林原家の人たちはみんないい人だった。
「初めまして遥ちゃん。林原幸恵よ、ゆっくりしていってね」
「林原鳳二。ここの道場の主だ。今日は疲れたろう、休むといい」
「俺は陽人だ。あー……まあ、よろしくな」
でも、ここは私の居場所じゃない。私のいた……お父さんにお母さん、お友達。みんな私のせいで壊れちゃった。壊したのは私。でも、それを本気で考えだすと体が震えてくる。死にたくなる。
もし私のそんな見苦しい態度を見せたら、きっと迷惑に思うだろう。心配をかけるだろう。だから、考えない。とにかく、心を空っぽにして、そうしていれば、傍目には普通でいられる。
「遥ちゃん、今日は休んだら?」
「ありがとうございます。でも、やらしてください」
天河の人間に持たされた道着に身を通し、私は道場に向かう。無力な私が招いた惨事。無力でいることが罪ならば、早く力を付けなくちゃいけない。事件から日が経って、少しは考える余裕の出来た私に、ただ何もせずじっとしているなんてことは出来なかった。むしろ、何もしない方が怖い。何か、意味のあることをやらしてほしかった。
「日本じゃお辞儀かもしれないけれど、ここじゃ挨拶の時に握手をするんだよ」
そう言って手を差し出したのは、とても綺麗な女の子だった。赤紫色の瞳をした、垂れた目付きは優しげで、慈しみに満ちている。落ち着いた調子の声音は、聞いているだけで空虚だった心に充足感を与えてくれる。
久しぶりに、私の心に前向きな感情を抱かせてくれたフィエーナと名乗る少女に、私はすがりつきそうになってしまっていた。でも駄目だ。すっかり私は人を頼ることに臆病になってしまっていた。
翌日、学校に行くとフィエーナは隣に陣取って話をしてくれる。ロートキイルについて知らない私に、この街のことや、近所の人のこと、フィエーナ自身にあった他愛のない出来事を延々と語りかけて来る。
どうして? 何で私なんかに構うのだろう。疑問に思いつつも、フィエーナの発する声には妙に心を落ち着かせる魔力があって、私はその声に身を委ね続けた。
「あるところにね、ヴェイルっていう男の子がいたんだ。その子は魔物が巣食うダンジョンを探検することを夢にしていたの」
フィエーナは作り話というけれど、とてもそうは思えないフィエーナのヴェイルを主人公としたお話は、現実に苦しむ私に格好の空想材料になってくれた。
物語の中のヴェイルは、馬鹿みたいに一直線で、それなのに真っ直ぐ理想に突き進み続けて本当に目標に手を掛けてしまっていた。羨ましいくらいに純粋で、迷いがない。
現実逃避に過ぎないのは分かっている。けれど、私は学校と道場ではフィエーナにすがり、それ以外ではヴェイルにすがって心の苦しみから逃れようとしていた。
逃げ続けていていいはずがない、だからいつか覚悟を決めて立ち向かわないといけない。その覚悟が付いたのは、ロートキイルに来て一か月が経とうとしていた頃だった。
フィエーナの家族に誘われてやってきたザルトヒェン村の避暑旅行も終わりを迎えていたあの日、私はフィエーナに事件のことを打ち明けることで私自身の逃走に終わりを告げた。フィエーナにこんな重たい話を聞かせて申し訳なく思ったけど、同時にフィエーナには私の全てを知っていて欲しかった。
「私、強くなれるかな」
「なれるよ遥なら」
私が心に薄ら寒い物を感じて抱き付くと、フィエーナは嫌がることなく受け止めてくれる。フィエーナの体は柔らかく、いい匂いがして心を落ち着かせてくれた。
ロートキイルに来て、私の周りの人はみんな私に優しかった。吉上さんも、幸恵さんも、鳳二さんも、陽人さんも、里奈も、ユミアさんも……。
でも、私はフィエーナを一番頼った。一か月ほど一緒にいた今なら、その理由が分かる気がする。フィエーナは他の人とは何かが違うのだ。今ではすっかり虜になってしまった外見的魅力はそれはそれで今まで感じたことのなかった感情を私に抱かせるのだけどそうじゃなくて、雰囲気が他の人とは大きく異なっている。
母性を感じさせるかと思えば男気を感じて、優しく気遣いが出来るけど一方で豪快なところもある。女らしいのに男らしくて、男らしいのに女らしい。
私はフィエーナのことが大好きだ。この気持ちは友情とは少し違っていて、その正体は私にもよく分からない。
初めて感じたこの思いは何なのだろう。いつか分かる時がきたらいいな。