夏季休暇が終わり、新学期が始まった。以前はベーセル兄も一緒に通学していたのだけど今日の私は一人で家を出る。何だか寂しい気持ちを抑えつつエリナと待ち合わせをして通学した私は、以前より一階上の階まで上がりクラスルームに到着する。
新鮮味のない、去年と構造は全く同じクラスルーム。木目の床は綺麗にワックスで磨かれ、明るいクリーム色の壁と天井は窓から差し込む朝日で一層まばゆく、黒板にチョークの汚れは全く見られない。例年通り夏季休暇中に清掃が入ったのだろう、ピカピカとしたクラスルームが私たちを出迎えてくれた。
「おはよう」
隣のクラスのエリナとは別れ、クラスメイトたちと挨拶を交わしながら去年からの定位置に座る。代わり映えのしない見知った顔のクラスメイトたちはそれでも夏季休暇の間に見違えたかのような錯覚に陥る。結局話してみれば、中身はそう変わってはいないのだろうけれど。
「おはようございます!」
私が席に座り間もなく、やけに丁寧な口調でクラスルームに遥が入ってきた。動作もどこかぎこちなく、表情もちょっと硬かった。新しいクラスで緊張しているのかな。それでも、私を見かけた途端大輪の花が咲いたような笑顔を見せて駆け寄ってきた。
「会いたかったよフィエーナ!」
「私もだよ遥」
駆け寄ってきた勢いのまま突っ込んできた遥を受け止め、抱きしめてあげる。私としては数秒抱擁して終わるかと思ったのだけれど、私の背に回された腕がほどける様子はなかった。
「ヘイ、フィエーナ。その子が遥って子?」
「うん、紹介するね」
私が遥のことを紹介したら、あっという間に遥はクラスメイトたちと馴染んでしまった。流暢にロートキイル語を操り、互いにジョークの掛け合いまでこなして見せる遥から、かつて無口だった遥の姿は想像できない。
朝七時から始まった学校は、十二時十五分に一旦お昼休みになる。私は遥にトヨ、キアリー、アメリアの五人で食堂に向かった。
ロートキイルの学校には必ず食堂がある。そう言ったら遥は驚いていた。
「日本にはないの?」
「あるのかな? トヨは知ってる?」
「分かんない。あたしの小学校は給食だったよ」
「私も!」
そのほかにも色々な違いがあるようだ。混ざってきたエリナとも一緒に昼食を取りながら日本とロートキイルの学校の違いについてあれこれ話していると、エリナが唐突に遥へとんでもないことを言い出した。
「そういえばさ、遥は来週誕生日だよねー。私も誕生会呼んでくれる?」
「た、誕生会?」
「あれー? 日本じゃやらないの誕生会? ロートキイルじゃみんなやってるよ」
ロートキイルでは誕生日に、本人が主催者となって友人を招きパーティーを開くのが一般的だ。だから、エリナの発言はもっと遥と親しくしたいという意思表示をしていることになる。そういったことをかいつまんで私が説明すると、遥は難しい顔をした。
「うーん……考えとくね」
遥は居候の立場にある。林原一家は誕生会くらい気軽に許す器量はあると思うけれど、遥が自身の境遇から躊躇う気持ちは分からなくもなかった。
そこで私は剣術道場で帰り際に、幸恵さんに相談してみた。すると、林原家でこっそりサプライズパーティーを開こうという計画が持ち上がっていたらしい。
「遥ちゃんきっと遠慮するだろうから、当日に驚かせようと思っていたの」
私はそのパーティーに遥の友人が参加してもいいか尋ねてみると、幸恵さんは大喜びで賛成してくれた。
「いいじゃない! 何人くらい参加するのかしら? 遥が楽しく学校行けているようで嬉しいわぁ」
本当はこういうパーティー形式ってしないんだけれど、折角林原家が計画を立てていてくれたのだ。計画に乗っかることにした。
SNSでは足が付く。私は電話や直接対話で参加してくれそうな人に声を掛けてみた。義理で参加されてもパーティーが白けてしまう。なので仲のいい人間に限定して、参加者を確保することが出来た。
私は当然参加するとして日時の都合上里奈とトヨ、それにキアリー、アメリアには参加してもらえることになった。真っ先に参加したいと言っていたエリナは家族の用事で抜けられないとか。全く頼りない幼馴染だ。
私は幸恵さんと相談してパーティーの準備を進めていく。ケーキは折角なので私が準備していくことにした。幸恵さんには料理の方で腕を振るってもらおうと思う。
剣術道場の帰り前の時間、里奈に長電話をしてもらい、その隙を見て幸恵さんと話を進める。吉上先生と林原先生も私が幸恵さんと二人きりになるよう協力してくれている。ここまでして隠すこともないと思うのだけれど、林原先生がどうせやるなら驚かせたいと言い出したのだそうだ。ちょっと意外。
「ゲームは何が喜ばれると思う? パーティーなんて陽人が七年生になってからやってなくて……」
「特別何か用意しなくていいと思いますよ。美味しいごはんと飲み物、それにプレゼントがあれば十分ですよ」
子供のうちは親が色々企画を練って集まった子供たちを盛り上げるのに苦心するのがロートキイルの定番だ。だけどそれも十歳を過ぎてからは本人が何とかするものだろう。今回は日本式だとしても、友達なのだから集まればそれだけで楽しい。それでいいのだと思う。
「そういうものかしら?」
「中等学校の七年生ならそういうものです」
現役七年生の私が言うのだから間違いない。幸恵さんも納得してくれたようで、概ねの準備は整っていった。
九月十三日。遥の誕生日当日であり、都合よく日曜日でもある。私は早朝に起きてチョコレートケーキを焼いておく。最早これ以外ないというレベルでロートキイルのケーキはチョコレートだ。招待客もケーキを持ち込んで来るけれど、主催者はとにかくチョコレートケーキを用意しなくてはいけない。
「いい匂いがするわね~」
「おはようお母さん」
「それ、遥ちゃんの誕生日ケーキ?」
「そう、今から持っていくんだ」
いつもは自転車で剣術道場に向かっているのだけれど、流石にケーキを持ったままは無理だ。我が儘を言って、今日は母に車で送ってもらうことになっている。
「実はお母さんも昨日ケーキ焼いておいたんだ。私からって遥ちゃんに渡そうって思って」
「おお、用意周到だね」
「んふふ、でしょう?」
お昼前になって、完成したケーキと母の用意したケーキ、それにラッピングされたプレゼントを持って私は母と共に剣術道場に向かった。街道を曲がる道の隅には本日誕生日と書かれた華やかな看板と風船が飾られていた。こういう装飾を見ると「あ、ここで誕生日会やってるな」とロートキイルの人なら勘づくはずだ。
道場へ向かう一本道を過ぎ、駐車場に車を停めて道場脇の日本家屋に目を向けるとちょっと日本家屋には似合わないカラフルな装飾と風船で彩られていた。
「準備は万端のようね」
「そうみたいだね」
ケーキを持ち、私たちは玄関でチャイムを鳴らす。パタパタと慌ただし気な足音を響かせて幸恵さんが出迎えてくれる。
「こんにちは、今日は来てくれてありがとうね」
挨拶を交わし、私と母は室内に案内される。畳張りの居間には座敷机が中央に据えられ、部屋の各所にはモールや風船、紙細工で飾り付けられていた。
「今遥ちゃんはいる? 私もケーキを作ったから渡したいの」
「ごめんなさいねユミア、今遥ちゃんは吉上さんと一緒に出掛けているの」
午後に開くパーティーの準備のため、遥は吉上先生に連れられて出かけているのだそうだ。帰ってきた遥を驚かせる魂胆らしい。
「おやユミア、お早いですな」
「こんにちは鳳二。今日はチャーミングな帽子を被っているのね」
「いやははは、誕生日パーティーですからな。はっちゃけたくらいがよろしいでしょう」
林原先生が三角帽子を道着姿で被っている姿なんて初めて見た。ベーセル兄が林原先生はあれで案外お茶目なんだよと言っていたけれど、林原家に遊びに行ってこういうところを見てきていたんだろうな。
その後しばらくのんびりおしゃべりをしていると、待ち合わせの時刻となったために続々と人が集まって来る。里奈とトヨが少しばかり早く来て、アメリアは時刻ぴったりに、キアリーは少し遅れてやってきた。みんなパーティーに呼ばれたとあって、何だか普段より服装に気を使っていた。
「へえ、遥。こんなトコに住んでいたのね」
「すごいね~、日本人ってみんなこんなお家に住んでいるの? 草の匂い? がするね~」
アメリアとキアリーにとって日本家屋に足を踏み入れたのは初めてのことだ。アメリアはその鋭い目つきであちらこちらに関心を見せ、キアリーはスカートを履いたままなのに畳に伏せて鼻を近づけていた。腰にまで迫る金髪が垂れてしまっているけれど、キアリーはそういうことを気にしない子だ。
「トヨちゃん、もしかして林原さんってすっごいお金持ちなんじゃない?」
「そう? あたしんとこじゃこれくらいの家普通だったよ? いやー、でもロートキイルに来て畳に座れるなんてあたし感激だわー」
日本人にとっては普通なのかと思いきや、やけに里奈は恐縮している。
「里奈ならそんな珍しがらないと思ったのに意外だな。日本で見飽きてるものだと思ったよ」
「もうフィエーナちゃん! こんな広いお家いくらすると思ってるの? とても高くて何億円もするんだよ」
里奈がぼそぼそと私の耳元でまくしたてる。何億円ってことは、数百万ロートキイル・マルクに相当する訳で……そりゃ珍しい訳だ。
「ええ……そんなにしたかなぁ? いっとくけどあたしんちの祖父ちゃん家普通の農家だよ」
「実はお金持ちなんだよ、子供にわざわざお金持ってますって言う訳ないじゃない」
困ったように波打った短髪に手を突っ込んでかいて見せるトヨを前に、里奈は両手を前に持って来て力説する。
実のところ林原家は林原家だけのものじゃない。天河流剣術の欧州支部としての性格も持ち合わせている。昔一回、見慣れない人が日本家屋を出入りしていたので吉上先生を慌てて引っ張っていったら笑われたことがあった。吉上先生によれば、時々天河流の人間が尋ねてきているのだそうだ。だから多分林原先生が特別お金持ちって訳じゃないと思う。
「みんな遥ちゃんのために来てくれてありがとうね! おばさん嬉しいわ……」
「なあ幸恵、どうも遥は楽しく過ごせているようだな!」
涙ぐむ幸恵さんの肩に手を置く林原先生の瞳も、いつもより少し潤んでいるように見えた。遥の暗い事情を何となく察している面々も、いざ遥と共にある保護者の涙を見てしまって何だかしんみりとしてしまう。
この雰囲気のまま遥を迎えたらパーティーがしおらしくなる。これではいけないと私は母と目くばせし、母は手を叩いてみんなに発破をかける。
「ほらみんな! もうすぐ遥が帰ってきちゃうわよ! 急いで支度をしましょう!」
「お母さんの言う通り! ほら幸恵さん! 手伝いますから台所行きましょう」
それからは一気に準備が進んでいく。大人も三人いるし、私たちだっている。そう規模も大きくないこともあって、余裕を持って私たちは体勢を整えて時を待った。
「そろそろだね~」
掛け時計を見たキアリーがぽけぽけとした声を発したのと時を同じくして、外から車が近づいてくる音が迫って来る。
「来たわね」
「オウ、私のタイミングがばっちしだったね~。よしみんな、行こう行こう!」
イベント前になると途端張り切りだすキアリーが意気揚々と先陣を切ってクラッカーをポケットにまで詰め込んで玄関に進んでいく。
「ほら、フィエーナちゃんが中央で迎えてあげるんだよ~。私は隣でクラッカーバンバンしまくるから!」
「盛大に頼むよキアリー」
「ふぇっへっへ~任せてフィエーナちゃん、腕が鳴るね!」
コツコツと玄関前の石畳を足音が二つ迫って来る。横開きの玄関扉が開くと同時に、私たちは一気呵成にクラッカーを打ち鳴らした。
「お誕生日おめでとう!」
クラッカーから飛び出す紙細工を一斉に撃ち込まれながら遥はその青い瞳を丸くして口を両手でふさぐ。クラッカーをポケットから取り出し鳴らし続けようとするキアリーを友達が止めるのを横目に、驚きで動きを止める遥へと私は歩み寄る。満面の笑みを浮かべながら私は遥を抱きしめた。
「遥、今日は誕生日でしょ。おめでとう!」
「あ……ありがとう?」
「さあさあパーティーの始まりだよ! ほら遥ちゃん上がって上がって! いえいいえいえい!」
「ほら遥! そんな呆けてないで一緒にケーキ食いまくろうぜ! みんな持ってきたから色々あるんだぜ!」
キアリーとトヨに纏わりつかれ、私と遥は居間のパーティー主会場まで追い立てられる。みんなから口々におめでとうの嵐を受け、戸惑っていた遥の表情が見ているこっちまで幸せになる笑顔へ変わっていく。
「みんな、ありがとう……」
目を潤ませた遥が発した、細々とした声は確かに全員が聞いていた。