クリスマスが迫り、街の様相も大きく変化していた。各所にクリスマスの装飾が施されるようになり、中心街ではクリスマスマーケットが開かれる。
煌びやかな街並みを横目に私とエリナはぐったりと車内で寄り添い合っていた。肩にもたれかかるエリナに普段の元気はない。
「あーもー疲れたよフィエーナ……」
五年前くらいから私がエリナに誘われて始めたヴェルデ市少年少女合唱団は、宗教行事が迫ると市の意向に応じ色んな場所にお呼ばれして歌を披露する。クリスマスの十二月からイースターの四月までは特に忙しく、クリスマス前の十二月なんて週に何回も何処かしらに行く羽目になる。
今日は市が主催する音楽イベントがあって、午後五時から始まって午後九時にイベントは終了した。
「お腹も空いたね」
「うん……ずうっと声だして歌ってたから、ほら聞いて?」
走行中の車内で小さく、エリナの腹の音が響く。思わず笑うとエリナも一緒に笑い出す。
「お二人さん? もうすぐ着くからね」
運転席の母にも聞こえていたのか、ちらりと見えた顔には笑みが浮かんでいた。
我が家に到着すると、疲れているはずなのにエリナは生き生きとし出す。
「本当にいいのエリナちゃん? 今日は疲れているでしょう」
「やらせてちょうだいユミアさん! 私今日は全然料理してない!」
エリナが鼻歌を歌いながらキッチンを占拠するのはよくあることだった。週に何度も泊まりに来るお礼とエリナは言っているけれど、あれはどう考えても自由に料理できるのが楽しくて仕方がない顔だ。
片道一時間の運転で疲れている母にはありがたいだろう。私も労せず美味しい夕食が取れるからエリナには感謝している。
見ているだけで惚れ惚れする手際でエリナはキッチンを動き回る。
「うう……もう我慢できないよエリナ~」
「あとちょっと! 我慢してフィエーナ!」
空腹で倒れそうな私の鼻にさらに空腹を煽る匂いが漂い、泣き言を言ったらキッチンから追い返されてしまった。
「お母さんエリナに怒鳴られた」
「もう、まだ十分も経ってないんだから我慢しなさい」
ソファに座る母の膝元に倒れ込むと、母は苦笑しながら私の頭を撫でて来る。そのままうだうだ待つこと三十分。数字だけ見ると、下準備もなく手早く三人分の料理を仕上げたのは確かだけれど空腹で待つ身からすれば耐え難い三十分だった。
「美味しい! 流石エリナ!」
それだけに食べた時の充足感は得難いもので、エリナの料理上手も相まって私は何口も食べてからようやく感想をエリナに伝えることが出来た。
「そうでしょう?」
「うん! エリナの料理が一番だよ!」
ウインクを決めるエリナの表情には自信が溢れている。エリナは料理人になるべきだと思う。
「あれー? お母さんの料理はー?」
意地悪気に微笑んで来る母に、私は本心から誠意を持って返答する。
「お母さんの料理も好きだよ」
エリナの料理は好きだし、一番美味しいとも思っている。けれど母の料理を食べると心が落ち着くような、癒されるような感覚を覚えるのだ。これは美味しさとは別枠に区分すべきだと思う。
「ありがとうフィエーナ!」
「ちょっと! 食事中に抱き付くのは行儀悪いよ!」
「怒られちゃったわエリナちゃん……」
「ユミアさんよしよし」
「何さそれ」
呆れ声で私が突っ込みを入れると二人は笑い出す。私も釣られて笑顔になってしまう。エリナが一緒にいると楽しく時間を過ごせるから好きだ。
三人とも疲れているし、ロートキイルの学校は七時から始まる。食事をとった後は早々に寝ることになった。
エリナはいっつも来ているので寝間着も我が家に置いてある。私はエリナを自分のベッドにいつも通り迎え入れて一緒に横になる。
「エリナが来てくれるとありがたいよ」
「何さ急に、前からずっと来てるじゃない」
「そうだけど……ほら、今年はベーセル兄もお父さんもいなくなっちゃったから」
ベーセル兄は大学進学で、父は仕事の都合でこの家を離れてしまった。四人家族が一気に五割減した訳だ。
「お母さんもきっと寂しいと思うんだ」
「フィエーナがいるでしょ? 大丈夫だよ」
「まあね。けど、私はあんまりはしゃいで盛り上げるのは得意じゃないからエリナが来てくれると家の中が華やかになる気がするんだ」
「そうかな?」
「うん、だからすっごく感謝してる。エリナがいっつも来てくれて助かってるよ。美味しいご飯も作ってくれるしね」
「んもう、フィエーナったら!」
将来の話、学校の話、家族の話、幼馴染だからこそ遠慮なくただ思うがままに語り合える。
「私……フィエーナが私の料理を食べている顔が好き」
「ねえ……私ね……絶対、有名な料理人に……なるから、ね。フィエーナは……絶対、食べに来るのよ」
「うん……もちろん、行く、よ……」
とりとめのない話をしているうちに私は眠ってしまっていた。
朝、まだ真っ暗な時間に私は目を覚ます。隣ではエリナが私の腕を抱きしめたまま眠っていた。ゆっくりとエリナを引き離し、私はベッドから身を起こした。
「おはようエリナ。ちょっと走って来るね」
父がいなくなっても私の体にはランニングの習慣が根付いてしまっていた。朝には走らないと一日が始まったような気がしない。
「うう、寒い……」
息が白い。もう十二月、早朝の気温は零度を下回る。サクサクと霜を踏み、薄く積もった雪に足跡を残す。そうやって一時間も走り続けていると体は火照り、外気がちょうどよい熱冷ましにすら思えてくる。
「おかえりなさいフィエーナ」
「おはようお母さん」
私が家に戻ると煌々と明かりが灯っていた。何だかホッとする光景だ。シャワーを浴び、髪を乾かした後に自室に戻るとまだエリナはベッドの中にいた。
「ほらエリナ! もう起きないと学校遅れちゃうよ!」
「むむ……もうちょっと……」
「そんなこと言ってまた眠っちゃうでしょ! ほら、起きる!」
寝ぼけているエリナをベッドから引きずり出して髪に櫛を通し、洗面台まで案内してやる。顔を洗うと寝ぼけた顔つきからいつも通り勝気なエリナの顔になる。
「私は先に下降りてるからすぐ来てね」
「しゅぐいく!」
歯磨き中のエリナを後に私は一階に降りた。私が付いている時のエリナは余裕を持って朝食を取って学校に行ける。エリナの家に迎えに行くと髪が跳ねていたり朝食は食べずに出てきたりしてしまうのが普通だ。
エリナを待っている間に私はアドベントカレンダーに手を付ける。父がくれたカレンダーは毎年恒例のチョコレート菓子が入っている。ベーセル兄がいた時は二人で交互に開けて食べていたっけ。
一口サイズの菓子を口に放り込み、今度はベーセル兄が送ってきたアドベントカレンダーを開けてみる。昔、家にテレビが搬送された時に見たような段ボール箱で送られてきた大きなアドベントカレンダーには、意向を凝らした様々な贈り物が入っている。
今日は何が入っているのか心躍らせながら開くと小さな小箱の中はカラフルな細い紙の包装材がぎっしり詰まっていて、それをかき分けると青く煌めくガラス玉が入っていた。
「うわあ、お母さん見てこれ! ベーセル兄が作ったんだよ!」
「綺麗ねえ……ベーセルはこういう小物作るの好きよねえ」
こういうのばっかりならいいのだけど、ベーセル兄にとっては数学の公式もガラス玉と同じように美しいものに分類されていて、公式とそれに勉強の苦手な私でも簡単に理解できるような解説が入っていたりもする。はたまたなるほどと思うようなラテン語の格言が入っていたり、あるいは科学豆知識だったりと無駄に手間暇かかっている。
ベーセル兄はアイデアが尽きないのか私に何年もずっとこの時期にカレンダーを作ってくれる。私も何度か真似してみたけれど、二十日以上ある日々の贈り物なんて考えられず挫折してしまった。代わりに毎年頑張ってクリスマスカード作っているので勘弁してほしい……といっても、ベーセル兄も毎年素敵なカードを作って来るのでベーセル兄にはとても敵わない。
「何をニヤニヤ見てるの~?」
私がガラス玉をじっと眺めていると、ソファの後ろからエリナの顔が私の肩にのしかかってくる。
「あ、エリナ。これ、ベーセル兄のアドベントカレンダーに入ってたんだ」
「えーっ! いいなー!」
羨ましがるエリナには悪いけれど私はちょっぴり優越感を抱いてしまっていた。ベーセル兄は私と同じようにエリナと接しているように見えても、こういう時には私を優遇してくれる。口に出してはいけない感情なのは分かっている。だから、心の奥底で素知らぬ振りをしてしまっておく。
「いっつもフィエーナばっかりずるい!」
「ふふ、これは妹特権だから」
「あー! 生意気言ってるぅー! このー! 押しつぶしてやる!」
「ちょっと! エリナ重いって!」
ソファの反対側からのしかかってきたエリナは思いのほか力を込めてきて、私はエリナ諸共ソファからずり落ちてしまう。もみくちゃになっているうちにエリナはガラス玉を私から奪い取ってしまっていた。
「いいなぁ、私のお姉ちゃんとは大違い」
「ミゼリア姉もいいお姉ちゃんだよ。ベーセル兄が規格外なだけで」
「んー、ミゼリアがいいお姉ちゃんには賛成できないけど、ベーセル兄さんの方は賛成してあげる」
ベーセル兄は身内とは思えないくらいに頭がいい。数学に、物理、ラテン語……学校の科目で全部何かしらの全国大会はおろか欧州大会、さらには世界大会に招待されたことすらある世界全体で見ても頭のいい部類に入る天才だ。私にもし、ヴェイルの記憶がなければ同じ両親の子なのにどうしてここまで違うんだろうって捻くれていたかもしれない。
だけどもしかしたらベーセル兄なら、そんな私すらもどうにかしてみせたかもしれない。エリナから奪い返したガラス玉を見ているとそんな気もしてくる。
テーブルに置かれた四本のロウソクとクリスマスリースを何気なく眺めながらパンとスープ、サラダに果物といった定番の朝食を食べて、私はエリナと一緒に学校へ行く。時刻は七時、まだ太陽が昇りすらしていない暗闇の中を私たちは学校目指し歩き出す。
「うええ……寒いよフィエーナ」
「ちょっと! ここ滑るんだからいきなり抱き付いてこないで!」
除雪はされていても、路面に張り付いた氷は中々取れない。私は慌ててバランスを取ろうとエリナにしがみつく。
「ふふふ暖かい」
「もう、歩きづらいんだけど……」
「だって、寒いんだもん?」
学校まで歩いて十分、その間エリナが私から離れることはなく始終くっついたままだった。
「それじゃ、ちゃんと勉強するんだよ」
「もうフィエーナ! ママみたいなこと言わないで!」
「それじゃ、またね」
「ん」
私が手を振るとエリナは背を向けたまま手を振って自分のクラスルームに入っていった。