里奈がこっそりフィエーナと逢瀬を重ねていたと知った時、私は何でもないように笑って流したけど、内心嫉妬心で狂いそうだった。
私に立ち直るきっかけを作ってくれたフィエーナ。留学生クラスで私に話しかけ続けてくれたフィエーナ。このクラスに馴染めるよう間を取り持ってくれたフィエーナ。至らぬ私に手取り足取り剣術のイロハを教えてくれたフィエーナ。
私が困っていると率先して助けてくれるフィエーナ。あまりにもお世話になり過ぎて、私にはとてもお返し出来そうになくて……。
別に、私だけが特別な訳じゃない。フィエーナは困っている人がいたらしれっと傍に立って手助けをしているような子だ。気負わず、ただ自然に何でもないように助けてあげて、いつの間にか傍を離れているような不思議な女の子。
学校でのフィエーナの評判はいい方だけど、周りからはあまり面倒見はいいとは思われてはいないようだった。困っている人を見かけたら助けてはくれるけど、困りごとから解放されると離れていってしまう。
困っていると訴えても、フィエーナが助けを必要としていると判断しないと手を貸してはくれない。
課題を普段から忘れるような人には頼まれても課題を見せてはくれないけど、真面目に課題をこなしているのに存在自体を忘れていて慌てている人には面識がほとんどなくても課題を見せてあげたり休憩時間に隣に座り込みながら発破をかけて無理やり課題をやらせようとしたりしている。口に出してなかったはずなのに、何故か気付かれて絡まれたことのある人もいるようだ。
「いやあの時は焦ったけど、アルゲンさんが助けてくれてさー」
フィエーナのファミリーネームが聞こえた私は百人近い生徒でごったがえす混雑した食堂の中から十数メートル先で話し込んでいる二人組の会話に耳を傾けてしまう。フィエーナについての話なら、何だって聞きたくなってしまう。
「羨ましいよなー、俺には見向きもしてくれねーのに」
「お前はいっつも忘れて来るからだろ。そういう奴は見限られるんだよ」
「ちぇ、勉強しか取り柄のないがり勉デブの方がお気に入りなのかよ」
「そういう訳じゃないよ……アルゲンさんは僕に興味がある訳じゃなくて困っている人に興味があるだけだから」
本当に困っている時には助けてくれるけど、フィエーナをアテにしてサボるような子には冷ややかな目を向けて来る。
私にとってフィエーナは天使みたいな存在だけど、周りからはしたいことを好きにやっている気まぐれ屋と見られているようだった。
じゃあ、そんなフィエーナと昔から付き合いのあるエリナやキアリー、アメリアはどうして長く一緒にいられているのだろう?
「ええ? いきなりそんなことを聞かれてもなあ……昔からずっと一緒だったもん。気が合っただけじゃない?」
「あはは~、何でだろうね~? でもフィエーナちゃん近寄りがたいオーラを身に纏ってるからね~、それを突破できないと駄目だったんだよきっと!」
「キアリーの言うことも分かるわ。フィエーナは他の子より一歩抜きんでてるから。勉強とか運動じゃなくて精神性みたいなのが大人って感じだもの」
「そうか? フィエーナは普通に優しいけどな~」
すっとぼけるトヨに向けてアメリアは言葉を続ける。
「フィエーナだと、普通に優しくしただけで舞い上がっちゃう人がいるからでしょ」
「どういう意味だ?」
「美人に優しくされたら勘違いするってこと?」
「ん~、まあそれもあるけど。選ばれた感で暴走しちゃう、みたいな?」
「何言ってるんだか全然わかんね」
「アメリアちゃんもっと人間の言葉で喋ってよ~」
「キアリー、それ私のこと煽ってる?」
アメリアの言いたいこと、私には分かった。フィエーナ相手だと自分を卑下して卑屈な態度をフィエーナに取ってしまったり、理想の偶像のように扱ってしまったりしてしまう気持ちが私にもあるから。
きっとフィエーナは自分自身を一人の人間として扱ってくれる人と一緒にいるのが居心地がよかったんだ。崇拝されたり、畏怖されたりは好みじゃないんだ。
そう思い至った時、私は自分自身をかえりみる。
私は……どうだろう。フィエーナと対等な関係を築けているだろうか。フィエーナに頼りっぱなしな私は果たして対等な友人と言えるのだろうか。そう振り返ると心もとない気持ちになってしまう。
だけど、私からフィエーナは離れて行かなかった。フィエーナは友達として私と一緒にいてくれる。
フィエーナと一緒に過ごす毎日は、私にとって夢のような日々だ。
何を考えているか掴めない物憂げな眼差しに、口元はほんの少し口角が上がって微笑んでいる。所作の一つ一つに気品があって、何処かの国のお姫様のようだ。普段のフィエーナはそんな感じで、何処か近寄りがたい貴い雰囲気を纏っているように思えてしまう。
でも、一緒に隣にいるフィエーナは表情豊かで、変化の一つ一つに私は見入ってしまう。
キアリーの突拍子のない行動を見て目を丸くするフィエーナが好きだ。トヨの冗談に口元を緩めるフィエーナが好きだ。授業を真面目に受けているフィエーナの横顔が好きだ。突然のにわか雨に顔をしかめてみせるフィエーナが好きだ。私をからかって、悪戯な顔つきになるフィエーナが大好きだ。一緒にお風呂に入った時に見せた、リラックスして緩みきったフィエーナの顔つきが大好きだ。裸でいるところを私にじっくり見つめられて恥ずかし気に目を逸らすフィエーナが大大大好きだ。
特に何もすることがないと、私の脳内には決まってフィエーナが浮かんでくるようになっていた。お気に入りの情景が再生されてニマニマしているところを吉上先生に鳳二先生、幸恵さんにからかわれたことは一度や二度じゃなかった。
私はフィエーナに与えられてばかりで、何も返せていない気がする。それなのに、私はフィエーナを占有したい欲求にかられている。独占欲は日々強くなっていく一方で、大切な友人である里奈に対し一瞬敵愾心を抱きかけてしまうまでに強まったこの感情を私は恐れていた。
フィエーナを私だけのものにしてしまいたい。私にだけ笑顔を見せてほしい。悪戯をして小悪魔めいた魅力を見せる表情を他人のいる場で披露しないでほしい。
行き過ぎだと自分自身でも分かるこの感情をどう処理すればいいのか分からなくて、私はフィエーナに相談してみた。
「そっか……」
フィエーナの部屋で私は二人きりだった。一度フィエーナの家に泊まってみたいという私の我が儘に、フィエーナは嬉しそうに頷いてくれたのだった。
「いけないって分かってる……でも、私……どうしたらいいかな?」
「そうだね」
パジャマ姿のフィエーナは、隣に座る私をそっと抱き寄せる。体が密着する。私の感情は昂っていた。心臓の鼓動が聞こえてくる。今にも破裂しそうに高速で伸縮を繰り返している音が響く。フィエーナにも、聞こえているのかな。
「他の人と関わるのを辞める気はないけどさ、そんなの気にしなくなるくらい遥は私に甘えてくれていいから」
「フィエーナ?」
フィエーナはきっと何か勘違いしている。私の思いをまるで、母親を取られそうになって焦る子供か何かのように思っている気がする。私を対等の友人としてじゃなくて、小さな子供のように見ているんじゃないかと猜疑心を抱いてしまう。
そんな反発心から、私は思わずフィエーナをベッドに押し倒してしまっていた。倒されたフィエーナに危機感はまるでなく、私を慈しむような目線を見つめて来る。フィエーナは分かってない、私が魔法を使えるのを。身体強化した私を前にしたら、フィエーナじゃ私に抗えないんだよ。
ベッドに倒れ込んだフィエーナの腰の上に乗っかり、私は覆いかぶさっていた。身長はフィエーナの方が高いけど、私が本気になれば今のフィエーナを好きに出来る。そう思うと、昏い喜びがふつふつと沸いてくるのを私は自覚してしまった。
「どうしたの、遥? もう眠い?」
「もうフィエーナ! フィエーナは私のママじゃないよ!」
「ごめんね遥、そんなつもりはなかったんだ。だから、ね? 許して?」
「許す!」
「ありがとう遥」
さっきまでの反発心は、フィエーナの“ね?”が愛らし過ぎて消し飛んでしまった。我ながらちょろい性格をしているなとちょっと呆れてしまった。
フィエーナと一緒のベッドで寝た日、結局私の悩みは解消されずに終わってしまった。フィエーナはまるで弱みを見せなくて、でも私は散々フィエーナに泣き縋っている。
フィエーナが弱みを見せるってことは、つまり弱っているってことだから見ないのはいいことだ。そう分かっているのだけど、フィエーナにも私を頼ってほしい。そうしたら初めて私とフィエーナは真の意味で友人となりえるような、そんな気がするのだ。私もフィエーナのために何かしたいという思いが晴れることはなかった。
そんな私の積もった思いが或いはフィエーナに不幸を届けてしまったのだろうか。ある日、フィエーナが有無を言わさぬ調子で私の家に来ていいか尋ねてきたことがあった。
私としては大歓迎で、一も二もなく了承したのだけども、その時のフィエーナの調子は少しおかしくて。
外でフィエーナと合流した時、私はフィエーナのあまりの変化にしばし言葉を失ってしまった。
涙で潤んだ瞳、腫れ上がった瞼、崩れかけの笑顔、ふらふらと頼りない足取り。普段の気高いフィエーナとは似ても似つかない、弱り切ったフィエーナの姿を見て私は見てられなかった。
やっぱりフィエーナにはいつもの調子でいてほしかった。飄々として、ミステリアスで、余裕のあるフィエーナでいてほしかった。
そう思う私がいる一方で、私は気丈に平静を装うつもりで全く何も隠せていないフィエーナの姿にひどく興奮を覚えてしまっていた。ここまで泣き腫らしているのに美しさに些かの瑕疵がなくて、むしろ庇護欲を燃え上がらせるフィエーナの姿に私は昏い愉悦を覚え、そしてそんな自分自身に嫌悪を覚えた。
ここまでフィエーナが弱るなんて何があったのだろう。事情を尋ねると、フィエーナはぽつりぽつりと事情を明かしていく。
「フィエーナにとって、お兄さんは初恋の人だったのかもね」
「家族だよ? そんな訳ないよ」
「でも、辛かったんでしょ」
明かされた事情は、私に史上最高の嫉妬を覚えさせるに十分な内容だった。フィエーナのお兄さんは、フィエーナにここまで愛されているのにフィエーナを選ばなかった。選べるはずもないのは分かっているけど、何て愚かな選択なんだろうと心底思う。
「ごめん遥。今日だけ……今日だけでいいから」
「うん」
フィエーナが私に縋りついて、涙を流している。この光景を前に、私は陶酔にも似た感覚を味わっていた。心地よかった。やっと私もフィエーナの役に立てる時が来たのだ。こんな場面が来るのをどれほど夢想しただろう!
でもやっぱり同時に、フィエーナにはいつもの態度でいて欲しいという思いもあった。こんな顔を見たくないという思いもまた強く感じていた。
私は一体フィエーナをどうしたいんだろう。相反する二つの思いは同程度に力強くて、だからこそフィエーナがいま求めている寄り木としての私を実現する感情が表層に現出する。フィエーナが求めているなら、私はそうありたかったのだ。
私の胸の内で眠ってしまったフィエーナの髪を優しく撫でつけながら、私は頬をフィエーナにくっつける。気持ちの良い肌触りと心地よい温かさに、私もまた微睡みを覚える。
「大丈夫だよフィエーナ、私がそばにいてあげる」
友人の屑じゃないか(憤怒)