春季休暇を利用し日本に帰っていた遥から会いたいと連絡があった。帰ってきてすぐだというので、きっと疲れているはずだ。俺の方から遥に会いに行くことにした。
すっかり暖かくなった街の中を自転車で進んでいく。極端に日照時間が減る冬を過ぎて一気に明るさを取り戻した街は、木々や花々で彩られる。雲に覆われずっと暗澹としていた印象の空も最近はずっと快晴が続き気分がいい。
風を全身で浴びながら自転車を漕いでいくと、緑を取り戻した林の中にある道場と林原家にあっという間に到着してしまった。この季節は自転車で出かけると気持ちいいから目的地まですぐに着いてしまう。
林原家の人たちと挨拶を交わし、常居で畳に座る遥と会う。何だかみんな明るい様子で今回の日本行の成功を予感させる。
「何だか遥、嬉しそうだね。いいことでもあった?」
「うん、あったよ」
遥は常に微笑をたたえながら今回の日本行について語ってくれた。
今回は、もう職場にも復帰した父親のゴールデンウイーク休暇に合わせて帰国したのだそうだ。そして父親と久しぶりに面と向かって軽く話した後、母親との面会が許されたのだという。
「お母さんとお話が出来たんだ……」
当時の喜びを思い出し涙ぐんだ遥を見ていると、俺まで柄にもなく目に涙が溜まって来てしまう。
「それからは毎日お母さんに会いに行ったの」
このまま行けば近いうちに遥の母親も退院が許されるのだという。
「それでね、夏季休暇になったらもう一度日本に戻って三人で暮らしてみようって」
遥がロートキイルに来てもうすぐ一年になる。ようやく、遥の家族は事件の悲惨な思い出を克服して日常を取り戻そうとしている。俺はまるで自分自身のことのように嬉しくなった。
「よかったね、遥」
「うん……ありがとうフィエーナ」
隣に座る遥に抱き付くと、遥は俺の胸元で静かに泣き始める。泣いてはいるけれど、この涙は前回とは違う。悲しみだけじゃなく、ようやく前に進める喜びも内包した涙だ。しばらく泣いていた遥だけれど、帰国したばかりで疲れていたせいか眠ってしまった。
「幸恵さん、遥寝ちゃいました」
「あら、やっぱり疲れていたのね」
「見てください、本当に穏やかで幸せそうに寝てます」
「本当ね……」
涙ぐむ幸恵さんと一緒に遥の寝顔を見ながら、ふとこれから遥はどうするのだろうと考える。夏季休暇で家族生活をして、上手くいったらきっと遥の両親は遥に日本へ戻るよう促すだろう。
もしかしたら、遥と一緒にいられる時間はもうそんなに長くないのかもしれない。寂しくはあるが、遥が家族と再び一緒に過ごせるようになることは喜ばしい。
目を覚ました遥は俺と試合がしたいと言い出した。
「今ならフィエーナに勝てる気がする」
「言ってくれるね」
遥の剣の腕は驚異的といえる速度で成長してきた。今では吉上先生すら敗北し、この道場でまともに立ち会えるのは俺に林原先生の二人だけとなっていた。しかし、だ。フィエーナの肉体が華奢でかつての俺とは比べ物にならないほど貧弱といえど、この俺に勝つなんて百年早い。
事実として遥が成長し、手合わせをするにしたがって俺自身の技量も加速度的に向上していくのを感じていた。天才たる遥に刺激され、俺と林原先生の技量まで向上しているのだ。
「でもね、今の私なら気持ちで負ける気がしないんだ」
「へえ……確かに今の遥、いい目をしてる」
懸念だった家族関係に希望を持てたことで、遥の心の咎が晴れたのかもしれない。遥の纏うオーラとでもいうべき雰囲気も晴れやかで明るく思える。
「いいよ、相手してあげる」
「ありがとうフィエーナ!」
その後、俺たちは道場に移動して木刀を持つ。本気の本気でやりあっても、魔力で人智を越えた速度にまで肉体を加速し、危ういところを助けてくれる林原先生と吉上先生が見守ってくれているから遠慮なくやり合って大丈夫なのは助かる。
「いくよ、フィエーナ!」
へえ、遥から来るんだね。いつもは俺から斬り込まないといつまでたっても試合にならないのに、心の持ちようが変わるとこうも変わるか。俺は攻める方が性に合ってるんだが、今日はあえて受けに回ってみるか。
遥の剣戟、足さばき、技量といった点でいえばさほどの差は変わらない。だが、思い切りのよさがいい方向に作用している。普段の慎重に慎重を重ねた緻密な機械を思わせる防御主体の動きも厄介だったが、その慎重さを隙を減らすために利用されると一層対処に困る。
強い。今の遥は確かに以前よりも強くなっている。俺にはもはや魔力による身体強化が望めないのに対して、遥はただ身体のみで俺の全力に食い下がるようになってしまったのだ。一年前、初めて遥の練習風景を見た時は何だこのど素人はと心配になってしまったのを思い出す。
軽口を挟む余力もない。俺はただひたすらに遥の攻撃を捌いていく。ここまでやるとは俺も心が滾り始める。いいね、やっぱ相手が強くないと面白くねえ。
「遥ァ!」
この俺が防御してるばっかりじゃつまらない。ここからは俺が攻めさせてもらうぜ。遥の一撃を受け流すと同時にそのまま斬り込んでいく。だが、遥が防御一遍に押されるようにはならなかった。遥もまた、俺の攻撃に攻撃をぶつけていく。俺の攻撃がすなわち遥の剣戟に対する防御になるように、遥の防御は俺への攻撃にもなっていた。
これだけ楽しい試合は久しぶりだった。気付けば遥の顔には笑みが浮かび、俺も自分が笑っているのを自覚していた。どれだけの時間が経過したのかも忘れ、二人で斬り結び続ける。最後は互いに大振りの一撃を弾き合って、反動で床に倒れ込んだ。
「二人とも無茶するね……見てて冷や冷やしたよ」
「はっはっは! これほどの試合、日本でもそうは見れんな!」
息も切れ切れになった俺は立ち上がろうとするが、手足が震えて思うように動けない。これは、明日は全身が痛むかもな。フィエーナに愚痴を言われそうだ。
しばらく呼吸だけして床に倒れ込んでいた俺は遥より一足早く立ち上がる。日本から帰ってきて早々に試合をした遥よりかは俺の方が体力が残っていたようで、遥はまだ床に大の字で倒れ込んでぜえぜえと肩で息をしていた。
俺は体をふら付かせながら遥の傍に近づき、座り込む。
「遥、強くなったね。まさか互角とはね」
たった一年でここまで追いつかれるとは正直悔しい。だが、今は晴れやかな表情のまま倒れる遥の微笑みを見られたことから良しとしよう。
「フィエーナがいてくれたから私、くじけずにすんだよ。ありがとうフィエーナ」
「ふふ、どーいたしまして。感謝してね」
遥ならきっと俺がいなくても立ち直れたと思う。それでも立ち直る助けになったのなら、俺の記憶がフィエーナに残っていたことに価値はあったと言えるかもな。しかし、俺の人生の回顧録が遥の立ち直るきっかけになったとはいえ、フィエーナの奴出版までしてベストセラーにしちまうんだからまいっちまう。
今月ドイツ語版が発売されるが、まさかロートキイル以外でも俺の思い出なんかに価値を見出す奴はいるんだろうか。