学校が終わり、俺が帰宅の途に就いていると手を振る小太りの男が目に入った。ブランド物のスーツが絶望的に似合っていない脂ぎった中年男性は、俺を見つけるなりニヤニヤと近付いてくる。流石に今の俺よりは背が高いが、それでも百七十センチに届いていないであろう背丈はここロートキイルにおいては低身長に部類される。
「お久しぶりですね、もう会わないかと思ってました」
「いやははは、随分嫌われちゃったね」
「警察沙汰にまでしておいてよく言いますね」
「その節は悪いと思ってるよ。だからこそ、もう勧誘は来ていないだろう?」
「……時々来ますけど」
俺が白けた目線でいくつかの団体の名を挙げると、刈り上げた短髪をがしがしと掻きながら情けない顔つきをする。
「あー、そういうのまではちょっと制御してやれないな……でも、言ってくれれば業界から干すくらいはしてやれるからどんどん言ってくれていいよ」
いまいち頼りにならない笑顔で、笑いかけて来るこの人がロートキイルで最大規模の芸能事務所の社長だと誰が気が付くだろうか。
「ちょっと時間をもらえるかな」
「本当に、ちょっとですからね」
あまり時間をつかいたくなかったので、俺は近くの喫茶店にフォルツ社長を案内した。
「いらっしゃい。おや、その人は?」
俺が軽く事情を説明すると、喫茶店のマスターのフォルツ社長に対する接客が何処となくぞんざいになった気がする。
フォルツ社長もここがアウェーであると察したようで、苦笑いを浮かべながらどっかりとソファに腰を据えた。
「それで、何か用があってきたんでしょう」
「まず初めに、ベストセラーおめでとう。『探窟者ヴェイルの回顧録』、僕も読ませてもらったけど、面白かったよ。まさかフィエーナちゃんには文筆の才まであるとはたまげたね」
「ありがとうございます」
俺自身を褒められたような気がして、悪い気はしなかった。案外悪い奴じゃないのかもしれない。俺はフィエーナの記憶が警戒するよう促してくるのをを折り曲げて、つい、つんけんした態度を和らげてしまう。
「僕は娘に買ってあげたついでに読んだけどね。ヴェイルって主人公がカッコイイね。子供の頃からの理想に邁進出来るなんて羨ましいよ」
「そ、そうですか?」
ヴェイルに目を付けるとはこの社長しっかりした審美眼を持っているようだ。
「うん、毎日毎日あんな厳しい修行を続けたら普通は根を上げちゃうよ。努力家だよね、ヴェイルは」
「いやあ……それほどでもないですよ」
「フィエーナちゃん、ヴェイルのことになると自分のことのように喜ぶね。やっぱり思い入れが強い?」
思い入れが強いというか、ヴェイルとは俺のことなのだ。いくらでも褒めてくれていいぞ。なんてったって、俺はオストブルクで最強の探索者だからな!
「そうですね、何しろ主人公ですから」
「そっかあ、今日のフィエーナちゃん。ヴェイルみたいな性格が出てるね。ヴェイルもさ、褒められるとすぐ照れちゃって調子に乗っちゃうトコあるよね。上機嫌なフィエーナちゃんも可愛いなあ」
ぎくり。確かに俺は褒め殺しで余計な依頼を持ってくる馬鹿だと仲間からは散々怒鳴られた覚えがある。フィエーナも同類扱いされるような真似をしてしまったことに今更ながら後悔する。緩んだ顔つきを慌てて引き締めようとするも、動揺からか口の端がピクピクと動いてしまう。
「えぇっ、そ、そうですか……?」
「んふふ、もしかしてそれがフィエーナちゃんの素の性格だったりする?」
「あー……いや、そんなことないですよ」
「可愛いなあ、僕は素直に褒めてるだけなんだから謙遜しなくてもいいんだよ」
何とかすまし顔を作って平静を装うが、これはもう手遅れと言っていいだろう。悪いフィエーナ、挽回はするからな! 安心しろ!
「いやあ、こんなに表情がコロコロ変わるフィエーナちゃんは初めて見たよ。年相応なトコもあるもんだね」
いや、その、俺は少なくとも二十三年は生きているんだが……。探索者としての修行ばかりでそれ以外からっきしな俺は、僅か十三歳のフィエーナにすら対人スキルでは劣っていると言われているようで何だか情けなくなってくる。
「もったいないなあ……やっぱり僕の事務所でモデルやってみる気はない?」
「散々断ったのにその話ですか」
この男も随分としつこい。フィエーナは二年も前からずっと迷う素振りすらなく断り続けているのに、根気の良さだけは認めてもいい。
「いやもちろん、プライベートを大事にしたいフィエーナちゃんの気持ちはよく理解しているよ。でも、本の近影が随分ネットで話題になっているよ。美少女過ぎる作家ってさ、本の中身よりあの写真欲しさに買う人もいたそうじゃないか。それに、地元のテレビ局には出演したでしょ?」
「あれは合唱団の取材で、ついでに紹介されると思っていて。市役所の人もインタビュアーの人もそう言ってましたよ」
「でも、メインはフィエーナちゃんだったね?」
「……意地悪ですね」
このまま言いくるめられでもしたら、フィエーナに立つ瀬がない。席を立とうとすると慌てるフォルツ社長が制止にかかる。
「ははは、ごめんごめん。冗談冗談、無理強いする気はないさ。ただ近くを寄ったのでね、フィエーナちゃんと会えたらと思っただけ」
「冗談とは思えませんでしたけど……」
俺がジッとフォルツ社長のぜい肉に埋まりかけた目を睨み付けると、フォルツ社長は目を逸らしてからビジネスバッグから本を取り出した。
「それと、もう一つ用事があった! 娘がフィエーナちゃんの本を気に入ってね、よかったらサインもらえるかい」
「それくらいなら、まあ……」
「娘は主人公のヴェイルをすごく気に入っててね、あんなにカッコいい人が現実にいたら彼氏にするって言うんだよ。この本はファレーアの私物、あ、僕の娘なんだけどね、ほら、ヴェイルの活躍する箇所だけ何度もページを開いているから跡が付いちゃってるんだよ」
「へ、へええ」
フォルツ社長の娘さん、いい趣味してるじゃないか。なんてったって、オストブルク最強にまで上り詰めたこの俺だからな。まあ、幼い少女には理想の男として映ってしまうのも無理はない。ふふ、我ながら罪造りな男だぜ。
「フィエーナちゃん、今日はとんでもなくちょろいな……」
ぼそりとフォルツ社長が呟いた一言に、俺は我に帰る。さっき戒めたばかりなのに、すっかり俺は絆されて満面の笑みを浮かべてしまっていた。
「こほん、これでいいでしょう」
もはや手遅れと言うレベルではないが、冷や汗だらだらで俺はサインをすませて本をフォルツ社長に手渡す。
「ありがとう、いいお土産が出来たよ」
心底嬉しそうに、丁重に本をしまうフォルツ社長を見て、俺は再び警戒心が薄れていくのを感じる。いかんいかん、このままじゃフィエーナの評判に傷を付けてしまう。とにかく、冷静にして、大人しくしよう。
「それにしても、フィエーナちゃん……やっぱりモデルとかしてみる気はない?」
「ないです!」
ここを肯定してはもはや引き返せなくなる。俺は絶対死守の意思を込め、きっぱりと宣言しておいた。やらないからな、いくらヴェイルのファンだからって……やらないからな!
「即答かあ……フィエーナちゃんのその目付きで拒否されると、僕はもう何も言えないなあ」
参っちゃうなあとフォルツ社長は頭をかいて、諦観の垣間見える笑みを浮かべながら言葉を続ける。
「やっぱり僕はフィエーナちゃんのその目付きに魅入られちゃっているんだよなあ。フィエーナちゃんくらい綺麗な女の子はさ、探せば国内にも数人はいると思うけど……やっぱりその目付きとなると世界で唯一なんだよ。だから、是非とも一緒にお仕事がしたかったんだけど……」
残り少なくなったコーヒーカップを一気に傾けて中身を呷るとフォルツ社長は席を立ち、数歩出口に向かって歩いては振り返る。
「フィエーナちゃん、くれぐれもその目付きを悪用なんかしちゃ駄目だよ。好きな人が出来てもその目で見つめ続けてゲットなんてしちゃお互い不幸になるからね。ちゃんとお付き合いしなきゃいけないよ」
「……私の目は魔眼なんかじゃありませんよ」
「あはははは! 確かにね、でも、魔法みたいな効き目があるはずだよ」
俺はその言葉を否定したかったが、フィエーナ自身には多少の自覚があるようだった。幼少の頃より、フィエーナが強い思いを宿して相手と目を合わせると相手は不思議とフィエーナの願うように動いてくれるとフィエーナは信じていた。そして実際、変な勧誘にあってもフィエーナが拒絶の意思を込めて睨み付ければ、たいてい何も言わずに去っていくのが常だった。幼少の頃、誘惑に負けてフィエーナの母親におねだりをしてとんでもない出費を強いてしまったことがあった。
だからこそ、フィエーナは意図して目付きにあまり変化をもたせないようにしていた。フィエーナの目付きがいつも物憂げなのはそのせいだった。
フィエーナの目付きと声にはもしや、魅了とか洗脳の類の魔法が付与されているのじゃなかろうか。今や魔法を一つたりとも使えなくなってしまった俺には、そんな疑念が時折浮かんでくることがあった。
「サインありがとう。大切にさせてもらうね」
結局、フォルツ社長はサインだけもらって帰って行ってしまった。本当にフィエーナに会いに来ただけではないだろうが、まあ、悪い奴じゃなかったな。