五月の中旬、私たちは修学旅行に行くことになっている。王都周辺に一週間滞在して国家中枢について見聞を深め、レポートを書くのだ。
「えー、学校として出来る限り補助はしたいところではあるんだけどね。あまり予算が多い訳じゃない。もし王都に知り合いがいたら泊めて貰えないか聞いてくるように」
アーミラー中等学校はヴェルデ市の予算で運営されている。ヴェルデ市は別に貧しい訳じゃないけれど、旅行先に知り合いがいたら泊めてもらえるか聞いてくるのはよくあることだ。
「フィエーナは王都に知り合いはいるの?」
「引っ越した友達ならいるけれど、多分無理だよ」
「あ、ケインのこと? 懐かしいよね~」
幼稚園時代にいた友達とか、はたまた合唱団の先輩とか、いない訳じゃないのだけれど五人全員で押しかけて泊まるのは気が引ける。それでも何人か分散してならなんとかなるかもしれないので、その日はとにかく知り合いに当たってみようということでみんなと別れた。
日曜日、そんな修学旅行にまつわる話をドークお祖父さんにすると意外な返答が返ってきた。
「おー、それなら当てがあるぜ。ちょっと待ってな」
そういうなり電話をかけ始めるドークお祖父さん。しばらくして、私を電話口に呼ぶ。誰だろう。私が受話器を手に取り耳にあてると、老齢の男性の声が聞こえてきた。低く落ち着いた、知性を感じさせる声だ。
「フィエーナさんですね?」
「はい」
「覚えていますかね、ロアックです」
ロアック……確か、ドークお祖父さんの兄で王都に住んでいた。まさか、ドークお祖父さんはロアック大伯父さんを頼ろうとしているのだろうか。
「お久しぶりです、ロアック大伯父さん」
「随分綺麗な声になりましたね。さて、旅行の日時と人数をお伺いしても?」
「五月の十四日から、一週間を予定しています。とりあえず五人ですけれど、クラスの都合で変更になる可能性もあります」
「ふうむ、そうですか。ヴェルデ市のアーミラー中等学校に通学されてましたね」
「はい」
「なるほど、結構です。ドークに代わってもらえますか」
事情を掴みきれず、言うがままに答えた私は目の前でドークお祖父さんが着々と話を進めていくのをただ傍観する。展開が早すぎて追いつけない。
「よし! 話は決まったな!」
電話を置き、豪快に笑うドークお祖父さんに私はただ困惑する。何が決まったの? 私の質問にドークお祖父さんはロアック大伯父さんの家に私を含めた五人の宿泊、それに王都での行動計画の全てを任せた旨を伝えて来る。
「はっはっは! ロアック兄に全部任して置きゃ間違いはねえから安心だな!」
私は唖然とした。まだ他のみんなには何も言っていないのにここまで話が決まるなんて予想外だ。
「心配しなくていいさフィエーナ。ドークの兄には僕もあったことがある。とてもいい人だよ」
オットフリットお祖父さんが慰めてくれるけれど、私一人の独断で決めていい問題ではないのだ。
私は慌ててみんなへ電話をかけ始める。幸い、私を信用してくれたみんなは快くオッケーしてくれたので私はドークお祖父さんの家の電話を借りて報告の電話を入れる。
「全員から了承を得られました」
「そうですか、それはよかった」
電話越しに、柔和な笑みが幻視される柔らかな声音が漏れ聞こえて来る。ロアック大伯父さんはドークお祖父さんの兄らしいのだけれど、どちらかというとオットフリットお祖父さんのように物静かな印象を受ける人だ。ほとんど会ったことのない方なのだけれど、物腰が柔らかで安心させる話しぶりをされるので、私も話しているうちに安心感が芽生えて来る。
「今回はお時間いただきありがとうございます」
「気にすることはありませんよ。老人の暇つぶしというやつです」
修学旅行初日、私たちは地元の駅に現地集合する。鉄道黎明期に建てられた駅は古い建物をそのまま使っているけれど、みすぼらしさや古臭さは感じない。クリーム色の壁面に均等の間隔で設けられた巨大なアーチ状の窓や建物の屋根から突き出た時計塔は、当時の威容をそのままに保っていた。
先生方に先導され、学校が予約した高速列車に乗る事およそ二時間半。ヴェルデ市から北上を続けた高速列車は、ロートキイルの首都であるヴォルムナッハに到着した。
人口二百万人を誇る、ロートキイルで一番人の住む都市だけあって列車を降りた私たちは人ごみに圧倒されつつ駅を出る。学校が予約したバスが停車しているすぐそばに、ドークお祖父さんに見せてもらった写真そのままの顔つきをした老年の男性を見かけ、私は駆けよった。
「ロアック大伯父さん!」
「よく来ましたね、フィエーナさん」
髪からは光沢が失われ、すっかり白くなった髪を丁寧に整えた、気品ある老齢の男性が私を出迎えてくれた。口元には微笑をたたえ、私を優しく抱擁で包み込んでくれる。
「お友人の方々とはお初にお目にかかりますね。私、フィエーナの大伯父のロアックです。ようこそヴォルムナッハへ」
元貴族である所以だろうか、一つ一つの所作に気品を感じられる。同じ兄弟のドークお祖父さんが豪快なのに対して、えらい違いだ。
「彼は私の護衛兼運転手のセリューズです」
「本日はよろしくお願いいたします」
「荷物運びに来てくれました。ジョンソンです」
「ははは、みんなよろしくな!」
私たちとの挨拶を交わした後、ジョンソンさんの運転するバンに荷物を運び入れている間にロアック大伯父さんは先生方と何やら話をしにいった。荷物を運び入れ終えたタイミングでちょうど帰ってきて出発の号令をかける。
「それではいきましょうか」
七人乗りのバンの後部座席は対面式になっていて、ちょうど五人分の座席になっている。ロアック大伯父さんは自ら助手席に座り、私たちにくつろぐよう促してくれた。
「今日は列車移動で疲れたでしょう。私の家でゆっくりしてくださいね」
「ありがとうございます!」
五人の声が重なり、意味もなくみなでクスクス笑い合っているとロアック大伯父さんとセリューズさんの顔にも笑みが浮かぶ。ロアック大伯父さんの家に着くまでの二十分ほど、私たちは学校のことやヴェルデ市について質問されたり、あるいはヴォルムナッハについてやロアック大伯父さん自身の話を聞いたりしながら和やかに時間を過ごしていった。
「みなさん、ロアック様のご自宅が見えてきましたよ」
一緒に会話をしていくうちに打ち解けたセリューズさんの視線の向こうには、鉄柵に囲まれたお屋敷が建っていた。周囲の家々もどれも大きくて、如何にも歴史ある閑静な住宅街といった風情だ。
「ひょええ……すっげえお屋敷じゃん。もしかして大金持ちなんじゃないか?」
怯えた様子で耳打ちしてくるトヨに私は返答することができなかった。正直、ロアック大伯父さんについて私もあんまり詳しく知らないのだ。
門の前に立つ警備員から敬礼を受けながらお屋敷の鉄柵門を潜り抜け、お屋敷の前にセリューズさんがバンを停車させる。
「みなさん、家内がきっと待ちくたびれていますよ」
ロアック大伯父さんにエスコートされた私たちを出迎えてくれたのは、これまた上品な佇まいのアニレア大伯母さんだった。浮かべた笑みには何処か高貴な雰囲気が漂い、所作の一つ一つが洗練されている。もし年老いたならこうありたいと思える素敵なお婆さんだ。
「ようこそみなさん。ゆっくりしていって下さいね」
アニレア大伯母さんと全員で挨拶を済ませた後で、いつのまにか運んでくれていた荷物の置かれた部屋へと一旦移動する。
それぞれ個室をあてがわれたのだけど、キアリーの部屋だけひと際広かった。ベッドとチェスト、それに小ぶりなデスクが申し訳程度に置かれた殺風景な部屋だ。
「申し訳ありません。ここは元々使われていない部屋だったのですが、急遽ベッドを追加しましてね」
「でも広くていーです! 私ここ気に入った……です!」
付け焼刃な敬語に冷や冷やさせるキアリー。
そして何だか私の部屋は、広さにしても装飾にしても豪華だった。
「何だかこの部屋も広いですね」
「はは、ここは元々ゲストルームでしてね。その分広く作られています」
キアリーの部屋ほど無駄に広くはないけれど、客人が狭く感じないよう配慮された広々とした一室になっていた。ベッドとチェスト、一人用の小さなデスクしかなかった他の部屋と違い、四人掛けのソファまで設えてある。ちょっと待遇に差があるような……?
「十分ほどしたら、お呼びします。今後の予定などを話し合いましょう」
そう言って、ロアック大伯父さんたちは部屋を出て行った。
「ふう……フィエーナの大伯父さま。畏れ多い方ね」
気の抜けたようにソファに沈みこむアメリア。その隣にため息を吐きながらトヨが座り込んだ。
「だなー、あの人といると背筋が伸びる感じするぜ」
「えー? 可愛いお爺ちゃんじゃん」
一人用の椅子の背もたれに寄りかかったキアリーは、私よりも一回り大きな胸を背もたれ上部に乗っけながら、のほほんととんでもない発言をしてくる。これには全員がぎくりと視線を集中させた。
「頼むからキアリー。それを本人の前で言うんじゃないわよ」
「えー? 言わないよー」
ほんわかとした雰囲気を漂わせながら笑うキアリー。
本当に、お願いだよ……。
私にあてがわれた部屋でちょっとぐだぐだしていると、あっという間に十分が過ぎてしまっていたようでメイドさんが私たちを呼びに来る。
案内された部屋ではロアック大伯父さんにアニレア大伯母さん、それにセリューズさんとジョンソンさんがにこやかに出迎えてくれた。
「さ、みなさんお掛けになって?」
着席した私たちに、アニレア大伯母さんは立ち上がり、手ずからお茶を淹れてくれる。
「ありがとうございます」
「ふふ、長旅で疲れたでしょう? まずはお茶でも飲んで一息入れましょう」
恐縮しながら、ティーカップに口を付ける。一口呑むと、何処か体に溜まっていた疲弊が軽くなったような気がした。
「アニレアはお茶を淹れるのがとても上手なんだ。茶葉もアニレアが自分で選んだんだよ」
「いや、相変わらずアニレア様の淹れる一杯は体に浸みます」
カップを片手にほうっとため息を吐くセリューズさんの顔つきがリラックスした面持ちに変わる。
「俺としてはコーヒーが好みなんだが、アニレアの淹れるお茶を飲んでからは紅茶も悪くはないと思うよ」
「ありがとう、ジョンソン。フィエーナはどうかしら? お口にあっていたらいいのだけれど」
「美味しい、です。お母さんはハーブティーをよく淹れてくれるんですけど、紅茶もいいですね」
「あら、そうなの? これを機に紅茶も好きになってね」
しばらく他愛もない話をした後で、明日からの予定を教えてもらう。内務省、国立博物館、植物園、国防省、王国議会の五か所を見て回る予定だとロアック大伯父さんは話してくれる。
「内務省には知り合いがいますので、案内をさせようと思っています。国防省の方はドークが手配をしてくれたようですね。連絡がありました。予定表を作っておいたので差し上げましょう」
ロアック大伯父さんが配ってくれた予定表には、簡潔かつ事細かに予定が記載されていた。間違いを想起しない文章遣いや一目見てすぐ分かる図表の使い方に、こういった資料を作り慣れている雰囲気が窺える。
「何から何まで、本当にありがとうございます」
「いえいえ。年よりの道楽みたいなものですよ。むしろ私の好きにさせてください。こういった計画を立てるのも楽しいものですよ。急な予定変更、無理やりな人員追加、政治家の横やり……想定外の連続に狂わされない計画は美しい」
「ロアックは遠足の計画を立てる子供のようにワクワクしながら今日の計画を作ってきたんですよ」
「いやはやお恥ずかしい」
照れながら頭をかいて見せるロアック大伯父さんは、キアリーの肩を持つわけじゃないけれど愛嬌があった。
一週間に渡る予定を生き生きと話すロアック大伯父さんの説明を聞き終えると、随分と時間が経過していた。
「ヘイ、ロアック。そろそろ夕食にしてはどうかな」
「ふうむ、いつの間にか二時間近く経過していましたね。そうですね、いい頃合いでしょう」
「わーい、ご飯だー!」
声を抑えて言ったつもりのキアリーの歓声は思いのほか室内に響いてしまい、私は思わず苦笑してしまった。慌てて口を閉じても遅いよキアリー。ロアック大伯父さんたちも幼い子を見るような生暖かい目線でキアリーに微笑みを差し向ける。
「今日はアニレアが腕によりをかけて手料理を振舞ってくれるそうですから、楽しみに待っててくださいね」
「は、はい……」
一旦、解散となり私たちは再び私の部屋に集合する。
「はあ~~~~、もうキアリー! 五歳児じゃないんだからさっきのはないでしょう」
特大のため息を吐いて注意するアメリアだけれど、口調とは裏腹に顔はおかしそうに笑みで緩んでいる。
「ごめんね、でももうお腹が空いてしょうがないんだよー」
そう言ってソファに座る遥をそのままにソファへ倒れ込むキアリー。そのままキアリーは遥の太腿を枕に横になってしまった。
「遥、邪魔だったら床に落としちゃいなさい」
「えー、そんなことしないよ……」
「つか、あたしも疲れたー」
キアリーの上に倒れ込むトヨ。キアリーより十センチほど背の小さいトヨは遥の太ももまで背が届かず、キアリーの肩辺りに顔を乗せる。
「ちょっとトヨ~、顎が背中に刺さってるよー」
「あ、ごめんごめん。これでいいか?」
「ん、許す」
頬をキアリーの背に付けるとキアリーはトヨを許してしまった。
「もう、私が座れないじゃない」
「じゃあアメリアは私とこっちだね」
腕を組むアメリアに私は絡みつき、ベッドに倒れ込む。
「ちょっとフィエーナ! 危ないでしょ!」
「あははー、ごめんねアメリア」
「もう……反省してない顔ね!」
アメリアは何処で覚えて来たのか私の上に乗っかり、脇腹をくすぐってくる。アメリアのくすぐりの腕がいいのか、それとも私がこの手の技に弱いのか、私はくすぐられてすぐに我慢できずにのたうち回る羽目になる。
「ちょっ、あ、あはは! や、やめ、て! やめてよアメリア!」
「反省したかしら?」
「はぁ……はぁ……反省した、から……」
得意顔で馬乗りになるアメリアに、私は息絶え絶えで肯定するしかなかった。
「それにしてもフィエーナ、反応いいわね。パパには全然効かないのに」
「パパ?」
「あ、いや……余計なこと言わないの!」
余計なことを言ったのは私じゃない。それなのにアメリアはくすぐりの手を再開する。
「んあっ! なんで! えへへへ! なんでぇ!」
口を滑らしたのはアメリアなのに、理不尽だ。しばらく身悶えした私はかすれた声で抗議する。
「んん……ひどいやアメリア」
上に伸し掛かるアメリアを睨むけれど、頬を僅かに染めたアメリアは顔を背けて私の抗議を見なかったことにしようとする。
「あいてっ!? キアリーいきなり動くなって!」
「あわわわ、フィエーナ駄目だよ! エッチだよ! みんな、見ちゃ駄目っ!」
「え、え!? キアリー!?」
トヨを押しのけ、唐突に私の顔の上に胸を押し付けて来るキアリーに私はパニックを隠せない。というか息が出来なくなるから早く退いて。
「息が……」
「こらキアリー! フィエーナを殺す気!?」
「ええ!? そ、そんなつもりじゃないよー!」
何だかてんやわんやになって、誰が笑い出したのかは分からないけれどいつの間にか全員おかしくなって笑い出していた。
「あはは、旅先でテンションが上がってるのかな」
「そうかも、私ったらもう本当……浮かれちゃってる」
「フィエーナ、さっきはノリノリだったね。アメリア羨ましい」
ジト目の遥までベッドに乗り込んできて、アメリアを押しのけて私の上に乗り上げる。
「おいおいあたしはのけ者かよー」
「そんなことないよー、トヨもこっちに来なよー」
「キアリー!」
「トヨー! おいでー!」
飛び込んできたトヨをキアリーはその豊満な胸で受け止めてあげる。トヨも嫌がる素振りは見せずに自分から胸に顔を埋める。
「いい心地だぜ……」
「よしよーし、いい子だねトヨー」
トヨも里奈ほどじゃないけれど背が小さい。私より十センチちかく、キアリーと比較すると十五センチは小さいんじゃないか。キアリーの胸に顔を押し付けるトヨは、お姉さんに甘える小さな妹のようだ。
「ね、フィエーナ。私にもあれして」
あれを羨ましがる遥にちょっとびっくりだけれど、別にやること自体に忌避感はない。
「遥も甘えん坊さんだね。よしよし」
私の胸元に顔を埋める遥の頭頂部を優しく撫でてあげる。ふと遥に押しのけられたアメリアと目が合う。
「二人も甘えん坊さんがいて私たちの班は前途多難だね」
「本当ね」
皮肉気味に笑う私に、アメリアも呆れ声で同調する。
「ほらもう、みんな! しゃきっとしましょう! まだ寝るには早いわよ、ほらベッドからもう全員降りる!」
胸の前で両手を叩きながら、みんなをベッドから引きずり下ろすアメリアを見ていると彼女こそみんなの保護者みたいだと思ってしまった。