ロートキイルでは十一月に聖マルティヌスの日という記念日がある。
道場での修行を終えた私と遥はせっかくなので、一緒に道場の目の前の道を通る提灯行列を見学に来ていた。林原先生一家や道場の受講生も何人か一緒に連れ立ち、すっかり暗くなってきた道を点々と動く提灯の行列を眺める。
「綺麗だね……」
うっとりと提灯の明かりがふらふらと揺れ動きながら教会の方向へ向かうのを眺めながら、遥は私に寄りかかってきた。聖マルティヌスの日を境に冬は始まるとされているけれど、夜を迎えて一気に気温が落ち始めていた。くっついてくる遥の人肌は暖かくて、けれど頬と頬を触れ合わせるとひんやりとする。もうじき雪も降りだすだろう。
「ねえ、フィエーナ」
「どうしたの遥」
「ううん、何でもない」
ぎゅっと私の手を握る遥は目を潤ませながら提灯行列に視線を向け続ける。つい先日の秋季休暇で日本から帰って来てから遥はこんな表情を時折見せる。その瞳は私たちが近い将来、遠く離れることに思いを馳せているようだった。
「ねえ、フィエーナ」
「ん、どうしたの」
「私ね……ううん、何でもない」
さっきから何かを伝えようとしては口を噤む遥。私も何かを言おうと思うのだけれど、口を開こうとするたびに心の奥底がジンと痛むようで、その度に口を閉じてしまうのだった。
遥は二月の初めにはもう帰ってしまう。もう、こうしていられる時間は三か月を切ってしまっている。
「遥」
「なあにフィエーナ」
「まだ時間はたっぷりあるよ。だからさ、いっぱい一緒に過ごそう。いっぱい楽しもう」
私が笑いかけると遥は涙を零す。そして小さく頷いた。
三か月、二か月、一か月、三週間、二週間、一週間、六日、五日、四日、三日、二日、一日……まだたくさんあると思っていた時間はあっという間に過ぎてしまった。
遥が帰る数日前には遥の両親もロートキイルにやってきて遥がお世話になった人たちへお礼の挨拶をしに回っていた。私の家にもやってきて、母と一緒に精いっぱいおもてなしをした。
両親の前にいる遥は明るくて、甘えん坊さんで、見栄っ張りなところもあって……仲の良い家族だった。彼らの幸せが戻るのならば、それは祝福すべきことだと思えた。
遥の父親、仁悟さん。母親の奈緒さん。二人ともとてもいい人だった。二人に絡む遥は二人をとても信頼していて、本当に幸せそうで……。
「みなさん、今まで本当にお世話になりました」
両親の前に立ち、ぺこりと頭を下げる遥。遥との別れを惜しんで空港には私だけでなく友人たちも林原一家も集まっていた。涙もろいところのあるキアリーはボロボロと涙を零しっぱなしで、それにつられてみんなまで涙腺が緩んで泣き始めてしまう。私は別れの場で泣きたくはなかったから我慢したけれど、我慢なんて出来るはずがない。隙を見ては目に溜まった涙をハンカチで拭って笑顔を維持し続けていた。
「林原さん、吉上さん。今まで遥を預かっていただき、本当にありがとうございました」
「本当に、本当にありがとうございました」
遥の両親も深く深く頭を下げる。
「はっはっは! 気にしなさんなお二人とも! 私たちも遥と一緒に過ごした日々には感謝していますぞ!」
「そうですよ、遥ちゃんが来てくれて私も楽しかったわ」
目を赤くした林原先生と幸恵さん、二人は遥を実の娘のように可愛がっていた。一年半ほど、共同生活をしていたのだから愛着の湧かないはずがない。気丈に笑う林原先生から、そして声を震わす幸恵さんにも惜別の念が溢れ出て見えた。
やがて飛行機の搭乗を促すアナウンスが響き出し、別れの時を迎える。遥の両親がそれではと歩みを進めようとすると、キアリーが駆け出し遥に飛びつく。
「遥ちゃん……日本に行ってもずっと友達だよぉ~!」
「キアリー、綺麗な顔が台無しだよ」
涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしたキアリーの顔を遥は愛おし気にハンカチで拭ってあげる。
「キアリー、時間がないわ。私にも遥とハグさせて?」
「うん……うええぇ……」
よたよたと離れたキアリーを遥とアメリアは微笑ましく見つめた後、二人はしっかりと抱擁を交わした。
「日本でもしっかりやるのよ遥」
「ありがとうアメリア。私、頑張るね!」
「その調子! 遥なら元気にやれるわよ!」
アメリアが寂し気に笑いながら遥から離れると、代わってトヨがアメリアと同じような顔つきをして遥を勢いよく抱きしめた。
「寂しくなるな」
「そうだね……きっとまた会えるよね」
「当たり前だろ! なあ!」
振り返ったトヨに私たちは力強く頷いて見せた。そうだ、この別れで終わりになんてさせない。きっといつか、またみんなで一緒に再開するのだ。
「んー! 次は私だよ!」
「おいおいアタシを押しのけんなよ」
「だって時間がないんだよ! 私も遥ちゃんときちんとお別れしたいもん!」
両手を伸ばして抱擁をせがむ里奈の姿は抱っこをせがむ小学生のようだ。私と同じ風に遥も思ったようで、くすりと笑って遥は里奈を抱き上げる。
「わわっ! 遥ちゃん?」
「里奈は留学生クラスの時から仲良くしてくれたよね。あの時の私は不愛想だったのに……」
「そんなの気にしないでいいよ!」
「ありがとうね里奈」
「うん」
里奈と遥はお互いに背中をひしと抱きしめて、やがて離れた。それでも互いを慈しんだ優しい目線は離れることなく見つめ合い続ける。そこにコホンとわざとらしい咳をしてみせたエリナが割り込んでいく。
「私ともハグしよう、遥」
「エリナ」
「フィエーナについて語りあえる仲間がいなくなると思うと寂しいな」
「私に逐次連絡お願いね」
何だかとんでもない事を話していない? 後でエリナを問い詰めないと……。その後、私の母に、幸恵さん、林原先生、吉上先生とも抱擁を交わした遥は最後に私の目の前に立つ。
「フィエーナ、お別れだね」
もう今日だけでどれほど涙を流したんだろう。上目遣いでこちらを見つめて来る遥を見ているとそれだけで涙が溢れ出て来る。
「遥」
「フィエーナ!」
私たちは言葉を発さず、ただ抱き合った。こうしていると遥と出会ってからの思い出が次々に湧き上がってくる。本当に立ち直ってくれてよかった。遥なら向こうに戻ったらきっと人気者になれるだろう。新しい友達を作って楽しい学校生活が送れるだろう。
遥の温もり、心臓の鼓動、漏れ出る吐息、体臭に至るまで私は記憶に刻み込んでいく。
「遥ちゃん……もう飛行機が出るから」
「分かってるよママ」
遥が私から離れていく。どうしようもない寂しさに、私は腕を伸ばしかけるけれどここで引き留めては遥の決意も鈍ってしまう。遥を掴むために伸ばした腕で、私はお別れに手を振った。
何かを言おうとしても口から言葉が出てこない。せめて、私の思いが伝わってくれと目だけで私の気持ちを伝える。
ありがとう遥。一緒にいれて楽しかったよ。元気でね。
「フィエーナありがとう」
最後にもう一度だけ軽い抱擁を交わし、遥は搭乗口に消えていってしまった。私は搭乗口から目を離せなかった。
全面ガラス張りの空港の壁際、トヨは私に遥が今乗り込んでいる飛行機を指さしてくれる。双発の真新しい旅客機が空港から離れ、滑走路へ行き、そして離陸して空の向こうに消えていくまで私はずっと見つめ続けていた。
思えば、親しい人間が私のそばを離れていくのは随分久しぶりの経験だ。前回は幼稚園の頃だったっけか……こればかりは何度経験しても慣れない。ヴェイルも、遠く離れ行く者を見送った後は随分とへこんでいたっけ。
私も、ちょっと辛い。しばらくはエリナにでも甘えつくそうかな。
もうちょっとだけ続くんじゃ(進捗五割)