夕食を食べ終えた遥は早々にお風呂に入り、明日に備えて眠る準備を始める。退魔師戦力に余裕のあった頃なら日曜日は好きに出来る自由な日だったけれど、今や逆に一日中魔之物と戦い続ける最も過酷な曜日へと変貌していた。
「ねえ、フィエーナ。今日は一緒に寝ようよ」
「ん、いいよー」
遥の両親にお休みの挨拶を告げ、私は遥の部屋に招かれる。片開きのドアを開けると、もう一枚ドアが目に入り私は目を丸くする。
「何これ? 防弾シェルター?」
「あははは、違うよ防音室になってるの」
開けっ放しになっていた二枚目のドアは、普通のドアより分厚くなっている。組み立て式の防音パネルで作ったという防音室の内部は広々としていて、アップライトピアノのほかにベッドやチェストなどの家具があってもまだ私が五人は横に寝転がれる空間が残されているくらいだ。
ただ二重構造になっている以外は、普通に女の子の部屋らしい内装に仕上がっていた。ロートキイル時代に撮った写真が写真立てに飾られ、いくつかぬいぐるみが置かれ、学生らしく制服が壁にかけられている。その中に一つ、異様な雰囲気を纏ったオブジェが置いてあるのを見て私は苦笑した。
「あれ、飾ってるんだ?」
「うん。せっかくもらったんだもん」
去年の誕生日にキアリーが気に入っているコレクションの中から遥に贈呈した面妖な一品だけれど、遥も気に入っちゃったんだろうか。ムンクみたいな顔をした青銅のオブジェは、じっくり見ると愛嬌が垣間見えなくもなかった。
キアリーの奇怪なプレゼントの横に目を引かれ気付くのに遅れちゃったけれど、私が昔に遥へプレゼントした小さなガラス細工球もちんまりと飾ってくれていた。その隣には、去年の誕生日に気合を入れて作ったウサギの硝子人形も鎮座している。どちらも博物館の貴重品みたいにケースに封入され、赤いシーツの上に置かれていた。
「懐かしいねー、これ」
ベーセル兄に触発されて作り始めたガラス工芸だったけれど、意外と私はのめり込んでいた。素人にしては案外うまく作れるようになったと自負していて、地元の有名なガラス工芸家のユレーシャさんの弟子として師匠の個展の隅っこに作品を置いてもらえるようにもなっていた。他のお弟子さんもよく褒める、褒め上手で穏やかな気質のユレーシャさんの言うことだから話半分に聞いているけれど、私には才能があるらしい。他のお弟子さんもみんな言われてるみたいだからお世辞みたいなものだとは思うけれど、そう言われるとヤル気が出ちゃうあたり私も乗せられやすい性質みたいだ。
遥のお部屋に興味は尽きないけれど、私に返事をしようとした遥は大きなあくびで目を涙で潤ませる。恥ずかしそうに口を押さえる遥ともっともっとお話していたいけれど、疲労を蓄積させるようでは私が来た意味がない。
「そろそろ寝よっか」
「ん、こっちに来て」
先にベッドに入り込んだ遥がポンポンとベッドを叩くのに促されるまま、私が隣に入り込んだのを確認すると、遥はナイトスタンドに置かれたリモコンで部屋の照明を消した。これなら暗い中室内を歩く必要もないという訳だ。素直に私は感心した。
「流石日本のハイテクだね」
「こんなので?」
おかしそうに笑う遥を見ていると、日本ではこんなこと何でもないらしい。こうしたちょっとした部分でもロートキイルとの差が見えてくるのは興味深かった。
「それよりこの部屋すごいんだよ、ピアノを弾いても全然外に音漏れしないの」
念のためご近所さんにも確認したそうで、微かな音すら聞こえてこなかったのだという。
「外側のドアは鍵かけれるけど注意してね。二枚目のドアを閉めてたらノックされてるのに気付けないから」
一回鍵を掛けたことを忘れ夢中になってピアノを弾いていたら、奈緒さんの呼び出しに全然気づけず一緒の家に住んでいるのに電話がかかってきてようやく気づいたことがあったらしい。
十数分ほどお話をしているうちに、遥は疲れに負けて眠り込んでしまった。私も時差ボケを解消しようと無理に起き続けていたので、何もすることがなくなると一気に睡魔が襲い掛かって来る。
眠気にぼんやりとした思考の中、私の目の前ではスヤスヤと寝息を立てる遥の顔がこちらを向いていた。遥から微かに漂う清潔で甘い匂い。ウェーブがかった艶やかな黒髪が横を向いているせいで遥の片顔を隠してしまう。綺麗な顔立ちが隠れてしまうのが、何だかもったいない気がして私は遥の顔に触れ、起こさないよう髪をかき上げた。サラサラとしてすべやかな髪の毛と暖かく触り心地の良い頬の温もりは、私の手の動きを遥に触れたままに固定させる魅力に満ちていた。ナイトスタンドに置かれた照明具のほのかなオレンジ色の光に照らされた遥の綺麗な顔立ちは、何処か幻想的にさえ見えた。
こんなに愛らしい遥と間近に触れ合っていられるのだ。今日はきっと気持ちよく眠れるだろう。
「おやすみ、遥」
翌日、私が目を覚ますと遥が私のすぐ目と鼻の先でじいとこちらを見ていた。
「おはよう遥」
「フィエーナおはよう」
にへらと無邪気な笑顔で遥は私の体に回す腕に力を込める。いつの間にやら抱きしめられていたらしい。寝起きの思考が纏まらない頭のまま、遥のほんわり暖かな体温に包まれていると眠気が再び襲い掛かって来るけれどここで寝坊しては時差ボケが治らない。
名残惜しげに見つめて来る遥に躊躇いを覚えながらも引きはがし、私はベッドから身を起こして頭を軽く振ってから背伸びをする。
「うーん……よく眠った。遥はどう?」
「フィエーナと一緒だったから元気百倍だよ!」
胸の前で両手をグッと握る姿はボクサーのファイティングポーズにも似ているけれど、それとは似ても似つかない可愛らしさに溢れていた。
「フィエーナは今でも朝にランニングしているの?」
「してるよ、こっちでもしたいけれどいい場所があるかな」
何分来たばかりの土地で何処に何があるかも分からない。
「任せて! 私が案内してあげる!」
子供のようにはしゃぐ遥に腕を引かれ起床した私は身支度を整えた後、遥の両親が寝ている中マンションを抜け出し近所の公園に案内される。
「ほら、公園の外周がランニングコースになってるんだよ」
こじんまりとした公園だけれど、足に優しい舗装の施されたコースは一周四百メートルに設定されていて使いやすそうだ。私たちの他にも数人、先客が走り回っている。その中には私が通うことになっている高校の名が背中に描かれたジャージを着ている二人の男も混じっていた。
「おんや、一ヶ宮さんじゃない。その美人さんはどうしたの!?」
話しかけてきたのは、日本人はあまり背が高くないと思っていた私の偏見を吹き飛ばすような高身長の青年だ。すごい、私より二十センチ近くも身長が高いなんて。隣だって走っていた青年もまた優に百八十センチを超える体躯をしている。
「フィエーナ、この人は同じクラスの葛西さんだよ。隣の人は尾頭さん」
「どっも~! よろしくお願いしますね~!」
ケラケラと軽い調子で笑って手を差し出してくる葛西に、無言で頭を軽く下げて来る尾頭。どうにも正反対の性格に見える。
「月曜から三丘高校に転校することになってるフィエーナ・アルゲンだよ。よろしくね」
「ええっ!? 噂の留学制度一人で作っちゃったあの!?」
「あはは、まさか一人じゃ無理だよ。いろんな人に助けてもらってどうにか今ここにいるんだよ」
「つか、日本語上手いな」
「あ! そういやそうだ、何で!?」
「向こうにいた日本人と交流しているうちに上手くなったんだよ」
軽く自己紹介を済ませ、私は新しいクラスメイトとせっかくなので走ることにした。二人はバスケ部に所属しているそうで、毎朝こうして体力づくりの一環として走り込みをしているのだとか。
コースを周回する度にベンチに座る遥に手を振りながら私たちは走って行く。ちゃっかり参考書を持ち込んでいた遥はお勉強をしているようだった。昔は遥も時間を取って走っていたと葛西が話す。
「何か最近忙しいみたいなんよね……学校でも元気ないしおれっちとしてはちょっぴし心配」
ちゃらちゃらした軽薄な顔立ちに髪型、ついでに言葉遣いも好きじゃないけれど、遥を案じる葛西の声音と目付きは誠実に見えた。
実のところ、遥に体力を無駄遣いする余裕はない。一時間のランニングでの消耗も、命がけの戦闘の前には温存しておきたいみたいだ。そしてそれはヴェイルに言わせても理屈に叶っている。ちょっとの差が命を失うか否かに関わるのだから大事を取っておくべきなのだ。
一時間ほど走り終えると、私はそろそろ帰ると二人に告げる。二人も私たちより十分ばかり早く来ただけだったようでこの辺で切り上げるようだ。二人ともかなりのハイペースで走るから、私も一緒に付いて行くのは大変だった。三人して息を荒くしながら、待っている遥の元に歩いていく。
「はあ……はあ……。え、フィエーナさんマジ体力あんだね……」
「何かスポーツをしてるのか?」
「遥と同じ天河流だよ。免許皆伝」
私はピースして見せながらドヤ顔で見せつける。実は結構自慢のタネなのだ。
「おおっ、すっげえじゃん!」
「マジか……」
葛西は大仰に驚いてくれるし、あまり表情に変化のない尾頭も驚きで口をしばらく開けたままにする。
「俺らなんか一瞬で倒せちゃう?」
「んー、二人とも鍛えてるし体格もいいからねー。素手じゃちょっと手間取るかな」
「無理ではないのか……」
「無手でも戦えるのが天河流だよ」
二人と別れ、帰る道中何だか不機嫌な遥は私の腕に体を絡みつかせる。
「あの二人、フィエーナのおっぱいじっと見てた」
「でも、すぐに目をそらしてたし悪気はないよ」
私の胸が標準よりいくぶんか大きいのは自覚している。私だって身長の大きな葛西と尾頭に一瞬注目してしまったのだ。平均よりずれると違和感に目を奪われるのは仕方のないことだと思って私は自分自身を納得させていた。あんまり注目され続けるのは気分が良くないけれど。
マンションに戻ると遥の母親が朝食を作るいい匂いが鼻をくすぐる。
「おはよう遥にフィエーナちゃん。昨日言ってたけど本当にランニングに行ってたの?」
「そーだよ、ね遥」
「うん。私は勉強してただけだけど」
「だから締まった体してるのね。羨ましいわ」
一瞬胸に視線が映ったのを私は見逃さず、そして私に気付かれてしまった奈緒さんはあからさまに目を逸らした。
「もっ、もうすぐ朝ごはんよ。フィエーナちゃんはシャワー浴びてさっぱりしてきたら?」
「ありがとう奈緒さん。そうさせてもらうね」
家族みたいなものなのだから敬語はいらない。そう言われたので私は昨日の夜から奈緒さんと仁悟さんにも普段通りの言葉遣いで接していた。
シャワーを浴び終え、起き出してきた仁悟さんとも一緒にテーブルを囲んで朝食を取る。そして、朝食を取り終えた遥はまたすぐに迎えの車に乗って戦線へ投入されていったのだった。
竿要員とかじゃなくて、人避けの盾以上の価値はない(無慈悲)