遥が退魔師として仕事に出向いた後、私は奈緒さんと仁悟さんと一緒に近所を巡って一通りに地理関係を頭に叩き込んだ。もうこれで半径数キロ圏内なら道に迷うこともなくなるだろう。
ついでに細々とした日用品も買い増して戻ってくると、すっかり夕暮れになってしまっていた。
「あー……今日は随分と歩いたなー」
疲れてソファにぐったりと沈み込む仁悟さんの声音には疲弊だけでなく何処か達成感も含まれている気がした。
「そーねー、でもいつの間にか沙奈さんの喫茶店新メニューが出来てたわね」
「ああ、抹茶のアレか。美味かったな」
「暑くなってきたからああいう涼しい見た目のメニューよかったわね」
ここに越したのは遥がロートキイルを離れた頃の事で、まだ一年ちょっとしか経っていないらしい。だからか、二人にとっても暇なときの町巡りは楽しみになっているようだった。
「にしても、フィエーナさんは注目の的だったな。まるでアイドルみたいだったじゃないか」
「本当! これからがちょっと心配ね」
どうしても日本だと私の容姿は浮いて見えてしまう。白銀の髪が標準のロートキイルとは正反対に日本は黒髪が標準なのだ。
「アイドルデビューしちゃおうかな」
「いいんじゃないか? きっと大成功すると思うぞ」
「わあー! そしたら私応援するわよ!」
「じょ、冗談だよ! 冗談!」
まさか本気にされているかと思って私が慌てて否定し始めるとこの夫婦、顔を見合わせてニヤリと笑う。からかわれていたと気付き、私は口をへの字に結んでじいと睨んだ。
「その顔も可愛いわねフィエーナちゃん」
「ブスッとしてても絵になるな」
抱きしめられても、褒められてもあまり嬉しくなくて私は表情を維持し続けた。
遥は昨日にもまして疲れて帰ってきた。当たり前だ、昨日は午後だけで今日は丸一日ずっと戦い続けていたのだろうから。ぐだぐだして動きののろくなってしまった遥は食事中にもうつらうつらする有り様で、さっさと寝かせなくてはと私と一ヶ宮夫婦の間でアイコンタクトによる合意が図られた。
「お風呂はどうする遥ちゃん? 結構汚れてるからシャワーだけでも浴びて寝たら?」
「んー……眠いよママ……」
目をこすり、頭をふらふらとさせる遥は今にも椅子の上で眠り始めそうだ。
「奈緒さん私が遥をお風呂に入れてもいい? きっとそうした方がよく寝れるよ」
「遥ちゃんどうする?」
「いれてーふぃえーなー」
抱っこの体勢を取る遥はとても十五歳には見えないほど幼く見えた。あまりにも子供っぽくて、愛らしい。だがここまで幼児退行しているのも、全ては命がけの戦いでの消耗故なのだ。
「仕方のない子だ。ほら、パパがお風呂まで運んでやるからな」
「んー……」
だからこそ我が儘に振舞う遥にきつく当たる人間はこの場にはいない。
「悪いが後はフィエーナさん頼むよ。まさかこの年の娘を俺が風呂に入れてやる訳にもいかん」
苦笑しながら脱衣所から出ていく仁悟さんを見送り、私は遥の服を脱がせにかかる。
「ほら、遥。両手を挙げて」
「んー……」
「んじゃ次は一回立ってくれる? パンツ脱がせるからね」
「んー……」
私の言葉に素直に従い、重たい瞼をこすりながら遥は裸になる。身長は百六十を越え、体のラインもくびれのある大人の女性と化している。それなのに幼児のように振舞うギャップが何ともいじらしい。
白くてきめ細やかな肌、手の平で包み込める可愛らしい胸、お尻も丸みはあれど小ぶりで、だけれどそれ以上に細くて華奢な腰は折れそうにすら見えてしまう。性的な感慨よりも、単純にただただひたすらに美しいと思えるような身体美を前に私は思わず感嘆としてしまう。美少女とはまさに遥のことを言うのだろう。
「遥、気持ちいい?」
遥をお風呂に置いてある椅子に座らせ、シャワーノズルで髪の毛にたっぷり温水を含ませる。綺麗な黒髪だ、乱暴に扱って台無しにしたらもったいない。
「んー……」
ロクに言葉も発する気力がないらしい。さきほどから声にもならないうめき声の声音だけで私は遥の心境を察しなくてはいけなくなっている。多分、心地よいのだろうと私は判断し、私は頭皮にしっかり指を届かせてマッサージをするように汚れを落としていく。
「んへ」
気の抜けたような声を上げ、ただ眠たげだった遥の表情に笑みが浮かぶ。本職ほどではないけれど、気持ちよくなってくれているのなら私も丁寧に頭を洗っている甲斐がある。
「はあ……ふう……」
「大丈夫遥? ちょっと休憩しようか?」
ちょっと時間をかけすぎてしまっただろうか。そこまでお湯の温度が高くないはずなのに、遥の息は乱れ頬には朱が差していた。
「ん、いいから……続けてフィエーナ」
「う、うん」
眠たげに緩む目元に紅潮した頬、お湯に濡れた髪の毛がぺったりと肌に張り付いて、背後にいる私に振り向いて上目遣いでお願いをしてくる遥を、私は煽情的だと感じてしまった。こんな表情、人目のある場所で見せたら過ちが起きかねない。遥、私以外に迂闊に見せたりしたら駄目だからね。
お風呂を上がった遥をパジャマに着替えさせ、髪を乾かしてあげる。もうこの段階になると遥は座ったまま眠ってしまっていて、私は遥を寝かしつける準備を終えるとそのまま遥を背負って部屋に連れて行き、ベッドで横にしてあげた。
「遥、寝ちゃいました」
私が遥の自室からリビングに戻ると、ビールを開けて晩酌をする夫婦の姿があった。
「そう、フィエーナちゃんありがとうね。遥ちゃんのお世話大変だったでしょう。はい、一杯どうぞ」
「ありがとう奈緒さん」
ロートキイルだともうお酒は飲めるんだけど、こっちではそうもいかない。奈緒さんが私のコップに注いでくれたのはジュースだった。
「いやいや助かるよ。あそこまで大きくなると奈緒では重くてきついんだが、さりとて年頃の女の子だろう? 俺が下着を着せる訳にもいかないからね」
しばし二人の晩酌に付き合った後、私は一ヶ宮家のパソコンを借りる。日本とロートキイルの時差は七時間なので、夜も更けた今頃があちらではお昼過ぎとなる。SNSで連絡は欠かしていないけれど、やはり直に顔を見合わせて話しておきたい思いも強くなっていた。
「ハロー、映ってる?」
『フィエーナ! 映ってる、映ってるわよー』
「おー、お母さーん」
画面越しに私の母がにこやかに手を振りながらロートキイル語で話しかけて来る。向こうでは毎日のように聞こえていた言語だけれど、当然ながら日本では全く聞く機会がない。
『フィエーナ、どうだ元気にしているかい?』
「うん、元気だよー」
母の隣から父が顔を見せる。数年の王都勤務を終え、ようやく父は最近家に戻ってきたのだけれどそれと前後して私が日本へ旅立ってしまった。母が一人ぼっちで残される羽目にはならなくてよかったと思っている。
『フィエーナ? 今日は私もいるよ』
「エリナ! 今日は時間を空けてくれたの?」
『まあたまにはね』
日曜日のエリナは大抵何がしかの用事を抱えていた。私との通信のためにわざわざ私の家に来てくれたなんてちょっぴり感激してしまう。
『遥ちゃんは今どうしてるの?』
「あはは、もう寝ちゃってるよ。今すごく忙しいみたいなんだ」
『それを励ますためにフィエーナが行ったんだものな。しっかり元気づけてやるんだぞ』
「もちろんだよお父さん、私がそばに張り付いてしっかり元気にしてくるよ」
『ちょっとストーカーっぽいよフィエーナ』
「えー、ひどいよエリナー」
日本に付いてからの近況を話していくとキリがなかった。生魚を初めて醤油で食べた話、防音パネルに仕切られている遥の部屋の話、電柱まみれの街中の話。数十分ほどの会話を終えて通信を打ちきると、寂しさがこみ上げてきてしまう。
「フィエーナちゃん、そんなにしょんぼりしないで。私たちがいるじゃない」
「そーだぞフィエーナさん。家族みたいなもんなんだ」
テレビ電話の途中からちょくちょく会話に割り込んできていた一ヶ宮夫婦が私の肩に優しく手を乗せる。乗っかった手の温もりが妙に心をほんわかとさせてきて、自然と私の寂しさはほぐれていった。
「ありがとう奈緒さん、それに仁悟さん」
片方ずつに乗っかったそれぞれの手を私は握り、感謝の思いを込めて精いっぱいの笑顔でお礼を言った。