翌朝、目を覚ました私は私の上に跨って四つん這いの姿勢をしている遥と目があった。
「おはよう遥。起こしに来てくれたの?」
「う、うん。おはようフィエーナ」
わざわざ私を起こすために全力疾走でもしてきたのか、そう思えるくらい遥の息は小刻みかつ連続的だ。頬も微かに赤く染まっているし、受け答えも少々声音が不自然だ。その顔つきは何処か艶めかしくて、私の方がどきりとしてしまう。
「遥、体調が悪かったりしない? 大丈夫?」
「ううん? 平気だよ!」
嘘を言っているようには見えないけれど、態度におかしな点があるのも事実。
「まあいいけどさ、とりあえず退いてくれない? これじゃ私、起きれないよ」
「あ、ごめんねフィエーナ」
何かやましいことでもあるのか、そそくさと私から離れた遥は部屋を出て行ってしまった。何も出て行かなくてもいいのに。
私は朝の身支度を整え、ランニングに向かう。遥にも声をかけたけれど、今日は勉強に励みたいとのことなので一人で行くことにした。私が公園に到着すると、昨日も見かけた二人の青年が入り口で待ち構えていた。
「おいーす! フィエーナさんっ!」
「うす」
「待っててくれたの?」
私が葛西に質問を投げかけると、照れたように顔を逸らされてしまった。
「いやあっ、美人さんに上目遣いされるとちょっとおれっち困っちゃうなー」
「ボディーガードとでも思ってくれりゃいいさ。俺らがいれば早々近寄る馬鹿はいないからな」
「へえー、ありがとうね。葛西に尾頭」
性根は善良そうな二人だ。一緒にいて仲良くなってもいいだろう。昨日のように二人と一緒に走り始める。
「今日は私のペースで走ってもいいかな」
「いいすよいいですとも! な、雄二」
「あんまり遅かったらペース早めるぞ」
「言ってくれるね」
昨日は二人に合わせて走っていたので、もうちょっと負荷が欲しいと思っていたのだ。私は少し二人の前を走り、この走行集団のペースを定めた。さあて、ついてこられるかなお二人さん。
一時間たっぷり走り、私は膝に手をついてその場で動きを止める。二人はどうかと見てみると、息は切らしているけれどまだ余裕はありそうだ。うーん、悔しい。
「はあ……はあ……いや、フィエーナさん……これ毎朝はきついっすよ」
「朝練大丈夫かな」
何とこの二人、この走り込みの後さらに部活の朝練にも参加する予定だったのか。
「あちゃあ、何か考えなしでごめんね」
「いやいや、俺らもちょっと油断してたし、なっ!?」
「くっつくな暑苦しい」
肩を組もうとした葛西を振り払った尾頭はふんと息を吐いて私を見下ろしてくる。仏頂面だった顔に少しだけ笑みが見えた。
「行こう葛西。朝練に遅れる」
「そだなー。んじゃ学校でねフィエーナさーん!」
「ばいばーい」
そのまま背を向けて去っていく尾頭に、両手を振り続けながら器用にも後ろ歩きで去っていく葛西。性格は似てないけれど、仲は良いようだ。私は片手を振り、微笑ましく思いながら見送った。
私は同じマンションの住人と挨拶を交わしつつ一ヶ宮家に戻ると、既にみんな起き出して活動を始めていた。奈緒さんはキッチンで朝食を作り、仁悟さんはリビングでスーツに身を包んではビジネスバッグの中身をがさごそと弄り、遥は制服に着替えて奈緒さんが朝食を作るキッチンの目の前にあるテーブルで勉強をしていた。
私も急いで支度しないと遅刻してしまう。軽くシャワーを浴びて汗を洗い流し、制服に着替えていると遥が部屋に訪ねて来る。
「フィエーナ、入っていい?」
「いいよー」
私の部屋に入ってきた遥は、私を見るなり凝視したまま動きを止めてしまった。
「どうしたの遥?」
「制服が……」
私の胸元を指さし眉間にしわを寄せる遥。スラっとした立ち姿の遥と違い、私の場合胸囲が大きめなのでそこだけが引っ張られてしまっているのがみっともなく見えるのかな。一応、腰部のベルトのおかげでメリハリが出来てある程度は見られるようにはなっているとは思うのだけれど。
「あんまり人前に出たら駄目だよ」
「ええ、今から学校に行くんだよ遥。無茶苦茶言わないでよ」
ジッと私の胸元に視線を集中させていた遥は唐突に大きな溜め息を吐いてうなだれる。一呼吸おいて面を上げた遥の瞳には決意の光が宿っていた。
「大丈夫、フィエーナは私が守るからね」
「あはは、ありがとう遥。それじゃ朝ごはんにしようか」
奈緒さんの作ってくれた朝食を一ヶ宮家のみんなと一緒にいただく。朝は簡素にフルーツとパンを摘まむ程度のロートキイルと違い、一ヶ宮家の朝食はご飯にお味噌汁が基本におかずのついたお腹に溜まる食事だ。朝からこんなに食べられなくて、私の器だけ全てが小盛りになってしまっている。
「本当にそれだけでお腹いっぱいになるの? お代わりしたら?」
「ありがとう奈緒さん、でも私は昔から朝はちょっぴりしか食べてないから」
予め朝はそんなに食べないと伝えているので、奈緒さんも私の分量を調整して出してくれている。父の言った通り、細かな部分で生活習慣に違いがあるから話し合っておいてよかった。
「そうだ、はい。これフィエーナちゃんの分よ」
朝食を食べ終え登校の準備に入った私は、両手の上に乗っかるサイズの小さなトートバッグを手渡される。温もりを発する不思議なバッグは私にだけでなく、遥の分も用意されていた。
「これは?」
「お弁当だよ、ママはいつも作ってくれるんだ」
遥は私と柄違いのトートバッグを持ち上げ、愛おし気に表面を撫でる。奈緒さんが朝食と並行して私たちの昼食まで作っていたのを知り、私はちょっとの申し訳なさと胸いっぱいの感謝の気持ちを抱く。遥もきっと私と同じかそれ以上に感謝の念を抱いているに違いない。
「専業主婦ですもの、これくらいはね」
「ううん、そんなことない。私、感謝してる。毎日作ってくれるママのこと大好きだよ」
「んふふ、どういたしまして遥ちゃん」
奈緒さんの謙遜を強く打ち消した遥は、直球で感謝の言葉を放つ。そのむき出しだからこそ直に心に響く思いを真っ直ぐに受け止めた奈緒さんは、嬉しそうに照れ笑いを浮かべていた。
「奈緒さん、私からもありがとう。大切に食べるね」
「んもー、二人とも……明日も美味しいの作ってあげるから早く学校行ってらっしゃい」
「あー、ママ。照れてるー」
「照れてません」
そう言ってツンとそっぽを向く奈緒さんの耳がほんのり赤くなっていたのを私と遥は見逃さなかった。
先に仕事へ出かけた遥の父親から遅れて私たちも登校する。歩いて十分の距離にあって、なおかつ始業も八時半からなので、ロートキイルの学校より一時間はゆったり出来た。
遥と連れ立って通学路を歩いていると、同じ服装で同年代の人たちが同じ方向へ向けて歩いていく。そういうものとは知っていたけれど、改めて見ると不思議に思えて来る。
「おお……本当にみんな同じ服を着ているね」
「ロートキイルだとないもんね」
ロートキイルだと街中を普通に歩いていて同じような服装の集団というと警察かあるいは軍隊くらいだろうか。それがここだと高校生が服装を統一して歩いている。これはこれで統一感があって面白い。
「というか、随分と注目されてるね私たち」
「私たちじゃなくて、フィエーナがだよ」
遥の黒髪がロートキイルで目立っていたのと同様に、私の白銀の髪がここ日本では珍しいものとして扱われてしまっている。見るだけならいくらでも見てくれていいのだけれど、ほんの数人とはいえスマホを向けて来るのは無遠慮であまりいい気分にはなれなかった。
「ねえねえあれ何?」
「郵便局だよ」
「じゃあ、あれは?」
「酒屋さん」
通学路にある建物に、街並みのどれもがロートキイルとはまるで異なっていて興味深い。ヴェイルのいた異世界とは違って、同じ世界なのにこうも一々違って見えるなんて世界は広い。昨日奈緒さんと仁悟さんに案内してもらったけれど、少しを知れば新たに疑問が浮かんできてしまうのだった。
「今日のフィエーナはロートキイルに来たばかりの私みたいだね」
「あはは、そうだね」
思えば遥もロートキイルに来た当初は道行くもの全てが初めて見るものばかりで、時々あれは何だろうと首を傾げていた。すっかり立場が逆転してしまっている。
私がちょくちょくと止まっては質問を繰り返していたせいで十分の道のりが倍に伸びてしまったけれど、予め今日は早く学校に行き担任の先生と話をする予定だったので余裕を持って学校には到着できた。
遥に職員室まで案内してもらい、担任の先生と挨拶を交わして、遥と同じクラスまで案内される。
「フィエーナさん身長大きいね。今はどれくらいあるのかしら?」
「百六十七センチです」
「そっかあ、ロートキイルだとそれくらいは普通なの?」
「んー、平均くらいです」
語尾が伸び気味で緩い口調の久保先生は優しくて気さくな女の人だった。担任の先生と軽く雑談をしながらクラスルームに向かい、一緒に室内へ入る。
「みんなおはよー」
朗らかな印象を受ける久保先生の挨拶は残念ながら生徒たちからの返事をもらえなかった。いや、遥の声だけ聞こえてたのだけれど、それ以外の生徒は静まり返って私と先生を見つめてきていた。
「あは~、サプライズだったかな? 今日は先週から言っていた転校生の子がやってきました。自己紹介してくれる? フィエーナさん」
ニヤリと笑う久保先生にこれで名前を書いてねとチョークを渡され、私は筆記体でサラサラっとフルネームを黒板に書いていく。フィエーナ・ガブリエラ・テレジナ・ルカ・パルナクルス・ユニカ・アルゲン、私のフルネームでありどの部分も気に入ってはいるけれどこれを全て覚えるのを他人に求めるのはロートキイルであっても難しい。なので、最初と最後だけを強調するように下線を引いた。
「初めまして、長々と書きましたけど間の奴は省いてフィエーナ・アルゲンと覚えてください。これから一か月くらいですけど、よろしくお願いします」
日本式に私はぺこりと頭を下げ、生徒たちの様子を窺う。私のいたクラスの倍近い四十六人クラスの全員がしっかりこっちを見てくれてはいるけど、拍手してくれなかった。あれれ、もっとジョークを効かせるべきだったかな。
よしここは一つ、ロートキイルジョークをと思ったところでガタンと勢いよく椅子から立ち上がった子がそのままの勢いで私目掛けて歩いてくる。
青みがかった綺麗な黒髪を前下がりボブにした、目鼻筋がキリッとした美人の女の子だ。背筋もピンと張っていて歩き方も堂々としている。スラリと伸びた足に細い腰とは対照的に大きな胸とお尻は、女子高生に非ざる大人の魅力を醸し出している。遥は美しさと愛らしさを両立した美少女だけれど、この子は美しく気高い。見た目、立ち振る舞いの双方が威風堂々としていて格好のいい美人さんといった印象だ。
そんな女の子が、つかつかと私の目の前まで歩いてきて私を見下ろしてくる。五センチは優に背丈で私は負けていた。透き通った三白眼の瞳が私を射抜く。強い意思の籠ったその瞳を前にして、私は目をそらすことが出来ない。
気付けば両手を握られてしまっていた。口を開いて見せては閉じ、再び少し開く。何かを言おうとしては躊躇っているようで、もどかしい。何かを伝えたいという強烈な思いの丈が目から溢れているのに、言語化しあぐねて彼女自身もどうしていいのか分からないのではないかと思える。
時間にすれば数秒間、私たちは見つめ合っていた。透き通った白い肌を僅かに染めていた赤色が徐々に顔全体に広がっていき、真っ赤に染まるまでになって、彼女はようやく口を開く。
「一目惚れした! 付き合ってくれ!」
凛々しい顔立ちを真っ赤に染め、しおらしく眉を八の字に曲げた彼女は一気に言いたい事だけ言って頭を下げて目を瞑る。告白の返事を待っている姿は、私がさきほどまで抱いていた堂々たるイメージとは真逆の可憐な乙女だった。不覚にも可愛いと思ってしまった私はバッサリと切り捨てる台詞を吐くのを躊躇ってしまう。
「と、唐突過ぎるよ。いきなり告白なんてされても……」
「駄目か!?」
多少の受け答えの想定はしてきた私だけれど、まさかこんなことになるなんて予想できるはずもない。返答に期待を膨らませる美少女の熱情をはらんだ視線は直視するには眩しくて、私は視線を横に流してしまう。ああもう、頭に血が上っているのが分かる。
駄目だ駄目だ、こういう時こそ冷静にならないと。一呼吸、しっかり空気を吸っては吐いて私は思考をクリアにする。こんな場面でも平静をすぐ取り戻せるのも天河流剣術を長年続けていたおかげだ。
「私は遥を元気づけようと思って日本に来たんだ。恋人を作りに来たわけじゃないよ」
美少女相手は初めてだけれど、初対面で告白を受けたのは何も初めてという訳じゃない。一度冷静になれば、今まで通り対処していけばいいだけだ。相手を逆上させないよう強く嫌悪の念を示さず、態度は柔らかく。けれど言葉の上ではしっかりと否定していけばいい。普段通りのアルカイックスマイルを浮かべたまま、私は言葉を紡いでいく。
「遥って、一ヶ宮のことか? 一ヶ宮と知り合いなのか?」
「ロートキイルに遥がいた頃に友達になったんだよ。それで最近元気がないから様子を見に来たんだ」
「じゃ、じゃあ……アルゲンは遥のために日本に来たってのか? でも、留学しに来たんだろ? どういうことだよ」
「あはは、留学って形にすれば学校でも一緒にいられるでしょ」
「まさか……一から留学制度を作ったのは遥と一緒に学校で勉強したいからなのか」
「うん」
目の前の美少女は私の遥への思いを聞き、直情的な告白の浅慮を恥じたようだ。
「やべえ……これが本物の愛ってやつなのか?」
「ごめんね」
「うああ……」
うなだれて呆然自失となった彼女に、小さな女の子が駆け寄って来る。明るい茶色の長髪は染めているようには見えないから、きっと地毛なのだろう。小動物のような愛くるしさで心中の私をほんわかさせる少女は私の目の前に割り込んで上目遣いで必死な表情を向けて来る。
「あ、あの! 智恵ちゃん悪い子じゃないから嫌いにならないであげて! ちょっと行動が突発的で猪突猛進なトコあるけど、ホントにいい子なんだから!」
おっとりとした癒し系の美貌で懇願してくる目の前の美少女は、結局百五十センチの壁すら突破できなくて悔し気に涙目になった里奈とほぼ同じくらいの背丈だ。こんな小さいと、同年齢かちょっと疑ってしまう。実は小学生くらいなんじゃないだろうか。里奈はそれを否定する立派な双丘を持っていたけれど、この子は顔つきに沿った控えめな体をしていた。
「あはは……名前すら聞いてなかったよ。智恵っていうの?」
「ん、ああ……アタシは橘智恵。よろしく」
さきほどまでの勢いはどこに行ったのやら。しょげかえった智恵はもごもごと小さく自己紹介をした。いきなり告白をされ驚いたけれど、少なくとも私の見た目は好きでいてくれるのならちょっぴり嬉しい。抱擁……はきっと日本では勘違いを招く。それでも握手位ならしてもいいのではないかと私は智恵に片手を差し出す。
「よろしくね智恵。恋人にはなれないけど、お友達にはなれたらいいね」
「!? あ、ああ! なろう! 今日から友達から始めよう!」
差し出した手を力強く両手で握った智恵は途端に元気を取り戻し大輪の花のような笑顔を見せた。