「えー、今日はここまでなのー?」
「ごめんね、道場に行かなきゃ」
私は放課後基本道場に通っている。友達付き合いはあまりいい方とはいえなかった。里奈とも学校以外での付き合いは専らSNSだった。
「フィエーナちゃんいっつも道場行ってるよね。一日くらい時間取れないの?」
遥とは道場後多少の時間を取っていたけれど、里奈に昔語りを聞かせるのは学校だけだった。SNSで催促をされたことがあったけれど、下手すれば全世界に広がることを考えると流石に恥ずかしすぎて断った。
「うーん……まあたまにならいいけど」
「やった! じゃあじゃあ来週の水曜はどう?」
「まあ、いいよ」
「いやったー! フィエーナちゃん好きー!」
小柄な里奈が勢いよく私に抱き付いてきて私は何歩か後ろへ押し込められる。ふと、遥に目を向けると目線だけでこちらに物欲しそうな感情を訴えかけてきていた。
「よかったら遥も来る?」
私の言葉に頷いて見せた遥の表情は明るく、年相応に眩しい笑顔を見せた。
水曜日の放課後、友人たちが一度家に戻っている間に一足お先に家へ帰ると母がパウンドケーキを持って出迎えてくれた。
「おかえりなさいフィエーナ!」
「ただいまお母さん。それ、美味しそうだね」
「うふふ、そうでしょう! 今日のケーキはいい焼き上がりしてるわ!」
友人を招く私よりも母の方がよっぽど嬉しそうだ。思えば私が以前に友人を家に招いたのはいつだろう。パッと思い出せない程度には稀な出来事だけに、母が張り切るのも無理はないのかもしれない。
「今日来るのは二人とも日本人の女の子なんでしょう? ケーキは口に合うのかしら? 幸恵は心配いらないって言うけどちょっと不安だわ」
「大丈夫だよ、お母さんのケーキ美味しいもん」
「ありがとうフィエーナ!」
私が二階の自室に行き、軽く自室を整理していると階下から玄関に備え付けられたチャイムの音が耳に届く。おや、随分早い到着だ。
どっちが着いたのだろうかと階下へ降りていくと、母が一足先に玄関で吉上先生と遥の二人と挨拶を交わしていた。
「フィエーナと仲良くしてあげてね」
優しく微笑む母の伸ばした手を握り返した遥におびえた様子は見られない。ベーセル兄に伝承されたほんわかとした人となりは、遥の警戒心を上手くほぐしてくれたようだ。
「こんにちは、吉上先生。今日は遥の送迎ですか?」
「こんにちは、フィエーナ。買い物もあったからついでにね。七時前には迎えに来るからあんまり遊び過ぎないように」
「はーい。遥、私の部屋に行こう?」
私の伸ばした手を遥が掴み、私たちは階段を昇っていく。
「一杯お茶でも飲んでいきませんか? ちょうどパウンドケーキも焼けたばかりなのよ」
「へえ、いいですねえ。あんまり寄り道は出来ませんけど、一切れだけ頂けますか?」
階下で吉上先生が母のパウンドケーキに釣られたのを聞き及んだ私は二階から一階に頭を突き出す。
「吉上先生ケーキ全部食べないで下さいよ!」
「あははは……努力はするよ」
「大丈夫よフィエーナ! 私がちゃんと見張ってますから!」
私がリビングへ消えていく二人の背中を見ながら頭を引っ込めると、遥が不思議そうに見つめていたので説明する。
「吉上先生が甘いお菓子好きって知ってる?」
「うん。よく食べてるの見るよ」
「先生ったら前、パウンドケーキ丸々を一人前と勘違いしちゃって全部食べちゃったことがあるんだよ」
「えぇ……」
あの時の吉上先生の顔は見ものだった。勘違いに気付いて顔を青くする吉上先生とまさか全部食べると思わなくって笑い出す母。私とベーセル兄もおやつが消滅した憤りを忘れ、おかしくて笑ってしまったのだった。
「もうほんとちょっと目を離した隙にこんな大きさのケーキを全部食べちゃったんだから」
「それは……吉上さん、食べ過ぎだね」
しばらく吉上先生を話のネタにしていると再びチャイムが鳴る。私は遥と連れ立って二階から玄関を見下ろすと、玄関を開けた母の前に緊張した面持ちの里奈が立っていた。
「こんにちは、フィエーナのお友達かしら?」
「こ、こんにちは! 坂木里奈です!」
里奈のロートキイル語は大分上手くなってきたと思うのだけれど、初対面の人だとまだ里奈はちゃんと話せるか不安になってしまうのだと以前言っていた。
「こんにちは里奈。フィエーナから聞いているわ。どうぞ入って」
「お邪魔します!」
普段はあんな声音が大きい子ではないんだけどな。手足の動きも心なしか機械のようだ。
「里奈-、ここだよ」
「フィエーナちゃんに遥ちゃん!」
私が日本語で話しかけるとホッとしたような表情を見せて来る。やっぱり母国語の安心感があるのかな。
「おや、フィエーナの友達って日本人だったんだね」
「え、ええと?」
突如現れた吉上先生に困惑する里奈。
「あはは、フィエーナの通っている剣術道場で師範代をしている吉上善です。よろしくね」
「へええ、よろしくお願いします。でもなんでフィエーナちゃんの家にいるんですか」
「遥がホームステイしてるのも剣術道場なんだよ。今日は送り迎えに立ち寄ってね」
「そうなんですか」
「所用があるんで、僕は一旦帰らせてもらうよ」
帰っていった吉上先生を見送った後、隣に立つ里奈が興奮したように話しかけて来る。
「ねえねえ! 凄いカッコいい人だね!」
「あはは……」
確かに顔は悪くない。けれど吉上先生にカッコいいといった形容詞が似合うようには思えなくて私は苦笑いしてしまった。
「私にとってだけど、どっちかというと吉上先生は優しい印象かな」
ちょっと抜けてる面もあるけど誠意があって、人の気持ちをよく考えて行動する人……私の中の吉上先生はそういった人間だ。
「ふうん。何歳くらいなのかな」
「今年で三十六歳だったかな」
「嘘! 二十歳くらいに見えたよ!」
吉上先生顔つき若々しいんだよね。身長も百七十あるかないかだし、ロートキイル人基準だと下手すると十五歳前後にすら見間違えられちゃう。ベーセル兄の方が年上に見えかねないからなあ。
「さあさ、みなさん。そんなところに立ってないでこっちへいらっしゃい。おやつにしましょう」
母に先導され私たちはリビングのソファに座らされる。
「ちょっと待っててね。今ケーキを持ってくるわ」
「私も手伝うよ。二人はそこで待ってて」
二人をリビングに残し、ウキウキとキッチンに消えていく母を追う。
「お母さんはいつも通りお茶を淹れて。私がその間にケーキを切り分けておくから」
「はーい、フィエーナの言う通りにしまーす」
「もう、何それ」
二人でクスクス笑い合いながら準備を済ませ、リビングに戻って四人でケーキをいただく。
「いただきます」
初めに遥が小声で呟いたのに続いて、里奈に私、そして母も今日は日本式にいただきますを唱えた。
「ん、美味しい。美味しいですお母さん!」
「ありがと里奈」
目を輝かせケーキを頬張る里奈は小動物のように愛らしい。あっという間に食べきってしまった里奈へ母はお代わりを持ってくるわとキッチンへ消えていった。
「いいなあフィエーナのお母さん。こんなの毎日食べれるんだもん」
「自慢のお母さんだよ」
私は自信を持って宣言するけれど、それとなく遥の様子を窺う。表面上も、そして心拍に至るまで特に変わった様子は見受けられない。よかった……遥は家族関係の話題を出し過ぎると嫌がる。それとなく注視を続けていこう。
「遥はどう?」
「好き。すごく好き」
直球で好きと真顔で言い放ちながら遥は黙々とケーキとお茶を交互に食べては飲んでいく。気に入ってくれたなら、何よりだ。
「遥ちゃん食べてる姿も綺麗だよねー、超絵になる感じする」
「分かる。写真を撮って額縁に飾ったら芸術作品になりそうだよね」
私と里奈がジッと見つめているのに気が付いた遥は困ったようにこっちを見て来る。
「あんまり見ないで……それに、フィエーナさんの方が飾られると思う」
「私?」
「遥ちゃんも綺麗だけどフィエーナちゃんも美少女感半端ないよね! 外国って感じ凄いし!」
「何それ」
外国って感じとは一体? ちょっと私が頭を悩ませている間に母が戻ってきて里奈にケーキを渡す。さっきより厚めに切られたパウンドケーキを里奈は美味しそうに切り取って口に詰め込んでいく。
「里奈ちゃんリスみたいにパクパク食べるから見てて癒されるわ」
顔全体を嬉しそうにしてもぐもぐ食べている姿は確かに癒される? かもしれない。ふと遥の皿に目を向けるとこちらも食べ終えてしまっている。
「遥もお代わりする? まだまだあるから持ってきてあげるよ」
「そ、それじゃお願いします」
私がケーキを切ってリビングに戻ると、いつの間にか打ち解けたようでロートキイル語にも物怖じせず里奈が母とパウンドケーキについて語り合っていた。
「お茶との相性もいいですよね!」
「そうなの! 出すお菓子によって変えているんだけど、これだ! って組み合わせを見つけるのも楽しいのよ」
里奈は料理を作るの好きと前行っていたし、母とは気が合いそうだ。ここから話が進み今度みんなで集まってお菓子でも作ろうかという話になった頃、玄関から帰宅を告げるベーセル兄の声が聞こえてくる。
「ただいま~」
「おかえりベーセル兄」
「おかえりなさいベーセル」
私たちの声がリビングからしたのでこっちにやってきたベーセル兄は、ソファに座る私たちを見て目を丸くする。
「ただいまフィエーナ。今日はお友達を呼んでいるのかい」
「うん、遥は知ってるでしょ? こっちは坂木里奈っていうんだ」
「日本の子かな? 僕はベーセル、フィエーナの兄だよ。よろしくね」
「よっ、よろしくお願いします! 坂木里奈ですっ!」
あ、里奈の奴一瞬見惚れて呆けていたな。ベーセル兄も罪造りな顔立ちをしている。挨拶を交わした後キッチンへ消えていったベーセル兄におやつの準備をしてあげましょうと母が同じくキッチンに行ってしまうと、里奈が私との間隔を詰めて耳元に寄って来る。
「ちょっと! フィエーナちゃんのお兄さんヤバくない!? ヤバくない!?」
「あはは、よく言い寄られているのを見かけるよ」
「あっ……何か、ごめんね」
今までのトラブルを思い出した私の表情に思うところがあったのか、里奈はさっきまでのテンションの高さはどこへやら無言になってしまう。
「って違うじゃん!」
「いきなり叫ばないでよ」
天にツッコむかのようにいきなり立ち上がった里奈は苦情を入れた私に輝いた眼光をこちらに向けて来る。
「あ、ごめん。でも今日ケーキ食べに来たんじゃないって思い出したんだよ。フィエーナちゃんの物語を聞きにきたんだった」
思い出さなくてもよかったのに……。