学校に来てから視線を感じていたけれど、お昼休みを境に私を目当てにやってくる人が増えてきた。日本において物珍しい容姿をしているのには自覚があったけれど、何かひどいことをしてくるわけでもないので私は特に何するでもなく見られるに任せていた。
強引に誘いをかけて来る人も何人かいない訳でもなかったけれど、こういう時だけだからと言い訳して私は目と目を合わせて睨み付け、拒絶の意思をこめて声を発していた。これでほとんどの人間は去っていってくれる。
午後の授業を終えた私は、新たに出来た友人たちと別れ一直線に帰宅する。今日の私たちには用事があるのだ。
遥はこれから退魔師としての活動がある。私はというと、吉上先生に頼んで本家天河流で修業をさせてもらえないかと頼んでおいたのだった。
「やあフィエーナ。日本での暮らしはどうかな」
遥が出かけて行ってやや遅れて吉上先生は奥さんと連れ立って私を迎えに来てくれる。吉上先生の奥さんである佳織さんは、奈緒さんにとって悩みのタネである遥について退魔師関連のセンシティブな話を隠さず話せる相手らしく、仲良くやっているようだった。
吉上先生の運転するミニバンに乗せてもらいながら、私は異国の車窓に興味を惹かれつつ会話する。昔からの知り合いである吉上先生は私にとって大切な人でもあった。
「楽しくやってますよ。色々ありましたけど……」
「ま、まあ異国での暮らしだからね。僕も最初は苦労したものさ」
私が今朝の出来事やお昼休みの一件に声を曇らせると、吉上先生はすかさずフォローを入れてくれる。こういう目端が効くのは吉上先生のいいところだ。けれどもフォローの方向性が見当違いだった。違うんだ吉上先生、私は日本文化には苦労させられてないよ。苦労させられているのは人間関係だよ。
「そういえば吉上先生も退魔師なんですよね? 前線は大丈夫なんですか?」
「情けないけれどね。僕みたいな木端退魔師は魔力の回復にも数日を擁するんだよ。その間は何も出来ない役立たずって訳。ならせめて後輩の育成を出来たらって思っているんだけど」
吉上先生の実力を私は知っている。正直私にかかれば瞬殺できる程度だけれど、ヴェイルの記憶に照らせば経験豊富な熟練探索者の剣技に劣るようなことはなかったはずだった。魔之物という異形の怪物は、私の知る魔物よりも手ごわいのかもしれない。
「じゃあ、遥は本当に一流なんですね」
「ははは、一流なんてものじゃないよ。日本でも遥ほども実力者はそうはいないくらいさ。もし遥がいてくれなきゃ数十人は死者が出ていてもおかしくなかった」
そこまで遥が評価される存在になっていることを知って私は少し嬉しくなった。遥の努力は日本においてトップクラスの退魔師になるだけの成果を彼女に与えてくれたのだ。こっそり遥の師匠と自負する私は誇らしく思った。
「フィエーナは事情を知っている人間って明かしてあるよ。無手ならともかく、真剣勝負なら【身体強化】ありでも僕じゃあ君には勝てないし、そういう相手との修練なら得るものも多いと思うからね」
三十分ほど吉上先生のミニバンに揺られ、山間にある大きな日本家屋に到着する。ロートキイルの林原家が小さく思えてくるほどで、家屋というより最早平城だ。私の目が驚きに見開かれるのを、吉上先生が愉快そうに見つめてくる。
正面門を顔パスで通過した吉上先生は駐車スペースにミニバンを止めてから、真剣な表情をして私に諭すように話しかけて来る。
「ここが天河の本家。あんまり無礼なことはしないでね」
「吉上先生、私なら大丈夫ですよ」
「うーん……ベーセルならともかく、フィエーナだとちょっと心配だなあ」
「む、どういう意味ですそれ?」
ベーセル兄が何処でも上手くやっていけるのに異論はないけれど、私だって礼儀知らずな人間と思われるのは心外だ。とはいえ、ロートキイルの作法ならともかく日本の作法に私は詳しくないのも事実だった。
「はは、まあ僕の言う通りにしていれば間違いはないよ」
広々とした敷地内を吉上先生に先導されて歩く。洋服を着ている人ばかりだった日本でこんなに和服に身を包む人間ばかりに出会ったのはここが初めてだった。現代の日本から昔の日本にタイムスリップしてしまったような錯覚さえ抱いてしまう。
「ここだよ。ってあれ、ちょっと緊張してる?」
「そんなこと……ちょっとあるかもしれないです」
すれ違う誰しも雰囲気が常人から離れている。決して粗暴な訳ではなく礼儀は洗練されているのに平和でのほほんとした市井と違う、何処かピリリと張りつめたような雰囲気に私は呑み込まれていた。
「大丈夫、僕のよく知る人だから。いい人だよ」
林原家に併設された道場とそう変わらない広さをした道場は、年季の入った古い木の匂いがした。漆喰で出来た壁に黒く塗られた木の梁、神棚のある高さに等間隔で開かれた開口部からは未だ高い陽射しが差し込んで来る。
張りつめた音のない道場内に正座をしていたのは、林原先生のように髭を生やした壮年の男性だった。私が道場に入り礼をすると、頷いた男性はこちらに歩み寄って来る。
「名は?」
「フィエーナ・アルゲンと申します」
「そうか、ワシは狭山景成という。今日はよろしく頼む」
古風な武士と言った雰囲気を醸し出す目の前の男性に影響され、ついピンと背中が伸びる。服装から所作まで、この人が現代に生きているとは思えなかった。
「吉上よ、この娘が?」
「はい狭山さん、どうか実力を見ていただければと」
「ふうむ、確かに実力はあるように見えるが……斯様なうら若き異国の娘が? 一度剣を交わさねばワシ自身の感覚が騙されている気になるな」
そんなに私は弱弱しく見えるのだろうか。道場に併設された部屋についてこいと促され入ると、内部にはずらりと日本刀が並んでいる。日本刀だけじゃない、槍や薙刀などいろんな武器が置いてあって、武器庫の様相を呈していた。
「そこから一振り選ぶといい。まさか使ったことがないとは言うまいな?」
私は林原家でお借りしていた一振りと具合のよく似た、二尺三寸の一般的な長さの日本刀を手に取る。今の私の身長だとやや短めではあるけれど、昔からこの長さでやってきているので今さら変える気になれなかった。
「では、始めようか」
「いつでもいいです」
道場に戻り、狭山さんを正面に迎えて早速試合を始める。最初から張りつめた雰囲気をした人だったけれど、いざ刀を構えられると貫くような殺気が脳内を駆け巡った。面白い、私は場にそぐわないと知りつつも口角が吊り上がるのを抑えられなかった。
「ほう……この殺気で笑えるか」
互いに間合いを図りつつ、じりじりと距離を詰めていく。お互いがゆっくりとした動作で観察を続ける中、木張りの床がひと際大きな音を立て不協和音を奏でたのが切っ掛けとなった。
「せいっ!」
私より五センチは上回る身長と鍛え上げられた筋肉から繰り出される情け容赦ない上方からの振り下ろしに、私は冷静に対処する。正直、余りに見え見えでフェイクなのではと疑いそうになったくらいだった。何処に当たっても命に関わる猛連撃。刀と刀が触れ合い、耳をつんざくような金属音が道場内に響き渡るも、狭山さんの攻撃を私は脅威に思えなかった。
初撃で私がはっきりと互いの力量を覚ったのからやや遅れ、狭山さんも十数秒の攻勢を悉く無力化されて気が付いたらしい。無呼吸で剣を振るい続けた肉体にたっぷりと深呼吸で酸素を流し込んだ狭山さんは、額から汗を流しながら歯茎が見える豪快な笑顔を見せつけて来た。
「いやはや……まさかここまでやるとはな。本気を出しても構わんかな?」
「それはつまり、魔力を使うってことですか?」
「如何にも」
遥は例外として、魔力というものはそう簡単に回復するものではないとさっき聞いた。狭山さんほどの実力があればきっと魔之物退治に大いに貢献できるだろう。貴重な魔力を私なんかのために浪費されては困る。
「魔之物が跋扈しているのに、無駄遣いされても困ります」
「……吉上よ、随分内情を深く教えているようだな」
「あはは……フィエーナ、そこは心配しないでいいよ。実のところ狭山さんは病み上がりでね。先日魔之物に負わされた怪我が治ってリハビリ中なんだ」
狭山さんの射るような眼光を受け、額に汗を垂らしながら慌てて吉上先生は事情を話してくれる。
「ふん、リハビリなどとうに終えておるわい」
「しかしドクターはまだ療養が必要だと仰っていたじゃありませんか」
なるほど、私が呼ばれたのは戦いに本調子でない狭山さんが出立しないよう、諌めるためだったんだ。吉上先生、私をその気にさせておいてひどい。後で何かおごってもらわないと。
「ワシが抜けて前線は逼迫しているだろう。一人でも多く戦力が必要なのだ」
「はあ……でしたら、目の前の少女を打ち負かせたら僕が当主様に取り持ちましょう。その代り負けたらドクターの許可が下りるまで安静にすることを約束してください」
「ほう、男に二言はないぞ」
「勿論ですとも」
そうきっぱりと言い放った吉上先生は一方で私に向かって素早く頭を下げて見せる。もう、仕方のない人だ。いいよ、私も腕が訛らないよう相手が欲しいって頼んだんだ。これくらいやってもいいかなと思えてきた。
「では、いくぞ」
「いつでもどうぞ」
さっきより比べ物にならない一撃が来るのを覚悟し、私は静かに頷いて見せた。
「せぃっ!」
速い。それに力強い。私には到底真似できない一撃を連撃で繰り出してくるのは羨ましい。けれど、当たらなければ意味はないし逆に非力な私の一撃でも刀ならば致命傷を与えられるのだ。
狭山さんの剣技は何処か林原先生の息子である陽人を思い起こさせる攻撃的なものだった。まだ若く未熟な陽人と比べるとずっと動きに無駄がなく洗練されている。攻撃の精度も的確で、【身体強化】された肉体に比して低速な私が微かに見せる隙へ食らいついては受け流されるを繰り返していた。
とっても素直な剣を振るう人だ。確かに私は滅多に隙を見せないけれど、それを好機として疑いもせずイケイケどんどんで突き進むのは純粋過ぎる。剣を交えて性格を知る。ヴェイルの頃から続けているある種の読みでそこそこ程度には当たるのだけれど、この人はきっとこの剣のように素直で純粋な、裏表のない善人なのだと思う。
一度陽人と戦い強化された退魔師の速度に慣れていた私にとって、陽人の上位互換的な狭山さんは与しやすい相手だった。私の額に汗がにじむころ、狭山さんは全身から汗を拭きだして床に転げ倒れる。唐突に足を引きつらせて、狭山さん自身が倒れてしまったのだ。どうも、足に負った怪我は完治していなかったらしい。
「ぐ、ううう! む、無念! まだ、ワシは全力を出し切っておらんというのに!」
「狭山さん、病院に戻りましょう。取り返しのつかない後遺症になっても手遅れなんですよ」
「くっ……いいだろう」
右足を手で庇いながら膝を付く狭山さんに私が具合を尋ねると、もう痛みはほとんど退いているらしい。
「だが、未だ思うようには動かん。本来ならばもう少しマシな動きが出来るのだぞ」
悔しさをにじませながら、狭山さんは右足を手でさする。さっきの一戦、私は狭山さんが足に傷を抱えていることなんて気が付けなかった。弱みを気取られることなく平然と立ち振る舞った狭山さんから、私はきっと学べることがある。
しばらく片膝をついていた狭山さんが一息ついて立ち上がる。その瞬間に気持ちの整理がついたのか、さっきまでの苦渋の表情はさっぱり消え失せて気持ちの良い笑みを浮かべ私を見つめていた。
「しかし小娘よ。病み上がりとはいえワシの全力を容易く捌くとはやるではないか」
「狭山さん、そろそろ名前で呼んでやってはもらえませんか」
「そうだな、アルゲン。認めよう、紛れもなくお主は強者だ」
握手を交わす狭山さんの表情は晴れ晴れとしていた。威圧感のある髭面をにいいと歪めて笑うその顔は豪快で、その力強さに圧倒されてしまった。
「ほう、狭山にそう言わしめるとは」
さっきから道場の入り口に人がいて、私と狭山さんの試合を観察していたのには気付いていた。
年のほどは二十歳にはなっていないくらいの若い男の人で、退魔師として出かける時の遥と似たような黒革の衣服を身に纏っている。鋼鉄の鎧を着るよりも防御力に優れると遥は説明してくれたけれど、それでも六月の終わりに着て耐えられるような服装には思えなかった。じめじめとした梅雨を初体験している私にはなおさらそう思えてしまう。
いかつい顔つきをした背の高い青年を見た狭山さんは随分と驚いていて、慌てたように佇まいを整えた。
「そ、宗一様……!」
狭山さんに様付けされるほどの偉い人らしい。そういえば、宗一という名には聞き覚えがあった。確か、遥と共にこの三丘の地を守る退魔師の一人だったはずだ。吉上先生は様なんて付けずに呼び捨てにしていたけれど、いいのかな。
「相手になってやる」
何て唐突なと私が驚く暇もなく、道場の外に立っていた宗一は腰に下げた日本刀を抜刀しこちら目掛け駆けて来る。速いくせに、力強い! 狭山さんよりも優に十センチは高い身長はきっと百八十五センチ近い。鋼のように鍛え上げられた体躯で疾風の如く突っ込んでくるものだからまともに受けたらきっと私は頭から股の間まで真っ二つになってしまう。
狭山さん相手なら多少の余裕を残せていた私も神経を研ぎ澄まして、どうにか横に跳び初撃を回避する。速力の乗った大男の剣戟なんて相手にしたくもなかった。
「これを避けるか」
「宗一様! 刀をお降ろし下され!」
「宗一! 止めるんだ!」
二人の制止を聞く気はなさそうな宗一は、私が抜刀するのを待ってはくれるみたいだ。いきなり斬りかかってくるなんて、何て不躾な人なんだろう。けれど、私は思わぬ強者の乱入に胸を躍らせていた。多少の無遠慮なんて気にならなかった。
「いいよ、相手してあげる」
私が抜刀した直後、間合いの外側にいた宗一は一瞬で距離を詰めて日本刀で刺突を仕掛けていた。私よりもずっと大柄なのに、機動力という点で大きな差はなさそうだった。避けても避けても連続して繰り出される刺突の嵐に私は冷や汗をかく。斬撃なら軌道をずらせば殺傷力を削げるけれど、刺突はそう簡単にはいかない。
いつも以上に観察し、相手を読まなければあっという間に串刺しにされてしまいそうだ。とはいえさしもの宗一と言えども、【身体強化】した狭山さんほどの力と速度はないようだった。きっと渡り合えてしまうほどの技量差なのが怖いけれど、今の宗一なら動きさえ読めれば何とか捌ける。
そして、私は宗一の動きを不思議とあっさりと読み切れていた。これは宗一の動きが単純で読みやすいのでなく、知っているからだった。誰かは思い出せないけれど、私はこの剣技を知っているような気がしていた。だから、問題なく捌き切る。
剣戟の応酬の果てに、私は自然と優勢に立ち始めていた。もう宗一の剣は見切ってしまった。
「よもや天河きっての麒麟児がああも劣勢に陥るとは……吉上よ、ロートキイルの女子はみなああなのか」
「はは、まさか。フィエーナは例外中の例外ですよ」
呑気にお話をしている二人に軽く意識を向けるほど私には余裕が生まれていた。だから、一瞬の変化に反応が遅れた。
「甘く見るな、女!」
さっきまでの宗一の速度を自動車に例えるなら、一瞬で宗一の速度はジェット戦闘機まで加速していたのだ。
私はただその超高速の一撃をかろうじて目で追えただけ。私の手元から弾かれた日本刀がゆっくりと回転しながら落ちていくのを目の端に捉えながら、私は首元に迫る刀の刃を見つめていた。
死を一瞬覚悟したけれど、流石に私を殺す気はなかったらしい。殺気のない刃は首元に触れる寸前で停止し、剣圧で生まれた風が私の皮膚に薄い一直線の痛みを残した。
全員がその場に固まって動かない。先ほどまで金属音が鳴り響いていた道場内から一切の音が掻き消えて、代わって蝉しぐれが騒々しく場を支配する。
数瞬のち、日本刀を私の首元から引いた宗一は多分に後悔の残る顔つきを私にだけ見せた後、声すら発しない口の動きだけで謝罪を残し足早にこの場から去っていった。不器用な人だと思いながら私はその背中を見送った。
「負けちゃった」
痛みの残る首に手をやり、一直線に残る痛みの跡に指を這わせる。血は出てないし、傷が残っている訳でもないみたいだ。それでも赤く変色くらいはしているかもしれない。首をべっとりと濡らしている汗が、触れた指先に水滴となってくっついてくる。舐めるとしょっぱかった。当たり前か。
「吉上先生、ここ傷あります?」
私が首を傾け、とんとんと患部を指でつついて見せると唖然としていた吉上先生は我に帰ったようでフルフルと首を横に振る。よかった、傷なんて作ったら遥に心配をかけてしまう。
「すまんアルゲン!」
「僕からも、本当に申し訳ない」
二人からは散々謝罪を受けたけれど、挑戦を受けたのは私自身なので気にしていない旨を伝えておいた。それでも何度も謝って来る二人を見ていると、さっきでていった宗一との差をしみじみと感じてしまう。同じ高校に通っているとさりげなく吉上先生は明かしたけれど、あの態度で上手く学校生活を送れているのかと何故か心配している自分に気が付いた。
「とにかく、今日は本当に悪かったね」
「もう吉上先生。もう何十回謝るんですか? 気にしていないったらいないんですから」
日が落ちて街が暗闇に包まれていく中、急に空模様が悪くなりマンションにつく頃には大雨になっていた。ざあざあと地面を叩きつけるような雨脚に私はちょっと気分を高揚させながらマンションエントランスで吉上先生のミニバンから飛び降りる。
「僕は駐車場に車を停めて来るよ」
「傘は持ってますか?」
「大丈夫、この季節は車内に常備してるんだ」
軽快な発進で大雨の中を去っていくミニバンを私は見送る。太陽に熱せられた地面が雨を受けて、むわりと湿気を帯びた空気が立ち上ってくる。今日はじっとりとした過ごしにくい夜になりそうだった。