私が帰宅して体を綺麗にして学校の課題に頭を悩ませていると遥が帰ってきた。丸一日戦闘の続いたであろう日曜日よりは疲労が軽く見えるけれど、それでも疲れた遥は出迎えた私の胸元に倒れ込んで来る。幸い戦闘は雨が降る前に済ませていたようで、体が濡れてはいなかった。
「ふぃえーなぁ……」
年に見合わない五歳児のような甘えた声音で私の名を呼ぶ遥に私は愛おしさを覚える。胸に顔を沈める遥の頭頂部を撫でてあげると、気持ちよさそうな媚声が上がりドキッとしてしまう。
「遥ちゃんはフィエーナちゃんのおっぱいに顔を埋めるの好きねえ」
「柔らかくて気持ちいんだろうね」
「ふーん……」
一緒に遥を迎えに玄関まで出向いていた仁悟さんは、底冷えのする目付きで奈緒さんに睨まれる。誤魔化すように笑みを浮かべながら慌ててリビングへ逃げ帰っていった仁悟さんを奈緒さんは逃す気はないようで、ススススと静かな足取りでリビングに消えていった。
「ママは結構独占欲強いんだよ」
二人の行動を見た遥はぼそりと私にそう呟いた。遥を見ていると、納得できるような気もした。
私が電気を消して自分の部屋にあるベッドで横になっていると、部屋のドア付近の空気が僅かに揺らぐのを感じ取る。もしかしてと思い目を開き、目だけを横に動かすと暗い空間の中で数センチだけ開け放たれたドアから遥の碧い瞳が覗いていた。
「フィエーナ、起きてる?」
「起きてるよー」
私を起こさないように配慮してくれたのか、本当に微かな声音で声を発する遥へ私はいつもの調子で返事をする。一体何の用だろう?
「そ、そっか。一緒に寝てもいい?」
「いいよ、おいで」
迎え入れた遥の顔がベッドサイドに置かれたランプに照らされる。その表情がビックリするくらい煽情的で、私は思わず目をそらしてしまう。見間違いかと再び視線を戻せば、冷たい顔つきで無邪気に笑顔を見せてくれるいつもの遥の顔つきに戻っていた。
「フィエーナ」
私の気のせいかもしれない。甘え声で私の名を呼びながらベッドに潜り込んできた遥は私に体を絡みつかせてすぐさま表情を蕩けさせてくる。上気して赤みの差した頬の遥はとても可愛らしい。けれど、今の遥からは嫌に色気を感じる。
私は遥を受け入れてすぐに目を瞑り、眠ろうとするのだけれど遥がそれを許してはくれなかった。
今日の遥、ちょっと落ち着きがない。胸に埋められた顔を頻繁にもぞもぞさせ、私の太腿に絡みついた両足を何度も組みなおしてくる。体を擦りつけているようにも思え、私は遥にマーキングされているような気になって来た。こうも動かれちゃ寝れないよ。
窓から聞こえる雨音は一向に収まらず、室内にもざあざあと雨音が満ちる。その眠気を誘う雨の音色に混じって、遥の吐息が聞こえて来る。甘く温かい遥の息が私に吹き付けて来る。浅く何度も繰り返される息には熱が帯びていて、首元に吹きかかるたびに私の思考に白い靄のような痺れるような未知の感情を惹起してくる。何だろうこの感情、気持ちがいいけれどこれ以上味わったらいけないような背徳的な……嫌だな、何だか私まで変な気持ちになってきちゃった。
「フィエーナ……」
遥が度々私の名前を呼ぶたびに私の奥底へ甘い蕩けるような快感がふつふつと沸きあがって来る。擦り付けて来る遥の体は普段よりずっと体温が高い。気付けば私も息が荒くなっているのを今さらになって自覚した。
「遥……もぞもぞしないで、寝れないよ」
「フィエッ!?」
これ以上この感覚を味わっていたら私はおかしくなってしまいそうで、閉じていた目を開き文句を付けることにした。
「起きてた、の……?」
「うん。だって遥が落ち着きがないんだもの」
私の目が開いたのが予想外だったようで、遥は目に見えて動転している。けれど、いざ目を開けた私も遥のあまりに淫靡な表情を見せつけられてしまい直視が出来なくなってしまった。
いつも理知的な碧い澄んだ瞳が欲望に浮かされ霞んで見える。今の遥の目を直視し続けていられない。強烈な熱情に私もあてられてしまいそうだ。
小さく形のいい唇からはだらしなく涎が垂れ私の胸元にべっとりと大きな染みを作っていた。道理で何だか湿っぽいと思ったんだ。私の勘違いじゃなかったんだ。
だったらまさかと思いもう一か所湿っぽいなと思っていた自分の太腿に目をやると、遥の股間から伝わる液体で濡れていた。これ、何の液体なの……?
私はこの状況をどうしようかと考えようとするけれど、小刻みに漏れる遥の息は嗅いだことのない甘い匂いがするようで、頭がくらくらとしてきて考えがちっとも纏まらない。
時折エッチな顔つきになる遥だったけれど、目の前の遥の顔つきは今までとは比べ物にならなかった。
まるで……本番中みたい。
かつてのヴェイルの記憶から類型の記憶が呼び起され、それはあまりに私にとって不意打ちだったけれどまさにこのシチュエーションを指し示すのに近い答えだった。もうだめだ、私には対応できない。頭が情報の処理に追いつけなくてパンクしそうだ。
私が目を逸らした先に、サイドテーブルに置かれた目覚まし時計があって時間が目に入る。うわ、全然気が付かなかったけれど一時間以上経ってたんだ。体感時間では十分ちょっとだったのに、私も狂わされちゃっている。それだけの時間経過してたら、私が寝たって勘違いしてもしょうがないのかもしれない。
「は、遥はさ……何をしてたの? いつもと様子が違う、よね?」
聞くのにも勇気がいって、及び腰に発した私の質問に、遥のただでさえ赤かった表情が真っ赤になって目がクルクルと回り出す。余程聞かれたくなったみたいだ。とっても可愛くて心が甘い感情で満たされるけれど、これが現実逃避なんだろうなと私は薄々ながら自覚する。
そういえば今朝の遥もこんな感じだったかもとふと思い出していると、ここでヴェイルの記憶が私に天啓を授けてくれた。
ヴェイルの記憶によれば、命がけの戦いの中に身を置き、生存本能を刺激されると子を残したい欲求が高くなるのだという。ヴェイル自身はその感情に流されることはなかったけれど、そういった人物をヴェイルは見てきた。
普段は冷静沈着な若き女魔法使いが、ただのやんちゃな十代半ばの青年剣士が、理性の徒であった探索者仲間が……人間もまた生き物であり、そういうものなのだとヴェイルは知っていた。
遥もまた一日の休みなく命を賭した戦闘の連続で、子を成さなければと本能的な欲求が生じてしまっているのかもしれない。流石ヴェイル、私には分からないことも深く知っているんだ。
遥みたいな理知的な女の子が本能的に湧き上がる欲求を抑えられずに従ってしまうほど、体も心も疲れ切ってしまっていた。それが答えなんだ。
よりにもよって私の傍でするのはやめてほしいけれど、きっと自慰行為の快感と人肌に触れる安心感のどちらも味わいたくて欲張った結果なのだろう。疲れてて一回私のそばを離れて自慰行為に及び戻って来る気力が湧かなかった、のかな。
「その、さ……そういうことするのも自由だけどさ。私の目の前では困るよ」
私の言葉に声にならない悲鳴を上げて遥はシーツの中に潜りこんで消えてしまった。そうだよね、友達に見られたら恥ずかしいよね。けどだったら目の前でやっちゃ駄目だよ、遥。
仕方のない子だ。ヴェイルのおかげで事情を完ぺきに理解した私は、恥ずかしさにシーツに潜り込み両手で顔を覆う遥の頬に手を触れて撫でる。
「フィエーナ?」
「気にしなくていいよ、遥。きっと疲れが溜まってたせいだよ」
頬に触れた手をゆっくりと降ろしていく。ほっそりとした首から鎖骨まで優しく撫でおろしていく。
「遥は毎日戦って平和を守ってるんだよね。偉いよ、私には出来ないもん」
かつての私には出来ていた。当時がどれだけ苦しく辛かったとしても、私にしか出来なかった。滅魔の力を持つヴェイルにしか。ヴェイルよりも強い探索者はいくらかはいた。それでも滅魔の力のない彼らには撃退は出来ても撃滅は叶わなかった。
いま日本を襲っている状況に似通っている。だからこそもし、私がヴェイルと同じような力を持っていれば事態を打開出来たんじゃないかと妄想することがあった。
私の前世はヴェイルだけれど、結局ヴェイル本人ではなかった。
ならばせめて、私に遥の魔力があれば……そうしたら私が今遥の背負っている負担を肩代わり出来たのに。
「フィエーナ、羨ましがってる?」
正しく図星を付かれ、私は心臓が跳ね上げるような思いで体を震わす。こんな思い、遥に覚られたらいけない、遥は己の才で大きな不幸を背負ってしまった。それを羨むなんて。
「あはは、何で?」
「フィエーナ……心配かけてごめんなさい。でも私、この力を持ったこと後悔してないから」
「そっか、遥は強くなったね」
ぎゅうと遥の頭を抱える。ちっぽけでいい匂いのする遥の頭。疲れているなら、いくらでも私を頼ってもいいんだよ。目の前でするのが望みなら、困るけど……すっごく対応に困るけど……我慢するから。
「遥。さっきは困るって言ったけどさ、もし……私の傍でする方がいいのなら私、見ない振りしてあげるから」
「フィエーナ?」
「おやすみ、遥」
これ以上言葉はいらない……と、あと一つ言うことがあった。くるりと遥に背を向け距離をちょっと取った後で、私は振り返る。
「あ、ただする時はくっついてこないでね。寝れないから」
「フィエーナ……好き」
「あはは、私も遥のこと好きだよ」
抱き付いてきた遥を受け止め、私は今度こそ眠りについた。もぞもぞしない遥は代わりに離さないとばかりにぎゅうと抱きしめて来たけれど、これなら大歓迎だ。