目を覚ましスマホを確認すると、昨日のうちに紅葉からメッセージが届いていた。私が寝ていたので連絡は諦め、明日の朝に会えないかとだけ残されていた。やってしまったと後悔しつつ、私は朝に会える旨返信を残しておいた。
「誰から?」
リビングでスマホを操作していた私の肩に、寝起きで口調がむにゃむにゃ気味の遥の顔が乗っかる。
「昨日お話した紅葉だよ。今日も話す必要があるから、ちょっと早く登校するね」
「私も行く。除け者にしないで」
「んー。紅葉がいいって言ったらね」
私からすると不思議な話だけれど、紅葉は父親の職業が明らかになるのをあまりよく思っていないようだった。隠すような職業ではないと思うのだけれど、本人の意向を無下にする訳にはいかない。
普段より早く登校し部室まで行くと紅葉の友達である楓が一人、扉の前に寄りかかっていた。
「おはよー、フィエーナ。それに一ヶ宮さん?」
「おはよう楓。遥が何の話をしたのか気にしててね、紅葉に話してもいいか聞いておこうと思ったんだ」
「あー……一ヶ宮さんならいーと思うけど。まあまあ入ってよ。紅葉は朝の補習に出てるからさ」
三丘高校では九時から始まる通常授業の前に、早朝授業まである。よほど優秀な生徒でもない限り参加していると聞くので、楓は相当頭のいい子のようだ。
「いやあ、今日も朝から暑いよねー。麦茶あるよ、飲む?」
「もらおうかな」
「あ……私もいい?」
「いいよいいよー、はいどうぞ!」
冷蔵庫から取り出したペットボトルの麦茶をコップに注ぎ、私たちに渡した後で楓は間髪入れず一気に飲み干してしまう。豪快に呷って口元から一筋垂れる麦茶を腕で拭うと、乱暴にコップをテーブルに叩きつけ楓は叫ぶ。
「くはーっ! 染み渡る! もういっぱい!」
二杯目を呑んで満足したらしい楓は冷蔵庫に麦茶をしまうと、クーラーの風が直に当たるよう位置取りをしてようやく腰を落ち着けた。
「ロートキイルも夏は暑いの?」
「暑い、と思ってたんだけれどね……日本は段違いに暑いかな」
「そっかあ、湿度もムシムシだもんね。一ヶ宮さん……遥って私も呼んでいい? 代わりに私のことは楓って呼び捨てでいーからさ」
「いいよ」
「遥はフィエーナの何処に惚れたの?」
思いもよらない質問に私はむせてしまう。な、なにを言っているんだ楓は? 遥もきっと驚いているに違いない。
「うーん……フィエーナのいいところはたくさんある。から、一言ではとてもいいつくせない、けど。端的に言って全部好き。超好き。最大級に好き。ハイパー大好き」
「お、おおー……」
「は、遥……」
まさに恋する乙女らしい、頬を淡く染めた遥から直球の好意を浴びせかけられて私はノックダウンさせられてしまった。私の顔面に血が上っていくのを感じる。
「遅れてごめんなさーい! って、あれ?」
硬化した場の雰囲気を打ち破ったのはスライド式の扉を勢いよく開けて入ってきた紅葉だった。けれど、室内の異様な気配に呑まれ、おずおずと後退していってしまう。
「あー……お邪魔、でした?」
「そんなことない! そんなことないって! ね、フィエーナ!?」
「あ、うん。この場を用意したのは紅葉なんだから邪魔なんてことあるはずがないよ」
「そ、そうだよね。でも、どうして一ヶ宮さんもいるの?」
事情を話すと、紅葉は遥の同席に同意してくれた。
「ありがとう。賀谷さん」
「でも、あんまり公にはしないでよね一ヶ宮さん」
「分かってる」
その後、紅葉といくつか打ち合わせをして紅葉のお父さんと会うのはテスト週間が終わってからということで決まる。
「それにしてもどういう接点があるんだろうね。おじさんのいた地点の傍にロートキイル陸軍もいたみたいだけどさ」
「私も軽く調べたけど、分からないな。昨日のメルツ伯父さんの口調からして悪い思い出って訳ではなさそうではあるけれどね」
「ふーん……お父さんの知り合いがロートキイル人で、その姪のフィエーナが私のいる学校に来るなんて……すっごい偶然だよねえ」
「うんめー感じちゃうねー」
「紅葉とは何か縁があるのかもね」
「え、ええっ! そ、そうかな!? あ、あああそうだ! もうすぐホームルームだよ!」
あからさまに動揺し、話題を逸らしてくる紅葉に視線を揃えて笑い合う私と楓。何て可愛らしい、からかいがいのある女の子なんだろう。ほの暗い感情をほとばしらせて来る遥は、見なかったことにした。
「あれっ? あれれ?」
午前中の授業を終えて、机を寄せ合いお昼ご飯にしようとしたところで鈴子の困惑した声が私の耳に届く。
「どうかしたの?」
「お弁当がない……おかしいな、入れたと思ったのにな……」
がさごそと学生鞄を漁る鈴子。けれどよく整頓された鞄の中は漁るまでもなくお弁当がないと分かってしまう。
「あららー、やってしまったわねー」
「ううぅ……」
目に涙を溜めて俯く鈴子の姿はとても見ていられない。
「何だよ仕方ないな。アタシが分けてやるからそんなにしょげんなって」
「私たちが少しずつ分ければ何とかなるわよ。だから泣かない、ね?」
「鈴ちゃん弁当忘れたの? ウチも分けちゃろかー?」
「何だよ泣くなよ野崎ー、俺もやるよー」
智恵と雪夜に始まりどんどんと周囲のクラスメイト達が慰めの言葉をかけていく。この分だと鈴子には食べきれないほどのおすそ分けが集まりそうな勢いだ。鈴子はどうもこのクラスのマスコット的に可愛がられているようだ。
「でももしかしたらそろそろ……お、やっぱ来た。おーい野崎! 弟君ですぞ!」
「え、大志君?」
「すいませーん、僕の姉さんに忘れ物届けに来ましたー」
クラスメイトであり、ランニング仲間でもある葛西の声に釣られてクラスルームの入り口に目を移すと、身長百七十センチ前後の何処か飄々とした態度を取るひょろりとした男の子が立っていた。三丘高校の制服に似通ってはいるけれど、ちょっと違う意匠の服装は恐らく三丘中学のもの。
「大志君お弁当届けてきてくれたの? ありがとー!」
鈴子に大志君と呼ばれた彼と私は、ふと目が合ってしまう。すると大志は目を見開いて硬直してしまった。ニコニコとダッシュして駆け寄った鈴子に目を合わせようとせず、ただただ私に目をやっている。
「大志君? 大志くーん!」
「えっ、あ、ああ。姉さん」
ゆさゆさと鈴子が揺さぶってようやく大志は我を取り戻し鈴子に目線を移す。
「何だー? 弟君も一組最かわ美少女転校生に惚れちゃったのかー?」
「しょうがないわよー、だって女の私でも惚れちゃいそうなんだもん」
「んふふ……大志君も男の子なんだね」
クラスメイト達の揶揄と擁護の声、それに目の前の鈴子の意味深な笑顔に大志は顔を真っ赤にし、あわあわと口を蠢かせるも何も声を出すことは出来ない。
「紹介するよ! お姉さんのお友達のフィエーナ・アルゲンさんだよ! ロートキイルからの留学生なの!」
「あはは、よろしくね。大志で、いいのかな。フィエーナって呼んでね」
しかし鈴子は大志の動揺を気にした様子もなく、私を引っ張って大志に引き合わせる。
「あ、は……はい。姉さんの弟の野崎大志です。あの、そそっかしい姉ですがどうかよろしくお願いします」
「ちょっと大志君! お姉さんですよ!」
すっかり緊張してしまった大志の声は少々震えていて、握手の手も汗ばんでいた。涼やかな顔立ちで、最初見た時は表情筋が死んでいるかのような表情をしていたけれど、随分と印象が変わってしまった。鈴子と同じく可愛らしい子だな。家系の遺伝なんだろうか。
「あ、あの僕、これで失礼しますっ!」
「た、大志君っ!?」
駆け去っていく見て、鈴子がぽつりと呟く。
「大志君があそこまで動揺したの久々……フィエーナちゃんって罪作りだね」
「ひどいよー」
お昼ご飯では大志が話題になる。
「大志は三丘中学校の生徒なの?」
「そうだよ、今は二年生なんだ。私が忘れ物するとよく気が付いて届けてくれるいい子なんだよ」
「週に一回は来てるぞ。鈴子は忘れ物が多すぎだ」
「うう……よく言われます……」
「あの子はそれを苦に思ってはいなさそうだけれどね。きっと可愛いお姉さんの世話焼きが好きなのよ」
「うう……私はお姉さんなのにー……お勉強見てあげたりはしてるんだよー?」
へにょへにょした顔つきになって机にうなだれる鈴子をよしよしと智恵が撫でる。撫で心地がよいのか智恵の顔がだらしなく緩み、撫でられている鈴子も気分が落ち着いたらしくリラックスした表情でのほほんとしている。うーん、やっぱり鈴子は可愛い。
「鈴子を見ていると癒されるわ」
「分かる。飼いたい」
「遥ちゃん!? それどういう意味なの!?」
「でもアタシも分かる」
「智恵ちゃんまで!?」
二人とは違うよねと私と雪夜に視線を振られるけれど、正直遥の気持ちが分かってしまって私は愛想笑いに終始した。雪夜も否定の言葉は上げず、微妙に目線を逸らして微笑んでいた。私たちのほかのそばにいるクラスメイト達に縋るも、無慈悲に無言の肯定をされ鈴子は再び机に沈んだ。
「ううー……みんなひどいよー……犬っぽいとか言われるけどさ……」