学校から帰宅した俺は遥の母親と共に、遥がいつ帰って来るのか不安に感じつつ待っていたが意外にも六時前には同伴者を連れて帰ってきた。
「フィエーナ、ただいま」
「おかえり遥」
抱き付いて来る遥の体には特別怪我をした様子はない。無事なようで、俺はようやく心のざわつきが収まるのを感じた。全く、待たされる側ってのも楽じゃないな。自分自身で戦ってた頃の方が、気が楽だったかもしれない。
「奈緒さん。今日は遥さんには無茶をさせ申し訳ないことをしました」
「いえ、必要なことだとは理解してますから……」
遥の母親の前で頭を下げたのは、二十代半ばほどに見える女性だ。戦いに身を置く者といった雰囲気をびしびしと発している凛々しくも美しい、中性的な顔つきの女性は遥と似通った黒い独特な衣装も様になる堂々としたスタイルをしている。
「これ、気持ちばかりですがよかったら食べてください」
頭を下げる前に大きな紙箱を遥に手渡していたのを受け取って、女性は機敏な動作で遥の母親に箱を差し出す。
「あら、ケーキ? その恰好でケーキ屋さんに?」
「? 何か?」
「ママ。私は止めたんだよ」
恥ずかしそうに目を瞑り、顔を俯かせて遥は母の隣まで移動し呟く。凄まじくカッコいい衣装なのは認めるが、確かにこれで人前を堂々と歩くのはコスプレ染みてもいる。服装にこだわりがないのだろうか。
「はっ!? も、もちろん、この程度の品で娘さんの貢献の対価にしようなどと浅ましい意図などございません。失礼な真似をしました……」
途端にしょんぼりとしてケーキの入った箱を差し出した腕を引く。それを見た遥の母親は慌ててその手を差し止めた。
「有江さん。そういう意味ではないのよ。ケーキ、ありがたく頂くわ」
ケーキを受け取ってもらい余程嬉しかったのか、彼女の顔は晴れるように笑みがこぼれる。
「遥。この人は退魔師仲間なの?」
「おっと、自己紹介が遅れましたね。私は天辺有江、遥さんとは共に戦わせてもらっている者です。もっとも、ほんの補助程度ですがね」
「そんなことないよ。有江さんが付いてくれる日は楽に戦えるから」
「っ! そう言っていただけると冥利に尽きます」
自己紹介ではキリリと怜悧な美貌を際立たせていたのが、遥に褒められるとにへらとすぐに顔が柔らかくなってしまった。感情表現がすぐに出てしまう人だな。
「私はフィエーナ・アルゲン。フィエーナって呼んでね」
「お噂は聞いております。あの狭山様を一方的に下す実力者だとか。林原様の愛弟子というのは本当なのですか?」
「林原先生にはお世話になったよ。まだ先生には敵わないかも」
遥がいなくなってからも二人での研鑽は続いていた。コツを掴んだというのだろうか。最近はやや先生がフィエーナの実力を追い越しているが、まだ俺の時に負けたことはない。もっとも、フィエーナの胸が大きくなるにつれ剣の軌道に制約が掛かり出しているのも問題なのだが……。遥のように比較的平坦な胸なら、フィエーナも先生に負ける実力ではないのだが、成長するのもプラスばかりではないということか。
「とりあえず立ち話もなんですし、上がってくださいな。遥ちゃんの現況について、有江さんからの話も聞かせて頂けると助かります」
「それは、きちんと説明させていだたきます」
「そんな畏まらないでいいから、ね? 折角ケーキも買ってきてくれたんだし食べながらお茶にでもしましょう」
「はあ……」
ソファの隅に縮こまるように座る有江、遥の母親がケーキの入った箱を開くと箱の大きさで予想されたが色とりどりのケーキが十個も入っていた。俺がいることを勘定に入れていたとしても一人最低二個は食べられる計算だ。
「あら、随分沢山買ったのね」
「多すぎましたか?」
「気にしないで、いっぱい食べられるわね」
再び心配げに顔を歪ませる有江は、遥とフィエーナに笑いかける遥の母親を見て小さく安堵のため息を吐く。
「パパ甘い物好きだから喜ぶね」
「そうね、あんまり食べ過ぎると太っちゃうから有江さんも少し食べていってね」
「あ、ありがとうございます」
「有江さんが自分で買ってきたんだから気にしなくていい」
「う、うーむ。そうかもしれませんが……これはそういう意味の謝意ではなくてですね……」
「分かってるから」
二度に渡る遥のツッコミを見るに、二人の関係性が垣間見える。真面目ではあるんだろうが、ちょっと天然入っているな。
「ふふ、有江さんは面白いわね」
「は、はあ……」
遥の母親がお茶を淹れ、俺たち残り三人でお皿の用意をしていると遥の父親が帰って来る。
「おや、有江さんじゃないか」
「今日は謝罪に伺いました」
遥の父親にも一通りの事情を話すと、遥の父親は渋面で唸り声を上げて一瞬天井を見上げる。
「そうか、致し方のないことではある……けど。親としては満足に学校生活を送らせられないというのは忸怩たるものがあるね」
「仰る通りで、申し訳ないです」
「でも、それは有江さんのせいじゃないだろう? あまり思い詰めてちゃ身が持たないよ。有江さんだって戦っている遥の戦友なんだ、しっかり身心共に養生して遥を助けてやってくれればそれが一番ありがたいよ」
ソファから立ち上がった遥の父親は恐縮に身を固める有江の肩に手を置き、ポンポンと叩きかけ、気まずそうに手を挙げる。
「おっとっと……今はこういうのはよくないんだったな」
「私なら気にしませんが……心遣い感謝します」
「それよりだ、これは有江さんが買って来てくれたのかい?」
首肯する有江を見ると、遥の父親の渋かった顔に笑みが戻る。
「いやあ美味しそうだなあ。俺はこのザッハトルテを貰おうかな」
「仁悟さんはチョコが好きなの?」
「ああ。でも他のケーキだって好きだよ。ケーキってだけで心がワクワクするんだよ」
「子供みたいでしょ?」
遥の母親が浮かべる笑みは何処か楽しそうだ。こういう一面も気に入っているようで、それを見る遥もまたいつもの父親の挙動に呆れ半分笑み半分で静観している。
「ほらほら、俺が取り分けるからみんなどれを取ってほしいか言ってごらん」
はしゃいだ様子の遥の父親に各々ケーキを取り分けてもらい、ちょっと遅いおやつの時間を楽しむ。
「日本のケーキも美味しいね」
「ロートキイルと比べるとあっさり目だよね」
「うん、これはこれで好きだな」
「ロートキイルのケーキも美味しかったなあ……ほら、フィエーナさんの近所の喫茶店に行ったよな」
「あー、行ったわね。もう一年以上も前になるなんて時間が経つのって早いわ」
夕食も控えているので遥の母親は当初一個までしか食べることを許可してくれなかったが、それぞれのケーキを一口ずつ分け合ったり一つのケーキをみんなで分割することを遥の父親が提案して複数のケーキを堪能しながら時間は過ぎていった。
「さて、そろそろ今の状況について話を聞かせてもらえるかな」
「はい」
有江から聞く話は概ねフィエーナが吉上先生から聞いた話を大差ない話だった。逼迫する退魔師戦力は一切改善していない。全国規模で集成され三丘市を中心とする半径数百キロ区域における魔之物の跋扈は辛うじて防げているものの代わって動員された他区域は余剰戦力の大部分を供出しているため、想定外の魔之物の発生に対応が不可能な状況になっているのだそうだ。
「正直なところ、戦力ローテーションは崩れつつあります……一部の有力退魔師、遥さんのような突出した存在が辛うじて平和を維持しています」
「どうも、状況は思ったより深刻なようだね。有江さんも体をすぐに休めるべきなのに引き留めて悪かったね」
「いえっ、こんなゆっくりできたのは久しぶりですので。いい気分転換になりました」
有江が帰り、俺を除けば家族だけの空間となると遥の父親は遥の姿を見つめてしみじみと声を漏らす。
「しかし、この時間に遥がいるのは久しぶりだな」
いつもは中々取れない家族の談笑が始まる。何でもないようなことばかりではあるが、そういうことを気軽にだらだらと話す時間も一ヶ宮家はまともに与えられていなかったのだ。誰もがこの貴重な時間を噛みしめるように味わっていた。
そんな話の折、来週奈緒さんのご両親がくるらしいと話題が上がる。
「お祖母ちゃんたちが?」
「ああ。フィエーナさんに会うのを楽しみにされていたよ。きっといっぱいお土産を持ってくるんじゃないかな」
ほう、それは楽しみだ。先ほどから続く談笑の続きに俺も声を上げようとしてふと違和感に気付く。奈緒さんの顔は何故か陰りがあるのだ。もしや、遥の母と祖父母との間には確執でもあるのだろうか。
「奈緒さん?」
「フィエーナちゃんには話しておこうかしら。実はね、私……母さんと父さんに会うのが怖いの」
ぽつぽつと遥の母親は事件の後遺症について話してくれる。そういえば、最初期の遥の母親は遥と遥の父親に会う事すら恐怖でままならなかったのだったか。その後遺症は依然として消えきってはいないらしい。かつての友、遥と遥の父親を除く血を分けた家族親類と出会うと否応なしに体が震え、恐怖に包まれてしまうのだという。それは遥の母親を精神世界で苛んだ悪魔の手口で、知った顔の人間に化けて遥の母親を苛め抜いてきたことが原因なのだと話す遥の母親の顔を今にも泣き出しそうだった。
そのトラウマは根深く遥の母親の精神を傷付けていた。隣では遥の父親が肩に手を置き、遥も横で寄り添う。弱弱しい笑みで支えてくれる二人に感謝の意を示す遥の母親を見るのが不憫でしょうがなかった。
「母さんと父さんは何も悪くないのに、私だけが距離を作って一方的に怖がってるの。本当、自分が嫌になるわ」
「そんなこと、ないよ。ママ」
「奈緒は悪くない。奈緒は何も気にする必要はない」
自己嫌悪を隠そうとしない遥の母親に、二人は励ましの言葉を幾重も重ねる。
「ごめんね暗い話して! さあっ! 美味しいご飯を作りましょうっと!」
その言葉が本当に遥の母親を癒せていないのはこの場の誰もが察していたが、立ち直ったとばかりに張り切って立ち上がり虚勢の笑顔でキッチンに駆け足で去っていった背中に誰もが声を掛けられなかった。
「時間が解決してくれるといいんだけど……双方にとってこんな不幸なこと、あっていいはずがないんだ」
今日何度吐いたか分からない遥の父親のため息は、澱のように沈んだ暗い感情が溜まりに溜まっていた。