ロートキイルの友人たちとの会話は思った以上に遥を元気づけたようで、会話後の遥は何処か浮かれた様子を隠さなかった。愛娘の嬉しそうな姿に釣られて浮かれた仁悟さんはひとしきりテンションの上がった調子ではしゃいで疲れたせいなのか、お酒をいつもより飲んだせいなのか、ソファでだらしなく眠りこけてしまっている。
夕食後、お風呂を浴びに行った遥を見送った私たちはのんびりとリビングでぐだぐだとしていた。
「もう、こんなトコで寝ちゃって」
床に座った奈緒さんはソファに眠る仁悟さんの顔を見上げながら微笑み、頭を優しげに撫でる。遥に受け継がれた綺麗な顔立ちが魅せる表情に、ちょっと私は見惚れてしまった。
「明日は仕事があるのに飲み過ぎなのよ」
そう言いながらも奈緒さんは膝丈までの高さしかないテーブルからビールの入ったコップへ手を伸ばす。今日の一ヶ宮家はとっても幸せそうだった。遥が過酷な任務から解き放たれれば、これが日常になるのだろう。
「ここまで元気な遥ちゃんを見るのはいつ振りかしらね……」
奈緒さんがぽつりと放った言葉を切っ掛けに昔はどうだったのか聞いてみる。
「そうねえ……週に一回、それも数時間だけだったわね。あ、プラスで週に二回は修行として道場に参上するようには言われていたかしら」
その程度なら日常に支障なく過ごせるだろう。さっさと魔之物の大量発生は収束してはくれないだろうか。
「でもそれだけじゃないわ。今の遥ちゃんはお友達と遊ぶ機会もなかったでしょう。だから今日はとっても楽しかったはずよ」
中学時代は三年生で転校して一年の付き合いとはいえ、友人も作り楽しく過ごしていたのだという。けれど、高校に入る直前の三月からこの忙しさがやってきて遥には学校で友人を作る余裕が失われてしまった。いや、一応智恵たちがいるから友人はいるのだけれど気晴らしに遊んだりする余裕がなくなってしまったのだ。何しろ、画面越しに私と会話するのでさえ途中で寝落ちしてしまうほど体力的余裕を失っていたのだ。今日の出来事はきっと数か月振りに友人と気ままにおしゃべり出来た時間だったのだ。
お風呂から上がった遥は土日の疲れが出て来たのか頭がふらふらと覚束なくなっていた。奈緒さんと私が早く寝るよう促すと、素直に頷いておやすみの挨拶を交わしリビングを出ていったと思えば十数秒後ふらふらと戻って来る。
「遥ちゃん?」
「ママ、フィエーナと寝る」
そう言いながら奈緒さんの対面のソファに座っていた私の上に覆いかぶさってきた遥は脱力しきっていて、このままの状態で眠ってしまいそうだ。
「ふぃえーなぁ、いっしょにねよー」
「ん、分かったからベッドに行こう、ね?」
「んんー……」
どうにか遥を立たせ、私はもう目を開けてすらいない遥の手を引きながらリビングを後にする。
「おやすみなさーい」
「おやふみ……」
「おやすみ奈緒さん」
手を振って見送ってくれた奈緒さんと本日二回目のお休みの挨拶を交わした遥を連れて、私は遥の部屋までゆっくりと歩いていく。
「んにゃ」
「ちょっと遥。もうちょっとだからしっかり」
「んむう」
足元がおぼつかない遥は部屋の扉にもたれかかって防音用の二枚目の扉を閉じてしまう。ああもう、世話が焼ける子だ。私は私自身に遥をもたれかけながらどうにかベッドまで誘導してやると、今度はベッドに倒れ込みながら私にくみついてきて私を押し倒してしまう。
「ふぃえーな……」
私は抱き枕じゃないんだけどな……それでも、抱き付いて来る遥の体は触れていて心地が良くてどうにも拒否する気になれなかった。とはいえ、上に乗られていると流石に寝られそうにない。
心地よさそうに寝息を立てる遥を横に降ろして一息ついたのもつかの間、今度は私の頭の上に遥の頭が乗っかって遥の髪の中に埋もれた私の顔は清潔感のある、仄かな甘い匂いに包み込まれてしまった。
これはこれで気持ちよく眠れそうな気がしたけれど、頭の上に頭を乗っけていたら起きた時に頭痛になってしまいそうだ。やむなく遥の頭を擦り落とした。ごめんね遥。
「んぅん……」
少し距離が離れたのをすかさず察知した遥は駄々をこねる幼児のようなぐずり声を小さく上げ、私の首元に両腕を回して再び距離を縮めて来る。そのままだと唇同士で当たりそうになり焦った私は慌てて少し上に体をずらすと、遥の頭部は私の胸へと突っ込んでいった。
「んえへへぇ」
息が苦しくないのだろうか? 谷間の中に顔を完全に埋もれさせた遥は私の懸念を他所にすごく幸せそうな声を漏らしていた。うーん……もう、いっか。いざとなったら私くらい跳ね飛ばせるくらいの力が遥にはあるのだ。
何より、胸の間に遥が顔を埋めていると私も何だか心の奥底が温かく、愛おしい思いで満たされていって気分がいい。遥だからこんな思いになれるんだと思う。服を脱いで胸を曝け出すのは恥ずかし過ぎるので断っちゃったけれど、着衣の上でならいくらでも遥を抱きしめていられる。
口から子守歌が自然と紡がれていく。遥はロートキイル語が分かるから、意識がしっかりしてるときに歌ってたらムッと拗ねるかもしれない。けど、ごめんね? 今の遥を撫でながら抱きしめてると、自然と口をついて出ちゃうんだ。許して?
とても幸せな思いに包まれた眠りを経て、相も変わらず胸の中で眠りに付く遥の体温を感じながら私は目を覚ます。
カーテンの隙間から漏れる太陽の輝きと壁に掛けられた時計に目を向け朝になったのを確認すると、起きなくちゃと思うのだけれど。どうにも遥と互いに抱き合っている今が気持ちよくて体を動かそうという気分になれない。
それにしても、胸に包まれて眠るのはどんな気分なんだろう。幸せそうに寝息を立てる遥を見ていると私も体感したい思いが湧き出て来る。顔が埋まるくらい大きな胸の知り合いか……キアリーに、エリナ、後は里奈も可能ではあるだろう。あとは……お母さんなら出来そうだ。遠い昔、お母さんに抱きしめられ眠りに付いた時に私はどう感じたのだろう。記憶を辿ると、それはとっても心が落ち着いたようなおぼろげな思い出が湧き出て来た。遥も同じ思いを私に抱いているのかな?
遥のサラサラとした黒髪の触り心地、匂い、温もり諸々を堪能しながら寝起きのぼんやりとした頭でぼうっとそんなことを考えていると、いよいよ起きなくちゃいけない時間が迫って来る。
仕方ないか、数十秒ほどたっぷり遥の髪の中に顔を埋め感触をしっかり我が身に焼き付けてから私は起床を決意し遥を引きはがしにかかる。
「いや……」
さっきまで幸せそうだった遥の表情がこの世の終わりみたいに悲し気に歪むのを見てしまい、私の手は止まる。そしてその隙に遥はさっきより一層強く抱き付いてぎゅうと胸の中に顔を埋めて離すまいとする。あちゃあ、これじゃあ私自身じゃ抜け出せないかも。言葉による説得へと切り替えてみる。
「遥、おはよう。朝だよ、そろそろ起きよう?」
「んん……?」
胸から顔を離す気はないようだけれど、少し上向いた遥は鼻から上だけを胸から離し寝ぼけ眼で私と視線を合わせる。ああもう、なんて可愛いんだ遥ったら。
「は~る~か?」
「ふぃえーな?」
小首を傾げる遥の愛おしさに心が高鳴るのを覚えながら、私は遥の顔と角度を合わせてにっこりと微笑んで見せる。
「そうだよー。フィエーナだよ? 朝になったから起きようよ」
「んむう……もっとこうしてたい」
「私も」
「じゃあ、こうしてよう?」
うう、その誘惑には抗いがたい……このままずるずると一緒にベッドの中で遥と抱き合ったまま時間を浪費出来たらと思わないでもないけれど、ここは心を鬼にしないと一緒に遅刻しちゃうかもしれない。
そう、心を鬼にして……鬼にして……駄目だ、物欲しげな遥の目線に抗しきれない。思わず目を背けてしまった。
「そんな目で見ないで遥。誘惑に負けちゃいそう」
「フィエーナ? 私とずうっと一緒にいよう?」
もぞもぞと私の体を這い上がってきた遥は目と目を合わせて誘惑してくるけれど、その口元には笑みが漏れている。ああ、からかわれているなと私が気付いたのと同時に遥は我慢できずに笑い出していた。
「もう、ひどいよ遥」
「えへへ、ごめんねフィエーナ。さ、起きよっか」
サッとベッドの上で立ち上がった遥はそのまま私に背を向け、ベッドから降りようとする。何だかからかわれっぱなしは癪に障った私はお返しに遥の後ろから抱き付き、そのまま遥を抱きかかえたまま背中からベッドに倒れ込んだ。
「フィエーナ!?」
「あはは~」
「あーっ、もうフィエーナびっくりしたよー! 悪い子!」
「あっ、ちょっと! くすぐりは駄目だよっ! んあぅ!? 駄目、そこはっ、駄目って!」