月曜日を迎え、三丘高校はテスト週間を迎えていた。午前中だけしか授業がなくなった一方で、大学受験に備えた学習の成果を確認するためのテストに挑むクラスメイト達は真剣だ。
努力が実りいい結果に安堵のため息を吐く者もいれば、悪い結果を前にしてうなだれる者もいる。
「どう思う?」
「うーん……部分点なら貰えそう」
「そっか……」
良くも悪くもテストの結果に右往左往するクラスメイト達の中にあって、遥は答えの正誤判定に悩むクラスメイト達の採点を手伝ってあげていた。何でも遥は三丘高校開校以来一番に頭のいい生徒らしく、今の今まで失点らしい失点をしたことがないのだとか。
今日のテストでも当然の如く全科目百点(クラスメイト達による自己採点だけれども)なのだから、遥は凄い。
「遥はいつもああなの?」
「ん? ああ、テスト後はな」
「遥の採点は誤差がほとんどないから早く結果を知りたい子にはありがたいのよ」
回答者としてだけでなくて、採点者としてもほとんど完璧らしい。退魔師として修行しているから戦闘面でも隙はないし、やっぱり遥は凄い子だ。
「アタシ頭の良さには自信あったけどさ、遥に会って上には上がいるって思い知ったよ」
「私も智恵ちゃんより頭が良い子がいてびっくりしたよ」
「おまけにあの愛らしさ……マジのガチでお近付きになりたくて必死だったなあ」
「智恵ちゃん、可愛い子とか美人な子に目がないもんね……」
「一緒にいると幸せに気分になれるんだよ。へへぇ」
「ははは……」
にへらっと端正な顔を崩して笑う智恵に抱き付かれ、渇いた笑い声を上げる鈴子。その横にいた雪夜が私の傍にスッと近寄り耳元で囁いて来る。
「智恵は可愛い子には全員声を掛けてるからレズ疑惑があったのよ……あなたに告白したから疑惑ではなくなったんだけれどね」
そ、それは……。身長が二十センチ以上小さな鈴子を抱き寄せては頬を染めながら頬ずりする智恵は蕩けそうな笑みを浮かべている。心底幸せそうで、綺麗な美人さんの見せる隙にうっかりドキッとしてしまった。
「あの表情は反則よね」
険しい顔つきの雪夜に、私も頷いて賛同する。
「ふぃえーなー」
「遥? どうしたの」
「んー」
ふわりと甘い香りがしたかと思うと、遥の柔らかな肢体が私に絡みついてきていた。お友達が撫でられて羨ましくなったのかな。
「もう……遥は甘えん坊さんだね」
うるうると見つめて来る遥の頭を撫でてあげると気持ちよさそうに目を細めて胸元に頭を摺り寄せて来る。まるで猫みたいだ。
「フィエーナ? それ、普通にやってるの?」
「え? 何か変かな?」
「遥もフィエーナ相手だと甘々よね……」
「そう?」
「いーなー! アタシも混ぜてくれー!」
「うわわっ! 智恵!?」
「むぎゅう」
私と遥に智恵が覆いかぶさって来て、私たち纏めて抱きすくめられてしまう。視界の端でホッとしたような表情を浮かべる鈴子が見えて、標的としてとらえられてしまったことを私は察した。
「へっへっへえ……二人ともいい匂いだなぁ」
私たちの体臭を嗅いでは嬉しそうに身を震わす智恵の姿は、クラスメイトたちの面前で見せていいものじゃないような気がする。私は遥に目くばせすると、意をすぐに酌んでくれた遥はこくりと頷く。
「よっと」
「むん」
タイミングを合わせ二人で智恵の拘束を抜け出すと、両腕を広げて立つ智恵が一人残される。ちょっと滑稽な立ち姿だ。
「え? え? アタシ、え?」
「あははー、びっくりした?」
「どうしたの智恵ちゃん」
「あ、いや……」
するりと抜け出した私と遥に手品を見せられたかのように呆然としている智恵は首を傾げながらも広げた手を下げた。そんな智恵を不思議そうに近寄っては見上げる鈴子の距離感はこなれたように思えた。
「それにしても智恵と鈴子は仲良しだねー。雪夜と違って中学から一緒なんだっけ」
「ううん。私と智恵ちゃんはもっと昔から友達だよ、ね?」
「ああ。小学生の頃から学校は別だったけど友達だったぜ」
「へー」
何気なく話題にした二人の関係だけれども、何だか鈴子の様子がおかしい。珍しく眉を怒らせ、ちょいちょいと指でみんなに近寄るよう促してくる。私たちが椅子に座る鈴子の周りを囲むと周囲の雑音にかき消されそうな小さな声を上げる。
「智恵ちゃんたら怖いんだよ。町内会のお神輿の時に私を見かけて一目ぼれしたって家にまで乗り込んできたんだから」
怪談でも話し始めそうだった鈴子の声音は最後の方は半笑いになってしまっていた。本気で嫌悪している訳ではないみたいだ。それにしても智恵の行動力には驚かされる。鈴子の口振りだとそれ以前には全くの他人だったんだろうに家まで押しかけるなんて。
「あはは……智恵って昔から変わらないんだね」
「ええ……私もそれは初めて聞いたわ」
「怖いって何だよ。別に同い年の友達が欲しかっただけだろ」
「でも幼稚園の頃から目を付けてたって言われた時はお母さんとお父さんストーカーって疑ってたよ」
ジト目の鈴子から目を逸らした智恵は渇いた笑い声を上げて追及から逃れようとする。
「でっ、でも誤解は解けたからな! 今じゃおば様たちとは仲いんだからな?」
「まあね、大志君とも遊んでくれてるし。私ゲーム苦手だけど智恵ちゃんはすっごく上手いんだよ」
「大志も結構上手い方だけど、アタシにゃ及ばねーな」
「大志君私と対戦すると弱くてつまんないって言うんだ……」
「なにぃ? お姉ちゃんを悲しませるとは後でアタシが〆とかないとだな」
日が燦々と降り注ぐ午後二時ごろ、一番気温の上がる時間帯に帰宅した私と遥は空調の効いたマンションのエントランスに足を踏み入れようやく一息ついた。管理人さんと挨拶を交わし、エレベーターに乗り込んだ私は三十度を優に超える外気から解放され思わずため息を吐いてしまった。
「ふう……涼しいね、遥」
じっとりと張り付いた胸元の制服を肌から引きはがしながらパタパタと仰ごうとすると、スッと遥の手が私の腕を掴む。何事かと目を向けると遥は静かに首を横に振る。
「何? 遥」
「駄目」
私だってはしたない真似だとは百も承知だ。人前ではこんなことしたりしない。きっと遥もだから止めたのだろうけれど。
「遥しか見てないからいいじゃない。ね?」
数秒ほど目線を重ね合わせ、根負けしたように目を逸らした遥は僅かに頬を染めながらぼそりと呟いた。
「……許可する」
「あはは、ありがと遥」
遥と他愛のないおふざけをしている間にエレベーターは目的の十階まで到着していた。少し前を歩く遥がインターホンを押し、少し待つと微かに開錠の音がして扉が開く。
「おかえりなさい遥ちゃんにフィエーナちゃん。今日は懐かしい人が来てるわよ~」
奈緒さんの隣に立っていたのは私の師匠である林原先生の一人息子にして、今は日本で退魔師として活動をしているはずの林原陽人。二年くらいは経たであろう実戦経験によるのか、精悍な顔つきは日に焼け自信が満ち溢れていてカッコいい。うん、いい感じに成長しているようで何よりだ。
「よう。二人とも元気にしてたか?」
私より十センチは高い身長は日本人の中では大きな方だろう。少し頭を屈めて私たちに向ける笑みからは若さに満ち溢れていながらも、大人の余裕が顔を覗かせるようになっていた。あの陽人から大人らしさを感じるとは、著しい成長に感慨深くてうるっときそうだ。遥も声は出さずコクコクと頭を上下に振るだけだけれど、目がキラキラしているし何より頭を振る速度から感極まっていることが分かる。きっと同居していた陽人にも気持ちは伝わっていると思う。
「久しぶりだね陽人。それと、あなたは?」
陽人の背から、何だか緊張しきってかしこまっている女の子が顔を出している。私より十五センチは小さいけれど、迂闊に小学生くらいかなと思ってはいけない。彼女が小さすぎるのではなく、私が日本では身長が高めなだけなのだ……多分。
「あ、ああ……ちょっと先輩! ここ、こんな美少女たちと同居生活してたんすか!?」
「たち、じゃねーよ。黒髪の方、遥とだけだ」
ツインテールのよく似合う幼げな顔立ちの可愛らしい女の子にベシベシ腰辺りを叩かれ、うっとおしそうに目線をあらぬ方向に向ける陽人。二人の関係は退魔師の先輩後輩なのだろうか?
「どっちにしても羨ましいなぁむぉう!」
「いいから自己紹介しろよ。フィエーナも困ってるだろ」
「うおっ!? そ、そうでしたね。では改めましてっ! 私は美津黒由那(ミツクロユイナ)十五歳! 花も恥じらう現役高校生退魔師ですっ!」
ビシッと右手を天に差し出すのは決めポーズなのかな。何だか背伸びして格好つけようとしている子供みたいで可愛らしい。
「私はフィエーナ、同い年だよ。よろしくね由那」
「は、はうぅ……よ、よろしく……」
私が手を差し出すと恥ずかしいのか顔を赤らめて俯きながら手を伸ばしてきた。私から手を取って握手をすると、口元をひくつかせながら細々と何かを呟いているけれどよく聞き取れない。何だろうと耳を近づけてみると、びくっと反射的に固まってしまった。
「あー……こいつ人見知りなんだよ。慣れるとかなり失礼な奴なんだけどな」
「余計な事言うなっ!」
「はっはっは、うるせえなおい」
小声で叫ぶ器用な真似をする由那をシレっとあしらう様を見るに、二人の付き合いは結構長そうだ。
「ほら、遥も自己紹介」
「あ、うん。わ、私は一ヶ宮遥です。よろしくお願いします」
「あ、ああ……よろしく……」
緊張で表情を硬くした遥に、ぼそぼそと呟く由那の二人はどちらも人見知りぎみだ。これじゃ打ち解けられるか心配だな。
軽く互いの自己紹介を終えた私たちはリビングに上がる。リビングのテーブルには麦茶の注がれたコップとお菓子の入った小皿が並んでいた。由那が座りなおした手前のテーブルだけぽろぽろとお菓子の食べかすが散らばっていた。それに気づいた様子の陽人に頭を叩かれまた小声で口論をしている。二人とも本気ではなくて、じゃれ合っているように見えるのは気のせいなのかな。
「フィエーナ、はい」
二人の様子を見て立っていた私の前にひょいと遥が割り込んできて麦茶の入ったコップを差し出してくる。そういえばさっきまで暑くてしょうがなかったのを思い出し、途端に喉が渇いてきた。
「ありがとう遥」
遥と奈緒さん、後ろの方を歩いているだけにしてはちょっと遅いなと思ったら途中でキッチンに寄っていたからだったんだ。コップに注がれた麦茶を差し出してくる遥に続いてやってきた奈緒さんは遥の分のコップと麦茶の入ったピッチャーをお盆に乗せて持ってきていた。
「遥ちゃん。どうしても自分がやるって言うの」
「フィエーナのお世話は私がする」
私に麦茶を渡した遥は今度は奈緒さんからピッチャーを受け取り、いつもやっているかのように陽人の隣に座る。
「は……陽人はまだ飲む?」
「あー、じゃあ一杯貰えるか? こいつのも入れてやってくれ」
「分かった」
久しぶりに再会したからか、ちょっとだけ遥の声音には緊張が見え隠れしていた。注ぎ口から麦茶がとぷとぷとコップに注がれていくのを二人して眺め、七分目あたりまで注がれたのを見届けた遥はスッとコップを陽人に差し出すと陽人は何でもないようにそのコップを受け取った。
「助かる……てか、何か久しぶりだなこういうの」
「……うん」
感慨深げに微笑みかける陽人に、遥も思いを噛み締めるようにピッチャーを抱く。
「先輩。同棲時代はそんなんだったんすか」
「ん。まあ、そうだな」
「へー。へー!」
「何だよ」
「何でもないですっ!」
由那との掛け合いの合間に陽人はサッと目線を送り、それを見た遥はクスリと笑う。何だかちょっと妬けちゃう関係だ。
「ねえ、それにしたって突然の訪問だけどどうしたの?」
「ああ、実は俺たちも増援としてこっちに来たんだよ」
「へー、陽人もそういう立場になったんだね」
「まーな」
陽人が日本に来たのは三年ほど前で、その頃は実戦経験がまるでない新米だったはず。そこから増援を求める退魔師に応じて馳せ参じるレベルにまで成長したという訳らしい。
「んー、確かに今の陽人からは頼り甲斐を感じるよ」
「本当か?」
ちょっと喜色が垣間見える陽人に、私は率直な感想を返してあげた。努力の結果は素直に褒めてしかるべきだ。
「うん。退魔師として、それに人として立派になったね陽人」
「何で師匠面なんだよ」
「あははー」
突っ込みをもらってしまったけれど、満更でもなさそうな陽人に日本では何をしていたのかを聞いていく。連絡先は交換していたので、ちょくちょく質問をもらって私なりの考えを伝えたりはしていたけれど、具体的にどうこうといった話は聞いてなかった。
「こっちじゃ実戦に次ぐ実戦さ。何しろ退魔師なんてロクにいないからな。全国で千人ちょっと……だっけか?」
「合ってるからこっち見んな。先輩なんだからもっとシャキッとしましょーよ」
「うっせー」
暴言を互いに投げ合う関係を見ているとラフィテアを思い出す。ラフィテアもヴェイルによく突っかかってきていた。私が思うに素直に絡めなかったからだと思うのだけれど、ヴェイルもそれを理解し優しくあしらっていたな。
「由那とはどういう関係なの?」
「こいつとは腐れ縁でな。俺の師匠の従妹なんだが、ちょっとした事件の時に知り合って以来タッグを組むようになっちまった」
「私じゃ不満ってか? んあーん?」
「叩くな。お前には感謝してるよ」
「ふぇ?」
「お前の援護がなけりゃ俺も幾つもの死線をかいくぐれなかったからな」
「あ……あぁ……そすか……うぇへへ」
「でもこいつといるとうどん三昧になるから食生活が狂っちまうんだよなあ……何でお前うどんしか食わねえの?」
「うどん上手いじゃん? それで充分っすよ」
「はあ……こいつ自分でうどん作るんだぜ?」
「あ? 美味い美味いゆーてたじゃんか」
「うどんばっか食わされる身にもなってくれよ……素うどんしか認めないしさこいつ」
何だかんだ言っているけれど、二人の仲はよさそうだ。
「これから三週間くらいか。東北エリアからの増援ってことで俺たちが担当することになったんだよ」
テーブルの片隅に畳まれていた地図を再び広げ、ここらへんなんだがと陽人が指さす。三丘市からは少し離れているみたいだ。
「車で三十分くらいかしらね? 三丘市よりも栄えてるから生活は楽だと思うわ」
「へえ、そりゃいい。何しろ俺のいるトコはど田舎で大変なんですよ」
「か、代わりに自然が豊かだから……」
しばらく遥も交えて和気あいあいと会話をしていたけれど、残念ながら遥にはあんまりのんびりできる余裕がない。途中で抜け出し退魔師の装束に身を包んだ遥は私たちに出立を告げるべく戻ってきた。
「ね、陽人。私はもう行くから」
別れを惜しむように目を伏せる遥に、陽人は立ち上がってにこやかに出迎える。
「おお……様になってるぜ」
「本当?」
「俺より強くなりやがって!」
「んー! 髪が乱れる!」
首に腕を回しわしゃわしゃと頭を豪快に撫でる陽人の顔には一種の覚悟が見られた。私には手が届かない世界だけれど、成長した陽人なら遥に手を差し伸べられる。ずるい……けど、遥を頼むよ陽人。助けてあげて。
「魔之物なんかに負けんなよ」
「当然。私も退魔師だから」
最後にポンと遥の頭に手を乗っけた後、陽人に差し伸べられた言葉に遥は珍しく好戦的な顔つきを見せていた。
共に戦う者の絆が見えた気がした。私には築けない形の関係、やっぱり羨ましい。